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2018年12月 4日 (火)

The Global Cold Warに没頭する。

12月2日(日) 晴
終日家でゴロゴロして過ごす。釣りはお休み。無為と言っても、釣具屋に出かけ、3.3㍍の小物用の竿の修理(竿先が折れていた)をする。

朝食:納豆、笹かまぼこ、ご飯、ミカン一個。
お昼:石窯パンにホワイト・トソーセージをはさんで食す。
夕食:フランクフルト・ソーセージを肴にエール・ビールを飲む。仕上げはマグロの切り落としとご飯にお新香。
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夜の読書:
「ノモンハン事件の虚像と実像」を手にして第3章まで読む。この本は、ノモンハン事件についてのこれまでの主だった研究成果(日本、ロシア、その他)を取り上げて概観している良書だ。その他、村上春樹が自身の小説(ねじまき鳥クロニクル)で扱っているのを始めて知った。司馬遼太郎氏は歴史小説として「坂の上の雲」の続編としての昭和の日本を書こうとして結局断念した。


事件というには日ソ双方でそれぞれ2万弱の死傷者を出した極地戦争であった。知れば知るほど、太平洋戦争で完璧なまでに日本を奈落の底に突き落とした日本の陸軍の堕落・無能ぶりには唖然とするほかない(後知恵とは言え。というのも当時は、泣く子も黙る帝国陸軍であった。不敗神話と、神がかり的な精神主義。辻正信の、負けたと思うほうが負け、という屁理屈がまかり通っていた)。


第7章で、小松原道太郎師団長が実はソ連のエージェントだったという説も紹介されている。武官でモスクワに駐在したときにハニートラップでソ連のエージェントになったという説を、アメリカのインディアナ大学の黒宮宏昭教授(ソ連政治史)が唱えているらしい。


日本の諜報能力の杜撰さもテーマとなっている。諜報と言えば、MI6,KGB、CIA(英米ソ)が抜きんでている。積読状態であった「MI6対KGB 英露インテリジェンス抗争秘史」を引っ張り出して拾い読みする。



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The Global Cold Warを読んでいても、あちこちで、KGB,GRU,CIAが出てくる。国際政治の表は政治家が仕切るのだろうが、その裏工作は諜報機関がからんでダーティな仕事をしている。暗殺、テロ、プロパガンダ、大衆動員、なんでも御座れ。日本の戦後史もCIAの秘密工作に彩られている。

12月3日(月) 曇り


6時過ぎの目覚め。

The Global Cold Warを読み続ける。1970年代のアフリカ。アフリカのアンゴラのポルトガルからの独立。南アフリカ。全体的には、1975年の北ベトナムのベトナム統一(南ベトナムを飲み込む)がソ連の第三世界への輝かしき介入のピークであり、かつての植民地が独立し国の近代化のモデルとして輝きを放った最後の段階だった。ブレジネフ政権になり、実は、ソ連国内の状況は停滞を始める。穀物は輸入に頼るようになったのもこのころだ。アメリカも、ベトナム撤退、ニクソンのウォーターゲート事件による現職大統領としては前例のない退任があった(職務期間を全うしなかった大統領は暗殺)。

この時期は私の高校・大学時代に重なる。まず、ドルショックがあった。そして、オイルショック(第3次中東戦争)、ベトナムの終戦と北による南の征服(1975年)。ロッキード事件と田中角栄逮捕(1976年、私はドイツにいた)。毛沢東死去(パリでこのニュースを聞いた)。そして、イラン革命(大学卒業の年)。

朝食:ホットミルク、納豆と石窯パンにミカン一個。
お昼:ミックスサンドイッチにコーヒー。
夕食:セイゴのバター焼き、ローストチキンとレタスサラダ、春菊のおひたし、赤かぶ漬けにご飯。

父はデイケアー。10時半、車でふらりと出かける。那珂川河口のいつものマイスポットで竿を出したが、アタリは一回だけ。針掛かりせず。13時過ぎ、大洗漁港に1年ぶりで足を運ぶ。マスコミでも取り上げられた評判の「かあちゃんの店」でお昼を食べようかと思ったがすでに終了していた。残念。

港内を散策すると、地元の釣り師がのんびりとコマセを撒きながらウキ釣りをしていた。いろいろ聞くと、まだ水温が高いから、アジやメジナが釣れるという。昨日は30㌢のメジナを逃したので針を大きくして今日も釣り糸を垂らしているという。やがて、もう一人の地元の釣り師が加わって釣りを始めた。そして、三人目の以前にも見かけた記憶がある釣り師。夕方、陽が落ちて港の照明灯が点くとメバルが釣れるという。昨日は、入れ食い、15尾釣ったと。15㌢~20㌢。3人に共通しているのは使用する餌は、生シラス。


ヒラメ釣りよりはやりやすい釣りだなぁ、と思いつつ、次のスポットへ。涸沼川だ。大洗駅裏といわれるセイゴスポットだ。もう5年以上竿を出していない忘れられた場所だが、那珂湊でセイゴが釣れているという話を小耳にはさんだ。行ってみると、平日の月曜日にも関わらずズラリと竿が並んでいた。一人の釣り師の魚籠を見ると大型のセイゴが数尾入っている。そして、目の前でこっちで一人が、あっちでもう一人がセイゴを仕留めた。アドレナリンが体を駆け巡った。時計は14時半。16時には家に戻ると言って家を出たので1時間ほど竿を出した。一本竿の勝負。しかし、ちょうど潮どまりのタイミングでアタリが止まっているようだ。明日、改めて出陣しようと現場を後にした。明日は雨の天気予報なのだが・・・・・。


外出中の午後に従兄が、今年収穫したコメを持ってきてくれた。キウイや里芋などの差し入れも。父のすぐ上の兄の長男。叔父は、3人兄弟で唯一、農業を営んだ。太平洋戦争中は招集されて最初は満州の牡丹江。毎日がご祝儀の生活と回想していたが、戦前の日本の農村の生活水準は低かった。中国大陸の豊かさは日本の比ではなかった証左である。満蒙開拓団を思い起こす。満州は、石油こそでなかったが、資源は豊かであり、広い土地と少ない人口が魅力であった。地政学的にも西洋を代表して東漸した帝国主義のロシアと清朝が衝突する処だったが、清朝は衰退期で一躍近代化した日本がロシア帝国(共産ロシア)と対峙する役割りを果たした。日清戦争から太平洋戦争の敗戦までの時期。叔父は、敗戦間際は転戦で南方のバカン島へ。残っていたらシベリアの収容所行だった。島ではネズミでもなんでも食べたという。戦略的に重要ではなく米軍が上陸しなかったので玉砕しなくて済んだ。

夜、23時でThe Global Cold Warを読み続ける。南アフリカの次はエチオピアである。ソマリア、エリトリア。私の頭のなかはグシャグシャだ。エチオピアは君主制の国家で、明治維新の日本をモデルに国つくりをしていた!!沢山の留学生が日本とどうように国つくりのために西洋に留学し、彼らが1970年代の国の改革に乗り出す。しかし、実権を握るのは貧しい家柄の軍人であり、政権運営を巡って、自ら「赤色テロル」と宣言して容赦のない反対派の弾圧をしていく。そこに、ロシアとアメリカが絡んでくる。中国も。5章から7章までをこの二日間で読了する。

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