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2019年5月25日 (土)

今シーズン初のイシモチ釣り。

5月24日(金)晴

4時の目ざめ。21時就寝。

朝食:朝からカレーライス(ジャガイモ・人参ごろごろのやつ)
昼食:バジル・スパゲッティ(ジャガイモとピーマン入り)
夕食:カツオのグリルを生姜醤油で食べながらビール。仕上げはざるそば。

体調を崩し家籠りしている今週。

歴史関連の本に没頭する。先週から今週にかけて読んでいるのはチャーチルの回顧録。The Second World War - The Grand Alianace Volume Ⅲ。The Soviet NemesisとOur Soviet Allyの部分、それに、JapanとPearl Harbourの箇所。熟読だ。これと並行して、「近衛文麿」(岡義武著、岩波新書)と「大東亜戦争と開戦責任」(中川八洋著、弓立社)を熟読。

 

「大東亜戦争と開戦責任」を著した中川八洋氏は筑波大学の名誉教授だが、大学では宇宙工学を専攻し、留学したスタンフォード大学の大学院で政治学の博士号を取った異色の人。歯切れの良いキレ味するどい論評に圧倒される。以下は、その要約ではないけれど、所感・雑感・思うところのあれこれ・・・。

ナチスの登場もそうだけれど、20世紀前半の世界は、社会主義とナショナリズムの二つの大きな潮流が世界を席巻した。今日、デモクラシー、民主主義が普遍的価値のように喧伝されているけれど、当時の意味するところは欧米先進国の豊かででゆとりのあるごく限られた国が享受した制度だった。ギリシャの民主制が示すとおり、民主制を享受するのは特権階級でそれを支えたのは奴隷である。19世紀後半から20世紀前半の欧米の民主主義国を支えたのは国内では搾取される労働者や農民、国外では、欧米を除く世界の植民地であった。

当時の民主主義というのは「ブルジョワ=有産市民階級民主主義」のこと。ブルジョワとは日曜日でも大人の男性はネクタイスーツ姿をする、今日の水準からすれば大きな財産を持ち、家には女中がいて家事をする裕福な人々。そういう人たちが、individualism(個人主義)を享受していた。それが、第一次世界大戦の〈総力戦〉という体験を通して、そして、戦後の復興と好景気(特にアメリカ合衆国)を経て、「大衆民主主義」となっていった。農民の数が減り、都市に住む労働者のうちからホワイトカラー(事務員、中間管理職等)が出てきて、ブルジョワ=上層階級に次ぐ新たな中間層を作り出したことが大きい。日本でいう「市民」とはこの新中間層のことだ。一億総中流意識。ドイツ語の市民=Buerger(ビュルガー)は、前者のほうだ。フランスのブルジョワジーである。

第二次世界大戦での欧米(連合国)側の謳い文句「民主主義VSファシズム」、これは、英米が戦争で大衆に大きな犠牲を強いるためのプロパガンダだった。イギリスの対独宣戦布告はポーランドというもともと国益には関係しないことが理由だった。アメリカ合衆国の参戦も、パールハーバーがなかったらおそらく、直接海外に軍隊を送るということはたぶんなかった。何故、イギリスは、ポーランドに保障を行って、対ドイツ参戦に踏み切ったのか。「世論」である。「道徳的義憤」である。

そして、なぜ、ソ連が民主主義なのか?こっちの意味は、王様、皇帝の首をとり共和制(フランスのように)になったという意味だろう。人民が、皇帝の持ち物、財産ではなく、一個の独立した人格のある人民として、国家権力にあずかる、という意味では画期的なことだったのだろうけど(日本国憲法の「主権在民」)、一般人民の意識がすぐに変わることはない。半農奴的なロシアの農民たちにとってのロシア革命とは、近代化=モダンな社会を作り出すためのパーツとして革命の前衛となったエリート(レーニン等)によってなされた解放だった。ロシア革命とは、結果から言うと、国を近代化するためのロシア・バージョンであった。中国共産党もそうであったように。

近衛文麿は、貴族階級に属しながら、京大で河上肇に師事したこともある根っからの「社会主義者」であった。彼が目指したのは、ソ連型の一国社会主義国家だった。天皇陛下をいだく日本が天皇制度を否定することはできないから、天皇陛下のもとに、万民が社会主義を実現する(北一輝の主張)ことを理想としていた。陸軍の皇道派と同じ考え。国内の社会不安(有産者と無産者の対立。現在では想像できないけれど、1945年の敗戦後も1960年代ころまでは、服装でその人の社会的立場がすぐわかったし、生活水準の差は相当にあったが、戦前はもっとひどかった)と欧米(英米)のいう正義(植民地主義においておいしいところを持って現状維持を正義とする立場)を是正する正当性を実現すること、これが、彼の政治的信条であった。中川氏の主張は、太平洋戦争は、単に軍が独走したから起きたことではなく、信条を同じくした政界・官界・マスコミ界からの積極的な加担があったからというもので、戦後、戦犯指定を受けて自殺した近衛の残した手記は、後からの自己弁護であり、自分の信条を偽ったものだ、と手厳しい。

満州事変から敗戦までの日本の「統制経済」(実は、日本の経済運営システムは、1989年のバブル崩壊にいたるまで)というのは、スターリンのソ連の五ヵ年計画をモデルにした、総力戦を成すための国民総動員体制を目指すものだった。ドイツもソ連もイタリアも日本も、それぞれに事情は違うけれど、国家の社会不安(人々が十分に食えていないのだから当然)を解決するための一種の上からの革命だったのだ。


体の患部(左胸付近と同じ左の背中の肩甲骨の下付近)の腫れは相変わらずだが水疱は衰え始めている。しかし、チクリ、チクリという痛みは時折あって厄介だ。日中の暑さ(30度近い)もあり、体のだるさもかなり軽減してきたので、午後遅くから3時間ほど、那珂川河口に出かけて涼んだ。今シーズン初めてのイシモチ狙いで釣りを敢行。水族館前の海側で竿を出そうと思っていたが、現場に到着すると、荒れ模様。しかたなく、河口側で竿を出すことに。平日であったが釣り師は3人いた。

Akua

Nakagawa2

海があれているからだろうか、最初は投げるたびに海藻に邪魔をされて釣りにならなかった。16時過ぎ、海側の一人がグッドサイズのイシモチをあげた。遠目に見ても28㎝前後はあっただろう。体中をアドレナリンが走った。しかし、私の竿にアタリはない。2度、3度場所を代えた18時前。竿にアタリが!ただ、ガガガーンといきなりやってくるあのイシモチ特有のアタリではなく弱弱しかった。さては、あの奴、フグかぁ?リールを巻いて取り込むと、予想に反してうれしい、かろうじて20㎝を超えたイシモチだった。

Ishimochi_1

今シーズン初イシモチ。さらに1時間ねばったが、次に釣れたのはフグだった。19時に納竿。1尾という貧果だったが、ボウズではなかった。よかった、よかった。

弟が、イシモチ釣りをいっしょにやろう、と先週末の日曜日に来たときに約束したので、釣れる場所と時間帯をチェックする偵察でもあった今回の釣行。混雑する週末はスキップして来週早々は海側をさぐろうと思う。

2019年5月21日 (火)

骨折が完治したと思ったら・・・

5月21日(火)終日雨

今日はまるで台風が来たような荒れた天気だった。明け方4時に一度目が覚めた。その時はまだ雨は降っていなかった。

5月17日の金曜日にS病院へ半年ぶりに検診に出かけた。左足のレントゲンを撮ってI先生と面談。骨は完治した、との宣言。もう大丈夫でしょうと。

ところが、ところがである。週末は上京してYちゃん親子と遊んだ。詳細は省くが、土曜日の夜、寝る前に板橋のマンションでシャワーを浴びようと裸になったら左胸下があかく腫れている。バスルームで見ると背中にも一か所赤く腫れたところが。うーん、何だ、何だ。その日は早起きして阿字ヶ浦で釣り。21㎝のシロギスを仕留めて(一尾だけだったけど)気をよくしていた。午前中は朝寝して午後から上京したのだが体がだるかった。左肩周辺に痛みも時折あった。遠投のし過ぎだろうくらいに思っていたのだが、ひょっとしてこれってヘルペスか?

昨日朝、実家に戻ってすぐ近くの両親がお世話になっているクリニックへ。熱はなし。K先生と面談すると、ああ、水疱瘡ですねぇ。原因はわからないけれど、でちゃいましたね。一週間分の薬でウィルスを駆除しましょう、とのことだった。後遺症で神経痛が残るかもしれないとも。エエエッ!!!ガガーン、だった。まずは、ウィルス駆除しましょう。治りますよ。だけど、後遺症として神経痛が出る人がいる、ということで出ない人もいるらしい。出たら出たで、対策はあるような話しぶり。

左足骨折を卒業(といっても金属片は入れたままだし、ジョッギング以上は断念)したと思ったら・・・。先週は、月曜日終日、火曜日は半日、水曜日はまた終日、そして、木曜日も夜中まで添削作業のようなものに没頭、金曜日のお昼過ぎに何とか仕上げたのだった。正式契約とかそういうものではなく一種の予行演習。それなりに面白くて想像以上にエネルギーを使ったのかも知れない。ハイテンションが続いて、土曜日朝は5時間の睡眠後の早起き。無理がたたったか?体の免疫力が落ちたときに出るとは聞いたことがあるような気がするが、先生はそんなものはよくわからないと。

ということで、昨日は昼から薬を飲み、昼寝をして体をいたわり、夕食後も薬を飲んでぼんやりして21時過ぎには就寝。たっぷりの睡眠をとった。

しかし、やはり、左肩周辺の腫れはまだひかない。インターネットで調べると完治するのに3週間~1ヶ月はかかると。気長に薬を飲み続けるしかないようだ。体がなんとなくだるいし、昨夜は微熱がでた。

さてさて、そういうことで歳をとると無理はできないのだ、ということを改めて思い知らされた自分。病気らしい病気はしたことがない。強いて言えば、目が悪いこと。ド近眼だったが、最近は老眼が進み、メガネを新調しないといけないかなぁ、と。それから、左ひじや肩が2月くらいから少し痛くなった。肩を上げる際に痛みを感じるのだ。それに、左手中指の関節があまりまがらないことくらいだ。幸いにも2月ごろから襲われる花粉症の症状は今年はまだ出ていない。

写真は、昨夕みかけた近所に出没する野良猫のショット。

Noraneko2

虎の子どもみたいで私のお気に入りである。

Noraneko1

庭ではピラカンサの白い花が開花。その赤い実は初冬から真冬にかけての野鳥の貴重な食料になる。ヒヨドリ、ジョウビタキ、シロハラなどがひっきりなしにやってくる。

Pirakansa-best

実家の2階の屋根瓦に雀が巣を構えて子育てしているようだ。向こう三軒どなりの空き家になっている家では最近、盛んに、何と、ヒガラが囀る姿を目にする今日このごろである。

 

2019年5月19日 (日)

今シーズン初のシロギスが釣れるまで・・・

日記が滞ってしまった。

添削の作業に没頭したこともあって時間がなかった。楽しいけれど、時間に迫られ、なれないこともあってストレスが溜まった。

それでというわけではないけれど、4度釣りに足を運んだ。シロギスが釣れ始めたとの情報がちらほら出始めた。向かった先は阿字ヶ浦海岸。

11日(土)は朝の4時半から1時間半。釣れたのはフグだけ。

Kimg2222

13日(月)は午前10時すぎからお昼前までの2時間。釣れたのはメゴチ(20㌢)だけ。

Ajigaura2 Megochi

15日(水)も午前10時すぎからお昼過ぎまでの2時間。釣れたのはメゴチ(15㌢)とカニ。

Megochi2 Kani

そして、昨日の18日(土)は早朝4時過ぎから6時までの2時間。

Ajigaura3

とうとう釣れた!ブルルルルーン、というあの独特のアタリが来たぁ。5時過ぎことだった。シロギスがつれたぁ!。それも21㌢のなかなかの大型。でもこの一尾だけ。ようやく片目を開けた感じ。

Shirogisu  

ここ阿字ヶ浦は、5色以上‐(125㍍)とポイントが遠い。PEライン1号に30号の遠投用天秤に7号の針3本(ハリスは1.5号)を装着し、弟譲りの本格的な投げ竿(4.2㍍)で挑んだが、どうしても5色まで飛ばない。これがネックだ。シロギスが釣れたのは4色から3色の境目、沖合80㍍くらいのところだった。帰り際に隣のポイントに来たいかにも遠投しそうな釣り師に聞いたら、PE0.8号を使っているという。やっぱり・・・。1号だと風の影響で厳しいと。次回は、PE0.8号の装備で再チャレンジだ。それにしても、ここ阿字ヶ浦はシロギスのサイズが大きい。昨秋もいきなり20㌢越えを釣ってびっくりした。鹿島灘だと15㌢前後が多いのだから。

シロギスはさっそく自宅に戻って下処理して塩焼き。レモンをしぼって両親に献上。父が半分、母が半分ずつ食べた。二重丸の食味だった
と喜んでもらった。

Kisu 

 

 

2019年5月11日 (土)

オリンピックのチケット抽選にトライするも地獄を見る。

5月10日(金)晴

ようやく、辿り着き開会式D席とE席を3枚ずつ申し込もうとしたら、2枚しか予約できない。つまり、DかEのどちらかで一発勝負の抽選になるらしい。あと1枚はYちゃんのところで申し込むしかない。ところで、それはいいとして、次にすすむのに電話認証が必要で手続きしようとしたのだが、これがうまく行かない。何度かけても駄目。186をつけても駄目。自分の携帯が過去に他の目的で認証を受けているとダメらしいいがそんなの自分にはわからない。それで、ほとんど使っていない自分用の固定電話に変更して、再度トライしたのだが。なんやかややっていると2時半になってしまった。そして、こちらも電話認証でひっかかる。なんってこっちゃ。やる気が失せて、そのままスリープ状態にして寝ることに。

朝食:アジの干物、葱と豆腐の味噌汁、納豆、ご飯少々。
昼食:ソーセージ入りバゲット一本、メロンパン、コーヒー。
夕食:今シーズン初のカツオを焼いて食べる。酒・醤油・味醂にニンニクのすりおろしを入れ半日つけて置いたものを焼いた。父が好きな食べ方だ。これと昨日のジャガイモ・人参・ピーマンの炒め物を肴にビールを飲む。

開会式のチケット抽選申し込みうまくいかないので、電話問い合わせをしようと事務局に電話するが、これもインターネット同じビジー状態。
何度掛けても通話中か忙しいのであとでまた掛けなおせとの音声が流れる。私のようなITに弱い老年世代の人は皆同じように頭をかかえているのではないか。

これもあって、今日は、野鳥・昆虫ウォッチングはお休み。

それで、というわけでもないのだが、某通信添削会社のアルバイト(採点)を3月に申し込んだところ、一次と二次審査にパス。三次審査の通知が来たので書類を20数枚(両面)を印刷したものを精読する。添削会社よりさらに郵送物が来るという。それまちだ。

午後は、車でドライブ。釣り場の下見にでかける。涸沼川で1時間ほど手長エビを狙ったが空振り。ヌマチチブしか釣れず。釣り餌屋によるとシロギスが釣れ始めたという。しかし、今日は南風が強く投げ釣りには厳しい。明日の早朝を狙って那珂湊か阿字ヶ浦に行ってみようか・・。

開会式抽選申し込みは電話が結局、終日何度かトライしたがつながらないので、ウェッブでの問い合わせをして回答まちにする。携帯電話での
電話認証をまたやってみたが、やっぱりだめ。

1964年の東京オリンピックのときの開会式のチケットの倍率は86倍だったらしい。たとえ、抽選予約申し込みが出来たとして、抽選で運よく当る確率はこれまたIT時代のこと、可能性は非常に低いだろう。それでも、まあ、申し込まないことには、抽選に参加できないというジレンマ。その申し込みでこのカタツムリの歩みのような進み具合でイライラが募るし、すぐに、解決せず、心が落ち着かない。

Yちゃんのママからライン連絡。Yちゃんはクラスの1泊2日の合宿研修で富士山のほうに出かけているらしい。チケット抽選の話をすると、私は
セッカチすぎる、という指摘。いい歳して、カリカリすることもなかろう。人生60過ぎたらどっしり構えて泰然自若の境地にならないといけないはずが。我、今だ熟せず・・・。熟せぬまま、老いを迎え、朽ち果てるか。

2019年5月10日 (金)

ハナカミキリと思っていた昆虫はジョウカイボンというそっくりさんだった。

5月9日(木)晴、後曇り

朝食:イワシの丸干し、大豆煮、トマト、ご飯少々、人参とパセリの味噌汁。

朝食後、1時間ほどまた野鳥・昆虫ウォッチングに出かける。今日は、キビタキの囀りが盛んに囀っていた。ツバメ、コジュケイ、ウグイス、カワラヒワ、シジュウカラ、メジロはいつもの面子だ。一方の昆虫たちは日に日に活発化している。ヒメアカタテハが舞っていたが、動きが速すぎて写真取れず。ベニシジミの超大型サイズだ。飛ぶのが速くてカメラが追い付かない。

ヒメジオンにやってくる虫たち:

モンキチョウ (やっと撮れました。動きが本当に早くてカメラが追い付かない)

Monkicho

ハナアブ

 Hanaabu

ミツバチ(かな?ちょっと違うような)

Mitubachi-kanaa


ヒキノカサというかわいいお花

Konohana-nannnohana

と、そこで無心で道を吸うヤマトシジミ

Yamatoshijimi_1


昼食:久しぶりにケチャップではなくホールトマトを使って玉葱沢山のスパゲッティ・ナポリタンを作って食べる。そして、いつものコーヒー。それに、モカ・コーヒー。

FM放送で歌謡スクランブルを聞きながら昆虫と草花の図鑑に没頭する。ハナカミキリ虫と仲間と思っていた昆虫は、どうもジョウカイボンという種らしい。埼玉県の嵐山の野生動植物のホームページにぶちあたり気が付いた。自分が撮った写真と比べてみるとまさにそうだ。どうも、カミキリムシににているけど、すこしどこか違うよなぁ、という違和感をもっていたがこれですっきりした。

https://www.insects.jp/kon-jyoukaijyoukai.htm

私のスナップショットの別の一枚:

Joukaibon_1  

歌謡スクランブルでは、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」と岩崎ひろみの「好きにならずにいられない」が印象に残る。

夕食:ジャガイモ・人参・ピーマンの細切り炒め甘酢風味、昼食の残り、トマトでビールを飲む。仕上げはタケノコご飯の残り。まるで、ヴェジタリアンか今流行りのヴィーガンの食事みたいだ。

Vegan-ja-naikdo

21時過ぎにベッドへ。一旦仮眠をとって深夜前に起きる。来年の東京オリンピックの開会式の抽選申し込みをする。昨夜、IDは取得していたが、チケット販売サイトに辿り着くのに2度の関門でそれぞれ待たされ1時間半かかってしまった。イライラ、ムカムカ。いい歳して、寝不足気味で・・・。

2019年5月 9日 (木)

オオタカ現れる。

5月8日(水)晴

5時半前に目覚める。天気予報どおり今朝は冷え込んだ。軽井沢では零下2度。ご当地も7度。ラジオでの解説は、冷たい寒気が日本に流れ込んでいるから、というものだがこれじぁ説明になっていない。水を沸かして沸騰したら鍋からお湯がこぼれた。どうして?沸騰したから、と答えるようなものだ。堂々巡りの説明。トートロジーというやつ。何で、今、この時期に、冷たい寒気が日本列島を襲っているのか、の説明になっていないではないか。

理屈はさておき、寒さにめげることなく、早朝の野鳥・昆虫ウォッチングに出かけることにした。夏鳥との出会いの期待して。

初っ端で護岸にハクセキレイ(留鳥)が目に入った。昔に比べて数が減ったような気がする。寒さもあっかて昆虫の姿はほとんど見れずに笠原
水道に到着。静まり返っていた。湧き水を飲んで、周辺をぶらぶらしながらまった。

Kasahara

しかし、今日も渋かった。センダイムシクイが囀ってくれた。それから、エナガ(留鳥)の群れが笠原水道周辺を飛び回ってくれたので久々に双眼鏡で観察できた。ちっちゃくて、かわいい野鳥だ。春先の子育てでは一気に10尾くらいは育てる。巣立ち雛が小枝にずらりと並んで親の給餌を受けるほほえましいシーン(団子並び)は10年近く前の春先(たぶん4月中旬)にこの笠原水道の階段の上の雑木林のなかで観察したことを思い出した。

エナガの団子並び(インターネットから)

https://www.youtube.com/watch?v=uNmU6HEVn_Y

収穫があまりないなか、ちらっと空を見上げるとオオタカらしき姿を確認、ドキンとした。直ぐに枝の茂みに隠れてしまったが、間をおいて、
2度、3度と姿を現して上空を待ってはまた高木の枝の茂みに身を隠した。カラスが気付いたのか、まわりで騒ぎ始めた。たまらず、飛び出した
オオタカに果敢に攻撃をしかけ(たぶん、近くに雛をかかえた巣があから)オオタカは飛び去って行った。オオタカを見送って帰路につく。

オオタカ(インターネットから)

https://www.youtube.com/watch?v=tWeEOqfbAEM

カキツバタが咲き乱れる湿地帯を通りかかるとダイサギの姿が見えた。カエルを狙っているのだろう。小さなオタマジャクシが沢山泳いでいる。サギ類は身じろぎもせずじっとしているので写真がとりやすい。オオタカも、忙しく動き回るエナガやシジュウカラも手持ちの安デジカメではなかなか写真でとらえられない。

Daisagi1

Daisagi2

7時前、帰宅。朝食は、イワシの丸干し、ポテトサラダとご飯少々に人参とパセリの入った味噌汁。バナナ半分。

母が昨日のタケノコご飯を食べすぎたと。お腹の調子がいまひとつ。うーん、大丈夫か。よせばいいのに、昨日作ったロース豚の生姜酢醤油風味を1枚でよせばいいのに、3枚食べたからだ、とは限らないが。前回2月ほどの吐き気はないというので少し安心した。

父は9時20分にデイケア-へ。2階で前日の日記を書いたり、出会った昆虫の確認をする。外では、ウグイス、シジュウカラ、メジロが囀っている。わざわざ笠原水道に行かなくても留鳥は自宅でも観察できるとう本当に贅沢な今の時期。

庭にはオダマキの花が数日前から開花。自分の人生において花とは本当に無縁だった。識別できる花は10種類もなかった。家を離れて30年。実家には10数年前に戻ったが東京と行ったり来たり。桜の花が美しい、と思い始めたのはは30歳のころ当時住んでいた武蔵境の桜並木だった。季節を眺める余裕は徐々にできてきたけれど、花と植物は最近までは情熱とまではいかずとも関心領域としては低かった。そして、今ようやくのことだ。それ以外の欲望が強すぎたのだろう。

Odamaki2

お昼前、昨年柚子取りでお世話になった従兄が山菜を届けてくれる。タラの芽だ。

昼食:マカロニと溶けるチーズと大豆であえた一品を作って食べる。それに、リンゴとゆで卵。

外は風が強い。日中にも関わらず日中の風もひんやりだ。ネットで昨日の続きをやる。FMラジオでは歌謡スクランブルを聞く。研ナオコ、沢田研二、桃井かおり、中村雅俊のなつかしい曲が流れる。なつかしき昭和、といっても私の場合は後半の半分だけだが。

2階で、昨日の続きに撮りまくった写真の整理と昆虫の特定作業をする。楽しきかな、没我の境地。

たぶん、ハナグモ。

Midorigumo

シリアゲ(トビ・ケラの仲間)

Kamemushi-darouka2

ピンぼけなので確定できないが写真。これって、ホタル、それとも、 クロウリハムシ?ちなみに、笠原水道界隈の湿地帯にはホタルがいると表示が出ていた。

Hotaru

ツマグロオオヨコバイの幼虫

Tsumaguro  

毛虫の成虫は何だ?

Kemushi3

ヤブキリだろうか。

Kirigirisu-kana

夕食:イワシの丸干し、大豆煮(もらいもの)、トマトとポテトサラダでビールを飲む。

東京オリンピックの前売り券が明日から始まるという。1964年の東京オリンピックは学校から早く帰って自宅で購入したばかりの白黒テレビで見たなぁ。来年もそうなるだろうとは思う(生きていれば)。Yちゃんから一生に一度のチャンスだから入場式を見たいネと連絡が来た。ダメ元で申し込んでみるかぁ。でもチケットの値段を見ると5つのカテゴリーがあって、30万、24万2千円、10万7千円、4万5千円、一番安くて1万2千円。取り敢えず、ID登録だけしておく。明日(今夜すぎは無理)にやってみよう。安いほうから二つのカテゴリーを狙うしかないかなぁ。

アイザック・ドイッチャーの「非ユダヤ的ユダヤ人」(岩波新書)を持って21時過ぎ、ベッドに潜り込む。途中まで読みかけて放っておいたこの本だが、第三章「ロシア革命とユダヤ人」を読む。

Deutscher

東欧系のユダヤ人と西欧のユダヤ人の違い。東欧のユダヤ人は、イディッシュ語をしゃべり伝統的な戒律を守り、西欧世界とは違って同化政策による国民統合がなされていなかったのが20世紀初頭の状況だった。さらに、ユダヤ人に共通するのは、都市住民が圧倒的に多いこと。ロスチャイルドに代表される金融資本家がイメージされるが、農業従事者は非常に少ない。都市住民ということは、商業(小売り)やら専門職(医者、弁護士、学者、芸術家等)の比率が高い。ただし、東欧・ロシアのユダヤ人は国民統合政策の対象とはなっておらず、定められた特定の地域にまとまって住んでいたし、非常に貧しかった。生業も農業は少ないけれど本当に原始的な行商人や職人といのが実態。シオニズムというのは反ユダヤ的なユダヤ人(ユダヤの伝統主義を否定、キリスト教社会に同化することを是とする)だったマルクスらの唱える社会主義革命=インターナショナリズムとは真逆であった。シオニズムとは伝統主義なのだ。レーニンのボルシェビキ革命がおこった直後は、ユダヤ人に対して非常に寛容だった。イディッシュ語も保護された。しかし、シオニズムにつながるヘブライ語は否定された。そして、スターリンの一国社会主義になると、徐々に反ユダヤ的な傾向が強まっていく。

反ユダヤ主義とというのはキリスト教世界独特の現象だ 。19世紀前半から半ばにかけたユダヤ人の同化政策に陰りが出始めた19世紀末のロシアのポグロムの多発ややフランスのドレフュス事件などの反ユダヤ主義傾向は、ナチスのユダヤ人絶滅政策で極点を迎えた。

ナチスの凄惨を極めたユダヤ虐殺(ユダヤだけではなかった)の結果、第二次大戦後はユダヤへの同情もあり、反ユダヤ主義はなりを潜めた。しかし、冷戦後、ナショナリズムが再び復活して、近年では反ユダヤ主義の傾向がふたたび欧州、北米で強まっている。イギリスでは労働党の政治家が反ユダヤ的言辞で非難を受ける事件が最近あったが、この労働党の人物は、イスラエル批判をしたこと、つまり、反シオニズム的言辞を弄したことで反ユダヤ的の烙印を押されたらしい。これって、何か間違っていないか?イスラエル批判は、現政権のパレスチナに対する抑圧的な政策に対するものである。反ユダヤ主義ではあるまい。ところが、イスラエル批判そのものが反ユダヤ主義として批判されるという珍現象が起きているのだ。

2019年5月 8日 (水)

カワウのウナギ丸呑み独演ショーに遭遇!

5月7日(火)曇り、後晴

5時半前に目覚める。今朝は、朝の読書は取りやめ。早朝のバード・昆虫ウォッチングを決行することに。1年前の今日、悪夢の骨折をした日なのだ。「骨折記念日」とは縁起でもない。トラウマを抱えたまま家でうじうじしているのもよろしくない。ソレッ、とベッドから抜け脱して家を出た。

場所はもちろん逆川緑地と笠原水道界隈。

Aruko

日中はあたたかいけれど、早朝はやはりひんやりとしている。でも、新緑の香りと生命の息吹に触れながらの散策は何と気持ちが良いことか。土手沿いに歩くと!(怪我をしたのは土手を斜めに下ろうとして雨露に濡れた葉に隠れたプラスチック・コップを踏んずけて転倒した)、やはり、両側の草花は朝露に濡れていた。用心!用心!聞こえてくる野鳥の囀りは、ウグイスとシジュウカラ。昆虫たちはまだ眠っているようだ。蝶々やトンボは見当たらない。しばらく歩くと、竹藪のそばの草の中に、昨日も見かけたハナカミキリの仲間が最初に目に飛び込んできた。さらに少し歩くと「ダイミョウセセリ」らしき蝶がが濡れた葉の裏側で身動きせずに眠っていた。 形が蛾ににてなくもないのだが。

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しばらくすると、全身よろいかぶとで武装した大魔神のようなカミキリ虫に遭遇する。まったくもって壮観。あっと驚く為五郎であった。

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笠原水道で水を飲んで、野鳥スポットの近くで夏鳥の囀りを待った。オオルリ、クロツグミ、キビタキ、ムシクイ、ヒタキ、コマドリどれでも来い、なのだが、朝の6時前後は静まり返っていた。ムシクイでは、すでにセンダイムシクイとエゾムシクイは囀りを確認したが、メボソムシクイはまだだ。このメボソムシクイは、自宅近くの別の雑木林で聞いたことはある。ヒタキ類だと、コサメビタキが今の時期に出会うチャンスがある。以前の勤務先(地元のT大学)に徒歩で出勤する途中の桜山で出会った記憶が蘇る。桜の木の緑の中で決して美しいとまではいわないけれど今まで聞いたことのない囀りに足がとまったのだった。そして、囀りよりも癒し系のその姿が気に入って目に焼き付いたのだった。その近くの雑木林でビンズイの囀りも聞けて心臓がバクバクしたなぁ。5月の上旬は平地で日頃聞けない様々な野鳥に出会える(囀りも聞ける)絶好の機会なのだ。

コサメビタキ(インターネットから)

https://www.youtube.com/watch?v=DRsxCEJI1Js

囀りを待ちながら、足元のピンクの4輪の花に気付いてシャッターを切る。ユウゲンショウ(帰宅したあとインターネットで調べてわかった)という花だ。

Pinku-flower

結局、今日は不発だなぁ、と思いつつ帰路につこうと小川の土手沿いに歩き始めると、バシャバシャバシャという水音がする。ハッとして、目をやると、何と、カワウが何か長い物を口にくわえて何やら奮闘している。何だ、何だ、と見ていると、大きなウナギだぁ!!!カワウは貪欲な魚だ。以前に埼玉の見沼の池で、大きなフナを丸呑みにするのを見たことがある。ウナギを弱らせ、飲み込もうとしては吐き出し、再びくわえて、また飲み込もうとするが4分の3くらいで尻尾がはみ出たまま。苦しくなったのかまた吐き出して、また、飲み込む仕草。何度も何度もそれを繰り返す。その間10分ほどだろうか。カワウのウナギ丸呑みの独演にくぎ付けとなってカメラのシャッターを切ったのがこれ。

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Kawau11

高価格で国産のウナギを食べるのは年に一回か二回の贅沢な食材だ。カワウの奴、いい加減にしろ。カワウがほぼ飲み込んだところでその場を離れた。カワウは釣り人にとっては憎き奴。とにかく魚を食べる、食べる、食べる。生きるためだから仕方がないのだが、生命力旺盛、そして、繁殖力旺盛。

7時前に帰宅。朝食は、母のリクエストで、昨日のカレー。ジャガイモと人参ゴロゴロが好評だった。今朝は、黄色のパプリカをご飯に乗せてカレーをかけて食した。1時間半近いウォーキングでお腹もすいていたので朝からボリュームたっぷりでいただく!

Asa-karei

昼食:カツの太巻きずしとコロッケパン半分にコーヒー。

Lunch

夕食:豚ロース肉のシャブシャブを生姜と酢醤油で食べながらビールを飲む。仕上げは、お隣のYさんから頂いたタケノコご飯。

Butashabu

終日、2階で散歩中に目がとまってシャッターを切ったこれまでの草花や昆虫写真の整理をながら虫と花の種類と名前をインターネット図鑑で調べることに没頭。夢中になっていると、あっと言う間に一日が終わってしまった。

カミキリムシもメイガも判定は難しかった。環境で個体の模様や色合いに変化がありすぎるからだろうと思う。こうなると、写真プラス収集をして厳密な比較をやらないと正確には判別できないうようだ。が、この歳でそこまでのこだわりはない。セセリって、蝶なのか蛾なのか。フランス語では両方ともパピヨン(Papillon)である。ドイツ語も両方ともSchmetterling。英語は、日本語と同じで区別をつけるようだ(Butterfly=蝶;Moth=蛾)。ところで、先日であった正体不明の蛾っぽいものがこれだ。

Seseri-ga-aka

これって、ユウグノメイガ ?

https://www.insects.jp/kon-gabenimonki.htm 

それとも、ヘリアカキンノメイガ ?
https://blog.goo.ne.jp/sukiba/e/7de9d70437cc576cedcc7553bb652bee

食べ物と蛾が一緒の画面にでて気持ちが悪いという人もいるかも知れないが、この蛾はそれほどグロテスクで嫌悪感をもよおすというよりどちらかというと美しい(赤色系でちょっと妖しい)ほうの系列に入るとは思うのだが・・・。

 

 

2019年5月 7日 (火)

毎日が昆虫ウォッチング!

5月6日(月)曇り

久しぶりに夢を見た。昨年ケガをして一時夢を見る時期があったけれどそれ以来だ。けれど、いま、日記に記そうとしたら内容が思い出せない。大方の夢はこんなものだ。

朝の読書は、キッシンジャーの「外交」。上巻の後半の部分、ヒトラー政権の成立から第二次世界大戦、冷戦初期の部分パラパラめくる。監訳者の岡崎久彦氏が記すとおり、一文一文に膨大な情報を理解したうえでの解釈が濃縮されたハイレベルな内容。翻訳を引き受けなければよかったと後悔するくらい日本語にするのは難行苦行だったらしい。第一次世界大戦後の戦間期から勃発、独日の敗北までのおおまかな流れを様々な本をとおしてかなり蓄積したので、そろそろ最高傑作のひとつとされる外交史の本にチャレンジしようと。

朝食:鯛のアラ煮の残りもの、納豆、ご飯、バナナ半分。

父がデイケア-に出かけた後、逆川緑地・笠原水道の散策へ。

Kakitubata

エゾムシクイはいなくなっていた。コジュケイが盛んに叫び声をあげている。シジュウカラに交じって、ヒガラの囀りが聞こえてきた。

ヒガラはこんな囀ずり(インターネットから):

https://www.youtube.com/watch?v=baud4TIVuh0

カラ類には、シジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラ、コガラ、ゴジュウカラなどがいる。最初の3種は数も多く平地で観察できるし、囀りも聞き分けられるが、ゴジュウカラとコガラはむつかしい。ゴジュウカラは2012年の春に長野の軽井沢に出かけたとき、早朝のバードウォッチングで聞いたことがあるだけだ。山地性の鳥だ。コガラは、インターネットで検索したけれど、どことなく、エゾムシクイの囀りに似てなくもない印象を受ける。

期待した日本に渡ってくる夏鳥の囀りは聞こえず、今日は空振りに終わった。ウグイス、シジュウカラ、ヒガラ、メジロは盛んに囀っている。カワラヒワ、コゲラ、キジの声も時折聞こえる。足しげく通いだしたが、確かに、以前はよく見かけたカワセミの姿は目にできない。どうしたのだろうか。

野鳥の囀りを聞きながら今日も、昆虫ウォッチングに精を出した。昆虫採集を今更始めようとは思わないけれど、海野和夫氏の美しい昆虫写真を見れば真似したくなる。

本日の昆虫:

クロアゲハ

Kuroageha1

シオカラトンボ

Shiokara

ムギワラトンボ

Mugiwara

ハナカミキリの仲間。2か所で出会う。

Nazo-no-kamikirimushi

Nazo-kami

野鳥への興味は尽きないけれど、草花(一番苦手)と昆虫観察・写真撮影もなかなか面白くなってきた。しばらくのめり込みそうだ。

釣りのほうだが、シロギスとイシモチ(ニベ)が釣れだすタイミングで海岸のサーフからの投げ釣りで開始しようと思う。水温も16度を超えるのが目安だ。5月5日の時点で那珂湊の水温は15.6度だ。遠浅の海岸サーフあら100㍍をコンスタントに遠投する一本竿でのんびり早く釣りができるまであと少しのようだ。


昼食:醤油ラーメン(カップヌードル)

夕食:ジャガイモと人参ごろごろのカレーライス

Curry

本格的なインドカレーもいいけれどハウスバ・バーモント・カレー(中辛)もなかなかです。私流の作り方:

玉ねぎを沢山まず炒めてきつね色にすること。ジャガイモと人参は煮崩れないように大き目に切って12~3分煮る。豚肉は細切れを最後のころに入れる。ルーを入れてさらに5分弱火で煮る。火を止めて最後にレモン汁を絞る。レモンの代わりにトマトを入れてもいいかも(その場合は、具を煮る段階で加える)。苦味・辛味と酸味が決めてであるとは、東京の歌舞伎座のそばにある「ナイル」のインド人のご主人(創業者の長男)から直接聞いたこと。ナイルでは苦味にコーヒーを隠し味で入れているらしい。もう30年以上前の話だ。創業者のナイルさんは、チャンドラ・ボース一派に連なるインド独立運動のもと闘士。

2019年5月 6日 (月)

エゾムシクイの囀りを聞く。チャーチルは本当に偉大な政治家だったのか?

5月5日(日)晴

5時の目覚め。「不必要だった二つの大戦」(パトリック・ブキャナン著)の13章(ヒトラーの野心)を読む。

朝食:納豆、鯛のアラ煮、ご飯。

笠原水道の散策。カキツバタやハナショウブの花が咲き乱れる池に近ずくと何とエゾムシクイの囀りが聞こえてきた。やったぁ~!。

Shoubu


始めて聞いたのは千葉の松戸市に住んでいた(15年前)ころの初夏のある日、バードウォッチングで雑木林をうろうろしていたときだった。確か、水たまりでスズメ、メジロ、シジュウカラが水浴びするのを遠くから観察していたと思う。それまで聞いたことのない囀りに全身が耳になった。キビタキやオオルリやクロツグミのような美しさはないけれど、高低をおりまぜたシンプルなメロディーの繰り返しに魅せられたものだ。アパートに戻って、野鳥の囀り集のCDを聞いてやっと特定したのが、このエゾムシクイだったのだ。決して珍しい野鳥ではないのだろうけど、私にとっては人生初めての出会いでありそれまでは存在していなかったのだから、この時の興奮といったらなかった。バードウォッチングを始めたばかりで、楽しくて週末になると双眼鏡を持って野山をほっつきあるいていたころだった。

エゾムシクイの囀り:(インターネットのサイトから。姿はウグイスそっくり。囀りは全く違うのだからややこしい)

https://www.youtube.com/watch?v=OPL07IM03rM

残念ながら、今朝はキビタキの囀りは聞けなかった。雑木林から抜けてしまたか。今日も草花に集まる昆虫の観察に没頭する。ベニシジミの個体数が非常に多いのに気づく。数メートルごとにベニシジミが飛んでいる。ヤマトシジミはまれにしか飛んでいない。

ハナムグリ

Cogane3

ホソオビヒゲナガ

Higenaga  

ヒメウラナミジャノメ

Chou

 

昼食:カツサンドとブルーベリーパイにコーヒー。


釣りに行くべきか、行かざるべきかの葛藤がこのところ続いている。昨年、ちょうど今頃釣りに出かけて、雨が降り始めたので帰ろうとした際に土手で変な転び方をして骨折してしまった。トラウマ!?どういうわけか、意識の奥深いところで釣行を拒否しているようだ。

2階の和室に座って、「不必要だった二つの大戦」の第14章(マン・オブ・ザ・センチュリー)を読む。ヒトラー、スターリン、チャーチル、ルーズベルトは、第二次世界大戦の主役の4羽ガラス。蒋介石と東条英機は脇役だった。イギリスのBBCが行ったアンケートでは、今でも断トツでチャーチルが20世紀の人として選ばれたという。チャーチル神話は健在である。チャーチルに関する本も無数に書かれている。学校の成績はよくなかったけれど英語力(国語力)は抜群。ウィットが効いた語りと説得力に太刀打ちできる人はそうはいなかった。

インド、キューバ、アフリカでの戦争に従軍し、その体験を本にして文名を馳せ、26歳にして国会議員となった。20世紀初頭、大英帝国が絶頂のころだった。それから半世紀以上を政治家として奮闘したチャーチル。政治的失策による失脚(第一次大戦時の海軍大臣時としてトルコのガリポリ作戦を主導をして失敗、大戦後の大蔵大臣時には金本位制復帰をしてこれまたポンド安を招いて非難を受けた)にも拘わらず、その都度、政界復帰を果たし、1933年のドイツ・ヒトラー政権発足時からはヒトラーの危険性を常に指摘し、宥和政策を批判し続け、第二次世界大戦でいよいよ出番がくると、ヒトラーの和平勧告を一切拒絶して、ソ連とアメリカを味方につけてヒトラーのドイツを打ち破り英国を勝利に導いた英雄である。

と、書くと確かにすごいのだが、チャーチルに対する批判は、ロシア革命時にいちはやく共産主義の危険性から干渉軍を組織して介入した名うての反共主義者が、ヒトラーのドイツを倒すためとは言え、いとも簡単に宗旨替えをしてスターリンの共産主義と簡単に手を結んだことに対する疑義である。アメリカとイギリスは一体である英語国民の特別な関係、というのもイギリスの片思いであった。側近の回想録にも、アメリカ(ルーズベルト)に対するチャーチルの卑屈な姿が描かれているという。逆に、ルーズベルトはスターリンといっしょにチャーチルをからかっていたという。ヤルタ会談から主役はルーズベルトとスターリンの二人になり、チャーチルは準主役になっていた。


庶民には絶大な人気があったチャーチルだが、議員仲間からはどちらかというと毛嫌いされていたようである。アクの強く傲岸不遜で、人の話は聞かない。その上、弁がたって手ごわい人。しかし、政治的信条では節操がなかった。根っからの保守党員が突然何と自由党に宗旨替えをしたこともあり周りは唖然。チャーチルの演説は両サイドから拍手があがったという。19世紀的人間で、白人至上主義者(ヒトラーは、アーリア人市場主義者)。インドの独立に頑強に抵抗した。有色人種に対する偏見は酷かったという。ヒトラーとスターリンの残虐非道さは言語を絶するが、チャーチルはそうではないのか。実はチャーチルも無慈悲な人だった。インドのベンガル飢饉の張本人(200万の餓死者を出した)や、ドイツへの無差別爆撃はチャーチルが考案した(ドレースデン爆撃。日本の無差別戦略爆撃を行ったアメリカのカーチス・ルメイはイギリスの戦略爆撃を参考にした)。第一次大戦終了時もドイツへの経済封鎖を休戦後も(ベルサイユ条約署名まで)継続しドイツの餓死者は75万(本当だろうか)の原因を作ったのも彼だという。(ちなみに、アメリカのフーバー元大統領は、この時に食糧支援をして、ドイツから感謝されている)。

チャーチルは確かに偉大な戦争の指導者だった。彼がいなければ、英国は敗北を認めてヒトラーと講和を結んでいたであろう。そして、独ソ戦はなかった!。何故なら、大英帝国の権益を尊重し共存することを考えていたヒトラーを独ソ戦に仕向けたのは、講和を頑なに拒んだチャーチルだったからだ。ヒトラーは何故、独ソ不可侵条約を破ってソ連に攻め込んだか?ドイツと講和をしない英国が当てにしているソ連を打ち砕けば英国はヒトラーの軍門に下るという読みからだった。実際のところ、手を組んだロシアはもちろん、ルーズベルトのアメリカも、大英帝国(植民地主義)を否定し解体することを目標にしていたのだ。

ヒトラ-とスターリンとルーベルトのうち誰が大英帝国にとって本当の敵だったのか。まったくの皮肉である。チャーチルの戦争目的は「大英帝国の利益を守る」ことであったのだから、チャーチルの政治判断(ヒトラーを潰して、共産ソ連とアメリカと組する)は目的と真逆だった。結果として、勝利はしたけれど、全てを失ったではないか。チャーチルは、肝心かなめのところで「頭が悪かった」。判断力がなかったのだ。

ドイツが敗戦し、日本の敗戦が間近のポツダム会談の時点で、チャーチルは首相の座を降ろされた。それが、国民の総意だった。ヒトラーがいなくなって用無しとなったのだ。戦う相手を間違ったが、執念でヒトラーに立ちふさがったチャーチルは戦争には勝ったすぐれた戦争指導者だった。チャーチルが偉大な政治家だったか? この点については疑問符が付く。同僚の政治家たちや歴史の研究者では否定的な見方をする人がかなりいるのだ。極端な人は、チャーチルは大英帝国の偉大さを犠牲に自分自身の名声を勝ち得た、という皮肉な評価をするほどだ。

ロイド・ジョージのチャーチル評:「輝いている男だが、その判断力は燃えたぎる衝動に見合っていない。彼の舵取り装置は、その馬力に追いついていない。」

ボールドウィンの友人への囁き:「生まれよろしきチャーチルに天使は、想像力、雄弁術、勤勉、行動力を贈った。ただし、判断力と賢さは貰えなかった。」

チャーチルは、戦後の英国の凋落と米ソの2大国が競い合う(冷戦)時代を見て、後世の自分に対する歴史的評価にはひょっとすると疑問符がつくのではないか、と遅ればせながら気付き始めたようだ。

平成から令和になった2019年。第二次大戦終了から74年が経過した。アンドリュー・ロバーツというイギリスの歴史家が昨年チャーチルの新しい評伝を出したらしい。是非読んでみたいものだ。チャーチル神話は健在だが、これだけの時間の経過とその間の資料発掘と様々な解釈の積み重ねで、より客観的な評価が可能になってきたのだろう、大変に興味をそそられる。それほど、チャーチル氏の軌跡、人間的な本性、生き様には人を魅了してやまないものがあるようだ。

 

夕食:ピーマンと木綿豆腐のチャンプルー、鯛のアラ煮でビール飲む。アラ煮といっしょに煮付けたゴボウがうまいこと!洋食系が好みの自分だが、両親との生活はいやがおうにも魚を中心とした日本の伝統食がメインになってしまう。

 

2019年5月 5日 (日)

今日も昆虫たちとと戯れる。

5月4日(土)晴

6時の目覚め。「日ソ戦争への道」の第6章と第7章を読了する。

朝食:自己流のナシゴーレン・アラ・ジャポネーズとみそ汁(人参・ワサビ菜入り)

Nashigoren
昼食:キャベツたっぷりのソース焼きそば
夕食:鯛のアラ煮を肴にビールを飲む。

今日も1時間半ほど逆川緑地と笠原水道を散策。キビタキはまだ囀っている。依然として姿を観察できず、もっぱら虫の観察に熱中する。

出会った昆虫たち

アカサシガメ(残念ながらちょっとピンボケ。見た瞬間、美しい昆虫と思ってシャッターを切ったけれどすぐ飛んで行ってしまった)

Akaimushi

Akasashi-pinboke

インターネットからみつけた写真

2

ハラヒシバッタ

Harahishibatta

交尾中のカゲロウ?

Kouobi1

交尾中のクロコガネ?

Ainokokan

2019年5月 4日 (土)

花、昆虫、鳥に現を抜かして・・

5月3日(金)晴

庭のシャクナゲが全開。

Shakunage_2

朝食後、このところ始めた笠原水道付近の散策をする。

Ike

 

今日もキビタキが元気に囀っている。姿を拝もうと粘ったがなかなか出て来てくれない。小川を挟んだ背後では声をふりしぼるようなキジの鳴き声が時折きこえる。コジュケイの声も。シジュウカラ、カワラヒワ、ウグイス、メジロも盛んに囀る。

<青い花びらに見えるのはヤマトシジミ>

Yamatoshijimi

<コガネムシ(黄金虫)は何故か緑色>

Midori

昼食:ジャガイモとホウレンソウ入りのバジルソースパスタ。アメ横で買ったアーモンドもトッピングした。しばらくは病みつきになりそうだ。

Bajiru_1

釣りに出かけようと思ったが、もうひとつ気乗りがしない。2階のベッドにゴロリとなり昼寝をする。

夕食:赤魚の煮つけ(脂たっぷりの濃厚な味付けにした)、冷やしトマト、お豆腐、ビールにご飯少々。


朝から何かとおちつかず、花、鳥、昆虫に心を奪われたり、うとうと眠ったり、ぼんやりと過ごした一日。春の宵、ようやく気分が落ち着いてきて、読書へのスイッチが入った。

フーバーさんの回想録、アントニー・ビバーの「第二次世界大戦」、長谷川毅氏の「暗闘」を同時進行でこの2か月読んでいるが、今日は、ボリス・スラビンスキーの「日ソ戦争への道」をパラパラと拾い読みする。そのうちの序章と第6章の半分ほど。1945年のヤルタ会談からポツダム宣言にかけてのロシアの歴史家による研究だ。ソ連崩壊後のエリツィン政権時代で、一気にアクセス可能となった共産ソ連時代の外交文書を渉猟して書き上げた力作だ。著者によると、ソ連が日ソ中立条約を破棄して4か月後の8月9日に参戦したことに対する疚しさがソ連首脳部にはあった。極東軍事裁判から今日にいたるまでのソ連・ロシアの歴史家たちは、ソ連に対して日本は侵略はしなかったわけで、ソ連の参戦の大義名分はグレーだったため、「侵略国家日本」を証明することに全エネルギーがそそがれ、あらゆる書物や資料がそれにむけて捻じ曲げられ改竄されてきたという。結果として、ロシア人の日本にたいする歴史認識は非常に一方的で偏ったものとなっていて、北方領土問題にたいする理解はほぼゼロだという。

 

2019年5月 3日 (金)

「令和」を東京で迎える。実家の庭ではエビネ(野草)が満開。

5月2日(木)晴、時々曇り、一時雨


4月30日から1泊2日で上京した。幕張メッセでのイベント参加抽選や、購入物の商品交換の終了タイムに合わせてYちゃん親子と合流する手筈だが、予定より早くついてしまったので、ビールを飲みながら、持参した本(「第2次世界大戦前夜」岩波新書 笹本駿二著)を読む。1938年秋のミュンヘン会談によるチェコのズデーテン割譲後の翌年、チェコの解体、ポーランド危機と英仏の介入、ソ連を巡るドイツと英仏の抱き込み工作外交の経緯と独ソ不可侵条約の締結に至るまでの経緯がコンパクトにまとめられている。

Dainiji

13時半、ようやく合流をはたし、いっしょにお昼を食べて、その後、舞浜へ。今回は、ディズニーランドでのお遊びはなし。ショッピング街をぶらぶらして、コナ・コーヒーを飲みながらハワイアン・デザート食べたりする。Yちゃんのママが買い物をしている間、Yちゃんとスマホに没頭。私は、笹本氏の本を読み続ける。オープンスペースのテラスの椅子に座ること1時間。小雨がぱらつき少し寒かった。夕食は、レッドロブスターで贅沢をする。前菜、マルガリータのピザ、ロブスタースープ、最後は、スチームしたロブスターをバターソースで。4年前、ハワイにでかけたとき(Yちゃん親子も一緒)にも現地のレッドロブスターに入ったけれど、日本の店のもののほうが断然うまいと思った。

Ebi1  

板橋のマンションに戻る途中、都営地下鉄のなかで「第二次世界大戦前夜」を読了。携帯の時間は19時34分。戻ってから、ワインを飲む。Yちゃんは学校の友達とラインで繋がって平成終了の秒読みをするという。私もそれにつきあって「令和」に突入するのを見届けてからの就寝となった。

「平成」は終わった。33歳から63歳までの実質30年。バブル崩壊、ソ連崩壊と冷戦終了、阪神大震災とオーム真理教とサリン事件、ニューヨークの同時多発テロ、リーマンショック、東日本大震災、失われた30年と中国の台頭・新冷戦の始まり。あっというまの30年だった。その前の昭和は遠景の彼方となってしまった。

翌日の朝は、ゆっくり朝食をとって、Yちゃん親子とお昼から今度は池袋にでかける。西口そばのホテル・メトロポリタンでランチ・ビュッフェを食べる。20数年年ぶりだろうか、このホテル。西口界隈もすっかり様変わり。芳林堂書店の看板が見えないのが気になった。閉店したか?

もうこれ以上入らないというくらい、オードブル類、サラダ、ローストビーフ(2皿)を食べ、ダージリン・ティーとジャスミン・ティーを飲みながらデザート類(フルーツとケーキ)をこれまた沢山平らげた。気が付けば15時をまわっていた。東口方面に出て映画を観る。時間の関係で、たまたま席が確保できた「ユーフォニア」というアニメを見る。Yちゃんが通っているギター教室にもこの映画のポスターが張ってあるという。18時にお別れして家路についた。地元に戻ったのは21時前。雨が降りしきり、電車も前を走る列車の安全点検(たぶん故障)で30分遅れたが、21時前に無事帰宅、両親はすでに就寝していた。リンゴ半分を食べてベッドに潜り込む。


今日は、上京の疲れもあり、家事と買い物をして、あとは休憩、ぼんやりとして一日をすごす。

庭ではエビネの花が先週から咲いている。両親の知り合い(山歩きが趣味)から九州産の苗を随分昔にもらった野草だそうだ。

Ebine

10日ほど前に撮影してアップするのを忘れていたシャガの花がこれ。昔、埼玉県の見沼でバードウォッチングをしていて、ある時、偶然道端で遭遇したエキゾチックで忘れられない花だった。この花を実家の庭の片隅に見出したときは本当にびっくりした。いつ、どういう経緯でここで花を咲かせることになったのか、まだ両親と確認していないのだが。

Shaga

 

 

2019年5月 2日 (木)

「とどめの一撃」を読了

4月29日(月)晴後、曇り

3時過ぎに目覚めて眠れなくなる。昨夜は21時に就寝したから実質6時間は熟睡した。この歳になるとこれ以上は眠れない。眠ってもうつらうつらだ。3時半過ぎ、読書灯をつけて7時まで、一気に「とどめの一撃」を読了した。

正直なところ、半分まで読み進めるのに、翻訳の問題なのか(訳者は立派な仏文学者)か、原文そのものが日本語になりにくいのか、我慢しながら日本語の意味を組み取りながらがまんして読む感じだった。何とか、半分あたりまでくると話の展開にのり始め、一気にぐいぐいと終末の破局を予感しながら引き込まれていった、そんな感じの物語だった。男同士の友愛と男女の愛の悲劇。登場人物たちはまだ若い20代。主人公は、第一次世界大戦の洗礼を受け、ドイツの敗戦後は反革命軍に組してラトビアで戦い、南米や満州、スペイン内戦等、危険と死との隣り合わせの中で生きていくのを生業としている。スペインのサラゴサで負傷し、イタリアの病院で療養しピサ駅で祖国であるヒトラーのドイツに帰る列車を待ちながら独白が始まる。

友人のコンラッド(ロシア系のバルト人)と主人公のエーリヒ(フランス系のバルト人を父にもつプロシャ人)は、コンラッドの館を根城にボルシェビキ軍と戦う日々。両親を赤軍に銃殺され、兵士から凌辱を受けて心に傷を持つ気位の高い貴族の娘のソフィーは、弟コンラッドの親友であり物語の語り手のエーリヒに恋してしまう。しかし、主人公は、ソフィーと肉体関係を持つが彼女の愛にこたえることを拒絶する。現代風に言えば、タイプじゃなかった。一途に愛するソフィーは報われない愛に絶望しながらも、女の性(さが)そのままに、時には主人公の肉体的な愛に応えながらも愛の一方通行に苦しむ。愛してもらえないエーリヒへの当てつけに他の兵士たちと公然と関係をもったりもする。主人公は嫉妬に似た不快を感じつつも、ソフィーを愛するまでには決して至らない。心惹かれない人からあなたが好きを言われても駄目なものはダメだ。男だから、肉体から得られる快楽を得るには都合がいいから関係を続けるだけの女。男女関係は恋したほうが負けなのだ。主人公は、肉欲を満たす一方で、彼女に対して残酷な仕打ちを続ける。恋の虜になったソフィーは相手から拒絶され続け、どうにもならないことを悟ると、ある日、何気なく館を去ってボルシェビキ軍に身を投じる。そして、主人公の陣営である白軍との戦いに敗れ、捕虜となり、最後は銃殺される運命となる。最後の場面で、ソフィーはあなたに自分を銃殺してほしいと主人公に願いでる。そして、主人公はその願いをかなえることになる。

物語りは、戦争というよりも、エーリヒの言葉によるソフィーと主人公の心理の綾の描写にかなりのウェイトを占めている。最後のエンディングで主人公は、彼女が自分を銃殺する役回りを主人公に仕向けたのは、彼女の愛に報いることをしなかった主人公に対する復讐であり、主人公に悔恨の情を残すことこそが、女のどうすることもできない報われぬ恋心の証で、また、命と引き換えのたくらみであった、ということを悟る。そして、正直に告白する:自分は確かにこの日以来、これまでずっと悔いているのだと。そして、男には、女という存在による罠から逃れる術はないのだ、と。

この物語りでは、時代背景であるラトビアの内戦の白軍と赤軍の戦いや、ソフィーの弟との男の友愛(同性愛?)は遠景にしりぞいたままだ。主人公の独白はもっぱらこのソフィーのことばかりだ。著者は、女性であり、自分の報われない恋愛経験がこの小説に反映されているらしい。自分をソデににした無慈悲な男への小説による復讐劇。書くことによって自分の心の傷は癒されはしないけれど、あるていど自分の中の収拾がつかない情念のモツレを整理しながら、それから距離を少しばかりは置くことが出来たのだと思う。処方箋だ。読みながら、この独白形式で徐々に終末の悲劇に向かうドラマチックは筋立てに、コンラッドの「闇の奥」を思い出してしまった。

日本語という翻訳語の限界なのか、原文(フランス語)の美しさと情感を日本語に移すことは至難の業らしく、よき作品を読了した際の余韻ら
しきものはあるていど感じることはできたものの、訳文の読みにくさに加えて、作品としての構成内容のアンバランスなど欠点の多い失敗作ではないかと思えなくもない。それでも、フランス語ですらすら読めるのだったらもっと感じ入る何かがあるような気はする。

著者の名前で思い出したのが、三島由紀夫に関するエッセイだ。早速読もうと本棚を探したのだが先日整理した際に動かしてそれが見当たらない・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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