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2019年1月29日 (火)

失われた雑木林、農民風のスープ(フレンチ)を作る。

1月28日(月)曇り


5時半の目ざめ。チャーチル回顧録を読み続ける。

朝食:イワシの丸干し、ポテトサラダとザウワークラウと、笹かまぼこ、ご飯、バナナ。

3週間ぶりにハローワークへ出かける。自分にとって悠々自適というのは性格に合わない。何かをしていないと気が落ち着かない。この9か月!!!はいわば、怪我による一時的な現役退場だと思っている。あと10年ちょっとは仕事をして世間というか社会とかかわりを持ちたいと思うのだ。仕事に6分の力、残りを自分の情熱の追及に使う生活設計を考えたいと思う。

昼食:バジル風味ソーセージとザウアークラウト、石窯パンサンド(ゴーダチーズとパストラミをはさむ)、ダージリン紅茶。

食後、郵便局へ。お年玉年賀の切手シートを交換に行く。健康保険料も払い、近くのコンビニでや住民税の振込みをする。そしてついでに辺りを散歩した。子供のころのこのあたり周辺は雑木林だったが、今は宅地化してしまいすっかり様変わりしている。浦島太郎が竜宮城から戻った感覚である。ふと通りかかった住宅街の一角に雑木林のほんの一部が残っているのを見つけて思わず立ち止まってしまった。このあたり一帯は、あの有名な映画監督深作欣司氏(仁義なき戦いシリーズ、蒲田行進曲、上海バンスキングス、バトルロワイヤル等)の実家の主が地主だったらしい。実家の両親の家も昔は県営のアパートだったのを土地と一緒に払い下げしてもらったものを新しく新築したものだ。


Zouki

農民風スープ(フレンチ)を作る。フランス語でスープ・ア・ラ・ペイザンヌ。元帝国ホテルの村上信夫さん(大分前に亡くなられた)の「楽しいフランス料理」をぱらぱらめくっていて、これなら簡単にできると、作ってみた。


Murakami



ポイントはバターをたっぷり使う。野菜は、セロリ、ネギ、玉ねぎ、キャベツ、ジャガイモの5種をすべて小さく角切りぶしてバターでいためる。それにブイヨンを加えて(4~6人前6カップ)で20分ほど弱火に煮込むだけ。ジャガイモは他の具材を炒めてブイヨンを入れ、強火にして沸騰したタイミングで入れること、というのが村上さんのコメント。最後に、塩・胡椒で味を調える。

父がデイケアから戻るまで、2階でネットサーフィンをしたり、ヨーヨーマのチェロのCDを聞く。バッハの無伴奏チェロ組曲作品集。昔、遠藤周作がでていたコーヒー(ネスカフェ)でも使われていた第一番はあまりにも有名。チェロだけの響き渡る演奏がなかなか心に沁みる。

夕食:セイゴの切り身のボンファムを作る。父が乳製品が嫌いなので生クリームは使用せず。薄味だが両親は喜んで食べた。私にはもの足りなかった・・・。しかし、スープ・ア・ラ・ぺザンヌは、シンプルだがなかなかの出来だった。こんなに簡単に野菜の風味のきいたものができるとは。バターをもう少し使ったほうがよかったかも知れない。今日は、アルコールなし。寒い冬の夜は、あったかいフランス風農民スープに限りますね!


半藤さんと出口さんの対談集の続き:

両氏は日本の戦争指導をした政治家・軍人がしっかりした回想録を残していない現状を嘆いているが、同じ敗戦国のドイツは違った。ハインツ・グーデリアンなどの将軍レベルの人が戦後に回想録をものしてベストセラーになっている(陸軍の悪そのものを体現した辻正信という悪名高い人がいることにはいるが)。

東条英機は秀才ではあったが、政治家としての器ではなかった。軍事の専門家、要領のいい軍の小役人にすぎなかった。そもそも、回顧録などを書くだけの素養もなかった(その前に東京裁判で死刑になってしまったが)。陸軍・海軍を通じて軍関係者は、専門家ではあったが、西洋のエリートと伍していく何かが足りなかった。明治維新のころの指導者(漢学で鍛えられた教養人でもあった)と比べても格段のレベル差があった。

明治時代の40数年はまだその人たちが元老(下級武士で革命家である)として残っていたからまだ何とかなった。大正・昭和を経てその元老世代も死に絶えた(西園寺公望だけ残っていたが)。東条さんたちは、現在の霞が関の官庁の役人に通じるという。勉強はできる秀才だ(偏差値秀才)。頭の回転も早い、与えられた状況を把握して要約する能力はずば抜けている。職務は忠実に処理できる。だが、何かが足りない。その何かを持つべきなのは秀才役人を使う指導者としてのセンスであり、両氏は「教養」(浅いけれど、幅広く、歴史、文学、科学の勘所をしり、それにもとづく判断力と行動指針を見出す能力)だとういう。日本のエリートに欠けているのは、真の意味での「教養」であるという。そして、「教養」とは「物知り」とはまったく違う。

出口さんと半藤さんは、残念ながら戦前の(現在も)エリートが持つべき「教養」が日本人には欠けていると嘆いている。教養人・チャーチルの回想録を朝な夕なに読んでいるけれど、彼は勉強は出来なかった。秀才ではなかった。しかし、スピーチもうまかったし、回顧録の記述はすばらしいと思う。膨大すぎて全巻を読破するのは大変だ(今第三巻を読んでいるが、800ページ近くある)。チャーチルの教養のベースは歴史研究である。英米(英語圏)の歴史研究の層の厚さは壮観である。「歴史」とは勝者が過去を振り返り自分たちが残した事績の解釈(自己正当化でもある)であり、後世に残す説明である。この400年、イギリスとアメリカが覇権国であり世界の紛争の勝者であり続けたのだから、歴史が結果的に英語で書かれているのはよく考えれば当然なのかも知れない。そして、その量が膨大なのもむべなるかな。

ヒトラーは、生前(獄中で)「我が闘争」を書いた。自ら招いた災禍の結果、無残な終わり方をしたが、権力に上り詰める10年近く前に、自分と対決して一つの世界観を提示している。政権掌握後の彼の政治はこの本に大方添っている。スターリンは残念ながら回想録を残していない。毛沢東や周恩来も同じ(周恩来はお墓も残していない)。ルーズベルトも残していない。国民党の蒋介石はある。

歴史的事件(起こした人、巻き込まれた人、処理に関った人)に遭遇し、それぞれの立場で指導に関ったトップ・エリートの人々がが、後世のために正直にメモを残すこと、これは、義務なのかも知れない。そういう伝統が欧米にはあるようだ。中国の場合は、易姓革命で天下を取った王朝が前王朝の歴史編纂をする形で歴史を書いた。


そして、思うのは、「事件の核心」というのは、結局はわからない、たぶんこうであろう、おそらく、その可能性が高い、までしかわからない、ということ。芥川龍之介の「藪の中」や、その映画化をした黒沢明の「羅生門」にあるとおり、ある出来事の解釈と意味は、それぞれに関る立場で大きく違ってしまうのだ。最終的には力と正義は同義と言ってもいいだろう。生き残ったものが正しい。戦争(けんか)とは国家間(当事者間)の紛争に決着をつける最終的手段である、という真実は昔も今も変わらない。恐ろしく、そして、何と無慈悲な真理であることか。

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