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2019年3月 9日 (土)

詩心の続き。

3月7日(木)朝のうち雨、後曇り



目が覚めるともう薄明るくなっていた。6時20分前。今日も三寒四温の寒。外は雨。しとしと、と。そして、ぐずぐず、と。

こういう時決まって思い出すのは杜甫の漢詩だ。欧米言語にどっぷりの自分には苦手だが、岩波文庫の杜甫詩集を引っ張り出して読んでみる。有名な「春夜喜雨」だ。


好 雨 知 時 節 (好雨 時節を知り)
当 春 乃 発 生 (春に当たりて乃ち発生す)
随 風 潜 入 夜 (風に随ひて潜かに夜に入り)
潤 物 細 無 声 (物を潤して細やかに声無し)
野 径 雲 倶 黒 (野径 雲 ともにに黒く)
江 船 火 獨 明 (江船火 独り明らかなり)
暁 看 紅 湿 處 (暁に紅の湿ふ処を看れば)
花 重 錦 官 城 (花は錦官城に重からん)



最後の錦官城(きんかんじょう)とは、中国の蜀の都、つまり、内陸部の成都のことらしい。三国志・劉備玄徳と諸葛孔明のあの蜀、現在の四川省である。麻婆豆腐発祥の地。四川省は山に囲まれた盆地でどんよりと曇り雨も多い穀倉地帯でもあるそうだ。日中戦争で、
南京陥落。漢口も占領され、蒋介石の国民党政権は長江の上流の重慶まで引っ込んだ。重慶が落ちれば、次は成都だったろう。四川省だけで自給自足ができる肥沃な地域。中国大陸の壮大な景色と島国の日本のちまちました盆栽みたいな景色は本質的に違うのだけれど、字面をなぞると何となく情感が伝わってくる。



朝食:昨日の魚の残り物(鮭と赤魚の煮つけ)、ご飯、ポテトサラダ。



昼食:小倉デニッシュとコーヒー。



食後、ミネストローネを作って(1時間ほど)から2階へ。気分転換、歴史の本は手にせず、読みかけたまま積読状態だったのヘミングウェイのThe Sun Also Risesを読んだりして時間を過ごす。「日はまた昇る」は、ヘミングウェイの長編ではベストらしいけれど何がすごいのかは正直よく分からない。この作品を発表した1920年代においては、登場人物たちのモラル、つまり、大酒を飲み、性的に放縦で、享楽主義的な生き方は、当時のパリでは普通のことだったらしいが、ピューリタンの伝統が強いアメリカでは非難轟々だったようだ。モダニズムを代表する文学。日本で言えば、石原慎太郎の「太陽の季節」や村上龍の「限りなく透明に近いブルー」がその後継筋にあたるであろう。



この物語りでは、第一次世界大戦後、パリに集まった新興成金のアメリカ人のexpatsが登場してやたら酒を飲む。性的に奔放なイギリスの貴族夫人ブレットを巡って男たちは諍いを繰り返す。ユダヤ人のコーン、新聞社勤務のジェイク(戦争のけがで性的不能者、ヘミングウェイの分身)、ブレットの再婚相手のマイク、ジェイクの友人のビル、パンプローナの闘牛士等。男たちを魅惑し狂わせるブレットは第一次世界大戦前に存在しなかった「新しい女」、解放された女、フェミニズムの走り。ブレットとジェイクは惹かれあう仲ではあるけれど、ブレットは他の男たちを弄び、肉体の快楽を求め続けるが長続きしない。相手を征服したら、おしまい。パンプローナでの宴の後、闘牛士ロメロと駆け落ちしたブレットは結局のところ不能者のジェイクに助けを求めるハメになる。性的関係を伴わない男との関係こそは、希代の悪女(supreme bitch)ブレットが自分の精神の平衡を保つ拠り所らしい。


ヘミングウェイの最初の恋愛は、イタリアの戦線(救護車の運転手)でケガをして入院した病院で知り合った年上の女性。結婚の約束をして一旦帰国してすぐに約束を破棄されショックを受ける。ヘミングウェイは生涯に4度結婚をして3度離婚した。4度目の離婚は別れる前に本人が自殺してしまった。3度の離婚とも、自分が次の女性に乗り換えて女性を捨てる役回りだ。最初の恋愛のトラウマだろうか。「日はまた昇る」の魅力的な悪女ブレットと不能者ジェイクは、ヘミングウェイの両性具有的な分身ではなかろうか。


夕食:ホウボウの塩焼きとポテトサラダで熱燗を飲む。仕上げはタコの刺身とミネストローネ。



もとプロレスラーのザ・デストロイヤーが亡くなった。88歳。力道山との死闘がなつかしい。学生時代に「噂のチャンネル」という日本テレビの番組に出ていたのを覚えている。せんだみつおが、デストロイヤーに足四の字固めをかけられて涙を流していた。マギー・ミネンコというロシア系のタレントはその後どうしたのだろうか。



夜の読書:「英語帝国主義に抗する理念」(大石俊一著)を読む。ジェームズ・ジョイスを専門にする英文学者による「英語」論である。英語教育論ではない。副題が、「思想」としての「英語」論。かなり小難しい議論が続く本で正直読むのが疲れる本ではある。ジョイスの「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ウェイク」は20世紀の英文学の金字塔だとか何とか言われているのは知っているし、学生のころからいつかは読破してやろう、とは思っていたけれど、今だに果たせていない。その準備の積もりというわけではないが、何となく表題が気になって神田の古本屋だったか、板橋の大山の古本屋だったか、仲宿商店街の古本屋だったか、原価3800円のところを1300円で随分昔に購入して読みかけてはうっちゃるを繰り返していた。拾い読みであっちをつまみ食い、こっちをつまみ食い。


サイードやベンヤミンやランボーやマラルメやアウエルバッハやデリダやフーコーやいろいろ出てくるし、内容をすんなりと理解することが難しく消化不良が続き、ジョイスに辿り着く前に眠くなってしまった。

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