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2018年12月30日 (日)

冷え込みが厳しくなって・・・。

12月28日(金) 晴

5時半過ぎに目ざめる。6時20分、アカハラの地鳴きが聞こえる。
冷え込みが厳しい。一軒家の欠点は隙間風。北海道出身の人が、ここ地元の冬は北海道より絶対寒い、というのもうなずける。冷たい北の空っ風が容赦なく家の中に入り込むのだ。ベッドを出るのが億劫になる。
ベッドの中で佐藤優氏の「現代の地政学」をさっと読みした。


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この人の爆発的な頭脳と切れ味には驚くばかりだ。手にする同氏の著作はいずれの本でもでどこかに「なるほど、そうなのか」とうならせるするどい視点がかならずある。こういう人はそういない(小室直樹氏しかり、歴史家の岡田英弘氏もうそうだ)。この本は、出版社が主催する社会人向けの講義を本にしたので小難しい論文調でなく読みやすいし、面白い脱線もあって楽しい。世代的には、私とほぼ同じ(少し下)。氏の強みは、クリスチャンであり普通の日本人がまずやらないキリスト教神学の修士号をもっていること。当然ながら、世界を理解するために不可欠なキリスト教についての造詣が深いことだろう(知識だけでなく感覚でわかるということ)。それに、外務省で情報分析(諜報に関る仕事、言ってみれば、日本のスパイであった)でも抜群の実績(対ロシア)がある人というのもうなづける。もっている情報量と解釈は並みの学者・評論家を圧倒している。かくして、朝日新聞のエース船橋洋一氏の「21世紀の地政学入門」をデダラメもいいところと酷評し容赦しない。
朝食:ホットミルク、石窯パン、パプリカのマリネ、みかん一個、笹かまぼこ。


食後、今年度最後の生ごみ出し。年賀書き(SNSがこれだけ発達してもはや年賀状を書く意味があるのだろうかと思いながら)をする。インターネットと無縁の両親は100枚以上も昨年までは出していたが、今年は親戚関係に絞って簡単に済ませたようだ。父は年賀状を書けなくなってもう7年になる。

年賀状を近くの郵便局に投函したあと(途中で「愛しのアリアナ」の看板を見る)、母の使いで買い物(介護用品、台所・洗面所用品)と銀行での出金に出かける。正月用の買い物も少々。

お昼:豚汁と石窯パン、コーヒー、栗のロールケーキ。

午後は、南西向きの2階の和室で炬燵にはり、日記を書いたり、ブックサーフィンをする。数年前に亡くなった邱永漢氏の「中国の旅、食もまた楽し」が目に留まる。


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同氏は父が台湾人(大陸から渡った)と日本人の母に生まれた人。旧制の台北高校(李登輝さんと同じ)、東京帝大卒。2級市民?として差別をされたらしいが、戦後は日本で作家としてデビュー(直木賞)したものの、石原慎太郎の「太陽の季節」小説のインパクトに隠れてしまった。氏の「濁水渓」は台湾の2.21事件を題材にとったものである(興味がある人は、映画「非情城市」を見るべし)。一方で、華僑らしい「金儲けの神様」であった。人生の終盤は、拠点を香港に移し、日本や台湾の投資家を引き連れて中国本土で様々なビジネス(不動産、和牛、コーヒーなどなど)を展開したエネルギッシュな人。


「食は広州にあり」を昔読んだことを思い出して探したのだが見当たらない。パラパラと拾い読みしながら、日本化した中国人の食を通じた中国紀行を楽しむ。時代は鄧小平さんの改革開放が本格化した1990年代の話だ。この人の舌によると上海以北の中国料理は正直にいって「まずい」。ハルビン滞在中、旧満鉄の列車に乗ることを地元の人に話すと「時折山賊がでますよ」と言われ一瞬焦る。「最近は出なくなったですが・・・」に安堵する。当時の中国はまだレストランのサービスは酷かったようで、同じ中国人?の邱永漢氏ですら声を荒げることもあった。そんな氏も、脂っこい中華料理やフランス料理を海外で堪能すると、塩鮭とご飯とみそ汁の食事がしたくなる、とどこかで語っていたと思う。

自分も1985年の夏に満州医大のもと教官や軍属の人と旅をしてハルビンを訪問したことを思い出す。動物園で東北トラを見た。ロシア人の作った町なのので西欧風の景観がいたるところに残っていた(キタイスカヤ通り)。松花江という大きな川のテラスを歩いたり確か、クルーズもした。現地の日本語ガイドさん(エリート)だが、マナーが悪く、スイカを食べては川に皮の部分をポイ捨てしていた。お腹を壊しそうな露店の屋台(食器を洗っている水がどぶ水みたいだった)の記憶もある。昔はハエだらけでねぇ、と同行の人は回顧していた。長春経由で最後は北京に。万里の長城や中南海、明の十三陵や天壇公園もおのぼりさんよろしく言った。北京駅界隈で見たのは自転車、自転車、そして自転車。次の中国行きは2001年から3年にかかえて、大連、広州、上海、蘇州、海南島と足を延ばした。中国の変貌ぶりに驚いたものだ。

午後、従兄がつきたての餅とリンゴを持って年末のあいさつに来た。11月に柚子取りでお世話になって以来だ。今度、父がデイケアーで不在のときふらりと実家に車でセンチメンタルジャーニーをしようという話になった。日曜日に買ったアンコウだが、実家のおばあちゃんがよく冬は家の裏のイチジクの木でアンコウの吊るし切りをしたそうだ。アンコウは捨てるところがない。内臓も全部食べられる(肝が一番おいしい)。湯がいて、ともずで食べるのだ庶民の食べ方だった。あの、ニワトリをつぶしたのも、イチジクの木だったのだ。
夕刻、昔勤務した最初の会社のもと上司から郵便物が届く。MN氏。確か、お父様は先の大戦(この言葉も死語か)で軍人として戦われ、戦後も防衛庁で仕事をされていたと聞いた。海外生活が長く(アメリカ西海岸やハワイ)、英語が堪能な方だった。1990年代前半だったろうか。小職のブログを見ていただいている由。JNTOの卓上をわざわざ同封してくださった。



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自分が勤務したころの訪日外人は1000万もいなかった。今や2000万を優に超える時代となった。経済成長はたいしたことはないけれど、ポストモノづくり産業主義の日本の外貨獲得のための大きな潜在的産業であることは間違いない。MNさんは定年前にJNTOに出向され60代半ばまでお仕事をされたよし。たしか、1998年か99年に、小生がロンドン駐在時、出張で来られ、ソーホーの中華レストラン(利口福大酒店)で食事をしたと思う。鱸(セイゴが成長したときの名前、通常は60㎝以上だがそれは日本の話。英語ではSeabassである。サイズは35位のセイゴだったと思う)の清蒸をオーダーして箸を突っついたはずだ。MN氏もことし77歳になられたという。

夕食: オイルサーディンと玉ねぎとニンニク使った前菜を作って、トーストしたパンと一緒に軽めの赤ワインを飲む。冷えた白ワインがよかったか。お歳暮にもらったシーチキンサラダもなかなかだし、自分で作ったパプリカのマリネもいい味だった。仕上げは、昨日買った黒ソイの煮つけ、ご飯と納豆。デザートにリンゴ。


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食後、日本テレビで平成を回顧する番組を途中まで見る。もとNHKの有働アナウンサーが司会で登場。番組の中身は昨日の池上さんの特集と同じでだらーりとして最後まで見るに堪えなかった。平成とは、冷戦の終了とバブルのピークと崩壊で始まり、長い日本経済の停滞・下降の始まりであった、ということになるだろうか。

記憶に残る衝撃的な出来事を思いつくままに列挙(順不同)すれば、雲仙岳の火砕流、ペルー大使館人質事件、皇太子のご成婚、地震(関西淡路、東日本)と福島原発事故、オウム真理教事件、山一證券の自主廃業、神戸の小学生(サカキバラ星斗)による殺人事件。
いろいろあったけれど、個人的には夢中で生きて来て気が付いたら62歳。まだ両親も健在。先はまだまだ長そうな予感。世の中がどんどん軽薄になっていくような気もするけれど、悲惨な戦争に巻き込まれることもなく、それなりに幸せな時代に生きている、と言えるだろう。言い出したら限がない。今年は左足骨折という思いもかけないケガで半年を棒に振ってしまったが、ようやく正常な状況にもどりつつある。ありがたや、ありがたや、である。平成の後の時代はどうなるのだろう・・・・。


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