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2018年12月14日 (金)

本格的な冬の寒さで昼間のセイゴ釣りは厳しいか?

12月12日(水)雨、後曇り

6時過ぎの目覚めだが外は真っ暗。朝から雨模様。そして寒い。陰鬱な天気。読書灯をつけてThe Global Cold Warを読む。

7時過ぎ、キッチンに降りて朝食(納豆とご飯)。

午前中は、ハローワークへでかける。職業相談と手当支給の手続きだ。

お昼:石窯パンとコロッケ。

午後はベッドの中でThe Global Cold Watを読みふける。イラン革命とアフガニスタンの情勢。時代は1970年代中盤から後半。ニクソン政権が倒れ民主党のカーター政権。ソ連はブレジネフ政権。キッシンジャーが敷いたデタントの時代。イラン革命は1978年の12月。私が大学を卒業するころだ。友人宅(確か、江古田だった)のテレビでぎっしりと広場に埋め尽くした民衆の映像を記憶している。それから11年後、同じような光景がルーマニアであった。イランのパーレビ国王はアメリカに亡命したが、ルーマニアのチャウシェスクは銃殺になった。1960年初頭のキューバ革命以後、ソ連の社会主義陣営の攻勢が続き、ベトナム戦争での北ベトナム・共産党政権の成立(1975年)がソ連にとってのピークだった。イラン革命は、アメリカ支援の腐敗王朝でもなく、ソ連支援の世俗的な政権でもなく、ホメイニさんというイスラム復古主義者による革命だった。どちらの超大国にも組しないあたらしい潮流の始まり。アフガニスタンは、ソ連寄りの共産主義者を含む左翼政権が内輪もめと分裂を繰り返す中でソ連がテコ入れするために(アフガン側からの度重なる要請のもと)介入(数週間の予定)が、結局ソ連にとってのベトナム戦争となってしまった。1970年代後半から、ソ連の計画経済は停滞を始め、穀物の輸入国に転落してしまった。じわじわと西側(アメリカを中心とする資本主義国)と経済における優位性を失っていく。

夕食:イワシの丸干し、オーストラリア牛のステーキ、白&赤ワイン、ご飯少々、石窯パン、けんちん汁とリンゴ。

夜、Yちゃんのママとクリスマスの会食の相談。シャブシャブを一緒に食べて、買い物して、カラオケに行くことに。瀬里奈のしゃぶしゃぶを予約する。

12月13日(木) 晴、のち曇り

6時過ぎの目覚め。久しぶりに夢を見る。最初の職場I君と直近の職場のK氏がだぶる。大学のイベントなのだが、詰めがあまくイベントの趣旨がずれた参加者のパフォーマンスが続き、会場はざわざわ、スキャンダルになってしまう。自分のコントロールが効かず大失態となる。ああー、どうしよう、というところで目が覚めたのだ。膀胱が一杯。

6時過ぎ、アカハラの声を聞く。The Global Cold Warを読み続ける。

アフガニスタンという国からの連想:

① アフガニスタンとの縁は1979年、最初の入社した会社で、第三世界の初等教育に関するシンポジウムに関わる仕事だった。広島大学の教育学の大家がオーガナイザー。複数の関係者を海外から呼び寄せたのだが、その時の一人はアフガニスタンからだった。テレックスを使った電報を送った記憶と、来日したあとの現場のアテンドでアフガニスタン人を始めて目に
したのだった。

② 梅棹忠夫氏の「モゴール族探検記」(岩波新書)を随分昔だが読んだ記憶。本ももっている。チンギスハーンのモンゴル大帝国で移り住んだモンゴル人の末裔をアフガニスタンで訪ね調査する話だ。モゴール語という言語が代々伝えられているが、死語になりつつある。1950年代の話だ。モゴールは、ムガール帝国のムガールと同じ意味。モンゴルを意味する。

③ アフガニスタンに行ったことはない。中央アジアと中近東のイスラム圏は、カザフスタンのアルマータとクエートにドバイだけだ。2003年と2004年のこと。9.11同時多発テロを契機にアメリカがイラク戦争、アフガン戦争を仕掛けたことがきっかけで、日本も協力することになった。それに関わる現場の仕事(ロジスティック)でウクライナで作られたアントーノフという超大型輸送機で自衛隊の人に同行したのだった。すごい輸送機だった。なにせ、機関車だって運べるらしい。日本の自衛隊は、海外で戦うことを想定していないから、人員と物資を輸送する手段がないのだ。イラン・イラク戦争で三井物産関係者を助けるために日本航空を使う話があったそうだが、普通の国なら軍事輸送機が使われたはずだ。日本はすったもんだして、結局トルコが助け舟を出してくれてトルコ航空機で日本の民間人は助けられたという。札幌の千歳空港からアントーノフに乗り込み、韓国のインチョン空港で給油、そのままアルマータへ。飛行機の中で読んだ本が、「アフガニスタン 戦乱の現代史」
(岩波新書)だった。

Afuganisutan

朝食は、納豆、塩鮭、ご飯少々、けんちん汁とリンゴ。日記を書いて、少々買い物をする。遠投用の釣り竿の一本の修理をする。この釣り竿は、購入したものではなく、那珂湊漁港でハゼ釣りをしていた2008年冬に釣り上げた竿!!!である。爾来、この10年間大変お世話になっている竿。大切にしたい。

お昼:スパゲティーナポリタンとコーヒー。

食後は、日課の釣り。釣れる気がしないセイゴ釣りだ。那珂川の潮は全然動かない小潮。ならばと涸沼川の下流域へ。昨年年末には20尾近く釣ったマイスポットだ。

Hiunumagawa


結果はボウズ。那珂川はアタリが2回(針掛かりせず)あったが、まったく魚の反応がなく15時45分納竿。時間的には潮が上げ始める頃合いであと1時間がまんすれば釣れたかも知れないが寒さと気力がついていかない。釣れなくても、自然観察と護岸での歩行訓練で時間つぶしは出来た。川の対面の護岸にはアオサギが。水面には、オオバンが。時折、ボラが水面からジャンプするシーンが。後ろの草地の縁を歩いたらキジの雌が足元からいきなり飛び出して枯れ草地の中に姿を隠す場面にも遭遇。

16時半過ぎ帰宅。夕食の準備をする。

夕食:カジキマグロ&セイゴの蒸し煮でワインを飲みながら石窯パンを食べる。仕上げはイワシの丸干しとご飯。いずれの魚も残り物だが、うまい!

熱い湯舟につかり2階のベッドに潜り込んだのが20時前。猛烈な眠気が襲ってきて20時半前には眠りに落ちた。

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