2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« ジム・ロジャースを読む。母、食あたりをおこす? | トップページ | イケアの大チョンボ、当該国の大人の対応は某国とは大違い。 »

2019年2月10日 (日)

ノルマンディーで捕虜になった東洋系ドイツ人兵士は何人だったか。

2月7日(木) 曇り時々晴


朝食:野菜カレー
昼食:カレーきしめん
夕食:豪州産牛のランプステーキ(140グラム)、野菜カレー少々

今日は、カレーずくしの食事(私だけ)。母はまだ全快には至っていない。朝、昼、夕と食事の準備と配膳、片付けを全面的に行う。結構大変である。

ケアーマネージァーさんから母の血圧が100を切っているというので、血圧の薬はのまないようにする。母の異変に気付いた父もしきりに心配そうで気遣っている。

終日、2階とキッチンを行ったり来たりしながら過ごす。合間に、ポール・ジョンソンのチャーチルの評伝を再読する。背表紙の裏を見ると、2015年1月25日読了とある。通勤(埼京線、小田急線)や職場の昼休みで1ヶ月くらいかけて読んだ記憶が蘇る。チャーチルは傑出した政治家であり、人類の歴史に名を残す偉大な人物であることは間違いない。この本はチャーチル賛歌に満ち溢れた本である。



Paul
しかし、どんな偉大な人物でも欠点はある。チャーチルは、とんでもない人種差別主義者で、ガンジーを見下していた言動は今日では有名な話っだ。自身の価値観は19世紀のままであり、チャーチル自身が言う如く、大英帝国の清算をするために首相になったのではないという意識のもと、米国のルーズベルトと手を携えた究極の目的は、当然ながら、大英帝国の権益を守り抜くことだった。が、結果的には大英帝国を清算する役回りを演じてしまった。政治家として軍事面の造詣が深く、外交にも見識を持ち、英国がどうしようもない危機に陥った中、喜び勇んで渦中の栗を拾い、ヒトラーを破った男。しかし、対ドイツ勝利を目の前にして、国民はチャーチルをお役御免にしてしまったのも事実だった。チャーチルへの揶揄として、ヒトラーとチャーチルは同じ穴の貉(ムジナ)だった、とよく言われる。そして、スターリンも。お互いに相手の手を読むことが出来たということ。違いは、生まれた国(場所)の違いだけ。




2月8日(金) 曇り


昨夜は20時すぎにベッドへはいり、そのまま眠ってしまった。何度かトイレに起きては寝ての繰り返し。4度目だろうか、時計は5時。眠れなくなる。


朝の読書は、It all started with Colombus。ナンセンスを交えた独特の語りで笑わせるアメリカ史。簡単に読めそうな感じで読んでみるとひねりがあちこちにあって相当の素養がないと堪能できない内容のようだ。高田馬場の芳林堂書店で買った本。1980年代の半ば頃だろうか。なぜかよく覚えている。この30年、数年に1度は思いだしたように手にしては拾い読みしている。 以前に比べて少しずつ著者のひねり、裏の意味などがわかるようになったとは思うのだが、まだ意味不明の個所もところどころある。



Armour



朝食:ポテトサラダと笹かまぼこ、ご飯と蜆汁。


今朝も、食事の準備はすべて自分が取り仕切る。8時過ぎ、週に2度の生ごみ出し。ポリバケツの生ごみをまとめていると、寒椿にメジロ。チュルチュルと鳴いている。毎日蜜を吸いに来ているようだ。


9時半、父のリハビリ担当者(男性)が来る。10時過ぎ、ケアー・マネージャーさんが二日連続で来る。母の血圧は今日も100に届かず。病院に行ってはどうかと。母は拒否。そこまで悪くはない、と言い張る。30分ほど、車で買い物にでかける。父の好物の柚子蜂蜜飴、アジの干物、ゴーダチーズ、おはぎ等々。


昼食:石窯パン、ゴーダチーズ、ポテトサラダ、パストラミ、コーヒー、バナナ少々。 父はアンパン一つ、バナナ3切れ、おせんべい数かけ。母には、卵雑炊を作って食べてもらう。


バッハの「マタイ受難」を聞きながら、日記を書いたりブックサーフィンをする。父と母の二人が寝たきりの状態なので、外出はせず、2階と1階を行ったり来たりしながら様子を見る。

夕食: 牛肉コロッケに野菜カレーをかけて食す。


母が夕方になって熱を出した。夕食のお粥を食べていると体が震えている。これはまずい、昼間病院に行ってれば!,と脳裏に後悔の念がよぎる。大丈夫、と母はいうのだが、体温計で熱を測ると8度5分近い。すぐ近くの掛かりつけの病院に電話すると、診断してくれるという。17時半過ぎだ。ありがたい。150㍍くらいの距離だが車で母を連れて行く。

幸い、インフルエンザではなさそうだ。胃腸炎?お腹の具合は大丈夫。食あたりのようで昨日2度、3度吐いたことを説明。安静にして体を暖かく保って休むようにいわれる。解熱剤も含めて3種類とりあえず薬を処方してもらい帰宅。すぐに薬を飲ませて休ませる。


20時過ぎ両親が寝たところで2階に上がる。注文していたアントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」が郵便ポストの中に入っていた。




Antony


1000ページ近い本だが、イギリスからの送料込みで1674円である。安い!ちなみに、日本語の翻訳もすでに出ているが、3巻本で1冊単価が3564円。この値段の差は何なのだろうか。たぶん、英語圏での歴史に対する興味、読者の層の圧倒的な厚さによるものであろう。しばらくは、チャーチルの「第二次世界大戦」(縮小版の日本語訳とオリジナル版=英語版の第3巻と第4巻)にどっぷり浸かろうかと思っている。


寝床のベッドでビーバーの「第二次世界大戦」のイントロダクションをぱらぱらと読んでみる。ナレーション形式の叙述なので読みやすい。人文系の本は読みずらい本が多いのだが、例えば、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」と比べて、この歴史の著作の何と読みやすいことか。歴史書が平易な文章で書かれているかというと必ずしもそうではないのだが。ホッブズ・ボームの歴史4部作は後ろから2冊読破したけれど、マルクス主義の歴史家ということもあり、正直なところ読みずらかったと思う。本音を言えば「悪文」である。学者の衒いがそうさせてしまうのだろうか。


この本は、冒頭から引きずり込まれる。ノルマンディー上陸作戦で連合国の捕虜となったドイツ軍兵士に東洋系の兵士がいた。日本人と思われたが、朝鮮人であったらしい。満州国軍に徴用され、ノモンハン事件で戦い、ソ連・モンゴル軍の捕虜となた。ソ連の労働キャンプに入れられたが、1942年、独ソ戦の最中、赤軍兵士に徴用されドイツ軍と戦う。ウクライナのハリコフでドイツ軍の捕虜となり、最後は1944年のノルマンディーで連合国軍と戦い捕虜となった。その後、イギリスの捕虜収容所に入り、その後にアメリカ合衆国にわたり安住の地とする。1992年、イリノイで亡くなった数奇な運命をたどった人らしい。ビーバーの「第二次世界大戦」は、ノモンハン事件から始まるのである。



こんな人がいたとは知らなかったが、名前はYang Kyoungjong。ウィキペディアにも出ている。実在性について疑問視する人いるらしいが、歴史的事実として扱う歴史家も多いという。

« ジム・ロジャースを読む。母、食あたりをおこす? | トップページ | イケアの大チョンボ、当該国の大人の対応は某国とは大違い。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ジム・ロジャースを読む。母、食あたりをおこす? | トップページ | イケアの大チョンボ、当該国の大人の対応は某国とは大違い。 »