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2019年4月30日 (火)

読書はお休み。自然観察。テナガエビ釣りは空振り。

4月28日(日)晴

気温は相変わらず低いが五月晴れとなった。庭ではサツキの花が咲きだした。

Tsutsuji

Satuki

朝食:メバルの山椒煮、ポテトサラダ、カボチャ煮、ご飯。

逆川緑地を散策。キビタキ、センダイムシクイ、ウグイス、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロ、カワラヒワなどがそれぞれ賑やかに囀っていた。野鳥を観察しながら、昆虫観察や池のオタマジャクシ、小川の鯉を眺めたり。大きな一眼鏡で野鳥を観察するバードウォッチャーと遭遇、しばし、歓談する。

この方はオオタカを狙って来ているという。確かに、笠原水道の雑木林にはオオタカが居ついている。この時期になると毎年繁殖しているらしいのは自分でも知っている。水道の階段を上がった上の薄暗い雑木林の小道の奥で以前のことだが、ハトやカラスの羽が毟られた後を見たことがあるし、この時期によくだすキャキャキャキャァという鋭く甲高い声をよく聞いたものだ。冬場は悠々と逆川沿いに飛ぶ雄姿をよく見かけたし、先日もオオタカらしい声を聞いたような気がする。

Sakasagawakoen

15分ほど歓談するもオオタカは姿を現さなかった。鳴き声も聞こえず。気長に待つしかないだろう。猛禽が好きらしいので、千波公園の桜川沿いの上流の原っぱではノスリが観察したことがあることを話題にだした。と、言ってももう10年前の話。ご本人の話では、涸沼で今冬もオオワシを観察できたという。かつてはつがいで来ていたが、心ない人に一羽が銃で撃たれて死んだということで今は一羽だけらしい。逆川ではカワセミもよく観察できるのだが、最近は見なくなったという話。

スナップし写真:

オタマジャクシ 

Otamajakushi

テントウムシ

Tentoumushi

ミズスマシ

Mizusumashi

 鯉の群れ

Koinomure

昼前に帰宅し、ソース焼きそば、コーヒーの昼食をとる。

午後は、思い切って涸沼川に出かけた。テナガエビ釣りをやってみよう!という魂胆。セイゴは釣れているとの話なので、一応竿を2本も用意した。いつもの下流域のマイスポット。そろそろだと思っていたたが、オオヨシキリがやって来ていた。まだ枯草のままの背後の原っぱからオオヨシキリ独特のだみ声の囀りが聞こえてきた。セッカもヒヒヒッ、チチッ、チチッと声をだしている。

2000円ほど出費して竿と仕掛けを準備した。1週間前の青イソメが餌。まだ生きている。早速、護岸のテトラの中に仕掛けを入れて狙ってみたが、釣れるのはヌマチチブばかり。一度、小さなカニも。2時間半ほど戯れた。セイゴを狙った竿の鈴は一度も鳴らなからった。小潮で干潮寸前というタイミング的にはあまりよくなかった。16時過ぎ、セイゴ竿を片付けて、10分ほど、上流の護岸でテナガエビを狙ってみると、14㌢くらいのマハゼが釣れた。そのあとは、またヌマチチブのラッシュ。16時20分、全て川にリリースして家路についた。

ヌマチチブ

Numachichibu

マハゼ

Haze

夕食:ブリの照り焼きを作って肴にしてビールを飲む。他にお隣のYさんから差し入れがあったタケノコと鶏肉の煮物。

2019年4月29日 (月)

途中下車読書:「とどめの一撃」と「完訳 ナンセンスの絵本」

4月27日(土)曇り、時々晴

5時に目覚めて7時過ぎまで「裏切られた自由」を読み続ける。7時過ぎ、234ページ第34章までを読了。

ヒトラーのソ連侵攻の翌日、アメリカはソ連に対する禁輸政策(1939年12月のソ連のフィンランド侵攻と国際連盟の追放)を解除し、ソ連への援助を表明する。フーバーさんの批判は、ヒトラーのドイツもスターリンのソ連もどちらも全体主義の抑圧国家でアメリカ的自由主義を否定する独裁国家であって、スターリンを助けることでソ連が勝つということは、アメリカがソ連の抑圧国家をヨーロッパ(東欧)に広めることになるからやめるべきだ、というものだ。両者(同じ穴の貉)が消耗戦をやればいい、というのが基本的スタンス。しかし、現実は、アメリカも英国もソ連支援政策を推し進めていく。米英は、対ソ支援では一致していたが、発想の根本は違っていた。ルーズベルトは世界平和構想(米、英、ソ、中国)を実現するための政治的信念から。チャーチルは、ドイツを打ち破るために、ソ連に頑張ってもらわないといけないという計算から(強くなりすぎることに対してはすでに警戒していた)。

朝食:アジの干物、納豆、ご飯少々
昼食:五目野菜ピザとホットドッグ
夕食:メバルの塩焼き、豚ジャガ、タケノコ、トマト、鞘いんげんを肴にビールを飲む。

天気は回復したが風が強く冷たい。逆川緑地を1時間ほど散策したがキビタキが囀っていた。姿は拝めず。

第二次世界大戦に関する歴史の本に没頭しているが、膨大な事実のなかに飲み込まれそうになってきた。気分転換、ストップしていた本の整理
をしていて眼に飛び込んだ本2冊を手にする。

小説「とどめの一撃」(マルグリット・ユルスナール著、岩波文庫)を読み始めた。時代背景は、第一次世界大戦終了後の混乱期のバルト海に面したラトビア。赤軍と白軍の内戦を背景に繰り広げられるバルト系ドイツ人とバルト人で戦乱で両親を赤軍に銃殺された没落した貴族階級の姉弟の3人を巡る愛と悲劇の物語。

Todome

もう一冊は、「ナンセンスの絵本」(柳瀬尚紀訳、岩波文庫)。イギリス人エドワード・リアのリメリックの翻訳。リメリックというのはアイルランドの第三の都市(人口数万)だが、ナンセンスで定型の韻を踏んだイギリス独特の戯れ歌である。日本語への翻訳はほとんど無理ではないか、と思われるが、さすがは柳瀬氏。最初の一篇は斯くのごとし:

There was an Old Man with a beard,
Who said, "It is just as I feard !---
Two Owls and a Hen,
Four Larks and a Wren,
Have all built their nests in my beard!"

その人なにしろおヒゲがご自慢
「こんなことわしゃ馴じまん!
フクロウ二羽にメンドリ一羽
ヒバリ四羽にミソッチョ一羽
引っ越し気おってわしゃ不満!」

※私の注:ミソッチョはミソサザイのこと

始めての人は即座には笑えないだろう。全編、どこどこの誰かさんが△△△だったとさ、で始まり(起)、こんなこと、あんなこと(承と転)が
あって、どこどこの誰かさんは〇〇〇なんだとさ(結)となるパターン。5行で、各行の最後はaabbaのパターンで韻を踏むのがルール。最初からひとつひとつ読む本ではなく、思いつくままに開いて読むのがいい本。早速寝床において、毎晩、毎朝、気の向くままにめくってみよう、そういう本だ。

リアは、絵もうまかったらしい。特に鳥類の細密画。ちなみに本のカバーに同じ著者が描いた戯画が描いてあるが、一篇、一篇のリメリックにひとつひとつの戯画がついておりこれもリアの手になるものでなかなか楽しい。

ちなみに、リア氏は英国王室で絵画の指導をしたらしいが、王室の細密画のコレクションに感嘆して「どこでこんな素晴らしいものを手に入れたのですか」と女王に思わず尋ねたエピソードがあるらしい。柳瀬氏の遊び心による日本語のリメリックがこれ:

絶品かずかずリア氏驚嘆

「いったいずこでご入手されたん?」

聞かれておっとり女王陛下

はてさて何と答えてよいか

「なんのほんの遺産の一端」

日本の七五調といい、ちゃんと韻を踏んだ見事な日本語による戯れ歌(リメリック)ではないだろうか。これを英語にしたらどうなるのか?

Rimerick

2019年4月27日 (土)

寄り道で「第二次世界大戦下のヨーロッパ」を読了。

4月26日(金)曇り、一時小雨

5時に目覚めて7時過ぎまで「裏切られた自由」を読み続ける。

朝食:カレーライス、バナナ
昼食:ホウレンソウとジャガイモ入りのバジルパスタ、パイナップル

Bajiru

夕食:メバルの煮つけで赤ワインを飲む。今夜もジャガイモごろごろのカレーライス。

世間では、今週末から始まる10連休と平成が終わり「令和」時代にはいる秒読みで盛り上がっている。のだが、私には関係がなさそうである。元号が変わることについてはそれなりに感慨はあるけれど、連休は、特に予定もないし・・・。

寒さがもどって外出する気分にもならず、父がデイケアに出かけてから、2階で読書を続ける。本の整理を中断したままだが、ふと目に入った笹本俊一氏の「第二次世界大戦下のヨーロッパ」(岩波新書)を手にしてパラパラとめくると、まさに、「裏切られた自由」で読んでいる時期前後について日本人ジャーナリストが欧州にいてその体験を回顧しているではないか。読み始めたらこれがまた面白くてとまらなくなった。スイスのベルン、ブダペスト、独ソ戦開始後は、ドイツ軍の後方部隊のハンガリー軍の広報取材グループに入り東部戦線の取材をして、ソ連軍の迫撃砲の攻撃にあったり、イタリアのカプリ島、トルコのイスタンブール、ドイツ占領下のパリ、敗戦濃厚となったドイツの帝都ベルリンの日々など、自己の個人的な体験も交えながら新書本なので分量はそれほどではないけれど、戦後25年たった1970年に発表されたもの。

Sasamoto

食事と買い物の外出の中断をしながら、終日読み続けた。

ルーズベルトが構想した第二次大戦で勝利後の世界平和とは米・英・ソ・中(蒋介石の中華民国)の4大国による世界統治であった。肝心の中国はカサブランカ会談で招かれた後は、刺身のつま扱いで、実質的には、ルーズベルト、チャーチルとスターリンの3巨頭による世界分割のつばぜり合いとなった。チャーチルは、大英帝国を守ることを目的にヒトラーを破ることが当面の目標でスターリンと手を組んだだけで共産主義の危険性は十分理解していた。ヒトラーを倒すためならあえて「悪魔」との取引きも辞さなかった。

I have only one purpose, the destruction of Hitler, and my life is much simplified thereby. If Hitler invaded Hell I would make at least a favorable reference to the Devil in the House of Commons (「裏切られた自由」226㌻)

海千山千のスターリンも良く分かっていた。一方で、ルーズベルトは金持ちのボンボンで、スターリンが統率する共産主義に対して全くの無警戒ぶりであった。戦後から冷戦時代においては米ソ2大超大国とは言ったけれど、それまではアメリカの力が圧倒的に強かった。ルーズベルトは、アメリカの力でソ連の共産主義を御し得ると終始一貫しておおらかに考えていたようだ。何というナイーブさ。

ヤルタ会談からはスターリンとルーズベルトが手を組んで、チャーチルを抑える図式になっていった。チャーチルは、顔を真っ赤にして爆発しそうになるのを我慢する場面もしばしばで、ルーズベルトがとりなしつつスターリンの片を持ったようだ。

笹本氏は最後の章で、一番若かったルーズベルトが一番先に、ドイツ敗北前になくなったことを惜しんでいる。チャーチルと順番が逆だったら戦後世界はかなり違っていただろうと。ヤルタ会談で、ルーズベルトは健康の理由で判断力が極端に落ちてとんでもないしくじり(ソ連の日本参戦の取引材料としてあっさりとスターリンの領土的要求を認めたこと)をした、ということについては、否定的な見解を示している(文献も上げている)。つまり、あのような凄惨な実際の冷戦は回避できた可能性がある、ということを言っているのだが、これについては正直のところ違和感を覚えた。

独ソ戦開始の当初の3か月でソ連を蹂躙する予定だったドイツ軍だが、頓挫してしまう。いつもより早く訪れた冬と広大で道らしい道がないロシアの大平原は西部戦線とは勝手が違った。ソ連軍を蹴散らしてモスクワまであと少し(100キロ前後)に迫ったところで、ソ連は12月6日、新たな100個師団!の軍事力が投入されて主力に対する反撃を始める。6月22日のドイツによる攻撃がスターリンにとって驚きなら、12月6日のソ連の100個師団による反撃はそれに勝るとも劣らないドイツ側の驚きだった。ここでもうソ連の負けはほぼ無くなったということだろう(100個師団には極東師団のかなりの戦力が加わっていたようだ)。イギリスでもアメリカでも軍事専門家は短期でのソ連の負けを予想していたらしいが、チャーチルもルーズベルトもソ連は持ちこたえて長期戦になるとのコメントを発表(ルーズベルトは9月の段階ですでにこの見通しをもっていた)していたことは注目に値する。12月6日のソ連の反撃は真珠湾攻撃の前日(日本時間の12月8日未明はヨーロッパではまだ12月7日)であることもそうだ。ドイツがソ連を席巻することを見込んで(前提に)、英米に開戦した日本だったが、このタイミングは微妙である。ソ連の反撃がもっと早く始まっていたら、あるいは、日本の最初の一撃が12月8日ではなくあと一ヶ月後に予定されていたら、日本は真珠湾攻撃をしただろうか?

ノモンハン事件と独ソ不可侵条約が関連しているように、独ソ戦と日米開戦も密接に関連している。独ソ戦が始まった際にチャーチルは「これでイギリスは負けなくてすむ」と語り、真珠湾攻撃の当夜(ヨーロッパに参戦するかどうかはその時点未定)、チャーチルは「これで勝利する」と確信したという。独ソ戦のきっかけはポーランド問題で、英仏がポーランド保証をしたこと。真珠湾はハルノートによる日米交渉の手詰まり。それぞれの背景において英米の政策決定の裏には何があったのか。

余談だが、笹本氏が休暇でカプリ島に足を運んだ際に活きた海老と鱸のグリルが忘れられないという個人体験を語っている。カプリ島ではない
が私もイタリアのこの種の海鮮料理を味わったことがある。まったくの同感である。


夕食後、2階で最後の章を読み通し、笹本氏の著書を読了した。

 

 

2019年4月26日 (金)

キビタキの囀り、アカハナカミキリ、インド人とのトラブル。

4月25日(木)曇り、時々雨

1939年8月の独ソ不可侵条約について。

スターリンは英仏とドイツの両者から提携話しをもちかけられて、結局、英仏を袖にしてヒトラーと握手をした。条約の密約によりソ連はポーランドの東半分とバルト3国を手に入れた。ポーランド分割については、中立国であったこともあり、ドイツ侵攻から2週間後という念の入れようである。チャーチルは地政学的な見地からソ連による当然な行動として認めているが、胡散臭い。

いずれにしても、スターリンの動きはヒトラーのドイツが背後の憂いをかえりみることなく英仏と戦えるお膳立てしたのであり、ナチスの矛先を西側に向けることに成功したということだった。

スターリンは、犬猿の仲であるナチスに対してと同様に、帝国主義の実践者である英仏に対しても抜きがたい不信感をもっていた。英仏の対ヒトラー宥和政策とは、ベルサイユ体制を犠牲にしてヒトラーのドイツを対ソ攻撃に向けて後押しする腹黒い政策を意味していた。

そして、ポーランド問題で英仏がポーランドに保証をしたことで、英仏とドイツ両陣営が戦争状態に突入することが必至となった現状に付け入ったわけだ。帝国主義同士が戦い疲弊したあとに革命を実現して漁夫の利を狙うのが彼らの基本的な対外戦略である。国内では、粛清の嵐(自らの権力基盤を確実にするために内ゲバをやっていた)もあり、ドイツと干戈を交えるにはまだ十分に準備が出来ていなかったということもあっただろう。

「欧州情勢は複雑怪奇なり」として当時の平沼内閣は総辞職したが、あまりにナイーブすぎた判断であったろう。かくいう日本も、翌年には南進して英米勢力と戦うために日ソ中立条約を結ぶことになったのだから。

スターリンにとって1941年6月22日のヒトラーのソ連侵攻までは、欧州でも極東でもすべてが筋書きどおりに行っていた。


朝食:イワシの丸干し、ご飯、ポテトサラダ、バナナ

1時間半ほど、笠原水道界隈を散策する。残念ながら、コマドリは抜けてしまったようだ。キビタキは盛んに囀っていたが、なかなか姿を拝めなかった。新緑の香りがすがすがしく本当に心地いい。タンポポの花に群がる昆虫を観察していたら、赤い羽根のカミキリムシのような昆虫に遭遇した。インターネットでしらべたらアカハナカミキリというらしい。なかなか美しいカミキリムシ。

ピンぼけのスナップショット:

Akahana2

  帰り際、散歩に来た幼稚園児から声を掛けられた「おじちゃん、サヨナラぁ~」。かわいいなぁ。私は「おじちゃぁ~ん」だ。心では若者ではないにしても中年の積もりなのだが、60歳を超えたらやっぱり「おじちゅあ~ん」なのだ。

昼食:カツサンド、ポテトサラダサンド、コーヒー
夕食:ジャガイモと人参ゴロゴロのポークカレー

弟が支配人で務めるビジネス・テルにインド人(二人)が3日前から宿泊しているが支払いのトラブルがあって相談を受ける。予約していた部屋に相手側の旅行社の依頼で追加のソファベッドを手配していた。インターネットの精算システムから、部屋料金のネット精算は基本料金のみ可能で、ソファベッドの追加料金は本人が直接ホテルへ現場で支払う段取りになっていた。

問題は、到着した当日、チェックイン時に追加料金を徴収したが、部屋に入って顧客はソファベッドは必要ないと条件変更したことから発生した。当日分は取り消し料がかかるので1泊分のみ徴収して、7泊分のうちの残り6泊分はクレジットカードの返金をしたという。

ナイトシフトの従業員の対応もまずく、翌日以降の残り6泊分については徴収しなかった。翌日だが、改めて、シングル部屋に二人で泊まる場合は、二人目の宿泊者に追加料金がかかることを伝え、ソファベッドの半額相当の金額を翌日伝えて改めて支払いを求めたところ、本人が支払いを拒否しているという。

田舎のビジネスホテルで外国人対応に不慣れ。きちんと説明ができていないらしい。追加料金の根拠はエクストラのソファベッドであり、それを取り消して、単に、シングル部屋に二人で宿泊するからといって、どうし追加料金がかかるのだ、と白を切っているらしい。シングル料金は一人で泊まることを前提にした料金だ。シングルでも二人宿泊すれば二人目の朝食等の付帯料金がかかるということなのだが、本人は知らんぷりらしい。

話を聞いていて、自分が昔、インバウンドの仕事をして似たような支払いのトラブルをインド人で経験した記憶が蘇った。一筋縄ではいかない人たちだ。そもそも定価という考えがなじまない人だ。どのようにインド人に説明するか、英文を作って策をさずけたが、解決するかどうかはわからない。根負けしないで執拗に説得せよ、とアドバイスして幸運を祈った。

 

今日は日中は20度を超えて蒸し暑い一日だった。明日は、10度も気温が下がるという予報だから困ったものだ。

 

 

 

2019年4月25日 (木)

北朝鮮の手詰まり

4月24日(水)曇り、時々雨


5時の目覚め。「裏切られた自由」を読み続ける。盛りのついた猫の声。シジュウカラ、ウグイスの囀り。

朝食:鰯の丸干し、ポテトサラダ、三つ葉の卵とじとご飯少々。
昼食:昔ながらのソース焼きそば(キャベツをいっぱいいれた)
夕食:胡瓜とひき肉の炒め物、近所の方のもらいもののタケノコとひじき煮でビールを飲む。胡瓜とひき肉の炒めものはウーエンさんのレシピを参考にする。簡単な中華風のお惣菜だがこれがなかなかビールにあう。最後はご飯にかけて仕上げる。

Kyuri

2か月ぶりに床屋に出かけて髪の毛を切る。父の家系の遺伝を引き継いで30半ばから髪の毛が後退。まだ全体の三分の二は残っているけれど天辺から額にかけてはもうほとんどなくなっている。バリカンを入れてもみあげもなし。とにかく短く刈り込んでもらってさっぱりした。

天気が悪く時折雨がぱらつく。野鳥観察は取りやめ。終日2階でごろごろしながらフーバーさんの本を読み続ける。

北朝鮮の金さんがロシアのウラジオストックでプーチンさんと会談をするらしい。単純に考えると、核の傘をもらって体制保障をロシアなり中国にしてもらえばすむことではないか、と思うのだが何故そうならないだろうか。核を放棄すれば大きなご褒美(豊かな資金源の投資を呼び込める)が待っているというのに。それに踏み切れないのは、金王朝にとって核とは北朝鮮という国の安全保障ではなく、一族が国民にる自らの長年の失政と抑圧に対する報復を恐れているからではないのか。冷戦終了時のルーマニア、最近では、リビヤでの指導者の無残な死に様が怖いのだろう。

中国もアメリカも駄目ならロシアを突っついてみようということだろうが、金さんにとっては厳しい状況ではないか。同胞ではあるがアメリカの傀儡と非難される韓国は、北朝鮮にとっては中国にとっての香港みたいなものだ。半島を統一するのは北朝鮮であるという前提は変わっていないから、別に相談する相手とはならない。統一したときにうまくしゃぶればいいのだ、と考えているだろう。日本は経済規模からそれなりの大国ではあるけれど、地政学を担保する独立変数としてのプレーヤーではないので、これまた、相談相手とはなりえない。結局、アメリカ、ロシア、中国の独立プレーヤーの間を泳ぎまわるしかないのだ。それにしても、今のロシアと何かできる選択肢があるのだろうか?ウクライナの東部はロシア人が住んでいるけれど、北朝鮮にロシア人はいないし、聞くところによると、ソ連時代の貸倒れ金をまだ回収できていないというではないか。

2019年4月24日 (水)

コマドリとキビタキの共演にうっとり・・・

4月23日(火)晴

5時前の目覚め。「裏切られた自由」を読み続ける。外では盛りのついた野良猫の声。写真は、生ごみ出しにいって途中で遭遇した野良ネコ。2匹いるのは知っているが、メタボなほうのドラ猫だ。ふてぶてしさからすると絶倫パパ、オスだろうか。貫禄からするとやり手ババアの雌猫かも知れないが。

Neko

朝食:昨日の残り物(豚肉のしゃぶしゃぶ)とホウボウの山椒煮の残り物

今日も、双眼鏡をもって逆川緑地へでかけた。タンポポが咲き乱れているところで集まってくる昆虫を観察していたら、突然、ヒュルルルルゥ~とあの独特のコマドリの囀りに胸がドキリ!おお、来てるぞォ。姿が見たくて探したけれど、うっそうと茂る新緑の枝葉の奥深く隠れていて姿を捉えることはできなかった。五分ほどで静まりかえったが、30分ほどするとまた違う場所に写ってヒュルルルルゥ~と囀り始めた。今回も姿は拝めず。

インターネットからコマドリの囀り:(この囀りは、地元の駅で流されている)

https://www.youtube.com/watch?v=atjLGk8aoNc

すると、今度は、キビタキの囀りが聞こえてきた。何と、贅沢な!平地の雑木林では期間限定、まさに、いま、この時期にしか出会えない
キビタキとコマドリの共演である。とは、言っても、デュエットではなく、ソロが交互に新緑の若葉の香りがすがすがしい雑木林のなかで
あっちにいったりこっちにいったりしての囀りだった。

インターネットからキビタキの囀り:

https://www.youtube.com/watch?v=VeDV7qaQzVc

囀りの合間に、タンポポの花が咲き乱れる道端にやってくる小さな昆虫を観察する。手持ちのデジタルカメラでとりあえずスナップショット。

モモブトカミキリモドキのようだがちっちゃすぎて・・・。

Momobuto

キリギリスの仲間だとう思うが子供だろう。まあまあ良く撮れたほう。

Kirigirisu  

時計を見ると10時半を回った。囀りが一段落したので家路につく。姿を拝むことは出来なかったが、1時間ほどの楽しきバード・ヒヤリングだった。

昼食:ジャガイモとホウレンソウ入りのバジルパスタ。思った以上にグッドな出来栄え。両親に好評だった。

スリランカのテロはどうもニュージーランドの白人によるイスラムモスクへのテロに対する報復のようだ。憎しみによる負の連鎖。目には目を歯には歯を、がこれか・・・。

釣りにでかけることも考えたが、釣れる気がせず、2階のベッドで昼寝。そして、フーバーさんの回想録を読み続ける。

夕食:黒ソイの山椒煮、ポテトサラダと冷やしトマトで赤ワインを飲む。

 

2019年4月23日 (火)

アオダイショウに遭遇!

4月22日(月)晴

5時に目が覚める。7時まで、「裏切られた自由」を読みふける。

スリランカの自爆テロの死者は200名を超えたようだ。自爆テロというイスラム過激派の無差別攻撃は収束しそうもない。太平洋戦争の特攻隊は自爆攻撃だがあくまでも交戦国の軍事力がターゲットで正規の戦いだった。イスラムの自爆テロは陰惨すぎる。

朝食:ハムエッグ、タケノコご飯

9時に父がデイケアーに出かけた後、逆川緑地へでかける。焼酎ぐぃーと囀るセンダイムシクイはまだ羽を休めているようで囀りが時折聞こえる。30分ほどの散策だったが、何と、川の土手をのろのろと動くアオダイショウに遭遇。冬眠から覚めたばかりだろうか。動きは鈍い。蛇を嫌う人は多いが、自分には苦手意識はない。しばらく観察していると護岸の割れた隙間にゆっくりと潜り込んで姿を消した。キビタキ、オオルリ、クロツグミが来てないかなぁ、と1時間ほど粘ったが気配はなかった。

Aodaisho

帰路、銀行で用を足して、百貨店でオレンジ(父が飲むジュース用)と山椒と出来立ての天丼を購入して帰宅。

昼食:ハゲ天の天丼。天ぷら類はやっぱり揚げたてを食べるにしくはない。

「裏切られた自由」を読み続けていると、眠くなり1時間ほど昼寝となった。

夕食:豆腐とピーマンのチャーンプルとホウボウの山椒煮を肴にビールを飲む。仕上げは、豚肉のシャブシャブを生姜風味の酢醤油で食べる。

食後、父の好物のポテトサラダがなくなったので、また、1時間ほどかけて作る。大分腕があがった。スーパーで買う総菜よりもひょっとして上ではないか?というのは言い過ぎだろうが、家の味の好みに合わせて作れること、何より、コストパフォーマンスがいいこと、そして量を食べられること。

20時過ぎ、2階に上がり、「裏切られた自由」を読み続ける学術書の体裁をとっているわけではないので非常に読みやすい。1000㌻近い大著だが、イントラダクションの80㌻を読み終え、本編も90ページ近くまで進んだ。フーバーさんは歴代の米国大統領としては共和党で1期しか務めていないこと、後任のルーズベルトがあまりにも有名すぎることもあってかすんでしまっているのだが、どいういう人物か、まったく知らないことに今更ながら唖然として、とりあえず、ウィキペディアもチェックする。スタンフォード大学の一期生、専門は鉱物・金属学。鉱山開発に従事し、オーストラリアでの採掘業や義和団事件前後には中国でも仕事をしている。第一次世界大戦中は、ロンドンに拠点をおいて、戦争で大混乱の応酬の一般市民に対する食糧援助に従事して、そこから政界に進出していく。クウェーカー教徒。ニクソン大統領も確かクウェーカー教徒だった・・・・。第一次世界大戦停戦後、英国は対独経済封鎖を継続し多数の餓死者をもたらしたというが、フーバーさんはドイツへの食糧救援も行い飢餓を救った人。日本の敗戦後の食糧危機の際にマッカーサーにアドバイスしたのもこの人。現職の大統領としては1期で短かったが、敵対するルーズベルト政権とは距離を置いたが、トルーマン、アイゼンハワー政権時代にはこの回想録に取り組みながら、一方でそれぞれの政権のアドバイザーにもなっていた。1964年に亡くなったが何と90歳という長生きをした。

2019年4月22日 (月)

シャクナゲの花が開花。アオジの囀りも。

4月21日(日)曇り

このところ、毎朝盛りの猫の恋狂いの声で目が覚める。それから、シジュウカラが鳴き、6時前後になるとウグイスの囀りが始まる。庭ではシャクナゲが開花した。

Shakunage

見とれているとすぐ近くの柿の木の若葉の影からアオジの囀りが聞こえてきて陶然となる。

朝食:鰆の塩焼き、ご飯。それにバナナ。
昼食:ジャケット・ポテト、ホット・コーヒー。
夕食:ホウボウの塩焼きでビールを飲み、仕上げにタケノコご飯を頬張る。

少々気温が下がったこともあって、外出はせず、終日2階でハーバート・フーバーさんの「裏切られた自由」を読みふける。

スリランカで爆弾テロがあって大きな被害が出たらしい。今日はイースター・サンデーで多くのキリスト教徒が教会に出かけている最中のこと。スリランカの多数派は仏教徒で、少数派としてヒンズー教徒やイスラム教徒やキリスト教徒がいる。キリスト教徒を狙ったということは、地元民よりも欧米の観光客狙いだろう。教会とデラックスホテルが狙われた。イスラム過激派による自爆テロか。死亡者は100名を超えたらしい。

一方で、国内では高齢者の車による事故が多発。池袋では30代の母と娘が高齢者にはねられて死亡。大阪では再雇用のバスの運転者がやはり事故を起こして死者が出ている。

日本も海外も何とも痛ましい、やり場のない悲劇に見舞われていることか。

2019年4月21日 (日)

センダイムシクイが囀る! マルクスについての徒然草、釣りは空振り。アマゾンの怪魚。

4月20日(土)晴

5時過ぎに目が覚める。

朝の読書は、Paul Johnsonの「Intellecturals」のKarl Marks: Howling Gigantic Cursesの章を読む。意訳すれば、「マルクス、前代未聞の悪態つき」となるだろうか。

開高健の「眼のある花々」で、古典ほど読み通すことができない本はない、と触れるくだりがあったが、19世紀から20世紀をとおして世界を席巻したマルクス主義の古典中の古典「資本論」。まともに読み通せる人がいるのだろうか。

孔子の「論語」は別の意味で、読み通すのは難しい(そもそも、最初から順に読むように書かれているわけではない)。プラトンの「ソクラテスの弁明」は? ダンテの「神曲」は? 紫式部の「源氏物語」は?みな最初の数ページを捲ってお蔵入りである。つまみ食い的にしか大方の人には読めないのだ。

独善的で論争好き、喧嘩好き。プロイセンの本拠地であるトリエールで生まれたユダヤ人のマルクスは、高利貸しのユダヤ人を嫌う反ユダヤ的なユダヤ人だった。マルクスの本質は、詩人の魂と道徳的憤激にもとずくジャーナリスティックな扇動だ、と英国の歴史家ジョンソン氏は喝破する。過激派であるマルクスは、膨大な文献を渉猟して自己主張に都合の良いパーツを巧みにアレンジしながら扇動する才にたけていた。「資本論」もデータとメモを寄せ集めて作った一貫性のない未完の作品だった(マルクスがまとめたのはほんの一部)。アカデミックな世界を装う言葉使いをしているが、科学と自称するほどの根拠などなく、自分の主張に合わせるべく根拠となるデータの改竄はもちろん、データそのものも恣意的に取捨選択している、と著者は手厳しい。道徳律についても、自己中な人に共通する「自分は適用外」であり、自分の利益がすなわち、道徳となるのであった。

マルクスの著書の中に散りばめられた多くの名言はは本人のオリジナルではなく、他者からの引用であり、適材適所に配合して扇動の圧倒的効果をあげるのにマルクスは才能を発揮した。

「労働者は祖国を持たない」(workers has no country)と「プロレタリアートは束縛の鎖以外に失うものは何もない」(The proletarians have nothing to lose except theirchains)は、フランス革命のマラーの言葉。

「宗教は人民のアヘン」(Religion is the opium of the people)はドイツの詩人ハイネ(フランスのパリで客氏したドイツ系ユダヤ人)。

「万国の労働者よ、団結せよ」(Workers of all countries, unite!)はカール・シャッパー。


マルクスのオリジナルもあることはある:

「私は(目下)何者でもないが、(革命によって)万能者となるはずだ」(I am nothing but I must be everything)

「政治において、ドイツ人は単に頭で考えてきたことを、他の国民は実際に行動で示して来た」(In politics the Germans have thought what other nations have done)

「ブルジョワジーの結婚とは妻たちの共有である」(Bourgeois marriage is the community of wives)

 

マルクスの天才は、両者(他人の名言と自分の言葉)を絶妙に組み合わせた。特に、「共産党宣言」の最後のフレーズは超有名だ。

「The workers have nothing to lose except their chains. They have a world to gain. Workers of the world, unite !」

 

余談だが、マルクスのオランダに住む叔父さんにPhilipsという人がいるのだが、この人はあのオランダの家電メーカーフィリップスの創業者らしい。

 

朝食:イワシの丸干し、納豆、ご飯にバナナ半分。

ポカポカ陽気に誘われて何年振りだろうか、逆川緑地と笠原水道周辺を散策した。2年前の「ブラタモリ」でも放送された界隈だ。野鳥観察用の双眼鏡も持参した。

Kasahara1

Kasahara2

笠原水道の水源に近づくと、「焼酎グィ~ッ」と聞きなすセンダイムシクイの囀りが聞こえてきた。胸が高鳴った。例年、4月後半から5月上旬にかけて、東南アジアから渡ってくる夏鳥が標高の高い山地へ移動する途中に平地で羽を休める。そのタイミングで、オオルリ、キビタキ、エゾムシクイ、コマドリ等々がこの笠原水道付近では囀りを、運が良ければ、双眼鏡でその姿を観察することが出来るのだ。そういう期待があって、陽気にさそわれての散策だった。

センダイムシクイの囀り(インターネットから)

https://www.youtube.com/watch?v=SfMuoZnMsK4

結局のところ、今日は、このセンダイムシクイが唯一の収穫だった。留鳥のウグイス、アオジ、メジロ、シジュウカラも時折、盛んに囀っていた。それ以外には、シメ独特のピチッ、ピチッという地鳴きがところどころで聞こえた来た。コジュケイの「ちょっと来い、ちょっと来い」というせわし気な叫びも聞こてきた。

シメの声(インターネットから)

https://www.youtube.com/watch?v=gvFdUut6AG0

逆川緑地の土手を歩けば、ベニシジミ、ヤマトシジミ、ナミアゲハ、モンシロチョウ、モンキチョウが飛び回る。ミズショウブの花の写真をとっていると小さな黄土色のカミキリムシみたいな昆虫も一瞬だが姿を見せた。

Benishijimi

春たけなわの香りと風景にうっとりしながら1時間半、植物、昆虫、野鳥の囀りを楽しんだ。

昼食:ブルーベリー・マーガリンパン半個にトマトケチャップを使って作った昔ながらのナポリタン・スパゲッティ。

13時半過ぎ、車で那珂川へ。2時間ほど河口の少し上流(昨年、セイゴ釣りに足を運んだ)で竿を出した。水がぬるみそろそろ釣れてもいいかなぁと。先日、一階の廊下の補強工事をしてくれたTさんが那珂川河口でセイゴが釣れているという話もあったので多少の期待はあったのだったが、空振り、ボウズに終わった。まだ少し早いだろうか。

Nakagawa

夕食:鰆の塩焼き、ジャガイモとセロリの細切りのハム炒め、トマト、モロキュウ、ワサビ菜のおひたしなどでビールを飲む。

Sawara

夜、読書は休憩。BS3で「怪魚ハンター」を見る。前半は、アマゾン川河口でのターポン釣り。外道でイシモチやスズキやアンコウまで釣れる贅沢さ。後半の上流では、美しい模様を持つ淡水のエイや淡水のシーラカンスという異名を持つ古色蒼然とした怪魚や、赤い斑点が美しいバス、電気ウナギ、等が登場する。奇抜な野鳥や、大きな毒蜘蛛タランチュラ、巨大なバッタ、2㍍を超えるカイマン、。アマゾン川の豊かさは圧倒的だ

2019年4月20日 (土)

庭のモクレンが開花

4月19日(金)晴

日記を書きそびれているうちに一週間があっという間に過ぎてしまった。

先週末は上京。Yちゃん親子と一緒に食事をしたり、軽音楽部に入るので、エレキギターの購入に付き合ったり。出発の当日は春爛漫のぽかぽか陽気。歩いて地元の駅まで散歩したが、空にはツバメが舞っていた。

父の風邪が順調に快方に向かったので安心して上京したのだが、日曜日の夜に帰宅してみると、今度は母が風邪の症状になっていてびっくり仰天、病院騒ぎにはならなかったが、少々焦ってしまった。

三寒四温の寒も徐々に遠のき、もう初夏の予感。庭ではモクレンの花が今週火曜日から開花した。

Mokuren  

パリではあのノートルダム寺院が火災で大きなダメージを負ったとの騒ぎ。1976年の9月に、ドイツゼミ(3か月)の終わりに初めて訪れたパリのこの寺院はその後も、何度かパリに足を運ぶ度に目にしたエッフェル塔とならぶパリのランドマークだ。奈良の法隆寺が焼け落ちたみたいなものだろう。気の毒なことだ。

平成の残りも秒読みに入ったが、自分は相変わらず、ぶらぶら、家事のヘルパーをしながら、読書三昧で日々を打っちゃる日々で、この一週間は、ソ連の外交官だったグロムイコの回想録が面白くて他の本そっちのけで読みふけった。1909年に生まれ、1989年に他界。ロシア革命が勃発した時は8歳。共産主義ソ連とともに生き、崩壊する直前にに他界したある意味で幸せな人。ベラルーシの寒村(グロミキィ村、これがグロムイコさんの姓にもなっている)の半農・半工の家にに生まれた。お父さんは、日露戦争と第一次大戦に徴兵されている。

革命精神をごく自然に受け止め、共産青年団(コムソモール=ヒトラーユーゲントの共産主義版)に参加する。優秀さを買われ、上級の学校に進学し、とんとん拍子で最後はモスクワで経済学を学び、研究員になってすぐに、外交官のキャリアパスに入る。1939年ということは、弱冠30歳でアメリカ大使館に送られる。スターリンを始めとするソ連の指導部のサークルに入り認められ、ルーズベルト、チャーチル、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディー、ニクソン、カーター、レーガン、毛沢東、周恩来、ナセル、ネルー、カストロ、ダレス兄弟、キッシンジャー等、世界を動かした数知れない大物たちと半世紀に渡って渡り合うという稀な人生を送った人だ。

グロムイコさんは、根っからのソ連共産主義の信奉者であった。ソ連に忠実な立場で世界情勢を語りながらその時代、その場所で出会った人達
の寸評がとにかく面白い。芸能人では、エドワード・G・ロビンソンやチャップリンやマリリン・モンロー、はたまた、パリではあのピカソも登場する。

回想録が発表されたのはゴルバチョフのペレストロイカ時代でソ連崩壊直前のこと。この本が日の目を見たのは幸運だった。グロムイコは共産主義の教義に対する確信は最後まで揺らぐことなかった。あのあっけないソ連邦の崩壊に居合わせなくて幸せだったと言える。それは別として、子供時代のかすかに残る帝政ロシア時代のこと(一番恐ろしかったのは皇帝ツァーであり、その代理人である髭を生やした官憲と彼らが乗る馬具の鈴の音)回想シーンや、自分の読書体験(グロムイコ氏は無類の本好きだった)や最初の妻との出会いでの恋心の正直な吐露など、氏の語り口には、人間として率直さ、誠実さとそこはかとないユーモアが感じられて共感すら覚える。

キッシンジャー氏については、彼の非凡な能力を認めつつ、グロムイコ氏は、SALT交渉ではお互いの誠意が通じて成立したと思っていたのに対し、キッシンジャー氏が回想録で、いかに自分が相手を出し抜いたかを得意げに語っている箇所に違和感と幻滅を感じたと本音を吐露している。マルクス・レーニン主義者としてロシア革命の正義をを固く信じていたグロムイコ氏には結果がどうあれ、一貫した立場があったが、キッシンジャー氏には堅固な立場というものがなく、時と場合によって立場を180度変えるオポチュニストにして、相手を出し抜く油断ならない野心家である、との人物評価をしている。

それは、そのまま、アメリカという国の政策にも当てはまることで、それに対して、グロムイコ氏は失望を表明している。アメリカがそのままルーズベルト路線を踏襲していればまるで問題はなかったような願望的ビジョンを持ち続けていた。ヒトラーの裏切りにより独ソ戦が始まり、レンド・リース(アメリカのソ連に対する武器・食料の援助)がアメリカの議会で承認されたものの、実際に物資が届き始めたのは独ソ戦開始の1年後、つまり、ソ連が負けることはないことが分かってからのアクションだった、というアメリカの計算高さ(アメリカを動かしているのビッグ・ビジネスの都合)にもチクりとコメントしている。


国連創設のために1945年4月に開催したサンフランシスコで出会ったイギリスの駐米大使のハリファックス卿(ヒトラー政権に宥和的だった貴族政治家)については、彼はほとんど国連というものがどういうものなのか、とんと興味もなく理解していなかった、と皮肉っている。彼の話ぶりも、もったいぶっていて独特の装飾で散りばめられ、何を言っているのかさっぱり分からなかった、と。


アパルトヘイトで悪名高い南アフリカのスマッツ首相(オランダ系のアフカーンス)とのちょっとしたやりとりの挿話も笑える。

Smuts: You should be aware, Mr. Gromyko, that during the Boer War I took Chruchill himself prisoner.
(グロムイコさん、ブーア戦争時、私はチャーチルを捕虜にしたということ、是非ともお知り置きください)

Gromyko: That did not prevent you from becoming a prisoner of his politics later.
(そうだとしても、あなたは結局のところ、彼の政治の捕虜になることを防げなかったではないですか)

スマッツ首相はグロムイコ氏の非肉を理解していなかったようだと回想している。


スターリン時代の圧政による凄惨な犠牲についても回想録では正直に触れている。キッシンジャーの「On China」について香港政庁最後の総督だったパッテン氏が書評で、彼の中国との長年の外交の回想において、毛沢東が引き起こした内政上の惨禍について一言も触れていないないことに関して疑義を呈していたことを思い起こせば、その対比において人間としての誠実さにおいてはグロムイコ氏に軍配が上がるのではなかろうか。キッシンジャー氏はどこか無慈悲さがあり、それは、べリアに通じるものがあるのではないか、と勝手ながら勘繰りたくもなる。

スターリンのもとで、無慈悲な粛清劇の執行者であったべリアだが、スターリンの死後、ベリヤ(スターリンの粛清劇の執行者)は失脚した。
グロムイコ氏はひとつの挿話を披露している。それは、べリアが同じ社会主義国として仲間になった東ドイツについて「東独が何なのだ。ソ連軍の戦略的駐屯地以外の何物でもない」という冷酷で吐き捨てるような発言に対し、政治局の面々が唖然とし、反論し、一人だけ気まずい困惑に取り残される場面だ。その後、べリアは失脚、銃殺刑となった。

読了は本日21時41分、2階のベッドの中。なかなか読ませてくれる回想録だった。良質の文学作品を読んでその感動の余韻にひたるようなそんなほのぼのとする読後感に包まれながら就寝。

2019年4月13日 (土)

桜はまだ咲いているも、家籠りの一日。

4月12日(金)晴

5時前に目が覚める。今日もお天気だが、相変わらず気温は低い。

福田和也氏の「第二次世界大戦とはなんだったのか」を読了する。第二部は第二次大戦の指導者寸評。俎上にのったのは、ド・ゴール、ルーズベルト、チャーチル、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリン、蒋介石、東条英機。それぞれに、著者の才気が感じられる指摘があっておもしろい。

ルーズ・ベルトは大統領になるべくして大統領になった名門中の名門の人。およそ庶民の世界を隔絶した環境で育った人で、不可能なことはない(不老長寿を別として)、いわば、建前として存在しないアメリカの実質的なもっとも正統派の貴族だった。莫大は富というのは、母方のデラノ家が、19世紀半ば、中国のアヘン貿易で成した財産。片や、ソ連のグルジアで生まれた貧しい生まれでボルシェビキ革命に参画して持ち前の才覚でレーニンを継ぐまでに上り詰めたスターリン。二人は奇妙にウマがあった(トランプ大統領と金総書記の関係みたいなものか)。共通点がなく正反対のものが互いに引き合う磁力の源は、普通の人間たちの関心ごと、恐怖や喜怒哀楽に対するアパシーである、との指摘がなされているが、著者ならではの鋭い嗅覚である。正鵠を得ているように思える。


このところ毎朝のようにシジュウカラの囀りが聞こえる。アカハラ、ツグミの地鳴きも聞こえてくる。そして、スズメのチュンチュンという声。スズメの声が一番遅い。スズメは寝坊助なのだ、いつも、一番最後。一番の早起きは?カラスである。空が明らむ直前にもう塒を離れて朝の朝食に出かけていく。

7時過ぎにキッチンへ。夜中にときどき父の咳の音を聞いたが、母によると8度5分の熱を出したらしい。夜中の1時過ぎ。水枕をした。今朝は微熱があるが、一応咳は収まっている。朝食もしっかり食べた。幾分、ふらふらしている感じはあるが、意識はしっかりしている。

今日も一階の廊下の板の張り替え作業あり。午前中は、訪問看護師さんの取り計らいで、念のため近くのKクリニックの先生に足を運んでもらっ
た。インフルエンザではないとのことでほっとした。

昼食:バジル・スパゲッティ、コーヒー

車で市内の銀行へ。廊下の補強工事の費用(現金)の引き出し。作業に来ていたT氏と釣り談義をする。涸沼川でセイゴが釣れているという。2月からもう2か月ご無沙汰しているが、寒さに負けている。夜釣りのほうが数は出るというが、どうもまだ気がのらない。

まだ桜の花は今は盛りと咲き誇っているので散歩しようかと迷う。結局、2階の炬燵でじっとしてしまう。「グロムイコ回想録」を読み始めたら面白くてとまらなくなった。

夕食:豚肉・ジャガイモ・人参・ピーマンの細切り中華風炒めを再び作って赤ワインを飲む。

食後、父親が毎日たべるポテトサラダ作り。1時間ほど。母は、巨人対ヤクルト戦を熱心に見ている。いつのまにかプロ野球が開幕していた。が、どういうわけか、私の興味は薄い。巨人の選手はもうほとんど知らない。4番岡本?誰?という感じだ。長野選手はいつのまにか広島に移籍。わけがわからなくなっている。

2階で、「グロムイコ回顧録」を読み続けるが20時過ぎ、猛烈な睡魔に襲われベッドへ急行、就寝。

「第二次世界大戦とはなんだったのか」を読む。

4月11日(木)晴

寒さが続く毎日。朝の読書は、福田和也氏の「第二次世界大戦とは何だったのか」。

Fukuda

歴史家ではなく、文芸評論家による考察。仏文学が専門で、処女作はナチス占領下のフランス知識人でドイツに協力した人たち。セリーヌ、ドリュ・ラ・ロシェル、モラス等の対独協力者(コラボラテュール)に関するもの。文芸評論家特有のする鋭い感性と直感による歴史考察だ。専門の歴史家の著作はどうしもて事実重視で参考文献の山を渉猟し、事実を細かく正確に辿っていくもので地道な作業だ。そういう歴史書はそれはそれで面白いし必要なことだが、結局、歴史の意味、つまり解釈に関しては、どうしても論証の彼方へと飛躍しなければできない。正確な事実を洗い出し叙述することは必要要件だが、それだけでは歴史にはならない。その事実が意味するところは何なのだ、という解釈の提示こそ歴史の意味にほかならない。そう意味で私と同じ世代(少し若い)のこの著書はとても面白く、興味深く読んだ。

のっけから、第二次世界大戦よりも第一次世界大戦の重要性の指摘。長い歴史のタイムスパンから見れば、20世紀のイギリスに関しては、チャーチルよりもロイド・ジョージのほうが、政治家としての資質と実績では断然上だったという評価。

第二次世界大戦は第一次世界大戦の延長戦だった。ウィルソンのアメリカの登場とアメリカの伝統的な孤立主義の放棄は、世界のパワーゲームを根本的に変えた。それまでの国際関係は、欧州諸国の貴族コミュニティの利害調整であったが、理念を掲げた国際秩序を巡るアメリカ流の国家間のパワーゲームにとって代わった。

第二次世界大戦は何故起こったか? 

通常では、いわゆる、独伊日の持たざる遅れた資本主義国家が好戦的に既存の世界秩序に挑んだから起こったされるが、こういう理解はあまりに皮相的にすぎる。ドイツの要求は第一次大戦のウィルヘルム体制にくらべれば非常に抑えたもので、イギリスの権益をおかすことは一切なかった。日本の満州進出やイタリアのエチオピア征服等も、列強の世界秩序に対する致命的な挑戦ではなかった。実は、アメリカが望んだから、というのが第二次大戦の究極の原因だった、というのが著者の主張である。その狙いは?イギリスの世界覇権に代わって自らが世界の主役となって世界秩序を形成すること=イギリスの世界覇権システムを葬り去ること=欧州諸国の植民地主義の否定であった。

「大東亜共栄圏」を唱えた日本と「大西洋憲章」をとなえた米国は、ヨーロッパ勢力の植民市主義を否定するという点では同じ土俵にのっていた、とも著者は指摘する。(チャーチルは、苦し紛れに「大西洋憲章」は、イギリスの植民地には適用されない、という答弁をイギリス国会でした)。

では、何故、日米は中国をめぐって対立し戦争に突入したのか。究極の敵はイギリスの覇権システムを打ち破ることであったが、その目的を達成するために、中国大陸で英国と手を結んだほうが有利と見たからだという。英国の前に、天皇をいだく神道国家である日本を抑え込む(潜在的な極東のライバル)ためだろう。米国の中国に対する野心は、商業的なものに加えて、キリスト教の普及という期待もあった(クリスチャンの宋美齢の夫である蒋介石はキリスト教に改宗)。結果的に、著者がいうように、アメリカ(ローズベルト)が蒋介石の中国を過大評価して見誤っていたのだが。共産ソ連を同盟と見做し、援助を惜しまなかった背景には、君主制そのものに本能的に疑念をいだくアメリカが共感をもってロシア革命を見ていた側面があるだろう。しかし、あまりにもナイーブすぎたアメリカはソ連の本質を見誤っていた。冷戦とは、アメリカのイギリス追い落としのために仕掛けた第二次大戦での戦略的な誤りから起こったものだった。


朝食:朝からカツカレー!(昨日の残り)
昼食:ピーマン入りのソース焼きそば
夕食:エビチリ、ポテトサラダで一杯。ミネストローネ。

終日、玄関からキッチンまでの一階の廊下の板の張替え作業で業者が入る。築40年になる両親の家。2011年の地震では屋根瓦を少しやられただけでほとんど無傷だった。しかし、修繕は必要だ。キッチンの床は10年前に張り替えた。

ところで、父が朝からコホン、コホンと咳をし始めた。咳がやんで大丈夫かなとおもったらまた発作のように咳を繰り返す。午後になって様子がひどくなる。とりあえず、常備薬の咳止めを飲んでもらう。夕刻、少々効果がでたのか咳はだいぶ軽減されたようである。夕食(赤カレイの煮つけ)もしっかり食べることが出来た。しかし風邪の症状だ。4月6日にデイケアー先のすぐ近くの桜川の土手で桜の花見をしたことが原因か?それともこの二日間の異常な寒さによる影響か。季節の変わり目は要注意なのだが。

2019年4月12日 (金)

007ゴールドフィンガーのトリビア。ローズベルト大統領は本当に偉大な大統領だったのか?

4月10日(水)雨

昨夜は、「007ゴールドフィンガー」(1964年製作)を21時から見る。終わったのは深夜前。シャーリー・バッシーのこぶしの効いたテーマソングはいつ聞いてもすばらしい!シャーリー・バッシーはイギリスの都はるみだ。

初っ端のマイアミビーチで美女が金箔を全身塗られて殺されるシーンは何度見ても衝撃的でぞくっとする。美と死が隣り合った妖しさ。ゴールド・フィンガーのボディー・ガード兼付き人役、日系アメリカ人のハロルド・坂田は、アー、ウーしか台詞がないのは役回り上仕方がないのかもしれないが残念。イアン・フレミングの原作は読んだことがないが、ウィキペディアを見ると、役柄の名前はObdjoで韓国人である。アメリカのロケシーン(Obdjoが一人のマフィアを金の延べ棒と一緒に廃車・圧縮して残骸を持ち帰る場面の前後)で、当時のケンタッキー・フライド・チキンのお店が道路沿いに写っていたのも感激ものだった。レトロな感じの店構えがよかった。

悪役のゴールドフィンガーの名前は、ユダヤ系ドイツ人を連想させる。「金」とくればユダヤ人という揶揄が込められているのではないかと勘繰られそうだ。演じた役者はドイツ人のゲルト・フレーベ。英語が本人の訛りのため映画では台詞吹替だそうだが、ドイツで公開されたドイツ語版では吹替は本人がやったらしい。ドイツでは外国映画は吹替が一般的だ。1976年の夏、始めてドイツで3か月滞在したときにフェリーニの「アマルコルド」をドイツ語版で観た記憶がある。一緒に見に行った、ポーランド出身のリシャー君とぽっちゃり美人のバルバラは今頃どうしてるかなぁ。

このゲルト・フレーベが、少・青年時代にナチス党員だったことからイスラエルではこの映画の上映が禁止されたらしいが、本人の容疑が晴れて(戦争前に党籍を離れ、またユダヤ人を匿った事実による)から、解禁になったという。

全身に金箔を塗られて殺されたボンドガールの女性の妹が、スイスのジュネーブで姉の仇打ちにゴールドフィンガーを狙う役回りで登場する。これがまたなかなかの美女。本名Tania Mallet。名前が暗示するとおりイギリス人とロシア人のハーフ。この映画では3人の美女が登場する。最後の一人は、後半に登場するPussy Galoreというにやりとしてしまう名前で、ゴールド・フィンガー専属の女飛行士だ。この映画は3人おのボンドガールが登場する豪華版だった。

4度、5度と観れば映画のトリビアなところを余裕を持って見れるのがいい。そして、森繁さんの喜劇シリーズもそうだが、半世紀前の映像を歴史的な資料として見る楽しさがあるから何度でも見てしまうのだろう。それにしても、あのころ君はわかかった、ショーン・コネリーの若いこと。イギリスで封切になったのは1964年9月。東京オリンピックの直前のことだった。

今朝は、陰鬱で寒々とした雨が降っている。気温も昨日より10度近く下がった。冬に逆戻り。関東の山間部で積雪があった。

朝食:ブリの釜焼き、ミネストローネ、ご飯。
昼食:リゾット
夕食:トンカツで赤ワインを飲み、仕上げは野菜カレー。

今日は、寒さもあって終日炬燵でゴロゴロする。この寒いにも関わらず、終日、家の周りではウグイスが囀った。そんな囀りを聞きながら、「アメリカ大統領が死んだ日~1945年春、ローズベルト」(岩波現代文庫 仲晃著)を朝から読み始めて夜、20時半読了した。

Rooesveld

アメリカの歴史上初の4選を果たした大統領は彼だけ。しかし、4選のとき、すでに体はボロボロ。高血圧と心臓疾患等で任期を全うするのは無理だろうとわかっていたらしいが、国民には徹底的に伏せて当選する。そして、ドイツの敗戦目前の1945年4月12日、ローズベルトは保養先で脳内出血で急死する。63歳。しかも、その場にいたのは、永年の不倫相手ラザフォード夫人(かつての秘書)と少数の身内だけ(妻のエレノアは不在)。トルーマン副大統領がその日のうちに大統領に就任することになる。3時間弱の空白があったが。

ある時期まで、というか、いまでも基本的にはそうらしいが、アメリカのもっとも偉大な大統領と言ったら、ワシントン、リンカーンと並んで、ローズベルト大統領らしい。太平洋戦争の経緯もあって日本ではケネディーのような人気はない。アメリカにはいまだに「ローズベルト神話」というものが生きているという。彼を批判することは、アメリカでは「歴史修正主義」というネガティブ評価を覚悟しないとできないらしい。つまり、歴史家であれば、業界からつまはじき、最悪は、学者生命を失うということ。古くは、エール大学のチャールズ・ビアード教授(日本の国際派ジャーナリスト松本重治が師事した偉い歴史の先生)であり、下院議員でならしたハミルトン・フィッシュであり、ローズヴェルト大統領の前の大統領のフーバー大統領らである。フーバーさんの回顧録がスタンフォード大学の歴史家の編集のもとに出版されたのは何と2011年である。

ルーズベルト神話を形作る典型の例が、死亡した翌日の新聞報道であった。すなわち、保養先で死亡した状況の報道には、いっしょにいたもと愛人に関する事実は一切黙殺された。公然の秘密として戦後もずっとそうだったらしい。大統領批判の材料はすべて封殺されたという。

ここからは、著者の主張ではないが:

何故、英米が共産ソ連と手を組んだのか、という疑問がある。チャーチルのイギリスは、ドイツと戦う上で一人では太刀打ちできないという戦略的な理由からで、一時的な提携であったが、ルーズベルトは本気で戦後世界を米・ソ・英・中(蒋介石の中華民国)の4大勢力で世界を仕切り
平和を担保できると考えていたらしい。戦後の展開を考えれば、完全に間違っていた。ルーズベルトが4月12日に亡くならず第4期を全うとはいわずともあと1年だけでも政権を担っていたら歴史はどう展開していただろうか。死の前にローズベルトは側近にスターリンのソ連を読み違えていたという告白をしていたらしい。

第二次世界大戦でのアメリカのソ連との提携(武器援助等)は、共産ソ連の台頭と共産主義勢力の拡大を招き(東欧のソ連ブロックへの併合、
共産中国の成立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ革命等)、確信犯的に資本主義制度の廃棄と革命の為にあらゆる手段で破壊工作をしかけ
るとんでもない強敵を作り出してしまった。勝利してともに世界平和をもたらすという構想は最初から絵に描いた餅だった。あまりにも無防備すぎたローズベルト。スターリンに付込まれ、甘い汁を吸わせてしまった。冷戦を招いたのは明らかにルーズベルトの甘い見通しに基づく大チョンボだったのだ。第二次世界大戦に介入することで支払った人的及び物的コストを考えたら、時の政権は口を裂けても、間違っていました、ごめんなさい、とは言えなかった。皆が(政権もマスコミも)口裏を合わせたのだった。

この本の著者は、以上のようなことまで主張していない。偉大な独裁者であったルーズベルトの欠点として、トルーマン副大統領を鼻から相手にせずつんぼ桟敷においたこと、つまり、自分が万が一どうにかなった場合の後継者をきちんとそだてていなかったことへの批判を述べているにすぎない。

大統領の主治医がボンクラだったという衝撃的な事実がこの本で触れられている。しかも、12年と3か月ちょっとに及ぶ大統領任期期間中のローズベルトのカルテはどうもこの主治医がすべて廃棄してしまったというお粗末さ。ヤルタ会談でチャーチルに同行した英国人のの主治医はローズベルトの表情を見ただけで余命3ヶ月と診断していたというが、能天気で節穴の出鱈目な主治医が自分の失態を隠すべく廃棄したのか、それとも、大統領の職務に耐えられない健康状態であったにも関わらず、自分を引き上げてくれた大統領に取り入り、国民を欺くことに協力し、神話を守るための証拠隠滅だったのか、今では知る由もない。

また、著者は、「戦後」というのは、日本の敗戦(1945年8月15日)・降伏文書の署名(1945年9月2日)から始まったとするのは、日本中心の見方であって、グローバルに言うなら、独日の敗戦が見えてきた1945年前半のローズベルトの突然の逝去にともないトルーマン政権が発足した4月12日から始まったのだ、と主張している。

2019年4月11日 (木)

ウーエンさん流の野菜炒めがピタリと決まった。

4月9日(火)晴

6時前の目覚め。グロムイコ回顧録を1時間ほど読んで台所へ。

朝食:アジの干物半分、ベーコン・エッグ、ポテトサラダ、ご飯少々。

生ごみを出して戻るとウグイスが気持ちよさそうに囀り始めた。

BS放送で世界街歩き・リスボンをとぎれとぎれに見る。ポルトガルはこれまで縁がなく行きそびれてしまった国。いずれ、ハプスブルク帝国の旧跡を訪ねたり、ポルトガルやスペインなどの南欧にはぜひ足を運びたいとは思っているのだが、それまで健康で生きていたいものだ。

随分昔だけれど、「白い街で」(Dans la ville blance)といういい映画があった。1980年代半ばだったろうか。ある夜(多分週末)、それも、深夜、字幕スーパーで見た。一人の船員がリスボンの町にふらり降り立ち、故郷のガールフレンドと手紙を交わしながら、孤独のなかで気ままに街をたゆたう。食堂で働く女性と関係をもったりもする。極端に台詞が少ない映画だった。街の様々な風景が主人公の心象風景と重なり、日常のしがらみから一時的に身を離す機会が訪れたときに誰でも感じるほっとした安堵感の一方で、俺はこんなところで一体何をしてるんだろう、という、誰でも内省すると思いあたる自己の存在の不確かさと言いようのない不安。つかみどころのない焦燥。どういう結末だったかはもう覚えていないが、見終わったあとの何とも言えない余韻を今でもたまに思い出す。

昼食:ロースかつサンドを両親と半分こする。コーヒー。

BS放送で「いまそこにある危機」を見る。1990年代の映画。アメリカ政府の麻薬取締り政策と南米・コロンビアの麻薬カルテルがからむスパイ・スリラー。アメリカ合衆国という世界の富を独占する超大国と対照的な中南米の貧困振りと麻薬を媒介としたその持ちつ持たれつの関係。先日も、メキシコの麻薬王がアメリカで裁判にかけられていることが話題になっていた。

南米で思い浮かべるのは、バナナ、石油、コーヒー、穀物、アサード(牛肉を丸ごと電信柱で刺して丸焼き)、アマゾン川とパタゴニア、ジャングル、インディオ、ナスカの地上絵、インカ帝国、サッカー、そして、麻薬。麻薬産業は裏社会の資金源であり、もうかるビジネスなのだが、表社会と表裏一体の関係にある、と言ったら言い過ぎだろうか。麻薬取引きは世界の武力紛争の資金源だ。イデオロギーなど関係ない。右も左も中道も、表の秩序ある道徳的な社会の根本のどこかにかかえる暗部。東南アジアの黄金の三角地帯、アフタにスタン、トルコと並んで中南米は麻薬の一大産地・供給地だ。何せ、アメリカ合衆国という世界一?豊かな消費マーケットがすぐそばにあるのだから。

映画は、取り締まる側(米国)と取り締まられる側(コロンビアの麻薬カルテル)の間で繰り広げられる戦いの中で双方の関係者の癒着と裏切りを描く。主人公のCIAエージェントのライアンは、大きな権力の中で駒として見捨てられる仲間を助け、大統領を含む関係者の裁量による権力の乱用(Clear and Presnt Dangerを理由に認められた予算を権限を越えた不正使用)を糾弾すべく議会の公聴会で証言するところで話は終わる。

主人公のライアンの過剰すぎる正義感ぶりが、少々胃にもたれる感じだ。アメリカが正義をふりかざして他国に干渉する独善=偽善(正義は表向きで、対外干渉は自らの利益追求が本音)とは次元が違うのに敢えてそれと闘う姿勢を見せる主人公。現実の世界でそれは必要悪だと庶民は認め目をつぶるけれど、映画というフィクションの世界で留飲をさげる仕掛けなのだろうか。前日の「パトリオット・ゲーム」もそうだが、007シリーズに比較してこのあたりの道徳臭だろうか、見終わっていまひとつすっきりしない。それに、単に尻切れトンボに終わるエンディングも不満だ。


夕食:ウーエンさんを参考に、中華風の豚肉・ジャガイモ・人参・ピーマンの炒め物を作る。すべて千切りにする。豚肉は紹興酒と生姜で下味をつけ、小麦粉(本には片栗粉)をまぶしてさっと炒め、別のさらに取り出す。千切りにしたジャガイモと人参は下茹でする。フライパンにサラダオイルをしいて、ニンニク片(つぶしたもの)を入れて、香りが出たらピーマンと下茹でしたジャガイモと人参を強火で炒め、途中で豚肉をもどし、酒を振って中火で2分、3分蒸し煮して、最後に塩コショウで味を調えて出来上がり。これを肴にビールを飲む。仕上げは、アサリを使ったスパゲッティ・ボンゴレ。

<珍しくピタリと味が決まった一品>

Jabaimo-hosogiri

Asari

2019年4月10日 (水)

君子蘭が開花。「グロムイコ回想録」が届く。

4月8日(月)曇り

5時過ぎの目覚め。「暗闘」を読み進める。1階のリビングにいつの間にか君子蘭が開花。

Kunshiran

朝食:アジの干物、納豆、ご飯。

北朝鮮のピョンヤンで国際マラソン大会が開催されたとの報道。1000名近い海外からの参加者で日本人もいるという。旅行インバウンド業は、経済制裁の対象ではないことから、外貨獲得が目的のイベントらしい。私の以前の職場の先輩で日本全国のマラソンを走っている方がいるけれどまさか参加はしていないだろう。北京の代理店で15万でパッケージ販売していたらしいが、往復の航空券(北京経由)をいれれば25万前後か。決して安くはない。

昼食:きゃべつたっぷりのソース焼きそば。

ポトトサラダを作ったり、鶏と根菜(ゴボウ、ニンジン)の煮物を作りながら、BS放送で映画「パトリオット・ゲーム」を見る。

夕食:イワシの生姜煮、ポテトサラダと鶏肉の煮物(ゴボウ、鶏モモ、人参、玉葱)、ビール、ご飯。

アマゾンで注文していた「グロムイコ回顧録」が届く。待っていた本だ。ちょうど、「暗闘」のヤルタ会談からポツダム宣言のところと重なる部分を早速参照してみる。第二次世界大戦で世界の運命を決めたルーズベルトもスターリンも回顧録を残さなかった。唯一、長生きしたチャーチルがノーベル文学賞に値する証言を残しただけだ。グロムイコ回顧録はゴルバチョフ時代の最後からソ連崩壊という時期も幸いして出された?ソ連の権力中枢にいた外交官による権力中枢の内側から見た貴重な証言で実に興味深い。グロムイコにとってポジティブな印象を持った人物は、当たり前だがルーズベルトとケネディ。ネガティブは、トルーマン、アイゼンハワー、レーガン。ヤルタ会談では、ドイツ敗戦後の処理についての話がメインだったが、極東については、ルーズベルトが棚ぼた的なオファー(千島列島のソ連への割譲等)をスターリンに書簡の形で事前にオファーがあり、グロムイコは相談を直前に受けた。スターリンは大変興奮して、書簡を手にして部屋を行ったり来たりしたと記している。

Guromuiko

2019年4月 9日 (火)

桜は満開、耳に心地よきかな、アオジの囀り!

4月7日(日)晴

5時半過ぎの目覚め。今朝の読書も脇道にそれてフロイトを読み続ける。昨日に続き今日もポカポカ陽気だ。

朝食:身欠きニシン、ポテトサラダ、石窯パンとゴーダチーズ

気持ち良い天気に誘われて千波湖散策する。桜が満開。コブシの花はも咲き始めている。

<千波湖沿いの桜並木>

Sakuramankai

<千波公園から偕楽園の眺望>

Kairakuen-no-nagame  

<菜の花もまたよきかな>

Nanohana

<よく見ればスミレ花咲く道の土手>

Sumire

1時間ほどだったが、折からの陽気に誘われて?シジュウカラ、アオジ、メジロ、セグロセキレイ、ウグイスが囀ってくれた。特に、地味だが味のあるアオジの囀りは春に相応しい心和む声だけに、その場で10分ほどたち尽くして聞き入ってしまった。

<春先の低地での囀りというよりは遠慮がちなぐぜり>

https://www.youtube.com/watch?v=Lxh59QmW0Gg

 

昼食:スパゲッティ・ア・ラ・ジュノベーゼ、コーヒー

夕食:最後のイワシの生姜煮(賞味期限ぎりぎり)、タケノコのわさび醤油、ポテトサラダを肴にビール。

季節の変化に何事も手につかず。ただ、ただ、陶然として巡り来る春に身を委ねるのみの週末だった。

2019年4月 8日 (月)

4月になってようやく暖かい日が来た。

4月6日(土)晴、今日も風強し

朝の読書は、フロイトのジョークに関連した本読む。「The Jokes of Sigmund Freud - A Study in Humor and Jewish Identity」1986年の台湾旅行で買った本。複数の歴史の本(第二次世界大戦)に没頭しているが、膨大な情報に飲み込まれそうになる時は、オアシスでの休憩として、私はあちこち本のつまみ食いの寄り道をしてしまう。寄り道したまま、本道を忘れてしまうこともしばしば。フロイトの心理学、精神分析は、ユダヤ・ジョークと自身の夢との相関関係から多くのインスピレーションを得ているという趣旨の本なのだが、そういう分析はともかく、独特の自虐と捻りがあるユダヤ・ジョークをパラパラとページを捲りながら拾い読みするのはなかなか楽しい。

Freud

今日はポカポカ陽気で心地いい。三寒四温の「温」だ。

朝食:塩鮭、納豆、ご飯。

買い物。父が好物する煮魚がなくなったので、京成百貨店の食品階で赤カレイ(子持ち)を4切れ。今が旬なのか、すこぶる両親に評判がいい。

昼食:ペンネ・ノン・アラビアータ。

3月初めに処理した確定申告の調整が必要となり送られてきた書類に署名と印鑑を押して郵便局へ出しに行く。一ヶ月前に咲き誇っていた梅が散って、道端に菜の花やタンポポや名前を知らない青い花(フィネモラ?)が咲き乱れていた。

Finemora2

夕食:赤パプリカ・キャベツ・シイタケ・ベーコンの塩炒め、鯛のアラ炊き、イワシの生姜煮ででビールを飲む。

食後、2階で本を整理して出てきた小林秀雄の「考えるヒント」をパラパラとめくる。拾い読みするが、なかなかすっと読めない。高校時代に難儀した氏の評論は今も、どこか私にはよそよそしいままだ。波長が合わない。

21時からBS6で「007ドクター・ノー」を見る。1962年製作のシリーズ第一作。3度目か4度目だが21時から23時過ぎまで、また見てしまった。ボンド・ガールのアシュラ・アンドレス(ドイツ系スイス人)のビキニ姿見たさに。1962年当時、ロケ地はカリブ海のジャマイカ。

ウィキペディアを見ると、低予算で作った映画だが大成功となり以後のシリーズが作られることになった記念すべき作品。MI6(英国の諜報機関)の諜報員ジェームス・ボンドが戦う相手は、悪の頭脳集団「スペクター」。スペクター所属の科学者であるドクター・ノーは、ドイツ人の宣教師と中国人の母との間に生まれた混血の天才科学者。ナチの残党、アメリカのマフィア、日本のヤクザ、中国の秘密結等、世界にネットワークを張り巡らせる犯罪者の頭脳集団という設定だ。

来週火曜日はいよいよ待望の「ゴールドフィンガー」だ。

2019年4月 7日 (日)

長谷川氏の「暗闘」。黄砂。真鯛のアラ炊きを作る。

4月5日(金)晴、黄砂が舞い、風強し

4時過ぎに目がさめて眠れなくなる。中断していた長谷川氏の「暗闘」を少し読み進める。

ルーズベルトが1945年4月に突然亡くなって(愛人宅だったらしい)、トルーマンが政権を引き継いだが、ヤルタの密約はもちろん、原爆のことも知らなかった。ルーズベルトはある意味、民主主義アメリカの独裁者でもあった。さぁ、どうしよう、困った、困ったぁ、というのがトルーマンの心境だったろう。とは言え、ドイツの降伏、沖縄戦、本土攻略を視野に入れながら、原爆投下とソ連の参戦等日本をどう降伏させるのか(無条件降伏か条件付き降伏か)、4月から8月の日本の降伏まで歴史的に重要な決断を迫られる息詰まるようなドラマの日々だった。

トルーマンは、基本的にルーズベルト路線を踏襲はする考えであったが、ニュアンスまでは引き継げなかった。ポーランド問題をめぐって米ソの間に早くも不信感が芽生え、駆け引きが始まっていた。日本内部では、本土決戦による米国への一撃で有利な休戦交渉を期待する軍部(天皇も一時はそう考えていた)と敗戦は必至であり極力早く英米と手を打とうとする和平派が動き出す。戦後、戦犯に指名されて、裁判に掛けられる前に自殺した近衛文麿も、へたをすると、共産主義革命がおこりかねないと、昭和天皇に上奏する。宮中の侍従長だった木戸幸一は、天皇の英断だけが軍部を抑えられると考えていた。外務省は、ソ連が、日ソ中立条約の破棄をを4月に通告してきたものの1年間は有効であり、交戦国でないソ連を頼みに、降伏の仲介をすべく動き出すが、スターリンにとってはカモが葱をしょってやってきたも同然だった。のらり、くらり、参戦準備を最優先で推し進めながら、日本にはその気があるようなそぶりを続けて日本を欺き続ける。

スターリンの、というか日本という島国を除く世界では、「あざとさ」がなければ生きていけないのだ。それを知らない日本は初心さをとおり越したドアホだった。国際条約というのは事情が変れば破っても問題がないということ。条約破りを罰する上位機関とそれを担保する「物理的拘束力」は存在しないからだ。ソ連の日ソ中立条約違反を批判しても、ソ連の論理(そして今日のロシアのスタンスもそうである)は、独ソ不可侵条約でドイツに裏切られて自分たちは亡国の寸前まで行った先例があること、そして、ヤルタ会談で英米がソ連に対日参戦を要求したのだから、何が悪いのだ、というものである。独ソ戦で勝利はしたけれど、疲弊した国土と日本との中立条約をたてに断る選択肢はあっただろうが、スターリンは、一国社会主義ソ連の安全保障の要請を優先させる。この機会に取れる領土は取れるだけ取ってしまおう、というものだった。ヒトラーとスターリンの共通点は一般の庶民の生命を何とも思っていないこと(この点、日本の軍隊も似たり寄ったりだった)。スターリンは、対日参戦は日露戦争のリベンジであると国民を鼓舞した。ソ連にも今日のロシアにも日本に対する道徳的なやましさ、というのは一切ないと考えたほうがよい(むしろ、しめしめと思っているであろう)。


6時過ぎ、眠りに落ちる。目が覚めると7時10分過ぎ。ヤバい、朝食の準備をしなくちぁと飛び起きてキッチンへ。

朝食:鮭の塩焼き半分と鰯の生姜煮にご飯、キュウリとカブの浅漬け

生ごみ出しをして、9時から昨日の続きで「ファーブル昆虫記 南仏・愛しの小宇宙」を見る。今日の虫はハチと蛾。ハチには2種類あって蜜をすうハチと肉食のハチがいるが、テレビは肉食のほう。獲物を捕まえると掘った巣穴に持ち込んで卵を産み付け、穴を塞ぐ。孵った幼虫はこの獲物を栄養源にして蛹になって成虫となる。一匹の獲物に一個の卵だ。獲物は死んだのではなく、仮死状態である。このあたりをファーブルは野外観察によって確認したのだった。

蛾だが、テレビではフランス人はパピヨンと表現していた。蝶も蛾もパピヨンというらしい。雌の蛾がいかに牡を引き付けるかの観察。雌は蛹から成虫になった直後からお尻付近から強烈なフェロモンを発散して牡を呼び寄せ交尾をする。すべて夜に行われる出来ごとで、これは小諸市に居を構える昆虫写真家の海野和夫氏が赤外線カメラで見事に収めたが、100年以上前にファーブルが観察によって確認した記述を参考にした試みであった。電気はもちろん、赤外線撮影などという技術ががまだない時代、夜は真っ暗な時代にどのように観察したのだろうか。

昆虫たちが繰り広げる驚くべき生態は個々の生命体に授けられた本能によるものであって、ファーブルは交流のあったダーウィンのいう進化論には疑義を呈したという。ファーブルは、貧しい家の生まれ、父が商売に失敗、一家離散するも、成績がよく、学士号(数学と物理)の資格をとり、何とか小学校、師範学校の教員をしながら家族を養った。世俗的出世には無頓着、金銭的には恵まれなかった。当時の教員の給与というのは馬丁より低かったという。性格は頑固一徹、偏屈、意固地、だったが心優しい人でもあった。ファーブルの評価は本国フランスでは長らく無視されていたが、近年ようやく再評価が始まったらしい。フランスよりもむしろ日本でファンが多い(ファーブル昆虫記は隠れたベストセラー)だと、奥本氏が著書のどこかで語っていたと思う。

昼食:小倉デニッシュ半分、コーヒー、ジャケット・ポテト(熱々の皮つきジャガイモに酢とゴーダチーズをふりかけて)。

食後、道場さんのレシピを参考に真鯛のアラ炊きを作る。新ごぼうと一緒に、下処理した真鯛のアラを魚出汁で掛け汁を残す程度まで煮詰めるだけ。

Arani

夕食:アラ炊きとポテトサラダで一杯やる。新ごぼうがベリー・グッド。真鯛(松山産)の骨をしゃぶり尽してゼラチンの旨さを堪能した。

地元の桜が8分ほどまで開花したという。東京よりいつも一週間ほど遅いのだ。風が強く黄砂が舞っており今日は外出を控えた。FMラジオから流れる昨夜に続きバッハの音楽特集聞きながら、ネットサーフィンをしたり物思いに耽る。

2019年4月 6日 (土)

タケノコの初物で一杯やる。

4月4日(木)晴

今日も晴の天気だが相変わらず寒し。

朝食:イワシの丸干し、ご飯、緑野菜のおひたし

資源ごみ出し。8時過ぎ、ひとしきりウグイスの囀りを聞く。

ファーブルの特集番組をBS3で観る。ファーブル昆虫記の全集改訳を30年かかけて完成した奥本大三郎氏(仏文学者)と海野和夫氏(昆虫写真家)が登場する1時間半の楽しい番組だった。ファーブルが作曲したという「蝉」と「蟋蟀と蝶々」の曲が披露される場面も。昆虫の主人公はフンコロガシとシデムシで、彼らが子育てをする場所は動物の糞であったりネズミの死骸。まず、女性は見ないだろうなぁ。

テレビでは奥本氏が現地に足を運んでファーブルの足跡をたどるのだが、南仏の自然とその風景のすばらしいこと。一方の海野氏は、自宅を構える長野県の小諸市で、フンコロガシの産卵を写真撮影に挑戦する。フンコロガシは、光を浴びると、まったく活動をやめてしまうため、観察の鬼であったファーブルもとうとうその場面を観察することはできなかったが、海野氏は赤外線撮影を駆使することで、成功する。

写真は、奥本氏が翻訳した「ファーブル昆虫記」の縮刷版の第一巻と海野和男氏の昆虫写真集:

Fabre

昼食:リゾット、コーヒー

Yちゃんの入学式がお昼からあったと、ママからラインで写真とともに送られてきた。

夕食:鯛兜の酒蒸し、タケノコ、エビチリ(昨夜の残り)、ポテトサラダで赤ワインを飲む。タケノコは初物だ。スライスしてわさび醤油で食べたが、こんなにおいしいタケノコを賞味したのは記憶にない。本日のメインであった。

Takenoko

2019年4月 5日 (金)

朝からカレーを食らう。粋な弔辞:Do not rest in peace. Just rock and roll !

4月3日(水)晴

晴れているが気温は低い。地元は1℃という2月並みの寒さだ。

朝食:昨夜の残りのカレー。朝から香辛料の効いたカレー。朝からカレーを食べる人っているだろうか。

父が元気にデイケアーに出かけたあと、すぐに、K医院で両親の薬を処方してもらい、その後、三日ぶりに買い物(マカレイ、真鯛、身欠きニシン、イワシ等をごっそり仕入れる。

昼食:ジャケット・ポテト(チーズ、バター、塩、胡椒)とブルーベリー・マーガリンのこっぺぱん半分にイチゴ。

早速、マイワシを下処理して生姜をたっぷり使った煮物を作る。そして、父が帰宅するタイミングで、海老のチリソース煮を作る。これは、インスタントのソース(エビにまぶす粉もついている)を使ってできる簡単なもの。それでもそれなりに美味。冷凍エビを使ったが、次回は那珂湊漁港で大量のエビを仕入れてトマトを使った本格的なものをトライしようか・・・。

夕食:エビチリ、イワシの生姜煮を肴にビールを飲む。仕上げはリゾット。

内田裕也が樹木希林を追うように最近亡くなった。テレビでニュースを見ていたら、堺正章が内田から、「芸能界で長生きしようと思ったらヒット曲を出さないことだ」、と言われた言葉が忘れられないと故人を偲んでいた。お別れの会の場面が映され、誰だか女性が弔辞を読んでいる。それが、”Do not rest in peace. Just rock and roll !” 粋な弔辞に、思わず感心してしまった。

2019年4月 4日 (木)

「天皇と原爆」を読み続ける。

4月2日(火)晴、後曇り

朝食:笹かまぼこ、マイワシの生姜煮半分、ミネストローネスープとご飯少々

朝刊の第一面は新しい元号「令和」の報道一色。4月1日は欧米ではエイプリル・フールだが、西オーストラリア不動産協会=The Real Estate Institute of Western Austraria (REIWA)は、日本の元号を歓迎するとの声明を発表したらしい。ジョークではないという。米国のオバマ大統領が初当選したときに、福井県のObama市が話題になった。名前の偶然の一致というやつ。元号は地球上で日本にしか残っていない、らしい。元号には西暦と違ってある時代のポジティブ・ネガティブな様々な出来事を含めた意味を象徴する働きがある。キリスト教的な未来の最後の審判にむけてひたすらすすむ時間に寄り添って生きる人たちにはぴんと来ないものだろう。

昨日ハッスルしすぎたのか今日は体がだるく物憂い気分。午前中は、ベッドに潜り込んで西尾幹二氏の「天皇と原爆」を読み続ける。あっちの章をよんだりこっちの章を読んだり。午前中で9割がたは読了した。

 

「政教分離」について

今日の日本では、国家権力から宗教を守って、宗教に自由を保証する意味合いで理解されている。

欧州はまったく違う。法王庁=教会の政治的圧力から近代市民社会の自由を守る、宗教権力から国家(世俗権力)を守るという意味合いだ。しかし、カトリックとプロテスタントの血で血を洗う17世紀の宗教戦争が起きたため、信仰は個人の内面でプライベートな部分に限定、政治は、信仰の違いを超えた公共の場とする合意を形成していく。つまり、宗教は政治に干渉しないことが原則となり、啓蒙主義の展開により19世紀には脱宗教の合理化が進行=宗教の世俗化が進んだ。

アメリカのそれは、欧州と異なって、「政治」と「宗教」の分離ではなく、「国家」と「教会」の分離である。宗教の自由を求めてやってきた移民が作ったのがアメリカ。キリスト教の分派は相当数あって差別できないこともあり国家権力が特定の分派と特別の関係になるらないようにしている。新教の国だがカトリック信者も7千万人近いし、4百万近いユダヤ人もいる。憲法にゴッドが出てくるが要は聖書を共有する人たちのゴッド。イスラム教徒も聖典の民だがどうも仲間外れにされているように見える。欧州の宗教戦争のような悲惨な内戦を経験せず、啓蒙主義を通りぬけた脱宗教=合理主義の洗礼も受けていないアメリカだ。ダーウィンの進化論もいまだに問題となっているらしい。そのアメリカは、憲法のゴッドが想定している聖書を共有する民には寛容だがそれ以外の異教徒に対しては非寛容である。そして、実際のところ、宗教が政治に及ぼす影響はヨーロッパに比べてはるかに強い。イスラム世界の宗教と政治の一体化まではいかな
いにしても、アメリカは宗教的に原理主義者である。


「民主主義について」

民主主義は消極的な政治概念で、独裁国家でないとうことが民主主義。やりかたは様々。ギリシャの民主主義、アメリカの民主主義、日本の民主主義、巧拙の程度、成功不成功の程度はあっても、それぞれは等価である。

北朝鮮は国名に民主主義とうたっているが金王朝の独裁国家なのでこの定義から言えば看板に偽りありとなる。シンガポールは極めて行政権力が強いが独裁国家ではないので民主主義になる。ロシアもいちおう民主主義に入るだろうか。中国は?共産党独裁国家だから民主主義ではない・・・ということになるだろう。しかし、中国は国も国民も民主主義にこだわっているようには見えない。自分たちがいい生活ができれば、お金もうけができれば、どんな政治だって受け入れる。共産党を批判さえ批判しなければ、ある意味では日本人以上に自由な生き方をしているように見える。独裁も悪くないではないか。

中国問題は、現在、国力の膨張とともにアメリカの覇権に挑戦をしていることから起こっている。やめればいいのにと本当に思う。それさえなけれれば、世界の経済に多大な貢献をなして歓迎されるはずなのだが。そうできない力学がやはり働いているのだろうか。脱線するが、資源の希少性の問題、平等には行きわたらない問題がある。中国とインドが先進国並みの豊かさを達成するということは、間違いなく資源価格が高騰する(もうすでにそうなっている)。何らかの技術革新によるブレークスルーがなければ(エネルギー関連で)。

脱線したが、民主主義にも欠点が山のようにある。非能率、無定見、衆愚政治になりかねない。いい民主主義と悪い民主主義がある。それと同じでいい独裁国家と悪い独裁国家がある。ここまで西尾さんは言ってないけれど。


「第二次世界大戦は西欧の内戦であって、日本の戦いは別次元の自衛戦争だったこと、について」

氏はナチスのドイツと軍国日本を同列にして平和に対する罪をおかした侵略者として断罪することに異議を唱えている。第2次世界大戦というのは、ドイツを中心とする勢力と反ドイツ連合(イギリス・ソ連・アメリカ)による西欧文明諸国の「内戦」である。ナチスがユダヤ人等を含む虐殺を行ったことで、ドイツは人類に対する犯罪を犯したとして、事後法という問題はあったが、ニュルンベルク裁判で裁かれることとなった。

しかし、日本の戦争は断じて侵略ではなく、自国の安全保障のための自衛戦争だったのであり、それも、ドイツに対抗するために、共産ソ連と手を組む必要が生じた英米の都合で、理不尽な、特に、アメリカが日本に対し謂れのない圧力を掛けたので、日本は戦いを挑んだのである。真珠湾攻撃の戦略的な誤謬の問題は別として、初っ端の戦果に日本人が胸のつかえが取れる思いをしたのはそうい欧米白人国家群による理不尽で身勝手な自己欺瞞に対して一時的にせよ鬱憤を晴らしたからなのであった。欧米の白人の前で屈従を強いられていたアジア人が密かに喝采をした例は枚挙にいとまがない。

どちらが侵略者だろうか、という問題は、16世紀からアジアに進出した西洋諸国(遅れて参加した米国を含む)のほうなのである。400年のタイムスパンで見たら断然そうである。彼らは、未開の野蛮人を文明に導く神の使徒として、植民地主義は彼らに善を施すことなのだ、という誠に自己に都合の良い勝手な論理で侵略し暴利をむさぼったのである。日本裁きは、欧米の白人たちのプライドをずたずたにした日本に対する復讐であり、リンチであった。負けた日本の弱みに付け込んで、自分たちの罪業を日本に一方的に押し付けるという甚だ傲岸で欺瞞に満ちたいけずうずうしさなのである。太平洋及び極東、東南アジアで繰り広げられた戦争は、人種間闘争、文明の衝突であったのだ。

概ね、このような論理なのだが、これは、林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」を始め、GHQで発禁本で没収されてしまった戦前・戦中の日本の識者による主張にそったものである。真理をついているけれど、では、これは、国際的に(といことは「英語」での言説が支配する世界)認定されたものではなく、公の場で主張すれば「歴史修正主義者」のレッテルを張られるのであろう。

この問題では、歴史にとどまらずエドワード・サイードの「オリエンタリズム」等のごとく、非西洋世界側から西洋の言説一般に対し様々な意義申し立てがなされている。しかし、批判される当事者の例えばイギリスなどのアカデミズムなどは、例によってどっちなんだかわからないレトリックを使って非英語国民をはぐらかし(膨大な公平性と客観性を装った論理を展開しながら)ながら自己正当化を続けていると思う。

西尾さん曰く、「歴史は善悪の彼岸にある」ものなのだ。自分の存立の名誉にかけて謂れのない中傷や圧力には受けて立って反論し、自己の正当性を主張してこそ、そこに真実が滲み出てくるのだ、と。戦後の日本の歴史学会は、それを放棄してしまった。去勢されてしまった。GHQの焚書(発禁)があった。和辻哲郎の「アメリカの国民性」もその一冊だ。戦後の日本人は、アメリカとソ連(マルクス主義)の双方かいずれかに媚びを売る言説しかせず、本来の日本の立場を失ってしまっている、と嘆いている。

 

昼食:ソース焼きそば(隣のNさんから春キャベツをいただいたのでたっぷり塩ゆでしたものを混ぜて)

夕食:いただきものの葱とキャベツをふんだんに使った野菜カレー(ベーシックはミネストローネ)。酒肴はビールと春キャベツのベーコン&ハムのオリーブオイル風味の白ワイン蒸し(要は、オリーブオイルとニンニクで炒めて、白ワインを振りかけて蒸して、塩コショウしたもの)。

日が長くなった。17時半を過ぎてもまだ明るい。戸締りをしたついでに玄関の郵便ポストを覗いたら「The Last Days of Mankaind」が届いていた。

 

夕食後、2階で日記を書いたり、1階の洋間で届いたばかりの本のカール・クラウスの本のIntroductionを読んだりした後、21時からBS6で「007ロシアより愛を込めて」を見る。007シリーズ中のベストワンとしてこの映画を上げる人が多い。観るのはたぶん3度目だろうか。イスタンブールや、そこからベオグラードを経由してトリエステまで行くオリエント急行列車の旅のシーンのロケが美しい。1963年の製作。個人的に一番好きな「007ゴールドフィンガー」の製作は1964年。英国のMI6とソ連の諜報部を手玉にとろうとするスペクターとはいったい何なのだろうか。グローバルレベルで展開されるアナーキーな闇の犯罪組織。19世紀だと、シャーロック・ホームズの物語にでてくるモリアーティ教授の犯罪組織があるけれど。

2019年4月 3日 (水)

カラスミの美味しい食べ方。新しい元号が決まる。

4月1日(月)晴、後曇り

朝の読書:

邱永漢の世界グルメ紀行をパラパラ捲っていると昨夜テレビで見たボラの話が出てきた。カラスミのこと。魚卵といば、日本ではイクラとタラコ(明太子もあるが私はタラコ好み)。西洋ならチョウザメの卵であるキャビア。カラスミは地中海沿岸では食べるようだが、邱永漢さんの出身である台湾の食べ方は読んでいて本当においしそうだ。

① 食べる分だけ切って薄皮をはぐ。
② 火箸か、串にさして強火で表面だけバリバリと焼く(炭火かガス。電気コンロや火が弱すぎ)。中は生にすること。
③ ニンニクネギ(普通に葱の白い部分か大根の短冊切りで代用可))を薄切りにしてこれを挟んで食べる。

食べることに人生の大半の情熱を傾けたという父親に子供のころ教えられた食べ方だという。実においしそうな感じが伝わってくる食べ方ではないか。

Gurume


朝食:笹かまぼこ、ポテトサラダ、ミネストローネ、ご飯少々、イチゴ

朝から、本日発表される元号でテレビもラジオも盛り上がっていた。お昼前、「令和」と決定したことが放送された。万葉集からとったという。日本の元号はこれまで中国の古典を典拠にして来たので、画期的なことだ。とは言え、漢字を使っているし、中国離れしたということにはならないと思う。「やまとことば」で元号を表記するのはちょっと無理だろう。抽象的・普遍的概念は漢字かラテン語・ギリシャ語かはたまた
サンスクリット語等々、古代文明にそもそも淵源があるからだ。

昼食:リゾットとマーガリン・ジャムのコッペパン

今日終日、本の整理をしながら配置換えをする。ブックオフにかなりの数の本を持ち込んだが、市場価値はなくたったの275円。これなら、廃棄しても同じだ。時局を扱った評論は賞味期限が短い。単行本だろうが文庫本だろうが古典レベルの本だと値段はそこそこつくようだ。古典的なものはちゃんと値段が付く。と、言っても数十円、100円、200円、300円とかそういう具合。先々週に売った「サブリミナルマインド」(中公新書)は300円で引き取ってもらった。

夕食:マイワシの生姜煮、ポテトサラダと春キャベツとベーコン・ハムの炒めものを肴に今日もビールを飲む。仕上げはご飯二口と具沢山のミネストローネ。マイワシの生姜煮は道場さんのレシピ、魚出汁とたっぷりの生姜を使って煮汁がなくなるまで煮詰めるだけという簡単な料理。2時間ほど寝かしてビールの肴にしたが、ベリー・グッド。今度は大量に仕入れて沢山つくろうと思うほどの出来栄えだった。

夜:2階の和室の一角を占める釣り道具を片付ける。よく考えると日本の和室の特性である押し入れをうまく使っていない。部屋はシンプルに畳だけの部屋、窓際の下のスペースに本の棚を置くだけであとは押し入れスペースに収納するということを考えないといけないなぁ、と思いつつ、それよりも分量を減らさないことにはと、2時間近く作業をする。

終日、2階の洋室と和室と1階を行ったり来たり、本と棚をあっちこっち動かしたりで埃っぽくなってしまった。普通は日記を書いて寝るのだが、その気力もなく、ベッドに潜り込んで就寝したのは23時をまわっていた。

2019年4月 2日 (火)

暇人のトリビアへのこだわり:三木稔氏の曲と続・夕陽のガンマンのテーマソングの空似?

3月31日(日)雨、後曇り

目が覚めると昨夜降り出した雨が降り続けている。春の雨だ。ざぁざぁという土砂降りではなくしとしと、しめやかな雨だ。そして、二日続けての冬に逆戻りの低気温。ベッドを出るのが億劫になる。

朝食:鮭の塩焼き、肉じゃがの残り、ご飯少々

2階に上がり、FM放送を聞きながらネットでニュースを読んだり、物思いに耽っていると、三木稔という邦楽?の音楽が流れてきた。和楽器を使いながらクラッシックと和楽が融合したような、乾いた音楽がなかなか良かった。Youtubeで探すと、同じ曲は見つからなかったけれど、いい曲があった。

https://www.youtube.com/watch?v=0mMOMlFSRWA

映画「続・夕日のガンマン」(マカロニ・ウェスタン)のテーマソングの出だしに似ているという書き込みがあるので試し聞いてみたが、それほどまではないように思える。

https://www.youtube.com/watch?v=AFa1-kciCb4&list=RDAFa1-kciCb4&start_radio=1&t=16

 

その後、流れてきたのはジョン・ウィリアムスの映画音楽。「ジョーズ」の出だしを聞いて、一瞬だが早坂文雄氏の「七人の侍」の出だしと間違ってしまうくら似ていると思った。金管楽器が鳴り出すまでだが。こっちはNHK-FM「きらクラ!」ネタで行けそうだが、この放送番組はクラッシックが対象なので投稿は無理だろうが・・・。

ジョーズ

https://www.youtube.com/watch?v=mWLO4acMTCM


七人の侍

https://www.youtube.com/watch?v=vIzlCbTxkzY

 

暇な生活をしていると、トリビアなことに気づくものである。これって、退屈しているということだろうか。博打をするようなお金はないけれど、体は毎日動かしてはいる。手を使うこと。足を使うこと。体で考えること。最後は、ブルース・リーの言葉だったかな。


昼食:カツサンド、ペンネ・ノン・アラビア-タの残り、コーヒー、イチゴ。
夕食:マイワシの白ワイン煮、ビール、豪州牛のランプステーキ(160㌘)、トマトたっぷりのミネストローネ、ご飯。

夜、「ダーウィンが来た」を見る。100万匹のボラの話。場所はアメリカのフロリダ州。汽水域で生活するボラだが、産卵の時期になるとメキシコ湾流の流れに乗りながら100万に近い大きな群れを作り、最後は沖合の深場に移動して産卵するというお話。途中、サメやターポンという怪魚に襲撃されたりする。お馴染みのあのボラである。今年の1月は涸沼川の夜釣りで1尾だが釣り上げた。

2019年4月 1日 (月)

「花眼」とは老眼のことなり。

3月30日(土)曇り、夕方から雨

6時前に目覚める。開高健の「眼のある花々」を3章ほど読む。目が覚めたばかりのすっきりした頭。出てくる花は、夾竹桃と勿忘草にジャスミン。

夾竹桃は乾ききって荒れ果てた景観のギリシャで開高氏がようやく見つけた真っ赤な花。勿忘草はアラスカでキングサーモン釣りに出かけて道端で普通に見かけた地味な花。釣れる魚のサイズが半端ない万事ビッグサイズのアラスカにあって州の花はよりによって勿忘草、英語でforget me not。ジャスミンは漢字で茉莉花。北京では氷にのせて屋台で売っていた。1960年のころ。皿に花を乗せて部屋の片隅において、外出から戻ると部屋一杯に豊かな香りが漂いまるで春の温室のようになるのだという。ベトナムのサイゴンだとパイナップルを部屋にころがして3時間もすると甘くねっとりとした香りが漂った。

ところでこの勿忘草。思わぬところで私は出会っていたことに今気づいた。花に疎い自分だからインターネットで花を検索して写真を見ていると、ああ、この花だったんだ、と。昨年秋、外出をするようになり、那珂川の河川敷で釣りをしていたとき、土手の草花でどうしても名前がわからない地味な花があった。それが、何とこの勿忘草かその仲間だったようだ。ただし、開花時期が春から夏らしくどうなのだろう。見てくれはそっくりなのだが・・・。

 

<勿忘草>※写真はインターネットから

Forget-me-not

「花眼(かがん)」という言葉はもともと漢語から来ている。もともとは「老眼」を意味するらしく、「花がよく見える眼」ということになるらしい。開高さんはなかなかいい題をつけたと思う。

朝食:ハムエッグと笹かまぼこにご飯少々。
昼食:ペンネ・ノン・アラビアータ。
夕食:肉じゃがの残り物とペンネを肴にビールを飲む。それから、豪州産のランプステーキ160㌘をミディアムレアーで食べる。

今日も終日本の整理をする。本の収納ボックスを移動してレイアウトを替えたり。閲覧頻度が高い本を身近に移動したり。途中、売り物にならない本・雑誌類をまとめて廃棄に出かける。Kストアで廃棄していると、ケスケスッというお馴染みの声。音源に目線をやると電線に一羽のツグミがとまっていた。間もなく、日本海を渡って大陸に帰っていくだろう。

<ツグミ>※インターネットからの写真 レンガ色のとても美しい鳥。臆病で人を感知するとすぐ逃げてしまう。

Tuugmi

刑事コロンボは今回が最終回。ファン投票でベスト20をだったとおもうけれどBS3で毎週土曜日に放映されたのだが、第一位は「別れのワイン」だった。これは、何度も見たのでスキップした。2階で本の整理を続ける。あっという間に一日が終わってしまった。

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