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2019年4月12日 (金)

007ゴールドフィンガーのトリビア。ローズベルト大統領は本当に偉大な大統領だったのか?

4月10日(水)雨

昨夜は、「007ゴールドフィンガー」(1964年製作)を21時から見る。終わったのは深夜前。シャーリー・バッシーのこぶしの効いたテーマソングはいつ聞いてもすばらしい!シャーリー・バッシーはイギリスの都はるみだ。

初っ端のマイアミビーチで美女が金箔を全身塗られて殺されるシーンは何度見ても衝撃的でぞくっとする。美と死が隣り合った妖しさ。ゴールド・フィンガーのボディー・ガード兼付き人役、日系アメリカ人のハロルド・坂田は、アー、ウーしか台詞がないのは役回り上仕方がないのかもしれないが残念。イアン・フレミングの原作は読んだことがないが、ウィキペディアを見ると、役柄の名前はObdjoで韓国人である。アメリカのロケシーン(Obdjoが一人のマフィアを金の延べ棒と一緒に廃車・圧縮して残骸を持ち帰る場面の前後)で、当時のケンタッキー・フライド・チキンのお店が道路沿いに写っていたのも感激ものだった。レトロな感じの店構えがよかった。

悪役のゴールドフィンガーの名前は、ユダヤ系ドイツ人を連想させる。「金」とくればユダヤ人という揶揄が込められているのではないかと勘繰られそうだ。演じた役者はドイツ人のゲルト・フレーベ。英語が本人の訛りのため映画では台詞吹替だそうだが、ドイツで公開されたドイツ語版では吹替は本人がやったらしい。ドイツでは外国映画は吹替が一般的だ。1976年の夏、始めてドイツで3か月滞在したときにフェリーニの「アマルコルド」をドイツ語版で観た記憶がある。一緒に見に行った、ポーランド出身のリシャー君とぽっちゃり美人のバルバラは今頃どうしてるかなぁ。

このゲルト・フレーベが、少・青年時代にナチス党員だったことからイスラエルではこの映画の上映が禁止されたらしいが、本人の容疑が晴れて(戦争前に党籍を離れ、またユダヤ人を匿った事実による)から、解禁になったという。

全身に金箔を塗られて殺されたボンドガールの女性の妹が、スイスのジュネーブで姉の仇打ちにゴールドフィンガーを狙う役回りで登場する。これがまたなかなかの美女。本名Tania Mallet。名前が暗示するとおりイギリス人とロシア人のハーフ。この映画では3人の美女が登場する。最後の一人は、後半に登場するPussy Galoreというにやりとしてしまう名前で、ゴールド・フィンガー専属の女飛行士だ。この映画は3人おのボンドガールが登場する豪華版だった。

4度、5度と観れば映画のトリビアなところを余裕を持って見れるのがいい。そして、森繁さんの喜劇シリーズもそうだが、半世紀前の映像を歴史的な資料として見る楽しさがあるから何度でも見てしまうのだろう。それにしても、あのころ君はわかかった、ショーン・コネリーの若いこと。イギリスで封切になったのは1964年9月。東京オリンピックの直前のことだった。

今朝は、陰鬱で寒々とした雨が降っている。気温も昨日より10度近く下がった。冬に逆戻り。関東の山間部で積雪があった。

朝食:ブリの釜焼き、ミネストローネ、ご飯。
昼食:リゾット
夕食:トンカツで赤ワインを飲み、仕上げは野菜カレー。

今日は、寒さもあって終日炬燵でゴロゴロする。この寒いにも関わらず、終日、家の周りではウグイスが囀った。そんな囀りを聞きながら、「アメリカ大統領が死んだ日~1945年春、ローズベルト」(岩波現代文庫 仲晃著)を朝から読み始めて夜、20時半読了した。

Rooesveld

アメリカの歴史上初の4選を果たした大統領は彼だけ。しかし、4選のとき、すでに体はボロボロ。高血圧と心臓疾患等で任期を全うするのは無理だろうとわかっていたらしいが、国民には徹底的に伏せて当選する。そして、ドイツの敗戦目前の1945年4月12日、ローズベルトは保養先で脳内出血で急死する。63歳。しかも、その場にいたのは、永年の不倫相手ラザフォード夫人(かつての秘書)と少数の身内だけ(妻のエレノアは不在)。トルーマン副大統領がその日のうちに大統領に就任することになる。3時間弱の空白があったが。

ある時期まで、というか、いまでも基本的にはそうらしいが、アメリカのもっとも偉大な大統領と言ったら、ワシントン、リンカーンと並んで、ローズベルト大統領らしい。太平洋戦争の経緯もあって日本ではケネディーのような人気はない。アメリカにはいまだに「ローズベルト神話」というものが生きているという。彼を批判することは、アメリカでは「歴史修正主義」というネガティブ評価を覚悟しないとできないらしい。つまり、歴史家であれば、業界からつまはじき、最悪は、学者生命を失うということ。古くは、エール大学のチャールズ・ビアード教授(日本の国際派ジャーナリスト松本重治が師事した偉い歴史の先生)であり、下院議員でならしたハミルトン・フィッシュであり、ローズヴェルト大統領の前の大統領のフーバー大統領らである。フーバーさんの回顧録がスタンフォード大学の歴史家の編集のもとに出版されたのは何と2011年である。

ルーズベルト神話を形作る典型の例が、死亡した翌日の新聞報道であった。すなわち、保養先で死亡した状況の報道には、いっしょにいたもと愛人に関する事実は一切黙殺された。公然の秘密として戦後もずっとそうだったらしい。大統領批判の材料はすべて封殺されたという。

ここからは、著者の主張ではないが:

何故、英米が共産ソ連と手を組んだのか、という疑問がある。チャーチルのイギリスは、ドイツと戦う上で一人では太刀打ちできないという戦略的な理由からで、一時的な提携であったが、ルーズベルトは本気で戦後世界を米・ソ・英・中(蒋介石の中華民国)の4大勢力で世界を仕切り
平和を担保できると考えていたらしい。戦後の展開を考えれば、完全に間違っていた。ルーズベルトが4月12日に亡くならず第4期を全うとはいわずともあと1年だけでも政権を担っていたら歴史はどう展開していただろうか。死の前にローズベルトは側近にスターリンのソ連を読み違えていたという告白をしていたらしい。

第二次世界大戦でのアメリカのソ連との提携(武器援助等)は、共産ソ連の台頭と共産主義勢力の拡大を招き(東欧のソ連ブロックへの併合、
共産中国の成立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ革命等)、確信犯的に資本主義制度の廃棄と革命の為にあらゆる手段で破壊工作をしかけ
るとんでもない強敵を作り出してしまった。勝利してともに世界平和をもたらすという構想は最初から絵に描いた餅だった。あまりにも無防備すぎたローズベルト。スターリンに付込まれ、甘い汁を吸わせてしまった。冷戦を招いたのは明らかにルーズベルトの甘い見通しに基づく大チョンボだったのだ。第二次世界大戦に介入することで支払った人的及び物的コストを考えたら、時の政権は口を裂けても、間違っていました、ごめんなさい、とは言えなかった。皆が(政権もマスコミも)口裏を合わせたのだった。

この本の著者は、以上のようなことまで主張していない。偉大な独裁者であったルーズベルトの欠点として、トルーマン副大統領を鼻から相手にせずつんぼ桟敷においたこと、つまり、自分が万が一どうにかなった場合の後継者をきちんとそだてていなかったことへの批判を述べているにすぎない。

大統領の主治医がボンクラだったという衝撃的な事実がこの本で触れられている。しかも、12年と3か月ちょっとに及ぶ大統領任期期間中のローズベルトのカルテはどうもこの主治医がすべて廃棄してしまったというお粗末さ。ヤルタ会談でチャーチルに同行した英国人のの主治医はローズベルトの表情を見ただけで余命3ヶ月と診断していたというが、能天気で節穴の出鱈目な主治医が自分の失態を隠すべく廃棄したのか、それとも、大統領の職務に耐えられない健康状態であったにも関わらず、自分を引き上げてくれた大統領に取り入り、国民を欺くことに協力し、神話を守るための証拠隠滅だったのか、今では知る由もない。

また、著者は、「戦後」というのは、日本の敗戦(1945年8月15日)・降伏文書の署名(1945年9月2日)から始まったとするのは、日本中心の見方であって、グローバルに言うなら、独日の敗戦が見えてきた1945年前半のローズベルトの突然の逝去にともないトルーマン政権が発足した4月12日から始まったのだ、と主張している。

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