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2019年4月21日 (日)

センダイムシクイが囀る! マルクスについての徒然草、釣りは空振り。アマゾンの怪魚。

4月20日(土)晴

5時過ぎに目が覚める。

朝の読書は、Paul Johnsonの「Intellecturals」のKarl Marks: Howling Gigantic Cursesの章を読む。意訳すれば、「マルクス、前代未聞の悪態つき」となるだろうか。

開高健の「眼のある花々」で、古典ほど読み通すことができない本はない、と触れるくだりがあったが、19世紀から20世紀をとおして世界を席巻したマルクス主義の古典中の古典「資本論」。まともに読み通せる人がいるのだろうか。

孔子の「論語」は別の意味で、読み通すのは難しい(そもそも、最初から順に読むように書かれているわけではない)。プラトンの「ソクラテスの弁明」は? ダンテの「神曲」は? 紫式部の「源氏物語」は?みな最初の数ページを捲ってお蔵入りである。つまみ食い的にしか大方の人には読めないのだ。

独善的で論争好き、喧嘩好き。プロイセンの本拠地であるトリエールで生まれたユダヤ人のマルクスは、高利貸しのユダヤ人を嫌う反ユダヤ的なユダヤ人だった。マルクスの本質は、詩人の魂と道徳的憤激にもとずくジャーナリスティックな扇動だ、と英国の歴史家ジョンソン氏は喝破する。過激派であるマルクスは、膨大な文献を渉猟して自己主張に都合の良いパーツを巧みにアレンジしながら扇動する才にたけていた。「資本論」もデータとメモを寄せ集めて作った一貫性のない未完の作品だった(マルクスがまとめたのはほんの一部)。アカデミックな世界を装う言葉使いをしているが、科学と自称するほどの根拠などなく、自分の主張に合わせるべく根拠となるデータの改竄はもちろん、データそのものも恣意的に取捨選択している、と著者は手厳しい。道徳律についても、自己中な人に共通する「自分は適用外」であり、自分の利益がすなわち、道徳となるのであった。

マルクスの著書の中に散りばめられた多くの名言はは本人のオリジナルではなく、他者からの引用であり、適材適所に配合して扇動の圧倒的効果をあげるのにマルクスは才能を発揮した。

「労働者は祖国を持たない」(workers has no country)と「プロレタリアートは束縛の鎖以外に失うものは何もない」(The proletarians have nothing to lose except theirchains)は、フランス革命のマラーの言葉。

「宗教は人民のアヘン」(Religion is the opium of the people)はドイツの詩人ハイネ(フランスのパリで客氏したドイツ系ユダヤ人)。

「万国の労働者よ、団結せよ」(Workers of all countries, unite!)はカール・シャッパー。


マルクスのオリジナルもあることはある:

「私は(目下)何者でもないが、(革命によって)万能者となるはずだ」(I am nothing but I must be everything)

「政治において、ドイツ人は単に頭で考えてきたことを、他の国民は実際に行動で示して来た」(In politics the Germans have thought what other nations have done)

「ブルジョワジーの結婚とは妻たちの共有である」(Bourgeois marriage is the community of wives)

 

マルクスの天才は、両者(他人の名言と自分の言葉)を絶妙に組み合わせた。特に、「共産党宣言」の最後のフレーズは超有名だ。

「The workers have nothing to lose except their chains. They have a world to gain. Workers of the world, unite !」

 

余談だが、マルクスのオランダに住む叔父さんにPhilipsという人がいるのだが、この人はあのオランダの家電メーカーフィリップスの創業者らしい。

 

朝食:イワシの丸干し、納豆、ご飯にバナナ半分。

ポカポカ陽気に誘われて何年振りだろうか、逆川緑地と笠原水道周辺を散策した。2年前の「ブラタモリ」でも放送された界隈だ。野鳥観察用の双眼鏡も持参した。

Kasahara1

Kasahara2

笠原水道の水源に近づくと、「焼酎グィ~ッ」と聞きなすセンダイムシクイの囀りが聞こえてきた。胸が高鳴った。例年、4月後半から5月上旬にかけて、東南アジアから渡ってくる夏鳥が標高の高い山地へ移動する途中に平地で羽を休める。そのタイミングで、オオルリ、キビタキ、エゾムシクイ、コマドリ等々がこの笠原水道付近では囀りを、運が良ければ、双眼鏡でその姿を観察することが出来るのだ。そういう期待があって、陽気にさそわれての散策だった。

センダイムシクイの囀り(インターネットから)

https://www.youtube.com/watch?v=SfMuoZnMsK4

結局のところ、今日は、このセンダイムシクイが唯一の収穫だった。留鳥のウグイス、アオジ、メジロ、シジュウカラも時折、盛んに囀っていた。それ以外には、シメ独特のピチッ、ピチッという地鳴きがところどころで聞こえた来た。コジュケイの「ちょっと来い、ちょっと来い」というせわし気な叫びも聞こてきた。

シメの声(インターネットから)

https://www.youtube.com/watch?v=gvFdUut6AG0

逆川緑地の土手を歩けば、ベニシジミ、ヤマトシジミ、ナミアゲハ、モンシロチョウ、モンキチョウが飛び回る。ミズショウブの花の写真をとっていると小さな黄土色のカミキリムシみたいな昆虫も一瞬だが姿を見せた。

Benishijimi

春たけなわの香りと風景にうっとりしながら1時間半、植物、昆虫、野鳥の囀りを楽しんだ。

昼食:ブルーベリー・マーガリンパン半個にトマトケチャップを使って作った昔ながらのナポリタン・スパゲッティ。

13時半過ぎ、車で那珂川へ。2時間ほど河口の少し上流(昨年、セイゴ釣りに足を運んだ)で竿を出した。水がぬるみそろそろ釣れてもいいかなぁと。先日、一階の廊下の補強工事をしてくれたTさんが那珂川河口でセイゴが釣れているという話もあったので多少の期待はあったのだったが、空振り、ボウズに終わった。まだ少し早いだろうか。

Nakagawa

夕食:鰆の塩焼き、ジャガイモとセロリの細切りのハム炒め、トマト、モロキュウ、ワサビ菜のおひたしなどでビールを飲む。

Sawara

夜、読書は休憩。BS3で「怪魚ハンター」を見る。前半は、アマゾン川河口でのターポン釣り。外道でイシモチやスズキやアンコウまで釣れる贅沢さ。後半の上流では、美しい模様を持つ淡水のエイや淡水のシーラカンスという異名を持つ古色蒼然とした怪魚や、赤い斑点が美しいバス、電気ウナギ、等が登場する。奇抜な野鳥や、大きな毒蜘蛛タランチュラ、巨大なバッタ、2㍍を超えるカイマン、。アマゾン川の豊かさは圧倒的だ

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