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2019年1月31日 (木)

鱸魚清蒸を作る

1月30日(水) 晴

朝の読書:チャーチルの回顧録。真珠湾攻撃当日のチャーチル。米英との戦争は、真珠湾攻撃に始まったと理解していた。が、グリニッチタイムでの順番によると、


12月7日:(日本は12月8日)

16時55分:英領マラヤ
18時30分:真珠湾
21時00分:フィリピン
23時30分:香港



となる。日本は英米一体と見做し、最初に攻撃したのは実はイギリスだった。アメリカの場合、外務省の大失態で宣戦布告が攻撃の直前になされず日本の汚名を永久に残すことになったが、イギリスに対しても同じであろう。チャーチルは言及していないが。ちなみに、日露戦争においても、日本は宣戦布告なしでロシアを攻撃はしているがロシアからだまし討ちと言われたことはない。

朝食: 納豆、ベーコンエッグ、ご飯少々、スープ・ア・ラ・ペイザンヌ。バナナを半分。

父がデイケアーに出かけた後、2階で日記を書く。それから、階段のモップ掛け。そして、買い物に。スーパーで食材のほか、ダイソーでファイルを買う。2階の本の整理のほか、集めた資料を整理するためのファイリングをしようと思い立ったので。

昼食:焼きそば少々と石窯パンのゴーダチーズとパストラミサンドに、ダージリン・ティー。
食後、スープ・ア・ラ・ペイザンヌ(農夫のスープ)を再び作る。使用した野菜:大根、セロリ、人参、葱、玉ねぎ、ジャガイモ、キャベツ、パセリ。下ごしらえから調理で1時間で完成。

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散歩に出かける。1時間半ほど千波公園周辺を歩く。


途中、イチゴ・バニラのソフトクリームを食べる。このあたり一帯は、少年時代は田んぼだった。昨日の宅地化ではないが、田んぼもいつの間にか埋め立てられて緑地化整備されてきれいにはなっている。旧6号国道の片側の小川で子供の日(小学生のころだろうか)に緋鯉を釣って大喜びしたことを思い出した。帰宅して、15時のダージリン・ティーを飲む。


BS1で「ヒトラー」を見る。昨年4月に放送された番組の再放送。ヒトラーは、薬漬けだったという話。名もなき浮浪者(ヒトラーはまともな定職についたことがついぞなかった)が、10数年で一気にドイツの首相に上り詰め、1933年には独裁者となった。演説がうまく独特のオーラを放ち(カリスマ)周囲の人を虜にしてしまう特殊な能力をもっていた。アブベルト・シュペールの回想録でも、初めて学生に連れられてヒトラーの演説を聞きに行き魅了されたことを正直に告白している。そして、何となく、それも、あっという間に党員登録をする。そのヒトラーだが、まとも高等教育は受けていないから、教育ある人々からは軽くあしらわれていた。劣等感はあっただろう。飛ぶ鳥をおとす勢いに乗ったヒトラーは、自分がキリストとは言わないが、ドイツの救世主であると思い込んでいく。ラインラント進駐、チェコのズテーテン地方(ドイツ人が多い)の併合(いわゆる、ミュンヘン危機)、オーストラリアの併合。ケインズを知らずして公共投資拡大(アウトーバーン建設等)と軍事拡大路線で大不況を一気に克服、国民はヒトラーを賛美した。躓きの石は、ポーランド分割。西側の宣戦布告。緒戦は戦車を中心とした機甲部隊による電撃作戦でフランスを鎧袖一触した。このあたりまでは本当にすごかった。日本陸軍も幻惑されて軍事同盟を結び、英米との対立を決定づけてしまった。


独裁者は孤独である。そのストレスたるや、凡人の想像を絶するであろう。ヒトラーの主治医のカルテによるとヒトラーは早くから薬物の力を借りて自己をハイな状態にして演説したり人と会談したりしていたという。敗色濃厚となった晩年は皮膚が黄ばみ人と会うこともまれになった。右だか左だかの腕の静脈は注射針の跡でズタズタになっていたに違いない。


夕食に、セイゴの清蒸を作ってみる。Youtubeでもかなり作り方がアップされているが、今回はフレンチのボンファムをイメージして、蒸し器は使わず、フライパンで作る。36㌢のセイゴは大きいので頭と尻尾の部分は切り落とした。紹興酒半カップ、お湯1カップ、醤油大匙1、砂糖大匙1、葱と生姜を腹の中と身の上に乗せて、今回は、シメジも載せた。フライパンで7分~8分蒸し煮した。魚を取り出して、残った汁を煮詰める。醤油を加えるなり砂糖を加えるなりして味を調整し、ピーナッツ油を加える。お皿にもったセイゴの上に千切りにした白ネギと香草(今回はコリアンダー)を散らしてピーナツ油の香りがたつタレを掛けて完成。かなり自己流だ。


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夕食:「鱸魚清蒸」を肴にダージリン・ティーを飲む。ロンドンのソーホーにある中華レストラン「利口福」(リーホーフック)で昔食べた鱸の清蒸を思い出す。タレが少しまだ違うがかなりそれに近い味で満足の行く一品となった。仕上げは、農民風スープとご飯少々。デザートにリンゴ。


熱い湯舟に浸かってから2階にあがり夜遅くまで資料の整理をする。



アーサー・ケストラーが1961年に出版した「蓮とロボット」というエッセイの書評のプリントが出てきた。ニューヨーク大学の哲学が専門のSydney Hookという人の評。インドと日本旅行をしたケストラーが東洋文明理解を通して結局は、西洋文明を再評価して軍配を上げている本。 つまり、インド哲学、ヒンドゥーイムズ、当時流行した禅仏教、非西洋の日本のモダニティーに対する辛口のコメント。


そして、フランスの作家ジュリアン・グラックのエルンスト・ユンガーとの衝撃的な出会いの回想。第2次世界大戦でナチス・ドイツの占領下にあったフランス。12月のある陰気な日、地方の駅でいつ来るかもわからない列車を待ちながら、キオスクで購入したユンガーの「大理石の断崖の上で」の仏語訳をベンチに座って読み始めた。読み始めた途端、引き込まれて本を置くこと能わず、最後まで一気に読了する。その何とも言えない読後の感慨を、ヘミングウェイの言葉で例えている。

”The Marble Cliff left me ...as empty, transformed, and melancholy as all high feeling do”
だった、と。(「大理石の断崖」読了して、私は、、ヘミングウィの比喩で言えば、
あらゆる高揚感がそうであるような虚無、自己変容、憂鬱に包まれたのだった)



私は、「大理石の断崖」を相良守峯氏の翻訳で読んだことがある。ナチス政権時代に書かれたユンガーの寓意小説だ。北方の森(霧と野蛮)の中でヒトラーのモデルらしき人物が徐々に権力を拡大して、地中海(太陽と文明)を思わせる海のそばの大理石の断崖で読書と植物研究に打ち込む主人公と弟の兄弟の静逸な生活が脅かされ始める。文明世界を象徴する貴族や教会の司祭が不気味な権力者に戦いをいどむも無残に殺されてしまう。主人公も自己防衛のために戦うものの、かなわず難を逃れるために家を後にする。明らかにナチス批判の書であり、ゲッベルスはユンガーを拘束して創作活動を禁止させることを考えたらしいが、第1次大戦の英雄に敬意を持つヒトラーはユンガーに手を出させなかった。この小説の圧巻は、二人の兄弟が植物採集に夢中になって迷い込んだ森で目撃するシーンだ。不気味な権力者の所有する小屋は、人の髑髏で飾られていた。その描写と醸し出す雰囲気は戦慄的だ。ナチスの蛮行の予言であり、暗示である。ナチス政権の本質的な悪を白日夢として描いた衝撃の書だ。グラックの「シルトの海岸」は明らかにユンガーのこの「大理石の断崖」のフランス・バージョンだ。


「シルトの海岸」については2011年のブログで触れています。
Marmor

2019年1月30日 (水)

寒椿、メジロ、2時間の散歩、ピーナッツ・オイル・・・

1月29日(火)晴、終日北風が吹く



6時過ぎの目ざめ。ベッドの中でアルベルト・シュペアの回想録を読む。

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出口さんと半藤さんの対談で良き回想録が日本にない嘆きの中で、ヒトラー政権で軍需相を務めたアルベルト・シュペアのそれがすばらしいのだと。確か、古本屋で見つけて購入したまま放っておある記憶が蘇った。ごそごそとあちこち探したら見つかった。シュペアはもともと建築家である。ヒトラーがなろうとしてなれなかった職業。



ヒトラーに気に入られて出世したが、ニュルンベルク裁判で禁固20年の刑が確定し、ベルリンのシュパンダウ刑務所に収監され1966年に出所した。収監中は独房に入り、新聞、ラジオ、テレビや読書すら許されなかったというが、気がかりな家族と連絡をとりたくて理解のあるオランダ人監視を通して回想メモを書いては家族にこっそり渡し続けたという。少年時代の部分の30ページを読み終わって、キッチンにおりる。

朝食:田舎風スープ、イワシの丸干し、ベーコンエッグ、ご飯少々、バナナ半分。朝から結構豪勢な食事。田舎風スープには、隠し味として味醂を少々加えた。それと、パセリのざく切りを少し追加。味が微妙にまろやかに、そして、セロリの香味が加わって風味がましてベリー・グッド。
昨日の深夜、アジアカップの準決勝が行われ、何と、日本がイランに3対0で勝利した。すばらしい!相当は、手ごわい、というか、実力がかなり上だという前評判だった。ダイジェストを見ると、前半は押されっぱなしであぶないシーンが随所にあったが、運もあったのだろう(実力?)、どうにかしのいだことが後半に繋がった。ちょっとしたイラン側の隙をついて、南野選手がボールを持ち込みセンタリングすると、、あの「半端ない」大迫選手がそれに合わせて見事にヘディング・シュートを決めた。さらに、PKで追加点、さらに、終盤には原口選手が鋭いミドルシュートでダメ押しの3点目を入れて試合を決定付けた。終わってみれ
ば圧勝だった。中近東がアジアかどうかは疑問だが、中近東の選手の身体能力は欧米と同じ次元だろう。東アジアの身体能力は劣る。結局、日本の戦い方(攻撃をしのいで、組織的なプレーとカウンター攻撃)にならざるを得ないのかも知れない。森監督の采配も順当ということだろうか。

しかし、最後の乱闘はいただけなかった。興ざめである。韓国とイランはしばしば乱闘を繰り広げているが、今回のケースは明らかにイランが先に手をだしている。負けられない試合で、せめぎ合いがきつくなるとどうしてもちょっとした行き過ぎがこういう事態につながる。
サッカーの乱闘はヨーロッパでも南米でもあることはある。中国のサッカーリーグなどは、格闘技的な粗さだというのは有名な話だ。韓国は言わずもがな。こういうことは活字にはしていけないかもしれないけれど、インターットではこういう情報が氾濫している。中近東もどうもそのようである。フェアープレイ精神が著しく欠如している。たかがスポーツなのだが、サッカーというのは、大衆に基盤を持つ世界でもっとも人気のあるスポーツ故に、動員力がすごい。国と国の戦いは、いわばスポーツでの戦争みたいなもので、ナショナリズを刺激する。人種的な問題もときおり出てくる。フランスのジダン選手がワールドカップの決勝(ドイツ大会?)でイタリア選手の挑発に手をだしてしまい一発レッドカードをくらった。そして、ジダンを欠いたフランス負けてしまったことは記憶に新しい。



乱闘は別として、勝利至上主義がもたらす負の側面について。:
10数年前のことだけれど、卓球の指導者で有名な方(大学の監督もされている)と中国の瀋陽にいっしょに旅行する機会があったが、中国や韓国などと公式の国際試合をする場合アウェイになると、いろいろ日本選手に不利になるようないやがらせを受けたという話を聞いた。名誉がかかる勝負では、勝つためにいろいろなことを相手に対して仕掛けてくることは当たり前らしい。信じられないことだが、本当だという。



数年前のアジア大会(韓国のインチョン)では主催者側による韓国の選手に有利になる工作疑惑(会場の空調の風の向き、審判の買収等)が何度も噂(ネットでの言い放題もすごかった)のみならず新聞報道にすらなってたが、卓球の指導者の言葉を思い出していた。中東も同じらしい。ハンドボールでの「中東の笛」というのが一時話題になった。こういうことで勝利を手にして何が得られるのだろう、と思う。虚飾にまみれた栄誉のむなしさだけだ。

紳士の嗜みとしてイギリスで生まれた近代スポーツは、世界に普及したが、それを支えるフェアープレイ精神まではなかなか伝わらないようだ。フェアー・プレイというのは余裕がある強者の「慇懃無礼」なのかも知れない。結局、金持ちケンカせずと同じ。そして、「潔い負け」(good loser)を選ぶのだ。たかがスポーツではないか、と。「見苦しい勝ち」(vulgar winner)は、自分のプライドが許さないのだ。

生ゴミだしの日だが、ごみ袋を確認していると、すぐ傍の寒椿の茂みのなかでメジロがチュルチュル鳴いている。蜜を吸いにきたのだろう。メジロはとてもかわいい鳥だ。サイズが小さい。キクイタダキやエナガといい勝負だ。

<メジロ~インターネットからの写真>
Mejiro

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2階の炬燵にはいり、ウィーフィル演奏のヨハン・シュトラウスのワルツ音楽を聞きながらネットサーフィン。ベネズエラはどうなってしまったのだろうか?前の大統領のチャベスさんのことは原油価格が高止まりで威勢がよかったが、下落してからおかしくなってしまった。これまでに300万の人が他国の中南米諸国に移民(難民?)しているという。半端ではない数字。140万%(?)のインフレってどういうことだ。想像を超える。

昼食:コーヒーとけんちんうどん。

午後は、2時間半ほど散歩で外出。風が冷たかったが、骨折前のスピードで両足歩行できるまで回復したと実感できた。痛みもほとんどない。千波湖を半周して、それから駅まで歩く。駅ビルのなかの輸入食品をあつかう店で、八角(中国の香辛料)とピーナッツ油とサラダ用のマカロニ(イタリア製)を買う。700円前後。このところ、家事(料理)を手伝っているが、レパートリーを増やしたい。魚ばかりでは飽きてしまうので、豚肉料理をなにかチャレンジしようと。マレーシアで食べた「パクテー」が思い浮かんだ。これは、豚肉を中国の香辛料で煮込んだ庶民料理なのだが、味がさっぱりして肉も柔かい、たぶん、両親も喜んで食べるのではないか、という思い。近々、作ってみようと思うがうまくいくだろうか。ピーナッツ油は、清蒸用だ。その後、駅ビル4階の川又書店の本店へ。1時間、立ち読みをする。文庫本、新書、新刊本などなど。帰り際、コンコースの揚げ物屋でトンカツ弁当900円が半額になっていたのでそれを購入した。

15時40分、帰宅。北風の寒さを跳ね返すくらい速足で歩いたから体はほてっていた。熱いお茶の時間。

夕食:カツ弁当を母と分けて食べる(3分の2が私)。父には一昨日釣った32㌢のセイゴを開いて塩焼きを作った。焼き立てにお酒とポン酢をふって食べてもらう。締めはスープ・ア・ラ・ペイザンヌ。24時間後の味はさらにグッド。ほぼ食べつくした。

夜、森繁喜劇「駅前満貫」を見る。1967年制作。シリーズ18作目。僕は幸せだなぁ、というフランキー・堺のセリフは当時流行った加山雄三の「君といつまでも」のもじり。今回は、池内淳子と三木のり平が夫婦で、夫の浮気が原因で家を飛び出し、姉を頼って恵比須駅の近くの商店街にやってくる。孫作こと伴淳は伊豆の蜜柑農園の経営者。森繁・淡島夫妻が雀荘の経営者。商店街の様子がなんとなく自分の青年時代の記憶と重なってきた。商店街の一角にポルノ映画屋の看板が見える。「・・・の乳房」というの文字見えて思わずニヤリ。日活ロマンポルノが流行り始めたころだろうか。都はるみとかしまし娘がゲスト出演していた。山茶花九は、珍萬亭という中華料理屋の店員で池内淳子を追い回す役。最後は、染子(池内の役での名前はいつも染子だ)と三木のり平がよりを戻す。フランキー・堺の相手は前作から松尾嘉代で結ばれる。今回の堺こと、次郎さんの役回りは発明家。電動マージァン卓。最後の場面で、香港のクルーズ船と契約が取れてジャン卓を導入するという目出度い話。今回も蓮っ葉の小悪魔役で野川由美子はキャバレー嬢で登場。前回は、藤田まことの恋人で藤田の悪さをかつぐ役だったが、今回は男(森繁、三木、伴淳)を誘惑してお金をせしめる悪い女役。森繁は、妻(淡島)の妹の染子(池内)にも手を出そうとするスケベ爺を好演した。見ていて楽しい。しかし、池内さんの着物姿(映画ではほとんど常に着物姿で登場する)の美しいこと。改めて見直した。私の母より若干お若いようだが、残念ながらすでに他界された。

2019年1月29日 (火)

失われた雑木林、農民風のスープ(フレンチ)を作る。

1月28日(月)曇り


5時半の目ざめ。チャーチル回顧録を読み続ける。

朝食:イワシの丸干し、ポテトサラダとザウワークラウと、笹かまぼこ、ご飯、バナナ。

3週間ぶりにハローワークへ出かける。自分にとって悠々自適というのは性格に合わない。何かをしていないと気が落ち着かない。この9か月!!!はいわば、怪我による一時的な現役退場だと思っている。あと10年ちょっとは仕事をして世間というか社会とかかわりを持ちたいと思うのだ。仕事に6分の力、残りを自分の情熱の追及に使う生活設計を考えたいと思う。

昼食:バジル風味ソーセージとザウアークラウト、石窯パンサンド(ゴーダチーズとパストラミをはさむ)、ダージリン紅茶。

食後、郵便局へ。お年玉年賀の切手シートを交換に行く。健康保険料も払い、近くのコンビニでや住民税の振込みをする。そしてついでに辺りを散歩した。子供のころのこのあたり周辺は雑木林だったが、今は宅地化してしまいすっかり様変わりしている。浦島太郎が竜宮城から戻った感覚である。ふと通りかかった住宅街の一角に雑木林のほんの一部が残っているのを見つけて思わず立ち止まってしまった。このあたり一帯は、あの有名な映画監督深作欣司氏(仁義なき戦いシリーズ、蒲田行進曲、上海バンスキングス、バトルロワイヤル等)の実家の主が地主だったらしい。実家の両親の家も昔は県営のアパートだったのを土地と一緒に払い下げしてもらったものを新しく新築したものだ。


Zouki

農民風スープ(フレンチ)を作る。フランス語でスープ・ア・ラ・ペイザンヌ。元帝国ホテルの村上信夫さん(大分前に亡くなられた)の「楽しいフランス料理」をぱらぱらめくっていて、これなら簡単にできると、作ってみた。


Murakami



ポイントはバターをたっぷり使う。野菜は、セロリ、ネギ、玉ねぎ、キャベツ、ジャガイモの5種をすべて小さく角切りぶしてバターでいためる。それにブイヨンを加えて(4~6人前6カップ)で20分ほど弱火に煮込むだけ。ジャガイモは他の具材を炒めてブイヨンを入れ、強火にして沸騰したタイミングで入れること、というのが村上さんのコメント。最後に、塩・胡椒で味を調える。

父がデイケアから戻るまで、2階でネットサーフィンをしたり、ヨーヨーマのチェロのCDを聞く。バッハの無伴奏チェロ組曲作品集。昔、遠藤周作がでていたコーヒー(ネスカフェ)でも使われていた第一番はあまりにも有名。チェロだけの響き渡る演奏がなかなか心に沁みる。

夕食:セイゴの切り身のボンファムを作る。父が乳製品が嫌いなので生クリームは使用せず。薄味だが両親は喜んで食べた。私にはもの足りなかった・・・。しかし、スープ・ア・ラ・ぺザンヌは、シンプルだがなかなかの出来だった。こんなに簡単に野菜の風味のきいたものができるとは。バターをもう少し使ったほうがよかったかも知れない。今日は、アルコールなし。寒い冬の夜は、あったかいフランス風農民スープに限りますね!


半藤さんと出口さんの対談集の続き:

両氏は日本の戦争指導をした政治家・軍人がしっかりした回想録を残していない現状を嘆いているが、同じ敗戦国のドイツは違った。ハインツ・グーデリアンなどの将軍レベルの人が戦後に回想録をものしてベストセラーになっている(陸軍の悪そのものを体現した辻正信という悪名高い人がいることにはいるが)。

東条英機は秀才ではあったが、政治家としての器ではなかった。軍事の専門家、要領のいい軍の小役人にすぎなかった。そもそも、回顧録などを書くだけの素養もなかった(その前に東京裁判で死刑になってしまったが)。陸軍・海軍を通じて軍関係者は、専門家ではあったが、西洋のエリートと伍していく何かが足りなかった。明治維新のころの指導者(漢学で鍛えられた教養人でもあった)と比べても格段のレベル差があった。

明治時代の40数年はまだその人たちが元老(下級武士で革命家である)として残っていたからまだ何とかなった。大正・昭和を経てその元老世代も死に絶えた(西園寺公望だけ残っていたが)。東条さんたちは、現在の霞が関の官庁の役人に通じるという。勉強はできる秀才だ(偏差値秀才)。頭の回転も早い、与えられた状況を把握して要約する能力はずば抜けている。職務は忠実に処理できる。だが、何かが足りない。その何かを持つべきなのは秀才役人を使う指導者としてのセンスであり、両氏は「教養」(浅いけれど、幅広く、歴史、文学、科学の勘所をしり、それにもとづく判断力と行動指針を見出す能力)だとういう。日本のエリートに欠けているのは、真の意味での「教養」であるという。そして、「教養」とは「物知り」とはまったく違う。

出口さんと半藤さんは、残念ながら戦前の(現在も)エリートが持つべき「教養」が日本人には欠けていると嘆いている。教養人・チャーチルの回想録を朝な夕なに読んでいるけれど、彼は勉強は出来なかった。秀才ではなかった。しかし、スピーチもうまかったし、回顧録の記述はすばらしいと思う。膨大すぎて全巻を読破するのは大変だ(今第三巻を読んでいるが、800ページ近くある)。チャーチルの教養のベースは歴史研究である。英米(英語圏)の歴史研究の層の厚さは壮観である。「歴史」とは勝者が過去を振り返り自分たちが残した事績の解釈(自己正当化でもある)であり、後世に残す説明である。この400年、イギリスとアメリカが覇権国であり世界の紛争の勝者であり続けたのだから、歴史が結果的に英語で書かれているのはよく考えれば当然なのかも知れない。そして、その量が膨大なのもむべなるかな。

ヒトラーは、生前(獄中で)「我が闘争」を書いた。自ら招いた災禍の結果、無残な終わり方をしたが、権力に上り詰める10年近く前に、自分と対決して一つの世界観を提示している。政権掌握後の彼の政治はこの本に大方添っている。スターリンは残念ながら回想録を残していない。毛沢東や周恩来も同じ(周恩来はお墓も残していない)。ルーズベルトも残していない。国民党の蒋介石はある。

歴史的事件(起こした人、巻き込まれた人、処理に関った人)に遭遇し、それぞれの立場で指導に関ったトップ・エリートの人々がが、後世のために正直にメモを残すこと、これは、義務なのかも知れない。そういう伝統が欧米にはあるようだ。中国の場合は、易姓革命で天下を取った王朝が前王朝の歴史編纂をする形で歴史を書いた。


そして、思うのは、「事件の核心」というのは、結局はわからない、たぶんこうであろう、おそらく、その可能性が高い、までしかわからない、ということ。芥川龍之介の「藪の中」や、その映画化をした黒沢明の「羅生門」にあるとおり、ある出来事の解釈と意味は、それぞれに関る立場で大きく違ってしまうのだ。最終的には力と正義は同義と言ってもいいだろう。生き残ったものが正しい。戦争(けんか)とは国家間(当事者間)の紛争に決着をつける最終的手段である、という真実は昔も今も変わらない。恐ろしく、そして、何と無慈悲な真理であることか。

2019年1月28日 (月)

イギリス人のUnderstatementの続き。セイゴはまだまだ釣れる。

1月27日(日) 晴

このところアカハラの声を聞かなくなった。朝の読書は、チャーチル回顧録の日本に関する箇所(1940年から1941年の真珠湾攻撃のあたりまで)を読む。

朝食:納豆、笹かまぼこ、ポテトサラダとザウアークラウト、ご飯少々にアラ汁。

イギリス人の人を煙に巻くunderstatementについて:

トランプさんの国連での演説での自慢話の表現方法は、もっと単純化すると I have been hugely sucessful  という言い方である。これが、イギリス風な控えめな表現で言い換えると、 I haven't done too much badly みたいな感じになる。前者も後者も同じ意味なのである。文化によって言い方がこうも違うとは。イギリス人の難しさだ。大英帝国は周りの人たちを煙に巻くレトリックを使いながら世界を制覇したようである。

Erin Meyer氏の著書では、英国航空の機長(Eric Moody)の有名な機内アナウンスを取り上げている。1982年のことらしいが、インドネシア上空で噴火した火山灰によりエンジンがすべてストップしてしまうという緊急事態の際にアナウンスして、かなり、有名らしい。以下に引用する(英文のまま):

"Good evening again, ladies and gentlemen. This is Captain Eric Moody here. We have a small problem in that all four engines have failed. We're doingour utmost to get them going and I trust you're not in too much distress, and would the chief steward please come to the flight deck ?"

(拙訳)
「御搭乗の皆さん、今晩は。こちらは機長のエリック・モーディです。ちょっとした問題が発生しました。ただいま4つのすべてのエンジンが止まっており、乗組員一同、エンジンが動くよう最大限努力しております。皆様におかれましてはあまり心配しすぎることがないようお願いします。乗務員チーフはデッキまで来てください。」

外国語として英語を習った人にはなかなか言えない表現である。私の拙訳がどこまでニュアンスを忠実にやくしているかわからないけれど、この拙訳から逆に和文英訳したとして、もとのオリジナルになることはほとんどないと思うのだが、どうだろうか。英語の原文そもそもが、要するにエンジントラブルといっても全部止まってしまったのだから、普通ならパニックになるところだろう。それなのに、この落ち着きすぎた?ちょっとしたトラブルが発生しましたが、ご心配なさらぬように、とぬけぬけと言い放つ神経はどういうものだろう。スゴイとしか言いようがない。

昼食:ソーセージ/ザウアークラウト/石窯パンのオープンサンド(ハムとチーズとポテトサラダ)、それにコーヒーと伊予かんを半分。

2階で、ヤナーチェクのピアノ曲の作品集を聞く。「存在の耐えられない軽さ」という映画を30歳代のころ見て、印象的な音楽がバックに流れていた。それがヤナーチェク。購入したまま、日々の忙しさで1度か2度聞いただけで20年以上、実家の片隅に眠っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=LO0pXCJJJbE&index=6&list=PLjRCAqve3W_h0DUIC1v9Do7MFWUiDwHql



15時半過ぎ、涸沼川へセイゴ狙いででかける。2本の竿を出し終えたのは16時半。直後、下流側の竿の鈴がすぐになった。リリン、リリーン。一呼吸おいて、再びリリーン、リリーン。心臓が高鳴る。3度目の鈴の音を聞いたところで合わせを入れてリールを巻く。フィッシュ・オン!小ぶりではあるが30㌢は超えているセイゴが釣れた。


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これで一安心。まだ、あたりは明るい。到着して第一投で即1尾。上流で釣っている人が近づいてきて、2時間やってるけど、まだ一尾ですよ、と。悔しそうな顔で仰る。もうすぐ日が暮れますから、入れ食いとはいかないけどポツンぽツンとここは釣れますよ、と慰めてあげる。この人、2週間にもお会いしたような気がする。その時は、昼間から次々とセイゴを上げていたのだ。

この一尾でテンションが上がったものの、その後はまったり状態。17時の時報(夕焼け小焼けのメロディーが近くで鳴る)、西の空が赤く染まる。17時15分過ぎ、上流側の人にアタリが来たようだ。リールを巻き始めた。直後、私の上流側の竿も大きな弾むようなアタリ。ソレッ、と竿を手にしてリールを巻くが軽い。フィッシュ・オンしていないようだ。回収した仕掛けを見るとほとんど綺麗に餌がなくなっている。食い逃げされたようだ。


Turiba

17時半過ぎ、再び上流の釣り人にアタリが来た。そして取り込んでいる。直後、自分の竿にも再び上流側の竿にアタリが来た。の、だったが、今回も空振り。何ということ。餌が半分なくなっている。どうしたことだ。サイズが小さいセイゴか? 川の流れはまだゆっくりと下流に流れている。干潮で水位は低い。18時を過ぎると潮どまりになったら30分~40分は釣れない時間帯になる。まずい。19時には帰る約束で釣りに来ているのに。などと思案していると、再び上流の竿にアタリが。今度は、針掛かりしたようだ。鈴の連打。本日一番の40㌢には届かないがグッド・サイズのセイゴが来た。そして、18時過ぎ、上流側の竿にヒット。35㌢を超えるレギュラーサイズ。

家に電話を入れて片付けを始めた。18時半、釣り場を後にした。もう一人の釣り師はまだまだ粘るようだ。「潮が昇り始めたらまたアタリが出始めますよ」と声を掛けて家路についた。昨日の雪の影響もあるが、風が本当に冷たかった。しかし、川辺の風も日が落ちると吹き止んだ。わずか3尾の釣果だったが、1時間半の釣りでこれだけ獲物をしとめれば上出来だろう。今回は、塩焼き以外に、煮付けにあきてきたので、和風の蒸しものか、中華風の清蒸を作ってみるか。清蒸は、どうもタレが昔食べた味と同じにはならないので美味さが今一つでこのところご無沙汰してしまっている。横浜中華街で売っているらしいが・・・。


セイゴ3尾(32㌢、36㌢、38㌢)


Seigo_san
夕食:豪州産のサーロインステーキを久しぶりに焼いて食べる。フライパンで油を使わずに両面を焼いてペーパータオルで余計な油を拭いて、わさび醤油で食べる。ステーキも赤ワインもうまい。それに、ポテトサラダとザウアークラウト、ホウレンソウのお浸し、ご飯少々にアラ汁
テレビ「ダーウィンが来た」は、オーストラリアのオウムを特集していた。オーストラリアはオウム天国である。食後は早々に2階にあがり炬燵で休憩しながら日記を書く。

寝る前の読書:チャーチルの回顧録を読み続ける。23時前、就寝。

2019年1月27日 (日)

雪、シジュウカラの囀り、大阪選手、全豪オープンを制す!  

1月26日(土) 朝のうち雪、曇り


5時半前にトイレに起きる。うとうとしながら目が覚めると7時前だ。明るくなるはずの時間だがまだ薄暗い。カーテンを引いて外を見ると、どんよりとしたミルク色の空、ほんの少しだが雪が降って積もっている。そして、とにかく冷え込んでいる。今年一番の寒さだ。


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朝食は、セイゴの塩焼き、ポテトサラダとザウアークラウト、そして、アラ汁にご飯。


父が出かけた後、2階でBBCニュースをチェックしているとシジュウカラの囀りが聞こえてきた。こんな真冬の寒い中なのにと思う。

ブラジルのどこだかの鉱山の採掘現場でダムが決壊したらしい。相当の犠牲者が出た模様。韓国、アジアカップの準々決勝でカタールに敗退。オーストラリアでは熱波で川の水が干上がり沢山の馬が死んだらしい。

日露平和交渉は、簡単には行かないのは当然である。世界情勢とリンクしているのだ。朝鮮半島情勢や中国とアメリカの貿易戦争、Brexitに揺れるEU、中東の先が見えない混乱ぶり、西側のロシア経済制裁、など、今は世界各地で問題が山積状態だ。


第2次世界大戦でヘタを打って敗れた平和国家・日本に選択肢はあまりないのだ。日米同盟の傘にある限りは。ロシアと日本の問題は、まずもって両国が北方領土返還と日本の経済協力が等価であると納得できない限り進展はあり得ない。そして、どう考えても「等価」になるとは思われない。安全保障と経済発展のためにどれだけ日本はアメリカに貢いでいるかをまず考える必要がある。


日本にとってのロシアから得られるメリットは彼らの豊かなエネルギー資源だろうが、中東の石油と原子力依存を減らし、かつ、天然ガスなどの供給先を多様化して、日本として外国に頼るエネルギー・コストをどれだけ下げられるのか、ロシアからメリットを本当に引き出せるのか。


さらに問題なのは、仮に見通しがたったとしても、日本だけでは決められない。アメリカさんの戦略的な判断次第なのだ。彼ら自身の安全保障問題が第一にあって、その枠内でどうなるのかである。アメリカは日本を同盟国であると位置付けてはいるが、一方で警戒もしているのだ。日ソ領土問題を解決して両国が密接に結びつくことはアメリカ離れになる可能性を秘めるのだ。

領土問題での歴史的な経緯を見れば、正統性が日本にあるようには思えるけれど、拙速は割に合わない結果を招くだけだ。日本は戦争に負けたのだ。日ソ中立条約破りの道徳的非難をロシアにぶつけても、ロシアはドイツに独ソ不可侵条約を一方的に破られて大被害を受けているのだ。だからどうしたと開き直られるだけだ。彼らが参戦したのはルーズベルト大統領の要請によるのだ。ロシアではない、アメリカが求めたからなのだ。


国際関係は結局は力と力のぶつかり合いだ。北方4島を返してほしければ力で取り返せばいいだろう、というのがロシア側の論理だ。彼らは実際にクリミア半島を併合してしまったではないか。

もう一つの話題について:


アメリカ政府機関が3週間という期限付きでで再開することになったこと。国境の壁の予算は凍結したままだ。3週間で決着するのだろうか。トランプさんのレトリックは相変わらずである。押しの強さはアメリカそのもの。昨年の国連で、「私は歴代のアメリカ大統領の実績を凌駕するほどの成果を自分の就任以来あげている」、と演説で述べたのだが、この言葉に会場は笑いに包まれ、トランプ氏も想定外の事態に一瞬唖然としたらしい。
アメリカ流で押しが強いリーダータイプによくあるレトリックだがこういった押しの強い表明=自己主張は、アメリカでは文字通りにとるというより、ほとんど意味がない時候の挨拶みたいなのかもしれないが、受け取る側は(皆、異文化を背景にしている!)、言葉自体の直接意味することがあまりにも今の現実とかけ離れているし、自己正当化の強弁にしか思えなかっただろう。「何という御冗談を!」というのが笑いの真意だったろう。

アメリカ流のコミュニケーションは、同じアングロサクソンでも、イギリスのいわゆる「控えめな表現」(understatement)で相手を刺す、とはかなり違う。

グローバル・ビジネス・コミュニケーションの専門家であるErin Meyer氏の「The Culture Map - decoding how people think,lead, and get things done across cultures」を時折、息抜きに、面白く拾い読みしているが、イギリス人(リーダー)の英語がいかにオランダ人(職場の部下)にとってミスリーディングであるかに触れるところがある。オランダ人は個人的経験(たった一年だが)から言っても、アメリカ人同様にストレートにハッキリとものを言う人たちであることは分かっている。

また、自分はイギリスでの駐在経験もあるけれど、彼女が指摘するキーポイントを知っていたらと、今さらながら思う。職場は、半分は日本人だったが、残りの半分はイギリス人を主に、スペイン人、ドイツ人、フランス人、イタリア人もいたし、中国系のイギリス人や、スリランカ系のイギリス人もいた、いわばごった煮の職場だった。大変だった。

著者によると、イギリス人とオランダ人が微妙に違う(大陸ヨーロッパ人と島国イギリス人の違い)ことはある程度は分かってはいたけれど、以下のようなすれ違いが例として上げられるという。

たとえば、Could you consider some other options ?という表現。
イギリス人の意味するところ:Your idea is not a good one.
オランダ人の理解すつところ:He has not yet decided.

それから、Please think about that some moreは、
イギリス人の意味するところ:It's a bad idea, Don't do it.
オランダ人の理解するところ:It's a good idea. Keep developing it.

自分では使ったことがないけれど、たまに、話しをしているときに相手が<Very interesting...>と相槌をうつことがある。
イギリス人の意味するところ:I don't like it.
オランダ人の理解するところ:He is impressed.

驚きは、That is an original point of viewだ。
イギリス人の意味するところ:Your idea is stupid.
オランダ人の理解するところ:He likes my idea.

ちなみに、著者によると、ドイツ人、オランダ人、アメリカ人、イギリス人などアングロサクソン・ゲルマン系は、low context/explicitのカテゴリー(暗黙の前提が基本的にない言葉そのままのコミュニケーションで直接的に表現する)に入り、イスラエル、ロシア、ラテン系の国々、中近東、アフリカ、アジアは、hight-context/implicitカテゴリ(暗黙を含む言葉以外のコミュニケーションで、間接的に表現する)に入る。その中で、<否定的な評価を直接表現するグループ>と<間接的に表現するグループ>に分けられる。

否定的批評を直接的に言うグループのランキング(上位から)は、オランダ、イスラエル、ロシア、ドイツ、デンマーク、フランス、スペイン。

否定的批評を間接的に言うグループのランキング(下位から)は、日本、タイ、サウジアラビア、中国、ケニア、インド。

上の2グループの中間にあるのが直接⇒間接の順番で、オーストラリア、イタリア、アメリカ=カナダ(同位)、イギリス、アルゼンチン、ブラジル、メキシコとなる。

日本は、最も言葉以外での含みをもつコミュニケーション・スタイルで、間接的な言い回しを好み、かつ、否定的なことは極力直接言わない人たちなのである。対極は、ドイツとオランダ。中国人から日本人ははっきりモノを言わないから困る、と言われたことがあるけれど、中国自体の位置はずーっと日本に近いコミュニケーション・スタイルなのだそうだ。


日本人が外国人とのコミュニケーションを通して相手の真意を理解し、又、こちらの真意をきちんと伝えるのがいかに難しいか、ということだろう。特に、微妙なニュアンスや駆け引きが伴う利害関係が絡んだ局面となると深刻だ。太平洋戦争前の失敗した日米交渉はどうなのだろう。交渉の窓口となった国務省のハルの回顧録だか日記には、野村大使の言っていることがあまりよくわからないし、また、相手もどもまでこちらのことを理解しているのかよく分からない、とする箇所があるという。野村大使の場合は語学力の問題もあったらしいが(通訳を使わず本人による直接交渉をしたらしい)。

昼食:焼きそばにザウワークラウを載せて食べる。なかなか行ける。

一昨日釣った魚の下ごしらえ(鱗と内臓はその日に処理)をする。一番大きいのは3枚におろした。ボンファム用。残りの2尾は筒切りにして煮つけ用に整えた。

マーラーの「歌曲集<子供の不思議な角笛>」のCDを聞いたり、ネットサーフィンをして過ごす。15時のおやつは、御煎餅とダージリンの紅茶。高級茶だ。久しぶりにレモンと砂糖を入れて3杯も飲んでしまう。

16時25分から「刑事コロンボ」を見る。今日は「逆転の構図」(Negative Reaction)。1974年制作。」私が大学に進学した年。以前見た記憶がある。妻殺しの写真家の話だ。自分で妻殺しをして、出所したばかりの刑務所で知り合った男を殺人犯にしたてあげる(自分も一応足を撃って偽装する)が、例の如く、殺人現場の酔っ払いの証言(2発の銃声の間に時間の間があった)や、犯人に仕立て上げられてしまった刑務所を出所した男のアリバイ(当日の午前中、自動車免許をとっていた)を確認するうちにコロンボは写真家が真犯人だと断定し、コロンボが芝居をうつ。


真犯人は、自らのアリバイ(実際の殺人は当日の午前中)作りと身代金を得るための取引材料として妻を拘束している現場の写真を撮影したが、時計を14時にセットして撮影し、脅迫文と写真を用意した。ところが、コロンボ刑事が、逮捕を前提に写真家を警察署に呼び出して見せた写真は、10時を示していた。それを根拠に、「写真家のアリバイは崩れた、あなたが犯人だ」、と。


真犯人は、いや、それは写真技術の問題で、ネガを見れば14時のはずだ、と思わずコロンボの取調室においてある沢山のカメラの中から自分が使ったカメラを選んでしまう。大博打だった。犯人が自らの犯行を証明した瞬間だった。犯人のアリバイ崩しにフェイクの写真を使って、犯人に自供を意味する行動を取らせるための罠だったのだ。しまったぁ、やられたぁ、という真犯人の表情。

毎回、ちょっとした事なのだが、それが劇的なドラマ性を帯びながら犯人を追い込んで真実を暴き出すストーリー。冴えない風貌の男だが、鋭い勘とひとつひとつの地道な事実の確認で、知能犯のトリックを見破る痛快さが、人気の秘密である。莫大なお金を動かすビッグ・ビジネスの総元締めであるボスにしても、イギリスなら由緒ある貴族の子孫が、意外と地味で目立たない人であることが多いこと同じだ。能ある鷹は爪を隠す。

夕食:アラ汁(セイゴとボラ入り)、ボラの煮付け、ポテトサラダ、ご飯。

全豪オープンテニスで大阪選手が初優勝!昨年の全米オープンに次いでだ。快挙。アジア人初の世界ランク1位。お父さんはハイチ人だという。日本語は拙いがインタビューでの受け答えも旨くなっている。

夜遅くまで、2階の和室でユンガーの「Gläserne Bienen」(ガラス蜂、英訳タイトル Glass Bees)のウィキペディアを読んだり、参考文献に上がっていたサイトを見たりする。「ガラス蜂」は1957年にユンガーが発表したSF小説だ。テクノロジーと権力の問題を扱っている。


https://en.wikipedia.org/wiki/The_Glass_Bees


ソロス氏のスピーチ原稿を読んでいてユンガーのこの小説を思い出した。ユンガーがこの小説を書いた背景は当然ながらおぞましいナチス体験である。ハンガリーから命からがら偽造した身分証明書でホロコーストを逃れたという。
近代資本主義は、「開かれた社会」(自由主義、民主主義、市場経済)のもとに英米で始まり、他の西洋諸国や日本、第2次大戦後は、アセアン諸国、中国、ロシアがその後を追ってこれまで発展してきた。テクノロジーは近代資本主義の屋台骨で爆発的な発展を遂げる。


そして冷戦終了後のインターネットの登場と21位世紀に入りGAFAが確固たる地位を築くことで、社会の様相が大きく変わろうとしている。ジョージ・オーウェルのデストピア小説1984年)が描く暗くおぞましい未来像は共産主義・ソ連の崩壊で消え去ったかに見えた。自由主義の勝利、歴史の終焉、などと我が世の春を謳歌した1990年代の楽観主義はもはやない。


新自由主義による大惨事であったリーマンショックもそうだが、何やら不気味なものを予感させるものが蠢いている、とソロス氏はユダヤ人の遺伝子で嗅覚するどく嗅ぎ取り、厳しい論調で、昨年はGAFAを、今年は中国(とロシア)を非難しているようだ。

2019年1月26日 (土)

ソロス氏の辛辣な中国批判。ザウアークラウトを作り。

1月25日(金) 晴

「今日は何尾つれたの?」と母から声を掛けられた、ような気がした。それは夢の中のことで、ベッドで目が覚めたのだった。時計を見ると早朝の5時。外は真っ暗。

朝の読書はベッドの中で、山内靖氏と佐藤優氏の対談を読む。ツタヤで定価1500円のところを360円で購入した本。一般の書店の経営がなりたたない理由でもある。 タイトルは「第3次世界大戦の罠」。イスラム史の権威である山内氏ともと外務省のインテリジェンス・オフィサーであった佐藤優氏の対談。おもしろくないわけがない。最初の30ページほど読む。

Yamanouchi_sato

朝食:最後のミネストローネ、アジの干物半分、ご飯、納豆、バナナ。

週2度の生ごみ収集日。3つの袋を出しに行く。2階で年賀ハガキの当選番号をチェックすする。今年は2枚のみお年玉切手シートが当たる。それから、朝のニュースチェック。サッカーのアジアカップは日本がベトナムを破り準決勝 進出決定。

BBCニュースで目に飛び込んできたのはジョージ・ソロス氏が例のダボス会議で習体制の「中国」を非難した記事。  「機械学習と人工知能が最も発展した独裁国家だ。習近平は開かれた社会のこれまでにない最も危険な敵である」と非常に手厳しい。

日本語で読めるのはBloombergのサイト:
彼が慈善活動をしてきた人生の目標(開かれた社会を擁護すること)を危うくする最大の敵として「習指導の中国共産党体制」を痛烈に名指し批判している(プーチン氏も同じ)。トランプ大統領も俎上に載せられ ているが、それは、なりふり構わず周りの世界と貿易戦争をして軋轢を高めていることへの批判で、最大の危険の種「中国」に集中すべきだ、というもの。


昨年のダボス会議では、フェースブックを批判したら しい。ユダヤ人にして、かつてイギリスという国の通貨に戦いを挑んで大儲けをした人。投資家でありフィランスロピストである。人類がめざすべくものとして「開かれた社会」(オープン・ソサイアティ)を信念とし、それを擁護・実現するために、ソロス財団を設立して様々な活動をしている。「オープン・ソサイアティ」とは彼が師事したウィーン出身でロンドン大学で 活躍した哲学者カール・ポッパーの唱えるキーワードだ。もう投資ファンドは引退したらしいが、フィランソロピー活動(慈善活動)はいまだ現役であり、ダボス会議での毎年のスピーチは恒例行事になっている。
莫大な財産(アメリカ の保守派の議員から金の出所の不明性に疑義を呈されたことがある)を築く一方で、富裕層の増税を主張したり、自分がグローバリゼーションでメリットを受けながらグローバル企業の巨人となったフェイス ブックを批判したり、やっていることが矛盾していなか、という批判もあるらしい。ウィキペディアをみると、こういう自己矛盾したソロス氏を評して、「私がこれ以上儲 ける前に、私の行動を止めてくれ!」という意味だと揶揄されている(ノーベル経済学賞のポール・クルーグマン氏)。


ソロスさんのホームページを開いたら、1月24日のダボスで講演したスピーチ原稿(英語)が掲載されていた。
「george_soros___remarks_delivered_at_the_world_economic_forum.html」をダウンロード
(クリックしてEsseyのタグをさらにクリックすると一番最初に出てくる)


お昼前、介護用品の買い出しと食品の買い物。


昼食:ビーフシチュー、コーヒー

午後の速い時間は、2時間ほど、キッチンで ① 略式のザウアークラウトと ② ポテトサラダ作りに専念する。 ザウアークラウトは、ドイツのあの酢漬けキャベツだ。本来は発酵させるのだが、日本のキャベツとヨーロッパのキャベツが 違いすぎて、日本のキャベツで発酵させると溶けてなくなってしまうらしい。なので、細切りにしたキャベツをバターとベーコンで炒めて、そのあとチキンブイヨンと酢で煮込むこと30分。これで即席の ザウアークラウトが出来た。ポテトサラダは毎回同じだが、今回は、ザウアークラウトも具の中に入れて作ってみた。


夕食:牛肉コロッケとイカフライに刻みキャベツ、ポテトサラダ、さらに、ザウアークラウトを盛り合わせてご飯と食べる。赤ワイン少々。
夜の読書:
ユングの本を2夜続けて読んでいたら直接関連はないけれど中沢新一氏の本を思い出した。フランスの構造主義文化人類学者であるレヴィー・ストロースの神話学をベースにあのチベットのモーツァルトで話題をさらったニューアカデミズム(1980年半ば)の旗手の円熟期の作品だ。ベッドに潜り込んで、今夜は氏の本をいろいろパラパラめくってみる。


昔話(童話)のシンデレラ物語に関するもの。フランスのペローの上品なヴァージョン、ドイツのグリム童話の残酷ヴァージョン、ポルトガルのバージョン、そして、南方熊楠が発見した9世紀の中国のバージョンの比較と検討である。昔話は神話的思考を反映しており、世界各地に基本形は同じパターンだが地域の特性が加味された特殊バージョンが見出されるという話。面白いのだが、だんだん眠くなって・・・就寝。22時半過ぎ。

2019年1月25日 (金)

まだまだ釣れるセイゴ。夕刻2時間の短期決戦は3尾にボラ1尾。

1月24日(木) 晴

6時過ぎの眼覚め。


朝の読書は、昨日ツタヤで買った半藤一利氏と出口治明氏の対談「世界史としての日本史」をパラパラと読む。


第二次世界大戦をどのように解釈するのか、興味深かった。第二次世界大戦の結果としての連合国(米英仏ソ中の5ヶ国)による世界体制の枠組みというのは今もって変更されていない。冷戦でソ連は負け、今世紀の中国の台頭している現在は、1945年当時とは状況が大きく違うけれど、枠組みは同じである。第二次世界大戦とは何だったのか。ヒトラーとスターリンの二人が主役であり、チャーチルとルーズベルトは脇役だった。

脇役のチャーチルは、当たり前だが、大英帝国の権益を維持することが最優先の課題であり、そのためにアメリカが参戦するようあらゆる方策を尽くした。ルーズベルトの政治家としての究極の目的は、民主党の先輩のウィルソンの意志を引き継ぎ、今度こそ戦後世界において世界一であるアメリカのパワーを中心に世界構想(グランドデザイン)を実現していくことに心血を注いだ。

日本の昭和の指導者の世界情勢の認識能力、国際政治のリアリティーに対するセンスは非常に低かった。真珠湾攻撃のもつ世界史的な意味とは、アメリカの参戦を決定づけ、三国同盟(日本・ドイツ・イタリア)の負けを自動的に確定させてしまう、という冷徹なリアリズムへの理解はもちろん、想像することさえできなかった。

第二次世界大戦がいつ始まったのか。英国の軍事史の専門家アンソニー・ビーバーの浩瀚な著書「第二世界大戦」(2012年)の冒頭は、1939年のノモンハン事件で始まっているという。ノモンハンは単なるソ連と満州の国境紛争ではない。この事件の最中の8月に、スターリンは敢えて不仲のヒトラーと独ソ不可侵条約を結んだ。ソ連とドイツは9月にポーランドを分割して独ソの国境を画定すると同時に、ドイツは、2正面のうちのソ連からの攻撃の憂慮を取り除き、西側(英仏)への戦争(実際には翌年の5月から侵攻する)に専念できる条件を整えた。

その一方で、東の国境地帯において、独断専行する日本の関東軍との国境紛争を一気に解決すべく、スターリンは、本来なら粛清する運命にあったジェーコフ将軍を起用して近代装備の軍隊を極東に移し、日本の関東軍の日本を叩きのめしたのだが、日本は、これ以降ソ連とはことを構えず、ノモンハン事件直後に日独伊軍事同盟を締結、1941年4月に日ソ中立条約を結び、南進政策をとっていくことになった。

1941年はは半ばから事態はさらに急展開する。日本が日ソ中立条約を締結して2ヶ月ほどで、ドイツは独ソ不可侵条約を破棄して一方的にソ連へ進撃開始(6月22日)。日本がソ連に東から侵攻していればソ連は敗れていたであろうと言われる。しかし、日本は7月に仏印進駐してさらに自らを米英との抜き差しならぬ関係へと追いこんで行った。まして、日本がソ連を東から攻める余裕はなく、同年12月8日に運命の真珠湾攻撃を敢行した。かくして、枢軸国の運命は決した。

1945年の日本の敗戦の時点で残ったのはスターリンだった。ルーズベルトは4月に死去、チャーチルはヤルタ会談のさ中に首相の座を去っていた。勝者はスターリンだった。スターリンとルーズベルトの死が逆の順序だったら戦後の世界はもっと違ったものになっていたであろう。
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朝食:ミネストローネ、イワシの丸干し、ご飯少々。バナナ。一晩ねかせるとミネストローネの味がいっそう引き立って美味い!

全豪オープンテニス、錦織選手は残念ながら途中棄権。3戦連続でフルセット、3時間~5時間の試合を連日やってすでにエネルギーを使い果たしてしまったようだ。

昼食:再びミネストローネ。それに、石窯パンのオープンサンドイッチとコーヒーと伊予かん半分。。父が家にいる日は、好物のコーヒーを必ずお昼に飲む。

15時半過ぎ、家を出て涸沼川のいつもの下流域へ。寒い北風は相変わらず吹いていたが今日こそはと気合を入れた。釣り侍で紅イソメ40グラム購入。2本の竿を出し終わったのは16時過ぎ。直後、上流の竿にアタリがさっそく来た。フィッシュ・オンと思ったが次の瞬間、軽くなった。痛恨のバラし。


それから1時間、まったりと時間が過ぎる。アタリが出始めたのは日没直後から。


Hinumagawa



まずは、上流側の竿に35㌢越えのレギュラーサイズが来た。次のアタリも上流側の竿。しかし、いつものセイゴのファイトではないなぁ、しかし、ずっしりと重い、ひょっとしてマルタウグイか。以前は50㎝越えのマルタウグイが釣れたものが、最近さっぱり涸沼川や那珂川では見かけなくなった。護岸に現れたのは何とボラであった。40㌢まではいかないがグッドサイズ。寒ボラはおいしいと聞いているのでキープ。マルタウグイなら即リリースだ。ラッキィ!


Bora


今日も、上流側の竿にアタリが集中する。3度目のアタリも上流側だった。アタリはそれなりに勢いがあったが、リールを巻くと軽い。上がってきたのは25㎝前後の木っ端ではないがキープサイズのセイゴ。まるごと塩焼きで食べるにはグッドなサイズ。アジの塩焼きに匹敵するうまさだ。下流の竿にようやくアタリがきた。40㌢に近いフッコクラスだ。時間は18時を回った。そろそろ片付けようと思っていると上流側の竿を回収すると20㎝にいかない木っ端セイゴが食いついていた。チリン、チリンと時折鈴がなっていたが、てっきり、川の流れで錘が動いたからだとおもっていたらセイゴだった。これはリリース。と、下流側の竿の鈴がなった。竿を手にして反応を待つ。ゴツゴツと餌を食っている感触が感度のいいPEラインから伝わる。しかし、感触はそれっきりだった。仕掛けを回収すると餌が食いちぎられたままだった。冷え込んできたのでここで納竿。


まだまだセイゴは釣れるようだ。日が暮れて静まり返った川辺で、今か今かと期待感に溢れて待っていると、いきなり鈴がリリーン、リリーンと鳴る。間を置いてまたリリーン、リリーン。この時期のセイゴは水温もあり一気に引き込むアタリをしないのかも知れないが、この暗闇と静けさを突き破るリリーンの音がたまらない。取り込んだ直後は満足感で全身が発火すし、寒さも吹き飛ぶ。大寒の寒さをものともせず、セイゴ君はほんとに果敢に餌を食ってくるファイト満点の肉食魚だ。

釣果:セイゴ2尾(39㌢、37㌢、24㌢)、ボラ1尾 (38㌢)

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夕食:セイゴの山椒煮と大根と里芋の煮物を肴に熱燗を飲む。仕上げは、またまた野菜たっぷりのミネストローネ。釣りで冷え切った体があたたまる。

全豪オープン女子、大阪選手が決勝進出を決める。快挙だ。一方で、日清製粉のコマーシャルで大阪選手の顔を白くしたとして非難を浴び謝罪する羽目に。

夜の瞑想:

ユングがナチス・シンパとしえt非難されたこと - 集合的無意識の一面性の「逆流」としての「非合理主義」、「優越感」、「好戦主義」「秩序」等が、いい形で出る場合もあるのだという考え / 「ユング心理学入門Ⅲ」の第三話 錬金術の謎をとく - で、林教授は、「善と悪の相対性」についての説明を試みながら擁護している。

148ページから

「悪というのは原理的に否定されなければならない。その区別がなくなると、世の中は成り立っていかないので、悪はあくまでも原理としては否定しなくちゃいけない。しかし実際には「悪の善用」とでもいうべき使い方というものがありうるのである。・・・悪を肯定するのではないが、個々の例で見た場合、善が悪に変わりうるからである・・・」

「たとえば、先生の体罰。これは絶対に悪いことである。それが全体的な原則である。悪いことではあるけれど、どうしてもやむにやまれず手を出さなければもっと事態が悪化することもありうる。悪い作用をするかというとそうではなく、それによって子どものほうが感激したり、発奮したり、改心したりすることだってある。悪いのは悪いが、それを100%悪いとは言い切れない・・・・・」

「善と悪とは原理的には絶対的に区別しなければならないが、個別的には相対的になる。」

著者は、ユングが例ととしてよく取り上げるゲーテの「ファウスト」の登場人物であるメフィストテレスにも触れている。メフィストテレスのファウストへの自己紹介:


「自分は常に悪を欲して、しかも常に善をなす、あの力の一部です」。

2019年1月24日 (木)

寒い北風に負けた日、ミネストローネで体を温める。

1月23日(水)晴、風強し


6時過ぎの目ざめ。アカハラ君の声を二日連続で聞けず。

朝食:石窯パンのトースト、納豆、ポテトサラダ、アラ汁

父がデイケアーに出かけた後は、2階で休憩していると、外からアカハラの地鳴きが聞こえてきた。

ネットでBBCニュースを読んでいると、ルドルフ・ヘスの記事を見つけた。

ナチス・ドイツのヒトラーの副官だった人。地位的にはナンバー・スリー。ソ連に侵攻する直前の1941年5月、ヘスは単独飛行をしてイギリスのスコットランドへ。現代史の謎だが、ヒトラーの許可もなく、単独でイギリスと講和交渉のために飛んだとされる。が、イギリスは相手にしなかった。諜報機関に身柄を預けられ、ヒトラーの側近ということで取り調べを受けながらドイツの敗戦まで身柄を拘束され、ニュルンベルク裁判では有罪、無期懲役となり、ベルリンの戦犯収容所に収監。1960年代初めまでにはヘスを除く戦犯はいなくなった。たった一人の懲役囚。1987年8月に首つり自殺をした。実は、この収監されていたヘスは、本物の身代わりで本当はヘスではなかったという陰謀説があったらしい。

記事は、DNA鑑定をした結果、本人に間違いないということが確認されたという。ヘスについてはBBCのニュースで何度かこれまでも取り上げられているようだが、イギリスの心理学者が諜報機関に協力してナチスの側近を通してヒトラーとは何者なのか、ナチスとはなんなのかという分析をしたらしい。昨日読んだ、ユングにのナチスの無意識のキーワードとして「英国に対する劣等感」について、もう一つの記事の中でも触れられている。

https://www.bbc.com/news/magazine-17588632


ダンケルクでイギリス陸軍を殲滅することが出来たのに何もしなかったヒトラー。その一方で、英国への空爆を試みるもイギリス空軍に撃退されるといういかにも中途半端なヒトラーの対英戦争戦略。ソ連への攻撃を開始するにあたって、2正面作成を避けるべく、ヘスは、ヒトラーの考えを「忖度」して、「大英帝国の権益を尊重するかわりにヨーロッパの覇権をイギリスに認めてもらうことを前提とした停戦交渉」のために単独の英国に自ら飛行機を操縦して乗りこんだらしいが、失敗に終わった。

10地過ぎ、資源ゴミ出しに外に出る。その足で、Kストアでへ。キッチン用品の購入。Kストアだが一昨日は閉店していた。店主さんによると風邪に加えて転んで腰を打って一時動けなくなってしまったらしい。骨折しなくてよかった。御歳は80代前半と聞いている。ご主人は介護もむなしくすでに亡くなられている。いろいろアドバイスをしてくださる方だ。さらに、スーパーKにも足を運び、食材を購入。主に野菜類。春菊が高い。一束で300円弱。これでは買う気がしない。たまたまだが、地元の農家の安モノ(130円、つまり半額以下)を見つけて買うことに。

昼食:ソース焼きそば。

釣りに出かけようといったん家を出たが、強い風が吹いてて、途中で方針変更。釣りは取りやめにした。代わりにツタヤに寄り道して2時間ほどぶらぶらする。3冊ほど購入。1500円弱の出費。以前から読もうと思っていた吉田健一の「英国に就いて」もそのうちの一冊。

家に戻って、ミネストローネを作る。ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、カブ、白ネギ、セロリをすべて5㍉くらいのサイコロサイズに切る。ニンニクの微塵切り、トマト2個もサイコロサイズに切る。人参とベーコンをニンニクと一緒にオリーブオイルでまず炒め、それからジャガイモとトマトを除いて次々と放り込む。3分ほどの早業。それから、チキンブイヨンを8カップほど入れ、煮だって来たらジャガイモ、トマトを加え、さらに、マカロニを加えて、弱火ににして20分。途中、キドニービーンの缶詰もタレごと鍋にぶっこむ。20分したら火をとめ、セロリの葉っぱの微塵切りを降入れる。スープの味はうす味。なかなかいい感じだ。胡椒だけ少し加えて完成だ。

出来上がったところで、一休みする。知人から去年もらったまま忘れていた紅茶(ダージリン)を入れて飲む。抹茶味の羊羹をたべながら。

17時過ぎ、元気な父がデイケアから戻る。

夕食は、もちろんミネストローネがメイン。それに、セイゴの切り身の残りにオリーブオイルを塗って直火でグリル。それにポン酢をかけてもう一つの一品と一緒に食す。我ながら、ミネストローネの出来栄えに少しばかり誇らしくなった。

夜の読書:ユング心理学入門を読み続ける。

今日も無為の一日。映画2本立て。

1月22日(火) 晴


今日も終日好天。去年の6月から9月にかけてのあの異常気象と自然災害が嘘のようだ。しかし、地元では地震が毎日1回は体感レベルで起こっていることは気になる。

朝食:イワシの丸干し、納豆、ご飯、アラ汁
昼食:けんちんうどん、伊予かんは半分
夕食:セイゴのボンファム、オードブルプレート(ゴーダチーズ、トマトサラダ、サバの水煮缶と玉ねぎ・パセリとマヨネーズあえ)、ガーリック・トースト、赤ワイン、ご飯少々

マカロニ・ウェスタン「皆殺し無頼」をBS3で観る。制作は西ドイツである。言語は英語、日本語字幕。ロケ地はたぶんスペイン。1966年制作。マカロニ・ウェスタンといえば「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」だが、1960年代半ばには沢山のマカロニものが制作された。中学生3年の時に、地元の映画館で黒田君と観た「復讐の用心棒」というのがあった。これがなかなか面白くて何年か前にDVDを購入して何度も観ている。

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この映画も期待以上に最後まで楽しませてもらった。Bクラスの映画ではあると思うが、早打ちの無敵のガンマンが颯爽と登場し、途中で敵につかまり、いたぶられるが、それを逃れて最後は敵を倒して荒野の彼方に去っていく。悪役は強欲で残酷な美しい女だった。主人公はその夫(悪女に資産目当てで殺される)の甥(遺産相続人に指定されている)。

主人公のライバルは悪女の元夫(あるいは恋人)にして賞金稼ぎのガンマンで、悪女に操られ主人公と決闘すべくストーリーは展開するのだが、二人は漁夫の利を得て財産乗っ取りををたくらむ悪女と彼女の弟とその手下一味と戦う中、友情で結ばれる。悪女の企みに怒ったもと夫は、悪女の館で命乞いをす悪女にすきを見せたところで背中を撃たれて死んでしまう。男は甘い、女の涙に負けてしまう。しかし、その悪女も馬車で逃げ去る際に死にかけながら最後の力を振り絞って撃った怨念の2発の弾丸が、彼女の水筒に穴をあけていた。彼女は結局、荒野の砂漠の中で水がないために野垂れ死にする。これを見届けて、主人公は取りついて離れない相棒(メキシコ人らしい)と二人で荒野の彼方に駆けていく。終了は、ドイツ語のENDEだった。原題はJohnny Yumaである。これが、宣伝のためにおどろおどろしいタイトルになっている。

2本目は、毎週火曜日夜の森繁喜劇「駅前競馬」。偶然にも昼間見たマカロニ・ウェスタンと同じ1966年の制作だ。脚本が何と藤本義一。駅は京王線の府中競馬場。藤田まことが詐欺師で登場。今更ながら気付いたのは、伴淳はいつも「孫作」(まごさく)の名前で登場していること。フランキーは「次郎」さんである。競馬シーンはモノレールが写るところもあるから大井競馬場も使われているようだ。三木のりへいが騎手になる場面も。今回は、山茶花九(さざんかきゅう、算盤のさざんがきゅうのもじりらしい)と日本美人の池内淳子が夫婦で登場している。森繁・淡島夫妻、三木・音羽信子夫妻、フランキー・大空夫妻のそれぞれが映画の最後でお目出度(それぞれの奥様が妊娠)というハッピィエンド。駅前スタンドで売られるフジヤのミルキィがなつかしい(今でも売っているとは思うが)。

映画の後は、2階で、林道義氏の「ユング心理学入門Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」をパラパラと拾い読みする。林さんは東大法学部卒だが、大学院で西洋経済史の大家・大塚久雄教授(マックス・ウェーバー研究の第一人者)のもとで学び、経済学博士をとった人らしいが、方向転換して、ユング心理学の大家になったという変わった経歴の人。自分が情熱を持って取り組む対象であるユングの心理学(心、意識、無意識)と出会うまで随分な回り道をしたようだ。ユング研究の大家とされる河合隼男氏や秋山さと子氏に対して辛口の批評をしている。自分もいずれじっくり読みたい対象がユングだ。フロイトよりも興味が深いと思っている。著作には、ゲーテとニーチェの引用が沢山でてくる。ユング心理学のインスピレーションの源である。ゲーテとニーチェは、全巻を読破していないシュペングラーの「西洋の没落」(20世紀の歴史哲学書の最高傑作であるとひそかに思っている)のインスピレーションの源でもある。ドイツ文化圏のインスピレーションの源とも言えるであろう。

それはさておき、。第3書目のの第5章ナチスの不思議の章が目に留まる。あのドイツでナチス・ドイツが政権をどうして取れたのか、という謎である。第一次世界大戦と敗戦、ヴェルサイユ体制とワイマール共和国の混乱、世界的な不況など、政治・経済・社会的な大変動の中で、ドイツの国民は何故にヒトラー(ユングによれば、「ヒステリー患者」だった)のバカバカしい妄想を信じたのか、という謎。ユングは、深層心理学から解明しようとしたという。


ユングによれば、ドイツ国民の心理的基盤の一面性として、極端なまでの「合理性」(啓蒙主義とキリスト教のうちのプロテスタント派)と「劣等感」(英仏という先進国の存在に対するもの、遅れてできたドイツ帝国とその崩壊に対する屈辱)があげられるという。


敗戦後成立したワイマール共和国の極端な「平和主義」(ゲルマン精神の伝統は、もともと好戦性にあり、矛盾した心性として対立していた)と「無秩序」(ワンダーフォーゲル運動=自由放銃)。ナチズム現象は、ドイツ人の「集合的無意識」の一面性(「合理主義」「劣等感」「平和主義」)に対する心的な逆流であり、それが、最悪の形で具現化されたものだった、というのがユングの分析。最悪でなければ、逆流は許されるのか、という問題は、ユングが親ナチスという非難(道徳的に非難していない)となっているが、これは、筋違いだと、著者は擁護している。「逆流」(「非合理主義」、「優越感」、「好戦主義」「秩序」等)は、いい形で出る場合もあるのだと。

Yung

2019年1月22日 (火)

無為の一日

1月21日(月) 晴


6時過ぎの目ざめ。アカハラの地鳴きは聞き逃したか、鳴かなかったのか、聞くことができなかった。

朝食:昨日釣った一番小さいセイゴの塩焼きを作って食べる。熱々にレモン、日本酒、醤油を少しかける。昨夜作った豚鍋の残り物ときし麺が少し残っていたが、母に譲ることに。ところが、母はあろうことか、誤ってどんぶりごとひっくり返してしまった。熱々の麺を食べ損ねてしばらく意気消沈していた。よほど美味しそうに見えたのであろう。

父がデイケアーに出かけたあと、昨日の魚のさらなる処理を済ませて、買い物に出かける。ジャガイモ、セロリ、人参、豆腐、納豆、お萩、ネギ、ホウレンソウ、スナップエンドウ、石窯パンなど。

お昼:パリパリの石窯パンで、ポテトサラダ、ロースハムにゴーダチーズのオープンサンドイッチを作って食べる。デザートはリンゴ半分。昭和一桁の母にもオープンサンドイッチを献上する。普段はあまりパンを食べない母だが、今朝の食べ損ねたきし麺の代わりである。慰めになったかどうだか・・・。

午後は外出せずゆっくりする。BS3で映画「ミッドナイト・ラン」を見る。1988年の制作。ニューヨーク、シカゴ、アリゾナ(セドナも出てくる)、ロサンジェルスなどのロケが楽しいロードムービーだ。「タクシー・ドライバー」や「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のあのデニーロが出演。犯罪の疑いで逮捕された人の保釈金を用立てする代理業者がいる、というのはアメリカらしい。デニーロは、その業者と契約したもと警察官。保釈金を立て替えてもらって拘束を解かれた人が予定どおり裁判所に出頭することが大事だが、その前にドロンしてしまうケースがあるらしい。そういう人を捕まえて歩合制で賞金をもらう人がデニーロの役回りだ。スティーブ・マックイーンの映画「ハント」もよく考えると同じ稼業に従事していたのか、と改めて認識する。


正義感が強く不器用な生きかたで、シカゴ時代は警察官だったが、仲間とうまくいかなくて退職。職場仲間の妻とは離婚。妻は別の警察官と一緒になる。妻あkらプレゼントされた腕時計を後生大事(ひょっとしてよりが戻るかもという淡い期待)大事にしている様子を見て、護送中の犯人(マフィアの金を横領したまじめな会計士)から、「妻が戻ることは決してないよ」と言い放たれる。この犯人(結構なおしゃべり)とデニーロの会話がよく出来ていて楽しい。世界的な大ヒット作というわけではないだろうが、どことなくコメディー・タッチで味のあるなかなかの佳作である。

この犯人が、リヨン風ポテトの話をするくだりがある。薄切りの玉ねぎをバターできつね色になるまで炒めて、ポテトフライ(マック・ポテトでも可だあろう)と一緒に合わせてできあがる惣菜で、ステーキの付け合せにぴったりなんだ、というシーン。美味しそうだなぁ。今度作ってみるか。

田舎の鄙びた簡易レストランで、お金がなくて、コーヒーだけを頼んだデニーロに対し、一応、ウェイトレスの説明を聞いた上で、紅茶だけをオーダーする。、デニーロからもうすぐ金の振込があるからステーキでも何でも豪勢に食べられると慰められると、俺は、チョリー・ソーセージと卵料理の今日のスペシャルをここで食べたいんだ、とジャブを返す。

自分の性格で日の目を見なかったデニーロだが、護送犯人の命を狙うマフィア一味を追うFBIとの取引により逮捕した後、護送する犯人とロサンジェルス空港に到着する最後で、犯人を逃がすことを決意する。すると、犯人がベルトに嵌め込んだ逃走資金(3万ドル)をお別れの選別にデニーロにプレゼントされる。目出度し、目出度し、となって、ハッピーエンド。
夕食:セイゴの山椒煮、ポテトサラダ、ガーリック・トースト、アラ汁にご飯少々。赤ワインも飲む。

今日も夕方からセイゴ釣り

1月20日(日) 朝のうち曇り、後晴


カラスの声で目が覚めるこの頃。うとうとしているとアカハラの地鳴き。携帯の時間を見ると6時20分。アカハラ君は時間に几帳面だ。

本を整理していて出てきた昔の受験参考書(英文解釈)が出てきた。大方の受験参考書と同じで最初の20ページくらいで書き込みが終わり、後は手つかずにそのまま30数年眠っていたようだ。パラパラ捲ってみると、バートランド・ラッセル、サマセット・モーム、ウィリアム・サローヤン、などお馴染みの作家の名前も見える。かなりの抜粋と英文理解のポイント、解答例(たぶん、添削した学生のもの)と標準訳が書かれていて、読んでみるととてもためになる。今更、受験参考書と思うのだが、勉強と思わずに読んでみるとそれはそれでなかなかためになることを発見した。読了するまでしばらくは、朝の日課になりそうだ。


ここ10年間は、興味があって、下手の横好きで歴史や文芸の専門書を英語やドイツ語で読むことが多い。実感するのだが、読みながら翻訳するのは不可能である。日本語と欧米言語はあまりに違いすぎる。同時通訳の方々はどうして処理しているのだろう。今もって不思議でならない。
高校生のころ増進会(Z会)の添削をやっていた。英語では毎回長文の英文和訳が課されていたが難儀した。意味をしっかりつかむと当時に、いかにきちんとした日本語にするのか。これが大変だったが、2年間続けるうちに手ごたえを感じたのを今もよく覚えている。自分の英語歴はそれが原点にあるように思う。耳からではなく、書かれた言語の解釈と日本語への翻訳。イギリスのパブリック・スクールやドイツのギムナジウムでは、ギリシャ語やラテン語の古典から自国語への翻訳を盛んにやったらしい(戦前の話)。私にとって英語はラテン語であり、ドイツ語はギリシャ語ではないだろうか。漢文(ろくに読めないけれど)はサンスクリット語。
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朝食:昨日の豚鍋の残りとご飯、笹かまぼこに納豆。
休憩してから、昨日でなくなったポテトサラダをまた新たに作る。約1時間半、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、ロースハム、マカロニ、キュウリ、調味料(酢、砂糖、塩、胡椒、マヨネーズ)、パセリの微塵切り等を準備して、10時半過ぎ、完成する。料理は、一人生活をずっと続けていることもあり、30代半ばから見よう見まねで覚えた。基本的に男料理だから、大匙に調味料が何杯とかは目分量である。

昼食:ポテトサラダと石窯パンにカップ焼きそば少々、とコーヒー。

15時過ぎ、涸沼川へ出かける。夕方の2時間、寒いことはわかっているが釣れる確率の高い時間帯でセイゴを狙うことに。大潮だが、川の逆流は緩慢な流れだった。

縄文時代のころ、この周辺は海だった。寒冷化で海面が5㍍さがり長い時間をかけて現在の姿になった。上流の涸沼は昔の海の一部だったのが残ったということらしい。潮の干満で川が上流から下流へ流れたり、下流から上流の沼に逆流したりだ。

16時前に2本の竿を出し終わった。水位は高い。期待はあったが、1時間半、まったくあたりなし。時折仕掛けを回収するが餌も食われない。17時になってようやく日の入の秒読みが始まった。


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しかし、潮はまったりとしてほとんど動かない。うーん、まずいなぁ。17時半、あたりはほとんど暗くなった。一度、上流側の竿に弱いあたりがあったが、続かない。回収すると餌の半分が食いちぎられている。18時前、ようやく上流側の竿にアタリが来た。35㌢越えのレギュラーサイズのセイゴ。


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直後、今度は下流側にアタリが来た。水温が下がったのか、魚の食いは微妙である。しかし、釣り上げた獲物は38㌢前後のグッドサイズ。18時、家に電話して、そろそろ片付けて帰る旨の連絡を入れる。もう一尾と粘っていると、18時10分過ぎ、上流側の竿にアタリが来た。これも35㌢越えのグッドサイズ。3尾目。まだ流れは下流むけて動き出したばかり。粘ればあと2尾、3尾は釣れるだろうことはわかっていたが、今日はこれでおしまいにした。

釣果: セイゴ3尾(35、37、38㌢)
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夕食:サバの水煮、ポテトサラダとサラミ、ゴーダチーズの盛り合わせプレートを作ってガーリック・トーストと一緒に赤ワインを飲む。仕上げは、豚鍋の最後の残りにきし麵を入れて煮込んだものを食べる。
食後、3尾のセイゴの鱗取りと内臓を取ってから2階に上がる。和室の炬燵に入りネットサーフィン。南半球のオーストラリアで記録的な熱さ(40度越え)が続いているらしい。それに、旅行者が相次いで行方不明になって死んでいる。それも女性ばかり。豊かな国のはずのオーストラリアだが、治安は思ったほど良くない。女性へのレイプの発生率は非常に高いという。

2019年1月20日 (日)

明治維新初頭まで浅草寺にはコウノトリが営巣していた!

1月19日(土) 晴


カラスの声で目が覚める。アカハラの地鳴き。今日も6時20分だ。

朝食:石窯パン、納豆、けんちん汁、バナナ

養老さんと竹村さんの対談集を読み続ける。

昨夜のBBCニュースでHitachiがイギリスの原発から撤退する報道があった。今朝の朝刊(読売)にもその記事がでていた。原発はコスト的には見積りができないリスクも含めて決して安くないのだ。同じ原発の開発投資で東芝はとんでもないババを引いてしまいもはや昔日の面影はなくなってしまった。


日本のエネルギー問題はどうのような方向性があるのか?対談では日本は原発は1基まで減らす代わりに、豊富な水力発電、火山の地熱の可能性に活路を見出すべし、としている。石油はいずれ枯渇するにしても、石炭もあるではないか。現代の地球を覆う西洋文明の命脈は、使い放題の化石燃料を前提にしているのだから使い切ればいい。CO2の問題はあるが、日本は先進技術があることを生かすべきだ。風力は日本には向かない。一定の方向から風が吹くことが求められているらしいが、日本の場合は無理があるのでは。


温暖化、それがどうした。地球史的レベルでいえばそれほど悲観的になることはない。温暖化と海面上昇が続くとなると、北海道が住みやすい地域となる。東京の次の遷都先は札幌だろう。専門的な論文ではないこともあり、識者が専門を超えて放談する内容がとても面白いが、リアルでもある。決して、荒唐無稽なことを言っているわけではないことがよくわかる。

昼食:けんちん汁ときし麺

午後の釣りはお休み。左足は順調に回復して、ほとんど意識することはなくなった。実家の階段を降りるときはしかしながら、まだ違和感が足首にあり、いやがおうでも怪我を意識する。

ポカポカ日がさして暖かい1階の居間で電気ストーブ(暖房を設置していない)をつけて、テレビサーフィンをする。スティーブン・セーガルの「沈黙の戦艦」、刑事コロンボなどなど。みな昔みたものばかりであるがついつい見てしまう。


テレビをつけながら、一方で、「シュリーマン旅行記 清国と日本」(講談社文庫)をの江戸上陸から最後まで通読する。


Schrieman



清国の部分(万里の長城、北京、上海)は大分昔に読んだ。トロヤ遺跡の発掘で有名なドイツ人のシュリーマンが、発掘をする前で、ロシアのペテルスブルクを基点に国際ビジネスで財をなし、1865年(ということは明治維新の前)に3月から世界漫遊旅行をした。その際、インド、香港を経由して上海、天津、北京や日本(江戸)に立ち寄ったのだった。その後、太平洋を横断してサンフランシスコに入り、アメリカ、メキシコ、ハバナなどを巡って1866年にパリに落ち着いたらしい。原著はフランス語である。ビジネスマンで実際的な人の視点で当時の日本人の生活を観察して記録にの残していて興味深い。

印象に残った記述:

日本の民家にはガラス窓は一切なかった。襖や障子だけ。通りをあるく日中、道沿いの家の中は丸見えである。家具がない。靴もなかった。下駄、草履、足袋だけ。一方で、小さな庭に植物が植えられ、盆栽を愛でている様子がうかがえること。

外国人は攘夷の侍のテロが怖くて江戸に居を構える外交官はほとんどいなかった。皆、横浜に滞在していた。江戸の中を歩き回るにしても護衛というかスパイを見張る?ために、下級の侍がついて回って、非常に面倒くさかった。下級の侍でも誇り高く決してチップを受け取らなかった。

当時外国為替決済通貨は、メキシコの銀貨であった。固定相場で日本(徳川幕府)にべらぼうに有利に操作されていた(外人は歓迎しない、という意味でもある。それでもよければどうぞ、というスタンス)。

馬は危険な動物として認識されていた。気性が激しく(日本人は馬や牛などを去勢することをしなかった)、また、足に蹄鉄を打たず、藁草履のようなものを履かせていた。

猫の尻尾は1インチしかない。犬についても、ペテルブルク、コンスタンチノープル(マークトゥエインにも野良犬の描写があった)、カイロ、カルカッタ、デリー、北京では大変粗暴で自分たちに吠え向かってきたが、日本の犬はおとなしく、道路の真ん中で寝そべっていると。
白は死を象徴する色であり、葬儀の際は皆が白装束であった(中国も同じ。儒教文化圏はそうであった)。

王子神社の茶屋で食べたお昼:金蒔絵の椀に盛られたご飯、刺身、魚の煮付け、大海老、海藻(わかめ?)、筍、固ゆで卵。

浅草仲見世を歩くところで、庶民に取り囲まれるが、当時は、「外人(がいじん)」とは言わず「唐人(とうじん)」と言っていた。

浅草寺の屋根には、コウノトリの巣があり、シュリーマンは2羽の親鳥と雛を観察している。境内の見世物屋での独楽廻しには感銘を受けている。(明治初期まではそれくらい江戸というのは自然が残されていた)

肉屋、バターや牛乳を売る店、家具屋が一切見当たらない。あるのは、呉服屋、工芸品屋、傘屋、下駄屋、提灯屋、玩具屋。玩具屋でうられている品物の精巧さに感嘆している。ニュルンベルクやパリの玩具屋は太刀打ちできないだろうと。数軒の本屋では孔孟の本が非常な安価で売られていること。

滞在した時期が6月であったこともあるだろうが、肌を露出している人が多いこと、それに対して羞恥心がないことへの驚き。男衆の刺青。公衆浴場での混浴。著者が浴場を通りかかったときに老若男女が羞恥心もなく裸のままとり囲んだことへの驚き。著者はつぶやく「何という清らかな素朴さだろう」。(ラフカディオ・ハーンに通じるインスピレーションか)。

著者のつぶやき:文明ということばが「物質文明」という定義であるとするならば日本は文明化されている。日本人は工芸品において蒸気機関を使わずに達することができる最高度の完成に達している。教育はヨーロッパの文明国以上に行きわたっている。日本では男も女もかなと漢字で読み書きができる。

日本の統治制度への言及:徳川体制は、騎士制度を欠いた封建体制である。ヴェネチア貴族の寡頭政治である。ここでは君主制がすべてであり、労働者は無そのもの。それにもかかわらず、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして、世界のどの国にもましてよく耕された土地・・・。

夕食:白菜、ネギ、シメジ、豚肉、人参を盛りだくさんいれた鍋を作って熱燗を飲む。

夜、ブラタモリのローマ編その2を見る。トレビの泉、映画「ローマの休日」でお馴染みのスペイン広場の階段・・・。自分も行ったなぁ。1999年の1月の正月休みだったか。ローマを満喫したとは言えないけれど(バブル崩壊後で結構仕事はきつかった。日系金融機関も大手は別として名もない地方銀行が競ってシティに支店を出していたが、どんどん撤退していた)、ローマの駐在員所長に大変お世話になって英気を養ったことがローマ滞在と重なって懐かしかった。当時のトレビの泉は改修中で水がなかったような記憶もある。

渋いハゼの穴釣り、それなら、まだまだ釣れるセイゴを狙おう

1月18日(金) 晴


6時過ぎに目ざめる。6時20分、アカハラの地鳴きを聞く。今日もお天気は良さそうだ。

朝食:セイゴのミレイユ風の残り物とご飯。それに、リンゴ。

昼食:銀座ナイルのチキンカレー

午後、涸沼川へ。


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穴釣りで釣れたのはハゼ一尾のみ(13時半~15時半)。


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15センチに届かずリリース。方針を変えて、セイゴ釣りに切り替える。
Seigotui

アタリがないので、探検に出かける。護岸を廻った先はどうなってるのだろうか。幸いにも水位が低いので歩いてみる。

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Tanken

暗くなりかけた直後の17時から17時半の30分にアタリが出て2尾の釣果。その後は川の流れが強くなり釣りにならず納竿。帰路の国道51号は金曜日の夕刻とあって渋滞がひどかった。

釣果: セイゴ 35㌢と38㌢

Seigo_mata2
夕食:昨日とおなじ、アジフライ・コロッケとポテトサラダの定食を作って木内酒造のホワイト・エールビールを飲む。仕上げは、けんちん汁とご飯少々。


涸沼川、セイゴはまだまだ釣れ続きそうだ。

2019年1月18日 (金)

ハゼの穴釣りはお休み。

1月17日(木) 晴


6時過ぎに目ざめる。冷え込みが厳しい。ベッドの中でしばらくじっとする。アカハラの声が聞こえない。

7時過ぎまで30分ほど、「日本史の謎は<地形>で解ける」をパラパラと拾い読みする。この本は2年ほど前だとおもうけど、現在マレーシアのペナン島で年金生活を満喫されている先輩から飲み会の席で「面白いから読んでみたら」と頂戴したもの。すぐに読む機会がなく積読したまま忘れていた。

昨夜、寝る前に、「本質を見抜く力~環境・食料・エネルギー」(PHP新書)をパラパラめくっていて思い出したのだ。「本質を見抜く」は養老孟司氏(解剖学が専門で、昆虫のコレクター)と竹村公太郎氏(土木工学が専門で国土交通省のお役人だった))の対談だ。理科系頭脳による歴史への言及がユニークである。というか、基本的に文献がないと成立しない歴史学の限界へのやんわりとした批判として面白く読める本である。歴史の下部構造として「エネルギー争奪史」という視点を持つことの重要性だ。理科系の人が見れば太平洋戦争とは「石油争奪戦」だった。「昭和天皇独白録」にも天皇陛下(海洋生物学を趣味にされ、周囲が神がかって正気を失っていた時代においてウミウシなどを観察してながら正気を保たれていたのではないか)は「先の戦争は油に始まり油に終わった」とおっしゃっている由。

Enerugi

ヒトラーがソ連を攻撃したのもイデオロギー対立(共産主義対資本主義)はもちろんだが、コーカサスの石油狙いが根本にあった。だから、100万を超えるドイツ機甲師団を3分割するという愚を犯ささざるを得なかった。コーカサスの戦力をレニングラードとモスクワに投入していれば歴史は変わっていた?

日本陸軍は日本の生命線と言われ、資源が豊富とされる満州を獲ったものの石油を確保する発想がなく、大慶油田を発見できなかった。もし、発見していれば、日本はあのように拙速な戦争をする必要はなかったという経済学者・原田泰氏の指摘にも触れられている。陸軍の人々が欲しがったのは目の前にぶら下がった勲章であり、爵位が欲しくて戦争を欲した。そして、日本を滅ぼした。

「日本書紀」に始まる日本のみなもとは大和朝廷。著者によれば日本遷都は過去に2回あった。まずは奈良から京都の平安京。そして、徳川幕府の江戸=東京。すべては河川という交通の便とエネルギー源(木材)が要因であると(奈良時代、大阪の河内は湿地帯だった)。ちなみに、本当は3回の「遷都」があったらしいが、邪馬台国は場所がわからない。地形的にいえば、どうも博多湾に面する流域(伊都国)の可能性が高い、とは著者の指摘。そして、現時点で、東京遷都はリアルではない(地震による都市機能停止に対する対策で遷都するというのはありえない。過去の遷都を見るとエネルギー問題で行き詰まり交通の便と森林資源の豊かなところに移らざるをえないとう必要に迫られてネクスト・ベストの地域に遷都した)が、北京遷都はリアルであるという。人類の遺産とされる万里の長城(それに、始皇帝の兵馬俑)を造成するだけで消費した森林資源の膨大さは見積りが出来ないらしい(エジプトのピラミッドもそう)。2000年にわたる森林伐採の結果が北京に迫った砂漠化なのだ、という。すでに、2000年初頭において当時の朱鎔基首相が遷都について言及しているらしい。

朝食:アジの干物、ポテトサラダ、ニシンの昆布巻、ご飯。(よく考えると昨日と同じ!)それに、バナナ。

資源ゴミを出して、2階へ。11時過ぎまで、ふたたび、ベッドに潜り込んで本を読む。サラリーマン時代には考えられないこと。気ままに読書三昧。

全豪オープンの2回戦。錦織選手、2回戦も苦戦。フルセットの末、タイブレークの末ようやく勝利。3時間40分の長丁場。スゴイ、の一言。

昼食:ミネストローネ、石窯パン、牛肉コロッケ。

今日のハゼの穴釣りはお休み。2階で日記を書いたり、埃をかぶったCDを聞いたりする。今日は、ドイツ語のフォークソングを聞く。Reinhard MayとHannes Bader。前者は、Ueber den Wolken (雲の上)、Gute Nacht (お休みなさい)、Dat du min leefste buest(最愛のあなた)など等。Gute Nachtはオランダで研修をしていたころラジオで聞いた記憶というか録音したテープが残っている。「最愛のあなた」、は、学生時代にハノーバーで親しくなったeter氏宅でエジプト人やフィンランド人の仲間たちと騒いだ折に弾き語りで聞いた一曲だった。低地ドイツ語で、いわゆる標準ドイツ語(Hoch Deutsch、英語でHigh German)とはかなり違う。むしろ、オランダ語に近い。

英訳付きのDat min leefste buestは以下をクリック:


https://www.youtube.com/watch?v=E4WTn4QBp38
この歌はよく意味を考えると、「夜這い」の歌にも思えてくる。インターネットで検索すると、ドイツ語サイトではたくさん出てくる。愛唱?されている歌のようだ。

遠い昔(20代)のころの話だが、数年ごとにひょっこりと思い出しては懐古に浸って悦に入る自分である。特に、フィンランドから来ていた大柄だけど気のやさしいAnne(金髪で青い目だった)と気が合って、夏祭りでPeterが働くパブで仲間たちと飲み騒ぎ、ふと気が付くと夜中に教会周辺を二人手をつないでで散歩していた。そして、教会のそばを流れる小さな川の岸辺の芝生には若い男女があたり一面で熱々状態で抱擁していたのだが、私と彼女も自然に仲間入りしたのだった。

夕食:アジフライ・牛肉コロッケに刻みキャベツとポテトサラダを盛り合わせて日本酒の熱燗を飲む。デザートにリンゴ。フライの盛り合わせと刻みキャベツにウースターソースを掛けてたべる定食は学生時代以来、私の大好物である。付け合せにはポテトサラダかマカロニサラダがよくマッチする。

夜、久しぶりにハリウッド映画「ツーリスト」を見る。舞台はヨーロッパ。冒頭のパリのカフェ、メインはイタリアのベニス。ホテル ダニエリも出てくる。主演の女優(アンジョリーナ・ジョリー)も男優(ジョニー・デップ)も映画で実際に見るのはたぶん初めてかも知れない。2010年の制作。映画館で映画を観なくなって久しい。東武練馬のイオンシネマでYちゃん親子とたまに行くことは行くけれど、本当にいい映画は自分一人で暗闇のなかで観たい。そういう意味で観た最後の映画は何だろう。あまりにも昔のことで思い出せない。映画を映画館で見る時代は1970年前後を境に徐々に衰退した。テレビの普及、1980年代の録画ビデオの普及、1990寝代のDVDの普及とインターネットの登場。池袋の文芸坐地下が閉館したのが1990年代だった。


それにしても、最近、イングリッド・バーグマンの自伝(英国の作家アラン・バージェスとの
共著)を読んだばかりだが、骨太で大柄、鰓も張り気味の美形だったバーグマンと今日のトップ女優であるほっそりと痩せたモデル系の体格と細面のアンジョリーナとはだいぶ隔たりがあるように思える。彫りの深さは西洋人ならではだがアンジョリーナの顔はバーグマンほどクラッシックに整っているようには思えない。そして、最近良く見る森繁喜劇に登場する女優・池内淳子の柔かい東洋美人顔がなんとも自分には愛おしく感じられる。

2019年1月17日 (木)

毎日がハゼの穴釣り・・・だが・・・

ハゼの穴釣りは2尾


1月15日(火) 晴のち曇り


朝食:セイゴの塩焼きとアラ汁、ご飯。


焼き魚は、レモンなどのかんきつ類を掛けるとぐっと美味しくなるのは何故だろうか。魚にには独特の臭みがかならずあるが、それがきれいになくなるのだ。


家電量販店へ出かけて父の電気カミソリの刃のスペアを購入する。平成29年1月に買ったもので2年というのは寿命とは店員の話。メーカーはドイツ製のブラウンだ。自分が使用しているのはパナソニック。5年近く歯を交換していないがいまだよく剃れる。

お昼:コーヒー、コロッケパンとカレーパン。

午後、涸沼川へハゼの穴釣りに。上流側に地元の釣り師の一団が。竿を出していたのは一人。2尾、3尾と真昼間からレギュラーサイズを釣っている。仕掛けの投入は遠投。いわゆる川の澪筋(みおすじ)である。自分はひたすらハゼの穴釣り。慣れてきたので針のロスは減ったがそれでも時折どうしても根掛かりは避けられない。



Anazuri



今日はなかなかアタリが来ない。13時から14時過ぎまでまったくダメ。ブロックの前後左右のスペースに餌を落として歩いていると時間があっという間に過ぎる。14時過ぎに17㌢前後の良型のハゼがようやく来た。それからまた1時間、まったくアタリなし。上流の釣り師は、すべてのセイゴをリリースして帰って行った。釣っても食べない人のようだ。一人になった直後、もう一尾がようやくブルブルッと針に食いついた。16時半前、寒さに耐えかねて納竿。

車のところで、散歩人に声を掛けられる。「いいハゼだね、俺もやってるんだよ」。どこで、と聞くと、掘割(ほりわり)という500mくらい上流の船着き場付近らしい。この時期は餌がハゼの目の前に落ちないと食いつかないネ、と。確率はこの時期は落ちるが釣れるハゼがみな15㌢越えが魅力的だ。


釣果 マハゼ2尾
Haze2

夕食:セイゴのワイン蒸し(ボンファム)を作ってポテトサラダと一緒にビールを飲む。仕上げは、お茶漬けと笹かまぼこ。

ボンファムの作り方:
① フライパンにバターを塗って、塩コショウしたセイゴの切り身を置く。白ワインを適当に掛けそれに少し水を足す。微塵切りにした玉ねぎとマッシュルームのスライスとパセリの微塵切りを乗せて、火を掛け沸騰したら、落としぶたをして、さらにフライパンの蓋をする。火は強火から中火に。火が通ったら、身と具を取り出して皿に盛る。

②ソースの作り方
残ったスープを少し煮詰める。そこに、バター、砂糖(又は味醂)、小麦粉(少々)、生クリー
ムを入れてトロミが出るまでさらに煮詰めて出来上がり。最後にレモン、塩コショウでソースの味を調えて出来上がり。

<見てくれは悪いが美味。(ビールでも、白ワインでも、軽めの赤ワインでも、そして日本酒でも合います>

Bonnfemme

夜、喜劇「駅前番頭」を見る。箱根が舞台。昭和41年制作。冒頭、小田急の箱根湯本駅をおりるフランキー・堺。宿屋の客引きシーン。森繁さんは旅館のオーナー。その旅館にアメリカの大学卒業をして就職の面接に降り立ったのががフランキーだ。伴淳はやもめの旅館の番頭役。娘が大空真由美。美人で色気があって着物が似合う池内淳子は定番の芸者・染子で登場。オーナーの森繁の妻役が例によって、淡島千景で、夫の浮気に目を光らす。三木のり平はハワイからの日系人として登場。例によってドタバタのお色気騒動の末、森繁と淡島さんの仲は崩れそうで崩れず安泰、伴淳さんはお手付きの中村メイコと結ばれ、フランキーは大空真由美と目出度し目出度し。


ちなみに、映画の舞台となった「一心亭」は実在の老舗旅館。
麻布田能久とホームページに見えるけれど、加山雄三の若大将シリーズで登場したと思う。映画ではよくすき焼きパーティをやっていた。一族の方の経営らしい。



ハゼの穴釣りは1尾


1月16日(水)晴


朝食:アジの干物、ポテトサラダ、ニシンの昆布巻、ご飯。

全豪オープンが始まった。錦織選手が1回戦で苦戦するもかろうじて勝利する。父はデイケアーで不在。

お昼:スパゲッティ・カルボナーラ

午後、涸沼川へ。場所を変えて大洗駅裏の中流域の護岸を攻める。1時間半ほど100mを渡り歩いたがヌマチチブしか釣れず。下流域のマイスポットに移動。まだ攻略していなかった上流側をすこし攻めてみた。北風が冷たく手がかじかむ。もう帰ろうと思い始めた16時過ぎ、見るからにハゼが潜んでいそうなブロックの隙間に餌を垂らすと、直後、竿先を通じてゴツゴツとハゼの食いつきを察知。一呼吸おいて抜きあげる。17㌢のマハゼ。釣り上げた直後はどこか黒っぽかったが、帰宅してみると飴色に変わっていた。不思議なお化粧直し。ブロックの中の暗いところにいるとダーク系の色合いになるが、陽の光を浴びるとライト
系の色に変化するのだろうか。


釣果 マハゼ 17㌢ 一尾のみ



Haze1

帰宅すると、横綱・稀勢の里が引退を表明したとの速報。最後は痛々しかった。大関としては史上最強だったかも知れない。左腕の怪我が命取りになった。怪我さえなければもっと頑張れただろうに残念である。運がなかったとしか言いようがない。

夕食:セイゴのミレイユ風を初めて作る。三枚に下したセイゴというかフッコの切り身に塩コショウをして小麦粉をまぶすところまではムニエルと同じ。焼く油は、サラダオイル(私はオリーブオイル使用)。焼きあがったら皿にとり、すぐに酢をかける。別途用意した玉ねぎとマッシュルールのスライスとニンニクの微塵切りをバターで炒め、これをセイゴの身に乗せる。さらに、トマトの輪切りに塩コショウし小麦粉を軽くまぶして、フライパンで両面を焼いて、一番上に乗せ、最後にパセリの微塵切りをふる。フランスの文豪シャトーブリアンのお抱え料理長のミレイユさんの発明によるらしい。白身魚はもちろん、安く手に入るサバでもOKとのこと。両親に好評。仕上げは、ポテトサラダ、ホウレンソウのおひたし、スナップエンドウ、ご飯。

イギリスのブレクジットが混乱の極み。下院でメイ首相が進めてきた案が否決される見込みだという。イギリスは国民も議会も完全に二つに分かれてしまい身動きができない状況。そもそも、こういう重要案件を国民投票にかけた前首相が間違っていたのかも知れない。そもそも、国民投票をかける必要はなかった。EUとおさらばすることがどういうことになるのか、やってみないとわからない、というのは本当のところだろう。一方で、グローバリズムの流れはは不可逆的に今後もどんどんと進んでいく可能性は非常に大きい。ブレクジットもトランプ現象も一時的な後退現象であり、やがてまた、方向転換せざるを得なくなるのではないだろうか。このままだと、合意なしの離脱になってしまうらしい。どうなるのだろう。メイ首相は胃に穴があきそうなストレスをためていると思う。大変な役回りだ。

2019年1月15日 (火)

寒の季節のハゼの穴釣りに挑む

ハゼの穴釣りは空振り・・・

1月13日(日)晴


朝食:納豆、アジの干物、ご飯、セイゴのアラ汁。

午前中は、ためてしまった日記を書くのに集中していたらあっというまにお昼に。

磯辺焼き3個とコーヒーのお昼を食べてから釣りに出かける。昨日のハゼの穴釣りの釣果を見て、いてもたっても居られず13時過ぎ、車を飛ばして涸沼川へ。4.5mの磯竿と6号の袖針を2セット(16本)用意した。仕掛けはアイナメのブラクリと同じ発想。中通しの錘3号に5㌢ほどのハリスにした一本針に青イソメをつけて、護岸のブロックの間や先などの際を丹念に落とし込んで魚が食いつくのを狙う。

到着時、現場に釣り人はいなかった。14時過ぎに一人、セイゴ狙いの釣り人が来た。その後、さらに二人目のセイゴ狙いの釣り師も。下流にそれぞれ釣り座を構えた。自分は上流側から下流に探ろう釣りを始めた。の、だったが、慣れない穴釣り、針が根掛かりし合計10本もロスする。釣れるのはどういうわけかヌマチチブ(だぼはぜ)ばかり。16時まで粘ったが根負けしてボウズで終了。セイゴ狙いの一人は、昼間にもかかわらず、次々とアタリがあり、5尾ほどを14時半から16時の間に釣り上げる。驚きの腕前である。

夕食:アラ汁、セイゴの山椒煮、熱燗、ポテトサラダ

今日の穴釣りの失敗をあれこれ考えたり、2階のベッドで夜遅くまでネットとブックのサーフィンに耽る。明日も、ハゼの穴釣りに行こう!

ハゼの穴釣りリベンジ戦

1月14日(月)晴


世の中は3連休。お正月明けと思ったらまた再び3連休ということでいいなぁ、というのは現役諸君の話。目下自分は毎日が日曜日の生活なのであまり関係ない。目が覚めると6時40分。外は薄明るい。日の入りはだいぶ遅くなったが、日の出は遅い。アカハラの地鳴きを聞き損ねてしまった。

ベッドの中で副島隆彦氏の「英文法の謎」をパラパラと読む。政治・経済評論では一匹狼的な異色の存在である。自ら「狷介な性格」と言っているがそれが災いしているか。同氏の著作に巡り合ったのは1999年のロンドンで旭屋書店でぶらぶらして見つけた。いろいろな評論を読んだけれどほぼ同世代、若き日に左翼運動の影響を受け、しかし、しっかりと就職(外資系銀行)し、その枠に収まりきれず、予備校の英語教師をしながら評論活動を始める。直観がするどく、どうかなぁ、と思う部分もあるがしかし、確かにそうだなぁ、という核心をえぐる鋭い舌鋒が魅力である。法律を学んだ方だし、英語学を専門にしているわけではないが、英語の専門家が専門のジャーゴン(目くらましのことば)で素人の我々を欺き、かつ、自らをごまかしていることを指摘して日本の学校英文法の世界になぐりこみをかけたのがこの本、という触れこみ。長年積んどく状態だったが、随所にめからうろこの指摘がある。ちなみに、自分は、同じ著書の映画評論こそが氏の才能をいかんなく発揮していると思っており愛読している。

朝食:セイゴの塩焼き、ご飯、ポテトサラダとアラ汁。

昼食:北海道産ジャガイモとベーコンのグラタン

午後、昨日のリベンジに再び涸沼川へ。群馬ナンバーの車が止まっていて、二人の中年夫婦が竿を出していた。昨日は、日中でもセイゴが釣れるのを昨日目撃したので、下流の護岸に一本遊び竿で出して、下流から上流に向けて穴釣りを決行した。昨日の練習が利いたのか、探り釣りを初めて10分ほどでゴツゴツというアタリが竿先を通してきた。14㌢ほどのマハゼがいきなり釣れてきた!


Anazurfi


コツがなんとなくわかったようである。時計を見ると13時半過ぎだ。一気にテンションが上がる。15時ごろまでの1時間半で5尾をゲット。1尾はポチャリと護岸手前で落としてしまった。サイズ的には13㌢から17㌢。10尾釣りたかったが15時をすぎたころからヌマチチブしか釣れなくなってしまった。どういうわけだろうか。穴釣りは、本来なら8月から12月がシーズンだろう。昨日の真岡からやってきた釣り師によると食いが活発な時は30尾くらいは釣れた(11月)という話。

一方、遊びで置いた竿だが、鈴が鳴ること合計4度。2度は針がかりしなかったが、2尾、いずれも35㌢前後の涸沼川レギュラーサイズが釣れた!

Kyoumoseigo

16時に納竿、満ち足りた気分で帰宅。しばらくはハゼの穴釣りにのめりこみそうである。カレイ釣りもいいのだが、まったりと待つのが苦手な自分には、足腰を使って釣り歩くハゼの穴釣りがあっている。足のリハビリのためにも(ほとんど違和感がなくなった)。

釣果:セイゴ2尾(33㌢と35㌢)、マハゼ5尾(13㌢~17㌢)
Seigo2


Haze5

夕食:セイゴの塩焼きにレモンとお酒と醤油を垂らしてビールの肴にする。昔、虎の門の「よっちゃん」で食べた下田産の脂ののった金目鯛の塩焼きのレベルまでは行かないが実にうまい。

横綱の稀勢の里が2連敗。もはや横綱の相撲がとれなくなってしまったようだ。勝負の世界は残酷だ。勝てなくなったら終わりなのだ。醜態を続けるより、もう引退したほうがいいと思う。

2019年1月13日 (日)

朝鮮半島再び~今年の初釣りは上々の出来だった。

1月13日(土) 曇り


4時過ぎに一度目が覚める。その後、なかなか眠れなかったが、何とかもう一寝入りはできた。時計を見ると6時40分すぎになっていた。アカハラの声を聞き逃してしまった。シジュウカラの囀りは今日もなし。昨日は、近くの家の柿の木に群れていたのをみかけたが。

日韓関係が非常に難しくなっている(強制徴用、レーザー照射等)。沖縄の問題もそうだけれど、中国という存在の磁力が増すと、それに近い地域はどうしても中国を向いてしまうというということらしい。19世紀の初頭までまでの東アジアは中国が圧倒的に強かった。日本は歴史的には影響は受けたけれど基本的に朝貢しなかった「化外の民」(倭=こびと)だった。琉球王朝も朝鮮王朝も朝貢国であった。しかも、琉球は規模こそ朝鮮とは比較にならない小さな島だったが、朝貢国ランクでは席次は朝鮮より上だった。驚きである。琉球の位置が東南アジアの交易で果たしたメリットは大きかった。そういう記憶が現在の韓国や沖縄にあるのだ。そして、中国は過去の栄光の世界の復活にむかって21世紀にはいり着実に動き始めている。

朝鮮半島は、周辺の大国の草刈り場である。地政学的に日本が大陸進出するときの通り道であり、大陸勢力(中国やロシア)が南下するための通り道なのだ。長らくは中国の、19世紀後半からは、加えてロシアの、そして、日本の。清朝は、北からロシア、南からイギリスに浸食された。イギリスは上海と長江が北上の限界で、かつ、通商がメイン。一方のロシアは、通商に加えて領土的拡張(万里の長城以北の満州から朝鮮半島)が目的だった。


歴史的には、7世紀に、日本と百済が唐と高麗の連合軍と戦い、13世紀には、モンゴル帝国の一部をなしたフビライの元(すなわち、中国)が朝鮮半島を経由して日本を襲った。16世紀に豊臣秀吉が明を征服する目的で朝鮮半島に侵攻しており、日本対明・朝鮮連合軍と戦っている。

1895年の日清戦争は当時の朝鮮王朝をめぐっての日本と中国の戦争だった(中国軍といっても実態は、清朝の高官であった李鴻章の私設軍隊)。朝鮮半島は、日本の保護国、さらに、併合されて大日本帝国の一部となり、1945年夏の日本敗戦によりアメリカ軍により解放された(日ソ中立条約を踏みにじって参戦したソ連により37度線以北はソ連に占領された)。この時の経緯、実態、問題性は、小室直樹氏の「韓国の悲劇」に詳しい。そして1950年の朝鮮戦争による国連軍(実質はアメリカ軍)と北朝鮮・中国連合軍の戦い。1952年、スターリンの死を契機に停戦。


朝鮮半島は、大陸国家と海洋国家の勢力がぶつかり合う宿命にある紛争の地なのだ。ヨーロッパだと、東欧諸国、さらには、二つの大陸(ユーラシアとアフリカ)の通り道にあたる中近東諸国がそれにあたる。何かと言えば、戦乱が絶えない地域という宿命を背負わざるを得ない地域なのだ。今も実際にそうではないか。

明治から昭和20年の敗戦までの日本の歴史は、日本の安全保障の必要から始まった朝鮮半島への進出が、いざ、戦争をして勝ってみると戦争という犠牲のもとに得た権益が手放せなくなり、本来ならば、大英帝国、ロシア、アメリカなどと肩を並べてパワーゲームをやる実力がない半人前にも拘わらず、背伸びに背伸びをして突っ走ってしまった悲劇であ  る。清朝の衰退と極東地域の権力の空白の要素が大きいと思われる。清朝がしっかりしていれば、中国の天下・朝貢体制は維持されたし、日本は大暴れしなかっただろう。

朝鮮は、漢民族の明を滅ぼして成立した異民族(満州族)による清朝にも朝貢を続けたが、異民族王朝への蔑視と明朝の正統を自分たちが受け継いだという観念に染まった人たちである。彼らにとって日本は、漢字、儒教、仏教を教えてやった弟分という位置づけ、というのが刷り込まれている。


その異民族王朝である清朝を滅ぼして成立した漢人王朝である中華人民共和国(本来は中華民国)への潜在的な尊崇が深い意識レベルにある。明治維新以来、あっさりと漢文世界、すなわち、中国文明を捨てた日本にはもはや中国への尊崇はない。あったとしても、三国志や中国の唐の時代か、せいぜいのところ宋のころまでであって、明朝以降の中国をほとんど知らない。

あれだけ北朝鮮から不合理な被害(ラングーンのテロ、大韓航空爆破、数年前のどこだったかの島への砲撃、自国海軍の船の爆破等)を受けながら何ら報復をほとんどしていない韓国とは一体何なのだろう。文大統領は、日本では死滅しつつある左翼リベラルである。(日本の左翼リベラルも高齢化してやがていなくなるであろう)。北朝鮮に甘い。韓国は、エリート層になればなるほど、反米、反日で親中・親北朝鮮になるという。庶民層のレベルになればなるほど親米・親日になる傾向が顕著らしい。


アメリカ軍の韓国駐留は、大日本帝国崩壊後の対ロシア(+中共)勢力に対する肩代わりであった。日本(陸軍)の大陸進出で大日本帝国は墓穴はほった、が、進出する究極の目的はもともとは繰り返しになるが日本の安全保障であった。ロシア革命以降は実質的には、第二次世界大戦後の米ソ冷戦に先駆ける日ソによる冷戦であった、と考えることも可能である。ソ連崩壊までの北朝鮮は、兄の中国、親のソ連に支えられて冷戦の共産側最前線でアメリカ帝国主義の前線基地・韓国と対峙したと位置づけられる。


アメリカのストラテジストのルトワック氏は、韓国を評して、「米国と中国双方の従属者になっている」、としている。米国に対しては全面戦争(朝鮮戦争レベル=中国+北朝鮮とひょっとしてロシア))の抑止力、中国に対しては、一時的(北朝鮮単独)な攻撃に対する抑止力を依存している、と。日本はあくまで後方基地としての米国の一部でしかない。だから、子供じみた(渡部昇一氏は、捨てられた女の恨みつらみ、と評した)感情次元で日本に嫌がらせを続けるが、あくまでも米国(日本の瓶の蓋)と中国(北朝鮮の手綱引き)があってできることなのだ。つまり、両国の掌の上で「あかんべぇ」をする子供と同じ振る舞いなのだ。


彼らの屈辱感は深刻である。嫉妬の要素が一番大きい。本来自分たちが格が上なのにこの150年、併合され日本人になることを強要され、アメリカ!に解放され、日本の戦後賠償と技術供与(新日本製鉄の技術もそうである)、また、アメリカが日本を押さえるために韓国を後押しもしたことから、今日の繁栄を築きあげることが出来たにも拘わらず、反米、半日なのである。駄々をこねる気位の高い問題児と言われる所以である。

無償の施し(日本のような思いやり予算などない韓国はアメリカの駐留軍の抑止力にただ乗りしている)ほど人の自尊心を傷つけるものはない、とルトワック氏は韓国のエリート層の反米意識の根底にある原因を指摘する。

日本に対して、さしたる抵抗もせずにあっさりと併合を許してしまった朝鮮。自ら血を流して独立を勝ち取ったわけではなく、アメリカ軍に日本が敗北した結果としてできたのが韓国。
フランスやユーゴスラビアのような命がけのレジスタンスをたわけではない。オランダがドイツを憎む感情は韓国の対日感情に通じる、とルトワック氏は指摘する。第二次世界大戦時、オランダはさしたる抵抗もせずヒトラーのナチスドイツを受け入れ、ユダヤ人虐殺に間接的に協力してしまった。

日本が、稚拙で乱暴ではあっても、李氏朝鮮の身分制社会を解体して、庶民の近代資本主義社会への参加を可能にしたという事実、(当時の秩序=朝鮮社会の常識を否定し、両班階級のエリートの神経を逆なでにした)、そして、多くの庶民はすんなりそれを受け入れたという事実(それでも日本人が朝鮮半島の住民を2級市民として蔑み差したという事実は残るが)、近代教育制度やインフラを作り、日本敗戦後の自国の近代化に向けた発展の基礎を作り戦後も支援をしたという事実そのものが、朝鮮半島のエリートたちには心情的に受け入れられないのだ。ここが、台湾と違うところで、朝鮮半島の人々の難しさである。

韓国の安全保障に関与するアメリカの観点からすると、韓国を北朝鮮から庇護するコストとリスクを全面的に負っているも関らず、韓国への影響力は中国と折半しなければならない、という割の合わない状態なのだ。 現在の行動様式が自らの安全保障に逆行する行動なのだということがわかっていない韓国に苛立ちを隠さない。韓国は、実質的に主権国家を放棄しているのだ。核放棄に向けてのアジェンダ設定がないまま、対北朝鮮の制裁を解除しようという動きを見せる韓国の深層心理には同じハングル民族が核兵器を自分たちに向けるとは思っていないのではないか。

米中対立が劇化するなか、金正恩さんが数日前に中国を訪問した。昨年6月のトランプ・金会談後、何が進んだのか、というと何も進んでいない。結局、核放棄が先なのか、国連経済制裁解除が先なのか、いまだに決まらない。平行線である。前段としての停戦協定の廃棄と平和条約(戦後処理)を締結するという提案も滞ったままである。そもそも何をいつどこまでやるのかというアジェンダ設定がなされていないのだからポーズだけで実質的に放置されたままなのだ。今年、2回目のトランプ・金会談がなされるというが、トランプさんはどこまで安全保障の問題を理解しているのか別の不安もある。台湾問題と同様に朝鮮半島の問題は事の本質が同じなのだ。
いずれにしても、自らの安全保障をめぐって、自分たちで何かをするよりも、中国とアメリカ(100年前の20世紀初頭は、中国、ロシア、日本の3国)の顔を伺い両天秤にかけながら「うまい汁」を吸う(施しを受ける、逆に言えば、タカリ)という韓国の行動様式は、地政学的な遺伝子としてこの民族に埋め込まれているのだろう。

朝食:納豆、アジの干物、ご飯


昼食:牛肉と白菜煮に玉ねぎを加えて丼飯にして食す。

Yちゃんもとりあず滑り止め校が合格し、気分も軽くなったので初釣りに出かける気分になった。東京都では初雪も観測されたらしいが、Yちゃんは朝からお母さんとカラオケでリラックスしているとのラインで写真が送られてきた。それなら私もである。

15時過ぎ、車で家を出る。上州屋で紅イソメ50グラムを購入していつもの涸沼川下流域にやって来た。今日は土曜日。5人の釣り人が竿を並べていた。一番上流は地元の人らしく、そして火を焚いている。夫婦で2本の竿をだしている初老の人たち。10時過ぎから竿をだしているが、まだ1尾しか釣れないという。宇都宮から来ているという。


Hinumagawa2


もう一人は、なんとハゼの穴釣りをやっている。釣れるんですか、と聞くと、最初の2時間はだめだったが、護岸の上流のほうでアタリが出始めたという。バケツを覗くと17,8㌢のマハゼが4尾、5尾。一番下流は、この人が竿を一本置き竿にして出しているので、宇都宮の老夫婦と同じく栃木の真岡から来ている若手のハゼ師の間に竿を2本出した。準備していると、ハゼ師の置き竿がガタガタなった。アタリだ。上流から大きなハゼを手にして戻ってきた若者に当ってますよ、と一言。ええっ、と急いで取り込むと、30㌢ほどのセイゴが釣れた。穴釣りで釣れたダボハゼをつけてぶっこんだ仕掛けにセイゴが来たようだ。セイゴはいるのだ!



Hinumagawa

2本の竿を並べ終わったのが16時前。曇り空。関東も山間部で雪ということで寒さを覚悟したが、それほどでもない。1時間ほどは何事もなく、ハゼ釣り師を観察。2尾、3尾と追釣する。若奥様が待っているという若者(と言っても30代)は16時半過ぎに去っていった。



<今日は中潮。干潮で水位は低かった>
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陽が延びた。まだ明るい。薄暗くなりかけた17時前、下流側の竿が小さく2度、3度お辞儀した。鈴はかすかになるだけ。うーん、一気に来い、とじりじりしながら待つ。道糸が弛んだ。獲物は前進したな。ソレっと合わせを入れるとフィッシュ・オン!35㌢前後の涸沼川のレギュラー・サイズが釣れた。ほっとした。2019年の初釣りの一尾目はシルバーの細身の魚体のセイゴである。鱸の子供だが、精悍な肉食魚だ。時計を見ると16時52分。直後にまた下流側の竿にアタリ。2尾目が来た。ほぼ同じのレギュラー・サイズ。そして、3度目も同じ竿。途中でかなりの抵抗があり、直後ふっと軽くなった。痛恨のバラシ。4度目も同じ下流の竿。こちは護岸手前で引き揚げる際に護岸の際にぶつかり、ぽしゃり。逃げられる。約20分で4度のアタリ、2勝2敗。



<本日のアタリ竿>
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17時半前、周辺は真っ暗になった。5度目のアタリも下流の竿。途中からの手ごたえが大物を感じさせた。無事に護岸に取り込む(引っこ抜き)。目測40㌢のサイズ。体が発火しそうになった。そして、ようやく上流側の竿にもアタリが来た。こちらも大物らしき魚信。ほぼ同じ40㌢前後のサイズ。立て続けのヒット。その後、小さいアタリはあるが針掛かりしない状況が続く。時計は18時。餌も残り少なくなった。上流側の鈴が激しくなった。竿が上流側に少しずれ動いている。合わせを入れてリールを巻くとあまり重くない。本日最小サイズ
(30㌢超)のセイゴだった。

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18時20分前、下流側の竿に最後のアタリが来た。35㌢前後のレギュラー・サイズ。これで餌がつきた。納竿。



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火照る体と興奮を味わいながら国道51号を安全運転しながら19時過ぎに帰宅した。


本日の釣果:セイゴ6尾(42㌢、40㌢、38㌢、35㌢2尾、32㌢)


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帰宅後、早速に血抜きをして夕食(けんちん汁と牛肉白菜丼)を食べる。食後、急ぎ鱗を落てて内臓だけは取り除いてアイスボックスに入れる。下処理の仕上げは明日に持ち越し。


熱い湯舟に浸かり、早めに2階に上がり、ベッドに潜り込む。満ち足りて熟睡に落ちた。

Yちゃん、取り敢えず第一関門突破。良かったぁ・・・。

1月12日(金) 曇り


6時過ぎの目覚め。今日もアカハラの地鳴きを聞く。昨夜、寝る前、Yちゃんのママから連絡あり。滑り止めの受験、まさかの失敗。エエエッ、と驚くが試験なんて運不運がある。慰めるしかない。今日の第2試験(敗者復活戦)で頑張るよう励ます。

朝食:アジの干物、ポテトサラダ、ご飯少々にお雑煮用の汁。

9時半、市の介護関係の職員がやってきて母の介護認定面接を行う。昨年に続き2度目。まだ介護を受ける必要はないほど頭脳も体のしっかりしているが、いつガタガタとなるかわからないのでケアーマネージャーのアドバイスによる。近くに住む年老いた母のマンションに通い面倒を見ていた知人が、ある日訪ねたら、昨日まで元気だった母が用も足せずに床に座り込んで泣いていた場面に遭遇して愕然、茫然自失したという話が自分の頭の片隅にある。

10時半、ケアーマネージャーさんが来る。

昼食:お雑煮用の汁で力ウドンを作って食べる。両親にも好評。

ワーグナーのCDを聞く。ショルティー指揮のワーグナー・デラックス版。楽劇「ラインの黄金」から第4場、楽劇「ワレキューレ」からワレキューレの騎行、同じくヴォータンの別れと魔の炎の音楽、いずれも第3幕から、楽劇「神々のたそがれ」ジークフリートのラインへの旅、葬送行進曲とフィナーレ。ワレキューレの騎行を聞くとどうしても映画「地獄の黙示録」を思い出してしまう。

午後遅くから夕刻にかけてセイゴ釣りを考えたが(今日は大潮直後の中潮)、Yちゃんのことが気になって気力が萎えてしまった。本人はまさかの失敗で泣いたらしい。人生の試練と言ったら大げさだが、乗り越えないといけない試練は一生ついて回ること。一つの失敗でめげていたら生きていけない。タフにならなければ。などなど勝手な思いが去来する。人生は失敗や挫折の連続だ。本日は敗者復活戦、2度目の試験の受験に行った。幸運を祈るばかりである。本人よりも周りのほうがハラハラしてしまうのがこの世界だろう。お母さんは昨夜は眠れなかったらしい。

夕食:牛肉と白菜の蒸し煮(味付けは醤油、オリーブオイル、砂糖と味醂にお酒)をつくり赤ワインを飲む。それにポテトサラダ。いい味になってきた。

BSで「欲望の資本主義2019」の再放送を見る。


ケインズもハイエクもケースバイケースで正しいということだろうか。少なくとも、20世紀前半、大恐慌から1960年代まではケインズ全盛時代であり、ハイエクのような自由主義では時代を乗り切れなかった事実がある。社会主義(共産主義)にしてもファシズム・ナチズムにしても、自由主義を否定した中央権力による計画経済である。ファシズム・ナチズムはそれにナショナリズムが結びついた。社会主義がインターナショナリズムを謳ったのに対し(レーニンの後を継いだスターリニズムは、インターナショナリズムという仮面のものとにナショナルな一国社会主義=ロシア帝国を復活させてしまったが)。


しかし、1980年代から西側では「新自由主義」が始まりそれと並行するようにソ連は崩壊してしまった。新自由主義(市場経済主義)というインターナショナリズムが、社会主義というインターナショナリズムに勝った瞬間だった。キーワードはテクノロジー。社会主義(市場を否定した計画経済)は、テクノロジーの競争において自由主義陣営に負けた。1990年代から始まったアメリカ覇権による新自由主義が世界を覆い始めた。キーワードは、テクノロジーの粋から生まれたインターネット(アメリカの軍事産業が開発したものを無償で世界のインフラとして無料で開放した。インターネットの胴元である。これが意味することは?タダほど怖いものはない)というテクノロジーの粋である。

今日では、インターナショナリズムというより国・国境を前提としない「グローバリズム」がもう一つのキーワードだ。国が管理できない権力=GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)は、インターネットという基本インフラのもとに巨大産業を構築してしまった。アメリカの東海岸のウォール街に匹敵するハイテクIT産業の巨人たちがアメリカの西海岸で大きな力を世界に向けて放射している。

数年前に、サンフランシスコを訪れる機会があった。サンフランシスコの物価の高さは異常である。ITエンジニアが住む町ではワイン一本の単価が1万円からである。我々庶民だと一本1000円のワインがそれなりの贅沢なのに。ファースト・クラスのホテルの部屋単価が3万、4万である。誰が泊まるのだろう、と思っていたら日系企業の人が、IT関係の人だそうだ。モノづくりのメーカーはサンフランシスコからどんどん撤退して地方というかアメリカの地方、それも南に移動しているらしい。トヨタもサンフランシスコに比べればかなり物価が安いロサンジェルスを引き払ってしまった。

インタビューされた専門家で印象に残った言葉。結局、「GAFAによる、グローバルレベルでの中国型資本主義が成立しつつある」。

22時、Yちゃんのお母さんから連絡あり。2度目で「合格」した、と。良かった、良かった。早速にライン電話で、お母さんとYちゃんにお祝いの言葉を贈る。血の繋がりはないとは言え身内のようにホットした安堵感に浸る。

スッキリした気持ちでベッドの中に入り、眠くなるまでRestless Empireを読見続ける。

2019年1月12日 (土)

ポテトサラダ第三弾、映画「ジャッカルの日」、フェイクニュース

1月10日(木) 曇り


5時半の目ざめ。Kim Philbyの最後の章とジョン・ル・カレのあとがきをぱらぱらと読む。アカハラの地鳴き。時計は6時22分。しばらくして、シジュウカラの囀りが昨日に続き聞こえてくる。二日連続のうれしい囀り。寒さは厳しいがもう春の予感を感じさせる。ウグイスが鳴き始めるのは例年3月上旬だ。

朝食:塩鮭半分と納豆にお雑煮用のお汁。

昼食:小豆とお餅、コーヒー。

午後、ポテトサラダの第三弾を作る。味付けも改善。好評に答えて再び1時間半ほどかかったが料理した。小ぶりのジャガイモ6個、玉ねぎ半個微塵切り、キュウリ、ハム、パセリ、人参にマカロニ100グラム。それぞれ手際よく用意して酢と砂糖とマヨネーズとオリーブオイルを使って和えるだけ。

作りながら、BSで「ジャッカルの日」を見る。フレデリック・フォーサイスの映画化。三分の一くらいからじっくりと最後まで見る。1973年製作だ。いつ見たのかは記憶に定かでないが、最後の場面で暗殺者の打った弾がフランス式挨拶(キス)をするために頭を前に動かした空間を通て路面に着地するシーンは焼き付いたまま残っていた。セリフが少ないもののロケーションの風物も楽しませてくれるし、サスペンス感十分のいい映画であった。


「カルロス」という実在のテロリスト(ヴェネズエラ生まれ)が1970年代から1980年代に暗躍した(レーニンの崇拝者でモスクワで訓練を受け、KGB、PFLP、リビアなどのために仕事を請け負い、日本赤軍とも接点あった)彼は、遺品の中にフォーサイスの「ジャッカルの日」の本を持っており「ジャッカル」と呼ばれるようになったらしい。従って、映画のジャッカルとは違う。ちなみに、映画のジャッカルはイギリス人らしい。

夕食:自作のポテトサラダ、サラミ、鶏レバーの赤ワイン煮などで赤ワインを飲む。仕上げは、今朝の塩鮭の残りとご飯、それにリンゴのデザート。
早めに2階に上がり、ネットサーフィンする。久しぶりに、以前、ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」を読んだときに秀逸な「闇の奥」論を展開して注目していたカナダ在住の日本人(エドモントン大学の理科系の教授)のブログサイトを久しぶりに覗く。


https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru



最近この方は40年住んだカナダを引き払って日本に戻られたようだ。老人ホームに入って、なおかつ活発な精神活動をされているようで感服する。立場的には反米のリベラルな方だ。アフリカのエリトリアの国連制裁が昨年解除になったが、オバマ政権時代に始まったこの制裁のでたらめ振りを徹底批判している。最近、流行語となっているフェイクニュースについての考察の例だ。国連制裁を正当化するためのロジックがフェイクニュースなのだいう。つまり、単なる事実の偽り報道ではなく、ある目的をもって世論を誘導する意図のもとに実際とはことなるニュースのこと。アムネスティーとか人権擁護のNGOなどは、いわばそれに奉仕する駒になりさがってしまっている、とまで批判している。ユーチューブで、制裁が始まった直後にアルジャジーラで南アフリカの白人女性ジャーナリストがエリトリアの独裁的な黒人大統領に初めからエリトリアが「クロ」(有罪)であるという前提で「大変失礼な」インタビューをしている、と指摘。しかも、事実としてエリトリアは「シロ」(無罪)だったから制裁解除になったわけではなく、地政学(ロシアや中国)との角逐から方針転換したからであって、不合理な制裁に対する謝罪があるわけでもないという大国アメリカの身勝手さ(その意味ではロシアも中国も同じだろうが)への忌憚のない批判がなされている。

一方で、最近の女性への性的関係を迫る(あるいは、ドメスティック・バイオレンス)を告発するMeToo運動には疑問符を呈している。行きすぎだと。その例として、イワン・ブルマ氏(オランダ人ジャーナリスト、日本留学経験あり)がニューヨーク・ブック・レビューの編集長が、カナダで告訴はされたが無罪判決を勝ち取ったものの、女性パワハラ問題で仕事を失ったテレビ・パーソナリティのエッセイを記事を自分の判断で雑誌に掲載し、批判を浴び、1年足らずで解任されたことにふれてコメントをしている。


女優カトリーヌ・ドヌーブらフランスの女優らがこの動きを批判(過度のピューリタニズム、女性はもともと男性からアプローチされる存在であるからいいかげんにしろ、という意味)
したら、たちまち、再批判がなされ謝罪した、ということを自分もBBCニュースで読んだ記憶がある。「文明の衝突」や遺作「分断されるアメリカ」を著したハーバード大学のハンチントン教授もこれらの著作によってアカデミー界では「人種差別主義者」のレッテルを張られそうになり弟子たちが必死にそれを否定するコメントを出さざるを得なかったらしい。移民の国アメリカ故に、人種的・文化的なバックグラウンドを表明することは否定されるらしい。


「人類には文化を超えた普遍的な性質がある」という信念で、アメリカ=自由と民主主義=アメリカン・ウェイ・オブ・ライフがそれであると固く信じて疑わない強固なイデオロギーである。ジェンダーの問題もそれに関連している。自由=リベラルということが絶対命題的に言論界を覆っている(日本もそうだが)。ナショナリズムを鼓舞する象徴として見られることが多い安倍首相がニューヨークタイムズなどで批判されるのも同じことである。トランプ大統領が当選した背景には、このいわゆるポリティカル・コレクトネスにウンザリした白人層が
意識的・無意識的に呼応している結果ではないか、という穿った見方もあるらしい。

2019年1月11日 (金)

シジュウカラの囀りを聞く!

1月9日(水) 晴、北風強し


6時過ぎに目ざめる。アカハラの地鳴きは6時26分。寒いのでベッドでぐずぐずしていると、何と、シジュウカラの囀りが聞こえる!寒さは吹き飛ばないが一瞬だけ心が躍った。

馴染みのあるシジュウカラの囀り(インターネットからのリンク):
https://www.youtube.com/watch?v=_TqXCD6IUfU



毎朝聞くアカハラの地鳴き(最初の囀りの次が地鳴き):
朝食:昨夜の豚鍋のスープに白菜を追加して温め、お餅をいれて食べる。

9時半過ぎ、父がデイケアーに出発するのを見届けてからハローワークへ出かける。用事を済ませて、銀行によって出金、少々買い物をして帰宅したのがお昼前。

昼食:力うどんを作って食べる。

午後は、パプリカのマリネを作ったり、ワーグナーのCD3枚目を最後まで聞く。三日がかりでタンホイザーを聞き終わる。好みはあるだろうけど、ワーグナーでは一番好きな曲だ。夕星の歌は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の神々の黄昏でも効果的に使われていた曲だし、1980年代だろうか、サントリーのウィスキーの宣伝でもバックに流れていた記憶がある。ワーグナーはフルコースの音楽だが、聞き続けるとお腹にもたれてくる。ワーグナーが全盛の19世紀の後半にドイツを旅したマーク・トゥエインは食傷気味になり、「Wagner's music is better than it sounds」とどこかでナンセンスな皮肉をつぶやいていたと思う。

夕食:お歳暮でもらった鳥レバーのワイン煮と金目鯛の干物を肴にビールを飲む。仕上げは、お雑煮。

Yちゃんは明日から、滑り止めらしいが受験をするらしい。合格圏内ではあるけれど緊張してるだろうなぁ。私も、高校、大学と2度受験を経験した。もう大方忘れてしまっている。受験する本人はそれほどでもないかも知れない。人生の関門だからだれもが通り過ぎなけれあならない。励ましのメッセージをお母様に送った(本人に頑張れというと要らぬ緊張感やプレッシャーを危惧した)。

2019年1月10日 (木)

寒さに負けて家に籠る日々・・・

1月8日(火) 晴


本日も好天。北部の袋田の滝は9割5分氷結したらしい。

朝食:サバの文化干し、ご飯、若干のお節料理の残り物。

昼食:納豆と海苔でお餅3個。それにコーヒー。

ゴーンさんが東京地裁に出廷したらしい。当然ながら「無罪」を主張。確か、大学の法律の専門の先生に聞いたことがあるけれど、日本の法廷はすべて日本語でやるという。契約書やらあらゆる証拠書類は日本語にして裁判になる。告訴された人が人だけに言語の問題は相当に大変なことになるのではないか。費用も。事の本質は、日産が自分たちが上だと思っているルノーというフランスの半官半民のような会社ににおいしいとこ取りされているという不満、また、週刊誌などで報道されている、フランスのエリートであるゴーン氏のワンマンぶり(傲慢さんさ)に我慢に我慢をして付いてきた日本人がついにブチ切れたという、そういうことなのではないか。勝手な素人の想像だが。 

午後、アマゾンで注文した本がさっそく届く。本屋さんがどんどん減るのもよくわかる。ぽかぽかの2階の和室でパラパラとページをめくったり、ブックサーフィンをしたり、日記を書いたり、物思いにふけったりしながら、ワーグナーのCDを聞く。タンホイザーの2枚目のCDと3枚目の途中まで。19世紀のクラシック界の巨星。フランスの印象派(ドビッシー)をこのワーグナーの濃厚な音楽と比較するとワーグナーがフルコースなら、ドビッシーは、メインがない前菜か食後のデザートという感じ。ワーグナーが西洋音楽のピークであり、それ以降は衰退の一途をたどっている、超える人が出ていない、というのは素人の戯言だろうか。ワーグナーはドイツ人にとっては「血が騒ぐ」らしい。全部を集中して聞くのは大変だが、人を引き込む磁力が随所にあることは音楽理論を知らなくても、生理的効果としてわかる。音楽も絵画も理解するものではない。聞いたり見たりした瞬間に得もしれぬ感情が沸き起こるかどうか。

夕食:豚鍋を作って食べる。豚肉のロース、白菜、エリンギと豆腐。

駅前シリーズを見る。題して「駅前漫画」。1966年制作。当時流行った少年サンデーの漫画のオバQやおそ松君が出てくる。銭湯の入口で当時封切られていた映画の広告が見える。「素晴らしきヒコーキ野郎」(石原裕次郎が出演)と「王様と私」(ユル・ブリンナーとデボラ・カー)だ。

なつかしの素晴らしきヒコーキ野郎:(石原裕次郎もちらっと)をユーチューブで見ると:

https://www.youtube.com/watch?v=05rrOsKsmqM


毎回登場する山茶花究(さざんかきゅう、と読むらしい)という面白い役者はイヤミとう名前で登場する。ロケ場所はどうも小田急線のような気がする。ウィキペディアで見たら百合ヶ丘駅と出ていた。当時私は小学校5年生。映画の中で、伴淳三郎・中村メイコ夫妻の子供や三木のり平・淡路恵子夫妻の子供役の子役二人と同学年であることにいまさらながら、感慨を覚えてしまった。

熱い湯船につかって2階へ。K先生の(「帝国航路を往く」副題 イギリス植民地と近代日本)をもってベッドに潜り込むが、すぐに眠くなった。「洋行」という言葉がかつてあった。萩原朔太郎の憧れをうたった詩「フランスに行きたしと思へど、フランスはあまりに遠し。せめては背広など着て、きままなる旅に出でてみん」。

日本人にとっての西洋とはまずは疑似西洋でもあった上海。高杉晋作さんも密航して足を運んだ。当時の覇権国は英国。渡航の仕方は二つ。船で太平洋を渡り、北米を横断してまた船で大西洋を横断する方法。もう一つは、日本から上海、香港、シンガポール、セイロン、アデン、紅海とスエズ運河を抜けて地中海、列車でアレクサンドリアかカイロまで移動して、また船で目的地へ。その後、シベリア鉄道が20世紀初めに開通して、シベリア経由の第三ルートが出来た。幕末以来多くの人が「洋行」した。そして、往路・復路で途中の様々な寄港地を観察しては感想を残している。この本は、そんな資料を手掛かりにした市民講座で行った講義をベースにまとめられた著書のようである。

Kibata

2019年1月 9日 (水)

七草粥を食べ、後はひたすらブックサーフィン

1月7日(月)晴


6時過ぎの目ざめ。昨夜は疲れもあり熟睡。体を動かして、仕事なり何かをすることの大切さを改めて実感する。6時20分、アカハラの地鳴き。冷え込みも厳しい。

朝食:アジの干物と七草粥。

父の血圧が高く(160越え)、デイケアーは休むことに。父の薬が切れたのでKクリニックへ薬を処方してもらいに行く。血圧を下げる薬は余計にもらった。高齢者なので150以下ならOKで、それ以上の場合には気を付けること。そんなことわかっているが、自分の体ではないし、冬は寒いから仕方ない。高血圧は寒さだけが原因でないこともわかっている。が、どうしようもない。

昼食:磯辺焼き3個とコーヒー。

2階のぽかぽかする和室で過ごす。ブックサーフィン、ネットサーフィン、ワーグナーのCD3枚組のタンホイザーを聞く。

夕食:イワシの丸干しで缶ビール。マグロの山掛けご飯。リンゴのデザート。

キム・フィルビーの続き~実は2年前にベン・マッキンタイヤーという人が書いたA spy among friends (邦訳は「キム・フィルビー かくも親密な裏切り」)は読んでいてある程度の知識はあった。副島・佐藤両氏の対談で言うには[佐藤氏の指摘)、このような本は、それ自体が一つの謀略である、という恐ろしいもの。諜報に関る本というとイギリスには多くの優れたスパイ小説があるのだが、情報機関の検閲を受けるという(著者が、情報機関出身者でないとかけない代物)。イギリスの場合は、王室とそれをとりかこむ貴族階級がつくる奥の院があるらしい。


諜報機関のメンバーは上流階級からリクルートされるれっきとした「紳士の職業」であった、し、今もそうなのかも知れない。よく考えれば、権力というのは表の顔と裏の顔があるのは当然である。もと諜報員(現役も?)が書くスパイ小説はフィクションとノンフィクションのミックスであり、しかも、出版されるということは、諜報機関の承認があってのこと。ある意味、国民に諜報の必要性を理解してもらう教育(洗脳?)である。

チャーチルは、国家機密レベルの情報が大英帝国のネットワーク(スパイ網)を通じて第一級の情報(対ドイツ諜報)があるからこそ勝つ戦いができたわけだ。第二次世界大戦では英米とソ連は手を結んだからキム・フィルビーらケンブリッジ・ファイブは安泰だったが、戦後の冷戦時代に追い詰められていく。バージェスとブラントがまずモスクワに逃げ、フィルビーは1963年にベイルートからオデッサ経由でモスクワに亡命。アンソニー・ブラントは王室の美術顧問にしてエリザベス女王のいとこでもあるらしい。政府と取引してフィルビーが亡命した直後に、刑事訴追をしないことを条件に1950年代始めまでスパイ活動をしていたことを認めた上で、美術史家としての名声と王室美術顧問となり貴族にも叙せられた。が、1979年、若きサッチャー首相が社会に公表したために、全ての栄誉をはく奪されて晩年は失意のなかで亡くなった。

食後の夜は、「汝の名はスパイ、裏切者、あるいは詐欺師」を読む。


Jan9

著者は、もとNHKの記者(9.11のころワシントン支局からの生放送で登場していた)で現在は慶応大学でインテリジェンスの講義をしている人。


冒頭は、「パナマ文書」で始まる。租税回避地に群がる人々の多様なこと。ロシア、イギリス、中国のトップの政治家の名前はもちろん、マフィア、テロリスト、はたまた・・・。守秘性が基本のはずのデータが公表されてしまったこの事件。


テーマはその後、ジョン・ル・カレ(もと英国諜報員でスパイ小説の傑作を次々と書いた人)、フィルビー、ゾルゲが登場し、最後は、ウィキリークスのアサンジとアメリカのNSA(国家安全保障局)から抜け駆けしてアメリカがいかにサイバー空間を使ってアコギな諜報をしているかを全世界にばらした衝撃事件を起こしたスノーデンさんが登場する。


正直者の汗で生活する庶民とは別世界の「金」と「権力」と「栄光」に関る人々がある特定の場所で皆が交錯する「特異点」、そこは、実に危ない、そして、謎めいた世界で、一群の人々が蠢いていて、騙したり騙されたりの一筋縄ではいかない駆け引きがなされる。陰謀論とかそんなものではなくても、そう思いたくなるようなそういう実態というのが現実にあるようだ。

BS放送でもと外務省事務次官やもと中国大使が出演する番組を見る。台湾と中国のジャブの応酬から米中関係の話。台湾問題であぶないのは、トランプさんがどうもきちんと台湾の意味を理解していないこと。ビジネス・ディール(台湾がアメリカの最新兵器を買ってくれること)だけで動いたら大変なことになってしまう。

ベッドに入って、初釣りに行こうという思いが去来する。寒さに負けている。意識の片隅にはあるのだが、意欲がいまひとつ湧いてこない。

2019年1月 8日 (火)

父の血圧が160を超える。

1月6日(日)晴


5時に目ざめる。マンションはやっぱりあたたかい。インターネットでニュースチェック。ここが実家と違うところ。実家はワイファイ環境にしていないのでベッドの中ではネットサーフィンが出来ない。

札幌で大雪のため飛行機の離発着ができず1000名だか2000名が空港で夜を明かす。災害ではないが新年早々大変である。人命にかかわることではないのは幸いである。

朝食:私はきな粉でお餅を食べる。それにバタートーストとコーヒー。

午前中は例によってYちゃんのお母様とYちゃんの受験相談やら四方山話。

お昼:スーパーでかき揚とお弁当を買ってきて食す。

父の血圧があがってしまったらしいので、神田神保町での本屋散策は取りやめにして実家に戻ることにする。電車の中で「AI資本主義」を読了。

地元の駅の地下スーパーで野菜(ホウレンソウ、モロッコいんげん、ネギなど)を買ってタクシーで帰宅。17時前。ちょうど夕飯の時間だ。

あっけない一泊二日の上京であったが、両親とYちゃん母娘との二つの世界を行ったり来たりで疲れを感じる。歳だろうか。

残っていたお節料理を肴に熱燗を飲んで早めに2階に上がる。

炬燵に入り、佐藤優氏と副島隆彦氏の対談本を読む。題して「世界政治 裏側の真実」。少し古いが両氏の対談は題材はまじめだが刺激的である。どこまでが本当でどこまでが想像の世界なのか。副題はインテリジェンスとコンピラシー。キャッチコーピーは、忍者・佐藤優と狂犬・副島隆彦の手裏剣対談。副島氏は、小室直樹さんの弟子。評論一筋でしかも、かなりの著作を折に触れて買って読んだり本屋で立ち読みしたりした。感のするどい文体が魅力。ホントかな、という疑問符が付く断言もあちこちに。最初に出会った本は、「英文法の謎を解く」の3部作(ちくま新書)。第一作はベストセラー。政治・経済の評論が専門であるが、アメリカの安全保障関係のシンクタンクとパイプがある人らしい。2年前の大統領選挙前に、大統領はトランプさんだと大胆に予測した人。佐藤氏は、願望論で?クリントンさんを推していたのだが。副島氏の北朝鮮の空爆は2018年の4月というのは外れた。

ケンブリッジ・ファイブの一人、ダブルエージェントでソビエトに亡命したキム・フィルビーの恐ろしい真実、が目に留まる。両方の権力の世界の知ってはいけない?世界を知ってしまった男の末路。ソ連にベイルート経由で亡命したというが、イギリスが持て余して逃がしたのではなないか、という佐藤氏のコメント。真相はわからないが、キム・フィルビーはソ連の英雄である。が、ソ連側もフィルビーにダブル・エージェントとしての不信感はあったという。ソ連のクリミア併合以来、西側から経済制裁を受けているソ連だが、ニューヨークタイムズにおもしろい記事が2017年に出ている。

https://www.nytimes.com/2017/10/01/world/europe/russia-kim-philby-spy-defector.html

記事で言っていることは、フィルビーをソ連は愛国心の象徴として位置付けているのだが、キム・フィルビーはあくまでもマルクス主義を信じていたのであり、彼は、spinning in his grave(草葉の陰で泣いている)と皮肉ってもいる。

まるで、リヒャルト。ゾルゲがスターリン時代以来ながらく無視されていたのが1964年に名誉回復したケースと同じとは言えないものの、ドイツとソ連のダブル・エージェントだっとゾルゲとキム・フィルビーは立場が大変似ている。

扱うテーマも面白いが、余談で出てくる話も面白い。副島さん、熱海の自宅に保管していた現金預金1600万を泥棒に入られて盗まれた。それから、二人とも日本の公安警察に結構な頻度ウォッチされていることを体験として確認しあっている。

Soejima

2019年1月 7日 (月)

ポテトサラダをもう一度・・・。上京と明治神宮参拝。

1月4日(金) 晴  

5時半の目ざめ。昨夜のテレビ番組が夢の中で追いかけてきた。しかし、詳細がぼやけてよく思い出せない。
寒いのでベッドの中でうつらうつらして時間をうっちゃる。朝の読書は読みかけの「AI資本主義」を30分ほど。7時過ぎ、1階に降りる。

朝食:残り物のおせち料理、塩鮭、納豆、ご飯。


9時過ぎ、父のリハビリ担当者がやってきた。30分のリハビリ・トレーニング。足踏みをしたり体を動かす運動をする。一人で歩くのは難しいが、体を動かすことで、脳も 活性化する。喋る内容もシャキッとする。


クナッパートブッシュ指揮でブルックナー交響曲第5番を聞く。


お昼:コーヒー、磯辺焼き2個、リンゴ。


好評だったポテトサラダを食べつくした。ジャガイモがまだたくさん残っているのでポテトサラダ第2弾で作ることに。下処理から完成まで1時間半。 15時、父の訪問看護師の方がやってきた。


夕食:お節料理もいよいよ残り少なくなってきた。タコの刺身も最後。厚切りにして6切れを頬張る。木内酒造のホワイトエールと日本酒の熱燗がうまい。そして、 第2弾・自家製のポテトサラダもじつにおいしい。ポテト・サラダのオリジンはヨーロッパだろう。それとも、原産地の南アメリカか?ドイツで食べたKartoffel Salat (ポテトサラダ)もおいしかった。二十歳の夏のドイツ滞在で、何が忘れられないかというと、ロースト・チキン、スフラキ(ギリシャ料理)、タルタル・サンド(ブレーチェンという握りこぶし大のパンに生肉と玉ねぎと塩コショウをふった サンドイッチ)にポテトサラダとポテトフライである。ポテトサラダには塩漬けキャベツを使うのがドイツ流である。キャベツを湯がいて酢を掛けたものを入れれば その再現はできるかも知れない。



1月5日(土) 晴 


5時過ぎの目ざめ。朝の読書は、久しぶりにドイツ語を読む。レマルクの「西部戦線異状なし」Im Westen Nichts Neues。ユンガーのドイツ語に比べたら格段に読みやすい。 拾い読みだ。ストーリーは映画を観て知っているので、あちこちとアットランダムにページを開く。


朝食後、父のデイケアーに出かける準備が整うのを見届けて、8時半過ぎ父より早く家を出る。9時11分発の特急にのり上野まで。そこから山手線で半周を描くように 原宿まで。目的は明治神宮の参拝。Yちゃんのお母さんも一緒。合格祈願と言えば湯島天神なのだろうが、お母さん曰く、七五三のお祝いは明治神宮でしたから明治神宮に 合格祈願するという。その御つき合い。Yちゃんに会いたかったが彼女は今日も朝から塾にいっているという。


お昼は、新宿の駅ビルにある牡蠣料理へ。牡蠣がおいしい季節になった。生ガキと牡蠣フライ、それに、牡蠣にウニやたらこ?を乗せて焼いた焼き牡蠣、牡蠣の炊き込み ご飯、牡蠣とフォアグラのグリル、など全て牡蠣づくし。お節料理とはまた違う食の楽しみ。


板橋のマンションに戻る。東京の住所に届いた年賀状を確認。勤務先のセンター長で昨年3に退任されたK先生からも届いていた。お別れの宴を張ったときに、新しい著書 の話をされていた記憶が蘇る。年末に新刊を出されたそうだ。「帝国航路をゆく:イギリス植民地と近代日本」。さっそっく購入して読まなくちゃ・・・。


夕方、塾を終えたYちゃんとお母さんとジョナサン仲宿店で待ち合わせ。一緒に夕食を取る。昼の牡蠣料理で満腹感が残り、自分はビールとローストビーフサラダに ポテトフライを少々。Yちゃんはハンバーグのローストビーフのせというボリュームある食事。お母さんの背を追い越してしまっただけに食欲もすごい。 お土産の御餅と地元特産のサツマイモで作った洋菓子パイを渡してお別れする。Yちゃん、受験がんばってね!


テレビをつけると、豊洲市場の初競りで大間の287キロの本マグロが3億円を超える値を付けたらしい。それから、池上彰さんの特集番組(お正月にまつわる以外と知らないことがテーマ)。その後、ユーチューブで女子卓球の録画を見る。最近は中国のトップを日本の男女若手選手達がが 勝つようになった。来年の東京オリンピックでは金メダルが期待できるかも知れない。

2019年1月 4日 (金)

三が日は静かに過ぎ行く・・・

1月3日(水) 晴


正月3が日はすばらしい天気に恵まれている。寒さだけはいかんともし難いが。5時半に目が覚めて、「Odd Westad  Restless Empire - China and the World since 1750」を読む。

7時過ぎ、朝食。お節料理の三段重ねから適宜つまみながらビールを飲む。今朝はタコ(北海道産!)の刺身も堪能した。

お昼:賞味期限の切れた石窯パンをトーストして食べながらコーヒーを飲み、リンゴを食べる。小職を食べすぎたので軽めにすます。

夕食:残り物お節料理を肴に熱燗を飲む。それに、赤ワイン。仕上げは、年越しそばの残りを茹でて雑煮汁で食べる。蕎麦湯は、黒こしょうと岩塩を少し入れて飲む。

昼食後、ぽかぽかする2階の和室で寛いでいると、埼玉のSJ大兄から突然に携帯‎に電話があった。大学時代の友人の一人。2年前の3月、S君がいきなり実家に現れた。有名な地元の梅のを花見にやってきたのだった。私に再会するのが主目的で、観梅はついでだったらしい。

玄関で掃除をしていた母はびっくりした。週末ながら東京にいたので会えず、一週間後に東京の新宿で再会、一献を傾けた。SJ大兄の先祖は九州の壱岐島らしい。明治に入って仏教改革でした名を成した先祖もいて日本史の教科書にも出てくる。一族には、岩波文庫で「ビーグル号航海記」の翻訳をしている人もいる。お父様はトップレベルの某国立大学の先生。フルブライト留学する父に連れられてアメリカにも住んだことがある帰国子女の走りだが、英語はまったく抜けてしまったらしい(小学生の低学年で帰国)。中国語が堪能。

私より3つ上だ。年末に仕事をやめ、もう悠々自適の生活にしようと思う。が、年金が少ないので、また落ち着いたら仕事はするかなぁ・・・、とおっしゃる。浦和市の自宅に何度か泊めてもらった記憶が蘇る。私の母の実家の藁ぶき家とまでは言わないが、年代物だった。

地下にもぐるような長い廊下を伝いあるいた先ににある離れの部屋に住んでいた。戦前のSP版のクラシックレコードが積み上げてあった。錚々たる一族の末裔だけに大変だったみたいだ。結婚して子供が出来て、両親との2世帯住宅を立て直したそうだが、両親はすでに他界してしまい、現在は広い家に奥様と二人暮らし。息子さんは独立して家を出たそうだ。

年賀状には書かなかったが怪我をした話や、昨年2月に大学の同じ学科(ドイツ語)のクラスの数人と再会した話をする。出世組のトップはO君で某大手電機メーカーの副社長で最近引退したが、まるで50歳代の現役バリバリのエネルギーを放射していた話(麻雀が強かった。徹夜して、授業をさぼった我々を置いて、きちんと1時間目からの授業に1人颯爽と出かけて行った)、地方に戻ったT君は高等学校の校長先生を最後に引退、今は非常勤の講師をしている。幹事役のTH君(大学教授)の定年は70歳でうらやましい。

北陸出身のNG君はお母さんが亡くなって欠席。麻雀で四暗刻の単騎待ちをテンパって興奮のあまりタバコを加える手が震え、皆が警戒して流れてしまい、牌を叩き付けて悔しがったシーンが今更のように蘇る。かくして付けられた綽名は「富山クラッシュ」。長話しをしたが、要するに暇になったから飲みたい、という誘いであり、上京の折に連絡をして飲もうということになった。

SJ大兄と話した後は思い出したようにフルトベングラー指揮でベルリンフィルが演奏するベートーベンの交響曲第6番のCDをかけてを聞く。SJ大兄の離れの部屋にうず高く積まれていたのはベートーベンの交響曲の全作品だった。

三が日は静かに過ぎ去る。夜は、星新一の「気まぐれ体験紀行」をまたパラパラとめくる。1970年代半ばのロシア旅行のくだり。定期客船「バイカル号」で横浜からナホトカへ。夜行列車にのり一晩かかってハバロフスクに移動、そこから空路でモスクワに到着。私には手に取るようにわかる。私も1980年と1981年の2度、同じルートで2回もモスクワに足を運んだのだから。

現地のインツーリスト日本語ガイドのエレーナという名前ではっとした。私の時もエレーナというロシア的な美女(モスクワ大学出身で小柄、やさしい性格、という描写から間違いない)にお世話になったのだ。レニングラード出身というのも同じ。

クレムリンのとある壁には革命の有名人に交じって片山潜の名前が刻まれているのを見学するくだりで、また、自分は、何かの交流イベントで、片山潜の娘さんが登場してスピーチをしたのを思い出す。インツーリストの通訳(エレーナではない)がうまく訳せず、同行の我が敬愛するST氏が代わりに通訳を見事にこなした。宿泊したホテルの名前が思い出せない。星氏はロシア・ホテル。1000室を超える巨大なホテル。ひょっとして同じロシア・ホテルに自分も泊まったのだろうか。

21時からNHKBS1で特集「欲望の資本主義2019」を見る。2017と2018は見たのだが、毎年このところ年頭にこの特別企画が放映されている。今回のテーマは、1980年代のレーガンとサッチャーが始めた新自由主義が21世紀の今日に何をもたらしたか、という話。

Google,Apple,Facebook,Amazon = GAFAという巨大IT企業がアメリカの西海岸に誕生し、世界を席巻している。巨大な、しかも、国家を超えるグローバルなIT独占企業。新・自由主義の行き着く帰結が、国家のコントロールの利かない権力を振るい始めようとしている。人々は自由といいながら、いつのまにかテクノロジーの奴隷になろうとしている。自由をとことん追求した結果としての自由の喪失。

近代経済学の流れで巨匠のアダム・スミスやマルクスも触れられるが、焦点は「ケインズ対ハイエク」。

ハイエクの名前が出ると、また昔の記憶が蘇る。1980年代の後半、バブル真っ只中。時の首相は中曽根さん。仕事でモンペルラン・ソサイアティの東京での国際会議運営に関った。打ち合わせは、上司と一緒にまだご存命だと思うが西山千明先生の自宅。モンペルラン・ソサイアティの副会長。シカゴ大学で学んだハイエックのお弟子さん。時まさに、デレギュレーションと国際化がキーワードの新自由主義が始まったその時。。西山氏は中曽根さんの経済政策のブレーンでもあった方。

番組は、ケインズ経済学(大きな政府、市場万能主義の否定派、規制が必要)と新・古典派経済学(小さな政府、市場主義、国家は外交と秩序維持のみ)の学者たちのインタビューに加え、ビットコインなどの推進派の実務家や研究者、自由の侵害に危惧をいだくネガティブ派の哲学者や経済学者たちなどが発言する。その中には、「サピエンス全史」やの著者のイスラエル人ハラリ氏も登場している。

印象に残った言葉:お金というのはモノではない。人間の関係である。ある人が1万円貯金があるということはお金を預かった銀行が負債を負っている事態を意味する。

資本主義が超加速度的に進化しながら4大IT企業に権力が集中しつつあるのは、つまるところが、規制を廃した自由主義市場経済を追及した結果が、皮肉なことに自らを内部から食い荒らして別物になってしまいつつある、ということなのだ。重要なことは市場のなかで競争が担保されていること。競争がなくなれば、自由が失われ、資本主義は死を迎えるしかない。

こちらは、もう人生の黄昏。現役引退であとはよろしく、という気分なのだが、未来は明るいのか、それとも、暗いのか。よくわからない。

2019年1月 3日 (木)

突然の来客。夜は、田原総一郎さんの激論番組。

1月2日(水) 晴

穏やかな天気のお正月だ。冷え込みは厳しい。アカハラの声を今朝も聞く。

7時過ぎ、キッチンへ。正月三が日の二日目だが父はデイケアーに。年中無休である。朝食の準備をする。と、いっても三段重ねの重箱に補給するだけだ。父は食物の嚥下がだんだん難しくなってものによっては喉につかえてしまう。餅は無理だと思いつつ母は小さくしtて塩鮭と食べさせたところうまくいった。少し冷や冷やしたが、日頃から父に接する母の判断にまかせた。

私も自己流で作ったお節料理三段重ねの重箱を肴にビールを飲んだ。例年なら仕上げはお雑煮だが、今朝は納豆で餅を食べる。

父が出かけていった後は2階でのんびりする。出していなかった人からの年賀状の返信を書き、母が代筆する父への年賀状の返信と一緒に郵便ポストに出しに出かける。昨日は一歩も外にでなかった。快晴、人通りの少ない道路。新年のなんとなく普段とは違った雰囲気を感じながら15分ほど散策した。途中でアリアナの看板写真を拝む。

帰宅して郵便ポストを除くとクリスマス前にアマゾンでオーダーしていた本が届いていた。

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早速、2階のベッドにもぐりこんで最初の部分を1時間ほど読む。過去250年の中国の近現代史である。先日読破した本(「The Global Cold War)を書いたスウェーデン人の歴史家の別の著書だが、中国に関する本。日本は中国研究の大国ではあるが、中国は全世界の人が興味を持つ、というか持たざるを得ないこともあって、書かれた著作はそれこそ無数にある。この本は、2012年に出版された冷戦の研究の権威によるもう一つのテーマ、中国とは何かについての欧米の最新の研究の成果を踏まえた本らしい。冒頭の20ページほどを読んだが、東大の西嶋定生氏らが定説化した「中国を頂点とする東アジアの朝貢システム」説には否定的な見解を表明しており、敬愛する岡田英弘氏と同じスタンスで、とますます著書を通読したい気分がたかまる。

お昼:アンコウの釜めしを作って食べる。アンコウの肝も入っている。が、電子レンジで15分で完成するが、食味は期待したほどではなかった。

13時過ぎ、突然の来客あり。弟の長男が一人で何の前触れもなく年賀にやって来た。びっくり。両親とはしっくりいっていなくて別行動ということらしい。子供時代にはよくこちらに遊びに来て母に可愛がられなついているようだ。昼食は食べてきたというが、お節料理の重箱に急きょ継ぎ足し補充をして食べてもらう。タラバガニがたくさんのこっているので今日のお勧めだよ、というと、「カニは大好きです」と喜んで食べてくれた。昔、やはり正月に遊びに来た時にたまたま買って塩ゆでした毛ガニを好んで食べていたシーンが蘇った。コーヒーを飲んでしばし近況の雑談をして、隣近所のTさんの香典返しでもらったコーヒー豆をひいたパックをおみやげに帰って行った。

ポカポカする2階でCD(マーラーの交響曲第9番、バーンスタイン指揮)を聞きながら、日記をつけたり、ブックサーフィンをする。佐藤優氏が参考文献に上げていた本を引っ張り出した。マッキンダーの本は確かに氏が指摘すように大方の読者は最初の20ページか30ページで投げ捨ててしまう、そんな本らしい。氏の導きのもと重要箇所を読んでみようか。曽村保信氏の「地政学入門」とブレジンスキーの翻訳書「地政学で世界を読む」を併せて再読参照しながら・・・。

夕食:お節料理を肴に、ビールと赤ワインを飲む。ホットミールは、弟一家に好評だった豪州産のエビが2尾残っていたので焼く。それに、もう一枚の黒毛和牛のサーロインステーキ。エビは両親に、ステーキは、分けて三分の一ずつ(父は一切れだけしか食べられず)。私はそれにマグロの赤身の刺身。正月二日目はさらに贅沢な夕食となった。

元旦二日目の夜は、「洋間(リビング)で、田原総一郎ほかの論客が登場する激論番組を19時から23時まで見てしまう。「朝まで生テレビ」の正月版だろうか。安倍政権の評価、沖縄辺野古問題と地位協定、憲法第九条と日本の安全保障、米中冷戦の今後、消費税10%、など等。論客の面々は知らない人ばかりだ。世代後退。

昔見た田原さんの番組の面子は、升添要一、西部邁、大島渚、野坂昭如、松井やより氏らであった。升添さん以外は鬼籍に入ってしまっている。田原さんも歳をとった。
様変わりしたメンバーたちだが、若手としては紅一点の三浦瑠麗という他の番組でも時折見かける才媛(オジサン好みタイプ)の国際政治学者と堀潤(もとNHK出身のジャーナリスト)が若い世代の代表である。

三浦は保守なのか革新なのかよくわからない。逆に、堀氏は何か昔の正義感あふれる左翼という感じで小うるさい。三浦さん曰く、「保守という言葉は今日の若者の間では共産党のことです」。中国の台頭、特に、海洋進出が東アジアの安全保障の環境を完全に変えてしまう昨今、「憲法第九条を守れ」ということを文字通りの意味で支持する人は国民の2割程度。8割は安倍さんの舵取りを支持している。

あと、面白かったのは東大の法哲学者井上達夫。法学者らしく非常に理屈っぽいが、その理屈というのはよく聞いて理解してみると確かにそうである。詳しくはウィキペディアに出ている。
しかし、元通産官僚の八幡和雄氏の言う如く、政治は大局判断による決断がベースで、細かい論議は必要であるが、それによって時間をロスするのはよろしくない。安倍氏の強引な手法(議論が尽くされていない)は確かに問題だが、野党は反対と批判ばかりで他の選択肢の提示すらない、それであれば、議論の意味はない・・・・。

才媛・三浦瑠璃氏も堀氏の正義感一点張りでしつこい正論的突っ込みの政府批判に、キレ気味に「じゃあ、あなたがやれば」。議論白熱、しばしば口角泡を飛ばして誰が何を言っているかわからなくなる。途中で眠りかける田原さんも、時折興奮しては、司会のアナウンサーのタイム切れの誘導に、「そんなの関係ねぇ」。理屈っぽい法哲学者の井上氏が、才媛・三浦瑠璃嬢に「あんたはの説明は長すぎる、喋りすぎだよ」。

三浦さんのバックグラウンドは
内容も面白かったけれど、昔も今も、登場する論客のキャラクターが見ていて面白かった。お正月番組ではいまのところベストの番組であった。野次馬的にみればの話だが。テーマはすべて深刻なことでこの先どうなるのかという不安があるものばかりであった。笑いながら見られるというのはまだ事態が深刻化していないからだろうけど・・・。

2019年1月 2日 (水)

ひっそりと元旦は過ぎゆく・・・


1月1日(火) 晴

2019年の初日は5時過ぎの目覚め。いつもなら深夜過ぎの除夜の鐘を夢うつつのなかで聞くのだが昨夜は熟睡だった。アカハラの新年のあいさつも聞こえる。昨日の深夜過ぎにYちゃんのお母さんから新年の挨拶がラインに届いていた。こちらからの挨拶を送る。朝の5時14分。それから、Yちゃんにも別途新年の挨拶を送った。
7時過ぎ、キッチンに降りて、元旦の準備をする。3段重ねの器に様々な料理を盛る。かまぼこ、数の子、栗きんとん、黒豆、根菜の煮物、焼き豚、ローストビーフ、山盛りのポテトサラダ、タラバガニ、タコやマグロの刺身・・・・。昨年までは両親と酒で乾杯したが今年は私だけ。両親はお茶。仕上げは、おもち。雑煮を作るのが面倒ということでけんちん汁と一緒に食べる。我が家の伝統は塩鮭と餅ではあるが・・・・もうこだわらない。
8時54分、Yちゃんからラインで新年の挨拶。「あけおめ」のメッセージのついた絵文字スタンプ。続いて「今年もよろしくお願いします」というスタンプが続く。今や、ハガキで年賀状を書くのはもう時代遅れになりつつある・・・。筆まめの両親の世代は次々とこの世を去っていく。昨年までは100枚以上書いていたが今年は20枚前後に絞ったようだ。

9時過ぎ、朝食の片付けをしてていると早くも弟の家族(弟夫婦と娘一人)がやって来た。すぐに、初詣にでかける(我が家を代表して)。その間、彼らのもてなし料理を用意する。10時半前に戻ったところで乾杯をしておせち料理をつついでもらう。さらに、豪州産の種類はわからないがかなりのサイズのエビの塩焼き3尾を焼き、溶かしバターを出す。ホット・ミール第一弾。さらに、180グラムの黒毛和牛のサーロインステーキ。これが第二弾。瞬く間に料理が消えていく。自己流のポテトサラダも好評。お餅で仕上げてもらってお昼近くになった。お腹一杯になったらしい。釣り談義や近況の話で盛り上がったが、娘のMちゃん(格闘技好き!)が釣りに行きたいというので水ぬるむ春に行こうという約束をする。
お昼過ぎ、弟一家は奥さんの実家へ向かった。
お昼:リンゴと餅の磯辺焼き2個。朝食で一日分食べた気分だったので軽めにした。
午後は一回のリビングでBS放送3チャンネルを見る。ミッション・インポッシブルの一挙放映のうちの第3作と第4作。IMFというのはInternational Monetary FundではなくImpossible Mission Forceの省略。第一作だけは映画館かDVDレンタルで見た記憶があるがそれ以降は見ていない。上海、ブダペスト、ベルリン、ムンバイ(ボンベイ)、モスクワ、ドバイ、ロンドンなどロケ地のシーンが見ていて楽しい。インドだけはまだ行ったことがないけれど。最初から最後まで息つく暇もなくスピーディーな展開でハラハラドキドキ。アメリカの正義の視点で描かれているのは007シリーズがイギリスの正義の視点で描かれているのと同じだ。CIAの下請けというのがIMFの位置づけだろう。従って、非合法の世界での工作員だ。盗聴、ハッキング、恐喝、殺人、何でもありの世界。失敗しても国が助けてくれるわけでもない。自己責任の非情な世界。危機一髪のシーンを何度も逃れ、最後はハッピーエンドではないが、主人公はサバイバルする。


2本目が終わったのが5時ごろ。母曰く、日が長くなった。確かに日没は遅くなっている。
夕食:おせち料理を肴に、熱燗と赤ワインを飲む。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見て熱いお風呂に入る、。2019年の元旦はあっけなく終わってしまった。一年の計は元旦にあり、と子供のころから言われたが、およそ自分は計画など立てたことがない。大志をいだいたこともない。いつも出たとこ勝負で、誤魔化すということではないが、こんな物だろうと突き詰めるとことがなく8分くらいのところでさっと通り過ぎながら生きてきた。
Yちゃんから時々、「おじいさん」扱いされるのが気になている。まだ自分では若いと思っているのだ。そこで、自分で決めたこと:
<その1>
家の中にいるときで朝起きたら着古した寝間着兼用のジャージー(トレーナー?)は脱いでちゃんと着替えること。仕事をしていた時はスーツを着用していたが、5月にケガして以来その習慣がなくなってしまった。家にいても昼間はカジュアルでもちゃんと「正装」すること。
<その2>
シャワーを浴びながら、放尿しないこと。 おじさん臭くならないように、紳士然として日頃から振る舞いたい。チャールズ皇太子が茶目っ気たっぷりに紳士の定義について言ったらしい。万事面倒くさがり屋の自分である。
以上2点、「オジサン化」しないように今年は心しようと誓った元旦である。

餅を切ったり、買い物したり、ポテトサラダを作ったり、紅白歌合戦を10数年ぶりに見たり・・・

12月30日(日) 晴

いよいよ平成最後の年もあと二日。5時半に目が覚めて、チャーチルの回顧録Ⅲをすこしだが読み進める。ドイツがルーマニアからブルガリアに勢力を伸ばす一方で、チャーチルは、ギリシャとトルコに対する支援をとおして対抗する方策を取る場面である。

6時20分、アカハラの声を聞く。ほっとする。7時過ぎ、キッチンに降りて朝食。昨日のしゃぶしゃぶの残りと石窯パンのトースト、スープにおもちを入れて食べる。食後にリンゴ。

8時半、車で那珂湊漁港へ。海産物の買い物。大変な混雑ぶりだった。裏道をとおて漁港の奥に駐車。歩いて市場へ。人だかりのすごいこと。タコ、マグロ(中トロ)、煮魚(黒ソイ6尾で300円!!!)、タラバガニ(片側だけで5000円)でほぼ8000円を出費。アンコウの肝を買おうとしたがもうなかった。混雑に嫌気がさして、後にする。途中、駅ビルによって、本マグロの赤身、ローストビーフ、塩鮭の切り身(4切)、鶏のモモ肉などを買う。アン肝を見つけたが中国産なので断念する。これでほぼ正月を過ごす食材はそろっただろう。ステーキ牛やすき焼き用の牛は明日に家の近くのスーパーで買うことにする。

お昼:ジャガイモとベーコンのグラタン、石窯パンにミカン一個とコーヒー。

Kストアへ注文していた餅を取りにいく。餅はまだやわらかいので一晩寝かせて切ることに。2階の和室は陽が差してポカポカ。炬燵に入って音楽を聴きながら本を読み続ける。掛けたCDは、ディキシーランドジャズとステファン・グラッペリ(ヴァイオリン)とヨーヨーマ(チェロ)が共演するコール・ポーターのジャズ。


夕食:牛肉のごぼう巻(お歳暮)、スパイス・チキン(お歳暮)、イワシの丸干し1尾を肴に赤ワインを飲む。仕上げは、那珂湊で購入した中トロとご飯。お正月のスタンバイOK。

佐藤優氏とエマニュエル・トッド氏の本を読み続ける。

アメリカの国際政治学者(地政学者)のブレジンスキーの戦略とは、産業資本主義の雄である東の日本と西のドイツを押さえて、ハートランドを封じ込めることであったのだが、少なくとも冷戦終了とEUの成立によってドイツがアメリカのタガをはずし始めコントロールが利かなくなっているという。ウクライナ問題の複雑性がよくわかった。


カトリックと違って正教系は「のれん分け」方式で各教会が独立していることと、カトリックのヒエラルキー構造やキリストの役割の違いなどが違うこと(正教系は、イスラムのマホメットや旧約のモーゼと同じで、キリストはあくまでも預言者であるという解釈)。ウクライナは少なくとも宗教的に3地域に分裂していること、第2次大戦中、ドイツに協力したウクライナ人が沢山いた話は知っているが、ソビエトの併合に反対した人の多くがカナダに移民したというのは知らなかった。カナダのエドモントンに沢山すんでいるらしい。カナダで3番目に使われる言語はウクライナ語だという。東京で勤務した大学で課外の英会話講座を運営したが講師の一人はカナダ出身の人だたが家系はウクライナ移民だと聞いた。もっとも、彼女はユダヤ人だったが・・・。それから、神田お茶の水のニコライ堂のニコライさんにまつわる挿話も面白かった。

12月31日(月) 晴

このところ睡眠は安定している。日の出直前に目が覚めて、今日もアカハラの声を聞いて7時過ぎまでベッドの中のぬくもりで朝の読書をする。佐藤優氏の本を読了。
朝食を済ませ、父がデイケアーにでかけたあとは、一晩置いた餅を切る。2枚分は結構な作業だ。それから、台所でポテトサラダ作りをする。北海道産の新じゃがいも、小ぶりのもの6個(600グラム弱)の皮をむいて8枚くらいにスライス。人参と一緒に、水から塩ゆでする。12,3分したら、ジャガイモは水きりして粉ふき芋のように火にかけて水分を飛ばす(1~2分)。ボウルに入れて、酢を掛けて冷ます。その間、茹でた人参を切ったり、玉ねぎの微塵切りを水にさらしたり、正月用に買ったロースハムを切ったり、パセリの微塵切りをしがり、マカロニを茹でたりする。そして、スーパーに足りないものの買い出し。マヨーネーズ、弟の家族をもてなす地元産のステーキ用の牛肉、木内酒造のエールビールなどなど。帰宅して、ジャガイモと準備した具を混ぜ合わせ、軽く塩コショウ、味を見ながら酢と砂糖を加えて出来上がり。冷蔵庫に入れて夜から食べられる。明日、明後日が一番食べごろだろう。

お昼:餅の磯辺焼きを作って食べる。

日が差す2階の和室で炬燵に入ってCDを聞いたり物思いにふける。今日で2018年は終わり。平成最後の師走もあっけなく終わってしまう。ものがなしい気分もあるが、この歳まで何とかやってこられた安堵感と相半ばする複雑な気分になる。気晴らしにPPMのフォークソングを聞いたり、テンシュテット指揮のブルックナーの交響曲8番を聞いたり、アバやオリビア・ニュートンジョンの懐かしい1970年代~80年代のヒット曲。

夕食:中トロの切り身(3切れだけ)とローストビーフ、それに自分が作ったポテトサラダを肴に熱燗とビールを飲む。マグロは赤身がおいしいとは思うが中トロもやっぱりうまい。そして年越しそばを食べる。母から、ポテトサラダはもう少し甘酢の味を聞かせたほうがよいとのアドバイスもあった。

夜は、10年以上ぶりに紅白歌合戦を見る。東京のYちゃんからラインあり。Twiceや米津玄師が出るらしい。一階の洋間で電気ストーブをつけて見る。松田聖子や松任谷由実や北島三郎、五木ひろしも出演。あとはあまり知らない人たちばかりであった。なかなか、Twiceや米津玄師を出るのをまっていたら23時。見終わってYちゃんに先に寝るよ~、と連絡して2階のベッドに潜り込む。

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