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2018年12月26日 (水)

クリスマス・イブの息抜き~上京初日

12月24日(月) 晴



今日から1泊2日の上京。Yちゃん親子と食事をしたりカラオケしたりの息抜きだ。田舎の実家で両親の面倒を長男として見るのは義務。仕方ない、という言い方はあまりよろしくないとは思うが、そうなのだ。罰当たりだが、両親なしで同世代以下と付き合うとホットするのも事実だ。人間としての本音は正直に認めたい。


母の実家ではおじいちゃんは60歳過ぎに亡くなってしまったが(自分が小学生の低学年のころ)、ひいおじいちゃんは長生きした。昔は、3世帯どころか4世帯が同居していた。母の実家は農家だったこともあり家というか敷地は広く、家は大きかった。牛小屋、ニワトリ小屋はもちろん、納屋があり、広い庭もあった。コメの脱穀や餅つきをした記憶がある。


納屋の2階は梯子に上れて藁が積んであった。従姉妹と集まるとよく缶けりや隠れん坊遊びなどをして遊んだものだが、母屋はもちろん納屋の2階の藁の中に隠れたのを今でもよく覚えている。近くの久慈川で魚釣りに行く場合は、庭の片隅に積みあがった藁をひっくり返すとミミズがふんだんに取れた。それで、フナやナマズやウナギやカジカを釣ったり、ドジョウ捕りをしたのだ。楽しかったなぁ、あのころは。家は明治のころ建てた古い家で、囲炉裏もあったし、屋根は藁ぶき(茅葺)。取り壊して新築したのは1990年代のころだったと思う。


夏のお盆に母の実家に遊びに行くのは特別の楽しみだった。おばあちゃんはニワトリを一羽潰してもてなしてくれたものだ。ある日のこと、おばあちゃんがそのニワトリを「つぶす」ところを見た。足に紐をしばり、離れのトイレ(家の中にはトイレはないのが普通だった)の近くの木に吊るして包丁で首にさっと切れ目を入れる。バタバタと暴れるニワトリ。血がしたたり落ちて段々と弱っていくニワトリ。恐怖というよりも哀れみを感じながら、神妙に棒立ちのまま弟と一部始終を見ていた。



そのおばあちゃんは88歳だったかで1977年の冬に亡くなった。何故覚えているかというと、私は東京で学生生活を送っていたが、フィギュアースケートの世界選手権のバイトをしていた。2泊だか3泊だか京王プラザホテルに泊まりこんでいたのだが、終了してバイト代をもらい、下宿に帰ると、下宿のおばあちゃんが、「大変だよ、実家から何度も電話があっておばあちゃんが亡くなった」と。晩年は耳が遠くなったがいつもニコニコと孫の私に接してくれてお小遣いをもらった。娘、つまり、私の母も耳が遠い。87歳。


亡くなったおばあちゃんの義理のお父さん、つまり、私にとっての母方のひいおじいちゃんは、日がな一日、日当たりのいい座敷でのんびり横になって、時折おばあちゃんや、叔母さんが食事やいろいろ面倒みていたかすかな記憶も残っている。


自分の両親世代もきっとそんなイメージで生きてきたことだろう。だが、戦後の経済復興で核家族化が進み、気が付いたら自分たち二人だけだ。商売をしているわけでもなく私が引き継ぐものは遺伝子だけ。一応、1970年代後半に建てた一軒家は2011年の地震に持ちこたえて健在であるが、自分が死ぬまでここに住みたいかというとよく分からない。自分たちの老後がこんなに長いとは思ってみなかっただろう。自分の両親が60代から精々のところ70代で他界したのだから。



昔の世代は自分の子供たちにそれほど負担!!!をかけていなかったのだ。長生きするということは悪くはないが、人間としての快適さを感じながら生きていられるならばの話。これまでの人生を振り返ってみるならば、苦楽半々である。「苦」も「楽」があればこそである。そのバランスが崩れたとき(快楽だけの人生は快楽の意味が喪失してしまうし、苦痛だけの人生なら人は自殺を選ぶだろうし、私もそうする。だから、私は自殺を否定しない)、人はこの世とおさらばできるのが一番ベスト。深沢七郎の「楢山節考」は残酷かもしれないけれど、西洋近代を知らない世界において、限られた資源のなかで自給自足をする社会の知恵でもあったのだと、つくづく思う今日この頃である。


以上は、朝の物思い。


9時過ぎ、父がデイケアーに出かけたのを見届けて(見届けなくてもいいのだが)、母と自分が不在中のロジスティック(食事と安全面)を確認して、9時半前、タクシーを呼んで(駅まで歩いて行けるのだが・・・贅沢をする)出発する。


9時52分発の特急に乗る。今回は東京駅まで。Yちゃんから東京駅のあるお店でしか買えないバウムクーヘンを買ってきてと言われたための立ち寄りである。それから新宿に向かう。


車中、持参した本を読む。岡倉天心の「日本の覚醒」の英語版と日本語版を掲載した講談社学術文庫と中谷巌さんの「AI資本主義は人類を救えるか~文明史から読みとく」(NHK出版新書)。

途中の石岡駅までは、岡倉さんの英語版の第1章を読む。アジアの歴史はモンゴルの遊牧民の席巻(13世紀)の結果、支配された中国、インド、中近東などの栄華を極め洗練されていた文明にポジティブなものは残されず、ネガッティブな影響しか残らなかった。それ以後は停滞の惨状となり、今日見る西欧の支配に身を委ねざるをえない状況を招来した、という内容。



それが理由かどうかはわからないけれど、結果を見るなら、モンゴルの遊牧民に席巻されなからユーラシアの西の端っこにあったヨーロッパと封建体制を維持しえた東の端の日本だけが19世紀に近代産業に向けていち早くテイクオフしたのだった。20世紀後半は、前半から1990年代までの2度の自殺的な世界大戦と冷戦を経て、その近代産業化が金融のグローバル化によって全地球規模に拡大しつつあるということだろう。。ところで、岡倉さんの英語は新渡戸稲造さんの英語同様に非常に拡張高い英語だった。こんな内容(哲学的である)のエッセイを以後に英語で書いて世界にインパクトを与えた日本にどれだけいるだろうか。禅仏教哲学を展開した鈴木大拙くらいしか思い浮かばない。


石岡駅から上野駅過ぎまでは、中谷さんの本を読む。全世界的ベストセラー(私は知らなかった)であるイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」を初めて知った。2011年にたぶんイスラエルでヘブライ語で出版、2014年に英語の翻訳版がでてたちまち世界的ベストセラーになったらしい。書評にはそれなりに目を通してトレンドは知っているつもり(特に、人文科学系)だが、正直のところ見逃していた。題名の「サピエンス」が即座に理系と勘違いさせたからだろうか・・・。



歴史とは言っても、国や文明の興亡を扱う歴史ではなく、対象はホモ・サピエンス、つまり、人類の歴史であるところが壮大な試みである。それを書いたのが、イスラエル人、つまりは、ユダヤ人だ。第一章の最後のあたりまで読んでいると、上野ぉ、上野ぉ~とアナウンス。



11時13分、東京駅に着いた。Yちゃんに頼まれた駅構内のある店に来てみると、長蛇の列が目に入る。30分くらいはかかってしまう混みよう。12時の約束には間に合わないことがわかり、ラインで連絡。今回は見合わせて次回にしてもらう。代わりに月並みだが、好物の東京バナ奈の12個入りをお土産に買う。東京の人に東京のおみやげ。


お昼は少し遅れたが新宿の瀬里奈でしゃぶしゃぶ。某高層ビルの52階である。窓際の席は取れなかったが遅れて行ってみるとYちゃんは一心不乱にスマートフォンと戯れていた。しゃぶしゃぶを食べるのは本当に久しぶりだ。昔は、仕事で六本木の瀬里奈でしゃぶしゃぶをよく外人を連れて足を運んだものだ。自分自身が食べるのはは同じ六本木でも食べ放題の安い方の「しゃぶ禅」だった。国産牛の霜降り肉VS輸入牛である。
突出しは、サーモンのマリネ。


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そして、お刺身(マグロ赤身とタイに、勘八?と小さな中トロ)


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三品目は、カニの甲羅揚げ


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そしていよいよメインのしゃぶしゃぶは、霜降り牛のスライス5切れと野菜(豆腐、御もち、白菜、ネギ、キノコ、くずきり等)をポン酢とゴマダレでいただく。


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最後に(私は途中から)ご飯と新香に、食べ終わった鍋のスープ(塩・胡椒を利かせて)を「食べる」。スープは飲むのではなく食べるとは英語やドイツ語で習ったなぁ。デザートはアイスクリーム(Yちゃんは、ヴァニラ、ママは抹茶、私はみかん・シャーベット)にコーヒー(ママと私)・紅茶(Yちゃん)。


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昔なら、肉をお代りしただろうが、十分にお腹は満たされた。また、瀬里奈のクオリティーの高さを改めて認識した次第。


新宿のデパートでお買い物に付き合い(Yちゃんには文房具をプレゼントした)、その後、カラオケ会場に移動。場所は東武東上線の大山駅近く。15時半から17時半までの2時間、歌いまくる、と言っても、ほとんどマイクを独占したのはYちゃんであった。お母さんと私も歌ったが世代間のギャップはいかんともし難かった。Yちゃん世代はYoutube世代でもある。初音ミクやナユタン星人(バルタン星人とは違う)、米津玄師と、ほとんど知らないが過去2回のカラオケでなじんではいる。が、メロディーがよくわからない。お母さんは、演歌派(石川さゆりが大好き)の歌を数曲。私は、小さいときYちゃんがよく歌っていた「365歩のマーチ」と「走れコータロー」と「バラば咲いた」(1960年代の3曲)を歌う。


17時半過ぎ、夕食は、いっしょにケーキとケンタッキー・フライドチキンを食べようということに。お店に来ると長蛇の列。私が並んで買うことにした。待つこと1時間半、8ピースとビスケットを買って、マンションに戻ったのは19時半前だった。アルコール抜きのシャンペンとケーキ持参のYちゃん親子とフライドチキンとビールの私の3人で乾杯。まずは、もぐもぐとチキンを食べる。瞬く間になくなる。休憩とおしゃべり、そして、ケーキを食べて、また、近況の話。受験相談(と、言っても私は聞き役)。22時過ぎ、お開きにした。途中、明日のお昼はステーキをまた一緒に食べようと、近くのスーパーに出かけた。国産のサーロインステーキが半額になるタイミングを狙って。



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