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2019年2月28日 (木)

オイル・タンク交換、福寿草、ホウボウの清蒸。

2月27日(水) 晴、後曇り



6時過ぎの目覚め。ビーバーを読み続ける。第8章(バトル・オブ・ブリテン)の章。ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。

朝食:納豆、ポテトサラダ、ご飯。

履歴書届けで1時間ほど市内へ車で外出、その後、10時半から、家でオイル・タンクの業者対応で午前中がつぶれる。装置の固定でトラブル発生。最初のステンレス製のタンクと固定箇所が違うために、ドリルでコンクリートに穴をあけるのだが、穴をドリルするたびにすぐ下の鉄筋にぶち当たってしまう。2度、3度やったがいずれもダメ。それで別の方法を取ることにするため、業者さん、ホームセンターに急遽部品の買い物へ。結局、13時半ごろまでかかってしまう。追加料金5千円もかかったがやむを得ない。


<10年目のオイルタンク>

Furuioiltank



<設置後の新しいオイルタンク>



Tanku_shinki



10年前に設置してくれた業者さんは両親の家を建てててくれた旧知の工務店の人。病で倒れてしまって廃業。設置場所のコンクリートの構造を知る人はいないのだ。給油タンクの水抜きの仕方を教えてもらい年に1度水抜きをすること、軽油はなくなってから給油するのではなく、半分くらいまで減ったら追加してできるだけ満タンの状態にするように心がけること、この2点がタンクを長持ちさせる使い方だと。鉄製のタンクにしたのは水抜きがしやすいから。ステンレス製のほうは、マニュアルに水抜きのことは書いてあるが、実際にやれと言われても水抜きはできない(地面と栓の隙間が5㌢くらいしかないのだ)。

業者さんと世間話したり、庭の芽吹き始めた植物を見たりしていると、コゲラがギィー、ギィーと声を出しながら近くの桜の木の幹をゼンマイ仕掛けの機械のように伝って走っている。




インターネットの写真から:
コゲラ(キツツキで一番小さい種類。注意して観察すれば都会でも普通に見れる)

Kogera




庭の片隅では福寿草の花が開いている。御日様が照ると花開くのだ。
朝はこのとおり


Fukujuso1




陽に当たると


Fukujuso2

昼食:卵サンド、まるちゃんの昔ながらのソース焼きそば。


母を病院へ。徒歩3分だが車で移動。レントゲンを撮るが異常はないようで一安心。祖母と同じ、骨粗鬆症もあって背中が丸まって来たが背骨に骨折などの異常はないようだ。先生曰く、肩や背中の痛みというより腰の痛みでしょう、癌(膵臓がん)とは関係ないと思います
よ。母は少し安堵したようだ。筋肉痛だろうということで痛め止めをもらって帰宅する。それから、郵便局とコンビニで支払いを済ます(健康保険と固定資産税)。

徒歩で帰宅すると自宅から10数㍍のところで魚の煮つけ(山椒の香り)がする。元気が戻って、夕餉の支度をする気になったようだ。

夕食:ホウボウの清蒸、バゲットのオリーブ・トースト、チーズとポテトサラダ、赤ワイン、仕上げは納豆とご飯少々。両親は煮付けのほうを食べる。




Hobo_chinjon


ホウボウの清蒸は、今回は、皿に収まりきら二つに切った。三つ葉の代わりに、今回は余っているパセリを使用。もともと臭みのない白身の淡泊な味。蒸し上がった直後の熱々にタレ(醤油、酢、味醂)をかけて賞味する。ベリー・グッド。





夜は、ビーバーの「第二次世界大戦」を夜遅くまで(眠くなるまで)読み続ける。

サバ・サンド。母の背中痛。

2月26日(火) 曇り、時々晴れ



6時過ぎに目覚める。ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。第7章(フランス陥落)。
朝食:サバ・サンド



Sabasand


トルコの有名なサバ・サンド。昨日買っておいた生サバ(4切れ190円の一枚)に塩・胡椒してをオリーブ・オイルで焼いたものを、生玉葱とトマトのスライスと一緒に石窯パンに挟んで食べてみた。ボリュームたっぷりでなかなか行ける味だった。レモン汁を絞ってもっと酸味を効かせるといかも知れない。



昼食:朝のサバサンドのボリュームがすごかった。お腹が減らず、コーヒーとおせんべいだけで済ます。



ポテト・サラダが切れたので、また作る。ジャガイモ600㌘に対し、酢は大匙3、砂糖は大匙2。ロースハム4枚、玉葱半個のみじん切り、人参半個、胡瓜一本を加える。お好みで今回はマカロニ50㌘を追加。マヨネーズ大匙5で合えて、最後にみじん切りにしたパセルを多めに振って、2時間から3時間寝かしたら食べ始めてOK。美味しくなるのは一晩置いてからだ。



ハローワークへでかける。毎日何もせずぶるぶらしているのはよくないなぁと。現役は昨年5月で引退した気分だが、やはり、社会との接点は必要だと思う。年齢的な問題(体力や頭脳の柔軟さ)があるから人手不足の分野で無理のない範囲で、しかも、両親の介護に差支えない範囲でお小遣いを稼ぐことを考える。趣味の追求(釣り道具、エサ台、バードウォッチングの際の撮影用カメラ)とYちゃん親子と遊ぶため。足のケガは違和感もほとんどなくなり、春の訪れとともにいよいよ始動だ!
帰りは寄り道して、那珂湊のお魚市場まで足を延ばす。ホウボウ6尾で700円、即購入。煮付け、塩焼き、清蒸用。活きがいいので何でもござれ。
Hobo



夕食:カニクリーム・コロッケカレー


母が肩甲骨の下の痛みが取れないという。明日、病院に連れて行くことに。



森繁喜劇「駅前大学」を2度目だが途中から見る。前回は気が付かなかったが、学生の一人でやけに太った元気な男が若き日のサンダー・杉山だった。当時はプロレスラーの全盛時代。彼の得意技は雷電ドロップ。豊登とタッグを組んでいたなぁ。


2019年2月27日 (水)

週末の1泊2日の上京、映画「ドクトルジバゴ」、我が家の梅も数輪が開花。

2月25日(月) 晴



週末の土日は、母の具合もほとんどもとに戻ったので3週間ぶりに急遽上京した。1泊2日。Yちゃんに入学お祝いのパソコンを買う約束をしていたのだ。入学までにキーボードを覚えてもらいたい、というYちゃんのママの願いもある。池袋で待ち合わせて、パソコンを購入、買い物に付き合って、夕食は和幸のトンカツを食べた。Yちゃんはヒレカツ、ママは、カキフライ+エビフライ+一口ヒレカツ、私はロースかつ。キャベツは柚子ドレッシングでお替り。皆お腹がすいていたのか全て完璧に平らげる。



夕食後は、パソコンのセットアップに付き合う。業者に頼めば1万はとられるので、私がすることに。得意ではないが悪戦苦闘することなく、夕刻から赤ワインを飲みながら作業をする。立ち上げて、Wi-Fiのセキュリティー・コードを入れて、インターネットにアクセス。後は、画面に従って進めるだけだ。メールアドレスを作り、オフィス(ワード、エクセル、パワポなど)の登録をしたりして完了すると、Yちゃんは早速キーボードを、ぎこちなく人差し指で叩いてゲームアプリに夢中になる。ウィンドウズ10の画面はオフィスでの仕事画面と様相が変わりスマホの要素が大きい。



私が英文キーボードを覚えたのは大学を卒業して就職してからだ。当時は英文タイプライター。手動と電動があったが、最初は人差し指で簡単な文章を作成するのに1日かかっていた記憶がある。Yちゃんはスマホ世代。インターネットで検索して、タイピング練習のサイトを見つけてブックマーク、両手の10本の指を使ってキーボードが叩けるようになるといいよ、パソコン操作が楽になるよ~、ゲームもたぶんネ、とアドバイス。ゲームに夢中で、聞いているんだか、どうだかよく分からず。購入したパソコンには有線のマウスがおまけでついていたのに、Yちゃんのママが別売品の無線マウスを買ったのはゲームがしやすいからだと気づいた。



翌日は、実家の両親が心配なので、大山の回転寿司(ロースト・ビーフの握り!が旨かった)で一緒に昼食を取ってお茶を飲んだ後、早めに帰路に着く。往復の電車の中ではビーバーの「第二次世界大戦」とパラレルな部分のチャーチルの「回顧録」(文庫本)を読んだ。仲宿商店街の行きつけの古本屋では、2冊文庫本を買う(吉村昭の「ポーツマスの旗」とヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」)。2冊で400円。本は新品同様。得した気分になる。いつ読むかはわからないけれど。上野駅で両親の好物の東京バナナロールケーキを買って、18時過ぎに帰宅。




地元の駅の吉野家で買った牛丼で簡単に夕食を済ませる。両親は夕食を済ませ、もう就寝する準備をしていた。All quietなのだが、自分が不在の1日半で母は少し疲れたようだった。今回の食あたりと発熱で、やはり、体力全体の弱りが進んだのかも知れない。




今朝は6時までぐっすり熟睡。アントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。7時前にキッチンへ。




朝食:納豆、ご飯、ミネストローネの味噌風味。両親は、鮭の塩焼きと人参入りの粕汁にポテトサラダといつものおはぎ。



9時過ぎ、父はデイケアーへ。母は、少し背中が痛むというのでベッドに横になり休む。給湯器の業者さんから連絡が来て、オイルタンクの交換は明後日17日の午前中に決まった。3万だが消費税別。



昼食:ミネストローネ(どんぶり一杯)。



13時からBS3で「ドクトル・ジバゴ」を観る。テレビの吹替バージョンで見たことはあるけれど、全編をきちっと見た記憶がない。2度目に観たのは、1999年の冬、ローマの駐在員の先輩の家に遊びにいったときだったけれど、おいしいイタリアンの夕食を食べた後で、これも途中からだった。今回は、字幕スーパーで最初から見る。先日の映画「レッズ」と同じくロシア革命前後の時代が背景で、今回はロシア人自身の物語。冷戦真っ只中の1965年製作で、ロケ地はスペインだったという。あの雪のシーンや玉ねぎ頭の教会や街並みは全部セットなのだとするとすごい。雪に埋もれたウラル地方の風景はすばらしいのだがあれがスペインだとは!



主人公は医者にして詩人のジバゴだが、興味深い人物はロッド・スタイガー演じる悪い奴だけれど憎めない貴族コマロフスキーとジバゴが愛を捧げるジュリー・クリスティー演じるララ。ヒロインのララは17歳の学生で、母の愛人(パトロン)のコマロフスキーの誘惑されて付き合い始めるのだが、それに気づいた母は自殺未遂をする。ジバゴが手当てする中、命をとりとめた母のことを告げるコマロフスキーに安堵しかつ愛撫に身を任せるララをジバゴは偶然目にしてしまう。



コマロフスキーは、ララから革命に共感する友人の青年パシャと結婚する相談をされると、ララに言う。「人間には二つのタイプがある。一つは、お前の婚約者の青年タイプで、志高く純粋ですばらしい。だが、世間からは本音で軽蔑される。そして、女を不幸にするタイプだ。だから結婚は勧めない。俺はもう一つのタイプで、理想も志もない現実主義者で・・・お前と俺は似た者同士でうまくやって行ける」、と。そして、ララをレイプしてしまう。




ララは、自己嫌悪から、パシャから預かったピストルでコマロフスキーを撃つ傷害事件をこの後におこしてしまうのだが、悪運の強いコマロフスキーは軽傷で、しかも、ララを刑事事件にならないよう庇う。結局、ララは、革命に身を捧げる年下の青年と結婚し、教師となった青年とウラル山地の田舎に移り住む。




ジバゴは、11歳で孤児となって、両親の伝手で引き取られ育てられた裕福なモスクワのブルジョワ一家で育てられる。バラライカの名手であった母の唯一の形見が唯一の遺産だった。医者にして駆け出しの詩人となったジバゴは、ブルジョワ一家の幼なじみで一緒に育ったパリ帰りの娘トーニャ(演ずるのはチャップリンの娘ジェラルディン・チャップリン)と結婚し娘を設ける。



そして、第一次世界大戦が勃発。人々の運命が激変する。ララの夫は志願して従軍、行方不明となる。ジバゴは従軍医として戦線に出る。そこで、行方不明の夫を探すために従軍看護婦として働くララと二人は再会し二人は惹かれあっていく。

この映画には語り手がいる。アレック・ギネス演じるエフグラフという赤軍の中将。映画の冒頭は、この初老の男が、ララとジバゴの一粒種の娘と思われる(ただし姓はコマロフスキー)女性に尋問するシーンで始まる。この年老いた軍人はジバゴの義理の兄だ。第一次世界大戦で帝政ロシア軍の内部転覆に活躍したボリシェビキ革命の闘士は、革命後のモスクワでジバゴ一家と出会う。ブルジョア一家の豪壮な邸宅は接収されこと、ジバゴの詩は反革命的であると糾弾されている事実をジバゴはこの兄から知らされる。兄の計らいで一家はターニャの田舎の別荘に移り住むことが許される。内戦で荒廃した村を通り過ぎながら、赤軍の列車での移動が始まる。ここで第一部終了。





移動途中のある朝、ジバゴは、行方不明のパシャに再会する。彼は、ストレル二コフという名前で白軍と凄惨な戦いを指揮する冷酷な指導者となっていた。そして、白軍が支配する町に住むララの消息も知る。ジバゴ一家は、田舎の別荘でひっそりと平穏に暮らすのだが、一方でジバゴは一人息子と暮らすララを訪問し、恋心が再燃がる。しかし、ターニャが第二子の妊娠をした機会に関係を断つことを決心、それをララに伝えに行った帰りにジバゴは赤軍のパルチザンに身柄を拘束され医者として2年間従軍する運命となってしまう。ようやく隙を見て逃走し戻った別荘にターニャ一家はいなかった。その後、ララに再会し、ターニャはジバゴを探すなかでララと対面したことを知る。そしてモスクワに戻ったターニャ一家はブルジョアの烙印のもと国外追放となったと手紙が届く。ジバゴとララとその息子の水入らずの生活が始まる。詩の創作の日々。ララに捧げた詩の原稿を見てララは言う。これは私ではない、あなた自身だと。


そして、ある晩、あのコマロフスキーが現れる。ブルジョワでありながら、現実主義者で機を見るに聡いコマロフスキーは、革命派にとっての利用価値をアピールして、極東にできる自治区の法務大臣に任命されたという。ララもジバゴも革命の敵としてこのままでは命が危ないが、自分と来れば助かる、というオファーをする。コマロフスキーの存在を受け入れられないジバゴは断る。しかし、コマロフスキーから、ララの夫のパシャ、赤軍の指揮官ことストレル二コフが自殺したこと、反革命派の烙印が押されているララがこれまで無事でいられたのは、赤軍内部の反ストレル二コフ派が、彼をおびき寄せる餌として寛大に処遇して来たからで、利用価値がなくなりもはや収容所行きか処刑しかない、と囁かれて、ジバゴはララをコマロフスキーと一緒に送り出すことに同意する。自分は後で追いかけるからとララに告げて二人は分かれる。これが二人の永遠の別れとなった。



ジバゴは、その後モスクワに戻り、兄エフグラフの計らいで医者として生き延びていたが、詩は出版できなかった。ある日、市電に乗っているジバゴはララを見かける。心臓に病があったジバゴは電車を降りてララを追いかけるが発作に倒れる。ララは背を向けたまま歩き続ける。




詩は出版されずともジバゴの葬式に訪れ弔意を示す人々はひきも切らなかった。ララも現れ、兄エフグラフに二人の一粒種の娘を探す協力を依頼する。しかし、これがかなうことはなかった。その後、スターリンの大粛清時代の波に飲み込まれ、ララの行方はわからなくなった。おそらく、どこかの収容所で人知れず亡くなっただろうと推測される。



ジバゴの子を身ごもったララは、コマロフスキーと設立される予定の極東の自治区(ユダヤ自治区?)へ行き、結局結婚したのだった。今や老中将となったジバゴの兄エフグラフが、両親からはぐれてしまった状況を問い質すのに対し、若き娘は、モンゴルでのある日爆撃の混乱の中、必死で逃げる際に握っていた父の手が離れて一人になってはぐれてしまった、と告げる。




本当の父なら絶対に手放さないはずだ、とエフグラフは呟く。そして、この娘はジバゴとララの娘に間違いないと確信する。ボーイフレンドらしき若者が娘を迎えに来て尋問は終わる。二人は去って行く。娘がバラライカを肩に掛けているのに気付いたエフグラフが声を掛ける。若者曰く、彼女のバラライカは芸術家肌だと。ジバゴの母親譲りの才能をこの娘は引き継いだに違いないと、エフグラフは呟くところでFIN。



3時間半たっぷりの情感豊かで、ロケも美しい、デヴィッド・リーンの傑作映画であった。リーン監督の映画「アラビアのロレンス」「ライアンの娘」「インドへの道」と同様に素晴らしかった。


3度目にして、ようやく全編を見ることで、内容もようやくきちんと理解できた。パステル・ナークの原作を読めばいいんだろうけど。学生時代の左派系の友人が、パシャや、ジバゴのモスクワの豪邸を接収した革命派の描き方がよろしくない(冷たい感じでいかにも悪人)とコメントしていた記憶があるが、パステルナークの原著そのものが体制批判でありソ連では発禁だったのだから仕方あるまいと思う。原作に忠実にこの映画は作られた。当時のソ連がこの映画を作ることはもちろん、ロケを許可することもなかったのは当然だった。


夕食: 白身魚フライ乗せ野菜カレー


日本に帰化したドナルド・キーン氏がなくなった。すばらしい日本の理解者にして世界への紹介者だった。ああ、合掌。

2019年2月26日 (火)

梅薫る!

2月22日(金) 晴



5時過ぎに目が覚める。ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。

5時52分、アカハラの声を聞く。日一日と日の出が早くなり、アカハラ君も早起きするようになった。

朝食:残り少なくなったミネストローネにハウスバーモントカレー(甘口)一かけらを入れてカレースープを作る。ベーコン・エッグを作り、お皿にご飯を盛り、それにベーコン・エッグを乗せて味噌風味のミネストローネのカレースープを掛ける。ベーコン・エッグ・カレー・ライスの出来上がり。

ビーバーの「第二次世界大戦」を読むにあたって年表が必要と痛感。複数の本の年表を参照しながら独自の年表作りをする。とりあえず、1936年から1940年までの分をまとめる。熱中しているとあっという間にお昼である。

ところで、アメリカとソ連の関係が1932年のルーズベルト民主党政権の発足によって大きく変わったことは注目に値する。


1933年11月、米ソの国交回復


1934年10月、ソ連の国連加盟 

※1939年、独ソ不可侵条約、ポランド分割後の11月にフィンランドに戦争を仕掛けて、結局、連盟から除名)。


これを受けて、1935年7月~8月 コミンテルン第七回大会で人民戦線戦術採用され、ドイツと日本がファシズム国家として不倶戴天の敵と規定され、一方で、敵対していた西側の社会民主主義勢力と手を結ぶ戦略に切り替えた。ソ連の地政学の要請に基づく180度転換政策。しかし、これは1939年の独ソ不可侵条約で再び180度転換されたが。スターリンによる「砕氷船理論」がその際にとなえられたらしいが、これは、どうも「田中上奏文」と同じ偽書の類らしい。しかし、もっともらしく見えてしまうのは、その後の歴史がほぼその通りに展開しているからだろう。

今日の感覚で一番理解しがたいのは、ソ連自らが民主主義勢力であると規定していること。皇帝、王様、貴族、ブルジョアを否定・追放して人民主体(労働者)の政体であるということなのだろうが、英米の「民主主義=デモクラシー」とはまったく水と油である。



第二次世界大戦は「民主主義」勢力と「ファシズ」勢力の戦いだった、とその当時は喧伝されたが、うさんくさいプロパガンダの類だったことは後の歴史が示すところである。しかし、このレトリックは現代にまで引き継がれている。リベラル派(左翼)はこのレトリックを未だ使っているし、驚いたのは、習近平さんが数年前の戦勝記念パレード(本来は台湾の国民党がすべきもので、中国共産党はその後の内戦で国民党を破った)で、ファシズムを打倒した連合国としての中国という立場をアピールしたことだ。この中国共産党によるプロパガンダはあまりにも見え見えで、西側の首脳(連合国関係者)で招待に応じた人はいなかった(韓国の前大統領が参加したが、韓国は戦争当時は国がなく戦勝国でも敗戦国でもなかった)。

第二次世界大戦は、ファシズム勢力(遅れてやって来た資本主義勢力)とデモクラシー諸国(植民地を持つ豊かな先進資本主義国)と共産主義勢力・ソ連(インターナショナリズムの仮面をつけた帝政ロシアの復活=一国社会主義=抑圧的な全体主義国家)による20世紀の「三国志」を演じたのだった。

ところで、ビーバー氏は、中国戦線での日本兵の残虐性にも容赦なく触れている。その理由として、軍隊での恒常的な上官による残虐な抑圧が、敵に転化したという、抑圧移譲の理論で説明している。部分的には当たっているかもしれない。ただし、大岡昇平氏が述懐するごとく、日本の軍隊の一兵卒は確かに上級兵から恐ろしい抑圧を受けていたし、乏しいロジスティックスで戦場では常に飢えたのだが、あまり不満はなかった、という。そういう人たちが、自分たちのレベルで連合国の捕虜を扱ったのだ。ギャップが大きく、日本人には捕虜なら当たり前だろうと思ったことも、「文明人」の彼らには想像を超えた虐待だった、という面があっただろう。一方で、中国大陸の同じアジア人に対しては、洗脳教育もあり、人間以下の扱いをしたことは間違いないだろう。そういうもと兵士たちの日記などの記録の類は山のようにある。



中国への蔑視は、日清戦争で多くの一般庶民が大陸に渡った経験によるところが大きいらしい(朝鮮半島も同じ)。孔孟の国のあまりの非近代的で惨めな現状にみな多いに驚き、勝利によって、侮蔑に変わっていった。

ファシズム国家も共産主義国家も抑圧的で容赦のない支配をそれぞれの国民にしたことは、平和で豊かな先進国から見ればおぞましいことだった。共産ソ連だが、西側のリベラルが人権抑圧を批判したとしても、農奴に近いロシアの農民たちが唯々諾々としてボルシェビキを受け入れたという事実は否定できなであろう。物言わぬ普通の人々にとってスターリンでもロマノフ王朝の皇帝でも同じことだった。ヒトラーのドイツがソ連に負けたのは、西側の恵まれた文明を享受している人たちなら耐えられないほどの酷い扱いを受けても、そして、第二次世界大戦では2000万と言われる犠牲者を出しながらも、農民たちが愛国心に燃えて黙々と戦った「戦意」による要素が大きかったという。
昼食: 焼きそば、コーヒー
週末はでかけるので買い物と散策(千波神社周辺)。民家の庭先で梅が花を開いていた。清らかな香りはそれほどでもなかったがもう少したつと楽しめるだろう。



Ume

夕食: カツカレー

全豪オープンを制した大阪なおみ選手の好物はかつ丼にカツカレー。大阪選手が最近、コーチと縁切りをしたばかりの直後の最近の試合で初戦負けしてしまった。世界ランキング1位なのに。次のビッグトーナメントは6月の全仏オープンだが、今回のチョンボ(とりこぼし)の影響がのこらなければいいのだが。


北朝鮮の「ロケットマン」と就任以来常に騒がしい、というか、物議をかもし続けているアメリカの大統領が、来週ベトナムで第2回目の会談が予定されている。どうなることやら、今のままでは想像もつかない。開催地がベトナムというのは、意味深ではないか。同じ南北で熱い戦争をしたものの、ベトナムは北の共産主義政権がアメリカを打ち負かし国の統一を果たし、その後、アメリカと和解して経済発展を遂げているのだ。一方の北朝鮮は、そうはならなかった。南北が停戦したままで、かつ、北は、冷戦終了後に改革開放のチャンスがありながらそれをしなかった(韓国があるので出来なかった)。自分の一族と取り巻きの軍人の生き残りのための唯一の選択肢が「核」だった。どうやって放棄するのだろうか。放棄=自己否定をどう克服しようとするのだろうか。

2019年2月22日 (金)

ビーバーの「第二次世界大戦」熟読。

2月21日(木) 晴



5時前の目覚め。アントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。7時前までの2時間、第4章、The Dragon and the Rising Sun 1937-1940。



盧溝橋事件、第二次上海事変、南京占領と日本が中国本土に介入して泥沼にはまっていく。興味深かったのは、本文ではChanng Ching-chongと表記される国民党の将軍(Chang Chih-chung又はZhang Zhizhongが正しいと思われる)は、ソビエトのスリーパー・スパイで、ヒトラーによるヨーロッパ情勢が緊迫する中、スターリンが極東での日本の行動(盧溝橋事件)を受けて上海で騒動をおこし戦線を南下させようとした、というくだり。

第二次上海事変の発端は、ミクロレベルでは、中国側の挑発によって起こされたらしく、その巻き添えでライシャワーもと駐日大使のお兄さんが上海租界のホテルで爆弾の被害を受けて死亡したのだが、これは国民党軍の戦闘機が長江に停泊する出雲を攻撃しようとして逆に反撃を受け、機体につけた爆弾が通りかかった租界上空で落下して起きた不運事故だったらしい。いずれにしても、慎重派の蒋介石を押し切るように国民党軍のこの将軍が事を興した背景にはスターリンによる遠謀深慮があったというもの。



定説として、著書は、この上海事変において国民党軍をバックで指導したドイツの将校(ファルケンハウゼンら)による戦略に蒋介石が従った(広大な中国において日本軍を分散させ、消耗戦に引き込む戦略)のようだ。


日独防共協定を結びながら、極東においては日本ではなく、蒋介石の国民党軍にドイツが協力していたというのは皮肉ではあるが、ドイツ側の支援の見返り=支払いは、貴重な資源であるタングステンを中国側はドイツに提供することで精算したらしい。


1937年の盧溝橋事件から始まる日本の中国大陸侵攻は、当時の世界においては、1936年のスペイン戦争(成立したマドリッドの左翼政権対ファシスト・フランコ将軍が率いる軍部)の極東版と見られていた。写真家のロバート・キャパやイギリスの詩人オーデン(トーマス・マンの娘のエリカと偽装結婚してエリカをイギリス経由アメリカに連れて行った)、「さらばベルリン」(映画「キャバレー」の原作)で有名はイギリスの小説家イッシャーウッドなどが中国を訪れ取材している。


南京を占領して一気に中国を捻じ伏せられると思っていた日本であったが実際には南京の虐殺等(まぼろし、無かったというのは欺瞞であろう。著者は多くて20万人の軍人や一般市民がが殺されたという説を支持している-これは南京城内だけではなく、周辺の村々を日本軍が攻めながら南京に向かう途中の数も入れての数字と思われる)もあって中国人は長期の徹底抗戦へと結束していく。


満州国のソ連国境との紛争も勃発しており、その対応のため日本軍は戦力を割かれ、中国本土での攻勢は徐々に鳴りを潜め始め、ゲリラ掃討作戦に転換していく。


蒋介石の戦略は、イギリス、ソ連、アメリカなどの支援をうまく利用しながら日本の侵略を抑え、本命の敵・毛沢東率いる共産党をぶっ潰すことが最優先だった。ノモンハン事件では、日本とソ連が何らかの協定を結ぶのではないかと危惧した(独ソ不可侵条約直後のポーランドの分割の如きことが極東で起きるのではないか)。一方で、スターリンのソ連が日本と本格的に干戈を交えることを望んだ。何故なら、中国本土へのプレッシャーが軽減されるから。


スターリンは、独ソ不可侵条約締結(1939年8月)によって、西におけるドイツの脅威を対英仏への戦争へと向かわせることに成功した。極東のノモンハン事件(同年5月~9月)では、満州国(=日本)との国境問題をとりあえず決着させ、日本側に対ソ恐怖症を植え付け南進させることに成功した。ソ連にとっての当面の安全保障の問題は解決した。



ノモンハン事件をもってソ連が日本に対して矛を収めたことは蒋介石にとってはショックであった。蒋介石の重慶政府にとって将来の頼りとなるのはアメリカ合衆国になっていく。国内の憂慮は、第一に、力をつけつつある毛沢東の共産党勢力であり、もう一つはと汪兆銘が離反して日本と妥協して南京に打ち立てた政権である。汪兆銘の南京政府がドイツやイタリアやほかの国が承認されることを何よりも恐れた。


毛沢東率いる共産党の戦略は、日本軍と攻撃されたら反撃しつつ後退すること、こちらからは決して戦いを挑まないこと、力を温存し、最終的な敵である国民党政権を倒すことにあった。従って、日本軍とは、日本のロジスティックの生命線である鉄道に攻撃を加えないことを条件に地方に割拠する自らの第4軍への攻撃を控えてもらう裏取引すら行っている。



1939年の12月にソ連がフィンランドを侵攻して国際連盟を除名された際は、蒋介石は大いなるジレンマに陥った。除名に「イエス」の投票をすればスターリンの機嫌を損ねる一方、「ノー」であれば、英仏の不興を買う。結局、中国は連盟での投票を棄権したが、両方から不信の目でみられる最悪の結果となった。


スターリンが一番危惧していたのは、ヨーロッパの対応で手一杯のため極東まで手が回らないイギリスと日本の攻撃にアップアップの中国がたくらんで、ソ連が日本と戦うように仕向けられること。又、中国共産党が地盤の中国北部で問題をおこすことで、蒋介石が日本と何らかの妥協をするのではないかという危惧。スターリンの対中国の戦略は、蒋介石に何かあればソ連は国民党政権を支援するという期待をチラつかせながら、日本と直接戦うことは避けることにあった。


*******

6時前、アカハラの声。外は明るくなり始めている。6時20分過ぎ、ウグイスの笹鳴き(囀りではない)が聞こえてきた。初鳴き(ホーホケキョ)まだあと少しだ。昨日は春先の陽気であたたかかった。野鳥たちも感じているのだろう。


朝食:ブリ大根、カブの浅漬け、ご飯。


ビーバーの「第二次世界大戦大戦」を読み続ける。第5章Norway and Denmark January-May 1940の章。



昼食:ジャケット・ポテトとゴーダ・チーズにコーヒー。


14時から、車の定期点検にでかける。1時間半ほどかかる。オイル交換。5000キロ又は半年が目安ということだが、車のメカにまったく理解がない自分は業者さん(プロ)の言われるがままの1年半パッケージ25000円に加入する。今年9月と来年2月は定期点検、9月がまた法律で定められた車検(10万)。待っている間も、ビーバーの「第二次世界大戦」の第5章を読み続ける。


16時、給湯器の業者さんが来る。給湯器は問題なし。煙突に少し隙間がありこちらも調整してもらう。オイル・タンクの油漏れが気になっていたので相談する。原因は、オイルタンクの底に水がたまり錆が出来て腐食している部分があるかららしい。定期的な水抜きをしないといけないというが、ステンレス製のタンクは地面と隙間があまりなく難しい。現状は、それほど大きな問題ではないが替えたほうがいいだろう、と。鉄製のもので水抜きしやすいタイプを進められるのでそれで注文することにした。設置費なども含めて3万。


夕食:豪州牛の残り(120㌘)、タラモ・サラダと石窯パンと赤ワイン。昨夜はミディアム・レア-だったが今日はウェルダンで食す。お腹一杯にならず、最後のタコの刺身とご飯少々。コッテリのあとのサッパリ味でお腹が落ち着く。


食後、1時間ほどポテト・サラダ作りをしてから、2階へ上がる。「第二次世界大戦」を読み続ける。第6章に入る(Onslaught in the West May 1940)。

2019年2月21日 (木)

映画「レッズ」を観る。

2月20日(水 )晴れ、後曇り


5時すぎの目覚め。


「ナチスの時代」の最終章を読了。ドイツ人に向けて書かれた本なので、原文にはない訳注がありがたい。かなり細かい点にまで懇切丁寧に説明がなされている。後ろの年表にはヨーロッパの出来事とと並行して日本と極東の出来事が並列されているのもグッド。



独ソ不可侵条約とポーランド問題。9月1日にヒトラーのドイツ軍は侵攻したのだが、ヒトラーは、ポーランドからの最初の一撃(ドイツによる演出)があったための反撃である、とラジオで国民と世界に宣言した。強いものが弱いものを公然と攻める際のやましさを少しでも軽減するためなのだろうが、道徳的には弁護の余地はない。満州事変の日本もそうだった。



独ソ不可侵条約の秘密条項にもとづき、スターリンが2週間と少し後(9月17日)に、ポーランドに軍を進めたのは、ポーランドがソ連に宣戦布告することでイギリス・フランスを敵に回すことを避けるためだった。チャーチルは、ソ連軍の侵攻を、ドイツが動いてポーランドを自国に組み入れたことによる地政学の要請から正当化される当然の行為だと擁護した。ポーランドは最後まで英仏の動員と開戦を期待したにも関わらずほとんど何ら動きができず(したくなかった)ポーランドを実質的に見殺しにしてしまった(戦争準備が十分にできていなかった)。スターリンにとっての「独ソ不可侵条約」とは、ドイツと一時的ではあるけれど、対立関係を解消して、帝国主義同士を戦わせ消耗(ドイツ対英仏)させる戦略にもとづくものだった。ヒトラーにとっては、2正面作戦を避け、かつ、ソ連から石油や食料などの原料を確保することで、西側との戦争に専念するためのものだった。



朝食:身欠きニシン、味噌味風味のミネストローネ、タラモサラダとご飯少々。


9時前、いつもより早く父はデイケアーに出かける。今日は朝からポカポカの陽気。久しぶりに車を洗った。


昼食:タラモサラダと石窯パン2切れ、まるちゃんの昔ながらのソース焼きそば、それに、レモンティー(ダージリン)。


給湯器が設置してから10年を経過したので、メーカーさんに点検をしてもらうよう段取りをする。予定はまだ未定。相手からの連絡待ち。



13時から、BS3で映画「レッズ」を観る。封切になった1980年前半に1度観たことがある印象深い映画だ。是非みなかれば、と朝からソワソワしていた。



「世界を揺るがした10日間」のジョン・リードとフェミニストのであり女流ジャーナリストのルイーズ・ブライアントが主人公。時代は20世紀初頭の1910年代で、欧州では第一次世界大戦の大混乱の中にあった。ウォーレン・ビーティ演じるジョン・リードは危険を省みない社会派のジャーナリスト(冒頭は革命児サパタが活躍したメキシコの取材で砲弾の中を走り馬車に飛び乗るところ)。当時のアメリカ世論は連合国側についてに参戦する流れが出来つつあった。参戦するとは、資本家を利するだけだ、英仏が負けたらJ.P.モルガン財閥の投資金がフイになるから、資本家たちが参戦しようとするのだ、とリードは生まれ故郷のオレゴン州ポートランドの保守的な人々の集まりの中で物議を醸す発言をする。



保守的な田舎の生活に息苦しさを感じていダイアン・キートン演じる人妻のルイーズは、講演に訪れたリードと知り合い、夫を捨ててリードが住むニューヨークのグリニッチビレッジへ。「グリニッチ・ビレッジの青春」という映画を思い出すが、アーチストの卵たちが「自由恋愛」(これもとうの昔に死語)をしながら、おしゃべりに興じつつボヘミアンな生活をしていた。ジャック・ニコルソン演じる劇作家ユージン・オニールはルイーズのもう一人の恋人として登場。



リードとルイーズは結婚はするが、派手で男をひきつける魅力たっぷりのルイーズはすでに有名だったリードの向こうを張って自立心を鼓舞、喧嘩をしては寄りを戻す生活をする。
一方のリードも、妻以外の女性とも関係する。お互い様の関係。


ヨーロッパの戦場をレポートしようと一人パリに渡ったルイーズを追いかけて渡仏したリードは、ルイーズを連れてロシア革命前夜のペトログラード(レニングラード)へ。列車の中で、ロシア系アメリカ人のジャーナリストが二人の前で次から次へとジョークを飛ばすシーンがある。物語とは無関係だが、何故か印象に残る。オランダで研修していた時、マーストリヒトでたまたまある晩、偶然に知り合ったオランダ人とビールを傾ける機会があったのだが、このオランダ人か数えきれないほどのジョークを問わず語りに飛ばすのだった。ナンセンスなジョーク、ダーティーなジョーク。次から、次へと。列車の長旅でもそうなのだろう、退屈や気づまりな瞬間が生まれたら、ジョーク合戦という手があるのだ。女性には魅力的なジョン・リードも、ジョーク合戦では笑いを取れなかった。



二人は、ロシア帝国の戦線離脱、ケレンスキー暫定政権とレーニン主導のボリシェビキによる政権転覆と権力掌握の推移を目の当たりにする。共産主義シンパであったリードもルイーズも熱狂の渦の中で取材を重ね(レーニンやトロツキーも登場する)、アメリカに帰国して本を書いたり講演をする。が、FBIの防諜班から目を付けられる。アメリカは、ボリシェビキ革命の最中にあるソ連への干渉戦争に参加しており(シベリア出兵等)、親ソ連的は言説は祖国への裏切りである、と。逮捕される寸前にリードは密航船にのり一人でモスクワへ潜入する。アメリカで分裂する左翼の少数派としてコミンテルンのお墨付きをもらおうと努力するも認められず落胆する。


コミンテルンの仲間とバクーへ軍用列車で講演旅行するシーンが美しい。英語で起草した自分の原稿がロシア語に直され、それが、また現地のそれぞれの言葉に翻訳されることで、リードの演説に応えた地元民の熱狂的な叫びは「聖戦、万歳」であった。そして、白軍(皇帝派の軍隊)の攻撃と混乱。連絡がつかない(共産側は干渉戦争をしかける世界と遮断され、自らを遮断した)リードを案じたルイーズは北欧を経由して苦労しながらモスクワにたどり着き、かつて、グリニッチ・ヴィレッジで知遇を得ていた仲間に再会し、革命の現実に対する幻滅を吐露される。バクーから戻ったリードは駅でルイーズと劇的な再開をするが、チフスにかかり、間もなくルイーズの看護の甲斐もなく亡くなる。ボリシェビキ革命シンパだったリードは、数少ない例外の外国人としてクレムリンに葬られたという。



映画をさらに興味深くしているのは、冒頭から最後までところどころで監督・主演をしたォーレン・ビーティーが行った二人を知る人々(例外なしに高齢)へのインタビューによる回想である。批判と共感、相半ばしたコメントの数々。「ルイーズは、男の人の気をを引こうとする露出趣味があった」、「自分自身の生存に命をかけて生きている女は派手なのよ」、「社会主義なんてくだらない、リードは、理想を追求して他人のことにばっかりかまけていたよ。そのくせ、自分自身のことには全然無頓着」「二人はお似合いのカップルだった」等々、再現するのは不可能なくらいのはるか昔となってしまった自分たちの青春の数々の断片的な記憶の吐露。単なる男女のロマンチック・アドベンチャーの映画となってしまうところに深みを与えていると思う。


夕食:豪州牛のランプステーキ(厚身でやわらかい)、タラモサラダ、ホウレンソウのおひたしで赤ワインを飲む。仕上げは、タコの刺身、ミネストローネとご飯。



食後、ブリ大根を調理する。40分少々。魚だし(酒6、味醂1、醤油1、砂糖0.5)と水少々で30分中火で乱切りにした大根とブリのアラと切り身を煮詰める。道場六三郎さんのレシピ。生姜は使わず。お酒そのものが魚の臭みを消すからだろう。



Buridaikon1

タラモ・サラダを作る。

2月19日(火) 曇り、午後一時雨


昨夜は21時に就寝。そして、目が覚めたのが4時。眠れなくなる。6時から7時間の睡眠時間で十分だ。この歳になると。


「ナチスの時代」の第3章と第4章を読了。最終章を残すのみ。


朝食:ベーコンエッグ、納豆、ご飯。


昼食:高菜を具にしたお握りを作って食べる。それと、ジャケット・ポテト(小)にたっぷりの溶かしシーズとたらこ少々。コーヒーにバナナ半分。


休憩後、キッチンで、ミネストローネを作る。今回は、味噌も少し使って風味を変えてみる。1時間で完成。それから、タラモ・サラダを作る。こちらは簡単。ジャガイモ4個(500㌘)を電子レンジ700ワットで6分。皮を剥いて熱々のうちにボールに潰す。タラコ1腹(50㌘)を入れ、さらにバターを少々加えてよくかきまぜるだけ。タラコの塩が聞いているので味付けに注意が必要だが、酢、胡椒なども少々加えて完成。15分ほどで完成。




Taramo

夕食:タラモサラダと石窯パンのスライスが前菜。ミネストローネがメイン。タコの刺身とご飯少々で仕上げ。北海道産のタコは絶品だ。



Taramo1


森繁喜劇は「駅前金融」で過去の再放送なので迷ったが、電気ストーブにあたりながら1階のリビングで見てしまう。


シャワーで済ませてしまう所、テレビの途中で久しぶりに熱い湯舟に浸かったりする。21時過ぎに2階へ。眠くなりそのまま就寝。

2019年2月19日 (火)

黒ソイで清蒸を作る。

2月18日(月) 晴


6時前の目覚め。今日もアカハラ君の声。6時7分。


昨夜から「ナチスの時代」の再読を始める。岩波新書。高校時代の世界史のA先生(東大・西洋史学科卒)が授業中にこの本に触れたことがきっかけで購入した青版の新書だ。懐かしい本。


Nazi



大学時代の卒論でもワイマール共和国の通史の参考文献の一つとして熟読した本。今更ではあるけれど、第一次世界大戦からヒトラーのナチスの敗戦までの流れを整理しようと思った。チャーチル、アンソニー・ビーバーの本と並行しながら。


朝食:身欠きニシン、コロッケ、ミネストローネ、ご飯。


9時5分、父はデイケアーに出かけた後、近くの床屋に髪の毛のカットに出かける。15分ほどで1000円。


戻ってから午前中は、ヒトラーやナチスに関する本を整理する。参考になる本は他にも何冊かあった。セバスチャン・ハフナーの「ヒトラーとは何か」。



Hafner




それに、ピーター・ドラッカーの「経済人の終わり(The End of Economic Man)」。




Drucker



いずれも、アカデミックな本とは一線を画すけれど、今日に至るまで版を重ね読み継がれている良書だと思う。ヒトラーの時代を身をもって体験した世代に属するするどい知性がヒトラーとナチスの本質に迫っている。


大学の卒論は「ワイマール共和国の思想状況」。ランケという19世紀のドイツの歴史家の弟子にあたるマイネッケの日記を中心に取り組んだけれど、この時代の爆発的な思潮のバトルパワー(例えば、右に、カールシュミット、ユンガー、ハイデッガー、左にトゥホルスキー、ブレヒト、ルカーチ、真ん中あたりにマイネッケやウェーバーやマン等)に幻惑されて二十歳すぎの人生未経験の人間に手に負えるテーマではなかった。一応「優」はもらったけれど、お情けでもらったようなもの。納得のいく出来からはほど遠く忸怩たる思いをした。サラリーマン時代、時折思い出しては、書店の歴史コーナーに寄り道しては、この時代のこのテーマに関わる本で特に気になった本はアットランダムではあるけれどぽつぽつと購入して「積読」することが多かったけれど、時間を見つけては紐解いていた。この歳になっても、まだ未練があるのだろう。いろいろ本を読んでいるうちに火が点いてきたようだ。


昼食:ミネストローネの残りで作ったコロッケ・カレーとバナナ半分。母には、ミネストローネの残りで卵雑炊を作って食べてもらう。


午後、自動車運転免許の更新に出かける。昨年1月に、運転中、一時停止をしなかったと覆面パトカーにつかまり減点されたことが響き、一般コースでの手続きとなる。1時間の講習(減点なしのゴールド・コースは30分)。


夕食:黒ソイを使って清蒸を作る。今日は、Youtubeで研究したやりかたで調理する。中国のサイトに沢山作り方がありよさそうなものを真似した。

私流のレシピ:



① 下処理した黒ソイに塩・コショウする。
② 大き目の皿に乗せ、紹興酒を振る。表面と腹の中にも満遍なく振りかける。
③ スライスした生姜とぶつ切りにした葱を腹の中を入れるほか、切り身を入れた身にも生  
   姜を挟み、身の上にも葱を乗せる、15分ほど付け込んでおく。 
④ 鍋にカップ5杯くらいの水を入れ沸騰させる。
⑤ 沸騰したら小さい皿を裏返して台にして、黒ソイの身の上にもを乗せた皿を置き、蓋を
   して15分ほど蒸す。魚を皿に乗せるときはは葱をしたに敷いて下側にも隙間を
   作っておくこと。
⑥ 15分蒸したら、皿を取り出して蒸し汁は取り除く。
⑦  蒸している間に、醤油、味醂、砂糖、酢を適宜お好みで混ぜて用意しておいたタレを魚
     に掛ける。その上に、三つ葉を散らし、最後に熱々に熱したピーナツ油を ジューッとか
      けて完成。

※使用する魚は白身魚なら何でも可。メバル、セイゴ、ソイ、カレイ、タイ、イシモチなど。香菜は、コリアンダーを敢えて使う必要はない。今回はミツバを使ったけれ
どパセリでもいいと思う。生きのいい魚を蒸して素材の本来の味を楽しむ、というのが清蒸料理の真骨頂だと思う。


父は、母が作った山椒を効かせた煮つけを食べた。母には清蒸の一部を別皿で食べてもらったが、魚本来の旨さが味わえて絶品と喜んでくれた。自分としてもこれまでではベストの出来栄えと納得した次第。タレについては今後も試行錯誤はするだろうけど。



快心の出来の一品:

Soi_mushi


こちらは通常の煮つけ:(これはこれで美味)

Soi_nituke

2019年2月18日 (月)

高3の英語教科書再読。 書評「西洋の自死」について。

2月16日(日) 晴


6時前の目覚め。今日もアカハラ君の声を聞く。6時5分過ぎ。


ベッドの中でA.A.ミルンの日記についてのエッセイを読む。高校3年次に習った英語教科書で、押し入れの奥の段ボールの箱の中から出てきた。あまりに懐かしくて一通り読み返す。三分の二を授業でやったと見え、書き込みが一杯してある。


Milne

扱われている作家は、チャーチル、モーム、ノーマン・カズンズ、ジョン・スタインベック、アインシュタイン、ハドソン(博物学者)の名が見える。 ページをめくるまですっかり記憶から消えていたけれど、読み始めたら当時、一生懸命に意味を取ろうと文章と苦闘した記憶が蘇った。忘れてはいなかったのだ。記憶のどこかで眠っていただけだ。
 



Texty

ちなみにインターネットで検索したらこのA.A.  Milneの原文が丸々引っかかってきた。:

アインシュタインの哲学的エッセイ「What I believe」もちゃんと出てくる。相当有名な言われのある文章なのだろう。今だから分かるのだろうけど、本当に見事としか言いようがない文章だと思う。



朝食:納豆、厚切りベーコンエッグ、ご飯、ミネストローネ。



地元では恒例の「梅まつり」が始まった。春の到来。ウグイスの初鳴きまであと2週間から3週間だろう。 


母から、昨夜見たタモリのブラタモリのパリ編が良かったという。ルーブル博物館が登場して、私が学生時代のドイツ研修のあと最後の1週間をパリで過ごしたことを思い出したらしい。ドイツ語ゼミ研修(3か月)で1976年の6月から9月にかけてのこと。パリ滞在は9月の始めだった。毛沢東が亡くなったニュースが流れていたことも記憶にある。シャンゼリゼで、映画「エマニュエル夫人」のノーカット版を観た。宿泊したのは、場所を思い出せないがセーヌ左岸のユースホステルだった。チェコからやって来た学生のカップルと話し込んだことを覚えている。


大学から我々を引率した教員はドイツ人でフランス留学経験があり、仏語は流暢だった。時折我々をおいしいビストロ(学生向けの)に案内してくれたのだが、この先生、90歳を超えてもまだ東京にご健在だとという。名前をシュタインベルクという。典型的なドイツ人(金髪碧眼)をイメージすると肩透かしを食らう顔姿だが(このドイツゼミのときに現地の人から彼はユダヤ人だと言われた)、面倒見のいい先生であると同時にヨーロッパ人の頑固さと理屈っぽさを持っていた。尋常でないのは、歩くときの異様な早さ。春や夏の休みにはドイツ語研修で泊まり込みの合宿があったがドイツ語しか使ってはいけない生活をした。授業は午前中だけ。午後は、グループごとの散策(エクスカージョン)なのだが、とにかく歩くのが早いこと、早いこと。そして、刺身大好き人間だった。夕食は和食で刺身が出ると食べられない学生から刺身をせしめては嬉々として食べておられたのを懐かしく思い出される。あれは、千葉の御宿だったろうか、春休みの合宿。菜の花畑が黄色一面だった。




先日、先生を囲む会があるということで、中央大学で先生をしているTさんから誘いがあった。が、母の具合が悪く外泊できる状態ではないと断るしかなかったのが残念であった。



読売新聞の朝刊で目に留まったのたが、The Strange Death of Europe(翻訳「西欧の奇妙な自死」)の書評。翻訳が出たばかりらしいが、イギリス人のジャーナリストがイスラムからの移民の問題について、欧州人の偽ざる本音にもとづいて考察をした本らしい。最近の民族主義が復活と、グローバリズムに対する反グローバリズムの大きな流れ。グローバリズムを象徴するキーワードは、「多文化主義」と「多様性」。2015年におおきなイスラム難民のうねりが欧州を襲った。人種主義にもとづく大量虐殺の負い目を遺伝子レベルまで組み込んでしまったドイツが率先して難民を受け入れた。その数は100万を優に超える。この数は、日本がかかえる在日朝鮮人や永住権をも中国人の数に匹敵する。朝鮮半島や中国の人は同じ儒教・仏教圏でありながらもやはり一緒に生活するとなるといろいろ軋轢が出てくることは我々も実感するところだが、欧州の場合は軋轢が半端ではない。ヨーロッパ育ちの2世、3世のイスラムの人々がテロを起こし、女性を暴行などの犯罪が頻発しているのだ。


キリスト教がベースのヨーロッパは、歴史的にイスラムとは長年攻められ攻め合う対立関係にあった。18世紀以降、啓蒙主義による脱宗教化・世俗化がすすみ、リベラリズムが浸透する開かれた自由民主主義の社会を作り上げた欧州。一方のイスラムからの移民・難民は、著者が現場で取材していく過程で恐るべき現実を改めて認識させられる。彼らにとって、啓蒙主義もリベラリズムも男女平等やLGBTは無意味なのだ、と。彼らが欧州にやってくる意味は少しでも良い生活をしたいという経済的理由、ただこれに尽きる。イスラムという宗教・生き方は、欧米が進化・発展させてきた価値観に無関心だという。欧州がかくも大量の移民を受け入れるというのは間違っているのだ。本音の部分ではおかしいと思っていても、リベラル派の思考に基づく絶対的基準である「ポリティカル・コレクトネス」により公式には反対できないのだ。批判を恐れ、選挙の票を気にするばかりで、自分たち本来の価値観を否定する政策を推し進める政治家達は、少子化と労働力不足という短期的な利益を追いかけ、将来の自分たちの子孫に禍根を残すことになる政策に無自覚なのだ、と。



著者は、幾多の試練を経て成し遂げた西欧のリベラルで開かれた社会が、自分を掘り崩す自殺行為をしているという皮肉りながら、憂鬱な思いを吐露しているようだ。「文明の衝突」で有名なサミュエル・ハンチントン氏は、結果的には遺作となった「分断されるアメリカ」(Who are we ? The Challenges to American Identity)において、アメリカのアメリカたる所以は、アングロ・サクソニズム(プロテスタントの精神)であると信条を期しているが、「人種主義者」の批判を浴びたらしい。
進歩派・リベラル派が多いアカデミー界・ジャーナリズムの世界において、「ナショナリズム」の発露を思い起こさせる言表ははネガティブ評価となる。ナショナリズムを肯定的な意味で意味する場合は愛国主義(Patriotism)を使うらしい。日本の安倍首相は「ナショナリズム」を背景に、東京裁判を受け入れた日本がサンフランシスコ条約で世界に復帰した戦後体制を否定しようとする危険な指導者ではないのか(ヒトラーがベルサイユ体制を否定したごとく)、と見られ、何かと言えば辛口の批判を浴びてきたし、いまでも、基本的なスタンスは変わっていないようだ。


昼食:溶かしチーズをかけたジャケット・ポテトと牛肉コロッケにコーヒー。レーズンチョコ少々。


午後、3週間ぶりに地元のお魚市場に出かけた。黒ソイ4尾で700円。煮付けと清蒸で食べようと即購入。


Soi4



他に、タコの刺身、タラコ(ギリシャ・レストランで堪能したあのタラモ・サラダを作ろうと)大きな3腹で600円。それに、地元名産の干し芋も次いでに買う。


帰り道、車事故の現場を通り過ぎる。田んぼの中を走る舗装された一本道でどうやって事故が起きたのか。一台は細い横道で前の部分がグシャグシャになっていた。もう一台の軽自動車は田んぼの中に突っ込んでいた。

夕食:牛肉コロッケ、ポテトサラダ、ミネストローネ、ご飯少々。

2019年2月17日 (日)

ゴーンさんのこと。ロンドンで見た思い出のミュージカル「ボーイフレンド」

2月16日(土) 晴、後曇り


6時の目覚め。6時5分、アカハラの声を聞く。



朝食:イワシの塩焼き、ミネストローネ、ご飯、納豆。



9時5分、父はデイケアーに。母の体は回復し動けるようになった。2階でニュースチェックをしていると、階下から掃除機の音が聞こえる。とにかくじっとできず、 家事を見つけては体を動かさずにはいられない人。伝統的主婦の鑑。昭和一桁でモッタイナイ精神の権化。やれやれ、とホットはするが、今回の食あたりで回復 するのに10日。足が少し弱ったような気がする。



昼食:マルちゃんお昔ながらのソース焼きそば。具にミネストローネのスープ抜きでたっぷりの野菜をかける。今日は母と半ずつ。足りないので、石窯パンに、 サバの文化干し(脂ば乗っている!)の半身を挟んでサバサンド。例の、イスタンブールの名物サバ・サンドイッチ。


トルコ料理のドネルケバブは日本でも結構普及しているが、サバサンドは寡聞にして聞かない。インターネットで検索したら羽田空港の第二ターミナルにMrs. Istanbulというレストランがあってそこで食べられるらしい。


カルロス・ゴーンさんの続き: 日本の民事刑法制度に対する揶揄が海外から聞こえてくる(ニューヨークタイムズ、BBCニュース)。BBCのニュースに”Hostage Leagal system”とあ
る。


https://www.bbc.com/news/world-asia-47113189



検察のリーク や日産の当事者などから明らかになったことはゴーンさんの強欲さ(ブラジルの貧困家庭から身を起こしてフランスの超エリート校を卒業して成功した。出身地のブラジ ルや故郷のレバノンに錦を飾り、フランスではベルサイユ宮殿を使った再婚式が話題に)と絶大な権力者にありがちな公私混同であるがであるが、そもそも、大騒ぎして 懲役刑にする犯罪なのか、と揶揄している。コーポレート・ガバナンスが機能しない日本企業自体の問題ではないか?企業が自らの恥をさらしているだけ。そして、被疑 者を自白に追い込むために、3か月以上も拘束しつづける何とも理解しがたい日本の法制度への疑義。



BBCの論調は、刑務所収監となる犯罪性の根拠はとぼしいと憶測して いる。 田中角栄裁判を思い出した。ロッキード事件で収賄罪に丸紅と連座して告訴されたが、とっかかりは、外為法違反の別件逮捕だった。ゴーンさんは、日産の内部告発で まず、金融取引法違反の疑いで身柄を拘束された。取り調べを受けている間に、さらに、特別背任罪という別件の犯罪の疑いで取り調べが継続した。もうすで に3か月になろうとしている。




田中角栄裁判を暗黒裁判であり、日本のデモクラシーの死を意味すると批判をした小室直樹氏は、田中裁判の本質は、検察と 裁判所の野合による「田中角栄潰しだった」と喝破している。バックには、三木・福田がいた、と。問題となった、コーチャン氏の嘱託尋問調書(彼の贈賄罪は問わない ことを前提にした証言)の証拠能力としての問題性、公判において被告側の反対尋問が一切認められなかったこと、等、この裁判は日本の法制度を恥で塗りつぶす前代 未聞のできごとだったと。そして、日本人は、江戸時代の大岡裁きをやっている、とまで。



ゴーン事件では、最終的に検察庁は告訴による裁判に持っていくのだろうけれど 、プライド高く、抜群の頭脳の持ち主のゴーンさんは、佐藤優氏と同様に罪状否認のまま検察側とやりあっているだろうと想像する。自分はハメられた、とマスコミのイ ンタビューに語っているそうだが、会社内部の問題であの時言った、言わないのレベルというか、あまりにワンマンなゴーンさんに日本側は恐ろしく何も言えず、ずるず ると来てしまった結果ではないだろうか。次元が違うかもしれないが、昔の三越騒動のように内紛劇の末にゴーン氏の非を取り締まり役会で追求し、解任することもあり 得たように思うが、素人の野次馬的な甘い考えであろうか。



16時20分から刑事コロンボ「ロンドンの傘」を観る。1972年の製作。原題は「Dagger of the Mind」。学生時代に一度見た切りで2度目。ロンドンロケなので最初から しっかりと見た。主音声は吹替、副音声は英語。行ったり来たりする。アメリカ西海岸と古色蒼然としたロンドンでは町の色彩、人々の物腰の違いが一目瞭然。そこに 例のしわしわのレインコートを来たコロンボ警部が研修でスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)にやって来た。入国の荷物のゴタゴタから、お上りさんよろしく バッキンガム宮殿の衛兵見学、タワーブリッジ、フィッシュ・アンド・チップス(食べるシーンはなく、ごみ箱に食べかすをすてるところ)、イギリスのクラブ (コロンボ警部の女人禁制ですか?というセリフで笑ってしまう。アフタヌーン・ティーは例の段重ねのサンドイッチやスコーンではなかった)、庶民のパブやら郊外 のマナーハウスみたいな邸宅、執事、などなど、ストーリーとは直接関係ないショットのひとつひとつが間違いなく英国で楽しかった。


1972年のロンドンだからまだ労働党政権時代、サッチャー首相登場の前。人々のファッションや車が古めかしいのは、森繁喜劇を観るときと同じだ。自分はとうとう行かずじまいだった蝋人形館で、コロンボのちょっとしたいたずらでマクベス演じる舞台俳優の犯罪をあばくシーンがクライマックス。


私が最初にロンドンを訪問したのは、1984年の夏だった。アムステルダム研修中のある週末に足を延ばした。サッチャー政権が発足してイギリスが変わり始めたころ。コロンボ警部よろしくロンドンの研修員に名所旧跡を案内してもらった。Bed & Breakfastの安宿に宿泊、初めてのイングリッシュ・ブレックファスト。ベークト・ビーンズというおいしいともまずいともつかない奇妙奇天烈な茹で豆(何故、ベークトなのか今もってよくわからない)の洗礼。作家のモームが、イギリスの食事はまずいというけれど、イングリッシュ・ブレックファストは世界に誇れる食事だ、とどこかで自慢していたと思う。ロンドン塔で雨に降られ、雨宿り。雲間から陽が差し始めた雨の中、何となく心が浮かれバート・バカラックの「雨に濡れても」を口ずさんでいるとイギリス人のお母さんに連れられて子供がニコニコとして近寄ってきた。軽い挨拶を交わしたけれど何を話したのかもう忘れてしまった。



シェークスピアの観劇の代わりにThe Old Vicという劇場で、ツイッギーのミュージカル映画でもお馴染みの「ボーイフレンド」を観た。「No Sex Please ! We Are British」というのロング・ランの演劇も興行されていたがこちらはパス。


<ジュリー・アンドリュースが歌うボーイフレンドの主題歌>

<ツイッギーが歌うデュエット・ラブソング:I could be happy with you if you could be happy with me>
https://www.youtube.com/watch?v=3FSVwAudhkU



<恋をするのに歳は関係ない~It's never too late to fall in love> これは結構新しいパフォーマンスのバージョンらしい。見ていて一緒に笑える楽しいシーンだ。



ロンドンの研修員は通い詰めてレコードも持っていた。カセットテープに録音して殆どの曲を暗記した記憶がある。懐かしい曲の数々。歌詞もとてもやさしくて覚えやすい。ミュージカルを劇場で見たのはこの「ボーイフレンド」とアムステルダムで見た「ジーザス・クライスト・スーパースター」の2作のみ。「キャッツ」も「オペラ座の怪人」も見逃してしまった。



夕食:昨日の残り(イワシの白ワイン蒸し、ジャガイモと玉ねぎ添え)で簡単に済ませる。お酒は今日もなし。デザートにリンゴ。

2019年2月16日 (土)

ラジルの男(六角精児)、いまだ拘束されるゴーンさん

2月15日(金) 曇り



明け方、夢うつつの中、1階から父の声が聞こえる。お腹がすいた、何か食べたい、云々。後で母に聞いたらアンパンを一個食べたらしい。4時過ぎのこと。今朝も朝寝坊で目が覚めるともう6時半を過ぎていた。

}
朝食:サバの文化干し、ミネストローネ・カレー。
食後、南向きの部屋の戸を開けに玄関をでると、目の前の電線にヒヨドリが一羽とまっていた。寒さで丸くなっている。



<寒さに凍えるお馴染みのヒヨドリ(インターネットの写真から>




Hiyodori


週2階のごみ出しをする。Kさんの家が解体され更地になっていた敷地だが、昨年秋から新築が始まっていたがここに来て一気に形が出来てきた。出来る予定なのは民家ではなく、何かの診療所らしい。近々、説明会があるという。

両親の年金が振り込まれる日。母に頼まれて通帳を持って銀行へでかける。父はもうお金や通帳などのこまごましたことは分からなくなっている。まだ、私のことは認識できているけれど。エーリヒ・ケストナーの評伝を読んでいて、終戦後、ようやく両親と再会したケストーが、すでに大分認知症の程度が進んでいた最愛のお母さんから「私のエーリッヒはどこ?」と本人を前にしての言葉に愕然とする箇所があった。哀れというかなんとも言えなくなってしまうシーンだが、このくだりが、最近はしょっちゅう自分の意識に上って来てしまう。

銀行で入金の記帳と一部の出金をする。その後、K百貨店で買い物。子持ち赤カレイの切り身4切れと本日のお勧めのマイワシ(6尾で何と290円。那珂湊のお魚市場なら10数匹で500円前後か)、身欠きニシン、などなど。

移動の途中でいつもNHKFMのラジオを聞くのだが、「ラジルの男」六角精児の5分間モノローグが抜群の面白さだ。随分昔だけれど、「おじさん改造講座」というOL目線でおもしろ可笑しく書かれた本(確か、週刊文春に連載)を思い出した。こちらは、中年男のぼやきともつかぬ呟きだ。今日のつぶやきやと言うと:

競争社会の息抜きとそのためのエネルギーの充電についての呟きで、俺は、割れ物の梱包で使われるビニールのプチプチを潰すときに出る音が充電の元だ、と呟く。プチッ、プチッ、一つずつと潰していくときに得られるあの解放感がたまらないのだと。そして、丸めて一気にまとめてプチプチプチっとやるとそれはもう効果抜群。これは、音による充電だ。匂いの充電もある。新学期の始めにもらう教科書の匂い。もらったばかりのあの教科書のページから立ち昇るあの匂いが好きだ。内容はどうでもいいのだ。そして、それを入れるランドセルからの匂いも。それから、昭和の香り一杯のプラモデルのコレクション云々。こんな調子である。別の日の5分では、娘のボーイフレンドのことや、妻とのこと(せっかっくの休みにイタリアンレストランで愛情の確認をしようと食事に誘ったら「アンタ、お金の無駄遣い」と断られしょげる呟き)、朝食ででるシリアルへの不満(あの食感が駄目だぁ、何とかしてほしい)、など。抱腹絶倒である。

帰り道、Kスーパーに寄り道して野菜類やお菓子類を購入。帰宅したのが11時半。

昼食:石窯パンとゴーダ・チーズにミネストローネ・カレーの残りとコーヒー。
郵便局へ用足し(入金等)、2階の自分のNTTの電話代の精算(未だに口座引き落としにしていない)がてら、1時間ほど散歩をする。早歩きをすると痛みを感じた左足だが、いつのまにか自然に、たぶん、ケガの前のペースで歩いている自分だった。早歩きは問題なし、たぶん、長距離は無理だが。ランニングはやめておこう。

帰宅して、キッチンで、ミネストローネを作る。今回は、多めにベーコンを用意(100㌘)、長葱お2本使用。大根も入れてみた。他は、ジャガイモ、玉葱、セロリ、それに、パスタも入れる。




Mine




それから、イワシ6尾のうちの4尾を使って、白ワイン蒸しを作ってみる。地中海料理(ポルトガル)だが、ジャガイモのサイコロ切りと玉ねぎにニンニクのみじん切りをオリーブオイルでさっと炒めてから、白ワイン(1カップ)と水(2カップ)を入れ、沸騰したら、一応内臓を抜いて下処理したイワシを4尾を入れて、塩を少々降り、パセリのみじん切りを最後に乗せて、落し蓋をして15分蒸し煮する。以前、良く作ったのだが、久しぶりの一品をだ。塩焼きか甘辛い煮つけが我が家の定番(天ぷらとフライはもう作らない)だが、こういう調理なら高齢者の胃の消化にも優しいだろう。



Iwashi

終わってみると、時計はもう16時になっていた。一日があっけなく過ぎ去ろうとしている。寒いので2階の炬燵に入りネットサーフェイン。トランプ大統領、非常事態宣言を発令してメキシコ国境に塀を作る予算を確保するらしい。17時、南向きの部屋の戸を閉める。

夕食:イワシの白ワイン蒸し、ミネストローネ、石窯パン。イワシの白ワイン蒸しは薄味にした(両親好みで)。ジャガイモに適度にイワシの風味がしみ込んで美味いとは両親。実は、
母は青物の魚はあまり好きではない。父は完食。母は、イワシの半身のみ、ジャガイモとスープはすべて平らげる。


食後の片づけ、父の寝る準備、母の薬、戸締り確認を終えて2階に上がる。


カルロス・ゴーンさんは相変わらず検察に身柄を拘束されて捜査(尋問)を受け続けている。法律はきらいな分野で勉強をまともにしたことがないけれど、ハリソン・フォードの映画「推定無罪」(Presumed Innocent)を観たこともあり、推定無罪の原則(Presumption of Innocence)は法制度の基本原則であることは一応知っているつもりだ。日本の司法制度はゆがんでいないか?一旦、検察に被告として告訴されれば99.9%が有罪の日本。取り調べの段階ということは、対象者は被疑者である。有罪ではない。自白を取るため尋問が延々と続けられるという。告訴される前ということで被疑者の段階だからなのか弁護士は取り調べの際に同席はできないらしい。



圧倒的に強い立場にある検察。佐藤優氏は、自らの体験を振り返って、被疑者になったということはすでに検察側で有罪にするシナリオが出来ているのだ、と。それを認めて本人が署名するまで延々と尋問が続くという。


「完全黙秘で徹底抗戦すれば検察官の反発を買い量刑が倍になる、向こうに迎合して喋るとやってないことをたっぷり背負わされる。だから、否認を主張しつつ否認調書を作りながら、必ず向こうにひっかけることのできる口実の穴をいくつか空けて置くしかない。今までやってきた情報戦の総力戦、卒業試験みたいなものでした。国策捜査系で否認を通して、執行猶予になったのは僕だけですよ」 (知の教室、219~220㌻)


検察に睨まれたら最後なのである。さの佐藤優氏だから、執行猶予がついた!?

「日本の敵」を読み続ける。

2月14日(木) 晴


6時30分過ぎの目覚め。2度寝して寝過ごしてしまった。着替えて1階のキッチンへおりて朝食の準備。湯をわたしたり、サバを焼いたり、器に盛ったり。


朝食:サバの文化干し、笹かまぼこ、ミネストローネ、ご飯。


宮家邦彦氏の「日本の敵」を読み続ける。ロシア、中近東・北アフリカ(特に、IS)、中央アジアのイスラムの動き(中国との関連)。今日の世界は、グローバリゼーションの否定、ナショナリズムの復活の様相である。


ロシアが、帝政ロシアのパワーポリティックスの道に復帰した。冷戦終了直後のエリチン政権による民主化と自由主義経済の失敗とその反動。1994年のブダペスト合意でクリミアをウクライナに割譲したのは、ウクライナにあった核兵器をロシアに戻すという条件のもとに行われた。


EUは、その後、ウクライナなどの旧東欧を飲み込んで東に拡大して行くが、対ロシア恐怖症の旧東欧諸国の不安を払拭し安全保障を担保するためであったが、プーチンさんのロシアは、2014年にクリミア半島を併合して「力による現状変更」を行った。



チャーチルの大英帝国のような力がイギリスにあればたちどころに物理的な干渉をしたであろうが、21世紀の今日、イギリスを含むEUにはロシアの力を排除するカウンターバランス力はない。アメリアはユーラシア内部の、しかも、ロシアとからむ騒動に介入する意思はまったくない。結局、ドイツを盟主とするEUはロシアの言うがままに現状を甘んじるしかない。



私は、ここで、ヒトラーのチェコのズテーテン地方の併合(ミュンヘン会談)を思い起こしてしまう。あるいは、日本による満州事変。現在、緊張と経済制裁による対立で膠着状態となっている。理屈はあるのだろうけど、自ら招いた窮状にあるプーチンさんが日本に対して宥和的態度を取り、擦り寄るのは当然のことである。ロシア西部で手詰まりならば、東があるじゃないか、と。南ではシリアに肩入れしている。安倍首相が進める北方領土と平和条約締結は慎重にすべきだ。グローバルな世界のプレーヤーの戦略をよく見極めないといけない。

中近東は、欧米(英仏)が引いた第一次世界大戦後の人工的な線引きでできた国家が、王政・君主制・共和制独裁の形でまがりなりにも国家の体を成して来たが、アメリカのテロとの戦い(特に、イラク戦争)によってご破算になってしまった。



現在は、イスラムの宗派ごとにナショナリズムが勃興している状態で、それは、従来の国家の領域とは一致していないから混乱がいっそう複雑に見える。アラブ系、トルコ系、ペルシャ系※クルド人含む、シーア派、スンニ派等、それぞれの宗派=部族のナショナリズムが噴出して無政府状態=力の空白=正統な政治権力を作り出せない状態、となってしまっている。結果として、イスラムの宗教にもとづく神聖政治というおぞましい状況が現出してしまっている。であるなら、抑圧的であろうと宗教とは一線を画した世俗的権威主義独裁政権のほうがましだった、ということになる。



全体として、中近東は、古代ペルシャから大国であったイラン(アーリア系)、オスマン帝国のDNAを継承しているトルコ(チュルク系)、そして、サウジアラビアを盟主とするアラブ人(セム系)のGCC湾岸諸国が、三つ巴になって「肥沃なメソポタミア」に覇を競う状態となっている。トランプ大統領がオバマ前政権時代のイランとの核問題の合意を白紙に戻したのは、前政権の合意=イランに宥和は、アメリカと組むことでイランの圧力と対抗していたGCC湾岸諸国に対する裏切り行為であり、それを是正=元に戻すためだった。



中東の問題は、どうも、旧来のイスラエル対アラブ諸国という対立図式におさまりきれないあたらしい様相を呈しているということらしい。


中央アジアは、現在、米中露による「グレートゲーム」が展開されている真っ最中。中央アジア地域の本質とは「イスラム・チュルク系遊牧民と周辺農耕文化との対立・融合」だという。17世紀まではこのチュルク系騎馬遊牧民が支配する世界だったが、ロシアの勃興による東への膨張と清朝の膨張に飲み込まれていく。これは、テクノロジーの発展と海上輸送の恩恵とは無縁であった中央アジア地域の地勢による。中央アジアの大部分(トルキスタン)は東西において大半をロシアが抑え、東の端は新疆ウィグルとして、南北では、沿海州のロシアと満州の清朝にそれぞれ区割りされた。これらの地域は、中露の緩衝地帯の役割りを果たしている。



新彊ウィグル自治区だが、現在、中国の漢民族化政策もあってウィグル文化を抹殺する動きが危惧されている。「イスラムのテロとの戦い」を中国は格好の口実に使っているらしい。ひとつには、この地域も含む中央アジア(貧しい地域)からかなりの若者がISの戦いに馳せ参じていること、その若者が帰国すればどういうことが起こるかという危惧かららしい。どいういわけか、不毛なステップがほとんどで、ところどころのオアシスにしか都市作れない中央アジアには天然資源が沢山眠っている。新彊ウィグル自治区も天然ガスや石油が取れるが、採掘するのは漢民族。資源から得られる利益のおこぼれがあまありにも少ないことによる経済格差が対立の原因だという。



基本的に、この地域のイスラム化は大分あとから起こったことで、DNAに沁み込んだイスラムというより「文化的なイスラム」というのが実情(日本の儒教や仏教。本質は、神道=アニミズム信仰))のようである。



イスラムの新彊ウィグル自治区は中国のアキレスの腱となりえる危険がある。中国との対立を深めるアメリカが中国封じ込めの戦略を練るなら当然のごとく相手の弱いところを突いてくるであろう。チベット問題然りで、中国のイスラム問題を大きくして海洋進出できないようにする手もあるのではないか。そうでなくても、中国史を紐解けば、ほとんどの時代を通じて中国は遊牧民対策でエネルギーを使っており、明の時代の初期を除き、海洋進出はできなかった(軍事力や万里の長城等への膨大な公共投資で疲弊していく。中ソが対立した1960年代もそう。米中国交回復はこれが原因だった)。


昼食: まるちゃんの昔ながらのソース焼きそば。緑のキャベツを湯がいて焼きそばに混ぜる。


BS放送で、マカロニ・ウェスタン「続・さすらいの一匹狼」を観る。ジュリアーノ・ジェンマ主演。原題はAdios Gringoである(さらば、アメリカ人)。1965年製作。続遍ということだが、「さすらいの一匹狼」とは無関係らしい。期待した割にはいま一つという出来であった。最後の盛り上がるシーンが少しだれ気味だったのが不満。

夕食: ミネストローネ・カレーを作る。ゆで卵一個を半切りにし、四分割した大きいコロコロした茹でジャガイモを加えて食べる。

2019年2月14日 (木)

相変わらず騒がしい朝鮮半島

2月13日(水) 曇り



5時半過ぎの目覚め。ゲーテを読み続ける。寒く、そして、外はどんよりと陰鬱な曇り空。一日置きで晴と曇りが交代する。

6時過ぎ、今日もアカハラの声を聞いた。7時10分前、キッチンへ。朝食の準備。

昨年のアジア大会で金メダル6個を取った女子水泳のホープ池江選手、白血病と診断されたというショッキングなニュースが流れる。18歳にして死に至る病におかされるとは、何という無慈悲な運命。命を長らえる可能性はあるとのことだが・・・。言葉が出ない。

朝食: ミネストローネ、牛肉コロッケとチーズ入り笹かまぼこ、ポテトサラダ、ご飯少々。

9時前、いつもより早く父はデイケアーの迎えが来て出かけて行った。2階に上がって一日のルーティンであるニュースチェック。

埼玉で時価1千万円を超える盆栽(400歳)が盗難にあったらしい。埼玉に盆栽村があったことを思い出す。1980年代、何度か外人観光客を連れて行った・・・。


テニスの大阪なおみ選手、コーチ契約を打ち切り。何があったのか。折角、全米、全豪と二連覇したところなのに。たぶん、金がからむ問題だろう。邪推だけれど。


メキシコの麻薬王がニューヨークの裁判にかけられているが、間もなく判決が出るという。終身刑の可能性大。過去、収監されて2度刑務所破りをして脱走している強者で、ニューヨークの橋を渡って移動する際も一般車はすべてシャットアウトするという警備ぶりらしい。証言台に立つことが、証言者の命にかかわってくるほどの力を持つ麻薬王の妻は28歳のビューティーコンテスト優勝者。「美」とか「女」というのは「道徳」とか「善」よりもむしろ、「権力」、「金」、「悪」と相性がいいようだ。



https://www.bbc.com/news/world-us-canada-47226247



数年前43名の大学生がメキシコのある地方でで行方不明になって後で麻薬の犯罪組織に殺害されたことがわかり世界的な大騒動になった。2007年からの10年で20万人近くが殺されているというのだから驚きだ。


昼食:面倒くさいので、じゃがバターを作る。ジャケット・ポテト。ロンドンでもよく食べた。バター、マヨネーズ、塩コショウ、ハムとチーズのトッピング。


戦犯の天皇の息子が謝れば云々で、韓国議会議長の問題発言が騒ぎとなっている。天皇は極東軍事裁判で戦犯対象からはずされた。政治的思惑があってのことだ。しかし、歴史的事実であり、公的な立場である人の発言とすれば、「大失言」「大暴言」であろう。



屁理屈を言うな、と言っても彼らの心には届かないようである。彼らにとって、日本とは理屈を超えるネガティブ・シンボル、つまり、反日とは建国神話そのものであり、韓国ののアイデンティティ=国体なのだ。反日であるということが、韓国人の証なのだ。



中国の台頭もあって、日米韓の同盟は揺らぎ始めた。南北朝鮮が対立しているというより、現状は朝鮮半島対日米同盟の様相を呈し始めている。38度線がなくなる日が現実味を帯び始めている。ドイツともベトナムとも違うどんな形になるのか想像もつかないのだが。強いて言えば、一国二制度(中国と香港)の変形バージョンを思いうぶが、「主権」はどうなるのだろう。核は金体制に対する担保である。核放棄ということは、金体制の終焉である。このジレンマをどのように解決すして朝鮮半島を統一するのだろうか。



私には不可能であると結論するしかない。唯一可能なのは、金王朝一族の第3国への亡命と延命と生活保障を認め(暗殺などもってのほか)ることで「非核化」を西側は担保し、国連管理(実質的には、米中日ロ)のもとに、ポスト・金の体制を5年乃至10年の猶予期間(一国二制度)で北朝鮮に作り(可能かどうかは未知数)、その間に統一選挙を実施して統一政権を発足させる、というのが唯一現実的に見えるのだがどうだろうか。


宮家氏の著書で、氏は今の極東情勢を日清戦争前夜になぞらえている。自らの安全保障の為に、その時々の周りの強国のバランスの中であっちについたり、こっちについたりを宿命づけられた朝鮮半島の悲哀。朝鮮半島の地政学が韓国に外交の基軸を作らせないのだ。北朝鮮にとって、G20にはいる経済発展を遂げた韓国は「お宝」(中国にとっての香港)である。核保有で自らの王朝体制を担保した?北朝鮮の次の一手は、自らの改革開放に利用すべく韓国をいかに取り込むかだ。間違っても韓国をぶっこわすようなことはしないだろう。米・日に対しても核は怖くて使えない(使ったら、北朝鮮が地図から消えてしまう報復を受ける)。南北の両国の小競り合いはこれまで何度かあったけれど、ほとんどが北から南に対するテロと挑発だった。もはや、北朝鮮はかつての朝鮮戦争のように、通常戦力による国境越えは出来ない(その物理的手段がもはやない)。やったら、日米韓の同盟軍に打ち負かされる。韓国が北にちょっかいを出すことも有り得ない。ソウルが灰燼に帰すこと必至であるのだから。お互いに朝鮮半島が自滅するだけはやめようという暗黙の了解があるのだろう。核も局地戦も戦略的な選択肢とはなりえない。現在の朝鮮半島のあやうい平和を担保しているそもそもの根本は何か。それは、韓国の経済的な成功なのである。

地政学は別として、日本と朝鮮半島の和解は半永久的に無理であろう。次の大きな政治的地殻変動とさらなる悲劇がなければそれは無理というのが私の見立てである。人は独仏和解の例を言うけれど、いやというほどお互いに殺しあった上での妥協である。日本と朝鮮半島はまだそのレベルに達していないから独仏のような形式的友好を結べないのである。とことん対立して互いに悲惨な目に遭ってもういい、やめよう!ということにならないと、体面・面子がじゃまして嫌悪感を克服した上での大人の付き合いができないのだ(常に挨拶と握手は欠かさないけれど時折足での蹴り合いはある)。

夕食:豪州産のステーキ(140㌘)、ポテトサラダ、ホウレンソウのお浸し、ミネストローネ、ご飯少々。

夜、Yちゃんの英語教育の相談に乗る。中学3年間で英検準2級レベル、高校2年で2級、大学1年で準1級、TOEFLで61点以上を目指すこと。大学在学中に交換留学を半年か一年。卒業までにTOEFL80点(TOEIC850~900)のプランを提示する。計画を立てて頑張れば実現できると。英会話学校ではなく、英語塾を勧めた。本人が目覚めればもっと前倒しが可能だとも。グローバルのトップ・レベルで切った、貼ったをやるにはだとTOEFL100点以上ないと厳しいけれどそれは大学生になってから自分の進む道を決めて取り組めばいい。今は、とにかく英語に触れて慣れること。基礎をしっかり身に着けることが大事だと。一定のレベルからは、英語以外の基礎教養が大事だからそっちもがんばらないとね。余裕があれば、英語の次の言語も忘れないこと。選択肢は、自分の興味次第だが、功利性の観点からは中国語を勧めた。

今日は快晴。読書の合間はキッチンに立つ。

2月12日(火) 晴



6時過ぎに目が覚める。アカハラの地鳴き。
ゲーテの「ファウスト」の対訳を読み続ける。柴田翔さんの対訳と解説版だ。



Goete


傍らには高橋義孝訳も置いている。さらに、柴田本は、全文対訳ではないので、全文掲載のオリジナル版も用意していある。これは大学入学した直後、生協で見つけて購入した初めてのドイツ語本だった。爾来40数年、時折パラパラとめくることはあっても、一行一行をきちっと読んだことはなかった。天才の感性の追体験はそう簡単にできるものではない。翻訳であまり意味をなぞらずに話の筋をおいかける読み方で読んだことはあるがのだが、正直あまり心に響いた記憶がない。ゲーテを翻訳だけで読むと平板になってしまうのだろうか。孔子の「論語」の英訳を読むと全然つまらないらしい。原文の漢字と格闘し、読書百遍意自ずから通ず、でやらないと古典の真の味わいにはなかなか到達しえないのかも知れない。何せ、文人かつ政治家であったゲーテが60年かけて書いたライフワークの「ファウスト」をたかだか20歳の学生が読んでどれだけ理解というか味わうことができるだろうか、ということだろう。ようやく自分もほんのひとかけらでもいいからゲーテの到達した境地に触れる年齢になったと思いたい。



<この歳になって?つくづく身に染みる名言の数々・・・>



Meigen

7時前、キッチンへ降りる。今日は、快晴。寒さに変わりはないけれど、気分は和らぐ。曇天で冷え込むと、陰鬱な気分になってしまう。

朝食:鍋の残り物、ベーコンエッグとご飯にイチゴ一粒。

生ごみ出し(3袋)。洗濯物を干す。訪問看護師9時半に来る。2階でニュースチェック。

昼食:鍋の残り物で卵雑炊を作って食す。それにコーヒーとバナナ少々。3時のおやつにチョコレートと緑茶。

キッチンで、ミネストローネとポテトサラダを作る。下ごしらえから完成まで約2時間。

夕食:アジフライと作ったばかりのポテトサラダとミネストローネにご飯少々。お腹いっぱいになる。今日も禁酒。

森繁喜劇「駅前探検」を観る。前回に続き1967年製作。この年はこのシリーズが4作も封切られている(春夏秋冬)。駅前のタイトルはつくが今回も駅は関係なし。徳太郎こと森繁(山師)の妻は京塚昌子。孫作こと伴淳(質屋)の妻は中村メイコ。次郎ことフランキー・堺は独身の考古学者。染子こと池内淳子は、珍しく作家として登場。淡島千景は豊臣家に連なる子孫にして気位の高い割烹旅館の女将として登場。三木のり平と山茶花究は詐欺師の役回り。私と同い年の雷門ケン坊も出演し小悪魔の野川由美子(祈祷師)の弟役。豊臣家の埋蔵金というお宝探しで、ドタバタの騒動が起こった結果、結局お宝はなかった、というお話。伴淳が掘り当てたのは、ヘルメットと米軍の不発弾。最後の場面でフランキーが、別の宝を見つけたと宣言、染子こと池内淳子と堺が結ばれる。脚本は藤本義一。億万長者を夢見る京塚昌子がテレビ、冷蔵庫等の様々な家電製品があふれる部屋でホンワカと舞う想像シーンがあるのだが、その部屋は相変わらず狭苦しい日本家屋。何とささやかな日本庶民の夢。1967年、東京オリンピック3年後のこと。私は小学6年生だった。

夜の読書:



「日本の敵~よみがえる民族主義に備えよ」(文春新書 宮家邦彦著)をぱらぱらと読む。中国の台頭の意味と昨今の海洋進出。著者は、現時点の中国の立ち位置を1930年代の大日本帝国になぞらえている。

日本の悲劇は、同じ「海洋国」であるイギリス(シンガポール)とアメリカ(フィリピン)ら世界覇権国と敵対(満州の権益の固執から周りを敵だらけにして包囲・封鎖され、資源を求めて武力で南進せざるを得なくなった)してしまったこと。


現在の中東から東アジアまでのシーレーンは以前としてアメリカ海軍が保障している。中国にとってみれば、「アメリカの海」ということ。これでは、いざというときにアメリカに息の根を止められてしまう。従って、自らのシーレーンの確保に乗り出した。15億の民の安全保障のために必要なことだ、と。

中国のナショナリズムがはらむ歪み(100年の屈辱への復讐)が危惧される所以である。屈辱を与えた欧米+日本への挑戦である。そして、中国の長期的かつ、最終的な目的は、かつての中華帝国体制への復帰=朝貢国を含む地域を自らの勢力圏として、そこから欧米勢力の影響力を排除することにあるであろう。

現状では物理的な意味での海軍力の差は歴然としており中国になすすべはないようだ。しかし、その差はテクノロジーの進歩であっと言う間に縮めることは可能なことだ。アメリカの戦略立案者はソ連崩壊後から、次の潜在的な敵を中国と見做し孫子を盛んに研究しているという。日本で孫子はビジネスマンが読む本だとは著者。米中対立は、単なる南シナ海の「陣取り合戦」ではない。電子戦、サイバー戦、スペース戦などの能力を駆使した情報化戦でもある。戦いの初動において相手側の能力を無力化すること。(中国、ロシア、北朝鮮のサイバーテロを盛んに西側に仕掛けている一方一方で、スノーデン事件が示す如くアメリカの同盟国を含む敵対国にたいする諜報活動等を想起する。日本はどちらからもやられっ放しだ)。

アメリカは、アジアにおけるシーレーン(自由航行の原則)を否定する中国の行動はアメリカの覇権への挑戦とみなし、絶対に譲らないであろう。一方で、中国と干戈を交えることはしないであろう。戦いだしたら、いくら犠牲を払っても戦い続けるのが中国だから(日中戦争)。日本と違って、中国はそもそも封じ込めて打ち負かせる相手ではないのである。

2019年2月13日 (水)

寒さに悴む一日。 「歴史修正主義」とは?

2月11日(月) 曇り


6時過ぎに目が覚めて外を見ると雪は降っていなかった。しかし、冷え込みは今年一番ではないか。気温は何とマイナス4度。

6時半過ぎ、キッチンへ。朝食の準備。


朝食:アジの干物(今回は塩味がきつかった。毎回同じものをかっているがアタリ・ハズレがあるのだろう)、鍋の残り物、ご飯。


父は9時過ぎいつものデイケアーへ。母は、父のベッドに潜り込んで午前中一杯休養を取る。私は2階で物思いに耽る。

昼食:まるちゃんの昔懐かしのソース焼きそば。イチゴ3粒。


あまりの寒さに外出は控える。今日は、両親の言い方では「紀元節」、いわゆる、「建国記念日」と祝祭日。Yちゃん親子は入学の説明会に出かけるという。ガイダンス、制服や体操着の寸法を測って注文したり、クラブ活動の見学。



BS1で「ヒトラーの演説」を見る。時間を間違えて15時半過ぎにスイッチオン。途中からだったが、ニュルンベルクの党大会でヒトラーの演説を直接体験した複数のドイツ人がインタービューを受けていた。ヒトラーの話術の魔力。あの話し方は、昔、有楽町の辻説法で有名な赤尾敏氏や大学のキャンパスでの新左翼活動家のがなり声演説、、北朝鮮国営放送での過激なレトリック、等とトーンは同じだ。今聞くと、何故に人は魅せられたのか、不思議だ。少なくとも、自分自身が聞いた赤尾敏や新左翼の拡声器で訴える内容には一部理解することはあってもあのスタイルと雰囲気には嫌悪感があって、まったく自分の心には響かなかった。そして、左右問わず、あの過激な論調、誹謗・中傷・脅しのトーンは両者が似た者同士、本質は同じであることの証だと思う。

脱線するけれど、北朝鮮は今、核兵器を担保にソフトな路線を見せてソフトな印象を出し始めていはいるが本質は変わらない。信用すべきではないし、信用してはいけないのだ。あのロケット・マンはヒトラーと同類なのだ。融和するにはあまりにもダークな歴史を背負いすぎている。どういう形なのかは、政治的想像力に乏しい自分には分からないけれど、一旦これをきちんと清算することなしには北と融和すべきではない、というのが私の個人的な持論である。トランプさんよ、政治はビジネスじゃないよ。専門家は視野が狭いけれど、専門性は重宝しないといけないよ。ビジネスというのは「節操」がない。儲かるなら地獄とだって取引きをする。所属する国がないユダヤ人が悪魔視されるのは故あってのことなのだ。ビジネスの本性から損をしないように「両張り」するのだから、節操があるはずがない。アモラルなのだ。悪魔との取引きを平然としてしまう。そこを間違えてはいけないし、政治はビジネス的利益を超越してモラルを通す必要がある、ということではないだろうか。

筋に戻ると:

登場したもう90歳前後の人たちは、完全にヒトラーの演説に取り込まれ、感激して100㌫信じたという。後から振り返れば、どうして自分はあのような愚かなことを信じたのだろうか。茫然自失するだろう。1933年1月30日に首相の座についたヒトラーのがなりたてる不気味なアジ演説は、国民を熱狂させ、催眠状態に陥れた。そして、1939年のポーランド侵攻による第二次世界大戦突入に向かってまっしぐらに突き進んで行った。ちなみに、独ソ不可侵条約は、同じ穴の貉であったヒトラーとスターリンによる「悪魔の取引」だった。

印象に残ったのは、インタビューを受けた一人のコメント。捕虜となりアメリカに連行され、強制収容所の悲惨なフィルムを何度も見せられたのだが、連合国側の意図は、祖国のために戦ったもとドイツ兵たちのナチス政権はこんなにひどい犯罪国家だった、ということを示して、ナチスのイデオロギーの洗脳を解くことにあった。所謂、De-Nazification(非ナチス化)。しかし、インタビュ-を受けた本人は、この連合国側の意図は全く自分には響かなかった、と正直に吐露しているのである。アルバート・シュペアの回想録にもあったけれど、感情の根幹を揺すぶる演説と次々と実現していくヒトラーの政治的な成功の現実が同時進行するなか、ヒトラーは神がかりになり隔絶した存在、オーラを放つ絶対者となっていく。神とは言わないまでも普通の人間とはまったく別次元の特別な存在となった。人々は判断することを放棄し、ヒトラー総統に帰依、言われるがままに従った。自分の全存在をすべて無条件でヒトラーに委ねてしまったのだ。全能のドイツの救世主ヒトラー総統、万歳。あらゆる出来事への当事者意識の欠如。ナチズムという「カルト宗教」に自分を見失ってしまって、唯々諾々とロボットのように振舞ってしまった人達。コメントをした人は、意図的に発言したのかも知れない。ナチスが手を染めた大量虐殺犯罪と、ナチスを信じて祖国のために戦ったこととは別である、と。

夕食:豚・白菜鍋、餃子、紹興酒の熱燗、ご飯少々、イチゴ。

夜の読書:「戦争を始めるのは誰か~歴史修正主義の真実」をパラパラとめくる。


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このところ、チャーチルの「第二次世界大戦」、ビーバーの「第二次世界大戦」など勝者の側からの歴史書に没頭しているが、現代史というのはまだまだ定まっていないと思う。この本の表紙カバーをめくると「歴史修正主義」の意味するところを著者はこう述べている:

「歴史修正主義」とは戦前の日独をことさら評価する史観ではない。米英両国の外交に過ちはなかったのか、あったとすれば何が問題だったのか、それを真摯に探ろうとする歴史観だ。英米露独の外交と内政を徹底検証し、二つの世界大戦が実は「必要」も「理由」もない戦争だったことを明かす」


起こった出来事が全てだとは思う。しかし、その意味するところの解釈を巡っては一義的に定まらない。芥川龍之介の「藪の中」なのだ。黒澤明の「羅生門」なのだ。


フランクリン・ルーズベルト大統領の前任者がフーバー大統領。そのフーバーさんが書いたルーズベルト批判の書である「裏切られた自由」を翻訳出版したのはこの本の著者である。キッシンジャーの名著とされる「外交」でFDR(ルーズベルト大統領)は不出世の偉大な指導者として讃えられている。21世紀に突入した際にニューヨークタイムズが出した特別版でも、FDRは大きくページを割いて顕彰している。


本当に米国の歴代大統領の中で最大の称賛に値する一人だったのだろうか。このFDRは、大統領就任早々何をしたかというと「共産ソ連」の承認であった。ヒトラーと同類のスターリンが指導するソ連を認めたのである。そもそも、これがなかったら、第2次大戦は、同じ穴の貉のナチスドイツと共産ソ連(ハンナ・アーレントの言う「全体主義国家」同士)の死闘で互いに消耗戦を戦ったであろう。帰趨が見えたところで、アメリカが仲介すれば良かったのではなかったか。歴史は別の筋道を辿ったのではないか。あのような世界を巻き込む大惨事は避けられたのではなかったか。


FDRは悪魔との取引きをすることでいわゆる「善」をなしたのだろうか。ちなみに、FDRを評価するキッシンジャーは20世紀後半の国際政治におけるメフィストフェレスではないだろうか。

ゲーテのファウストから「お前は何者か」と問われ、メフィストフェレスは「私は常に悪を欲し常に善をなすあの力の一部です。・・・・・」



(Faust: Wer bist du ?    Mephisutopheles: Ein Teil von jener Kraft, die stets das Boese will und stets das Gute schafft.・・・・・)

2019年2月12日 (火)

雪の中のジョウビタキとアオジ。 伝説の人TJさん。

2月10日(日) 晴


5時過ぎに目が覚める。朝の読書は、ゲーテの「ファウスト」をパラパラとめくる。ドイツ語版、高橋義孝氏の新潮文庫訳を比較しながら、注を読んだり。

薄明るくなった6時過ぎ、窓のカーテンを開けて外をみるとうっすらと一面白くなっている。大した積雪ではないが今年一番の雪。そして、部屋はフリーザーの中のように寒い。

朝食:イワシの丸干し、納豆、ご飯。よく考えたら昨日と同じ。母には昨日に引き続き雑炊を用意。

朝食後、うっすらと雪化粧した庭に出ると、ジョウビタキのオスに遭遇。カカッ、カカッという地鳴きですぐに分かった。毎年やってきているあのジョウビタキだろうか。すぐ近くではアオジの地鳴き(チッ、チッ)も聞こえる。雪の朝は実はバードウォッチング愛好家には絶好の機会である。



Yuki3

雪の中のジョウビタキのオス(インターネットの写真から)



Joubitaki



雪の中のアオジ(同じく、インターネットの写真から)
Aoji1

昼食:けんちんウドンにコーヒー。

食後、陽が差してぽかぽかするリビングの洋間で「座頭市兇状旅」をテレビで見る。1963年の製作。若いころの高田美和が出ている。15時のおやつ:お茶とかきもち1枚、甘納豆々。

夕食:豚肉と白菜の鍋を作る。寒い夜は鍋に限る。紹興酒の熱燗を飲みながら鍋を堪能。味付けはポン酢。具は、他に長葱、豆腐、人参。シメジを入れようと思ったが、冷蔵庫の中でカビが生えていたので断念。キノコを入れたらもっと風味が増したかなと思う。いずれにしても、従兄から昨年もらった白菜の最後だったが、大量に煮込み甘味があって美味。

車のディーラーさんから定期点検の電話あり。21日午後14時からのアポ。

夜、最初に勤務した会社の同僚のFS君から久しぶりのメール。年一回の年賀状をやり取りはするけれど、2005年に退社してから顔を合わせていない。九州は福岡県の三池の出身。高校野球で左腕のエースだった。三池高校。三池工業は昭和39年の夏の選手権大会で全国制覇した高校。監督は原貢。巨人軍監督に今年から再々復帰した原辰徳監督のお父さん。FS君の息子さん、奥様の実家の熊本県庁に就職が決まったらしい。おめでとう。



さらに、驚きのニュースは、フランス語のプロのガイドで業界では知る人ぞ知る伝説的なTJさんは93歳でいまだにご健在であるとのこと(私の父の一つ上)。そして、今は87歳の妹さんの介護をされている由(私の母と同年齢)。

最初の職場で私はドイツ語圏を担当していたのであまりTJさんと一緒に仕事をする機会はなかったけれど、一度、フランスの大型インセンティブツアーでご一緒する機会があった。日本経済はバブル真っ盛り。守勢のフランスは、通関などで輸出攻勢をかける日本企業にいやがらせをする、今日の中国をみているいるおうな時代だった。プライドの高い、いわゆる「中華思想」の持ち主であるフランス人は扱いが大変で、ガイド泣かせの人たちだったが、TJさんは魔術師だった。北海道大学で水産学をおさめたはずが、アテネフランスでフランス語をマスター、小難しい理屈をこねる(彼らに言わせれば、明晰な言語と論理)フランス人を日本流にもてなし、ツアーの最後には、称賛の嵐。仏農業銀行の退職者を連れて世界中を旅しているプロの添乗員は、世界を旅したけれど、TJ氏を超えるガイドにあったことはない、彼は自分の知る世界ナンバーワンのガイドだ、と絶賛していたことを思い出す。1980年代の訪日外人の昼食の平均単価は2000円~3000円であったが、TJ氏によると東京オリンピック前には、神戸牛のステーキが食べられた、という話は今でも鮮明に残っている。余談ではあるが。


2019年2月11日 (月)

イケアの大チョンボ、当該国の大人の対応は某国とは大違い。

2月9日(土)  曇り



朝5時に目が覚める。ビーバーの「第二次大戦」のイントロダクションを読み終える。薄明るくなった6時半前、外を見るとほんの少し雪が積もっていた。

今日は陰鬱な曇り空。母の調子は徐々に回復しているが高齢者だけに時間がかかりそう。父は予定どおりデイケアーに。母には横になって体を休めてもらう。2階と1階を行ったり来たりしながら、ビーバーの「第二次世界大戦」を読んだり、チャーチルの「第二次世界大戦」をよんだり。

朝食:イワシの丸干し、納豆、ご飯。

昼食:石窯パン、パストラミ、ゴーダチーズ、イチゴ。

ブリ大根を始めて作る。道場六三郎さんのレシピを真似る。魚だし(酒5、みりん1、醤油1、砂糖0・5)3カップに水半カップぐらいで、ぶつ切りのブリのアラと大根を大きな鍋に入れて最初は強火、沸騰したら中火か少し弱めにして20分前後(道場さんは30分)、落し蓋をして煮付けた。



神奈川在住のMNさんから寒中見舞いのハガキが届く。年賀状はやりとりしているが年末・年始はブログの内容も含めて近況の細かいやりとりをしたところだった。今回のハガキは、私が、ノモンハン事件について触れたことに関連して、MNさんが1998年にモンゴルへJICA観光資源調査に出向いた際に戦場跡地を訪問したとのコメントが記されていた。



ノモンハンの戦場は遠かった。ウランバートルから東約600㎞のチョイバルサンに空路で移動、そこからさらに車(ジープ)で340㎞にあるハルハ河畔(スンベル村)へ走破されたという。ノモンハンの戦場はメネン大平原というステップで、そこでピクニックをされた由。道中、狼にも出くわしたそうだ。

当時の紛争において、日本は満州国側から遠く伸び切った戦線へのロジスティックに失敗した。ソ連も似たり寄ったりの悪条件(最寄りの駅から約600キロ)ではあったが、大規模トラックの輸送手段を確保して続々と兵員と物資を西からシベリア鉄道経由で送り込んで(独ソ不可侵条約によって一時的にドイツの侵略の可能性が消え、ヒトラーはイギリスの攻撃準備を始める)、日本は大きな被害を被ることになる。トラックが不足する日本側の兵士たちはは重い装備を身に着けて徒歩行軍による移動だったというから驚きだ。 劣悪な環境にも関わらず素手で立ち向かった(火炎瓶で戦車をやっつけた)日本兵の頑強さについて、ジェーコフ将軍は一定の評価を下してはいるが、そして、最近の資料では死傷者の数は日ソ双方でほぼ同じ規模だったらしいが、近代戦の恐ろしさを関東軍は身をもって知り、ソ連に心底恐怖感を抱くようになった。おもちゃのような装甲車でゲリラ戦に対抗できた中国戦線とは次元が違う話しだった。

夕食:ブリ大根、ポテトサラダ、ご飯。

夜、冷え込みが厳しくなった。天気予報は今夜から雪が降るという。オー・マイ・ゴッド!

家具の直販で有名なイケアが大失態。ニュージーランドに出店するらしいが、イケアが作成した地図に何とニュ-ジーランドが抜けているのだそうだ。何年か前のイケアの韓国での騒動(東海が日本海と表記)を思い出した。性質が違うトラブルではある。商売だから、韓国で批判を浴びたとき同社はすぐ謝罪した。国際的には「日本海」が正しい(一般的にも、公式にも)、と言えばそれですむことなのに。大体、「日本海」と表記すれば東アジアの日本のどこかの海と分かるけれど、「東海」では、地域がどこだかすらわからないではないか。自分を中心に見たら東側にあるから「東海」と呼んでいるだけのことで、地球義で見るとやはりそういう呼び方にはならないであろう。

イケアは、すぐに謝罪をしたらしい。しかし、ニュージーランドの人たちは「大人」だから、別に目くじらをたてたわけではなく、面白可笑しく騒いでるだけ。世界の南の果ての小さな島だ。特徴は、地震が多いことろ羊が人より多いことくらいでこれといった特徴もない。ほとんどの人が知らない国。まあ、仕方ないネ、とウィンクして笑っている感じだ。英国人の言う、ユーモアのセンスという奴だろう。余裕があるのだ。ちなみに、ニュージーランドの主産業である農業の生産性は高く、収入もずば抜けて高いという。一人当たりおGDPも2017年の統計では世界第21位で25位の日本より上を行く(韓国は29位)。

韓国は、というか、韓半島の人々は、一般化すれば「狷介な噛みつき狼」である。そもそも「東海」と表記しているのは韓国だけ(北朝鮮も?)で世界的には「日本海」で統一されているのだ。彼らの様々な日本に対するネガティブ・キャンペーンへの執着は異常である。



また、日本が突出してターゲットにはなっているが、お隣りの中国も手を焼いているらしい。10年ほど前、勤務していた大学の中国人で歴史が専門の先生曰く、日本だけじぁありません。中国とは高句麗を巡る大論争があるんです、と。高句麗は古代の中国の地方政府とする中国に対し、韓国は朝鮮による独立国家だと主張し、双方の見解は平行線のまま、とかそんな話だった。正直言えば、どちらも間違っていると思う。



韓国に関しては、「起源説」というのが盛んに唱えられている。Youtubeで「ウリジナル」を検索すると出てくるは出てくるは。荒唐無稽なものばかり。ピザ韓国起源説、桜韓国起源説、孔子韓国起源説、漢字韓国起源説、刺身韓国起源説、等々。韓国の人は本当にそう信じているのだろうか?

2019年2月10日 (日)

ノルマンディーで捕虜になった東洋系ドイツ人兵士は何人だったか。

2月7日(木) 曇り時々晴


朝食:野菜カレー
昼食:カレーきしめん
夕食:豪州産牛のランプステーキ(140グラム)、野菜カレー少々

今日は、カレーずくしの食事(私だけ)。母はまだ全快には至っていない。朝、昼、夕と食事の準備と配膳、片付けを全面的に行う。結構大変である。

ケアーマネージァーさんから母の血圧が100を切っているというので、血圧の薬はのまないようにする。母の異変に気付いた父もしきりに心配そうで気遣っている。

終日、2階とキッチンを行ったり来たりしながら過ごす。合間に、ポール・ジョンソンのチャーチルの評伝を再読する。背表紙の裏を見ると、2015年1月25日読了とある。通勤(埼京線、小田急線)や職場の昼休みで1ヶ月くらいかけて読んだ記憶が蘇る。チャーチルは傑出した政治家であり、人類の歴史に名を残す偉大な人物であることは間違いない。この本はチャーチル賛歌に満ち溢れた本である。



Paul
しかし、どんな偉大な人物でも欠点はある。チャーチルは、とんでもない人種差別主義者で、ガンジーを見下していた言動は今日では有名な話っだ。自身の価値観は19世紀のままであり、チャーチル自身が言う如く、大英帝国の清算をするために首相になったのではないという意識のもと、米国のルーズベルトと手を携えた究極の目的は、当然ながら、大英帝国の権益を守り抜くことだった。が、結果的には大英帝国を清算する役回りを演じてしまった。政治家として軍事面の造詣が深く、外交にも見識を持ち、英国がどうしようもない危機に陥った中、喜び勇んで渦中の栗を拾い、ヒトラーを破った男。しかし、対ドイツ勝利を目の前にして、国民はチャーチルをお役御免にしてしまったのも事実だった。チャーチルへの揶揄として、ヒトラーとチャーチルは同じ穴の貉(ムジナ)だった、とよく言われる。そして、スターリンも。お互いに相手の手を読むことが出来たということ。違いは、生まれた国(場所)の違いだけ。




2月8日(金) 曇り


昨夜は20時すぎにベッドへはいり、そのまま眠ってしまった。何度かトイレに起きては寝ての繰り返し。4度目だろうか、時計は5時。眠れなくなる。


朝の読書は、It all started with Colombus。ナンセンスを交えた独特の語りで笑わせるアメリカ史。簡単に読めそうな感じで読んでみるとひねりがあちこちにあって相当の素養がないと堪能できない内容のようだ。高田馬場の芳林堂書店で買った本。1980年代の半ば頃だろうか。なぜかよく覚えている。この30年、数年に1度は思いだしたように手にしては拾い読みしている。 以前に比べて少しずつ著者のひねり、裏の意味などがわかるようになったとは思うのだが、まだ意味不明の個所もところどころある。



Armour



朝食:ポテトサラダと笹かまぼこ、ご飯と蜆汁。


今朝も、食事の準備はすべて自分が取り仕切る。8時過ぎ、週に2度の生ごみ出し。ポリバケツの生ごみをまとめていると、寒椿にメジロ。チュルチュルと鳴いている。毎日蜜を吸いに来ているようだ。


9時半、父のリハビリ担当者(男性)が来る。10時過ぎ、ケアー・マネージャーさんが二日連続で来る。母の血圧は今日も100に届かず。病院に行ってはどうかと。母は拒否。そこまで悪くはない、と言い張る。30分ほど、車で買い物にでかける。父の好物の柚子蜂蜜飴、アジの干物、ゴーダチーズ、おはぎ等々。


昼食:石窯パン、ゴーダチーズ、ポテトサラダ、パストラミ、コーヒー、バナナ少々。 父はアンパン一つ、バナナ3切れ、おせんべい数かけ。母には、卵雑炊を作って食べてもらう。


バッハの「マタイ受難」を聞きながら、日記を書いたりブックサーフィンをする。父と母の二人が寝たきりの状態なので、外出はせず、2階と1階を行ったり来たりしながら様子を見る。

夕食: 牛肉コロッケに野菜カレーをかけて食す。


母が夕方になって熱を出した。夕食のお粥を食べていると体が震えている。これはまずい、昼間病院に行ってれば!,と脳裏に後悔の念がよぎる。大丈夫、と母はいうのだが、体温計で熱を測ると8度5分近い。すぐ近くの掛かりつけの病院に電話すると、診断してくれるという。17時半過ぎだ。ありがたい。150㍍くらいの距離だが車で母を連れて行く。

幸い、インフルエンザではなさそうだ。胃腸炎?お腹の具合は大丈夫。食あたりのようで昨日2度、3度吐いたことを説明。安静にして体を暖かく保って休むようにいわれる。解熱剤も含めて3種類とりあえず薬を処方してもらい帰宅。すぐに薬を飲ませて休ませる。


20時過ぎ両親が寝たところで2階に上がる。注文していたアントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」が郵便ポストの中に入っていた。




Antony


1000ページ近い本だが、イギリスからの送料込みで1674円である。安い!ちなみに、日本語の翻訳もすでに出ているが、3巻本で1冊単価が3564円。この値段の差は何なのだろうか。たぶん、英語圏での歴史に対する興味、読者の層の圧倒的な厚さによるものであろう。しばらくは、チャーチルの「第二次世界大戦」(縮小版の日本語訳とオリジナル版=英語版の第3巻と第4巻)にどっぷり浸かろうかと思っている。


寝床のベッドでビーバーの「第二次世界大戦」のイントロダクションをぱらぱらと読んでみる。ナレーション形式の叙述なので読みやすい。人文系の本は読みずらい本が多いのだが、例えば、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」と比べて、この歴史の著作の何と読みやすいことか。歴史書が平易な文章で書かれているかというと必ずしもそうではないのだが。ホッブズ・ボームの歴史4部作は後ろから2冊読破したけれど、マルクス主義の歴史家ということもあり、正直なところ読みずらかったと思う。本音を言えば「悪文」である。学者の衒いがそうさせてしまうのだろうか。


この本は、冒頭から引きずり込まれる。ノルマンディー上陸作戦で連合国の捕虜となったドイツ軍兵士に東洋系の兵士がいた。日本人と思われたが、朝鮮人であったらしい。満州国軍に徴用され、ノモンハン事件で戦い、ソ連・モンゴル軍の捕虜となた。ソ連の労働キャンプに入れられたが、1942年、独ソ戦の最中、赤軍兵士に徴用されドイツ軍と戦う。ウクライナのハリコフでドイツ軍の捕虜となり、最後は1944年のノルマンディーで連合国軍と戦い捕虜となった。その後、イギリスの捕虜収容所に入り、その後にアメリカ合衆国にわたり安住の地とする。1992年、イリノイで亡くなった数奇な運命をたどった人らしい。ビーバーの「第二次世界大戦」は、ノモンハン事件から始まるのである。



こんな人がいたとは知らなかったが、名前はYang Kyoungjong。ウィキペディアにも出ている。実在性について疑問視する人いるらしいが、歴史的事実として扱う歴史家も多いという。

2019年2月 7日 (木)

ジム・ロジャースを読む。母、食あたりをおこす?

2月6日(水) 曇り、一時雨



5時過ぎに目が覚める。気温が下がるという予報のわりにはそれほど寒いという感じではない。



チャーチルを読み続ける。1935年から36年の応酬。イタリアのエチオピア侵略。ヒトラーのラインラント進駐、スペイン内戦。英仏はベルサイユ体制の基礎が浸食されていることに不安を持ちつつ、戦争忌避の心性から国際連盟を事実上葬ってしまう不作為という負の連鎖にはまっていく。ちなみに、チャーチルが言っているわけではないが、ムッソリーニのエチオピア侵略は、1931年の日本による満州事変が影響を与えているという。国際連盟が日本を非難(日本の既得権益は認めつつも、主権は中華民国にあるとするもの)をしつつ、制裁ができず事実上、日本の傀儡国家の成立を認めてしまっているということ(日本は国際連盟を脱退)。ヴェルサイユ体制は、ここから破綻を始めたということで、第2次世界大戦は満州事変から始まったとする見方もあるらしい。


朝食:アジの干物、野菜スープ、ご飯。アジの干物の塩加減がグッド。レモンを絞って頬張るとじつに美味。干物はあたりはずれがあるけれど人間の食にたいする知恵はすごいものだ。この干物文化は、世界いたるところの海洋民族にみられる。タイでおマレーシアでも地元の市場にいけばふんだんに見られる。欧州でもニシンや干しタラがある。


9時過ぎ、父はデイケアーに出かけて行った。外は陰鬱な曇り空で寒い。寒い冬に逆戻りしてしまった。

2階で世界3大投資家の一人と言われるジム・ロジャース氏の「お金の流れで読む日本と世界の未来」(PHP新書)をパラパラと目を通す。



Rogers





投資で名をなしたロジャース氏だが学歴(エール大とオックスフォード大)もすごい。学んだのは、歴史。ジョージ・ソロス氏と組んで「カンタム・ファンド」を設立して成功した伝説的な人。一匹狼で、判断はすべて自分で行うという。リーマン・ショックではいちはやく空売りを始めて難を逃れる。トランプ大統領は嫌いだが、2016年の大統領選挙を前にして、彼が当選すると断言する。自分はクリントンさんに投票したけれど、やっぱり、トランプさんが当選した。巨額のお金(国家規模を超える資産)を扱っていると世界の見方がわれわれとまるで違うようである。彼の投資の判断はマネーの流れの歴史的な省察に基づいている。。21世紀はアジアの世紀と確信、住居をアメリカからシンガポールにかえてしまった。アメリカ人だが、アメリカの株はほとんど買っていないと断言する。二人の娘はシンガポールで学び、英語とマンダリン(中国語)のバイリンガルだという。勉強はできないよりはできたほうがいいから、頑張れ、と励ましてはいるが、ビジネスで成功するには十分条件ではないことも忘れずにアドバイスしているという。「仕事ができる人」にならないと成功しないのだ、と。


熟読ではなく流し読みだが、朝鮮半島についての見方は刺激的である。2016年から朝鮮半島は統一すると言い続けているのがこの人。これから儲かる投資先の有力は候補地
である。2016年当時は誰も聞く耳を持たなかったという。ところが、昨年2018年の韓国の冬季オリンピックのころから動き出した。韓国に左翼政権ができたことがきっかけではあるが。餓死者がでる一方で、金政権のとりまき(軍部)が優遇される酷い国であるけれど、本来は豊になれる資源は十分に備えているという(資源、高い教育水準)。投資した場合、十分に経済成長して投資のリターンが得られるポテンシャルが高いということ。投資家の観点はそうなのだ。底値に近いところで株を買い、上がりきったところで売る。



しかし、である。現実の政治を見た場合に、それでは、どのような形の統一が可能なのだろうか、という根本的な疑問は残る。西ドイツと東ドイツの統一は、東ドイツ政権が崩壊することで流血の混乱はなく統一できたが、核をもつことで生き残りをかけた北朝鮮と韓国はどう合体するのだろうか。投資の次元と政治権力の次元での矛盾の解決はいかんともし難いように見える。それとも、韓国が北朝鮮に飲み込まれるということなのか?著者は、アメリカ軍が朝鮮半島から引き揚げれば実現すると。確かに、韓国の最近のレーダー照射事件などを見ていると、敵は誰なのかというのが分からなくなってきていることも事実だ。


それから、中国の存在。中国文明は、興隆しては没落を繰り返す特殊な文明である。他の古代文明や今のイスラムもたぶんそうなのだろうけど、一度興隆の絶頂を迎え、衰退するともう2度と復活しないのが世界の歴史のしめすところ。ところが、中国だけは違うと、著者は言う。中国は、これまでに3度崩壊して3度復活したと著者はいう(具体的のどのことを指すかは不明。漢、唐、宋、元、明、清と少なくとも5つの統一王朝で中国は繁栄を極めていると思うのだが)。そして、現在4度目の興隆期にむかいつつあるという。世界は、ノーマールに回帰しつつある、ということらしい。つまり、紀元後の2000年の歴史のうち1800年間は中国が世界最大の経済規模を持っていたということ。21世紀はアジアの世紀であることの核心は中国という存在なのだ。実際にそうだろうと思う。ユーラシア大陸内部やアフリカ、南米の人には申し訳ないが、教育水準の高さと勤勉さということで非西洋の中で、東アジア(儒教文明圏)のポテンシャルた確かに高いことは間違いない。日本、韓国、台湾、シンガポール、そして、本家の中国。唯一の欠点は、人口が多すぎること、エネルギーや食料などの資源にはあまり恵まれず外部依存であることだろうが。


現在の米中貿易戦争は、米国から中国への覇権交代のプロセスである。イギリスからアメリカへの覇権交代劇では、第一次世界大戦と第二次世界大戦にかけてのチャーチルがいう「20世紀の30年戦争」という破滅的な大惨禍を招いてしまった。我々が不安になるのはこのことが頭にあるからだろう。イギリスの没落は、ドイツの興隆を抑えようとした結果、第一次世界大戦に介入したことから始まった。ソ連型共産主義による計画経済とアメリカという巨大な市場自由主義にもとづく資本主義国という二つの新興勢力のプレーヤーが傍らに控えていた。21世紀の覇権争いでキーになるプレーヤーはロシアだという。朝鮮半島とロシアの極東地域が熱い。つまり、有望な投資先であり近い将来大きな発展が望めるところという意味。


貿易戦争は絶対によろしくないと著者はいう。第二次世界大戦は、保護貿易に走ったアメリカが仕掛けた貿易戦争が根本原因であると。これが、ウォール街の株の暴落を
引き起こしたのだ。


昼食:ラーメン、ダージリン紅茶。


ハローワークへ職業相談と手当申請に出かける。帰路、京成百貨店に寄り道して買い物(ブリの切り身)。帰宅すると母がベッドに横になって、具合が悪いという。びっくり仰天、あの元気な人が。話を聞くと食あたりらしい。何か悪いものを食べたのか。基本的に私と同じものを食べているし、私は何でもない。年齢の差?風邪?


3時のおやつは、今川焼きとダージリン紅茶。Yちゃん、学校が終わって友達とお母さんとカラオケに行ってるようだ。塾から解放されてのびのびとしている。いつまでもというわけではないけれど、一時的に心配事がなくなり、未知の世界にこれから入っていく期待感。幸福感を味わっているのだろう。


父の帰りがいつもより遅い。とっぷりと日が暮れた18時前の帰宅。いつもなら母が準備して食事を運ぶが今日はすべて私が段取りする。母は夕食抜き。私は、豪州産のサーロインステーキ(母と分けるはずが、一人で食べることに)と仕上げは野菜カレー(野菜スープにハウスバーモントカレーのルーを3かけほど入れて作った)。これがなかなかの出来でお替りしてしまった。何も食べられない母がかわいそう。


トランプ大統領が大統領教書を発表。北朝鮮の金委員長は2月27日と28日にベトナムのダナンで会談することに。


両親は早々と就寝。2階にあがり、イアン・カーショーの「ヒトラー 権力の本質」を読む。



Hitler

2019年2月 6日 (水)

不活発な一日を過ごす・・・

2月5日(火) 晴



昨夜は一度も目が覚める(トイレ)ことがなく朝5時過ぎに目覚める。チャーチルの「第2次世界大戦」Ⅰ(縮刷版)を読み続ける。アカハラの地鳴きは6時16分。


中国の春節が始まって30億?の中国人が中国国内や海外旅行で大移動をしていると、テレビで報道しているが、人口が13億だか15億なのにどうしてこの数字になるのだろうか。彼らのアジアの旅行先人気ナンバーワンはタイらしいが、日本はその次だという。爆買いという言葉が定着して久しい。


朝食:ベーコンエッグとご飯少々。


11時、訪問看護師さんが来る。


昼食:ソース焼きそば、リンゴにコーヒー。


野菜スープ(ア・ラ・ペイザンヌ)を作る。今回は赤いパプリカも加える。Yちゃんのお母さんからラインの連絡。Yちゃんにプレゼントしたワイヤレス・イヤホンの箱と付属品の一部が私のカバン(リュック)の中に入れたままだと。昨日帰宅したときに気付いたが、からっぽだと思っていた。次回の上京の際に持参することに。


BS放送で、ハーベイ・ウェインステインのセクハラ事件騒動の番組(再放送)を見る。ハリウッドの大物の映画プロデューサー。名前からしてユダヤ人だとは思ったがウィキペディアを見るとやはり東欧からのユダヤ系移民。父はダイヤモンド関係の職業に従事。それは別にどうでもいいことだが、2年前くらいだろうか、この人のセクハラ問題が毎日のように報道されていたことを思い出した。Metoo運動となって世間を騒がせたのだったが、最終的に映画界から追放された。彼の「毒牙」の犠牲者となった美人女優は数知れず。特に、売れる前・売り出し中の女優の卵の弱みに付込んだトンデモナイ下種野郎、ということらしい。インタビューで出てくる女優の面々の美しさを見ると、自分も立場が立場なら変になりそう、と思ってしまう。もし、自分が若くて野心があったなら、そして、相手が自分の将来の成功を考えてすんなりOKするということになると、その男は勘違いしてしまうのではないか。とんねるずの石橋君が、女なんて、要するにやっちまえばいいんだよオ~、と昔テレビで冗談めかして不謹慎なことを言っていたっけ。カトリーヌ・ドヌーブはさすがにフランス人らしく、Metoo現象をアメリカの過度なピューリタニズムと揶揄したが、直後に自分のコメントに対する謝罪をしていた。


夕食:サバの文化干し、野菜スープ(ア・ラ・ペイザンヌ)、柚子白菜漬け、ホウレンソウのお浸しにご飯少々。


映画「駅前学園」を観る。1967年製作。「駅前大学」に続く学園もので舞台は高校。もとは女子高らしいが男子も少しいる男女共学校。教頭先生が左卜全。フランキー堺は体育の先生で再び登場。森繁さんは、男やもめの古美術鑑定家。三木のり平は出演しておらず小沢正一が出ていた。山茶花九は学園事務長。フランキーと左卜全の武道対決が見もの。伴淳は妻の京塚昌子に、あの有名な「かあちゃん、一杯やっか」とコマーシャルのセリフを言うシーンも。淡島千景はめずらしく森繁の妻役ではなく、学園理事長役。大空真由美は学園の事務職員。池内さんは例によって染子役で料亭の女将役。いつものドタバタのお色気コメディーで最後までついつい見てしまう。森繁の娘の小悪魔的な野川由美子がいい、女子高校生役でミニスカート、体操着でのムチムチボディーの露出シーンなどにやにやにたにたしてしまう。駅前シリーズだが、今回はいったいどこの駅なのだろうか。


アマゾンで注文した本が予定日を過ぎても届かない。日本語の本で発送元は国内だ。ネット上で昨日の夜クレームしたところ返信が来た。在庫がもう一冊あるのですぐ送るが、先に送った住所で間違いはないのか、と聞いてきた。宅急便で送るのだから受領・不受領は自分でわかるだろうに、何やらあやしい。アマゾンでのトラブルは今回で2回目。一度は、インド映画のDVDだったが、これは、すぐに回答が来て2~3日でニューデリーからパッケージが届いて迅速に解決した。その時はアンケートが自動的にでてきて対応について聞いてくるのだが、対応はグッド、と返信した。しかし、今回はどうなるであろうか。



1泊2日とは言っても駆け足の上京であったが体の疲れが残り不活発な一日だった。

2019年2月 5日 (火)

Yちゃんの合格、渋谷でハワイアン料理・・・・。

2月3日(土) 晴
朝食: 石窯パン、野菜スープ、パストラミとゴーダチーズ。
昼食: 石窯パン、ポテトサラダ、ダージリン・ティー、チョコレート。


野菜スープを食べつくしたので昼食後、再び作る。具は人参、大根、キャベツ、玉葱、セロリ、長葱、ジャガイモ、パセリ。たっぷりのバター(大匙2)で炒めてブイヨンで20分~30分煮込むだけ。今回は、ベーコンも少々使ってみた。それと、隠し味醂を少々入れる。


刑事コロンボを見る。「歌声が消えた海」。2度目だ。一度はたぶん大学生時代に見たのだと思う。コロンボ刑事が奥さんがあたったクルーズで休暇のはずがデイヴィッド・ボーン演じる主人公の殺人の捜査をする羽目に。冒頭で「カミさん」を探すしんに始まり、首尾よく事件を解決して下船する際に「カミさん」を探し回るコロンボ刑事のシーンで終わる。殺されるバンドのシンガー(ロバート・ボーンと不倫の関係を結びカネを強請ったたために殺される)が歌うお馴染みヴォラーレ。


https://www.youtube.com/watch?v=rLhfskQVfME



夕食: イカフライと牛肉コロッケ、野菜スープ(ア・ラ・ペイザンヌ)、石窯パン少々にご飯少々。
19時過ぎ、東京のYちゃん親子からラインで連絡が来る。2校受験して1校合格したと。初日の2月1日は出来た自信があったのに不合格で落ち込んだらしい。気を取り直して本日受験にでかけた。昨日のトラウマで本人は合格発表の掲示板を見ることができなかったがお母さんが確認したら合格していたと。祝福のメッセージを送る。1月の合格校は滑り止めで、本人は今回合格した学校に進学することに決めたらしい。




2月4日(日) 晴


朝食:アジの干物、野菜スープ(ア・ラ・ペイザンヌ)、石窯パン


10時過ぎ、家を出る。久しぶりの上京。Yちゃんのお祝いをしてあげる提案をすると、渋谷で13時に待ち合わせることになった。


11時前の特急電車にのる。車中で持参したチャーチルの「第二次世界大戦」(縮刷版の日本語訳)を読み始める。第一次世界大戦終了後から1940年の第二次大戦勃発直前までの時期をあつかっている。中心の話題はもちろん、ヒトラーがいかに登場して政権を握り、ヴェルサイユ体制を突き崩して大戦に突入するに至ったかのチャーチルによるナレーションだ。1920年代のヨーロッパの政局を理解する格好のテキスト。第一次大戦の惨禍があまりに酷く、人々は絶対平和主義志向となっていた。ヒトラーの登場にも関わらず、英仏は見たくないものとして無視を続け、時代と逆行する軍縮に走る愚をおかす政治に絶望しつつも抵抗をこころみるチャーチル。アメリカが加入しなかった国際連盟がすでに機能不全に陥っている現状への嘆き。ヒトラーが政権を取る前に起きた極東の満州事変もそうである。その時点で、連盟がしっかり制裁して動いていれば10年後の東西での破滅的で悲惨な大戦は起きなかったという考えは、チャーチルの信念である。


野に下っても、チャーチルには国際政治の裏舞台の情報が常にあつまり、彼は、時局を政権担当者とは違う立場で観察し、時には時の政権に提言をつづける。イギリスの政治エリートの層の厚さ、レベルの高さ。アメリカに講演旅行して右側通行の交通規則をよく理解せず、交通事故にあい2か月の療養生活(キューバ)したり。


夢中で読んでいるとあっという間に上野駅。山手線に乗り換えて池袋・新宿経由でゆっくりと渋谷駅へ。


13時過ぎ、渋谷のハチ公前で1ヶ月ぶりにYちゃん母娘と再会。お母さんも当人もほっとした晴れやかな顔。いいねぇ。人生は競争だ。ところどころで関門が待ち受けている。とりあえず今回はクリアー。次のステップが始まるまでの猶予期間。新しい世界に飛び込む前の期待感でうきうき気分。天気も3月上旬のような温かさで二人を祝福しているようだった。




Scramble

スクランブル交差点を渡り(何年振りだろうか)、Yちゃんのリクエストで渋谷モディの9階のハワイアン・レストランへ。Yちゃんが一緒じゃないとおそらく足を運ぶことはないだろう。


http://www.cafe-kaila.com/




Yちゃんに感謝。ロコモコ定食、チャーハン(パイナップル入り)、チキンサラダにものすごい量の看板フルーツとパンケーキのデザートを食べる。そして、お買い物に付き合う。使っているアイフォンで使う無線イヤホンをプレゼントする。


夕刻、板橋に戻って、私のマンションで、節分の豆まきをして、お茶を飲みながら巻きずしを食べる。このところお酒を飲んでいなかったけれでビールを一週間ぶりに飲む。これからの手続きのことや、制服の話、部活は何をするのか、英語の勉強、海外研修、などなどで夜遅くまで話がはずむ。



2月5日(月) 晴、暖かいが風強し



5時に目覚める。ネットでニュースのチェック。ベネズエラの政局の緊張が高まっている。石油価格の下落と国民生活の窮乏。社会主義的な左派政権が崩壊しようとしている。ロシアや中国が支援するのは現政権。アメリカはチャベス前大統領の跡をつぐ現政権を批判し、議会派の臨時大統領を支援する動きだ。EUもどうもアメリカと歩調を合わせるようだ。いずれにしても、問題の核心は「石油」。埋蔵量がすごいらしい。イブ・モンタンが出演した「恐怖の報酬」という映画を思い出した。


朝食:トースト、コーヒーで簡単にすませる。


久しぶりに西向きの窓から富士山を眺める。空気が澄む冬場でないとなかなか富士山の姿は拝めない。春先の気温でややすこし霞んでいはいるが。



Fujisan


実家の両親が心配なので前夜ののこりの巻きずしをお昼がわりに食べて家を出る。数泊して東京をぶらり、昔の仲間と旧交を温めたいところだが、しばらくはむつかしいなぁ、と思う。折角なので、神田の神保町に寄り道して2時間ほど古本屋巡りをする。600円の文庫本を買ったら、コーヒー一杯無料券をくれたので、2階にあがりカフェ・モカを飲む。神田の古本屋街とは長いつきあいだ。学生時代以来、いや、大学受験で上京した前後に足を運んだのが最初だろうか。外は、春一番の風が吹いているような陽気で暖かい。まだ2月の始めなのに。


15時、上野駅を出て17時前に帰宅。父はデイケアーからまだ戻っていなかった。昨夜の節分は、すし屋から出前を取り、豆まきもあり合わせのものでやりました、という母の話。


隣のNさんから電話。お母様が亡くなられた、と。新年早々、声が出なくなって病院に行ってきますという話は聞いていた。喉頭がんが見つかり、治療をしていた矢先に、心臓発作で急死してしまったという。自分の母より若干若いがいずれにしても80代半ば。これで、実家周辺で自分の両親と同世代の人は3軒先のIさんのお母さん(100歳にならんとしているらしい)と3人だけになってしまった、と母の嘆き。


夕食: サバの文化干し、ハンバーグと豚肉のアスパラ巻き揚げ、ご飯少々。赤ワインも少し飲む。


忙しい上京で疲れが出たのか、夜の読書をする気力なし。21時前に就寝。

2019年2月 2日 (土)

2度目の雪、映画「マッキントッシュの男」、ヒトラーとチャーチル(後編)。

2月1日(金) 曇り後晴



5時過ぎに目が覚める。


ベッドの中でチャーチルの回顧録を読み続ける。真珠湾攻撃とアメリカの参戦により、チャーチルは急遽アメリカにトップクラスの部下を従えて出かける。アメリカの無限の力をいかに引き出してヒトラーに勝利するか。一方で、アメリカの主敵は日本であることへの不安、つまり、米国が日本と直接闘うことになるためレンドリースで得られる自分たちへの物資支援(優先順位として、①国内、②ソ連、③英国となるため)が回らなくなることへの。


6時半前、辺りが少し明るくなって来た。日没はどんどん遅くなっているが、日の出もこれからは少しずつ早くなっていくだろう。外はほんの少しだけ雪が積もっていた。幸いなことに生活に支障がでるほどのことではないので一安心。北米ではものすごい寒波に襲われている。極渦(Polar Vortex)というらしい。死者も出ている。



Yuki


朝食: 鮭の塩焼き、ポテトサラダ、農民風スープ、ご飯少々。それに、バナナ半分。


生ごみ出し(3袋)。その後、地元の市役所へ父の保険証の再発行手続きに出かける。帰り際、食材の買い物。これで午前中が終わってしまう。その間、父は30分の自宅でのリハビリ、それと、訪問看護師のケアーを受ける。


昼食: 石窯パンのオープンサンド(ポテトサラダとゴーダ・チーズとペストラミ)にコーヒー。
BS3で映画「マッキントッシュの男」(1973年製作)を観る。ポール・ニューマン、ジェームス・メイソン、若き日の美しいドミニック・サンダが出演。冷戦時代のスパイもの。舞台はイギリス、アイルランド、最後はマルタ島のバレッタ。登場人物には実在のイギリスのダブル・エージェント・スパイがモデルとして登場する。



そのスパイとは、、ユダヤ系のイギリス人とオランダ人のハーフで、第二次世界大戦で諜報活動に携わった後、朝鮮半島の英国大使館に勤務、朝鮮戦争で捕虜になり、共産主義を信奉するようになり(連合国の無慈悲な攻撃による名もなき人々の大量殺戮を目撃してソ連に将来の希望を託した)、KGBのスパイとなった。停戦後、帰国して、イギリスの諜報機関で仕事を続けるが、イギリスの機密情報をソ連に渡し始めた。1961年に逮捕され懲役46年刑を受ける。しかし、刑務所を脱獄して、ソ連へ逃亡。1990年代には自伝も出版、2019年現在、96歳でまだ元気らしい。


目まぐるしく展開するストーリーなので詳細は省くが、ジェームス・メイスンが演じるウィーラーことイギリスの愛国的な保守派の右翼国会議員が、実はソ連のスパイだったいう話。
MI6が放ったエースがポール・ニューマン(リアデン)で、ダイヤモンドに絡む事件で懲役刑を受けて収監され、脱獄するのだがその時に一緒に脱獄するのがお目当てのソ連のスパイ(スレイトという)で、リアデンはこのソ連諜報スパイリングの中に入り込み組織を葬ることが、スパイマスター(主人公の親分、マッキントッシュ)の目的だった。マッキントッシュは、ウィーラーを怪しいと睨み、罠を仕掛けて誘き出そうと仕組んだのだが、逆に先回りされて車に引かれて殺されてしまう。その娘が、リアデンをアシストするドミニック・サンダ。マルタ島の教会でウィーラーとソ連のスパイであるスレイト対リアデンとドミニック・サンダ演じるスミス夫人の対決。拳銃と拳銃を突き合せた対峙となる(Mexcian standoffと言うらしい)。



ウィーラー側から、お互いに今回のことは無かったことにして無傷で別れようという妥協を
提案がなされる。黙認するかのように銃持ったままのニューマンの前で、銃を置いて現場を去ろうとするウィーラーとスレイトだが、最後の最後でスミス夫人ことドミニック・サンダが二人を撃ち殺す。父の仇打ちでもある。「あなたは組織の命令を最後は無視したわね」と、スミス夫人は冷たく言い放ち、昂然とニューマンに背を向けて町の暗闇のなかに去っていく。佳作である。監督は、ジョン・ヒューストン。


休憩して、パクテー料理を仕上げる。たかが豚肉の煮込み(おでん)なのだが初回の出来はどうだろうか。




Pakute

17時からBS1で「ヒトラーとチャーチル」の後編を見る。以下、その内容と自分なりの視点を入れながら補足・要約すると、1940年5月10日、まさに、チャーチルの首相就任日だが、ヒトラーはフランスへの電撃作戦に着手。連合軍はなすすべもなく追い詰められる。ダンケルクの戦い。息の根を止められる寸前だった。


しかし、ヒトラーは抹殺の命令をしなかった。ダンケルクでヒトラーが寛大だったことの裏には、ヒトラーの対英融和の意図があった。チャーチルは、そのおかげもあって、武器類を放置したまま最小限の被害のもとに兵士たちの命を救い出すことに成功し、国民の喝采を浴びる。自国の兵士を単なる消耗品のごとく扱い無駄な死を強いる無慈悲なヒトラーとはまったく対照的である。


ヒトラーは、ポーランドの行動の自由を認める代わりに、ドイツは大英帝国の権益を尊重する、という提案をチャーチルに行う。しかし、チャーチルはニベもなく拒絶し、目論見は頓挫する。そして、ゲーリングの指揮のもとドイツ空軍によるイギリスの軍事施設攻撃が始まり、イギリスは窮地に追い込まれる。流れが変わったのは、ドイツが、誤ってロンドンに爆弾を落とした(軍事施設以外への攻撃は戦時国際法違反)ことを口実に、チャーチルが、
周囲の反対を押し切って断行した軍事施設ではない首都ベルリンの爆撃。心理作戦である。空襲の規模は大したことはなかったが、ヒトラーは激高して、イギリスの諸都市への戦略爆撃を開始する。イギリスはその間に軍需施設で航空機を増産できることになり、結局のところ、バトル・オブ・ブリテン(7月から10月)でドイツは破れ、制空権を失ってしまうという皮肉な結果となる。このあたりの経緯は紙一重のような気がする。


イギリスへの侵攻をあきらめざるを得なくなったヒトラーは、翌年の1941年6月、独ソ不可侵条約を破ってソ連へ侵攻する方針転換を行う。スターリンの失策もあって、破竹の勢いでレニングラードとモスクワに迫るドイツの機甲師団だったが、いつもより早く訪れた「冬将軍」の前に立ち往生する。



日本は、独ソ戦開始の前の4月12日にソ連と日ソ中立条約を結んでいる。ヒトラーは、対ソ防共協定であった1939年の三国軍事同盟締結の直後にも、独ソ不可侵条約をスターリンと結び、日本を困惑させたのだが、ソ連侵攻も,まったく同盟国のイタリアや日本に前もって相談せずに独断専行したのだった。事前に日本と相談して共同歩調を取っていれば、日本は北進=ソ連攻撃もあり得たのではないか。



ソ連はスパイ・ゾルゲ(それ以外の情報も複数あったらしい)をもとに、日本が南進することを見極めた10月にはに極東軍を西部戦線に充てる行動に移っている。アメリカのレンド・リース(武器をはじめとする戦略物資の支援)も始まった。この二つの要素が、ドイツを敗北へと導いていく。そして、12月の日本による真珠湾攻撃とアメリカの対日宣戦布告。三国同盟には、この場合、ドイツに対し自動的に対米宣戦布告となる条項はなく、ドイツが宣戦布告をしなければ、アメリカは欧州戦線では戦わず、日本だけとの闘いになる可能性があり、チャーチルは回顧録でこの点を密かに心配していたと正直に告白している。「歴史の謎」だが、ヒトラーは、アメリカに対し宣戦布告した。テレビのドキュメントでは、ヒトラーは、3000年不敗の日本が同盟国として戦列に加わった。ドイツは勝つであろう、と楽観していたらしい。


1943年、春の到来とともに、戦争経済の台所事情からヒトラーは石油を取りにボルガ川・コーカサス方面へ侵攻する。軍事的には間違った戦略(戦力の分散)だったが、石油がなければ戦争は出来ないドイツの弱点(ルーマニアの石油は貧弱なものだった)故の選択であった。スターリングラードの死闘。そして、2度目の冬将軍。そして、ドイツ軍の降伏。ヒトラーは呟く:勝利の神様は敵側に行ってしまった。一方で、この年の5月には連合軍がシシリー上陸。スターリンの要請によるヨーロッパの第二戦線の開戦である。この年11月に開催されたテヘラン会談で、チャーチルは大英帝国の立場が、アメリカとソ連の立場と比較して2次的になってしまったことに愕然とする。


そして、北アフリカ戦線での攻勢、、1944年6月のノルマンディ-上陸作戦。ヒトラーの運は尽き、劣勢に歯止めがかからず引きこもりになる。戦争指導をヒトラーが一人で決定するのに対し、チャーチルは、アメリカをはじめとする連合国首脳陣との連携努力はもちろん、大好きな戦場へしばし足を運んで激励をするパフォーマンスをするなど、対照的だった。1945年1月、ベルギーのアルデンヌの森で繰り広げられたヒトラー最後の反攻も緒戦は善戦したがあっけなく敗北。万策尽きたヒトラーは、首相官邸のの地下塹壕室にこもりドイツの破壊を命じ、エヴァ・ブラウンと結婚した直後に自殺を遂げる。ドイツの暴走は終わった。ドイツを破ったチャーチルだが、このときはもはや英国の首相ではなかった。2月のヤルタ会談の途中で労働党に政権を譲り途中で帰国したのだった。しかし、ドイツの敗北で沸き立つロンドン市民が歓呼の声でたたえたのは王室と並んで映し出されるチャーチルであった。一番幸せだった時のことを聞かれて、チャーチルは1940年に首相に返り咲き戦争指導を始めた瞬間だった、と答えたという。


夕食:パクテー(豚肉の煮込み)、オレンジジュース、ポテトサラダ。それに、農民風スープにきしめんを入れて仕上げる。パクテーは塩加減が不足していた。少々だが醤油をかけてちょうどいい味になった。ただ、肉は思ったほど柔らかくはなかった。次回は圧力鍋を使ってみよう。さっぱり味のおでん風のパクテー味がいいのか、甘辛くねっとりと柔らかく調理するトンポウロウのほうがベターか、迷うところだ。

夜遅くまで2階で日記を書いたり、ブック・サーフェインとネット・サーフェインに興じる。サッカー・アジアカップの決勝戦だが、23時から。歳を考えてその前に就寝。

2019年2月 1日 (金)

ドキュメント「ヒトラー対チャーチル」、パクテーを作り。

1月31日(木) 曇り


5時半の目覚め。チャーチルの回顧録を読み続ける。アカハラの地鳴きを久々に聞く。時刻は6時17分。


朝食は、田舎風スープとベーコンエッグに石窯パン。そして、リンゴを少々。


食後のニュースチェックで目についた記事:最近クジラが砂浜に打ち上げられて死ぬケースがしばしば報道されるが、原因として軍事潜水艦のソナー音が関係しているという記事。
昼食:石窯パンサンド(ゴーダチーズとパストラミ)、マルちゃんの昔ながらのソース焼きそばを少々。130円のカップ焼きそばだが、実にうまし!


BS3でマカロニ・ウェスタン「さすらいの一匹狼」を見ながら、ポテトサラダを作る。下ごしらえから調理と完成は約1時間半かかる。今回は胡瓜と玉ねぎを増量、ジャガイモも600グラム分(6個)使用。


17時からBS1で「ヒトラーとチャーチル」の前編を見る。フランスの放送局の作品。対照的な生い立ちと経歴を持つ二人だが、戦争という経験を通して大きく飛躍したというのが共通点であるらしく、両者を比較しながらのクロニクルである。


チャーチルはインド、スーダン、南アフリカ等で戦争を経験、第一次大戦では海軍大臣となって活躍したが、この時は、ドイツとの分断を狙ったトルコに対するガリポリ上陸作戦で大失敗して政治家として失脚した。しかし、西部戦線に少佐として従軍したりして、自分の生きがいは戦場にあると手記に認めている。いずれにせよ、第2次大戦勃発までのチャーチルは不遇であった。鬱々とすることしばし、水彩画を描いたり、自宅のブロック塀を作ったり、歴史研究をしたりして気を紛らわし、鋭気を養っていた雌伏の時期だ。


ヒトラーは、芽のでない画家志望で日々をうっちゃる、浮浪者に近い生活を送っていたが第一次世界大戦の勃発の熱狂の中でドイツ軍の兵士に志願して、死と隣り合わせの戦場で規律ある軍隊生活の中にに自分の生きがいを見出していく。ヒトラーは、敗戦による混乱と不当なベルサイユ条約に対する怒りをもとに政治運動を始め、演説家としての才能もあって、国家社会主義政党のリーダーとして頭角をあらわしていく。「我が闘争」はカップ一揆で獄中に繋がれた時期に書き上げたヒトラーの世界観のまとめた渾身の著書である。


チャーチルは、ヒトラーの「我が闘争」を読みいちはやくヒトラーの危険性を指摘する書評を書いている。しかし、時代は第一次世界大戦の数百万単位で各国が戦死者を出すという未曾有の惨禍の影響で「平和主義」政策を世論は後押しし、好戦的で「戦争屋」と見做されたチャーチルは自国での出番はなかなか来なかった。


1933年に国会の第一党となったヒトラーは首相となり、たった1ヶ月で全権委任法を成立させ(国会議事堂放火事件を利用した)、ナチスの独裁政治が始まる。世界大不況のどん底の中にあったドイツは、ここからヒトラーの指導のもと上昇気流に乗る。1936年のライン・ラント進駐(ドイツによる再武装)、1938年3月のオーストリア併合、同年9月のミュンヘン会談(チェコのズデーテン地方の併合)と、一連の政治的成果を相手(英仏)に譲歩させることで達成する。直接の干戈を交えず無血で国境の現状変更を達成したヒトラーの魔術は、並行して行われた膨大な軍需産業等への公共投資投資で経済好況と不況脱却と相まって国民的熱狂を呼び起こした。


1939年8月23日の独ソ不可侵条約と同年9月1日のポーランド侵攻(ソ連との分割)により、英仏はドイツに宣戦布告するが、「奇妙な戦争」(にらみ合い)がしばらく続く。イギリスの世論がチャーチルを後押しするようになった翌年5月10日にチャーチルは首相になる。この日、ヒトラーのドイツはパリに向けて怒涛の電撃作戦を開始する。パリ陥落、ダンケルクの危機、救出作戦。戦争準備の出来ていないイギリスは後手後手の劣勢であった。


前編はここまで。


夕食:ポテトサラダ、セイゴの山椒煮、スープ・ア・ラ・ペイザンヌ。出来立てのポテトサラダがグッド。今日もアルコールはなし。オレンジ・ジュースを飲む。よく考えると昨年の7月前後からずーっとお酒を毎日飲んできた(と、言っても、ビールの小缶一つかグラスワイン又は酒だが)が、肝臓をいたわろうと。しばらくは、禁酒をしてみようと思い立った。


父の高齢者介護保険被保険者証が昨年交付されて郵送で受け取ったはずだが、その行方が分からなくなってしまったようだ。ケアーマネージャーから電話があり再発行の手続きをすることに。市役所の窓口出頭なので代理人の書類持参云々と言われ、面倒なことになった。


食後、一休みして、パクテー(豚のスペアリブの煮込み料理)を作る。時間は1時間ほど。豚のスペアリブ400グラムをカップ5杯の水を沸騰させてアクを取り、それから、八角、シナモンパウダー、玉ねぎ一個(半分に切り分ける)、ニンニク、ショウガ、醤油、砂糖、葱などを使ってアクを取りながら弱めの中火で煮込むこと約30分で完成。一晩寝かして明日さらに煮込んで夕食に食べようと思う。

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