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2019年3月 2日 (土)

カワラヒワ、面接、朝鮮半島の続き。

3月1日(金)晴れ、時々曇り


5時半過ぎの目覚め。ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。

朝食:大ぶりの生イワシの塩焼き(半分)、納豆、緑野菜(ホウレンソウとモロッコインゲン)とご飯のお皿もり。



Photo


9時半、週一回の父のリハビリ担当者が来る。10時前、10か月振りにスーツ姿になる。ネクタイをつけてバーバリのコートを着てでかける。

面接先に早めに到着。広い敷地をコーヒーを飲みながら散策。植え込みでアカハラが1羽。大きな木の梢ではメジロやカワラヒワが群れていた。



カワラヒワ(インターネットの写真から)
Kawarahiwa1



面接は11時20分から30分ほど。総務部長さんは5前の勤務先で一緒に仕事をしたT先生をよくご存知だった。まず話題になったのは要求される仕事と私の経歴の大きなギャプ。話題は、勤務した二つの大学の比較論や大学の組織の特性、などになる。採用よりも折角来たからいろいろ喋らせてもらったような面接だった。12時前、終了。思った通りあまり期待できない感触。12時半過ぎに帰宅。


昼食:ジャケットポテトに半熟卵とバターと溶けるチーズに高菜漬けを添えて食べる。



Photo_2

トランプ・金会談の破談の衝撃の余波か、新聞とテレビの報道が次々出てくる。結局、金委員長の読みが甘かった。最初から完全非核化が前提になっているのに、 「経済制裁」の全面解除を寧辺核施設の廃棄のいで取引しようとしたのだからトランプ大統領が席を立つのも当然だ。トップ交渉で決めようと思っていたのだろうけれど、北朝鮮と民主主義国家の違いだ。北朝鮮は昨夜、声明を出して制裁全面解除ではなく一部解除を要求した、としているが、どっちが嘘をついているのか?


金委員長の面子は丸つぶれ(トランプさんもだが、非核化は長期化すると最初から言ってはいた)。北朝鮮は、今後のスタンスは変えない、と言っているらしいが、交渉は打ち切り、ということだ。意味するところは、現状は変わらずジリ貧になるだけ。中国やロシアが望む
のは、少なくとも西側に対する緩衝地帯として北朝鮮が存続することだ。核さえ完全放棄すれば、ベトナムのような改革開放と外国の資本が一気に投下されて、近代化をなしとげた韓国の支援のあるから近代化へのテイクオフは問題なくできるとだろう。ただし、毛沢東的な金王朝ではダメだ。金王朝に終止符を打ち、北朝鮮版の鄧小平さんが出てくれば、可能であろう。それでも、地政学の要請は北と南を分断したままだろう。FinlandizationならぬUkrainization(私の造語)で周りの強国の中で生き残りを図るしかない宿命。あっちにいけばこっち、こっちと思えばそっち。何という出口なしのジレンマ。

夕食:真鯛の兜の酒蒸しを作る。真鯛はあまり関東ではあまり好んで食べないと思う。魚好きの父が鯛料理をして子供時代の食卓に上った記憶がほとんどない。お祝い事でもらった塩焼きをあまりおいしくないなぁと食べた記憶だけ。社会人になって徳島県の鳴門市に仕事で出かけて、真鯛の刺身を食べたのだが、おいしかったのかどうかよく覚えていないのだ。


阿川弘之氏(広島出身)が食のエッセイで言っていたと思うが、西日本の真鯛は関東でとれる真鯛とモノが違うらしい。故に、真鯛は非常に珍重され食卓にもよく上るのだという。牛肉もそうだ。松坂、近江、神戸牛はすばらしい。玄人には上牛(かみうし)と言って珍重される。本日料理した真鯛ははおそらく関東産だろうが、インターネットで調べた調理方法を見て、見様見真似で作ってみた。塩を振って10分、熱湯でさっと湯がき、すぐに氷水につける下処理をしてから、昆布を敷いた皿に、タイの兜を乗せ、木綿豆腐とシイタケを添え、日本酒を振ってラップを被せ、今日はレンジを700ワットにセットしてで6分ほど蒸してみた。そして、日本酒の熱燗で一杯やりながら賞味した。めちゃくちゃ美味しいというほどではなかったけれどお酒の肴としてはなかなかの一品だった。うっかり、写真を撮り忘れ、気が付いたのは目玉も含めてすべてすっかり平らげた後のことだった。



ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。ムッソリーニのイタリアは、ヒトラーより一足先に政権を発足させ、ヒトラーがわざわざ会いに行った人物。しかし、そのイタリアも国力ではドイツのはるか後塵を拝していた。



1939年9月のドイツのポーランド侵攻直前(独伊軍事同盟は同年5月)、ムッソリーニは戦争不参加をヒトラーい表明している。英仏に宣戦布告したのはフランスの降伏が見えた1941年6月に入ってからのこと。火事場泥棒的な行為にドイツからはライオンの獲物をこっそりくすねるジャッカルと揶揄された。ムッソリーニは、当初はヒトラーと対等にやりあっていたが、次第に従属的な立ち位置となっていく。



1935年にエチオピアを併合したムッソリーニは、時代錯誤的なローマ帝国の復活を夢想した。フランスの降伏が目の前のタイミングで英仏に宣戦布告した直後、イタリアは、イギリスの数の上では劣勢なイギリスにより北アフリカのリビア(イタリアの植民地)を先制攻撃されるという失態を演じる。自国が英仏に宣戦布告したことを現地司令官は知らされていなかったという。



一方で、ヒトラーは、英国上陸を断念して対ソ戦を決断し、その布石として同年10月に、ハンガリー、ブルガリアを通ってルーマニアにドイツ軍が進軍したのだが、これも、外相チアーノが事前にドイツの外相リッベントロップから聞いていたにも関わらずムッソリーニに報告しなかったためだった。それを知らなかったムッソリーニは、不快感を露わにし、リビアからエジプトへの侵攻軍から一部を割いて、保護国のアルバニアからギリシャに侵攻するという迷妄振りで、結果的にいずれの戦域でも面子を失う負け方をしてしまう。



イギリスの地中海域でのプレゼンスを危惧したヒトラー(ルーマニアの油田への爆撃の足掛かりを作られることを危惧)は、ギリシャおよびリビアにそれぞれ空軍と陸軍(ロンメルの機甲師団)を送ることになる。ビーバーによれば、イタリアの戦力は第一次世界大戦時レベルにすら届いていなかった。


所謂、枢軸国だが、盟主のドイツはともかく、ペタン将軍のフランス・ヴィシー政権、同盟国のイタリア、内戦で支援をうけ政権を握ったフランコのスペイン、いずれもが、イギリスと戦うヒトラーにとって、大陸を一枚岩的に結束したブロックを形成するにはあまりに弱く、頼りになるパートナーには成りえなかったのが悲劇であった。また、ドイツ側もそのための努力をあまりしなかった事実は否定できなようだが。スペインのフランコ政権は、イギリスのジブラルタルやフランスのモロッコをかすめ取ることに興味はあっても、ドイツに組してイギリスや関係が深いポルトガルに対する戦線布告はしなかった(できなかった)

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