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2019年1月20日 (日)

明治維新初頭まで浅草寺にはコウノトリが営巣していた!

1月19日(土) 晴


カラスの声で目が覚める。アカハラの地鳴き。今日も6時20分だ。

朝食:石窯パン、納豆、けんちん汁、バナナ

養老さんと竹村さんの対談集を読み続ける。

昨夜のBBCニュースでHitachiがイギリスの原発から撤退する報道があった。今朝の朝刊(読売)にもその記事がでていた。原発はコスト的には見積りができないリスクも含めて決して安くないのだ。同じ原発の開発投資で東芝はとんでもないババを引いてしまいもはや昔日の面影はなくなってしまった。


日本のエネルギー問題はどうのような方向性があるのか?対談では日本は原発は1基まで減らす代わりに、豊富な水力発電、火山の地熱の可能性に活路を見出すべし、としている。石油はいずれ枯渇するにしても、石炭もあるではないか。現代の地球を覆う西洋文明の命脈は、使い放題の化石燃料を前提にしているのだから使い切ればいい。CO2の問題はあるが、日本は先進技術があることを生かすべきだ。風力は日本には向かない。一定の方向から風が吹くことが求められているらしいが、日本の場合は無理があるのでは。


温暖化、それがどうした。地球史的レベルでいえばそれほど悲観的になることはない。温暖化と海面上昇が続くとなると、北海道が住みやすい地域となる。東京の次の遷都先は札幌だろう。専門的な論文ではないこともあり、識者が専門を超えて放談する内容がとても面白いが、リアルでもある。決して、荒唐無稽なことを言っているわけではないことがよくわかる。

昼食:けんちん汁ときし麺

午後の釣りはお休み。左足は順調に回復して、ほとんど意識することはなくなった。実家の階段を降りるときはしかしながら、まだ違和感が足首にあり、いやがおうでも怪我を意識する。

ポカポカ日がさして暖かい1階の居間で電気ストーブ(暖房を設置していない)をつけて、テレビサーフィンをする。スティーブン・セーガルの「沈黙の戦艦」、刑事コロンボなどなど。みな昔みたものばかりであるがついつい見てしまう。


テレビをつけながら、一方で、「シュリーマン旅行記 清国と日本」(講談社文庫)をの江戸上陸から最後まで通読する。


Schrieman



清国の部分(万里の長城、北京、上海)は大分昔に読んだ。トロヤ遺跡の発掘で有名なドイツ人のシュリーマンが、発掘をする前で、ロシアのペテルスブルクを基点に国際ビジネスで財をなし、1865年(ということは明治維新の前)に3月から世界漫遊旅行をした。その際、インド、香港を経由して上海、天津、北京や日本(江戸)に立ち寄ったのだった。その後、太平洋を横断してサンフランシスコに入り、アメリカ、メキシコ、ハバナなどを巡って1866年にパリに落ち着いたらしい。原著はフランス語である。ビジネスマンで実際的な人の視点で当時の日本人の生活を観察して記録にの残していて興味深い。

印象に残った記述:

日本の民家にはガラス窓は一切なかった。襖や障子だけ。通りをあるく日中、道沿いの家の中は丸見えである。家具がない。靴もなかった。下駄、草履、足袋だけ。一方で、小さな庭に植物が植えられ、盆栽を愛でている様子がうかがえること。

外国人は攘夷の侍のテロが怖くて江戸に居を構える外交官はほとんどいなかった。皆、横浜に滞在していた。江戸の中を歩き回るにしても護衛というかスパイを見張る?ために、下級の侍がついて回って、非常に面倒くさかった。下級の侍でも誇り高く決してチップを受け取らなかった。

当時外国為替決済通貨は、メキシコの銀貨であった。固定相場で日本(徳川幕府)にべらぼうに有利に操作されていた(外人は歓迎しない、という意味でもある。それでもよければどうぞ、というスタンス)。

馬は危険な動物として認識されていた。気性が激しく(日本人は馬や牛などを去勢することをしなかった)、また、足に蹄鉄を打たず、藁草履のようなものを履かせていた。

猫の尻尾は1インチしかない。犬についても、ペテルブルク、コンスタンチノープル(マークトゥエインにも野良犬の描写があった)、カイロ、カルカッタ、デリー、北京では大変粗暴で自分たちに吠え向かってきたが、日本の犬はおとなしく、道路の真ん中で寝そべっていると。
白は死を象徴する色であり、葬儀の際は皆が白装束であった(中国も同じ。儒教文化圏はそうであった)。

王子神社の茶屋で食べたお昼:金蒔絵の椀に盛られたご飯、刺身、魚の煮付け、大海老、海藻(わかめ?)、筍、固ゆで卵。

浅草仲見世を歩くところで、庶民に取り囲まれるが、当時は、「外人(がいじん)」とは言わず「唐人(とうじん)」と言っていた。

浅草寺の屋根には、コウノトリの巣があり、シュリーマンは2羽の親鳥と雛を観察している。境内の見世物屋での独楽廻しには感銘を受けている。(明治初期まではそれくらい江戸というのは自然が残されていた)

肉屋、バターや牛乳を売る店、家具屋が一切見当たらない。あるのは、呉服屋、工芸品屋、傘屋、下駄屋、提灯屋、玩具屋。玩具屋でうられている品物の精巧さに感嘆している。ニュルンベルクやパリの玩具屋は太刀打ちできないだろうと。数軒の本屋では孔孟の本が非常な安価で売られていること。

滞在した時期が6月であったこともあるだろうが、肌を露出している人が多いこと、それに対して羞恥心がないことへの驚き。男衆の刺青。公衆浴場での混浴。著者が浴場を通りかかったときに老若男女が羞恥心もなく裸のままとり囲んだことへの驚き。著者はつぶやく「何という清らかな素朴さだろう」。(ラフカディオ・ハーンに通じるインスピレーションか)。

著者のつぶやき:文明ということばが「物質文明」という定義であるとするならば日本は文明化されている。日本人は工芸品において蒸気機関を使わずに達することができる最高度の完成に達している。教育はヨーロッパの文明国以上に行きわたっている。日本では男も女もかなと漢字で読み書きができる。

日本の統治制度への言及:徳川体制は、騎士制度を欠いた封建体制である。ヴェネチア貴族の寡頭政治である。ここでは君主制がすべてであり、労働者は無そのもの。それにもかかわらず、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして、世界のどの国にもましてよく耕された土地・・・。

夕食:白菜、ネギ、シメジ、豚肉、人参を盛りだくさんいれた鍋を作って熱燗を飲む。

夜、ブラタモリのローマ編その2を見る。トレビの泉、映画「ローマの休日」でお馴染みのスペイン広場の階段・・・。自分も行ったなぁ。1999年の1月の正月休みだったか。ローマを満喫したとは言えないけれど(バブル崩壊後で結構仕事はきつかった。日系金融機関も大手は別として名もない地方銀行が競ってシティに支店を出していたが、どんどん撤退していた)、ローマの駐在員所長に大変お世話になって英気を養ったことがローマ滞在と重なって懐かしかった。当時のトレビの泉は改修中で水がなかったような記憶もある。

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