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2019年1月 4日 (金)

三が日は静かに過ぎ行く・・・

1月3日(水) 晴


正月3が日はすばらしい天気に恵まれている。寒さだけはいかんともし難いが。5時半に目が覚めて、「Odd Westad  Restless Empire - China and the World since 1750」を読む。

7時過ぎ、朝食。お節料理の三段重ねから適宜つまみながらビールを飲む。今朝はタコ(北海道産!)の刺身も堪能した。

お昼:賞味期限の切れた石窯パンをトーストして食べながらコーヒーを飲み、リンゴを食べる。小職を食べすぎたので軽めにすます。

夕食:残り物お節料理を肴に熱燗を飲む。それに、赤ワイン。仕上げは、年越しそばの残りを茹でて雑煮汁で食べる。蕎麦湯は、黒こしょうと岩塩を少し入れて飲む。

昼食後、ぽかぽかする2階の和室で寛いでいると、埼玉のSJ大兄から突然に携帯‎に電話があった。大学時代の友人の一人。2年前の3月、S君がいきなり実家に現れた。有名な地元の梅のを花見にやってきたのだった。私に再会するのが主目的で、観梅はついでだったらしい。

玄関で掃除をしていた母はびっくりした。週末ながら東京にいたので会えず、一週間後に東京の新宿で再会、一献を傾けた。SJ大兄の先祖は九州の壱岐島らしい。明治に入って仏教改革でした名を成した先祖もいて日本史の教科書にも出てくる。一族には、岩波文庫で「ビーグル号航海記」の翻訳をしている人もいる。お父様はトップレベルの某国立大学の先生。フルブライト留学する父に連れられてアメリカにも住んだことがある帰国子女の走りだが、英語はまったく抜けてしまったらしい(小学生の低学年で帰国)。中国語が堪能。

私より3つ上だ。年末に仕事をやめ、もう悠々自適の生活にしようと思う。が、年金が少ないので、また落ち着いたら仕事はするかなぁ・・・、とおっしゃる。浦和市の自宅に何度か泊めてもらった記憶が蘇る。私の母の実家の藁ぶき家とまでは言わないが、年代物だった。

地下にもぐるような長い廊下を伝いあるいた先ににある離れの部屋に住んでいた。戦前のSP版のクラシックレコードが積み上げてあった。錚々たる一族の末裔だけに大変だったみたいだ。結婚して子供が出来て、両親との2世帯住宅を立て直したそうだが、両親はすでに他界してしまい、現在は広い家に奥様と二人暮らし。息子さんは独立して家を出たそうだ。

年賀状には書かなかったが怪我をした話や、昨年2月に大学の同じ学科(ドイツ語)のクラスの数人と再会した話をする。出世組のトップはO君で某大手電機メーカーの副社長で最近引退したが、まるで50歳代の現役バリバリのエネルギーを放射していた話(麻雀が強かった。徹夜して、授業をさぼった我々を置いて、きちんと1時間目からの授業に1人颯爽と出かけて行った)、地方に戻ったT君は高等学校の校長先生を最後に引退、今は非常勤の講師をしている。幹事役のTH君(大学教授)の定年は70歳でうらやましい。

北陸出身のNG君はお母さんが亡くなって欠席。麻雀で四暗刻の単騎待ちをテンパって興奮のあまりタバコを加える手が震え、皆が警戒して流れてしまい、牌を叩き付けて悔しがったシーンが今更のように蘇る。かくして付けられた綽名は「富山クラッシュ」。長話しをしたが、要するに暇になったから飲みたい、という誘いであり、上京の折に連絡をして飲もうということになった。

SJ大兄と話した後は思い出したようにフルトベングラー指揮でベルリンフィルが演奏するベートーベンの交響曲第6番のCDをかけてを聞く。SJ大兄の離れの部屋にうず高く積まれていたのはベートーベンの交響曲の全作品だった。

三が日は静かに過ぎ去る。夜は、星新一の「気まぐれ体験紀行」をまたパラパラとめくる。1970年代半ばのロシア旅行のくだり。定期客船「バイカル号」で横浜からナホトカへ。夜行列車にのり一晩かかってハバロフスクに移動、そこから空路でモスクワに到着。私には手に取るようにわかる。私も1980年と1981年の2度、同じルートで2回もモスクワに足を運んだのだから。

現地のインツーリスト日本語ガイドのエレーナという名前ではっとした。私の時もエレーナというロシア的な美女(モスクワ大学出身で小柄、やさしい性格、という描写から間違いない)にお世話になったのだ。レニングラード出身というのも同じ。

クレムリンのとある壁には革命の有名人に交じって片山潜の名前が刻まれているのを見学するくだりで、また、自分は、何かの交流イベントで、片山潜の娘さんが登場してスピーチをしたのを思い出す。インツーリストの通訳(エレーナではない)がうまく訳せず、同行の我が敬愛するST氏が代わりに通訳を見事にこなした。宿泊したホテルの名前が思い出せない。星氏はロシア・ホテル。1000室を超える巨大なホテル。ひょっとして同じロシア・ホテルに自分も泊まったのだろうか。

21時からNHKBS1で特集「欲望の資本主義2019」を見る。2017と2018は見たのだが、毎年このところ年頭にこの特別企画が放映されている。今回のテーマは、1980年代のレーガンとサッチャーが始めた新自由主義が21世紀の今日に何をもたらしたか、という話。

Google,Apple,Facebook,Amazon = GAFAという巨大IT企業がアメリカの西海岸に誕生し、世界を席巻している。巨大な、しかも、国家を超えるグローバルなIT独占企業。新・自由主義の行き着く帰結が、国家のコントロールの利かない権力を振るい始めようとしている。人々は自由といいながら、いつのまにかテクノロジーの奴隷になろうとしている。自由をとことん追求した結果としての自由の喪失。

近代経済学の流れで巨匠のアダム・スミスやマルクスも触れられるが、焦点は「ケインズ対ハイエク」。

ハイエクの名前が出ると、また昔の記憶が蘇る。1980年代の後半、バブル真っ只中。時の首相は中曽根さん。仕事でモンペルラン・ソサイアティの東京での国際会議運営に関った。打ち合わせは、上司と一緒にまだご存命だと思うが西山千明先生の自宅。モンペルラン・ソサイアティの副会長。シカゴ大学で学んだハイエックのお弟子さん。時まさに、デレギュレーションと国際化がキーワードの新自由主義が始まったその時。。西山氏は中曽根さんの経済政策のブレーンでもあった方。

番組は、ケインズ経済学(大きな政府、市場万能主義の否定派、規制が必要)と新・古典派経済学(小さな政府、市場主義、国家は外交と秩序維持のみ)の学者たちのインタビューに加え、ビットコインなどの推進派の実務家や研究者、自由の侵害に危惧をいだくネガティブ派の哲学者や経済学者たちなどが発言する。その中には、「サピエンス全史」やの著者のイスラエル人ハラリ氏も登場している。

印象に残った言葉:お金というのはモノではない。人間の関係である。ある人が1万円貯金があるということはお金を預かった銀行が負債を負っている事態を意味する。

資本主義が超加速度的に進化しながら4大IT企業に権力が集中しつつあるのは、つまるところが、規制を廃した自由主義市場経済を追及した結果が、皮肉なことに自らを内部から食い荒らして別物になってしまいつつある、ということなのだ。重要なことは市場のなかで競争が担保されていること。競争がなくなれば、自由が失われ、資本主義は死を迎えるしかない。

こちらは、もう人生の黄昏。現役引退であとはよろしく、という気分なのだが、未来は明るいのか、それとも、暗いのか。よくわからない。

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