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2019年3月29日 (金)

木瓜(ボケ)を詠んだ俳句、ブックサーフィン、肉じゃがつくり。

3月28日(木)晴のちくもり

6時過ぎに目覚める。ベッドの中で、「文人たちの句境」(中公新書、関森勝夫著)をぱらぱらめくっていたら、夏目漱石の「木瓜咲くや漱石拙を 守るべく」が目に留まった。木瓜とは我が家の庭に開花したボケだと始めて気がついた。実は昨日まで木瓜(ぼけ)の花がどういう花だか認識していなかった。この時期に咲く梅や桜のようにはもて囃されない花なのだ。漱石には「木瓜の花 役にもたたぬ 実となりぬ」という句もあるようだ。「拙」は己れの才を誇り、器用に世に処していくことと対局にあるもので、己れのあるままを頑なに守って世に処する生き方だという。

 

朝食:ハムエッグと笹かまぼこ、ご飯とミネストローネ。

9時過ぎ、父はいつものデイケアーに出かける。

私は銀行と郵便局へ。昨年12月のデイケアーセンターへの支払い分が口座引き落としできず未払いのままになっていて、その場合は、郵便局へ出向いて振り込むのだという。何とも面倒な話。私がいるからいいようなもの、老人だけだったらどうなってしまうのか。送迎に来ていただく関係者の方に現金を渡す方法も不可だという。最近よく買い物をするスーパーKの敷地にオープンしたばかりの新しい緑岡支所に立ち寄って手続きをした。

 

マーク・ピーターセン氏(明治大学の英語の先生)「英語のツボ」(名言・珍言で学ぶ「ネイティブ感覚」)を拾い読みする。

Petersen

"I am going to have you arrested," the driver said. (「逮捕してもらうよ」と運転手は言った)
"You may do that" I answered. (「いいですよ」と私は答えた)

米国の公民権運動で活躍した黒人女性ローザ・パークスの自伝My Storyに出てくるという文言だそうだ。

have you arrestedとget you arrestedの違いは何か。同じ使役動詞だが、getを使うと「逮捕してもらうには幾分か努力が必要だ」という
ニュアンスがあるという。これに対し、haveを使う場合は「警察に一言言えば、当然逮捕してもらえるよ」という暗黙の前提があるのだ
そうだ。

I am going toの代わりにI willでもいいのだが、going toの場合、willより脅迫めいた表現に感じられるという。

ローザ・パークスの返事だが、You can do thatでもかまわないけれど、mayを使うと、より品があって丁寧、本人のプライドが伝わって来るのだそうだ。上の立場で運転手に許可を与えるような感じだ。canの場合だと、くだけた感じが強いのだそうだ。タモリの「いいともぉ」みたいなものか。オバマ大統領のYes, we canというのもあったなぁ。英語って本当に難しい。というか、外国語はみなそうだ。それに、日本語だって・・・・。

 

昼食:ミネストローネで作ったリゾット、コーヒーにマーガリン・ブルーベリーのこっぺぱん。


今日は、月並みだが、肉じゃがを作る。ウーエンさんの中国風。だが、両親が香辛料(八角や花椒)は苦手なので省略。生姜と葱を使うのではなく、ニンニクと玉ねぎを使用。豚もも肉300㌘の塊を角切りに切り分け、オリーブオイルで両面を強火で焼き目をつけたら、砂糖(大匙1)、醤油(大匙4)、酢(小匙1)、酒カップ二分の一、水2カップで40分弱火で煮込む。途中アクを取る。さらに、ブツ切りにしたジャガイ(4個)モと人参(1本)、それぞれ皮は向いて水につけてあく抜きしたものとシイタケ8個を加え、20分ほど、だし汁が少しになるまで煮詰めて出来上がり。

夕食は、サバの文化干しの残りと肉じゃがでビールを飲む。肉じゃがの味は上々。両親は気に入ったようだ。私にとっては味が少し薄かった。甘味がたりなかった。砂糖を大匙2、味醂も少し加えたほうがよかったようだ。それに、玉葱はまるまる一個をジャガイモを加えるタイミングで入れてもよかった。最初に入れると溶けてなくなってしまう。

Nikujaga


木田元氏の対談集「哲学を話そう」を拾い読みしていたら、小林秀雄の文体はハイデガーに似ていると、木田氏が指摘する個所があった。「美しい花がある。花の美しさなぞは存在しない」という独特のいいまわしをした小林秀雄。これは一体何を言おうとしているのか。対談相手の三浦雅史氏によれば、小林はポストモダニストでありでデコンストラクション(脱構築)をしたのだという。フランスの反逆児であった詩人アルチュュール・ランボーの訳詩で独特の小林節を展開した人だが、彼の言説の裏には和辻哲郎を通して理解したニーチェがあるという。自分は、小林秀雄に影響を受けた世代ではなかったが、氏の文章が難解あることは知っている。氏が言うには、原因があって結果があるのではない。結果こそが原因なのだ。これって、何のこと? 歴史があって現在があるのではなく、現在が歴史の原因だという。人間は現在という結果から原因を導いている、云々。木田氏は、小林を読んだおかげででハイデッガーが理解しくなったという。

Kidagen

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