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2019年6月 5日 (水)

ホトトギスが来た!

6月5日(水)晴 

明け方直前、夢うつつのなかでホトトギスの「特許許可局」と聞きなされる待ちわびた声が聞こえてきた。今年もやって来たホトトギス。目が覚めるとまだ外は真っ暗であった。再び、寝入る。

自宅で療養しながら本を読んだり釣りをしたり、母のヘルパーをしたりしながら、3月ごろから左肩が痛くなったり、5月連休明けは水疱瘡になったりで体がいやがおうにも老年段階に突入したことを実感する今日この頃である。

左胸と左側の背中の神経通がいちばんひどかった時、アメリカのトランプ大統領が訪日していた。不動産ビジネスを地で行く交渉スタイルのこの人に、世界は右往左往だ。北朝鮮の金さんの目論見(自分たちの立場がよくわかっていない豊か国・韓国の左翼政権の擦り寄りを利用して経済的苦境の打開をはかる)は、最後の最後でトランプさんに卓袱台返しがあったのが2月末。自分のロシア疑惑にからむ国内問題はまだくすぶっているがどうやら乗り越えたようである。メキシコとの国境の壁の予算問題はどうなったっけ? 目下最大の争点は、米中貿易戦争。エスカレートし出口が見えない状況だ。ファーウェイ潰しは、1980年代の日本が開発したコンピューターOSのトロンを思い出してしまった。トロン潰しによってアメリカのビル・ゲイツのウィンドウズが世界制覇することになったのではなかったか。

まあ、そんなの、俺には関係ねぇ、とまでは言わないけれど、国際社会の現実は厳しい。国家間の紛争を調停する機関というのは一応あることはあるけれど、収拾がつかなければ、結局、武力行使=戦争になる現実に変わりはない。米ソ冷戦と同じで、直接の力の行使はないであろう。あるとすれば、弱くて不安定な場所が犠牲になる。朝鮮半島はその一つだ。アメリカ勢力(日本はその子分、で韓国も本来はそう)と中ソ勢力
(北朝鮮はその子分なのだが、韓国に似た対応を親分衆にとっている)が対峙しているかぎり、朝鮮半島の統一は無理である。東ドイツが西ドイツに吸収されたのは、ポーランドやウクライナなどの独立国が緩衝地帯としてソ連とドイツの間にあるからできたことだ。それが、ドイツと朝鮮半島の違いだ。

ジョン・ミアシャイマーの「大国の悲劇」を時折パラパラ読んでいるけれど、アメリカがモンロー主義から離れた20世紀初頭、つまり、ウィルソン大統領時の第一次大戦参戦だが、アメリカは「ヨーロッパに平和をもたらすために参戦したのではない」と言っている。国力というのは、世界の力関係のなかにおいて自己の力を確保(サバイバル=生存本能)すると同時に拡大するという盲目の意志があるのだ、という(私なりの言葉にすると)。一国の運命を操縦する政治家は、究極的にはこの盲目の意志に突き動かされて判断し決断しているにすぎない。

トランプさんの来日は「令和」時代に入ったかつての敵国であり、いまや、新しい冷戦相手である中国の最前線である同盟国日本への仁義切りでもあったろう。それ以上に、息抜きだったかも・・・。1990年代前後のジャパン・バッシングが、いまや、チァイナ・バッシングの時代。米中の力関係はまだ米国が優位。一位の立場をおびやかす中国を蹴落としを露骨に取り始めた。トランプさんじゃないとできないだろう。オバマさんやクリントンさんなどのソフト派では無理だ。アメリカ国民の無意識が選んだ大統領だ。

この2週間で集中的に再読した本:


「日米・開戦の悲劇」 ハミルトン・フィッシュ著

Fish

「日本の失敗」「大東亜戦争ここに甦る」 いずれも小室直樹著

Komuro1

「昭和史」(岩波新書)
「決定版 日中戦争」(新潮新書)

Showashi1   

いずれ自分の言葉で総括したいと思うけれど・・・今は、事実と解釈の整理をしている段階。満州事変、シナ事変が拡大して大東亜戦争(イギリスは極東戦争;アメリカは太平洋戦争)とエスカレートして墓穴を掘った日本だが、小室氏の指摘:日本には戦争設計がなかった。ぐさりとくる言葉である。日清、日露とちがって、戦争目的が明確ではなかった。陸軍、海軍のなかでも見解が割れ、かつ、それぞれの省益が優先して国益が後まわしになってしまった責任は誰が負うのか。

日本には、ルーズベルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーのようなすぐれた指導者=政治家がいなかった。ヒトラーのような指導者は願いさげだが。東条さんがヒトラーだって? ちゃんちゃらおかしい。東条さんは軍官僚としての秀才であった。部下の面倒見もよく気遣いの人ではあった。優秀な官僚は最悪の政治家(マックス・ウェーバー)。政治家と将軍は勉強だけでは作れない。平時にはいいけれど、危機の時は役にたたない。戦争屋と揶揄されたイギリスのチャーチルは、秀才ではなかった。勉強ができなかったが、国語(英語)はよくできた。若き日の従軍体験を本にして印税を稼いだ。彼のウィットの効いたスピーチは独特で、彼にかなう人はそういなかった。小室氏は、日本のエリートの世界の歴史に対する無知を嘆く。日露戦争は、あそこで講和を結ぶべきではなく、断固として戦いを継続すべきであった、と。チャーチルの歴史と軍事への造詣は深い。東条さんは、危機を乗り越えるヴィジョンを持って行動する政治家ではなかった。前例主義を着実にこなす官僚だったのだ。順風満帆の時なら前例を踏襲する中での組織のまとめ役、すぐれた調整者として花咲いた人であっただろう。

20世紀前半の日本は確かにアジアで覇を唱える強国ではあったけれど、中途半端な強さだった。自滅崩壊した清朝の大混乱(軍閥がそれぞれの地方=といっても、一国の規模だが、割拠する)とソ連という共産主義帝国と国境を接し、世界的な不況の中ブロック化した経済環境により日本商品が大英帝国圏や米国(いずれも高関税が課された)の締め出しにあい、経済的活路を見出そうとすれあ中国大陸しかなかったのは事実。

1945年の敗戦のおおもとの原因、日露戦争の果実であった満州利権のこだわりを非難することは簡単だが、当時において日本国民を食わせるために(明治維新当時の人口は3000万;太平洋戦争当時の昭和の人口は8000万)政治は何をしなければいけなかったのか。いずれ、中国は統一され、第一次世界大戦の結果できた新しい潮流(ウィルソン主義)により植民地は失われるものだとしても、満州利権へのこだわりと中国大陸での商業的活路を見出すことは日本の必然であった。よき政治指導者がいて舵取りをしていたら、もっと違った歴史の軌跡を日本は辿ったであろう、というのが小室氏の考え。人を得ること、つまり、教育の問題に行きつく。(「日本の失敗」)。

小室直樹氏は、シナ事変では断固として蒋介石の中華民国をたたくべきであった、と主張する。そして、「澎湃として起こった中国のナショナリズムによる排日・侮日による在留邦人保護対策」が目的であったとするなら、第2次上海事変では、一気に南京を占領すべきであったと。ヒトラーのフランス占領を地で行く「電撃作戦」である。そして、蒋介石と講和を結ぶ。講和内容は、日本がやった内容吊り上げではなく、寛大なもの(満州の承認は要求しない=実質的に中国は日本の利権であることを認めていた;不平等条約の破棄;北支からの撤退)をすべきだった。

実際には、上海で苦戦をして南京首都の占領には3ヶ月もかかり、蒋介石(日本と講和をして共産勢力を潰したかった)を相手としない近衛声明をだし、トラウトマン調停でも中国への要求を吊り上げた(中国人が絶対に呑めない要求をした)。結果として、同じ、不平等条約をおしつけて利権をむさぼっていたのにイギリスやアメリカと同列の帝国主義国日本だけが、中国の敵としてクローズアップされ、いつのまにか、西欧諸国は中国の味方となり、中国のナショナリズムの矛先が日本だけに向くという最悪の状況を作り出してしまったわけだ。

小室氏は英米との戦いも、シナ事変を上記のような迅速な処理をして戦争目的=中国との平和を即座に実現していれば展開はちがっていたと説く。蒋介石は講和を希望していたが、近衛声明とトラウトマン仲介交渉での日本側の要求の吊り上げで、前年の西安事件もあり、共産党と手を握って日本と徹底的に戦うことになってしまった。講和ができていたら、100万の陸軍を中国大陸に張り付けることでかかる膨大な戦力と経費を対英米戦争に使えるわけで、対英米戦争でも、勝つチャンスがあったというシミュレーションをしている。経済的に圧倒的に強かったアメリカをベトナムが破ったように、アフガニスタンがソ連を破ったように、決して無謀な戦争ではではなかった。日本に第一級の世界情勢を理解した戦争設計者がいなかったから、戦い方が拙劣を極め、場当たり的な対応に終始し、ずるずると負けるべく戦争をしてしまった、というのが同氏の結論である。日本は三流の戦争指導者で墓穴を掘ってしまったということ。

昨日は、午後の3時間、那珂川の河口で竿を出した。ライントラブルが続出して、遠投がうまくいかなかった。3尾以上を目標にでかけたのだが
結果は2尾(27㌢と24㌢)。

Ishimochi_2

 

 

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