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2019年1月31日 (木)

鱸魚清蒸を作る

1月30日(水) 晴

朝の読書:チャーチルの回顧録。真珠湾攻撃当日のチャーチル。米英との戦争は、真珠湾攻撃に始まったと理解していた。が、グリニッチタイムでの順番によると、


12月7日:(日本は12月8日)

16時55分:英領マラヤ
18時30分:真珠湾
21時00分:フィリピン
23時30分:香港



となる。日本は英米一体と見做し、最初に攻撃したのは実はイギリスだった。アメリカの場合、外務省の大失態で宣戦布告が攻撃の直前になされず日本の汚名を永久に残すことになったが、イギリスに対しても同じであろう。チャーチルは言及していないが。ちなみに、日露戦争においても、日本は宣戦布告なしでロシアを攻撃はしているがロシアからだまし討ちと言われたことはない。

朝食: 納豆、ベーコンエッグ、ご飯少々、スープ・ア・ラ・ペイザンヌ。バナナを半分。

父がデイケアーに出かけた後、2階で日記を書く。それから、階段のモップ掛け。そして、買い物に。スーパーで食材のほか、ダイソーでファイルを買う。2階の本の整理のほか、集めた資料を整理するためのファイリングをしようと思い立ったので。

昼食:焼きそば少々と石窯パンのゴーダチーズとパストラミサンドに、ダージリン・ティー。
食後、スープ・ア・ラ・ペイザンヌ(農夫のスープ)を再び作る。使用した野菜:大根、セロリ、人参、葱、玉ねぎ、ジャガイモ、キャベツ、パセリ。下ごしらえから調理で1時間で完成。

Photo_2

散歩に出かける。1時間半ほど千波公園周辺を歩く。


途中、イチゴ・バニラのソフトクリームを食べる。このあたり一帯は、少年時代は田んぼだった。昨日の宅地化ではないが、田んぼもいつの間にか埋め立てられて緑地化整備されてきれいにはなっている。旧6号国道の片側の小川で子供の日(小学生のころだろうか)に緋鯉を釣って大喜びしたことを思い出した。帰宅して、15時のダージリン・ティーを飲む。


BS1で「ヒトラー」を見る。昨年4月に放送された番組の再放送。ヒトラーは、薬漬けだったという話。名もなき浮浪者(ヒトラーはまともな定職についたことがついぞなかった)が、10数年で一気にドイツの首相に上り詰め、1933年には独裁者となった。演説がうまく独特のオーラを放ち(カリスマ)周囲の人を虜にしてしまう特殊な能力をもっていた。アブベルト・シュペールの回想録でも、初めて学生に連れられてヒトラーの演説を聞きに行き魅了されたことを正直に告白している。そして、何となく、それも、あっという間に党員登録をする。そのヒトラーだが、まとも高等教育は受けていないから、教育ある人々からは軽くあしらわれていた。劣等感はあっただろう。飛ぶ鳥をおとす勢いに乗ったヒトラーは、自分がキリストとは言わないが、ドイツの救世主であると思い込んでいく。ラインラント進駐、チェコのズテーテン地方(ドイツ人が多い)の併合(いわゆる、ミュンヘン危機)、オーストラリアの併合。ケインズを知らずして公共投資拡大(アウトーバーン建設等)と軍事拡大路線で大不況を一気に克服、国民はヒトラーを賛美した。躓きの石は、ポーランド分割。西側の宣戦布告。緒戦は戦車を中心とした機甲部隊による電撃作戦でフランスを鎧袖一触した。このあたりまでは本当にすごかった。日本陸軍も幻惑されて軍事同盟を結び、英米との対立を決定づけてしまった。


独裁者は孤独である。そのストレスたるや、凡人の想像を絶するであろう。ヒトラーの主治医のカルテによるとヒトラーは早くから薬物の力を借りて自己をハイな状態にして演説したり人と会談したりしていたという。敗色濃厚となった晩年は皮膚が黄ばみ人と会うこともまれになった。右だか左だかの腕の静脈は注射針の跡でズタズタになっていたに違いない。


夕食に、セイゴの清蒸を作ってみる。Youtubeでもかなり作り方がアップされているが、今回はフレンチのボンファムをイメージして、蒸し器は使わず、フライパンで作る。36㌢のセイゴは大きいので頭と尻尾の部分は切り落とした。紹興酒半カップ、お湯1カップ、醤油大匙1、砂糖大匙1、葱と生姜を腹の中と身の上に乗せて、今回は、シメジも載せた。フライパンで7分~8分蒸し煮した。魚を取り出して、残った汁を煮詰める。醤油を加えるなり砂糖を加えるなりして味を調整し、ピーナッツ油を加える。お皿にもったセイゴの上に千切りにした白ネギと香草(今回はコリアンダー)を散らしてピーナツ油の香りがたつタレを掛けて完成。かなり自己流だ。


Photo

夕食:「鱸魚清蒸」を肴にダージリン・ティーを飲む。ロンドンのソーホーにある中華レストラン「利口福」(リーホーフック)で昔食べた鱸の清蒸を思い出す。タレが少しまだ違うがかなりそれに近い味で満足の行く一品となった。仕上げは、農民風スープとご飯少々。デザートにリンゴ。


熱い湯舟に浸かってから2階にあがり夜遅くまで資料の整理をする。



アーサー・ケストラーが1961年に出版した「蓮とロボット」というエッセイの書評のプリントが出てきた。ニューヨーク大学の哲学が専門のSydney Hookという人の評。インドと日本旅行をしたケストラーが東洋文明理解を通して結局は、西洋文明を再評価して軍配を上げている本。 つまり、インド哲学、ヒンドゥーイムズ、当時流行した禅仏教、非西洋の日本のモダニティーに対する辛口のコメント。


そして、フランスの作家ジュリアン・グラックのエルンスト・ユンガーとの衝撃的な出会いの回想。第2次世界大戦でナチス・ドイツの占領下にあったフランス。12月のある陰気な日、地方の駅でいつ来るかもわからない列車を待ちながら、キオスクで購入したユンガーの「大理石の断崖の上で」の仏語訳をベンチに座って読み始めた。読み始めた途端、引き込まれて本を置くこと能わず、最後まで一気に読了する。その何とも言えない読後の感慨を、ヘミングウェイの言葉で例えている。

”The Marble Cliff left me ...as empty, transformed, and melancholy as all high feeling do”
だった、と。(「大理石の断崖」読了して、私は、、ヘミングウィの比喩で言えば、
あらゆる高揚感がそうであるような虚無、自己変容、憂鬱に包まれたのだった)



私は、「大理石の断崖」を相良守峯氏の翻訳で読んだことがある。ナチス政権時代に書かれたユンガーの寓意小説だ。北方の森(霧と野蛮)の中でヒトラーのモデルらしき人物が徐々に権力を拡大して、地中海(太陽と文明)を思わせる海のそばの大理石の断崖で読書と植物研究に打ち込む主人公と弟の兄弟の静逸な生活が脅かされ始める。文明世界を象徴する貴族や教会の司祭が不気味な権力者に戦いをいどむも無残に殺されてしまう。主人公も自己防衛のために戦うものの、かなわず難を逃れるために家を後にする。明らかにナチス批判の書であり、ゲッベルスはユンガーを拘束して創作活動を禁止させることを考えたらしいが、第1次大戦の英雄に敬意を持つヒトラーはユンガーに手を出させなかった。この小説の圧巻は、二人の兄弟が植物採集に夢中になって迷い込んだ森で目撃するシーンだ。不気味な権力者の所有する小屋は、人の髑髏で飾られていた。その描写と醸し出す雰囲気は戦慄的だ。ナチスの蛮行の予言であり、暗示である。ナチス政権の本質的な悪を白日夢として描いた衝撃の書だ。グラックの「シルトの海岸」は明らかにユンガーのこの「大理石の断崖」のフランス・バージョンだ。


「シルトの海岸」については2011年のブログで触れています。
Marmor

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