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2019年5月25日 (土)

今シーズン初のイシモチ釣り。

5月24日(金)晴

4時の目ざめ。21時就寝。

朝食:朝からカレーライス(ジャガイモ・人参ごろごろのやつ)
昼食:バジル・スパゲッティ(ジャガイモとピーマン入り)
夕食:カツオのグリルを生姜醤油で食べながらビール。仕上げはざるそば。

体調を崩し家籠りしている今週。

歴史関連の本に没頭する。先週から今週にかけて読んでいるのはチャーチルの回顧録。The Second World War - The Grand Alianace Volume Ⅲ。The Soviet NemesisとOur Soviet Allyの部分、それに、JapanとPearl Harbourの箇所。熟読だ。これと並行して、「近衛文麿」(岡義武著、岩波新書)と「大東亜戦争と開戦責任」(中川八洋著、弓立社)を熟読。

 

「大東亜戦争と開戦責任」を著した中川八洋氏は筑波大学の名誉教授だが、大学では宇宙工学を専攻し、留学したスタンフォード大学の大学院で政治学の博士号を取った異色の人。歯切れの良いキレ味するどい論評に圧倒される。以下は、その要約ではないけれど、所感・雑感・思うところのあれこれ・・・。

ナチスの登場もそうだけれど、20世紀前半の世界は、社会主義とナショナリズムの二つの大きな潮流が世界を席巻した。今日、デモクラシー、民主主義が普遍的価値のように喧伝されているけれど、当時の意味するところは欧米先進国の豊かででゆとりのあるごく限られた国が享受した制度だった。ギリシャの民主制が示すとおり、民主制を享受するのは特権階級でそれを支えたのは奴隷である。19世紀後半から20世紀前半の欧米の民主主義国を支えたのは国内では搾取される労働者や農民、国外では、欧米を除く世界の植民地であった。

当時の民主主義というのは「ブルジョワ=有産市民階級民主主義」のこと。ブルジョワとは日曜日でも大人の男性はネクタイスーツ姿をする、今日の水準からすれば大きな財産を持ち、家には女中がいて家事をする裕福な人々。そういう人たちが、individualism(個人主義)を享受していた。それが、第一次世界大戦の〈総力戦〉という体験を通して、そして、戦後の復興と好景気(特にアメリカ合衆国)を経て、「大衆民主主義」となっていった。農民の数が減り、都市に住む労働者のうちからホワイトカラー(事務員、中間管理職等)が出てきて、ブルジョワ=上層階級に次ぐ新たな中間層を作り出したことが大きい。日本でいう「市民」とはこの新中間層のことだ。一億総中流意識。ドイツ語の市民=Buerger(ビュルガー)は、前者のほうだ。フランスのブルジョワジーである。

第二次世界大戦での欧米(連合国)側の謳い文句「民主主義VSファシズム」、これは、英米が戦争で大衆に大きな犠牲を強いるためのプロパガンダだった。イギリスの対独宣戦布告はポーランドというもともと国益には関係しないことが理由だった。アメリカ合衆国の参戦も、パールハーバーがなかったらおそらく、直接海外に軍隊を送るということはたぶんなかった。何故、イギリスは、ポーランドに保障を行って、対ドイツ参戦に踏み切ったのか。「世論」である。「道徳的義憤」である。

そして、なぜ、ソ連が民主主義なのか?こっちの意味は、王様、皇帝の首をとり共和制(フランスのように)になったという意味だろう。人民が、皇帝の持ち物、財産ではなく、一個の独立した人格のある人民として、国家権力にあずかる、という意味では画期的なことだったのだろうけど(日本国憲法の「主権在民」)、一般人民の意識がすぐに変わることはない。半農奴的なロシアの農民たちにとってのロシア革命とは、近代化=モダンな社会を作り出すためのパーツとして革命の前衛となったエリート(レーニン等)によってなされた解放だった。ロシア革命とは、結果から言うと、国を近代化するためのロシア・バージョンであった。中国共産党もそうであったように。

近衛文麿は、貴族階級に属しながら、京大で河上肇に師事したこともある根っからの「社会主義者」であった。彼が目指したのは、ソ連型の一国社会主義国家だった。天皇陛下をいだく日本が天皇制度を否定することはできないから、天皇陛下のもとに、万民が社会主義を実現する(北一輝の主張)ことを理想としていた。陸軍の皇道派と同じ考え。国内の社会不安(有産者と無産者の対立。現在では想像できないけれど、1945年の敗戦後も1960年代ころまでは、服装でその人の社会的立場がすぐわかったし、生活水準の差は相当にあったが、戦前はもっとひどかった)と欧米(英米)のいう正義(植民地主義においておいしいところを持って現状維持を正義とする立場)を是正する正当性を実現すること、これが、彼の政治的信条であった。中川氏の主張は、太平洋戦争は、単に軍が独走したから起きたことではなく、信条を同じくした政界・官界・マスコミ界からの積極的な加担があったからというもので、戦後、戦犯指定を受けて自殺した近衛の残した手記は、後からの自己弁護であり、自分の信条を偽ったものだ、と手厳しい。

満州事変から敗戦までの日本の「統制経済」(実は、日本の経済運営システムは、1989年のバブル崩壊にいたるまで)というのは、スターリンのソ連の五ヵ年計画をモデルにした、総力戦を成すための国民総動員体制を目指すものだった。ドイツもソ連もイタリアも日本も、それぞれに事情は違うけれど、国家の社会不安(人々が十分に食えていないのだから当然)を解決するための一種の上からの革命だったのだ。


体の患部(左胸付近と同じ左の背中の肩甲骨の下付近)の腫れは相変わらずだが水疱は衰え始めている。しかし、チクリ、チクリという痛みは時折あって厄介だ。日中の暑さ(30度近い)もあり、体のだるさもかなり軽減してきたので、午後遅くから3時間ほど、那珂川河口に出かけて涼んだ。今シーズン初めてのイシモチ狙いで釣りを敢行。水族館前の海側で竿を出そうと思っていたが、現場に到着すると、荒れ模様。しかたなく、河口側で竿を出すことに。平日であったが釣り師は3人いた。

Akua

Nakagawa2

海があれているからだろうか、最初は投げるたびに海藻に邪魔をされて釣りにならなかった。16時過ぎ、海側の一人がグッドサイズのイシモチをあげた。遠目に見ても28㎝前後はあっただろう。体中をアドレナリンが走った。しかし、私の竿にアタリはない。2度、3度場所を代えた18時前。竿にアタリが!ただ、ガガガーンといきなりやってくるあのイシモチ特有のアタリではなく弱弱しかった。さては、あの奴、フグかぁ?リールを巻いて取り込むと、予想に反してうれしい、かろうじて20㎝を超えたイシモチだった。

Ishimochi_1

今シーズン初イシモチ。さらに1時間ねばったが、次に釣れたのはフグだった。19時に納竿。1尾という貧果だったが、ボウズではなかった。よかった、よかった。

弟が、イシモチ釣りをいっしょにやろう、と先週末の日曜日に来たときに約束したので、釣れる場所と時間帯をチェックする偵察でもあった今回の釣行。混雑する週末はスキップして来週早々は海側をさぐろうと思う。

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