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2019年1月12日 (土)

ポテトサラダ第三弾、映画「ジャッカルの日」、フェイクニュース

1月10日(木) 曇り


5時半の目ざめ。Kim Philbyの最後の章とジョン・ル・カレのあとがきをぱらぱらと読む。アカハラの地鳴き。時計は6時22分。しばらくして、シジュウカラの囀りが昨日に続き聞こえてくる。二日連続のうれしい囀り。寒さは厳しいがもう春の予感を感じさせる。ウグイスが鳴き始めるのは例年3月上旬だ。

朝食:塩鮭半分と納豆にお雑煮用のお汁。

昼食:小豆とお餅、コーヒー。

午後、ポテトサラダの第三弾を作る。味付けも改善。好評に答えて再び1時間半ほどかかったが料理した。小ぶりのジャガイモ6個、玉ねぎ半個微塵切り、キュウリ、ハム、パセリ、人参にマカロニ100グラム。それぞれ手際よく用意して酢と砂糖とマヨネーズとオリーブオイルを使って和えるだけ。

作りながら、BSで「ジャッカルの日」を見る。フレデリック・フォーサイスの映画化。三分の一くらいからじっくりと最後まで見る。1973年製作だ。いつ見たのかは記憶に定かでないが、最後の場面で暗殺者の打った弾がフランス式挨拶(キス)をするために頭を前に動かした空間を通て路面に着地するシーンは焼き付いたまま残っていた。セリフが少ないもののロケーションの風物も楽しませてくれるし、サスペンス感十分のいい映画であった。


「カルロス」という実在のテロリスト(ヴェネズエラ生まれ)が1970年代から1980年代に暗躍した(レーニンの崇拝者でモスクワで訓練を受け、KGB、PFLP、リビアなどのために仕事を請け負い、日本赤軍とも接点あった)彼は、遺品の中にフォーサイスの「ジャッカルの日」の本を持っており「ジャッカル」と呼ばれるようになったらしい。従って、映画のジャッカルとは違う。ちなみに、映画のジャッカルはイギリス人らしい。

夕食:自作のポテトサラダ、サラミ、鶏レバーの赤ワイン煮などで赤ワインを飲む。仕上げは、今朝の塩鮭の残りとご飯、それにリンゴのデザート。
早めに2階に上がり、ネットサーフィンする。久しぶりに、以前、ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」を読んだときに秀逸な「闇の奥」論を展開して注目していたカナダ在住の日本人(エドモントン大学の理科系の教授)のブログサイトを久しぶりに覗く。


https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru



最近この方は40年住んだカナダを引き払って日本に戻られたようだ。老人ホームに入って、なおかつ活発な精神活動をされているようで感服する。立場的には反米のリベラルな方だ。アフリカのエリトリアの国連制裁が昨年解除になったが、オバマ政権時代に始まったこの制裁のでたらめ振りを徹底批判している。最近、流行語となっているフェイクニュースについての考察の例だ。国連制裁を正当化するためのロジックがフェイクニュースなのだいう。つまり、単なる事実の偽り報道ではなく、ある目的をもって世論を誘導する意図のもとに実際とはことなるニュースのこと。アムネスティーとか人権擁護のNGOなどは、いわばそれに奉仕する駒になりさがってしまっている、とまで批判している。ユーチューブで、制裁が始まった直後にアルジャジーラで南アフリカの白人女性ジャーナリストがエリトリアの独裁的な黒人大統領に初めからエリトリアが「クロ」(有罪)であるという前提で「大変失礼な」インタビューをしている、と指摘。しかも、事実としてエリトリアは「シロ」(無罪)だったから制裁解除になったわけではなく、地政学(ロシアや中国)との角逐から方針転換したからであって、不合理な制裁に対する謝罪があるわけでもないという大国アメリカの身勝手さ(その意味ではロシアも中国も同じだろうが)への忌憚のない批判がなされている。

一方で、最近の女性への性的関係を迫る(あるいは、ドメスティック・バイオレンス)を告発するMeToo運動には疑問符を呈している。行きすぎだと。その例として、イワン・ブルマ氏(オランダ人ジャーナリスト、日本留学経験あり)がニューヨーク・ブック・レビューの編集長が、カナダで告訴はされたが無罪判決を勝ち取ったものの、女性パワハラ問題で仕事を失ったテレビ・パーソナリティのエッセイを記事を自分の判断で雑誌に掲載し、批判を浴び、1年足らずで解任されたことにふれてコメントをしている。


女優カトリーヌ・ドヌーブらフランスの女優らがこの動きを批判(過度のピューリタニズム、女性はもともと男性からアプローチされる存在であるからいいかげんにしろ、という意味)
したら、たちまち、再批判がなされ謝罪した、ということを自分もBBCニュースで読んだ記憶がある。「文明の衝突」や遺作「分断されるアメリカ」を著したハーバード大学のハンチントン教授もこれらの著作によってアカデミー界では「人種差別主義者」のレッテルを張られそうになり弟子たちが必死にそれを否定するコメントを出さざるを得なかったらしい。移民の国アメリカ故に、人種的・文化的なバックグラウンドを表明することは否定されるらしい。


「人類には文化を超えた普遍的な性質がある」という信念で、アメリカ=自由と民主主義=アメリカン・ウェイ・オブ・ライフがそれであると固く信じて疑わない強固なイデオロギーである。ジェンダーの問題もそれに関連している。自由=リベラルということが絶対命題的に言論界を覆っている(日本もそうだが)。ナショナリズムを鼓舞する象徴として見られることが多い安倍首相がニューヨークタイムズなどで批判されるのも同じことである。トランプ大統領が当選した背景には、このいわゆるポリティカル・コレクトネスにウンザリした白人層が
意識的・無意識的に呼応している結果ではないか、という穿った見方もあるらしい。

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