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2019年3月31日 (日)

近現代史におけるアメリカの特異性について

3月29日(金)曇り

6時半の目覚め。寒い。西尾幹二氏の「天皇と原爆」(新潮社)を拾い読みする。大学でドイツ語を学んだけれど、授業で使った文法のテキストは西尾さんが書いたもので実家にそのまま保存してあった。1983年にオランダ研修で東京のアパートを引き払った時にまとめて送った荷物にはいっていた。田舎の実家は引っ越荷物の物置場だった。

 

Nishiokanji-grammar

 

ニーチェの評伝やショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」の翻訳をだしているドイツ哲学の専門家でもあるが、保守の立場からの歴史と国際関係評論を幅広くを行っている。反アメリカ的・反中国的な保守派。どういうわけだか、独文を専門にした人には気骨のある保守派が多いような気がする。古くは「ビルマの竪琴」で知られる竹山道雄。高橋義孝、西義之、小堀桂一朗、等が思い浮かぶ。軟弱な!?仏文系とは大違い、というのは言い過ぎか。

アメリカ論の決定版というのは存在しない。アメリカとは何か。捉えがたい一個の謎である。氏によれば、アメリカは中世の経験がない、そして、ヨーロッパの宗教弾圧を逃れたプロテスタント派たちが作った神がかった宗教国家、それがアメリカだ、と。いまだに、大統領選に妊娠中絶やLGBTが争点になりアメリカの外交まで影響を及ぼすのだ。すれっからしの脱宗教国家群であるヨーロッパとは大きな違いだ。フランスのドゴールさんが、アメリカは国際政治のなかに道徳を持ち込むから困る、という趣旨の発言をしたことがある。

西尾さんによれば、アメリカの最大の敵は、イギリスだった、と。アメリカの起源はイギリスからの武力による革命=独立である。対ロシアではイギリスと手を組んだ。アメリカは、例えば、大英帝国の一部をなすカナダをロシア領アメリカ=アラスカ経由で南下するロシアの膨張の脅威から救った。ロシアからアラスカを買い取った(クリミア戦争の影響で財政難のロシアがアメリカに売却)。日露戦争も南下するロシアを排除して、満州での利権(投資)を狙って、英国の同盟国である日本を後押した。日露戦争とはロシア対英米の代理戦争だった。日本は勝利するも、アメリカの狙いであった満州の資本受け入れを日本が断固反対したために当てが外れ失望して、日本排除に方向転換することになった。

1867年にスエズ運河が開通するまでは、ニューヨークのほうがロンドンからよりも中国に到着する距離が短かった。というのも、当時、欧米からアジアに来るには喜望峰経由してインド洋をとおってくる航路を帆船で移動した。蒸気船の出現とスエズ運河はイギリス(を含むヨーロッパの地政学を代えた。紅海を抜けてインド航路を通りシンガポールから香港、あるいは豪州というシーレーンが出来て圧倒的に優勢になった。

ペリーが日本に来航した目的は、太平洋航路の開拓であった。イギリスに対抗するためにアメリカは、パナマ運河の開削を企図する。そのためにはカリブ海を制する必要がある。それには、キューバを取る必要がある。キューバを取るためにはスペインと戦わなければならない。スペインと戦うには海軍を拡張しなければならない。その結果が1898年の米西戦争だった。用意周到なアメリカは香港に艦隊を待機させ、フィリピン、グアム、サイパンも同時に取る手際のよさ。この年にアメリカは、ハワイ、ウェーク島も併合している。キューバとの開戦もどうやら自作自演で自国の戦艦が攻撃されたことを口実にして戦争をしかけたらしい。


19世紀半から20世紀初頭にかけてのアメリカは世界最大級の侵略国家だった。そのイデオロギーは、よく知られた「マニフェスト・ディスティニー」。アメリカがテキサスを併合した1845年から言われ始めたという。云わんとする真意は、領土膨張は神によって与えられた使命で、文明の普及とキリスト教の布教のため、という自己正当化のレトリックである。

19世紀初頭のナポレオン戦争の結果、スペインはガタガタになり、南米の国は次々に独立した。ヨーロッパ諸国はその独立を否定する動きを見せた(ウィーン体制)が、それに否を唱えたのは米国(モンロー宣言)であり、イギリスが同調した。スペイン帝国は17世紀の無敵艦隊敗北以来凋落の一途を辿ってはいたが、中南米と太平洋ではそれなりの力を持っており大英帝国でもいかんともしがたい地域はまだ残されていた(カトリックが優勢な地域)。明治24年=1891年に硫黄島の領有を宣言した日本に異を唱えたのはスペインであった。日本人が忘れてはならない視点として、西洋=白人社会=キリスト教の集団勢力の世界制覇の膨張はスペインのマゼラン世界一周以来、延々と続いているということ。

第一次世界大戦から第二次世界大戦までの約30年は、20世紀の「30年戦争」と言われる。いずれにおいてアメリカは最後の場面(第一次)又は途中(第二次)で参戦し、かつ、第一次の場合は、ウィルソン大統領が14ヶ条で目玉の民族自決主義をひっさげ、第二次ではルーズベルトがチャーチルと「大西洋憲章」を宣言して「正義」のイデオロギーにもとづき西欧列強の植民地主義を葬り去ったのだった。最大の狙いは大英帝国潰しだったのである。

本書は学術的な専門書でははないし、まだ全部を読み通していないが、大変刺激的で目から鱗の指摘が随所にある。こういう本は線を引き、書き込みをしながら何度も読み返したい本である。ちなみに、半藤一利氏の「昭和史」には通俗的なマルクス主義の善悪史観で書かれた内容だとして手厳しい。のみならず、学界の例えば加藤陽子氏や秦郁彦氏の著作も同様である、と。いくら学問的体裁としての個々の事実確定の証拠を固め羅列しても意味の解釈は、それを包むパースペクティブの問題でる。歴史は解釈である。解釈のもととなるパースペクティブをどこに求めるのかによって意味が判事絵のよに違ってくるのだ。国際間の出来事はアナーキーで善悪など究極的にはない、勝ち負けだけが判断基準となってしまうという気が滅入るような真実があるように思える。歴史は、第三者的な立場は必要であるけれど(客観性を担保するため)、究極的な意味は、自らの存在の内在的論理に立った立場からの意味付けをするしかないのだろう。戦後(もう73年が経過した)の日本で書かれる歴史叙述はアメリカとソ連(マルクス主義)の両方に配慮した叙述になっており、日本という主体が消え失せてしまっていると著者は嘆いている。

かくいう私自身は、冷戦崩壊までは、半藤氏と同じ左翼リベラルのものの見方へ疑義を呈することなく信じていた。あっけなく崩壊したベルリンの壁とソ連の崩壊。色あせた社会主義の理想を目の前にして、別に茫然とはしなかった。生活のための仕事が大事だったし、自分の快楽を求める生活に日々をうちやる日々だった。が、この歳になっても、まだこの世の生業に未練はあるけれど、自分と自分が生u6yyきた時代とは何だったのか、じっくり考えてみたいと思うのだ。

Nishio

 

朝食:納豆、笹かまぼこ、ご飯少々。
昼食:キャベツたっぷりのソース焼きそば、コーヒー
夕食:野菜カレー、ポテトサラダとサバの文化干し半分。

「会いたいぃ~、君に会いたいぃ~」のあのグループ・サウンズのオックスの萩原健一氏がが急逝した。68歳。自分はあまり見なかったけれど「太陽が吠えろ」のマカロニ刑事。

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