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2018年12月31日 (月)

終日家に籠る

12月29日(土) 晴


今朝の冷え込みは今年一番だった。5時半には目が覚めた。ぼんやりとして、アカハラの声を待ったが聞こえない。

チャーチルの回顧録Ⅲを読む。ぱっと開いたところ。ハリー・ホプキンスがルーズベルトの特使としてチャーチルを訪問するところ。

朝食:アジの干物、鶏ハーブ風味ハム(お歳暮)、笹かまぼこ、ご飯。

お昼:餅を焼いて海苔巻にして食べる(2個)。それに、豚汁と栗のロールケーキの最後の残り。

終日2階の和室でくつろぐ。例によってブックサーフィン。手にした本は、星新一「きまぐれ体験紀行」。東南アジア紀行である。昭和56年に買ったまま読まなかった本のようだ。



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香港の章を読む。自分自身、香港は3度訪問しているが作者と同じ、さっと通り過ぎるだけ、何度いってもおいしい食事をするだけであとは何も印象に残らない。高層ビルとショッピング街。マカオのカジノはあまり興味ない。それに、今はないが、あの俗悪なタイガー・バームガーデン。ピークタワーにケーブルカーで昇っての湾の眺望は確かにすばらしいものがあるのは確か。行ったことはないけれど、イスタンブールのボスファラス湾(海峡)とリオデジャネイロの海岸の眺めがベスト・スリーだとジョージ・ミケシュは言っていたと思う。昼の眺望、夜の眺望どちらも見たことはあるけれど・・・。でも、それだけ。何か物足りない。シンガポールと同じだ。たぶん、大方の日本人(いまもそうなのかどうかはわからない)が当時は大金?でショッピング三昧をしていたいだがが、物欲に乏しい私には魅力が欠けたということだろう。

夕食:豚肉のしゃぶしゃぶ。野菜は有り合わせでカブの葉っぱと茎、それに豆腐とおもち。キノコ類やネギ類は手持ちがなくシンプルな豚鍋である。が、寒い冬の夜、熱燗でいっぱいやりながら食す。最後は、残ったスープに胡椒と塩を振って、ご飯とお新香で仕上げる。デザートは、暮れにあちこちからもらったリンゴ。リンゴだけでダンボールひと箱になりそうだ。

年末というのに見たいテレビ番組が見当たらない。視聴率を取るなら、層が厚く、貯蓄も沢山ある団塊の世代を対象にした番組をもっと作るべきだろう。番組は全体的に若者世代向けに作っているようだが、人口幅はかなり薄い。それに若者はSNSだろう。Yちゃんも最近はあまりテレビを見なくなったと言っていた。SNSでユーチューブ三昧しているらしい。テレビも新聞もインターネットの世界に浸食され淘汰されつつあるようだ。銀行も同じだ。大手銀行が軒並み人員削減を打ち出している。AI資本主義。

2階に上がり、エマニェル・トッドの「ドイツ帝国が世界を破滅させる」(文春新書)をパラパラと読む。



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「現代の地政学」の中でウクライナ問題に関連して佐藤優氏が触れていた本だ。トッド氏は、ユダヤ系のフランス人。歴史人口学・家族人類学者。フランス人なのに、オックスフォード大学に留学して博士号を取っている。小室直樹氏が「ソビエト帝国の崩壊」を出版したのが1980年だが、トッド氏は1977年にすでにソビエト帝国が崩壊するという著作を書いている。


「ドイツ帝国」という言葉を使っているがEUと単一通貨の導入によって、ドイツは実質的なヨーロッパ帝国の覇者となっているという。フランスはドイツに従属する国になっTった。ドイツはEUという枠組みを使って政治的なドイツ脅威論を封印した形で、東欧諸国を実質的に支配下(経済的)においた。モノづくりの拠点を移し、高い教育水準かつ安い労働力を享受しているのである。東欧を押さえるものがハートランドを押さえる。ハートランドを押さえたものが世界を支配する。イギリスの地政学者マッキンダーの唱えた理論である。佐藤氏によれば、ドイツとロシアほど「地政学」を体現した国はないという。

2018年12月30日 (日)

冷え込みが厳しくなって・・・。

12月28日(金) 晴

5時半過ぎに目ざめる。6時20分、アカハラの地鳴きが聞こえる。
冷え込みが厳しい。一軒家の欠点は隙間風。北海道出身の人が、ここ地元の冬は北海道より絶対寒い、というのもうなずける。冷たい北の空っ風が容赦なく家の中に入り込むのだ。ベッドを出るのが億劫になる。
ベッドの中で佐藤優氏の「現代の地政学」をさっと読みした。


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この人の爆発的な頭脳と切れ味には驚くばかりだ。手にする同氏の著作はいずれの本でもでどこかに「なるほど、そうなのか」とうならせるするどい視点がかならずある。こういう人はそういない(小室直樹氏しかり、歴史家の岡田英弘氏もうそうだ)。この本は、出版社が主催する社会人向けの講義を本にしたので小難しい論文調でなく読みやすいし、面白い脱線もあって楽しい。世代的には、私とほぼ同じ(少し下)。氏の強みは、クリスチャンであり普通の日本人がまずやらないキリスト教神学の修士号をもっていること。当然ながら、世界を理解するために不可欠なキリスト教についての造詣が深いことだろう(知識だけでなく感覚でわかるということ)。それに、外務省で情報分析(諜報に関る仕事、言ってみれば、日本のスパイであった)でも抜群の実績(対ロシア)がある人というのもうなづける。もっている情報量と解釈は並みの学者・評論家を圧倒している。かくして、朝日新聞のエース船橋洋一氏の「21世紀の地政学入門」をデダラメもいいところと酷評し容赦しない。
朝食:ホットミルク、石窯パン、パプリカのマリネ、みかん一個、笹かまぼこ。


食後、今年度最後の生ごみ出し。年賀書き(SNSがこれだけ発達してもはや年賀状を書く意味があるのだろうかと思いながら)をする。インターネットと無縁の両親は100枚以上も昨年までは出していたが、今年は親戚関係に絞って簡単に済ませたようだ。父は年賀状を書けなくなってもう7年になる。

年賀状を近くの郵便局に投函したあと(途中で「愛しのアリアナ」の看板を見る)、母の使いで買い物(介護用品、台所・洗面所用品)と銀行での出金に出かける。正月用の買い物も少々。

お昼:豚汁と石窯パン、コーヒー、栗のロールケーキ。

午後は、南西向きの2階の和室で炬燵にはり、日記を書いたり、ブックサーフィンをする。数年前に亡くなった邱永漢氏の「中国の旅、食もまた楽し」が目に留まる。


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同氏は父が台湾人(大陸から渡った)と日本人の母に生まれた人。旧制の台北高校(李登輝さんと同じ)、東京帝大卒。2級市民?として差別をされたらしいが、戦後は日本で作家としてデビュー(直木賞)したものの、石原慎太郎の「太陽の季節」小説のインパクトに隠れてしまった。氏の「濁水渓」は台湾の2.21事件を題材にとったものである(興味がある人は、映画「非情城市」を見るべし)。一方で、華僑らしい「金儲けの神様」であった。人生の終盤は、拠点を香港に移し、日本や台湾の投資家を引き連れて中国本土で様々なビジネス(不動産、和牛、コーヒーなどなど)を展開したエネルギッシュな人。


「食は広州にあり」を昔読んだことを思い出して探したのだが見当たらない。パラパラと拾い読みしながら、日本化した中国人の食を通じた中国紀行を楽しむ。時代は鄧小平さんの改革開放が本格化した1990年代の話だ。この人の舌によると上海以北の中国料理は正直にいって「まずい」。ハルビン滞在中、旧満鉄の列車に乗ることを地元の人に話すと「時折山賊がでますよ」と言われ一瞬焦る。「最近は出なくなったですが・・・」に安堵する。当時の中国はまだレストランのサービスは酷かったようで、同じ中国人?の邱永漢氏ですら声を荒げることもあった。そんな氏も、脂っこい中華料理やフランス料理を海外で堪能すると、塩鮭とご飯とみそ汁の食事がしたくなる、とどこかで語っていたと思う。

自分も1985年の夏に満州医大のもと教官や軍属の人と旅をしてハルビンを訪問したことを思い出す。動物園で東北トラを見た。ロシア人の作った町なのので西欧風の景観がいたるところに残っていた(キタイスカヤ通り)。松花江という大きな川のテラスを歩いたり確か、クルーズもした。現地の日本語ガイドさん(エリート)だが、マナーが悪く、スイカを食べては川に皮の部分をポイ捨てしていた。お腹を壊しそうな露店の屋台(食器を洗っている水がどぶ水みたいだった)の記憶もある。昔はハエだらけでねぇ、と同行の人は回顧していた。長春経由で最後は北京に。万里の長城や中南海、明の十三陵や天壇公園もおのぼりさんよろしく言った。北京駅界隈で見たのは自転車、自転車、そして自転車。次の中国行きは2001年から3年にかかえて、大連、広州、上海、蘇州、海南島と足を延ばした。中国の変貌ぶりに驚いたものだ。

午後、従兄がつきたての餅とリンゴを持って年末のあいさつに来た。11月に柚子取りでお世話になって以来だ。今度、父がデイケアーで不在のときふらりと実家に車でセンチメンタルジャーニーをしようという話になった。日曜日に買ったアンコウだが、実家のおばあちゃんがよく冬は家の裏のイチジクの木でアンコウの吊るし切りをしたそうだ。アンコウは捨てるところがない。内臓も全部食べられる(肝が一番おいしい)。湯がいて、ともずで食べるのだ庶民の食べ方だった。あの、ニワトリをつぶしたのも、イチジクの木だったのだ。
夕刻、昔勤務した最初の会社のもと上司から郵便物が届く。MN氏。確か、お父様は先の大戦(この言葉も死語か)で軍人として戦われ、戦後も防衛庁で仕事をされていたと聞いた。海外生活が長く(アメリカ西海岸やハワイ)、英語が堪能な方だった。1990年代前半だったろうか。小職のブログを見ていただいている由。JNTOの卓上をわざわざ同封してくださった。



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自分が勤務したころの訪日外人は1000万もいなかった。今や2000万を優に超える時代となった。経済成長はたいしたことはないけれど、ポストモノづくり産業主義の日本の外貨獲得のための大きな潜在的産業であることは間違いない。MNさんは定年前にJNTOに出向され60代半ばまでお仕事をされたよし。たしか、1998年か99年に、小生がロンドン駐在時、出張で来られ、ソーホーの中華レストラン(利口福大酒店)で食事をしたと思う。鱸(セイゴが成長したときの名前、通常は60㎝以上だがそれは日本の話。英語ではSeabassである。サイズは35位のセイゴだったと思う)の清蒸をオーダーして箸を突っついたはずだ。MN氏もことし77歳になられたという。

夕食: オイルサーディンと玉ねぎとニンニク使った前菜を作って、トーストしたパンと一緒に軽めの赤ワインを飲む。冷えた白ワインがよかったか。お歳暮にもらったシーチキンサラダもなかなかだし、自分で作ったパプリカのマリネもいい味だった。仕上げは、昨日買った黒ソイの煮つけ、ご飯と納豆。デザートにリンゴ。


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食後、日本テレビで平成を回顧する番組を途中まで見る。もとNHKの有働アナウンサーが司会で登場。番組の中身は昨日の池上さんの特集と同じでだらーりとして最後まで見るに堪えなかった。平成とは、冷戦の終了とバブルのピークと崩壊で始まり、長い日本経済の停滞・下降の始まりであった、ということになるだろうか。

記憶に残る衝撃的な出来事を思いつくままに列挙(順不同)すれば、雲仙岳の火砕流、ペルー大使館人質事件、皇太子のご成婚、地震(関西淡路、東日本)と福島原発事故、オウム真理教事件、山一證券の自主廃業、神戸の小学生(サカキバラ星斗)による殺人事件。
いろいろあったけれど、個人的には夢中で生きて来て気が付いたら62歳。まだ両親も健在。先はまだまだ長そうな予感。世の中がどんどん軽薄になっていくような気もするけれど、悲惨な戦争に巻き込まれることもなく、それなりに幸せな時代に生きている、と言えるだろう。言い出したら限がない。今年は左足骨折という思いもかけないケガで半年を棒に振ってしまったが、ようやく正常な状況にもどりつつある。ありがたや、ありがたや、である。平成の後の時代はどうなるのだろう・・・・。


2018年12月29日 (土)

本を買ったり、お正月の買い物をしたり・・・

12月27日(木) 曇り

5時半の目ざめ。天気予報では冷え込むという話だが思ったほどでもなかった。 アカハラの地鳴きを聞く。時間は6時20分過ぎ。

朝の読書は、気楽に、とジョージ・ミケシュ(George Mikes) のWisdom for othersを手にする。半世紀以上前の作品だが読んでいて身に染みるフレーズがいろいろとある。最初に読んだのは1980年代のろだ(20代のころ)。



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フランスのモラリストのロシュフーコーの有名な言葉の原文と英訳が扉にある。英訳はIt is easier to be wise for othersthan for yourself. 他人のアラはよく見えるけど自分のアラは気づかない。灯台もと暗し。1. On Money, 2. On Soul, 3. On Men and Women, 4.A few  words on the worldの4部構成。もうこの歳になってうんうんと頷いても遅すぎる・・・ような気がする。若いときに読んだけれどきれいさっぱり頭から抜けている。人生は結局一回きりの出たとこ勝負だなぁと思う。人生の半分は失敗というか悩みで苦しみ、半分はまあそれなりに楽しいこともたくさんあった。齢を重ねればリスクに対する感は働くので禍い巻き込まれるのは少なくなったが、その分わくわくドキドキはなくなってしまったような気はする。自分から物理的なエネルギーが少しずつ失われているからだろうとも思う。

人生80年が普通になった21世紀の日本だがこの国にはかつての活力はない。成熟しているのだろうか。そう思いたい。中国を含むアジア新興国はかつての日本のように上昇気流に乗ってはいるがピークはいずれにしても彼らにもやってくるのだ。ミケシュがこの本を書いたのは1960年代である。第二次大戦の勝者だったが、アメリカとは雲泥の差。そんな中で、アメリカより先に栄華を極めゆっくりと没落=デカダンスの淵に落ちていく?イギリス人向けの愛情を込めた、しかし、ユダヤ人らしいピりりと辛いユーモアが読んでいて楽しい。


イギリスに初めて足を運んだのは1984年のこと、まさに、サッチャー首相が大改革を始めたころであった。労働党政権から一気に新自由主義へ。産業資本主義から金融資本主義への思い切った転換。1990年代から2000年の前半、イギリスはバブル経済でふたたび我が世を謳歌した。そして、リーマン・ショックで日本に遅れること17年で雲行きが怪しくなっている。産業資本主義を見捨てたツケがブレクジットとなって、今の政局の混乱になっている。
朝食:冷蔵庫の残飯処理でブリ大根(柚子味)を電子レンジであたためてフランスパンと食べる。それにホットミルク。

9時過ぎに車でハローワークへ職業相談に出かける。次の失業手当給付まで最低2回は職業相談をしないといけない。今回は2回目だ。両親の介護もあり、自宅から通えてかつ時間は9時から18時の間のものを探すことに。年明けて新年度に向けた求人が出るタイミングまでまたないとめぼしいものはでないだろう。30分で切り上げて、途中、コンビニで東京のマンションの固定資産税を払い、年賀状を買って(まだ書いていない)、それから、ブックオフに寄り道する。中谷巌さんの本にあった2014年の世界的ベストセラー「サピエンス全史」の日本語訳があったので上・下巻を買う。定価1900円が1350円。2冊で2700円だから、1100円安い。千末年始に一気に読んでしまおう。


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帰宅途中、ルブラン(洋菓子屋)で岩間の栗を使ったロールケーキを購入。東京ではケーキを食べたが、両親は食べていない。ケーキを食べたがる世代ではないが、やっぱりそれはないだろう、と。

お昼:オニオンスープと石窯パンにコーヒー。

食後はお正月の買い出しに出かける。釣りも考えたが、寒いし何をつろうか迷いがあった。セイゴだと夜釣りになってしまうし。ということで、那珂湊漁港で日持ちのする黒豆、栗きんとん、なると巻き、ワカサギの甘露煮などをまとめ買いする。それに、今週食べる煮つけの魚(黒ソイ2尾で600円)と地元特産のアンコウ(湯がいたもので酢味噌で食べる)。

夕食:残り物のアイナメの兜煮、オイル・サーディン、ポテトサラダ、パプリカのマリネを肴にビールを飲む。
食後は、居間で電気ストーブをつけて、池上彰さんの特集番組(平成30年間の振り返り)を途中まで見たり、佐藤勝氏の「現代の地政学」を読んだりして22時過ぎに就寝。

2018年12月28日 (金)

看板の美女にギクリ!

12月26日(水) 曇り、時々晴れ


目が覚めると6時。昨夜21時過ぎに就寝してから一度もトイレに起きなかったのはめずらしいこと。アカハラは6時10分過ぎにまた外で地鳴きをしてくれた。

朝食:フランスパン、ホットミルク、納豆にバナナ。

二日分の日記を書いたあと徒歩で出かける。Kクリニックで父の薬(床擦れ)の処方箋をもらい、近くの薬局で薬を購入する。歩いているとパーマ屋(いまはそうは呼ばず、ヘアー・サロンか?)の看板にぎくり。


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見たことのある美女の顔。3年前のベルギーからの留学生のアリアナ(Ariana)にそっくりだ。おお、アリアナ!。アリアナといえば、オードリー・ヘプバーンとゲーリー・クーパーが主演した「真昼の情事」で、オードリーはアリアナだった。蛇足だが、オランダ研修のときの職場の女性にアリアンネ(Arianne)という子もいた。

マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」に紅茶にマドレーヌの菓子を浸して食べた瞬間に幼児の記憶が蘇り幸福感に打ち震える有名なシーンがある。味覚からの幸福感の想起と記憶による追体験だが、私の場合は視覚による追体験。体がガタガタ震えるほどのマグニチュードではなかったが。それに、別にアリアナをどうかしたわけではない。その美しさにしばしこっそりとため息をついては何とも言えぬ感慨がわきおこり心地よくそれに身を委ねたのだった。日本語は当然ベラベラだからコミュニケーションは全然問題なかった。オランダで覚えた片言のオランダ語で簡単な会話をニヤニヤしながら楽しんだこともある。周りの日本人は誰もわからない。彼女と私の二人の世界を数分間だけ味わった。


美女が男に引き起こす感情をチェーホフもその短編で見事に表現している。
帰宅して、家の清掃をする。まあ、年末の大掃除(1階の洋間と奥の和室、神棚など)。2階は手を付けず、そのままスーパーで買い物。最後のお勤めをした大学の部下の一人がアメリカ生活が長く、時折クッキーを焼いては職場に持参し我々を喜ばせてくれた。ブラウニーというやつ。スーパーで売っていたので思わず購入する。300円。羊羹や大福もちもいいけれどこっちもなかなか行ける味で癖になりそうだ。

お昼:フランスパンとミネストローネにチョコブラウニー。

郵便局へ私学共済保険料の支払いに出かけたり、パプリカのマリネと酢カブを作る。

夕食:セイゴのムニエルを作り、パプリカのマリネ、クロワッサンサラダ(従姉からもらった新鮮なもの)を肴に軽めの赤ワインを飲む。

昭和喜劇「ドリフターズ全員集合ズンドコ」を見る。内容は取り留めがないが、ドリフのギャグ満載(いかりやさんと加藤茶、たまぁに残りの3人がそれぞれ一発ギャク)で1970年前後の作品。マドンナは中尾ミエ。左とんぺいも準主役。特別ゲストは宍戸じょう。さらに、加藤茶が一時、親分になってぼったくりバーを経営するのだが、カモられ役に藤田まこと。藤田さん、ビール一本20万の請求書で、本性を現し関西のやくざに変身。凄まれた加藤茶は50円にまけてしまう。

2018年12月27日 (木)

二日目の東京~世界の株価は大荒れ

12月25日(火) 晴



5時に目が覚める。マンションがなんとあったかいか実感する。実家の一軒家はの寒さは何なんだ、老後はやっぱりマンションかなぁと思い始める。車がなければ買い物はできない分、ここは、スーパーまで徒歩5分、外食も簡単。両親もろともこちらに引っ越してはどうか、などなど、考えてしまう。まだ、ローンは残っているが、田舎で年金生活をしながらマンションは賃貸にして自分年金にしようというのが魂胆なのだが・・・。


インターネット・サーフィンをする。ここ数日株価が続落している。トランプさんがやってくれている。ウオール街を敵に回し始めた。反ウォール街とは即ち反中国である。中国の繁栄にはウォール街=グローバル金融筋の投資があってことなのであった。あった、と過去形で書く理由は、すでに、金融筋は十分な見返り(利益)を確保して中国離れを始めているということではあるらしいが・・・。


ケネディ暗殺のところで二日前のブログにも触れたけれど、アメリカ合衆国のドル札を発行する権限がアメリカという国がもっているのではなく、あくまでも、グローバル金融の巨人たちの寄り合い所帯で構成される民間銀行にある。ケネディ大統領が暗殺された背景にあるのは、この発行権限をアメリカ財務省に移す=国が管理するように変更しようとしたこととベトナムからの退場(軍産複合体の利益に反する政策)の二つの要素だった可能性が高い。殺されるべくして殺されてしまったようだ。邪魔者は消せ、である。


トランプさんは、国防長官を実質的に解任(本人は2ヶ月後に勇退を考えていたが)してしまった。軍産複合を敵に回している。世界100か国以上に駐留するアメリカの軍隊を今後続々と撤退させるか、駐留費の負担を駐留国により多く負担させ、アメリカの国庫の予算をアメリカ国内の再生に回そうとしているわけだ。今や民主党の多数派となった下院の予算承認反対で政府機関が閉鎖されたり、株価暴落と、楽しきクリスマスの時期が重なってしまい、思わずだからぼやきが入ってしまったようだ。


朝食:ライ麦パンとハム、昨日食べなかったケンタッキー・ビスケットと蜂蜜、コーヒーにバナナ。


お昼は、Yちゃん親子とステーキの会食。お母さんが準備してくれた。私は薄切りの宮城県産黒毛和牛のモモステーキ(脂身がすくないもの)。付け合せは、茹でたジャガイモに人参とブロッコリーだ。ビールは飲まずにコーラ。Yちゃんは北海道産の黒毛和牛のサーロインステーキ。お母さんは、青森産の黒毛和牛のサーロインステーキ。料金が半額になるタイミング(21時半45分)にスーパー(ライフ)で買ったので不揃いなステーキたちになってしまった。

Yちゃんのお母さん曰く、昨年9月に買った洗濯機(乾燥機付きタイプ)の脱水ができなくなってしまったという。1年保障の期限も切れてしまい、明後日木曜日にサービスマンが午前中に来る予定らしいが、2万~4万がかかるらしい。10万近い新品の洗濯機なのに、とボヤイテいた。Yちゃんは今日が学校の2学期の終了日。成績表はどうだったと聞いたが、ヒミツ、と言われてしまった。得意科目は文系(国語と社会)、理系科目は算数は苦手、理科は割と得意らしい。

15時前、昨日の残りのケーキを食べて楽しきクリスマスのひと時は終わった。Yちゃんは塾に。私は、年老いた両親がまつ実家へ出発。また、正月明けの新年に再会することを約束して。

16時半上野発の特急に乗る。駅で文芸春秋の新年号を購入、列車の中で読む。来年5月から新しい元号になるが、平成30年史特集、日産ゴーン氏の追放全真相、安田純平氏のシリア幽閉記などが表紙のキャッチフレーズだ。真っ先に、何故か、蓋棺録を見ると、イギリスの社会学者であるロナルド・ドーア氏の記載があった。終戦直後から日本にやってきて日本をテーマに研究をした人だ。晩年に、「亡くなった日本型経済は、じつに惜しい制度だった」と書いたらしい。すべては、1990年代のバブル崩壊と冷戦終了と1980年代からの新自由主義、金融のグローバル化に日本は飲み込まれ、自らを見失ってしまった、という幻滅の吐露が最後の著作「幻滅 外国人社会学者が見た戦後日本70年」だったらしい。

17時半過ぎに地元の駅に到着。駅のベイカリーで焼き立てのフランスパンを買って帰宅。両親は夕食を終えて寛いでいるところだった。


休憩して、キッチンで夕食を取る。冷凍庫から賞味期限を1日過ぎてしまった茹蛸の刺身とフランスパンを半分、それに、サラミを食べながら、軽い赤ワインを飲む。仕上げは、酒茶漬け。しゃぶしゃぶ、ステーキというこってり系の食事を東京でしたので、お茶漬けが食べたくなった。

19時から、森繁喜劇「駅前弁天」を見る。舞台は信州。森繁は蕎麦屋の経営者で、伴淳三郎と三木のり平は戦友仲間。フランキー堺はどうも森繁と淡島千景の息子という設定で、本人のお目当ては大空真由美で両者ともまんざらではない。東京からやってきた津川雅彦が登場。ハンサムボーイに地元の婦人連も大空真由美もぞっこんにフランキーは面白くない。森繁の浮気は、飲み屋の若い娘。伴淳の浮気相手は、芸者の池内淳子。二つのカップルが浮気をしにそれぞれ上京して、ばったり鉢合わせ。ホテルに一泊するが男女別のカップルで成就せず。見ものは、若き日の藤田まことだろうか、森繁が口説いた女が実は藤田まことの彼女。ゆすりに長野の蕎麦屋にやって来る。最後まで、ドタバタの男女お色気コメディーだが、例によってフランキー堺と彼女(今回は、大空真由美)がめでたく結ばれる。上京で疲れていたが最後まで見てしまった。ウィキペディアを見て後で分かったことだがプロレスラーのサンダー杉山がフランキー堺とそば食い競争をしていたようだ。これまた何と懐かしいことか。前回の「駅前大学」では学生役で出ていたという。

2018年12月26日 (水)

クリスマス・イブの息抜き~上京初日

12月24日(月) 晴



今日から1泊2日の上京。Yちゃん親子と食事をしたりカラオケしたりの息抜きだ。田舎の実家で両親の面倒を長男として見るのは義務。仕方ない、という言い方はあまりよろしくないとは思うが、そうなのだ。罰当たりだが、両親なしで同世代以下と付き合うとホットするのも事実だ。人間としての本音は正直に認めたい。


母の実家ではおじいちゃんは60歳過ぎに亡くなってしまったが(自分が小学生の低学年のころ)、ひいおじいちゃんは長生きした。昔は、3世帯どころか4世帯が同居していた。母の実家は農家だったこともあり家というか敷地は広く、家は大きかった。牛小屋、ニワトリ小屋はもちろん、納屋があり、広い庭もあった。コメの脱穀や餅つきをした記憶がある。


納屋の2階は梯子に上れて藁が積んであった。従姉妹と集まるとよく缶けりや隠れん坊遊びなどをして遊んだものだが、母屋はもちろん納屋の2階の藁の中に隠れたのを今でもよく覚えている。近くの久慈川で魚釣りに行く場合は、庭の片隅に積みあがった藁をひっくり返すとミミズがふんだんに取れた。それで、フナやナマズやウナギやカジカを釣ったり、ドジョウ捕りをしたのだ。楽しかったなぁ、あのころは。家は明治のころ建てた古い家で、囲炉裏もあったし、屋根は藁ぶき(茅葺)。取り壊して新築したのは1990年代のころだったと思う。


夏のお盆に母の実家に遊びに行くのは特別の楽しみだった。おばあちゃんはニワトリを一羽潰してもてなしてくれたものだ。ある日のこと、おばあちゃんがそのニワトリを「つぶす」ところを見た。足に紐をしばり、離れのトイレ(家の中にはトイレはないのが普通だった)の近くの木に吊るして包丁で首にさっと切れ目を入れる。バタバタと暴れるニワトリ。血がしたたり落ちて段々と弱っていくニワトリ。恐怖というよりも哀れみを感じながら、神妙に棒立ちのまま弟と一部始終を見ていた。



そのおばあちゃんは88歳だったかで1977年の冬に亡くなった。何故覚えているかというと、私は東京で学生生活を送っていたが、フィギュアースケートの世界選手権のバイトをしていた。2泊だか3泊だか京王プラザホテルに泊まりこんでいたのだが、終了してバイト代をもらい、下宿に帰ると、下宿のおばあちゃんが、「大変だよ、実家から何度も電話があっておばあちゃんが亡くなった」と。晩年は耳が遠くなったがいつもニコニコと孫の私に接してくれてお小遣いをもらった。娘、つまり、私の母も耳が遠い。87歳。


亡くなったおばあちゃんの義理のお父さん、つまり、私にとっての母方のひいおじいちゃんは、日がな一日、日当たりのいい座敷でのんびり横になって、時折おばあちゃんや、叔母さんが食事やいろいろ面倒みていたかすかな記憶も残っている。


自分の両親世代もきっとそんなイメージで生きてきたことだろう。だが、戦後の経済復興で核家族化が進み、気が付いたら自分たち二人だけだ。商売をしているわけでもなく私が引き継ぐものは遺伝子だけ。一応、1970年代後半に建てた一軒家は2011年の地震に持ちこたえて健在であるが、自分が死ぬまでここに住みたいかというとよく分からない。自分たちの老後がこんなに長いとは思ってみなかっただろう。自分の両親が60代から精々のところ70代で他界したのだから。



昔の世代は自分の子供たちにそれほど負担!!!をかけていなかったのだ。長生きするということは悪くはないが、人間としての快適さを感じながら生きていられるならばの話。これまでの人生を振り返ってみるならば、苦楽半々である。「苦」も「楽」があればこそである。そのバランスが崩れたとき(快楽だけの人生は快楽の意味が喪失してしまうし、苦痛だけの人生なら人は自殺を選ぶだろうし、私もそうする。だから、私は自殺を否定しない)、人はこの世とおさらばできるのが一番ベスト。深沢七郎の「楢山節考」は残酷かもしれないけれど、西洋近代を知らない世界において、限られた資源のなかで自給自足をする社会の知恵でもあったのだと、つくづく思う今日この頃である。


以上は、朝の物思い。


9時過ぎ、父がデイケアーに出かけたのを見届けて(見届けなくてもいいのだが)、母と自分が不在中のロジスティック(食事と安全面)を確認して、9時半前、タクシーを呼んで(駅まで歩いて行けるのだが・・・贅沢をする)出発する。


9時52分発の特急に乗る。今回は東京駅まで。Yちゃんから東京駅のあるお店でしか買えないバウムクーヘンを買ってきてと言われたための立ち寄りである。それから新宿に向かう。


車中、持参した本を読む。岡倉天心の「日本の覚醒」の英語版と日本語版を掲載した講談社学術文庫と中谷巌さんの「AI資本主義は人類を救えるか~文明史から読みとく」(NHK出版新書)。

途中の石岡駅までは、岡倉さんの英語版の第1章を読む。アジアの歴史はモンゴルの遊牧民の席巻(13世紀)の結果、支配された中国、インド、中近東などの栄華を極め洗練されていた文明にポジティブなものは残されず、ネガッティブな影響しか残らなかった。それ以後は停滞の惨状となり、今日見る西欧の支配に身を委ねざるをえない状況を招来した、という内容。



それが理由かどうかはわからないけれど、結果を見るなら、モンゴルの遊牧民に席巻されなからユーラシアの西の端っこにあったヨーロッパと封建体制を維持しえた東の端の日本だけが19世紀に近代産業に向けていち早くテイクオフしたのだった。20世紀後半は、前半から1990年代までの2度の自殺的な世界大戦と冷戦を経て、その近代産業化が金融のグローバル化によって全地球規模に拡大しつつあるということだろう。。ところで、岡倉さんの英語は新渡戸稲造さんの英語同様に非常に拡張高い英語だった。こんな内容(哲学的である)のエッセイを以後に英語で書いて世界にインパクトを与えた日本にどれだけいるだろうか。禅仏教哲学を展開した鈴木大拙くらいしか思い浮かばない。


石岡駅から上野駅過ぎまでは、中谷さんの本を読む。全世界的ベストセラー(私は知らなかった)であるイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」を初めて知った。2011年にたぶんイスラエルでヘブライ語で出版、2014年に英語の翻訳版がでてたちまち世界的ベストセラーになったらしい。書評にはそれなりに目を通してトレンドは知っているつもり(特に、人文科学系)だが、正直のところ見逃していた。題名の「サピエンス」が即座に理系と勘違いさせたからだろうか・・・。



歴史とは言っても、国や文明の興亡を扱う歴史ではなく、対象はホモ・サピエンス、つまり、人類の歴史であるところが壮大な試みである。それを書いたのが、イスラエル人、つまりは、ユダヤ人だ。第一章の最後のあたりまで読んでいると、上野ぉ、上野ぉ~とアナウンス。



11時13分、東京駅に着いた。Yちゃんに頼まれた駅構内のある店に来てみると、長蛇の列が目に入る。30分くらいはかかってしまう混みよう。12時の約束には間に合わないことがわかり、ラインで連絡。今回は見合わせて次回にしてもらう。代わりに月並みだが、好物の東京バナ奈の12個入りをお土産に買う。東京の人に東京のおみやげ。


お昼は少し遅れたが新宿の瀬里奈でしゃぶしゃぶ。某高層ビルの52階である。窓際の席は取れなかったが遅れて行ってみるとYちゃんは一心不乱にスマートフォンと戯れていた。しゃぶしゃぶを食べるのは本当に久しぶりだ。昔は、仕事で六本木の瀬里奈でしゃぶしゃぶをよく外人を連れて足を運んだものだ。自分自身が食べるのはは同じ六本木でも食べ放題の安い方の「しゃぶ禅」だった。国産牛の霜降り肉VS輸入牛である。
突出しは、サーモンのマリネ。


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そして、お刺身(マグロ赤身とタイに、勘八?と小さな中トロ)


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三品目は、カニの甲羅揚げ


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そしていよいよメインのしゃぶしゃぶは、霜降り牛のスライス5切れと野菜(豆腐、御もち、白菜、ネギ、キノコ、くずきり等)をポン酢とゴマダレでいただく。


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最後に(私は途中から)ご飯と新香に、食べ終わった鍋のスープ(塩・胡椒を利かせて)を「食べる」。スープは飲むのではなく食べるとは英語やドイツ語で習ったなぁ。デザートはアイスクリーム(Yちゃんは、ヴァニラ、ママは抹茶、私はみかん・シャーベット)にコーヒー(ママと私)・紅茶(Yちゃん)。


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昔なら、肉をお代りしただろうが、十分にお腹は満たされた。また、瀬里奈のクオリティーの高さを改めて認識した次第。


新宿のデパートでお買い物に付き合い(Yちゃんには文房具をプレゼントした)、その後、カラオケ会場に移動。場所は東武東上線の大山駅近く。15時半から17時半までの2時間、歌いまくる、と言っても、ほとんどマイクを独占したのはYちゃんであった。お母さんと私も歌ったが世代間のギャップはいかんともし難かった。Yちゃん世代はYoutube世代でもある。初音ミクやナユタン星人(バルタン星人とは違う)、米津玄師と、ほとんど知らないが過去2回のカラオケでなじんではいる。が、メロディーがよくわからない。お母さんは、演歌派(石川さゆりが大好き)の歌を数曲。私は、小さいときYちゃんがよく歌っていた「365歩のマーチ」と「走れコータロー」と「バラば咲いた」(1960年代の3曲)を歌う。


17時半過ぎ、夕食は、いっしょにケーキとケンタッキー・フライドチキンを食べようということに。お店に来ると長蛇の列。私が並んで買うことにした。待つこと1時間半、8ピースとビスケットを買って、マンションに戻ったのは19時半前だった。アルコール抜きのシャンペンとケーキ持参のYちゃん親子とフライドチキンとビールの私の3人で乾杯。まずは、もぐもぐとチキンを食べる。瞬く間になくなる。休憩とおしゃべり、そして、ケーキを食べて、また、近況の話。受験相談(と、言っても私は聞き役)。22時過ぎ、お開きにした。途中、明日のお昼はステーキをまた一緒に食べようと、近くのスーパーに出かけた。国産のサーロインステーキが半額になるタイミングを狙って。



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2018年12月24日 (月)

大潮の日曜日は雨模様・・・

12月23日(日)曇り、後雨



6時10分の目覚め、そしてアカハラの地鳴き。朝の読書は「武器としての超現代史」。著者は歴史家ではない。ジョージワシントン大学で政治学の博士号を取得した評論家だ。第6章まで読む。


ケネディ暗殺事件は昨年だがトランプ大統領は情報公開を改めて延期した。オズワルド単独説を信ずる者はいない。産軍複合体を背景とするCIA犯行説が一番有力だと自分は考えているが、FRBの通貨発行権を中止して財務省に発行権を移管しようとしていたケネディを暗殺する動機はウォール街の金融界にもあったというのは不気味に思える。大統領を継いだジョンソン大統領は当然ながら、ケネディさんの路線を否定した政策を推し進めた。聞いたことはあるが、FRB(連邦準備制度理事会)は民間会社!!!であるというのは驚きだ。日本の通貨発行権を有する日本銀行とは大違いでである。イギリスのイングランド銀行もFRBと同じらしい。アングロサクソンの金融の大本は個人のバンカーの寄り合い所帯だということ(イギリスのロスチャイルドやアメリカのロックフェラーなど)であり、限りなく怪しい世界である。


ところで、ケネディ暗殺の実行犯は、CIAのエージェントでもあったオズワルドともう一人、たぶん、マフィアの絡み、と想像している。


日本のバブル崩壊の図式について日本人はあまりにもナイーブ過ぎると云う。海外投資家の大本にいるのはロックフェラー(アメリカ代表)とロスチャイルド(ヨーロッパ代表)が、世間知らずのにわか成金の日本のカネをふんだくったというのが実相であった。汗水たらして稼いだ正直者の日本(!?)のカネが海千山千のユダヤに吸い取られるという図式だ。反ユダヤ、ユダヤ陰謀説を唱えないとしても、そう言わざるを得ない歴然たる事実があるということ。大蔵省(当時)の偏差値秀才官僚が「総量規制」をやってバブル崩壊させた後(総量規制をしなかったらどうなったのだろうか)に、10分の1以下になった日本資産を易々と買いとり手中に収める手口。(さらに、金融の大本はヨーロッパの王室の金庫番である)。バブルとは言え、一時は世界の銀行のトップテンを独占した日本の金融だが、所詮、欧米金融資本の敵ではなかった。束の間の夢が泡となって消えてしまった1991年。


リーマン・ショックを見よ。デリバティブ(CDS=クレジット・デフォルト・スワップ)とは庶民をだますインチキ論法を駆使(わけのわからない数学を使う)した金融詐欺ではないか。カネは天下の流れもの、とはよく言ったものだ。本質などほとんどの人(除くー考え出した人)は理解できない代物だ。ナイーブなのは何も日本人だけではないのだろう。この時は、日本は自分たちのバブル崩壊で自重していたから損害はそれほどでもなかったらしいが、博打の胴元たちに担がれたあげく地獄に落とされた人は世界中にいたのだ。


日本型=土地執着型の農耕社会のセンスでは、世界のお金の流れに沿って発展する大都市をノマド(遊牧)的=ユダヤ的に渡り歩く人たちのセンスの前ではイチコロということだろう。ナイーブというのは、海外では「悪い意味」でとらえられる。騙されたほうが悪い、性悪説。人間賢くならないと生き抜けない、ということなのだろうが。


それはそれとして、アメリカと中国の貿易戦争について。今の資本主義制度はアメリカ主導の西欧世界の覇権を前提としている。日本は太平洋戦争で敗れ、1991年のバブル崩壊(冷戦の終了)とともに第二の敗戦を喫した。国力のピークは過ぎてしまった。2050年には
人工は8000万にまで減るという。誰が、欧米に都合のよいシステムを我々にとってさらによりよいものに代えてくれるのか。優勢な欧米システムを覆し自らのシステムを設定する力はもともと日本にはなかった。それが、明治以降の日本の悲劇だ。


日本は、欧米のシステムに乗ってこのままジリ貧路線で行くのだろう。そういう意味で中国には頑張ってもらいたいという気持ちが自分にはどこかにある。ただ、日本人にとって、アメリカの敗戦と占領(洗脳)の屈辱を水に流してもいいくらいに国民の生活は改善されてそれなりの繁栄を享受している(ギブ・ミー・チョコレートで与えてもらったアメリカの施しは敗戦国日本の想定を上回る程にに甘かった。ソ連との冷戦が幸いした)。これと同等か、それ以上のものを中国がもたらしてくくれるなら、日本はアメリカを離れて中国に付くべきだと思うがどうだろうか。現状ではとてもそうは思えないが、かつてのローマ帝国がいつのまにか分裂して、なくなってしまったという歴史があるのだ。この世に絶対というものはない。


米中貿易戦争は、米の日本に対するバブル潰しと1990年代の貿易戦争とはレベルが違う。トランプさんがオバマさんがイランに譲歩して?取り結んだ合意を反故にした背景も、実は対中国封じ込めの意図があると思う。オバマさんのイラン合意で実は一番メリットを得ているのは中国だからだ。今回のフアウェイの会長の娘の拘束の理由も対イラン制裁を守らなかったということだ(事柄の性質は違うが、意味は東芝ココム事件と同じだと思う)。


朝食:ホットミルク、アジの干物、サラミとグリーンレタスのサラダ、石窯パンに人参とカブの青葉の味噌汁、それに蕪の酢漬け、ミカン。


NHK7「小さな旅」で父の実家の常陸太田市をやっているので両親は興奮していた。人口は5万。近くには水戸黄門が隠居した西山荘がある。


インドネシアで今度は、火山の爆発による海底の地滑りで津波が発生、死者が出ている模様。この地域は地震と津波被害が多いところだ。今年の漢字は「災」に決定したが、日本も6月から7月にかけて大阪の地震、西日本の豪雨、そしてまた北海道の地震と散々だった。かくいう私も油断から左足骨折で半年にわたる療養生活。私も日本もそして世界も騒がしい1年だった。


食後の腹ごなしに車で出かける。釣り道具は一応車に積んでのドライブ。気になっている大洗港へ。途中でポツリ、ポツリと雨が。ケガをした涸沼川の大貫橋を渡ると上流側は釣り人がズラリとならんでいた。大洗港のアウトレットで車を止める。徒歩でアウトレット前の埠頭へ。釣り禁止の表示があるにも関わらず釣り人がぽつりぽつりと釣り糸を垂れていた。
サビキ、ちょい投げ、へチ釣り、タコ釣り、人それぞれだ。一人が小さな魚をちょうど釣り上げた。「これ何ですか」と通りかかった私に聞く。見ると小さなボラだった。




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埠頭の先端のほうにフェリーが見える。



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歩いてくと途中で大きなアナゴと30㌢くらいのマコガレイを1尾ずつ釣った釣り師が片付けをしていた。あまり釣れている様子はない。ちょうど、フェリー船が入港するところだった。この埠頭の入港ではないようだ。護岸を歩いていると、イソヒヨドリに遭遇した。
アウトレットで、鮟鱇釜飯(1000円)



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とホウレンソウ(90円)とパプリカ(4個で200円)を買って、バニラのソフトクリームを食べ、車でカネフク本店のほうの漁港に車で移動する。釣り人はパラパラ。ポツリポツリと雨が降り出したので15時過ぎ、散歩を切り上げて家路につく。


帰宅するとちょうど母の女学校時代の同級生が年末の挨拶に来ていた。近所に住む人で歩けるが週二回デイケアーに行っているという。長野県出身の方でリンゴを持参してきた。母は、返礼に冷凍だが自家製の柚子を渡した。人生70年近い付き合いである。


夕食:セイゴの塩焼きにお酒を振って少し醤油をかけてビールを飲む。それに、焼きパプリカを作ってオリーブオイルをかけて食べる。ガーリックトーストを作り、セイゴのアラ汁といっしょに食べる。なかなか豪勢な手料理だった。

2018年12月23日 (日)

家でゆっくりの一日

12月22日(土) 晴れたり曇ったり

3時半にトイレに起きる。雨が降っているようだ。次に目が覚めたのが5時半。うとうとしていると、アカハラの声が聞こえてきた。

朝食:イシモチの煮つけ、納豆、ご飯。

父はデイケアー。2階に上がり日記を書く。昨夜の涸沼川の余韻が残る。日が暮れてからの暗闇でのセイゴの乱舞(とまではいかないか)。思い出せば、昨年の12月末はサイズは25㌢~28㌢で倍以上のセイゴが釣れた。

午前中は、神棚の清掃をしたり、Kストアやスーパー・カスミへ買い物に出かける。床屋で1000円カットもしてもらいさっぱりして帰宅する。2階の部屋の整頓。かれこれ2週間以上も乱雑なままにしてある。ベッドの周りは本だらけ。整理しなくては・・・・。

1階の洋間の隣の奥座敷でぼんやり息抜きをしていると、ウグイスが庭にやって来た。チャチャッ、チャチャッという地鳴きで気が付いた。葉っぱが落ちた庭の低木の周辺を飛び回っていた。3月ごろから8月まで囀りを聞かせてくれたあのウグイスだろうか。

お昼は、スパゲティーナポリタンとミカン1個に羊羹二切れ。

午後の外出はなし。ブックサーフィンをしたりしてすごす。16時半から刑事コロンボを見る。今回(ロス警察のお偉いさんが自分の妻殺す)も見たことのある内容だが、最後まで見てしまった。森繁喜劇ではないが、1960年代~1970年代への郷愁だろうか?

夕食:赤ワインを飲みながら、カボチャ、サラミ、イシモチの煮つけ少々に、石窯パンの前菜。仕上げは、銀座ナイルのチキンカレーで付け合わせはモロッコインゲンと沢庵。少々食べすぎ気味となる。

東京地検特捜部に逮捕され、身柄を拘束されていたカルロス・ゴーン氏が、本日また再逮捕され拘束期間が延長となった。昨夜夕刻は、釈放になる可能性をマスコミが盛んに報道していた。再々逮捕の理由は「特別背任罪」。リーマンショックで個人的に損をした18億ちかい金額の穴埋めをするために日産自動車のお金を流用した疑い。拘束の引き延ばしに対する海外メディアの批判が漏れ伝わってくる。日本の法律に基づいて行われているわけが、自分たちの基準に合わないと、上から目線でネガティブキャンペーンを張るのが欧米メディアだ。欧米マスコミの本質は「リベラル」ということになるのだろうが、言ってみれば「隠れ社会主義者=崩壊したソ連とは一線を画す正統派のマルクス主義者」だと思う。日本も同じだ(朝日、毎日、NHK)。

一方で、中国の通信機器大手のフアウェイの会長の娘がカナダのバンクーバーで身柄を拘束された事件。本人は足にGPS追跡できる器具を付けさせられて10億近い保釈金(彼らにすればただみたいなお金)を積ん保釈ははされているが、カナダを出ることは出来ない。アメリカへの引き渡しがなされるのかどうか。一方で、中国がカナダ人(もと外交官ら)二人の身柄を拘束したという。


中国のいうカナダの人権侵害批判は、はっきり言って、お門違いである(それ以前に、中国が人権をとやかく言うのはお笑い種だ)。それぞれの国が自分たちの国の法に基づいてやっていることだ。BBCのコラムニストの記事を読んだが、中国ビジネスに造詣の深い専門家の意見として、「契約を結んでも平気で自己都合でそれを反故にするのが中国の常套手段。今回の措置(中国のハイテク分野で世界を席巻し得るお宝への攻撃)は、米中貿易戦争での中国が米国への約束を守らせる担保である」とまで言っているそうだ。米中貿易戦争はいよいよ抜き差しならぬ事態へ突き進んでしまった。

トランプ大統領のアメリカは相変わらず騒がしい。国防長官が近々に辞める報道。一方で、アメリカとメキシコ国境に作る壁の予算化を巡って承認権を握る議会と対立、連邦予算の承認がおりず、公的機関のサービスがストップする恐れが・・・。


大統領に就任して以来、トランプさんの引き起こすさまざまな出来事、「トランプ現象」は世界の話題をさらい続けている。我々にとって災いとならなければいいと思いつつ、個人的には、アメリカ人や世界のリベラル派の神経を平然と逆なでにしながら、単刀直入で強引とも言える(洗練さを欠いた)政策運営の小気味良さに密かに拍手を送っている自分に驚く。自分の政治的信条は「保守」。若かりし頃は、左翼に傾いてはいたがいつのまにか現実のしがらみにとらわれ今の自分を見出している。

Yちゃんから、明日上京するときに購入してほしいお菓子のリクエストが入る。お母さんから冬至の今日はカボチャは特に食べないけど柚子湯に入るとのこと。先日上京したときにお土産に渡したのを使ってくれるという。一部は、スライスにして蜂蜜漬けにしてお湯に入れて飲んでいるという。

就寝前の読書:フォーレのCDを聴きながら「武器としての超現代史」(浜田和幸著)をパラパラと読む。


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2018年12月22日 (土)

続・涸沼川リベンジ

12月22日(金)晴

6時の目覚め。アカハラの地鳴きを聞く。

朝食:ベーコンエッグ、笹かまぼこ、納豆、ご飯とカブの味噌汁にリンゴ。充実した朝食を食べる。

高脂血症を抑える薬ももらいに近くのKクリニックへ足を運ぶ。ポケットの中にチャーチルの「第二次世界大戦」Ⅰを入れて待合室で読む。父母がお世話になっているお礼を申し上げ、2か月分の薬をもらって帰宅。

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Kさんと家が更地になり、2か月前に地鎮祭があった土地の建設が始まった。まだ、基礎工事だけで建物はたっていないが、地面を見ると霜が下りている。霜をみるのは実に久しぶりだ。子供のころは、自宅の土の地面にべったりと数センチの霜が下りるのは普通のことだったことを思い出す。

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市から自分の携帯に電話。母の介護認定の面接の相談。1月11日金曜日朝9時半ということで確認する。87歳の母ありて、父の介護は回って入る。記憶力抜群、体力抜群、食欲も十分、目もしっかりしている。歯はすべて入歯。家計簿ならぬ日記を詳細につける。そして、手紙魔。18歳で両親の家を離れて以来、「飛んで行ったままの矢」(母の私たいする非難を込めたレッテル)だった自分は、折に触れて母の手紙を受け取ったものだ。先日、自分の所持品の整理をしていて本の間やファイルから母の筆字の手紙がポロリと出てきて再読、感慨に浸った。

母の使いでKストアへ。Kさんの敷地の建物はどうも介護関係の事務所ができるらしい(施設ではない?)。

お昼:中華丼(レトルト)とコーヒー。

午後は日課の釣りに出かける。いよいよ夜釣りを決行することに。と、言っても、陽が落ちて2時間、18時過ぎには家に戻るという約束だ。家を出たのが13時過ぎ、現場に到着して2本の竿の準備が出来たのが14時少し前だった。

下流側の一段低い護岸は水を被っていた。

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下流側の竿(錘負荷30号、まるせいご14号2本バリ)

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上流側の竿(錘負荷27号 14号まるせいごバリ1本)

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川はゆっくりと上流に向けて逆流している。釣り人は対岸に一人だけ。すこしして、一人の釣り師が上流側の護岸に。話をするとここは初めてだがセイゴ狙いで来たらしい。大洗漁港でマイワシを釣り、それを食いに来るヒラメを釣っていたという。マイワシの群れが来なくなりセイゴ釣りにやって来たとのこと。

1時間、まったく川からの反応なし。15時前、上流側の竿の鈴がなった。昨日と同じ頃合い。チリン、沈黙、チリン、沈黙、チリン、チリン。ソレっと、合わせを入れるとずっしりと重かった。セイゴ特有の魚信。竿を立てると鰓洗いされるので横にしてリールを巻いた。なるほど、そうなのか。鰓洗いされることなく無事に護岸に着地。30㌢を優に!!!超える良型のセイゴであった。そして、その5分後、再び同じ竿にアタリ。最初ほどではないがこれまた30㌢越えのセイゴ。

そして、さらに、下流側の竿にアタリが!ところが、仕掛けが動かない。ひょっとしてアカエイか。川底に張り付いて動かない。それとも根掛かりか。竿を水平にして道糸を引っ張るとスーッと切れてしまった。根掛かりかも知れない。仕掛けを新たに装備しげ竿をさらに上流側に移した。

そして、また沈黙の時間が過ぎる。1時間、1時間半・・・。川の流れが止まっている。上げから下げの間の潮どまりだ。

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水位も下がってきた。

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16時半、西の空の日が沈み始めた。

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東の空にはお月様が。

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もう一人の釣り師がすぐ上流側にやってきて釣りを始めた。17時、チリンと上流側の竿。1度、2度。そして沈黙。それっきり。仕掛けを回収すると見事に餌がきれいになくなっていた。辺りはすでに真っ暗。上流の人は電気ウキをつけた流し釣りをしている。17時、下流側の竿にアタリが来た。セイゴのアタリ。鈴が断続的に何度もなった。本日3尾目の30㌢越えのセイゴ。家に電話してまだ釣りをしているので心配しないように伝える。この3尾目が時合の狼煙だった。

これ以降のアタリはすべて上流側の竿に集中。5分~10分間隔でアタリが出るようになった。すべて30㌢越えだ。17時半過ぎ、竿を一本片付ける。段々と川の流れがきつくなってきた。澪筋(川の中央)に投げた仕掛けがどんどん下流に流される。沈黙を破って突然にリンリンリン、リンリンリンと鈴がなる。リールを巻くシャカシャカ音。バシャバシャというセイゴの暴れる水音。取り込みと護岸上でのバタバタと魚が跳ねる音。再び餌をつけて(紅イソメの房掛け)仕掛けを投げ入れる。スルスルッ、ボショーンという音。

納竿の18時前の納竿まで4尾、すべて30㌢越えをだった。あっという間の1時間。

国道51号は混んでいた。帰宅まで50分近くかかった。FM放送でクリスマスソングを聞きながら、体はポカポカ、というkか身が発火して熱く、満足感に満たされての凱旋帰宅だった。

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釣果 セイゴ7尾 (31㌢~37㌢)

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夕食:ブリ大根で日本酒の熱燗を飲む。仕上げは、ヒラメのアラ汁とご飯に沢庵。

食後、7尾のセイゴの下処理をする。さすがに大きな魚7尾だと大変だった。あとは食べる楽しみ。煮つけ、塩焼き、バター焼き、酒蒸し、日干し、アラ汁。捨てるところがない。37㌢は刺身にしてやろうかと思う。

熱い風呂の湯舟に浸かり20時すぎ、2階のベッドへ。本を開く間もなく眠りに落ちた。

今日はYちゃんの誕生日

12月20日(木)晴

6時過ぎの目覚め。いつものアカハラの声を聞く。

朝の読書は「日ソ戦争への道」という分厚いロシアの歴史家による著作。10年近く積読のままだったいよいよ手にすることになった。

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扱う時代はシナ事変前後から太平洋戦争のソ連参戦まで、ソ連の視点で書かれている。とは言ってもこの本を読む意味は、ソ連崩壊後のエリツィン時代は、ソ連時代の反動もあり一般にアクセスが出来なかった外交文書がかなり本国も含めて西側研究者による閲覧が可能になり、新たな視点から歴史叙述を可能にする時代であった幸運によって、ソ連時代のような政治プロパガンダとして教条的な前提のもとに書かれていないという点だ。しかし、エリツィン後、プーチンの登場により再びロシアはソ連時代の秘密主義に戻ってしまったようだ。

大学時代以来、歴史と付き合ってきた。研究者ではなかったが、ドイツ近代史から始まって、中国史を渉猟し、日本の置かれている現在の立ち位置を理解したくて現代から過去に遡る日本史の勉強をしてきた。何の利益にもならない、知りたいという衝動だけで、随分寄り道したが知見を集積してきた。日本にとっての自己理解にかかせないのは、中国からの影響であり、明治維新この方は西洋文明の影響である。アングロサクソンの影響が圧倒的だが、ロシアの存在は近代日本の形成大きな影響を及ぼしている。西洋列強で唯一領土的野心を含めて極東に進出したのはロシアだけである、と言えるようだ。そして、アジアでは、大日本帝国。ロシア帝国と大日本帝国が、朝鮮半島と満州を舞台にシノギを削ったのだった。いわゆる西洋は、領土拡張ではなく、あくまで植民地経営を通した通商的利益が目的だった。大きな違いがある。1917年のロシア革命と帝政ロシアの崩壊と社会主義運動がさらに日本とロシアの対立を複雑にしていった。

現在、安倍政権とプーチン政権との間で北方領土問題を含めた平和条約の締結の交渉の話がすすんでいる。問題は、日ソ中立条約を一方的に破棄して(アメリカの要請)原爆が落とされポツダム宣言のタイミングにギリギリセーフでソ連が対日参戦した結果起きていることである。旧ソ連は、ドイツの侵略による祖国防衛戦争で勝利したが、日本と闘う理由はなかった。中立条約を犯してまで日本に宣戦布告する意義は当時の疲弊したソ連(2000万人以上の犠牲者)には見出しがたかった。対日参戦の自己正当化=プロパガンダがソ連共産党が自国民に行ったのだ。ソ連の学校の教科書ではこの後ろめたい事実は一切教科書には書かれていないから、国民は知らないのだ。歴史認識なんてそんなものだ。(日本の問題は、近現代史を学校できっちりと教えないこと)。

朝食:カブのおみおつけ、ご飯、塩鮭。みかん一個。

9時、2軒隣りのTさんの奥様が亡くなられて出棺の見送りをする。まだ70代だが、高血圧と心臓の病で数日前に亡くなられた。家族葬を済ませ、我々はお見送りだけである。40年ぶりでIさん(女性)と再会したり、別のI氏からは、最近の釣り情報を交換する。大洗港ではカレイが釣れ始めているという。H氏は、私の通った高校の先輩。皆がみな、初老の段階になっており時間の経過を改めて実感する。

食後は日記をつけ、「日ソ戦争への道」を100ページほど読む。

お昼:力ウドン(カップ麺)、五目飯少々にコーヒー。石窯パンひとかけら。澱粉質ばかりの摂取。

14時半から、ケアマネージャーさんと介護施設担当者や器具のリース関係者も交えた年に1度の反省会と今後の確認を行う。介護4の段階の父。リハビリを強化することに。ただし、歩くのはちょっともう無理だろうという意見。最近は、デイケアー先でも2時間は背筋を伸ばして本を読んだり、他の仲間とおしゃべりしたりはできるという。それ以上はなかなかむつかしい。

日課の釣りはお休みで、1時間ほど昼寝。今日はYちゃんの誕生日。ラインでオメデトウのメッセージを入れる。お母さんから連絡あり。健康診断の結果胃カメラを飲んだ。胃がんではないようだが、精密検査の結果が出るのは2週間後だとのこと。ピロリ菌があり、駆除の薬を処方されたという。自分も十二指腸潰瘍になって胃カメラを飲んだときにピロリ菌の感染を知らされ薬を飲んだことがある。胃の検査でカメラを飲むこと3度。いずれも問題なった。Yちゃんおお母さん、大事に至らないことを祈る。

夕食は、イシモチの塩焼きとウィンナーソーセージと春菊のお浸しで熱燗を飲む。

食後は2階で「経済大陸アフリカ」(中公新書)と「我的中国」(リービ英雄氏)をパラパラと読む。アフリカは冷戦終了後から中国がいかにアフリカに権益を追及して莫大な(世界一)の規模の投資をしているか、欧米の植民地主義とその遺産といかに違う意味でアフリカに影響を与えているかを扱っている。後者は、台湾生まれの新宿育ちのアメリカ系ユダヤ人の中国旅行のエッセイ。日本語で著作する数少ない外国人。万葉集の翻訳もしている人。

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Yちゃん、塾から戻って「ありがとう」のラインが来た。来週のクリスマス、上京して一緒にしゃぶしゃぶ食べて、買い物に付き合って、それからカラオケに行く予定。本人は受験のプレッシャーで大変だろうが、いい息抜きになるだろう。年末・年始も勉強漬けになるだろう。大変だなぁ。かつての自分にもそういう時期はあったけれど、どう乗り切ったものか今ではきれいさっぱり忘れている。あのような切迫感と不安は一度の経験で十分という記憶を除いては・・・・。

2018年12月20日 (木)

リベンジのセイゴ釣り

12月19日(水)晴

6時前後に目ざめる。今朝もアカハラの地鳴きが聞こえる。「CIA秘録」(下)をパラパラと拾い読みする。

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朝食:サバの文化干しの半身、ご飯、けんちん汁(卵入り)と石窯パン少々にミカン。何と充実した朝食!

9時半前、父はデイケアーに出かける。日記を付けたり2階のベッドにもぐりこんで、「CIA秘録」(下)をパラパラとめくる。冷戦とは第三世界も含めて米国とソ連が自分たちの陣営に対してそれぞれが「普遍性がある」と信ずる価値観にもとづく体制を広める聖戦であった。ほとんどあらゆる地域で事件、紛争、戦争が起きたが、仕掛けたのは双方である。日本もそうだった。幸か不幸か(現時点では「幸い」にも)、アメリカの占領によるCIA工作が日本を形作ることとなった。自民党とはCIAの資金をもとに作られた政党だ。1960年代の左翼同士の争い(共産党系の民青と新左翼)では、CIAから新左翼に資金援助があった。

お昼:ミネストローネ、石窯パン、干し芋少々。

午後は、涸沼川に出かける。下流域で前回ボウズだったところ。リベンジである。昼間の釣りでは数は出ないことは分かっているが一尾、二尾なら釣れるだろう、いや、釣りたい、というのが目論み。釣り場に到着したのは14時前のこと。16時までの2時間勝負。潮は中潮。海の満潮は13時前。釣り場に到着すると誰もいない。やったぁ!一段低くなった護岸は水を被っていた。

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竿は2本出した。

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1時間はまったく反応なし。15時前、上流の竿の鈴が鳴った。2度、3度。合わせを入れてリールを巻く。フィッシュ・オン!涸沼川のレギュラーサイズ(30㎝越え)が釣れた。やったぜ、ベイビー。安堵した。

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時合いかと思ったがやはりそうは問屋さんが降ろしてくれなかった。15時半過ぎ、同じ上流側の竿に弱いアタリが来た。2度、3度お辞儀。それっきり音沙汰なし。シビレを切らしてリールを巻く。魚信はあった。しかし、途中でフーッと軽くなった。痛恨のバラし。この2回が唯一のアタリだった。16時10分まで粘るもとうとう2尾目は来なかった。しかし、一尾釣れた満足感で凱旋帰宅となった。FM放送でベートーベンの第9を聞きながら。

帰り際、先週も顔をあわせた青年がやってきた。目で挨拶する。車は群馬ナンバー。那珂湊界隈は海のない栃木と群馬ナンバーの車をちょくちょく見かける。昨日も那珂湊漁港内でトリック・サビキの竿を3本だか4本出している栃木ナンバーのおじさんを見かけた。どうも見たことがあるなぁという顔。昔、それも10年近く前の大洗漁港で寒い夜にメバル釣りをしていたときに出会って話をした男だと、帰りの車の中で思い当った。

釣果 セイゴ1尾 34㌢

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夕食:ブリ大根とタコの刺身で熱燗を飲む。デザートは、リンゴと羊羹。

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食後は、連夜の昭和喜劇を見る。今夜はドリフターズ。5人のメンバーにハナ肇が登場。学校の教師でドリフの面々は教え子らしい。ハナ肇の妹役が倍賞美津子。三木のり平がコソ泥役で顔を出す。ハナ肇の「あっと驚くためごろう」のギャクも出た。左トンペイは気障な詐欺師。映画に活写される風俗が妙になつかしい。ドリフの二人(荒井さんといかりやさん)やハナ肇さんはすでに鬼籍に入っている。加藤さんは、40歳若い奥さんをもらって何年か前に話題になった。みんな、年取ったなぁ。そして、私も。昭和は遠くなりにけり、だ。来年は平成も終わって新しい元号になる・・・・。

アカハゼ、サビハゼ、マハゼ・・・

12月18日(火) 晴

6時10分過ぎアカハラの地鳴きを聞く。

「CIA秘録」(下)をベッドの中で読む。冷戦時代(それに限らず)の第三世界が独立して自国を発展させようとすれば援助が必要だった。必然的にアメリカかソ連の援助支援を受けることにならざるを得ない。軍事支援やインフラ作りがメインになるのだろうけど、運営するのは援助を受ける窓口となるその国の仕切る人=政府である。裏工作工作は当然ながら介在する。日本もそうだった。自民党はCIAを通して工作を受けた(資金面で)。70年安保の新左翼(反民主青年同盟=共産党)に資金を提供したのはCIAである。

朝食:アジの干物、けんちん汁、ご飯、納豆、みかん一個

お昼:石窯パン、スパゲッティ・カルボナーラにコーヒー。

午後、車で那珂湊のお魚市場へ買い物にでかける。ブリ大根用の切り身1パック500円

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と塩焼き用にイシモチ5尾500円を買う。

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他に、干し芋(べにはるか)1000円、

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タコの切り身1000円も。

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そして、土曜日の釣りで余った餌を使って14時半すぎから16時までの1時間半は港の奥でハゼ釣りをした。が、アタリはほとんどなし。ハゼ3尾に木っ端セイゴ1尾。すべてリリースする。

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ハゼだが、マハゼは1尾だけ。2尾はマハゼと同じくらいのサイズだが明らかに種類が違う(体の色は尾びれ)。アカハゼだ。それにサビハゼも釣れた。こちらは10センチもいかない小さいやつである。写真は上がアカハゼ、下がマハゼ。

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夕食:豚肉と白菜の炒め物を作って肴に日本酒の熱燗を飲む。

火曜日の夜は森繁さんの喜劇映画「駅前大学」を見る。昭和41年、1966年、東京オリンピックの2年後の制作。富士山が見える静岡が舞台。のっけから蒸気機関車が走り、森繁、伴、三木の3人が戦前の受験生として登場。淡島千景は森繁の下宿の娘役で冒頭に登場する。そして、25年後、新幹線が富士山を遠景に走る。森繁は、大学の漢文の先生。伴は、企業社長で奥さんは森繁が学生時代に惚れていた淡島千景。三木のり平は森繁が勤務する大学の守衛で、カミさんは淡路恵子、副業で雀荘経営。フランキー・堺は、体育の教師として大学に赴任する。かくて役者はそろってドタバタ喜劇が始まった。池内淳子は、大学の保健室に勤務する独身の森繁教授の憧れ、亭主に死なれて女で一つで子供を育てている。大空真由美は池内淳子の妹役。フランキー・堺が一目ぼれ。最後は森繁と池内、フランキーと大空がそれぞれ結ばれて目出度し、目出度しで終わる。物語のパターンは同じだが飽きが来ないこのシリーズである。役者の力量と存在感、それより、エネルギーがあったあの昭和へのノスタルジー?

熱い風呂に入って22時前に2階のベッドにもぐりこむ。「CIA秘録」(下)を読みながら23時前に就寝。

2018年12月19日 (水)

散歩と水鳥たち

12月17日(月) 晴れ、時々曇り

6時を過ぎてもまだ暗い。6時20分過ぎ、アカハラの声を聞く。

朝食:味海苔、ロースハムに笹かまぼことご飯少々。

午前中一杯、ベッドの中でゴロゴロしながらThe Global Cold Warの第二章のソ連(革命からスターリンの死まで)を再読して過ごす。時折、小室直樹氏の「ソビエト帝国の崩壊」を参照しながら。

お昼:カップ焼きそば。

御日様が顔だしポカポカとして来たので散歩に出る。母の使いを済ませて、千波湖周辺や駅周辺をうろつく。カップ焼きそばではお腹がふくらまないので駅ビルのマクドナルドによってセットを食べる(ハンバーガーとポテトとコーラ)。仕方ないけれど、やっぱり、美味くなかった。18歳で上京し王子駅そばのマクドナルドで食べたあのおいしいマクドナルドはどこに行ってしまったのか。食後、4階の川又書店をぶらつく。立ち読みしたり、一冊だが新書を購入した。経済学者の中谷巌氏の本だ。

時計を見ると15時前。再び千波湖に戻り水鳥を観察しながら半周を歩いて帰宅したのは16時前。3時間半の散歩だが、こんなに歩いたのはケガして以来初めてだ。足の痛みもなし。9月上旬からほど3か月と1週間ほどだろうか。いまだに左足には違和感はあるのだが、着実に復調しているという自信を得た。

久しぶりの野鳥観察で取ったスナップショット:カモ類、カイツブリ、カンムリカイツブリ、ユリカモメ、コサギ、ダイサギなどの水辺の鳥だ。

スナップショット①

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スナップショット② カイツブリ

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スナップショット③ カンムリカイツブリ(遠い沖合にいて岸部に近寄らない鳥。那珂川でも川の中央辺を泳いでいる)

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スナップショット④ ダイサギとコサギのツーショット(大きいのがダイサギ、小さいのがコサギ)

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スナップショット⑤ オオハクチョウとユリカモメのツーショット

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スナップショット⑥ ユリカモメ3羽(一番右の斑点があるのは今年生まれた若鳥)

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スナップショット⑦ オナガガモのカップル

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スナップショット⑧ ヒドリガモ

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スナップショット⑨ オオバン

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散歩途中で気が付かなかったが病院のリハビリ責任者から電話があった。こちらから電話をして前回のスッポカシをお詫び、本日の散歩の報告をしてリハビリはもう必要ないということになった。5月半ばに通院する際に顔出しをする。

夕食:身欠きニシンと鶏手羽の燻製を肴に日本酒を飲む。仕上げは、けんちん汁とご飯。

食後、2階で日記を書き、20時からNHKのBS放送でワイルドライフを見る。イギリスの広大な敷地にすむナチュラリストの一年である。メインは野鳥。ハイタカ、フクロウの観察。脇役は、コマドリ、ズグロムシクイ、カワセミ、カササギ、シジュウカラ、アカゲラなどの小鳥たち。日本で普通にみかける鳥とほとんどが共通する種類だが、ズグロムシクイというのはヨーロッパで見られる種類のほうである。ウグイスのそっくりさんだが、囀りがちがうのだろう。自分がムシクイの仲間で観察し、囀りを聞いたことがあるのはセンダイムシクイ、エゾムシクイなどがある。

ブルーベルという地面に絨毯の如く咲き乱れる花の景観すばらしいこと。貴族の末裔であろうか、150年まえに先祖(5代前)が購入した敷地である。もともとは狩場であったというが、30年前から狩りではなく、森を作って生物の多様性を担保する自分の趣味を生かす生活に変えたという。何ともうらやましい生活ぶりである。ヤマシギとキセキレイを観察する場面は特によかった。滅多にお目にかかれないヤマシギ。私も一度だけ、2003年か4年のころ、千葉の北小金に住んでいたころのある寒い冬、雑木林を歩いていてふと目に入ったこの鳥を30分近く双眼鏡で観察し続けたことを思い出す。

番組の主役のハイタカがコマドリを捕まえて食べるシーンが出てきた。地面を這うようにして林の中を飛びぬけて一瞬のうちに捕まえる。オオタカの背中にカメラを付けて飛ばせ、その飛行の様子の追体験撮影ビデオも流れた。オオタカは日本でもよく見かけるタカだ。カラスと同じくらいの大きさ。那珂川河口の釣り場でも、2度オオタカを見かけた。一度は先々週のこと。船着き場の捨て置かれた船に留まって、私が近づくとさっと飛び去った。もう一度は、2羽のカラスとバトルをしていたシーン。先週土曜日の夕方、釣れずに道具を片付けて土手に上がった直後に民家の上空でそのシーンを目撃、しばらく見とれてしまった。

2018年12月18日 (火)

The Global Cold Warをついに読了!

12月16日(日)曇り時々晴

5時過ぎの目覚め。The Global Cold Warの最後の数ページを読む。6時13分、アカハラの地鳴き。6時半前、読了。ほぼ一ヶ月くらいかかっただろうか。

朝食:ハムエッグ、納豆、ご飯少々に味噌汁。

著者は、第2次世界大戦終了からソ連崩壊までの冷戦とは米ソ両超大国の戦略と軍事力を巡る戦いではあっても、ヨーロッパが中心となるのではなく、第三世界を巡る両大国の確執を中心テーマとしてとらえている。

第三世界とのかかわりにおいて、米ソの動機が従来のヨーロッパ諸国型の「反植民地主義」であったが、実質的には「新しい植民地主義」であった、と著者は主張している。キーワードは「近代化」。

ソ連共産党とは、伝統ロシアを否定した近代国家を作る政党であった。したがって、9割以上を占める農民(どちらかという農奴に近い)を否定して、現代人に作り替える政策を行った。ロシア革命直後の内戦においては、政権を握ったボルシェビキは反政府派(帝政派、ブルジョワ層、反革命派等)をことごとく国外追放するか、抹殺(殺す)した。容赦のない残虐さで。その次になされたのが農業の集団化でありこれも容赦なかった。富農(クラーク)などの反対農民は抹殺された。(恐ろしい話だ。共産主義革命にともなう信念に基づく大量殺戮は、中国でもカンボジアでもあった。ナチスのユダヤ人虐殺と同じものだと思うが、ナチスの犯罪を相対化するものとして、この対比は批判されることが多いというか、学会主流は、特にドイツにおいてはタブーらしい)。

第三世界にとっての目標、すなわち、「国の独立」と「近代化」を達成するということでは、米ソと同じ理念を共有していた。しかし、どのようにしてこれらを実現するのか、については米ソのいずれかのモデル選択肢があった。場合によっては二股をかけることも可能であったのだ。そのうえで、冷戦の悲劇は、二つの超大国の正義は、ゼロサムゲームであったこと。一方が勝つということはもう一方が消滅するという恐怖感だ。第三世界側にも問題があった。止めどもない内紛である。近代化を目標としながら、アメリカ型またはソ連型を選択したとしても、第三世界の人口の殆どを構成していた農民社会は中央からの強引な権力による近代化のための強制に消極的ながら反発をしていく(旧来の植民地時代と同じ)。エスニシティーと宗教と血縁・地縁=伝統の拘束は強いのであり、両超大国のイデオロギーに基づく地元のエリートの近代化政策は難航あるいは頓挫することになる。

ソ連崩壊までの最後の10年、ソ連政府の予算の三分の一は軍事予算で使われていたというのは驚きである。小室直樹氏の「ソビエト帝国の崩壊」をパラパラと参照したのだが、まさにそのことに触れている。ソ連の軍事産業は当時の日本の国鉄であると。「社会的事実」までになってしまったソ連の軍事産業(ひょっとすると、軍産複合体を擁するアメリカも同じか)は、効率が悪く赤字を垂れ流しても(当時の共産圏では、資本制国家の利潤という概念はなかったが)簡単にはリストラや効率化ができなかった。小室氏はかつての旧日本陸軍になぞらえている。中国・満州の権益=陸軍であったが、最終的に日米戦争になった原因である。陸軍の断じて譲れない聖域。かくて、国益はないがしろにされ自滅の道をたどることになる。ソ連における軍の地位が斯くまでに高いのはなぜか。独ソ戦で国が亡ぶ(ヒトラー・ドイツはソ連人を殲滅・奴隷化しようとしていた)瀬戸際まで追い込まれた恐怖とそれを救ったの輝かしい赤軍の活躍にあるという。軍人は普段でも勲章と軍服を着るのを誇りとしており、国民も敬意を払っているのだ。おいそれとは手を付けられないのだ。

ソ連の第三世界への介入(アフガン紛争当時)に投入した費用は国家予算のわずか2.5パーセント。アフガン戦争が泥沼化したものの、ソ連は、撤退せずに支援続けようとすれば続けることは出来た。しかし、ソ連の民生は1970年代以降下降線を辿った。特に問題となったのは、原油価格の暴落だった。私有財産を否定したソ連型社会主義経済の非効率さは、1970年代にソ連を農産物(穀物)の輸入国に転落させた。また、国家予算の三分の一が軍関係の予算に消えていった。資源の効率的な有効活用が出来ず民生は悪化するばかりであった。一方で、1980年代の韓国・台湾を筆頭に東南アジアの発展は目覚ましいものがあった。社会主義国やそれへ傾倒する者たちに自分たちの信条に疑念が生じる(社会主義経済とは、発展途上国の経済政策であって、結局自由主義経済に永遠に追いつけない)。かくして、社会主義イデオロギーは色あせ始める。ゴルバチョフのグラスノスチとペレストロイカによる国内の民意も批判的になっていく。1991年夏のクーデターは、スターリン主義へのとんぼ返りを意味していた。そして、多くの共産党員はそれを望まなかった。雪崩を打って共産党は崩壊した。つまり、ソ連の崩壊。

エール大学のバンクロフト賞を受賞した秀作を読破した余韻に浸りながら午前中を過ごす。各章ごとの要約を作ってまとめをしないと全体像を見失ってしまいそうだが、細かい事は別として、冷戦の結果、アメリカが勝利したことになっていはいるが、著者はアメリカに対しても手厳しい。冷戦終了当時、世界は4人に一人は少なくともそれなりの豊一定水準の生活を享受していたのが、、21世紀に入った今日、この割合は悪くなっている(6人に一人)。1990年代以降は、グローバリゼーションが進んだが、この言葉が意味するものは実質的にアメリカ化である(自由民主主義と市場経済主義)。アメリカは冷戦の勝者になることによって自らのイデオロギーを地球規模でおし進めている。冷戦時代と同じ第三世界への介入を相変わらず繰り返しながら。その結果が、2001年のアメリカで起こった同時多発テロである。米ソを含む西欧諸国が(1415年にポルトガルがアフリカでの植民地化が淵源)第三世界で引き起こしてきた西欧世界の罪業と比較するなら、9.11テロは被害者側による「それと同等のレベルの犯罪」なのである、と著者は言う。9.11の犯罪性をとやかく言うより、どこで起こったか、というのがポイントなのだ。確かにアメリカは対抗するものがない超大国である。米ソの冷戦時ですら、厳密にいうなら米国の力があらゆる点で勝っていた(マルクスの予言通り)戦いだった。

しかし、抑えるものがいないこのアメリカの力がその「道徳性」を担保するわけではない。アメリカの対外姿勢(外交)=アメリカの国是を広めることがアメリカの使命であり、万人の幸福でもある、という信念にもとづく他人へのお節介=介入姿勢は、半永久的に変わらないであろうと著者は悲観するが、それでも、ベトナム反戦や中南米への理不尽な介入(イラン・コントラ事件)などへの批判が国の行き過ぎを修正する経緯が過去に余地があり、アメリカの自己の軌道主勢力への淡い期待をかろうじてながら表明している。

お昼:スパゲッティ・ペスカトーレとコーヒー。

午後:10度に届かない寒さと潮が動かないことを考え、釣りは断念。2階で本の整理をしながらブックサーフィンをする。小室直樹氏の「ソビエト帝国の崩壊」は再読した。

夕食:サバの文化干しとロースハムを肴に赤ワインを飲む。

2018年12月16日 (日)

寒さに負ける日々・・・

12月14日(金)晴

6時過ぎの目覚め。アカハラの声を今朝も聞く。そして、The Global Cold Warを読み続ける。アメリカはカーター政権からレーガン政権へ。ソ連は、ブレジネフ亡き後、アンドロポフ、チェルネンコを経てゴルバチョフ体制へ。ソ連のアフガン介入と失敗は、ソ連の国内経済の不振(西側はエレクトロニクス革命があった)、原油価格の下落とともに、社会主義体制に対する失望と疑念になっていく。ナショナリズム、特にイスラム圏においては、アメリカ型でもソ連型でもない宗教にもとづく伝統回帰をしていく。ホメイニさんは近代化を否定したわけではなく、停滞を招いた旧来の宗教的伝統の欠点について否定したのだった。

1979年の春に自分は大学を卒業してとりあえず社会人となってサラリーマン生活を始めた。卒業直前にはイラン革命、卒業直後にはアフガン戦争の勃発。冷戦の流れが変わる分水嶺、ターニンング・ポイントだった。社会主義体制の崩壊の始まりであった。そのタイミングで出会ったのが、小室直樹氏の「ソビエト帝国の崩壊」であった。

当日は、北区滝野川のアパートに大学に通う弟と同居生活をしていた。1983年からオランダに研修で1年でかけた。弟は故郷の地方銀行員となりアパートを引き払ったが、本は実家に送っていてくれた。2005年、26年間務めた会社を早期退職して実家に戻ったとき、暇に任せて自分の持ち物を整理したときに出て来て目に留まった一冊がこの本である。

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ソ連によるアフガン介入戦争は、1980年のモスクワオリンピック参加をアメリカはボイコットを招く。日本も当然ながらボイコットせざるを得なかった。マラソンの瀬古選手が全盛時代、金メダルを狙える大会だったが。瀬古選手は1984年のロサンジェルスオリンピックに参加したが、全盛期を過ぎたこともありメダル圏外に終わる。不思議なのは、イギリスがモスクワオリンピックに参加したことだ。米英関係は決して1枚岩ではないということだろうが何故?いまでもよく理解できない。どういう力学があり、政治的判断がなされたのだろうか。

レーガン政権となったアメリカは、ベトナムのトラウマをものともせず、また、ソ連のアフガニスタンにおける泥沼化(ベトナム化)を見透かしたように、各地で介入を強化していく。アフガン戦争では、パキスタン経由でいわゆる「聖戦」を主張するイスラム原理主義者たちを支援する。結果は、2001年の9.11テロ事件に繋がるものだ
った。

イラン・コントラ事件というのもあった。親ソのイラクと対立関係にあったイランを助けることとアメリカ大使館占拠事件を解決することを期待してイランに武器を売り、その資金で中南米への介入(当然ながら、抑圧的な軍事政権を助け、未熟で稚拙な左翼政権を倒す手助けだ)をする。ソ連のアフガン侵攻が国際的非難を引き起こし、これが結果的に米国の中南米介入の隠れ蓑となってしまったようだ。

朝食:納豆、アジの干物、ご飯。アジの干物の塩加減(いつもはききすぎ)がよく実にうまい。アジの干物を馬鹿にしてはいけないと改めて認識。

足のリハビリのため病院へ。おそらく今回が最後かなぁ、と思いながら、病院に到着、診察カードを受け付けの機械に入れるがいつもの反応が違う。おかしいぞ、と思っていると、なんと、リハビリのアポは二日前の12日(火)9時からであった。私の勘違いだった。2階のリハビリ室にいってマネージャーに会いにいったが、お休み。スタッフの方に伝言をお願いしてすごすごと退散。参ったね・・・。

気を取り直してそのまま、銀行へ。両親の年金が出たので記帳と出金。さらに、近くのK百貨店の食品売り場へ。アイナメ1尾(煮つけ用)とキンメダイの干し物(800円、2尾、特別セール)などを購入する。銀座ナイルのチキンカレーも二つ買う。それから、煮つけに使う山椒の実。

昼前の帰宅。昼食は、ハゲ天の天丼弁当。出来立てのホカホカの天ぷら!

午後の日課はお休み。日中の気温が10度を切る寒さで釣れる気がしない。また、体を冷やしたのか、クシャミと鼻水が止まらない。大事をとって、炬燵にもぐりこみ、The Global Cold Warを読み続ける。

夕食:アジの干物と豚肉のシャブシャブを肴に日本酒の熱燗を飲む。しかし、どうにもくしゃみと鼻水がとまらない。食後、風邪薬を飲んで、体を温めてから早々とベッド潜り込む。

12月15日(土)晴、北風強く寒し

今朝もアカハラの声を聞く。明るくなる直前のタイミングで6時10分ごろだ。

The Global Cold Warもいよいよ終盤に近付いた。ゴルバチョフ時代になり、アフガンでの苦境、数週間で片がつくはずがずるずると増援を続ける事態(軍隊の逐次投入ほど問題の多い戦い方はない。いわゆる、軍事における禁じ手)と国際的なソ連批判。ソ連型の社会主義体制(=反帝国主義)に向けるまなざしは色あせた。大きな理由は、独立後の国造りにおいて国内の終息することを知らない内紛で国の秩序が崩壊してしまったこと。一方で、中国や東南アジアの国ぐにの目覚ましいい発展(韓国と台湾)がおおきくクローズアップされた。日本は、絶頂だった。当時はまだGNPという経済指標が使われていたと思うが、やがて日本は米国を抜き去るであろう、という専門家の声もあがっていた。

日本はいよいよバブル時代に入ったころだ。入社当時、1ドルが350円前後。ドイツマルクが120円くらいだった。1986年のプラザ合意後、円高政策を日本が自主的にとり始め!(西側の圧力)みるみるうちに200円を切った。ロサンジェルス・オリンピックではソ連が報復で参加ボイコットをした(日本と同じで東欧諸国もボイコット)。米国の陸上選手カール・ルイス、柔道の山下選手が活躍した。1980年代後半、地下が高騰、暴騰して、東京23区の値段合計で全米が買えるという状況がしばらく続いた。アメリカに出かけた人が、アメリカのお店を見て買いたいものがなくなった、といっていた(私自身は2013年まで訪米経験なしだからよくわからない)。海外では、プール付きの一軒家が1000万で購入できた(ハワイ、米国本土、オーストラリア等)。三菱地所がロックフェラーセンタービルを買った。多くのにわか成金となった日本人は使うあてもないまま投資目的で不動産を買いあさった。

職場では朝から電話が鳴りっぱなしだった。何をしなくても仕事が舞い込んだ。毎期の予算達成。残業とお酒を飲む日々。自分の体重は入社時が60キロ、1980年代の後半は一時的に80キロを超えたなぁ。職場のY君によると、京王プラザホテルの1階のコーヒーショップで夜遅く軽食を取っていたら(仕事で)、地上げ屋風の人がずかずかとやって来て、隣のテーブルを占領し、メニューを手にして、「姉チャン、メニューにあるの全部持ってきて」と。

当時、イラン人はヴィザなしで日本に来ることが出来た。北京経由の便でツリーストが沢山やってきて、それに関わる仕事をしばらく担当した。イラン人が、アラブ系でないと認識したのはその時が初めてだった。イタリア人かスペイン人みたいな感じだった。言葉はペルシャ語。イスラム教徒だが、お酒は飲むこと。精算が終わるとホテルの部屋でピスタチオや胡瓜を肴にビールで乾杯して語らった記憶が懐かしい。

朝食:納豆、笹かまぼこ、ご飯少々にお新香。

朝食後、母の使いで近くの郵便局へ。入金と記帳。往復30分弱。帰宅して日記を書く。父はデイケアーの日。

お昼: 五目御飯(冷凍)を少々とバナナ。

午後は、一昨日の餌(青イソメ)の残りが気になり釣りに出かける。阿字ヶ浦海岸のサーフからの投げでイシガレイを狙ってみようかと仕掛けを作って車を走らせた。現場に到着してみると釣り人はルアーを投げる人が少々いるだけ。干潮前後が釣れる、というのが過去のカレイ釣りの経験則がある。干潮は16時半ごろ。うーん、どうしようと迷った。風が冷たい。餌も少ない。買い足さないといけない。来週の天気予報だと暖かくなる。今日は、やっぱり、那珂川にしよう、ということで心変わりして那珂川のマイスポットへ。しかし、釣果はなし。アタリすらなかった。北西の風が冷たくて、護岸のススキの茂みの影に身を潜めて時間をやり過ごした。

Nakagawa


16時過ぎに帰宅。テレビで刑事コロンボを見る。アイルランドへの武器密輸出をテーマにしたもの。一度見たことがある。副音声の英語で聞く。8割くらいの理解度。最後の三分の二は日本語に。犯人が詩とナンセンス・ライムを吟ずるところがあるが、言語で聞いてもわからなかったであろう。最後の犯人を追い詰めるコロンボの嗄れ声の説明も、微妙な機微に触れることが多いので自信がなかった。推理ものはそうである。

夕食:キンメダイの干物を肴に日本酒の熱燗を飲む。キンメダイの味は、昔、東京の虎ノ門にあった飲み屋「よっちゃん」を思い出す。伊豆下田産のキンメダイを焼いたもの(大きいサイズで半身)に日本酒と醤油をかけて食べるだが、肉厚で脂が乗って実にうまかった。その再現は無理だが、キンメダイは美味だ。仕上げは、豚肉の生姜焼き1枚とあったたかい味噌汁にお新香。

一日があっというまに終わってしまった。何やら物悲しい気分。冬至まであと少し。熱い湯舟につかり、19時過ぎには2階へ上がる。ベッドに潜り込み、ひたすらThe Global Cold Warを読み耽る。

2018年12月14日 (金)

本格的な冬の寒さで昼間のセイゴ釣りは厳しいか?

12月12日(水)雨、後曇り

6時過ぎの目覚めだが外は真っ暗。朝から雨模様。そして寒い。陰鬱な天気。読書灯をつけてThe Global Cold Warを読む。

7時過ぎ、キッチンに降りて朝食(納豆とご飯)。

午前中は、ハローワークへでかける。職業相談と手当支給の手続きだ。

お昼:石窯パンとコロッケ。

午後はベッドの中でThe Global Cold Watを読みふける。イラン革命とアフガニスタンの情勢。時代は1970年代中盤から後半。ニクソン政権が倒れ民主党のカーター政権。ソ連はブレジネフ政権。キッシンジャーが敷いたデタントの時代。イラン革命は1978年の12月。私が大学を卒業するころだ。友人宅(確か、江古田だった)のテレビでぎっしりと広場に埋め尽くした民衆の映像を記憶している。それから11年後、同じような光景がルーマニアであった。イランのパーレビ国王はアメリカに亡命したが、ルーマニアのチャウシェスクは銃殺になった。1960年初頭のキューバ革命以後、ソ連の社会主義陣営の攻勢が続き、ベトナム戦争での北ベトナム・共産党政権の成立(1975年)がソ連にとってのピークだった。イラン革命は、アメリカ支援の腐敗王朝でもなく、ソ連支援の世俗的な政権でもなく、ホメイニさんというイスラム復古主義者による革命だった。どちらの超大国にも組しないあたらしい潮流の始まり。アフガニスタンは、ソ連寄りの共産主義者を含む左翼政権が内輪もめと分裂を繰り返す中でソ連がテコ入れするために(アフガン側からの度重なる要請のもと)介入(数週間の予定)が、結局ソ連にとってのベトナム戦争となってしまった。1970年代後半から、ソ連の計画経済は停滞を始め、穀物の輸入国に転落してしまった。じわじわと西側(アメリカを中心とする資本主義国)と経済における優位性を失っていく。

夕食:イワシの丸干し、オーストラリア牛のステーキ、白&赤ワイン、ご飯少々、石窯パン、けんちん汁とリンゴ。

夜、Yちゃんのママとクリスマスの会食の相談。シャブシャブを一緒に食べて、買い物して、カラオケに行くことに。瀬里奈のしゃぶしゃぶを予約する。

12月13日(木) 晴、のち曇り

6時過ぎの目覚め。久しぶりに夢を見る。最初の職場I君と直近の職場のK氏がだぶる。大学のイベントなのだが、詰めがあまくイベントの趣旨がずれた参加者のパフォーマンスが続き、会場はざわざわ、スキャンダルになってしまう。自分のコントロールが効かず大失態となる。ああー、どうしよう、というところで目が覚めたのだ。膀胱が一杯。

6時過ぎ、アカハラの声を聞く。The Global Cold Warを読み続ける。

アフガニスタンという国からの連想:

① アフガニスタンとの縁は1979年、最初の入社した会社で、第三世界の初等教育に関するシンポジウムに関わる仕事だった。広島大学の教育学の大家がオーガナイザー。複数の関係者を海外から呼び寄せたのだが、その時の一人はアフガニスタンからだった。テレックスを使った電報を送った記憶と、来日したあとの現場のアテンドでアフガニスタン人を始めて目に
したのだった。

② 梅棹忠夫氏の「モゴール族探検記」(岩波新書)を随分昔だが読んだ記憶。本ももっている。チンギスハーンのモンゴル大帝国で移り住んだモンゴル人の末裔をアフガニスタンで訪ね調査する話だ。モゴール語という言語が代々伝えられているが、死語になりつつある。1950年代の話だ。モゴールは、ムガール帝国のムガールと同じ意味。モンゴルを意味する。

③ アフガニスタンに行ったことはない。中央アジアと中近東のイスラム圏は、カザフスタンのアルマータとクエートにドバイだけだ。2003年と2004年のこと。9.11同時多発テロを契機にアメリカがイラク戦争、アフガン戦争を仕掛けたことがきっかけで、日本も協力することになった。それに関わる現場の仕事(ロジスティック)でウクライナで作られたアントーノフという超大型輸送機で自衛隊の人に同行したのだった。すごい輸送機だった。なにせ、機関車だって運べるらしい。日本の自衛隊は、海外で戦うことを想定していないから、人員と物資を輸送する手段がないのだ。イラン・イラク戦争で三井物産関係者を助けるために日本航空を使う話があったそうだが、普通の国なら軍事輸送機が使われたはずだ。日本はすったもんだして、結局トルコが助け舟を出してくれてトルコ航空機で日本の民間人は助けられたという。札幌の千歳空港からアントーノフに乗り込み、韓国のインチョン空港で給油、そのままアルマータへ。飛行機の中で読んだ本が、「アフガニスタン 戦乱の現代史」
(岩波新書)だった。

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朝食は、納豆、塩鮭、ご飯少々、けんちん汁とリンゴ。日記を書いて、少々買い物をする。遠投用の釣り竿の一本の修理をする。この釣り竿は、購入したものではなく、那珂湊漁港でハゼ釣りをしていた2008年冬に釣り上げた竿!!!である。爾来、この10年間大変お世話になっている竿。大切にしたい。

お昼:スパゲティーナポリタンとコーヒー。

食後は、日課の釣り。釣れる気がしないセイゴ釣りだ。那珂川の潮は全然動かない小潮。ならばと涸沼川の下流域へ。昨年年末には20尾近く釣ったマイスポットだ。

Hiunumagawa


結果はボウズ。那珂川はアタリが2回(針掛かりせず)あったが、まったく魚の反応がなく15時45分納竿。時間的には潮が上げ始める頃合いであと1時間がまんすれば釣れたかも知れないが寒さと気力がついていかない。釣れなくても、自然観察と護岸での歩行訓練で時間つぶしは出来た。川の対面の護岸にはアオサギが。水面には、オオバンが。時折、ボラが水面からジャンプするシーンが。後ろの草地の縁を歩いたらキジの雌が足元からいきなり飛び出して枯れ草地の中に姿を隠す場面にも遭遇。

16時半過ぎ帰宅。夕食の準備をする。

夕食:カジキマグロ&セイゴの蒸し煮でワインを飲みながら石窯パンを食べる。仕上げはイワシの丸干しとご飯。いずれの魚も残り物だが、うまい!

熱い湯舟につかり2階のベッドに潜り込んだのが20時前。猛烈な眠気が襲ってきて20時半前には眠りに落ちた。

2018年12月12日 (水)

セイゴ釣りは初めてのボウズ。 セイゴの白ワイン蒸し煮を作る。

12月11日(火) 晴


6時過ぎ、熟睡のあとのさわやかな目覚め。しかし、部屋は寒い。マンションとの違いを実感。ベッドの中でゴロゴロ。外はまだ暗い。日の出がどんどん遅くなっている。日の入りは徐々に遅くなっている。冬至はまであと10日ほどだ。アカハラの声は聞こえなかった。

朝食:納豆、セイゴのオイル焼きの残りとご飯にみかん一個。セイゴのアラ汁は昨夜で完食したらしく残りがなかったのが残念。

食後は2階で日記を書く。それから、近くのスーパーへ買い物に。あっという間に午前中が終わってしまう。

お昼:コーヒー石窯パンのコロッケサンド。

午後は日課の釣りに出かけるが、気温が低いので多分釣れないだろうとの予感。潮は中潮だが、干満の動きが弱いサイクルだ。現場に到着すると水位も低かった。



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先週の大潮直前の中潮の潮位はというと:
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同じ中潮だが大潮の前と後では大違いである。これだと厳しいないなぁ。2週間前の状況を思い出せば、潮が動き始めた頃合いに2度か3度のアタリがあって1尾か2尾の釣果だった。今回はそれにまして気温が10度前後だ。竿は3本出したがアタリがないまま、しかも、エサをかじられた形跡がないまま時間が過ぎる。15時過ぎ、1度鈴がなったが、魚は餌を吐き出したのだろうか、ほとんど餌がついたまままだった。2度目の鈴がなった。一度きり。仕掛けを回収するとイソメの頭の部分を残してきれいに無くなっている。それっきりだった。15時45分、納竿。初めてのボウズで家路につく。

夕食:買い置きのメカジキマグロとセイゴの切り身を使ったフランス料理を真似た一品を作る。白ワインとバターを使い、白身の切り身の上に玉ねぎのみじん切りとマッシュルームのスライスを乗せ、10分ほど蒸し煮する。残り汁(正式には裏ごしするのだが)に生クリームを入れて少しに詰めてバターと小麦粉を少々入れてとろみをつけて味付け。お皿に盛り合わせた魚の切り身にソースをかけて出来上がり。写真を取り忘れたが、出来栄えはグッド。和風味しか知らない両親はきれいに平らげてくれた。自分も、白ワインを飲みながらカジキマグロとセイゴを食べたが、確かに行ける。レパートリーがまた一つ増えた。これは「ボンファム」(素敵な奥様という意味のフランス語)という簡単な家庭料理。ムニエルが脂っぽい人にもグッド。タイの酒蒸しのフランス版だ。

食後は、テレビで喜劇「駅前金融」を見る。土曜日の飲み会でM氏(M大将と私は呼んでいる)は全シリーズ見たと言っていた。チャンバラ映画と同様、昭和の高度経済成長期の日本という時代を活写した映像資料としても見れる映画だろう。社長シリーズ、座頭市シリーズ、若大将シリーズ、大魔神シリーズ、怪獣シリーズ(ゴジラ・ラドン・キングギドラなど)、過ぎ去った時代を60歳を過ぎた現役を去った世代が懐かしみながら楽しめる娯楽だ。今回は、フランキーがトランペットを吹き、ドラマをたたいたり、三木のり平が成功した金持ちのビジネスマンで登場したり、役柄がいつもとは違う。伴淳三郎は高利貸し役、森繁さんは、会計士で登場。フランキー・堺は今回は通常のパターン、振られ役(相手は大空真由美)、池内淳子はフランキーに惚れるが振られ役。三木のり平はビジネスに失敗、最後は、大空真由美と屋台を引く場面も。最後は、喧嘩しながらもよりを戻す森繁と淡島千景の相合傘で終わる。1965年、東京オリンピックの翌年の映画。和田弘とマヒナスターズが冒頭と途中で歌を披露。全編、ゴタゴタ、ドタバタだが、最後は何ともいえない、これでいいのさ、という終わり方は、高度経済成長期の日本そのものかもしれない。

2018年12月11日 (火)

2泊3日の上京、飲み会と神田古本街巡り

12月8日(土) 晴

10時前、弟夫婦がやってきた。毎年この時期になると母の使いでお歳暮の手続きに来る。従兄からもらった米は脱穀が必要なのでそれもお願いする。本来なら自分がするのだが、母が足のことを慮って弟にやってもらいなさいと!

お昼過ぎ、弟夫妻はまだ戻っていないが、家を出る。お礼はラインですませる。特急に乗り上野経由で新橋へ。最初の職場の関係者(アウトバウンド)との年に1回か2回の飲み会である。昨年12月は自分の父の具合が悪く上京を断念、延期をお願いした。今年の5月を予定していたが骨折で成立せず、9月に延期。ところが、足の回復に予想以上に時間がかかり、結局12月となってしまった。

15時の30分前に新橋に到着。昔を懐かしみながら周辺を散歩る。
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15時10分前、いつもの居酒屋に足を運ぶと、すでにM氏とS氏が待っていた。そもそもの飲み会はこの3人でずいぶん昔に始めた飲み会だった。頻繁に会う仲ではなかったが、どういうわけか、たまぁに思い出したように飲もうと誰かが誘うともう、徹底して酔っ払い激論をするというパターン。いつもS氏と自分が激論を戦わせて、常識人のM氏がバランサー役として茶々をいるパターンであった。途中で、3人の仕事は別々になったが、今でもこうして集まってバカ話をするという仲である。我々3人に、途中から二人が加わっていまは5人である。62歳の私は最年少。一番上がM氏で70歳。15時前に4人目のMG氏も到着、開店と同時に居酒屋の個室で飲み始めた。直後に、K氏がやってきた。MG氏は、今は亡き畏友のSW氏を介しての付き合い。定年後はマラソンとサイクリングに情熱を傾けて全国を行脚している。K氏は、私の最初の職場の課長だった方。全員が(私は除く)、M氏の所属する大きな部署の同じ釜の飯を食った仲間である。

若きし頃の失敗談や強烈な印象がのこる場面を思い出しては爆笑、近況を交えながら、人の話はあまり聞かず、皆が勝手に喋り、肴をつまみ、ビールと焼酎のお湯割りを延々と飲み続ける。終わったのは22時半過ぎだった。20時半に一次会が終了。我々のとめどもない話(国際政治、文学をメインに、思いつくまま森羅万象)で二人(MG氏とK氏)は1次会で退散されたが、我々3人は、アイリッシュパブでさらに2時間、延々とああでもない、こうでもないというおしゃべり。時計を見て、うーん、もう帰らないと、と口惜しそうに別れたのだった。
都営三田線で内幸町から板橋区役所前まで乗って、一気に寒くなった夜の東京を歩いてマンションへ。バタン、キュー。


12月9日(日) 晴

昨夜は、トイレに4度も通うことに。そして、薄明るくなった6時過ぎに目が覚めたがあの二日酔いの感覚。アルコールの中で体がたゆたっている。うとうとながら、8時過ぎからインターネット・サーフィンを始める。コーヒーとこんがり焼いたトーストとみかん一個の朝食以外は、ベッドの中で午前中を過ごす。

午後1時前、仲宿商店街のインドレストランへ。いっぱいだった。10分待つのがいやで、美味しかった思い出のあるにぎり寿司屋へ。ところが、ここはランチタイム終了(お昼は数量限定あり)。どちらのレストランも本格的でおいしいところ。残念。インドレストランをスキップしたのは、10分待つのがいやなのではなく、胃の疲れを意識したからかもしれない。しかたなく、隣の喫茶店に入って、ポーク生姜焼き定食を食べる。昔なつかしのスパゲティナポリタンではなく、豚肉生姜焼きである。ポークだと後ろにソテーかジンジャーが付くと思うのだが、ポーク生姜焼きとは豚肉生姜焼きと何が違うのだろうか。聞くと、デミグラスソースが掛かった洋風料理とのこと。学生時代、荒川区に住んでいたが、下宿先のすぐ近くに「レストラン富士」というのがあって、一週間に2回ぐらいは、生姜焼き定食かポークソテー定食を食べたことを思い出す。あの美味しさは何だったのだろうか。あれ以来出会っていない。

食事が終わって、神田神保町へ。久しぶり(1年ぶり?)の古本街を歩く。あなたの趣味はと聞かれれば、釣りと野鳥観察とふつうは答えるが、実は、本屋巡りも趣味である。本を買うならインターネットで検索して買うことはできるのだが、自分の足で本屋をぶらぶらしながら、目に飛び込んできた本をパラパラめくって、立ち読みしたり、ほしい本は買う、というのはそれはそれで楽しいことだ。


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今回は、チャーチルの第二次世界大戦回顧録の英語版(ペンギンブックス)ⅢとⅣの2冊を400円(200円x2)で買う。1950年初版、1985年再版で、買ったのは1988年だ。ノーベル文学賞を受賞したチャーチルである。是非原文を読んでみたいと思っていたが、偶然にもこんな安値で見つけたのだからもうけものである。それに、「魚の博物辞典」(講談社文庫 末広恭男著)600円(定価は1996年の初版のときで1500円)。これは、ベッドで寝る前にパラパラめくって釣りの対象となる魚たちのうんちくを学ぶには絶好の本と見た。他にもいろいろ買おうかどうか迷う本はあったが、あまりリュックが重くなるといけないとおもい自重した。



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一冊気になったのは、中国のユダヤ人についての本だ。唐の時代、ユダヤ人が中国に流れ着いた。現在の開封市にその末裔がいるらしい。19世紀の半ばまではシナゴーグもあったらしいが、今は記憶だけで何も残っていないらしい。中国がユダヤ人たちを同化してしまった?邱永漢の本(「食は広州にあり」)のどこかでも、ユダヤ人が豚肉を食べるようになったのは中国のユダヤ人だけだ、言っていたくだりがあったと記憶する・・・。

三省堂書店にも寄った。何も買わなかったが、小室直樹氏の評伝が目に入った。上下2巻で6000円近い。立ち読みしつつも購入はせず。伝説の東大法学部教室を使った小室自主ゼミのところを読んだ。小室氏は、京大の数学科卒。大学院は大阪大学で専攻は経済学(小室氏によるとマルクス経済学という表現は間違っている。マルクス経済学は近代経済学の一つの支流。アダム・スミスへの批判なのだが、批判とは発展的継承ということ、とどこかで語っていたと思う)。指導教官の一人は後にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授となった森嶋通夫氏である。そして、米国へフルブライト留学。サミュエルソンのもとでも学んだが、興味は社会学へ。タルコット・パーソンズのもとで学ぶ。帰国して、東大で博士号を取る。丸山正男、大塚久雄等の巨匠に師事した。マックス・ウェーバーを学ぶために大塚久雄教授の近くに引っ越して教えを受けたという。気が付けば、30代半ば、6畳の畳部屋の一人暮らし。正業による生活の手立てなし。そのために東大の教授の!論文指導のアルバイトをしていた!!カッパ・ブックスとの出会いと始まった小室ワールド。売れに売れた時局評論。ロッキード事件のときの田中擁護論。1980年代から2000年代の30年、私も氏の著作は出版されるたびに購入して夢中で読んだものである。


欧米の社会科学のスタンダード(水準とそのロジック)を肌でわかって、それを日本の中で展開した人。既存の日本のアカデミックな閉鎖社会(横文字を縦文字にするだけの低レベルな蛸壺社会)を超越した異才であった、ようだ。正業の社会科学系の教授連はこっそりカッパ・ブックスを読んで、文献目録にはあげずにこっそりと盗まざるを得なかったと想像する。ノーベル経済学賞の候補にもなったロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授であった森嶋通夫氏は自伝いおいて、大阪大学大学院生時代の小室氏を評して「ただ者ではなかった。将来必ずや名を成す人」という印象を持ったと書いている。

夕方、巣鴨でYちゃん母娘とジョナサンで待ち合わせ。Yちゃんは今日も模擬試験と塾の講習で18時まで勉強したらしい。近くのジョナサンで待ち合わせて一緒に夕食を食べた。外食チェーンだが、洋食大好き人間の私である。Yちゃんもハンバーグは大好き。ローストビーフが載っているハンバーグをYちゃんが、ママは、フォアグラ載せ、私はエビフライ2本付きのハンバーグをそれぞれ注文して食べる。さすがにアルコールはなし。体が拒否していた。近況の四方山話しに花が咲く。Yちゃんは明日は学校だ。カラオケタイムは次回にして、20時過ぎ、帰宅。シャワーを浴びて、ベッドにもぐりこみ、就寝。


12月10日(月) 晴


6時過ぎの目ざめ。実家とちがって気密性の高いマンションの部屋は暖かい。暖房なんかいらない。

フランスのパリは3週連続でデモ隊が暴れている。ガソリン税の問題だけではなさそうである。BBCの記事を読んでみると、マカロン政権になって、金持ち優遇政策が鮮明になった。物価上昇(増税等)もあり、年金生活者と低所得層が打撃を受けている。中間層の所得もほとんど増えていない。環境対策からRenewable Energy導入のためのコストをねん出するために増税する政府措置へのノーである。マクロン大統領=EUが地球温暖化の対策として進める代替エネルギー政策の一環がこれだ。温暖化の根拠に疑義を呈しているトランプ大統領が早速ツイッターで揶揄したらしい。しかし、平和的なデモ行進が荒れている理由は何なのか?誰が後ろにいるのか?BBCはそこにも切り込んでいる。右派と左派の過激勢力や一部の犯罪者などが当初デモの動きに入り込んでいるようだとのコメントもあった。

日産のカルロス・ゴーンさん事件は、司法手続きに対する海外からの批判が出ている。「推定無罪」の原則からいかに本人が有罪に見えても、結果が出るまでは「無罪」として扱う、そんな意味だと理解しているのだが、日本にはそれがない、限りなく灰色でも法に守られるべきだ、というスタンス。しかし、日本の場合は、マスコミ報道とそれを許す日本社会が実質的に犯罪者扱いにしてしまう(かつての「田中角栄ロッキード裁判」がそうだった)。検察の取り調べ方法(弁護士不在)と拘束日数についても疑義が呈されている。主権国家日本がすべてを律するとは言え、どうなのだろう。いまだに「死刑」がある国日本と、死刑をすでに廃止した国が多い欧米諸国)。

それはさておき、切れ者でやり手のカルロス・ゴーンさんは本当に立派な企業経営者なのか。大前研一氏の記事が目に付いた。結論から言えば、倒産寸前の日産立て直しに関し、しがらみのある(日本の感覚からは切れない)関連業者切りで借金漬けから開放した点では見事であったが、それ以降の実績は疑問符が付けられている。コストカットはやったけれど、それでどうした、次のステップとして、日産の企業価値を高める手腕があって立て直したかという点ではまったくゼロ。日産をうまく使ってルノーがうまい汁をすっている、という現実(構図)のことを言っているのだ。日本のシェアーも当時の2位から5位に落ちた。販売台数にこだわる(中国とアメリカ)ためにの結局日産を食い物にしてしまったままで、2期目と3期目のこの10年の日産へのメリットは全くないと見ている。日本人の視点からすればやるせない気持ちになってしまう。グローバリゼーションの視点で発想するゴーンさんに徒」「っては、実績作りがメインであり、それに見合う褒賞をえること、日産はうまく利用されただけ、と見えなくもない。しかし、そこまでドライだからこそ、1兆円を超える負債をバッサリの業者切りが出来たということだろうが。

朝食は、コーヒーとこんがり焼いたトーストに目玉焼き。午前中は、Yちゃんのお母さんとお茶を飲みながら世間話し。餃子のお昼を御馳走になって家路につく。暗くなる前には帰らないと・・・・・。

日本列島は日本海側と北海道で雪。本格的な冬の到来。外の空気は冷たかった。土曜日からそうだった。上野駅で、体を温めようと讃岐うどんを食べる。それから、東京バナナの菓子(両親の好物)と新刊本「アメリカ」(小室直樹の弟子である橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の共著、河出新書)を購入して、特急に乗る。
1時間15分ほどで地元に到着。駅ビルの食品街で少々買い物(春菊2束で100円!カジキマグロの切り身、エビのマリネサラダなど)をして帰宅した。久しぶりの2泊3日の上京の旅は無事終了した。

夕食:セイゴの切り身のオリーブオイル焼きを作って白ワインを飲む。仕上げは、昨日食べ損ねたカレー。中村屋のレトルト・チキンカレー。食後のデザートはリンゴ。

お風呂で体を温めたあとは、2階で休憩。日記を付けた後、早速に「魚の博物辞典」を手にしてベッドにもぐりこむ。21時すぎ、眠くなり就寝。



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神田で追加で購入したイングリッド・バーグマンの自伝(200円)。私の学生時代に見た女優としての彼女は、「オリエント急行殺人事件だった」。「カサブランカ」は、両親の独身時代
の映画。
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2018年12月10日 (月)

大潮でのセイゴ釣りは、まずまずの結果!

12月7日(金曜日) 曇り後晴


昨夜は21時に就寝。23時前にトイレに起きる。そして、次のトイレが2時半、そして、次が4時半。3回のトイレ。このところ同じパターンだ。お茶の飲みすぎか。


6時前にまた目が覚めて朝の読書。The Global Cold Warはようやく第7章The prospects of socialism:Ethiopia and the Hornを読了。

いつものアカハラの地鳴きを今朝は聞くことが出来た。雨が降った昨日は聞こえなかった。か、アカハラが鳴かなかったか。

朝食:けんちん汁, 身欠きニシンと石窯パン少々にご飯、ミカン一個。

午前中、父が受け取る配当金の換金に郵便局へ。徒歩で15分。往復30分。2キロ弱。いい足の運動だ。換金した金額は私の車のガソリン代ということで預かった。

昼食: 五目飯を電子レンジで温めて両親と分けて食す。それに、ホットコーヒー。

週末の明日から月曜日までは上京する予定である。今週は今日が最後の釣り。しかも、大潮の初日。期待感を持って那珂川河口のマイスポットへ出かけた。現場に到着したのは13時前。3本の竿を出す。一本は60㍍前後。一本は50㍍前後。最後の一本は40㍍前後にした。すぐに、遠投竿にアタリが来たが20㌢未満のセイゴで即リリース。今日は期待できそうだ。ところが、釣れるのは木っ端セイゴばかり。釣ってはリリース、釣ってはリリースを続ける。針を飲まれて鰓を痛めたセイゴは20㌢未満だがキープすることに。


14時過ぎ、いつものハゼ釣り師が立ち寄る。一昨日は、ハゼ15尾釣ったという。すごい!疑似青イソメで!お見事としか言いようがない。しばらく釣り談義をしたが、不思議とこのハゼ釣り師がいるときはアタリが来ない。15時前、それじぁと、ハゼ釣り師が現場を去った直後(釣り師は車に乗ってエンジンを掛けたところ)、真ん中遠投竿の鈴が勢いよく鳴った。久々に力強い大物のアタリだ!ソレッ、フィッシュ・オン! リールを巻き始めると竿先を通じてグングンと獲物の感触。間違いなく30㌢以上のサイズ。鰓洗いをされないように急いで巻いたが、やっぱり、手前で激しい鰓洗いの試練。しかし、しっかりと口に14号の丸セイゴ針が掛かっていたので問題なく護岸に取り込むことが出来た。ホットとした。今日はこれで終了でもいいと思うくらいの解放感を味わう。目測35㌢前後。



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時合が来たぞ、とばかりに餌をつけて再投入する。すると、今度は、上流側の50㍍ポイントの竿の鈴がなった。2度、3度とリリン、リリン、リリン。木っ端セイゴのアタリとは音が違う。来たぞぉ、と合わせを入れてリールを巻くと、グングンと魚の抵抗を感じる。手前でやはり鰓洗い。針はしっかりと鰓の奥に引っかかっていた。ハリスは4号。まず切られることはない。目測30㌢前後のレギュラーサイズ。本日2尾目。15時を回った直後の5分間で2尾。



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さらなる期待感が膨らむ。あと30分~40分は出来る。餌のイソメもまだその分くらいはある。自転車で通りかかった散歩人が声を掛けてきた。地元の人ではなく、今秋に四国は高知から転勤でここにやってきたという。四方山話をしていると、本日のアタリ竿、真ん中の遠投竿(60㍍前後)に再びアタリ。30㌢前後のレギュラーサイズが来た。そして、再び、四方山話。四国にはカレイがいない(カレイは寒流系の魚)、グレ(メジナ)などの磯釣りが盛ん。とは言っても、こちらの釣り師の数にはびっくりされた様子。釣り人は少ないそうだ。同じ海に面する県だがこんな違いがあるとは。天下の清流・四万十川がある高知。那珂川は関東では知られた清流ですと説明した。陽が陰って来た。竿の片づけに入った。本日のアタリ竿を残して、下流側、上流側と片付ける。その間、小さいアタリがあった。木っ端セイゴだと思って放っておいて最後にリールを巻くと、グングンと抵抗する。本日4尾目も30㌢のセイゴ。これで納竿! 大漁である。高知の方と車を止めてある神社までいっしょに話をしながら歩いて、そこでお別れした。

釣果 セイゴ6尾(35㌢1尾、30㌢~31㌢3尾、18㌢2尾)



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16時半、久しぶりに高揚した気分で帰宅する。デイケアのYマネージャーが父の面倒を見終わったところだった。近々に関係者が集まって今後の父のケアーの方針について確認のミーティングを開きたいというので了解する。リハビリはデイケアーの3日だけ。家では訪問看護師は来ていただくが寝たきりだ。家でも週一回はリハビリを30分やってはどうかという提案だ。もちろん了承である。

夕食:豚肉のシャブシャブを生姜醤油で敢えて赤ワインを飲む。仕上げは、豚肉と納豆と春菊のお浸しにご飯少々。春菊の苦味が何とも言えず美味い。

バスタブに湯を張り体を温めて2階へ。The Global Cold Warを読み進めようとベッドにもぐりこんだが、すぐに眠くなる。半日の釣りはいい体の運動だ。以前のように帰るころにぐったりとした疲れることはなくなった。足も9分くらいまで回復したと思う。今日の釣りの場面を反芻しながらあっという間に眠りに落ちた。

2018年12月 7日 (金)

12月に蚊が出る!?  レモンはお皿の太陽だ・・・・

12月5日(水曜日) 雨後,曇り、そして晴

昨夜は、蚊がブーンと飛び回った。深夜過ぎのこと。日中の気温が20度を超え!夜も秋の夜長のころのあたたかさ。冬眠?していた蚊が目覚めたのだろうか。たまらずベープマットを取り出して点ける。そして、熟睡。

明け方、雨の音を聞いた。5時前に目が覚め、The Global Cold Warを読んで、7時過ぎ、外を見ると雨は止んでいた。

朝食は塩鮭、納豆、ご飯にホットミルクとお茶。父はデイケアーの日。食後の2階のベッドでThe Global Cold Warを読みふける。欧米の歴史書は精緻にして浩瀚だ。分量が膨大。後ろの参考文献(本文の根拠なる注)だけでも70ページ近い。集中力と体力がいる。とくに、バックグラウンドとなる知識が欠ける地域がテーマの部分は、読んでいて当該地域の政治的に分裂する党派が複雑でどっちが西側欧米派、どっちがソ連・キューバ派あるいは中国派なのかわからなくなってしまう。

この本を読みながら、少しずつだが、中近東(アフリカはまだまだ)の地政学と紛争の経緯と今日の状況が自分の頭の中で少しずつだが整理されてきた。

ところで、サウジアラビアの国王がトルコのサウジ大使館で起きたジャーナリスト殺害事件にまちがいなく絡んでいるようだが、トランプ大統領はアメリカの長年にわたる利害関係を考慮して批判を抑えている。彼らが得る莫大な石油収入から莫大な額にのぼるアメリカの武器を購入してくれるからだ。サウジアラビアとの関係は、フランクリン・ルーズベルト大統領の時代から始まっている。戦略物質としての石油を抑えたのはイギリス(イラク・イラン)とアメリカ(サウジアラビア)だった。

アメリカの中東政策の基軸はイスラエルとサウジアラビアだ。イランは英国の勢力範囲だったが、第2次大戦後にボロボロとなった国力もあり、1970年代にはアメリカにその影響力を譲ることになる。1950年代、イランのモサデク政権の転覆とパーレビー国王政権の樹立の経緯ほど、英国帝国主義の悪あがき(石油利権)と反植民地を謳いながらも、ナショナリストの当該政権を転覆する活動を行ったアメリカの罪は大きい。その結果がホメイニ革命だった。パーレビー王政は、いわゆる、買弁王朝だった。膨大な石油資源の利潤をイギリス・アメリカと分け合う形で妥協した政府だった。「社会正義」という観点でいえば、モサデクさんのほうにより「分」はあった。

老獪なイギリスも、10数年後のエジプトでは墓穴を掘った。軍人上がりの急進派であるナセル政権がスエズ運河の国有化宣言、イギリスの軍隊のエジプト退去とソ連寄りの姿勢を鮮明にすると、暗殺をもくろむが実現しなかった。イスラエルとフランスと図って軍隊を派遣し中東戦争を引き起こすが、ここに来て、旧帝国主義的行動にと一線を引くアメリカの一喝のもと退散せざるを得ない状況になる。面子丸つぶれ。アメリカにとっては、冷戦をソ連と闘う上で、旧植民地主義的は行動は断じて許せなかった。ナセルのエジプトは、一気にソ連に傾いていく。しかし、その後、イスラエルとの第3次中東戦争で惨敗を喫して勢いを失っていく。後任のサダトさんはイスラエルと和解しながらソ連から一定の距離をとるようになる。

権力という魔物の住む世界は、善悪を超えている。結果が全てだ。それぞれの国(政治・経済・文化)の統一体は、自己保存の本能に基づいて、自分に有利なように振舞うように運命づけられている。理屈ではないのだ。ニーチェのWille zur Macht(力への意志)だ。人間個人の一生もそうだろう。有機体という生命現象はそういうものなのだ。

ロシア革命とソ連の成立とは何なのか。革命の過程でそれまでいい目を見た人は没落し悲惨な目にあっただろう。一緒に革命を目指した人々も権力闘争で敗れ去った人も同じ運命をたどった。象徴がモスクワ裁判であり、トロツキーのメキシコでの暗殺、そして、ソルジェニーツインが描いた収容所列島。。しかし、権力闘争に勝った支配者と大多数の庶民は目の前にある現実を肯定し、前向きに必死になって生きたという事実がある。彼らにとって、革命直後の自国の新しい国造りに干渉した西欧諸国や日本は敵であった。政権発足の過程でそういう図式が出来てしまった。王朝殺しをして成立したソ連(共産主義)に対して大日本帝国が恐れをいただいたのは当然といえば当然であった。ヨーロッパの君主制の国もそうであっただろう。彼らの主張=社会正義が、日本という国の体を否定するものだったのだから。歴史の興亡とはこういうものだ。我々一個人は与えられた自分の居場所でもがく一つの影のようなものでしかないだろう。

とりとめのない物思いに耽っていると、母の声がかかった。新年に向けての大掃除ではないが、バスルームの掃除を手伝った。バスタブの清掃。洗剤を使って浴槽を磨いて汗を流した。たっぷり30分のそれなりの力仕事。左足でも大分踏ん張れるようになった。

お昼:スパゲッティ・ペペロンチーノとリンゴを食す。

午後は、ポカポカ陽気に誘われて日課の釣りに那珂川河口へ出かける。13時半前から16時半過ぎまでの3時間。今日は大潮前の中潮。満潮は14時。



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期待しての釣りだったが最初の2時間はまったく反応がない。途中でハゼ釣りをやってみるかと3本目の竿に6号の針(ハリスは1号)を投入した。その竿にアタリが来たのは陽が大分傾いた15時半前のこと。25㌢前後のセイゴが来た。ハゼではなかった。


<ちょっと痩せ気味のセイゴ>
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先々週まで釣れた良型のセイゴは60㍍前後のところで釣れたので今日は2本の竿とも遠投していた。釣れたのは30㍍から40㍍のところだった。失敗である。もっと早くから近場に仕掛けを入れていたら状況は変わったかも知れない。アタリが出始めたが、なかなか針掛かりしない。アタリの感じが小物臭い。ようやくもう一尾25㌢くらいのセイゴを釣って、納竿。餌はまだたっぷり残っているが、下流への流れが強く仕掛けが流されるようになった。涸沼川並みである。


<夕陽が美しい日の入り30分前>
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今日も、ハゼ釣り師の中年さんと言葉を交わした。一昨日は18尾のハゼを釣ったらしい。置き竿ではなく誘うと良いそうだ。サイズは小さかったらしいが。私とすれ違ったらしい。私は3尾だけだったと正直に話す。

16時半過ぎの帰宅。夕食の準備をと思って、餃子を焼き、昨日釣ったセイゴとハゼのグリルを作っているといつもより早い父の帰宅。

夕食は、餃子でrホワイト・エールを飲み、セイゴの塩焼き(レモン汁とオリーブ油風味)、小ハゼ2尾でご飯を食べる。セイゴを乗せたお皿にレモンの輪切り。昔見た「最後の晩餐」という映画のセリフを思い出した。

「レモンはお皿の太陽だ」


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夕食後は疲れもあり、柚子風呂に入り、2階のベッドに潜り込む。

「MI6対KGB 英露インテリジェンス抗争」をあちこち拾い読みする。元KGB諜報員によるイギリスのMI6との裏面史が叙述されているが、ソ連の視点で書かれているので大変面白い。イギリスの強さは、王室と封建制をいち早く廃棄して産業革命を経て近代国家・近代資本主義を実現したこと、これが表の顔で、裏の顔とはそれと歩調を合わせるように活躍した諜報活動だという。

イギリスの王室はヨーロッパの王室(ロシア、デンマーク、オランダ、ギリシャ等)と繋がっており、入手する情報がすごい。各王室の銀行口座はイギリスの銀行にあり、イギリスの世界的企業の株主としてずらりと名前を連ねている。大英帝国の利益のために、諜報・防諜機関が張り巡らされ、破壊工作活動、プロパガンダ(白、灰、黒の3種あり)によって敵を欺き自国を有利に導くあらゆる手練手管に熟練しているという。しかし、成功もするが、失敗の数々がこの本でも触れられている。アカデミックな著書ではないため歴史的事実に対するケアレス・ミステークも結構散見されるようだが、それ以上に、現役の諜報員による「証言」は、下手な小説をよむより断然面白い。

そして、監訳者の佐藤優氏が後書きで引いている言葉がズシリと来る:
宣伝(プロパガンダ)とは他人に影響を与えるように、物事を陳述することである。


What is propaganda? It is the presentation of a case in such a way that others may be influenced.



12月6日(木) 終日雨


5時過ぎの目覚め、外からは雨音が聞こえる。気温も一気に下がって寒い。「MI6対KGB英露インテリジェンス抗争」を読み続ける。

寒々とした陰気な師走の冬の天気で終日家に籠って無為な時間を過ごす。

朝食:身欠きニシン、納豆、ご飯、玉ねぎの味噌汁、ホットミルク
昼食:石窯パンのコロッケサンド、コーヒー
夕食:けんちん汁、石窯パン、コロッケとレタスサラダ、ご飯少々にミカン一個。

午後、13時からBS放送で映画「ヒンデンブルク」を見る。ドイツの飛行船で1937年にアメリカで着陸の際に衆目の前で大爆発・炎上の悲劇を起こした史実にもとづく映画。主演はジョージ・C・スコット。高校時代に「パットン将軍」を見た記憶がある俳優。他に、アン・バンクロフトが出演。「ヘレンケラー」に出ていたのを覚えているが、自分にとっては何といっても、メル・ブルックスの「サイレント・ムービー」というコメディーではないかと思う。1970年代の懐かしい映画だ。アン・バンクロフトは、メル・ブルックスの実際の妻にもなっている

ヒンデンブルク号の悲劇の原因は特定できていない。何らかの故障・技術的な原因と反ナチスによるテロという説があって、この映画はこのテロ説に基づいて作られている。ストリーはある程度分かっているが、ロバート・ワイズ監督の手腕はすばらしく、最後までずるずると引き込まれて観てしまった。ナチス心酔派もれいば、伝統的なドイツの良識派でありながら空軍の軍人としてナチス政権に加担する形で職務に取り組みながら、反ナチのテロに肩入れしてしまう主人公。乗客が下船してからの爆破予定が、遅着によって着陸寸前のところで爆発が起こってしまう。最後は当時のフィルムを織り交ぜながらのシーン。ドイツ人同士の反ナチ・ナチ派と中立派の確執、ユダヤ商人、詐欺師などが登場して離陸から着陸の悲劇までの人間模様が一種の緊迫感を伴って描かれている。ヒトラー風刺のピアノ演奏と振り付け入りの歌を披露するシーンがあるが、これは、映画「キャバレー」を思い出させる。
そして、最後に、トリビアなことだが、日本人が登場している。名前は、シムラ・ケンジ。(シムラ・ケンではなかった)。最初のほうの場面だが、空港の呼び出しで名前が放送される。飛行機の中では、賭けポーカーの面子の一人としても登場していた。

フランスでは、ガソリン税の値上げで大混乱している報道が続く。シャンゼリゼと凱旋門周辺も大変らしい。略奪、破壊。混乱の桁が違う。とうとう、税の導入は半年延期となったようだが、その半年間で事態は収束するのだろうか。日本では、新しい元号となる来年の秋に消費税が8㌫から10㌫に上がるのだが、国民のコンセンサスになっている!?ようで静かなものだ。イギリスはブレグジットの落としどころでの紛糾。相変わらずのアメリカとロシアのジャブの応酬、アメリカと中国の貿易戦争。新冷戦の始まり、というか、米・中・ロの新三国志の様相だ。

都営浅草線が始発からとまり大混乱、通勤に3時間もかかっているという。会社休めばいいのに。ソフトバンクの通信障害による大混乱。河野景子さん、貴乃花と離婚していた。知的で美人な姉さん女房に見限られてしまった貴乃花さん、どこしたの。スポーツの天才児(スポーツに限らない)、純粋培養でいわゆる社会的常識(気遣い、譲るところは譲ること)がない。子供がそのまあ大人になってしっまたようなタイプの人のようだ。人生のどこかで必ず思い知る壁に今頃挫折している感が強い。野球の清原も意味が違うが同じだ。

2018年12月 5日 (水)

6年ぶりの涸沼川・大洗駅裏

12月4日(火曜日) 曇り後、晴


6時前の目覚め、アカハラの地鳴きが聞こえてくる。The Global Cold Warを読み続ける。

朝食はホットミルク、石窯パン、アジの干物に納豆。

一段落して、2週間ぶりに地元のハローワークへ出かける。前回の応募はペケだったことを報告。歳が歳だし、ハローワークの一般公募情報以外に管理職経験者向けのデータがあるというので見せてもらう。ゆっくり考えます、ということで、今回はあっさり退散する。帰り道、K百貨店の食品売り場と銀行に立ち寄る。

お昼は、出来立ての天丼弁当。K百貨店で買って来たばかりのもの。鞘いんげん、エビ、カボチャ、レンコン、シロギス。これだけで十分だ。ご飯少な目においしいタレ。食後のデザートは粒あんいりの今川焼き。これも、K百貨店で買った。

一休みして、車で出かける。目的地は涸沼川。現場についてみると、釣り人は川の両岸にかなりの数が。ウィークデーにも関わらず。懐かしの桜の木の対面が空いていたので竿を2本出した。



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上流も下流も昨日見かけた同じ人が竿を出している。皆、私より年配の人たち。こうやって、黙々と時間つぶしをしながら余生を送っているのだろう。ひと際一段と高い声の主もいた。この大洗駅裏の涸沼川で釣り糸を垂れたことのある人で知らぬ人はいないであろう、名人である。いつも自転車でやってきて、人懐かしそうに声を掛けてくる。その声が尋常ではないくら通るのだ。夜釣りに行っても暗闇をとおして聞こえてくるから、あの人、今日もやってるなぁ、と。この場所で釣り糸を垂れた最後は2012年の夏だったと思う。6年ぶりだ。
ところで、肝心な釣りだが、1尾だけの貧果。25㌢ぎりぎりの、涸沼川で釣れるサイズにしてみれば木っ端セイゴである。13時過ぎから15時半までの2時間半、ポツン、ポツンとアタリは出ていたようだが、それほどでもないなぁ、という感じ。特定の場所は、ひっきりなしにアタリがあるようで3尾、4尾と、しかも、目測30㌢は十分あるなかなかのサイズのセイゴを仕留めていた。タモ持参の釣り人も多く、40㌢以上のフッコサイズも時折釣れるようだが、今日はお目にかからなかった。これなら、那珂川と変わらないなぁ、と思いを強くする。人がたくさん並んで「オマツリ」を気にしなくていいマイスポットにまた釣り場を戻そうと思いながら、家路につく。


夕食は、サバの味噌煮で白ワインを飲む。そして、銀座ナイルのチキンカレーを食す。2週間に一回のペース。レトルトだが、うまい。しかし、ムルギランチがなつかしくなった。近いうち、上京する機会があった一度足を向けてみよう。
火曜日の森繁喜劇は、「駅前医院」。すでに見たのでスキップする。

2階に上がり、日記をつけ、The Global Cold Warを読み続ける。エチオピアの章は長い。資源もなにもない南イエメンはマルクス・レーニン主義にもとづく国造りをする親ソの国。エジプトはサダト大統領のもとイスラエルと和解、ソ連から離れていく。サウジアラビアはもちろん歴史的に親米である。エチオピアと国境を接するソマリアはイスラム教徒の国。エチオピアはキリスト教国。エチオピア帝国は多民族国家であり、ソマリア人が多くする地域をだかえているが、ここは分離独立の傾向がある。


エチオピアの軍事クーデターでできた暫定政府は反王政の近代化政党としての模索を始めるが、右、中道、左の寄せ集め所帯。リーダーシップを取るのが貧しい家柄の出でありながら非情な行動を取って頭角を現した軍人の大佐。アメリカとソ連の両方から援助(主として武器)を得ていたエチオピアは徐々にソ連寄りに傾いていく。政権奪取とその後の社会主義国家の建設はソ連モデルである、という信条がそうさせたのか、無慈悲な政治力学は、イデオロギーとは無関係に、相手を出し抜く権謀術数にたけたエネルギッシュな行動派に軍配が上がるよう事を仕向けるのか、そのあたりはわからない。しかし、植民地主義からの解放・独立という流れのなか、ベトナムでの北の輝かしい勝利は、ソ連に有利に働いた。第三世界の指導者には、西洋諸国=植民地宗主国に対する疑念とソ連型社会主義(社会正義)に対する大きな期待があった。


ソ連は、アフリカの拠点として、南イエメンのほか、ソマリアにも海軍基地を置いたりしていたが、エチオピアの親ソ方針転換に合わせて軍事援助を増やしていく。対立関係にあるエチオピアとソマリアの両者にソ連が援助するというのはは矛盾していた。

2018年12月 4日 (火)

The Global Cold Warに没頭する。

12月2日(日) 晴
終日家でゴロゴロして過ごす。釣りはお休み。無為と言っても、釣具屋に出かけ、3.3㍍の小物用の竿の修理(竿先が折れていた)をする。

朝食:納豆、笹かまぼこ、ご飯、ミカン一個。
お昼:石窯パンにホワイト・トソーセージをはさんで食す。
夕食:フランクフルト・ソーセージを肴にエール・ビールを飲む。仕上げはマグロの切り落としとご飯にお新香。
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夜の読書:
「ノモンハン事件の虚像と実像」を手にして第3章まで読む。この本は、ノモンハン事件についてのこれまでの主だった研究成果(日本、ロシア、その他)を取り上げて概観している良書だ。その他、村上春樹が自身の小説(ねじまき鳥クロニクル)で扱っているのを始めて知った。司馬遼太郎氏は歴史小説として「坂の上の雲」の続編としての昭和の日本を書こうとして結局断念した。


事件というには日ソ双方でそれぞれ2万弱の死傷者を出した極地戦争であった。知れば知るほど、太平洋戦争で完璧なまでに日本を奈落の底に突き落とした日本の陸軍の堕落・無能ぶりには唖然とするほかない(後知恵とは言え。というのも当時は、泣く子も黙る帝国陸軍であった。不敗神話と、神がかり的な精神主義。辻正信の、負けたと思うほうが負け、という屁理屈がまかり通っていた)。


第7章で、小松原道太郎師団長が実はソ連のエージェントだったという説も紹介されている。武官でモスクワに駐在したときにハニートラップでソ連のエージェントになったという説を、アメリカのインディアナ大学の黒宮宏昭教授(ソ連政治史)が唱えているらしい。


日本の諜報能力の杜撰さもテーマとなっている。諜報と言えば、MI6,KGB、CIA(英米ソ)が抜きんでている。積読状態であった「MI6対KGB 英露インテリジェンス抗争秘史」を引っ張り出して拾い読みする。



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The Global Cold Warを読んでいても、あちこちで、KGB,GRU,CIAが出てくる。国際政治の表は政治家が仕切るのだろうが、その裏工作は諜報機関がからんでダーティな仕事をしている。暗殺、テロ、プロパガンダ、大衆動員、なんでも御座れ。日本の戦後史もCIAの秘密工作に彩られている。

12月3日(月) 曇り


6時過ぎの目覚め。

The Global Cold Warを読み続ける。1970年代のアフリカ。アフリカのアンゴラのポルトガルからの独立。南アフリカ。全体的には、1975年の北ベトナムのベトナム統一(南ベトナムを飲み込む)がソ連の第三世界への輝かしき介入のピークであり、かつての植民地が独立し国の近代化のモデルとして輝きを放った最後の段階だった。ブレジネフ政権になり、実は、ソ連国内の状況は停滞を始める。穀物は輸入に頼るようになったのもこのころだ。アメリカも、ベトナム撤退、ニクソンのウォーターゲート事件による現職大統領としては前例のない退任があった(職務期間を全うしなかった大統領は暗殺)。

この時期は私の高校・大学時代に重なる。まず、ドルショックがあった。そして、オイルショック(第3次中東戦争)、ベトナムの終戦と北による南の征服(1975年)。ロッキード事件と田中角栄逮捕(1976年、私はドイツにいた)。毛沢東死去(パリでこのニュースを聞いた)。そして、イラン革命(大学卒業の年)。

朝食:ホットミルク、納豆と石窯パンにミカン一個。
お昼:ミックスサンドイッチにコーヒー。
夕食:セイゴのバター焼き、ローストチキンとレタスサラダ、春菊のおひたし、赤かぶ漬けにご飯。

父はデイケアー。10時半、車でふらりと出かける。那珂川河口のいつものマイスポットで竿を出したが、アタリは一回だけ。針掛かりせず。13時過ぎ、大洗漁港に1年ぶりで足を運ぶ。マスコミでも取り上げられた評判の「かあちゃんの店」でお昼を食べようかと思ったがすでに終了していた。残念。

港内を散策すると、地元の釣り師がのんびりとコマセを撒きながらウキ釣りをしていた。いろいろ聞くと、まだ水温が高いから、アジやメジナが釣れるという。昨日は30㌢のメジナを逃したので針を大きくして今日も釣り糸を垂らしているという。やがて、もう一人の地元の釣り師が加わって釣りを始めた。そして、三人目の以前にも見かけた記憶がある釣り師。夕方、陽が落ちて港の照明灯が点くとメバルが釣れるという。昨日は、入れ食い、15尾釣ったと。15㌢~20㌢。3人に共通しているのは使用する餌は、生シラス。


ヒラメ釣りよりはやりやすい釣りだなぁ、と思いつつ、次のスポットへ。涸沼川だ。大洗駅裏といわれるセイゴスポットだ。もう5年以上竿を出していない忘れられた場所だが、那珂湊でセイゴが釣れているという話を小耳にはさんだ。行ってみると、平日の月曜日にも関わらずズラリと竿が並んでいた。一人の釣り師の魚籠を見ると大型のセイゴが数尾入っている。そして、目の前でこっちで一人が、あっちでもう一人がセイゴを仕留めた。アドレナリンが体を駆け巡った。時計は14時半。16時には家に戻ると言って家を出たので1時間ほど竿を出した。一本竿の勝負。しかし、ちょうど潮どまりのタイミングでアタリが止まっているようだ。明日、改めて出陣しようと現場を後にした。明日は雨の天気予報なのだが・・・・・。


外出中の午後に従兄が、今年収穫したコメを持ってきてくれた。キウイや里芋などの差し入れも。父のすぐ上の兄の長男。叔父は、3人兄弟で唯一、農業を営んだ。太平洋戦争中は招集されて最初は満州の牡丹江。毎日がご祝儀の生活と回想していたが、戦前の日本の農村の生活水準は低かった。中国大陸の豊かさは日本の比ではなかった証左である。満蒙開拓団を思い起こす。満州は、石油こそでなかったが、資源は豊かであり、広い土地と少ない人口が魅力であった。地政学的にも西洋を代表して東漸した帝国主義のロシアと清朝が衝突する処だったが、清朝は衰退期で一躍近代化した日本がロシア帝国(共産ロシア)と対峙する役割りを果たした。日清戦争から太平洋戦争の敗戦までの時期。叔父は、敗戦間際は転戦で南方のバカン島へ。残っていたらシベリアの収容所行だった。島ではネズミでもなんでも食べたという。戦略的に重要ではなく米軍が上陸しなかったので玉砕しなくて済んだ。

夜、23時でThe Global Cold Warを読み続ける。南アフリカの次はエチオピアである。ソマリア、エリトリア。私の頭のなかはグシャグシャだ。エチオピアは君主制の国家で、明治維新の日本をモデルに国つくりをしていた!!沢山の留学生が日本とどうように国つくりのために西洋に留学し、彼らが1970年代の国の改革に乗り出す。しかし、実権を握るのは貧しい家柄の軍人であり、政権運営を巡って、自ら「赤色テロル」と宣言して容赦のない反対派の弾圧をしていく。そこに、ロシアとアメリカが絡んでくる。中国も。5章から7章までをこの二日間で読了する。

2018年12月 2日 (日)

もう師走だ・・・

12月1日(土) 晴



夜中から明け方にかけて何度かトイレに起きた。それでも、その都度眠ることが出来た。睡眠障害は克服できそうだ。昼間に体を動かし、早朝と夜は読書に没頭する生活パターン。


今朝は母が寝坊した。6時過ぎからテレビの音が聞こえるはずが聞こえない。6時半過ぎにキッチンでゴトゴト、ガサガサ音がし始めたので様子を見に行く。いつもの元気な母が炊事を始めていた。ほっとする。7時半まで、2階のベッドで朝の読書はThe Global Cold Warを読み続ける。中国のソ連修正主義批判、中国の第三世界論とプロパガンダ攻勢。しかし、中国は文化大革命で混乱の中に沈んでいく。


長年疑問におもっていること:朝鮮戦争は結果として引き分けであった。ところが、ベトナムでの南北の戦いはなぜ北が勝利したのか。

1950年代の朝鮮戦争時は、アメリカ国内はもちろん、イギリスなどが国連軍を派遣したが、1960年代のベトナム戦争では、アメリカの孤軍奮闘となる。黒人の市民権運動と歩調を合わせるようにベトナム戦争に国民は批判的になっていく。イギリスはベトナム介入に協力しなかった。アメリカの撤退後の1975年、南ベトナムは北に飲み込まれてしまった。私が大学2年生のとき。その後、共産党独裁が始まり南ベトナムから大勢のボート難民が発生し、中国との小競り合いの戦争もあった。ベトナムは中国と対抗するために、冷戦終了後、アメリカと和解して、中国の改革開放路線をモデルに今や目覚ましい経済発展を遂げている。ところが、朝鮮半島は、ベトナムとはまったく違う運命をたどることになった。


終戦後は南朝鮮に比べて経済優位(日本が開発した)でスタートしたにも関わらず、その北朝鮮の優位性はすでに1970年代には完全に覆されてしまい、ジリ貧となっていく。1989年のソ連崩壊とともに東欧の政治体制は一変したにも拘わらず、東アジアでは、共産主義政権は崩壊しなかった。北朝鮮は方向を見失い(たかれる国=ソ連がなくなり)、生き残りの担保として核開発に突っ走る。国連から制裁を受けたまま出口なしとなり、世界の極貧国となってしまった。同じ共産党独裁国家なのこの違いは何だ。


朝鮮半島は、北朝鮮ばかりが問題なのではない。韓国も迷走を続けている。南ベトナム政権が崩壊したのに比べて、軍事独裁の南朝鮮の腐敗政権?は生き永らえ、日本と同様にアメリカの庇護のもと、奇跡的な経済復興を遂げ今やG20のメンバーである。しかし、ルトワック氏が指摘するとおり、国のアイデンティティが曖昧なままだ。国の独立を勝ち取ったわけではなく、日本の敗戦とともに転がり込んできた国家主権。しかし、その国家主権も当座は日本軍からアメリカ軍占領軍が主権を引き継いだのだった。国家主権を担うに足る政治勢力を模索しながら、アメリカは、結局日本の統治機構をそのまま使わざるを得なかった。そして、屈辱的なことに、朝鮮人は自治能力がないと見做され、国連の信託統治下に置かれるということになりかけた。冷戦の当初であり、ソ連が傀儡政権として北に金日成政権を作った。アメリカは対抗上、自国に亡命していたイ・スンマン(典型的な両班)を南朝鮮を代表する傀儡政権に据えたのだった。


気の毒なほど韓国という国の成立事情があまりにも惨めなのだ。それが韓国の国体である。実情はどうあれ、中華帝国の朝貢国としての記憶が、自足していた長い時代が彼らの精神のよりどころ(心が落ち着く)のようである。外部の観察者には、韓国は中国の天下の朝貢体制における自らの位置に戻りたがっているようにしか見えない。国の繁栄の機会を提供してくれたアメリカを袖にし続け、安全保障をアメリカに100%頼りながら、それに悖る行為ばかりをしている韓国。日本の1960年前後の安保闘争のころと同じだ。自分の存立の現実がわかっていない。わかりたくない。まるで駄々をこねる子供だ。これが韓国の危うさだ。


北朝鮮は、金一族と取り巻きの軍人たちが国民を食い物にして生き残りを図っているだけだ。核という使えない兵器で世界に脅しの手段で身をまもりながら。韓国のやっていることを見ると、どれだけ北朝鮮から挑発され実際に被害を受けても、何らその報復をする行動を取らず、ひたすら融和的に振る舞い続けるのは謎である。



ロシア、中国、そしてアメリカ(優等生の子分である日本)に囲まれた朝鮮半島は大国のパワーポリティックスに左右され続ける運命にあるかわいそうな運命を背負ったのが朝鮮半島の人たちなのだ。ヨーロッパのポーランドやウクライナと同じだ。東南アジアの地政学において本当に危険なのは朝鮮半島である。第一次世界大戦が、バルカン半島でのオーストリア皇太子の暗殺事件というローカルな出来事から1000万の戦死者を出す大惨事になった如く、朝鮮半島は東アジアの火薬庫的存在であり続けるだろう。

朝食(納豆、アラ汁、笹かまぼこ、ご飯、ミカン一個)。リハビリはお休み。今日は、何もしないでぼんやりすごそうかと思っていたが、やはり、じっとしていられない。父がデイケアーに出かけた後の10時半、車で出かける。天気はとてもいい。ポカポカ陽気。
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しかし、潮のせい(長潮)とやはり水温が下がり水がすんでいる昼日中の時間帯の魚の採餌活動は不活発だった。アタリはなく、エサもほとんどついたまま。予想どおりだった。その後、那珂湊漁港にも立ち寄ったが小さなハゼ2尾のみに終わる。



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早々に切り上げて、15時過ぎ帰宅した。お昼はサンドイッチと肉まんだけだったのでお腹がすいたため、鍋焼きうどん(インスタント)を食べる。


夕食:ホウボウの煮つけ、鶏のもも肉のロースト、白ワイン、ホウレンソウのお浸し、アラ汁とご飯少々。
ニュージーランドでは150頭近いクジラが浜辺に打ち上げられて死んだらしいが、再び30頭近いクジラが打ち上げられたらしい。どうしたことだろうか?シャチに追われた?地元の大洗海岸でも7,8年前、磯に大漁のイワシが打ち上げられたことがあった。嬉々として網をもちイワシすくいをした記憶がある。クジラとなると分けが違う。日本人ならクジラ肉を食べるが彼らは愛玩動物の一種と考えている。


2階に上がり日記をつける。よく考えたら、今日から12月。師走だ。ケガしたのは初夏の5月。いまだにリハビリを続ける日々。2018年は、有終の美を飾って退職をと思っていたが、有終の美どころではなかった。それでも、骨折で良かった。内臓器官の癌とか何かだったら・・・。そんなことを思いながら、ベッドに潜り込み、The Cold Global Warを読み続ける。

2018年12月 1日 (土)

11月も終わってしまう・・・ハゼ釣りは不調。

11月30日(金) 晴


昨夜は、読書で夜更かししてしまった。寝たのは深夜を過ぎていた。久しぶりのこと。それくらいルトワック氏の本に熱中してしまった。目覚めの読書は、The Global Cold War。キューバでベトナムがテーマとなる。冒頭は、中ソ敵対と文化大革命の1960年代。


朝食は、塩鮭、アラ汁、ポテトサラダとレタス、ご飯にミカン一個。食後は、週2回の生ごみ出し。キッチンで湯沸かしをしながらリハビリ(爪先立ちと屈伸)。
ルトワック氏の続き:


台頭する中国、特に、日本にとって試練となる尖閣諸島問題について。著者は、日本にとって大戦略に基づく積極的な動きは全く必要ないという。提言しているのは「封じ込め政策」(containment)。予想されるあらゆる中国の挑発に対して、即座に対抗手段を打てるようシミュレーションをして実際に行動できる環境を整備することだという。尖閣諸島を占拠されてから、国内で議論したり、アメリカに相談をする、というのは絶対に避けなければならない。アメリカの立場は、第3者の領土問題には中立である、ということ。ということは、中国が尖閣を占拠した場合は、排除すべく行動を取る!!!ということ。

何年か前にフランスがかつての植民地マリ共和国にフランス軍を派遣したことがあった。ルトワック氏によれば、危機が発生した場合に即座の行動が要求され、大統領の命令一つで(当時はオルランド大統領)即実行できること、これが大国の条件であるという。もし、ある日、尖閣諸島が中国海軍に占拠されたら?日本の首相の命令で何ができるのか?心もとない状況である。氏によれば、海上保安庁、自衛隊の特殊部隊、航空自衛隊、外務省にそれぞれ緊急事態に際して取れる行動があるという。事が起きた時点で、首相の電話一つで即対応できるような仕組みを事前に作っておくことが大事だという。

そういう意味で、ドイツもフランスのレベルで軍隊を動かすことは出来ないらしい。日本と同様敗戦国の悲哀だ。政治力は失ったままだ。経済力で勝負。戦勝国の組織=国際連盟の枠組みの中で。日本も同じなのだ。国際連盟と日本語に訳されているが、United Nationsとは第2次世界大戦の枢軸(ドイツ・イタリア・日本)に対する「連合国」のことである。「国際連盟」という訳語は不適切であるというか、本当の意味を指摘したのは小室直樹氏だ。

いずれにしてもドイツはEUの実質的支配者であり、ドイツ帝国の夢はついに実現されたと揶揄する人もいるが、結局、ドイツは政治力を放棄することで経済的にEUを制覇し平和的発展を遂げることが出来ているということだろう。Brexitの問題はイギリスの悪あがきだろう。移民問題が大きいというが、根はアメリカと同じで行き過ぎたグローバリゼーションへの反動だと思う。しかし、この流れは止められない。かならず、その反動がまたやってきてグローバリゼーションは進んでいくような気がする。西ヨーロッパ内部には地政学的なリスクはもはや存在しない。問題はその外部であるイスラム世界から押し寄せる移民と、ヨーロッパに見えながら半分アジア的と見なされるロシアという大国である。

中国という厄介な存在が今後どういう方向に政治転換していくのか。シカゴ大学のミアシャイママー教授が主張する「大国の悲劇」(中国にとっての周辺のアジアは、アメリカにとってのラテンアメリカだから、中国の現在の行動は必然であり誰も止めることはできないという)が実現してしまうのか。そうだとすれば、20世紀前半の悲劇が再現されてしまうのではないか。
11時、浅田歯科医院へ。最後の歯の治療。虫歯ではないだろうから、しばらくは、このままで様子を見ることにした。寒くなり冷たい水が奥歯に沁みるのは相変わらずだが、痛みはない。ただし、固いものは噛めない。仕方がないことだ。これまで通り、左の負担を庇うべく、右奥で噛むしかない。いずれ、右奥には過重負担による影響が出てくるであろうか。まあ、心配していても仕方のないこと。今あることは過去の積み重ね。前を向いて行こう・・・
お昼は、コーヒーと石窯パンと帰路購入したミネストローネスープと串カツ。


食後は、那珂湊に出かけた。セイゴ釣りはお休み。おさかな市場で5尾700円でホウボウを買った。それから港内散策、

<地元の水産高校の練習風景>

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それから、昨日の残った餌で14時過ぎから15時半までハゼ釣りをした。

<漁船の間を狙う。遠投したり船の影を狙ったり、いろいろやったけれど・・・>

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結果は3尾。ここでは、3尾しか釣れない。1尾は18.5㌢の天ぷらサイズだった。
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残り2尾は13㌢。毎回同じ釣果。



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16時半過ぎに帰宅し夕食の準備をする。セイゴのバター焼き(ムニエル)を作り、父の帰りを待つ。夕食は白ワインを飲みながらムニエルを堪能する。仕上げは、串カツ、セイゴのアラ汁とポテトサラダにご飯。


夜の読書:

2階の部屋の炬燵にもぐりこみ、ゴソゴソと本をかき分けて取り出したのは、阿部勤也氏の「ハーメルンの笛吹き男~伝説とその世界~」。



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学生時代に!購入してそのまま読まずに田舎に眠っていた本。ハーメルンが伝説の発祥の地である。読んでいると懐かしい地名が出てくる。ヴーザー川、ミンデン、リューネブルク、ハノーファー、ツェレ、などなど。1976年のドイツ研修ではハノーバーに2か月滞在してインターンシップを経験した。ハノーバー工科大学(当時)の国際センターで沢山の友人が出来た。その友人のギリシャ人のホームステイ先がハーメルンだった。週末に遊びに行って、町の庁舎の広場でRattenfaenger(ネズミ捕りの笛吹き男)の寸劇を見た記憶がある。ミンデンは、誰の伝手だろうか、ビートルズのリンゴ・スターにそっくりの若者と仲良くなり、一泊お世話になった。ヴェーザー川のほとりを散策し、夜は飲みに出かけ、彼のレコードの収集(ドイツのフォークシンガーのデーゲンハルト)を聞かせてもらったり。もの思いに耽りながら、パラパラと読む。


寝床に入り、今度はゲーテのファウストの第2部。高橋義孝氏訳の新潮文庫。ゲーテの本は長らく迂回してきた。読んでいてつまらない。退屈させるような本ではないか、と思っていた(今もそう)。戦前、と言ってももう73年以上前の話だが、ドイツ語とドイツ教養主義は日本の高等教育のモデルだった。ゲーテも読まれていたが、ナチス・ドイツの敗北とそれによりもたらされた惨禍はドイツの地位を貶めた。ドイツの伝統は否定され、ドイツでもゲーテは読まれなくなったという。とは、云いながら、オール・オア・ナシング式に捨てられるゲーテではないとも思っている。ドイツ人の思考におけるゲーテとニーチェの影響はずば抜けて高い。ゲーテは作家専業ではなく、何よりも政治家(と言っても人口数万のワイマール公国の大臣)であり、そのベースがオールラウンドな教養人だった。100年遅れて出てきた19世紀のニーチェとなると、かなり怪しいい。バランスを欠いた半狂人の詩人哲学者だが、キリスト教社会に対する批判=近代社会の出現と脱宗教家・世俗化・大衆化に対する批判者という点でゲーテと共通する部分が多々ある。


20世紀前半の書物で一番刺激的な本は、自分にとってはシュペングラーの「西洋の没落」になる。この本を読破するのは大変だ。日本語訳を持っているがなかなか読み通せない。英語版の縮刷版を何とか読んだが、眩暈がするほどの壮大な人類の興亡に対する叙事詩的は哲学書である。そのシュペングラーが師と仰ぎ、思索するインスピレーションを得ているのがゲーテでありニーチェなのだ。


意気込んでファウスト第二部を70ページほど読むも、結局は睡眠薬の役割りに終わってしまった。時計は23時前だった。

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