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2019年2月22日 (金)

ビーバーの「第二次世界大戦」熟読。

2月21日(木) 晴



5時前の目覚め。アントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。7時前までの2時間、第4章、The Dragon and the Rising Sun 1937-1940。



盧溝橋事件、第二次上海事変、南京占領と日本が中国本土に介入して泥沼にはまっていく。興味深かったのは、本文ではChanng Ching-chongと表記される国民党の将軍(Chang Chih-chung又はZhang Zhizhongが正しいと思われる)は、ソビエトのスリーパー・スパイで、ヒトラーによるヨーロッパ情勢が緊迫する中、スターリンが極東での日本の行動(盧溝橋事件)を受けて上海で騒動をおこし戦線を南下させようとした、というくだり。

第二次上海事変の発端は、ミクロレベルでは、中国側の挑発によって起こされたらしく、その巻き添えでライシャワーもと駐日大使のお兄さんが上海租界のホテルで爆弾の被害を受けて死亡したのだが、これは国民党軍の戦闘機が長江に停泊する出雲を攻撃しようとして逆に反撃を受け、機体につけた爆弾が通りかかった租界上空で落下して起きた不運事故だったらしい。いずれにしても、慎重派の蒋介石を押し切るように国民党軍のこの将軍が事を興した背景にはスターリンによる遠謀深慮があったというもの。



定説として、著書は、この上海事変において国民党軍をバックで指導したドイツの将校(ファルケンハウゼンら)による戦略に蒋介石が従った(広大な中国において日本軍を分散させ、消耗戦に引き込む戦略)のようだ。


日独防共協定を結びながら、極東においては日本ではなく、蒋介石の国民党軍にドイツが協力していたというのは皮肉ではあるが、ドイツ側の支援の見返り=支払いは、貴重な資源であるタングステンを中国側はドイツに提供することで精算したらしい。


1937年の盧溝橋事件から始まる日本の中国大陸侵攻は、当時の世界においては、1936年のスペイン戦争(成立したマドリッドの左翼政権対ファシスト・フランコ将軍が率いる軍部)の極東版と見られていた。写真家のロバート・キャパやイギリスの詩人オーデン(トーマス・マンの娘のエリカと偽装結婚してエリカをイギリス経由アメリカに連れて行った)、「さらばベルリン」(映画「キャバレー」の原作)で有名はイギリスの小説家イッシャーウッドなどが中国を訪れ取材している。


南京を占領して一気に中国を捻じ伏せられると思っていた日本であったが実際には南京の虐殺等(まぼろし、無かったというのは欺瞞であろう。著者は多くて20万人の軍人や一般市民がが殺されたという説を支持している-これは南京城内だけではなく、周辺の村々を日本軍が攻めながら南京に向かう途中の数も入れての数字と思われる)もあって中国人は長期の徹底抗戦へと結束していく。


満州国のソ連国境との紛争も勃発しており、その対応のため日本軍は戦力を割かれ、中国本土での攻勢は徐々に鳴りを潜め始め、ゲリラ掃討作戦に転換していく。


蒋介石の戦略は、イギリス、ソ連、アメリカなどの支援をうまく利用しながら日本の侵略を抑え、本命の敵・毛沢東率いる共産党をぶっ潰すことが最優先だった。ノモンハン事件では、日本とソ連が何らかの協定を結ぶのではないかと危惧した(独ソ不可侵条約直後のポーランドの分割の如きことが極東で起きるのではないか)。一方で、スターリンのソ連が日本と本格的に干戈を交えることを望んだ。何故なら、中国本土へのプレッシャーが軽減されるから。


スターリンは、独ソ不可侵条約締結(1939年8月)によって、西におけるドイツの脅威を対英仏への戦争へと向かわせることに成功した。極東のノモンハン事件(同年5月~9月)では、満州国(=日本)との国境問題をとりあえず決着させ、日本側に対ソ恐怖症を植え付け南進させることに成功した。ソ連にとっての当面の安全保障の問題は解決した。



ノモンハン事件をもってソ連が日本に対して矛を収めたことは蒋介石にとってはショックであった。蒋介石の重慶政府にとって将来の頼りとなるのはアメリカ合衆国になっていく。国内の憂慮は、第一に、力をつけつつある毛沢東の共産党勢力であり、もう一つはと汪兆銘が離反して日本と妥協して南京に打ち立てた政権である。汪兆銘の南京政府がドイツやイタリアやほかの国が承認されることを何よりも恐れた。


毛沢東率いる共産党の戦略は、日本軍と攻撃されたら反撃しつつ後退すること、こちらからは決して戦いを挑まないこと、力を温存し、最終的な敵である国民党政権を倒すことにあった。従って、日本軍とは、日本のロジスティックの生命線である鉄道に攻撃を加えないことを条件に地方に割拠する自らの第4軍への攻撃を控えてもらう裏取引すら行っている。



1939年の12月にソ連がフィンランドを侵攻して国際連盟を除名された際は、蒋介石は大いなるジレンマに陥った。除名に「イエス」の投票をすればスターリンの機嫌を損ねる一方、「ノー」であれば、英仏の不興を買う。結局、中国は連盟での投票を棄権したが、両方から不信の目でみられる最悪の結果となった。


スターリンが一番危惧していたのは、ヨーロッパの対応で手一杯のため極東まで手が回らないイギリスと日本の攻撃にアップアップの中国がたくらんで、ソ連が日本と戦うように仕向けられること。又、中国共産党が地盤の中国北部で問題をおこすことで、蒋介石が日本と何らかの妥協をするのではないかという危惧。スターリンの対中国の戦略は、蒋介石に何かあればソ連は国民党政権を支援するという期待をチラつかせながら、日本と直接戦うことは避けることにあった。


*******

6時前、アカハラの声。外は明るくなり始めている。6時20分過ぎ、ウグイスの笹鳴き(囀りではない)が聞こえてきた。初鳴き(ホーホケキョ)まだあと少しだ。昨日は春先の陽気であたたかかった。野鳥たちも感じているのだろう。


朝食:ブリ大根、カブの浅漬け、ご飯。


ビーバーの「第二次世界大戦大戦」を読み続ける。第5章Norway and Denmark January-May 1940の章。



昼食:ジャケット・ポテトとゴーダ・チーズにコーヒー。


14時から、車の定期点検にでかける。1時間半ほどかかる。オイル交換。5000キロ又は半年が目安ということだが、車のメカにまったく理解がない自分は業者さん(プロ)の言われるがままの1年半パッケージ25000円に加入する。今年9月と来年2月は定期点検、9月がまた法律で定められた車検(10万)。待っている間も、ビーバーの「第二次世界大戦」の第5章を読み続ける。


16時、給湯器の業者さんが来る。給湯器は問題なし。煙突に少し隙間がありこちらも調整してもらう。オイル・タンクの油漏れが気になっていたので相談する。原因は、オイルタンクの底に水がたまり錆が出来て腐食している部分があるかららしい。定期的な水抜きをしないといけないというが、ステンレス製のタンクは地面と隙間があまりなく難しい。現状は、それほど大きな問題ではないが替えたほうがいいだろう、と。鉄製のもので水抜きしやすいタイプを進められるのでそれで注文することにした。設置費なども含めて3万。


夕食:豪州牛の残り(120㌘)、タラモ・サラダと石窯パンと赤ワイン。昨夜はミディアム・レア-だったが今日はウェルダンで食す。お腹一杯にならず、最後のタコの刺身とご飯少々。コッテリのあとのサッパリ味でお腹が落ち着く。


食後、1時間ほどポテト・サラダ作りをしてから、2階へ上がる。「第二次世界大戦」を読み続ける。第6章に入る(Onslaught in the West May 1940)。

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