2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 北朝鮮の続き、コンマリとトランプさん。 | トップページ | ミネストローネ・リゾット、真鯛のスペアリブ。 »

2019年3月 5日 (火)

ウグイスの初鳴きを聞く! ブキャナンの本を熟読。

3月3日(日) 曇り



心待ちにしていたウグイスの初鳴きを聞く。6時過ぎに目が覚めてパット・ブキャナンの「不必要だった二つの大戦 チャーチルとヒトラー」を読んでいると、ウグイスの囀りが聞こえたような気がした。心が高鳴った。空耳か・・・本を置いて全身を耳にした。数秒おいて、「ホーホケッ」が聞こえた。まだおずおずとではあったけれど、うれしい囀りだ。駄句をひとつ:


「 初鳴きは ちょっと控えめ ホーホケッ 」


「ケッ」が中途半端のしり上がりで切れて、締めの「キョ」が聞こえなかった。



<ウグイス~インターネットの写真から>
Uguisu


朝食:ベーコンエッグと納豆にご飯とミネストローネ。


昼食:小倉デニッシュとアップルデニッシュを半分ずつ、それにコーヒー。このコーヒーは近所のT本さんから香典返しにいただいたドイツ製のコーヒー。


ポテトサラダを作る。ジャガイモが大好きな父は毎日朝と夜に食べるので欠かせない。


夕食:アサリの酒蒸しとポテトサラダでビールを久しぶりに飲む。メインは、トンカツ、ポテトサラダと刻みキャベツ。定食屋のトンカツ定食みたいなもの。トンカツは7つに切り分けて、2切れと1切れをそれぞれ父と母に。ただし、衣は取った。豚肉はやわらかかった。


夜、「不必要だった二つの大戦」を書き込みをしながらの熟読。この本は、内容的には大英帝国が「名誉ある孤立」政策を放棄して第一次世界大戦の開戦に踏み切ったことで、この後、第二次世界大戦を戦わざるを得なくなりいかに「大英帝国」を失ったか、という考察である。が、冒頭の「はじめに」でパトリック・ブキャナン氏が触れるとおり、21世紀初頭のアメリカの世界関与政策への疑念と批判にもとずく保守の立場からのアメリカ合衆国に対する警世の書である。


ドイツは1871年の統一以来、着々と国力をつけていたが、植民地獲得競争などイギリスの権益に対する挑戦ではなかった。英国にとってのライバルとは、中近東や中央アジアおよび極東でグレートゲームを戦っていたロシアであり、アフリカ、中近東、アジアで植民地の争奪戦をしていたフランスのほうが実はイギリスの権益を脅かしていた。普仏戦争でフランスを破りヨーロッパを統一したドイツ帝国の禍根は、アルザス・ロレーヌ地方を割譲したことで、フランスがそれ以来ドイツへの復讐を国是としたことである。


宰相ビスマルクは、天才的な外交政策でロシアを味方(ドイツに対する中立を約束させる)に引き入れ、フランスを孤立させる政治を展開していたが、ウィルヘルム2世皇帝に罷免された後の1890年代から様相が変わり始める。最初の衝撃が、仏露協商(1894年)。ドイツ
は西と東にそれぞれ巨大な陸軍を敵として対峙しなければならない状況になってしまう。


勃興するドイツ帝国の人口は7000万。一方のフランス帝国は4000万。単独では勝負にならないフランスはロシアにアプローチを始める。両面からの挟み撃ちである。(ちなみに、ロシアの鉄道開発にあたってファイナンスしたのはフランス資本である。鉄道とは軍隊の動員
をかける戦略的な重要なインフラであった。西部方面、つまり、対ドイツへの動員をかけるための鉄道敷設はもちろん、極東向けのシベリア鉄道開発もフランス資本の借款で作られたのだった)。


イギリスの外交政策は、「栄光ある孤立」(Splendid Isolation)で欧州大陸問題には直接関与しないことを基本にしていた。そして、大陸の勢力バランスが崩れた時に、弱いほうに味方して一国が欧州大陸を征服する事態を許さない方針を取っていた。



イギリス国王やロシア皇帝といとこ同士のウィルヘルム2世だったが、イギリス海軍へ挑戦を始めたことが英国を刺激した。ドイツ嫌いの海相チャーチルと外相グレイは、内閣の少数派ではあったが、フランスがドイツと干戈交える場合はフランスに組するという、非公式の軍レベルでの関与を始めていく。そして、実質的に、力の絶頂期で世界に君臨する大英帝国が、大陸の反ドイツでまとまる一方の側にコミットすることで、欧州において敵対する2大ブロックが形成されていく。


イギリスが「栄光ある孤立」を保っている限りこのような事態は避けられたし、仮にイギリス抜きの第一次世界大戦が勃発したとしたら、フランスはドイツに破れていたと思われる。同様にロシアもそうである。ロシアの場合は、イギリスが参戦しても、負けてしまったが、参戦しなかったらもっと早く敗れていただろう。イギリスは、調停者の役回りで介入し、もともとドイツ帝国は大英帝国との共存を望んでいたのだから、妥協の上に調停を受け入れたであろうし、ロシア革命が起きることもなく、ロマノフ王朝は残ったと思われる。


大英帝国(インド、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドも派兵した)が関与したことから西部戦線が膠着し、消耗戦となり膨大な人的被害を出し、結局、アメリカが調停者となってしまった。アメリカは共和国である。君主主義に疑念を持った平民の国である。



ウィルソン大統領の14か条(民族自決、等々)の公平性を信じてドイツは降伏したが、ベルサイユ条約はドイツとハプスブルクの同盟国を戦争犯罪国として、一方的に裁き、、これらの諸条項を骨抜きにした勝者側による敗者への一方的なリベンジ条約となってしまった。戦勝国は敗戦国と同様に、あまりの犠牲者の数と惨禍で国民はショックを受けており、とても、それまでの騎士道精神にもとづく寛大な措置をするという精神はまったく消え失せてしまっていたのだ。



Buchanan

« 北朝鮮の続き、コンマリとトランプさん。 | トップページ | ミネストローネ・リゾット、真鯛のスペアリブ。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 北朝鮮の続き、コンマリとトランプさん。 | トップページ | ミネストローネ・リゾット、真鯛のスペアリブ。 »