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2019年7月31日 (水)

悪化する日韓関係に一言

7月30日(火)晴

ようやく夏らしくなってきた。ニイニイゼミが鳴き始めたのが1週間ほど前。遠くの雑木林からはかすかながらヒグラシの声も。昨日、今日と単発だがアブラゼミやミンミンゼミの声も聞こえた。気温もようやく30度を超えた。

Yちゃん親子は昨日無事帰国した。金曜日夕刻便で深夜に出発、実質的には土曜日と日曜日の丸二日間、月曜の朝便で帰国の途に。二人で15万円。ファーストクラスのホテル、観光一日半、朝食と昼食2回、夕食一回(ショー付き)、空港送迎ありとまあ至れり尽くせりなのだからまあ安い。楽しかったらしいが、疲れたとも。LCCとインターネットでホテル予約をすればもっと安いはずだが、母娘の二人旅。某大手の格安パッケージなら送迎や現地ガイドもいて安心である。

日韓関係は負のスパイラルでずるずると悪化の一途。以前のブログでもどこかで感想を書いたかもしれないけれど、日本と朝鮮半島の関係は日清戦争より前の状況に戻りつつあるようだ。中国の復活により朝鮮半島は自らの遺伝子(中国の属国=朝貢関係)が再び目覚めたのだ。地政学的な意味で「深縦」がない朝鮮半島は、隣接する大陸の大国になびかないと生きていけない。逆らえば13世紀の元の時代のように飲み込まれてしまう(亡国)。

ロシアのように敵を深く国土に引き込み「過酷な冬」と「広大な平原」という自然条件を生かした反撃で敵を打ち負かす戦略はとれないし、アフガニスタンのような山岳地帯に籠城したり、ベトナムのようなジャングルを隠れ蓑にゲリラ戦を展開することもできない。ベトナムと言えばアメリカを打ち破ったわけだが、13世紀モンゴル帝国の「元」(中国)も、結局ベトナム侵略は失敗に終わったのとは好対照である。朝鮮戦争、アメリカでは「忘れられた戦争」と言われているらしいが、南北は分かれたままで「停戦」状態なのだ。いつ、また、戦争が復活してもおかしくない状況が75年近くも続いている。

清朝が弱体して崩壊する前後では、ロシアが大きな野望をもって進出したが、それを自国への脅威と認識した日本は、アングロサクソンの後ろ盾のもとにその野望を挫いた。朝鮮半島の対応は、清朝派(日清戦争後は、ロシア派)と親日派に分裂した。小国といっては失礼(南北合わせれば、人口8000万=ドイツと同じ規模)なのだが、隣にはが人口10億をはるかに超える中国であり、人口減少に悩むロシアも日本も1億を超える国なのだ。隣国はすべて存在自体が彼らにとって「脅威」なのである。

冷戦崩壊後、東独が自然に解消して西独にのみこまれていく過程が、朝鮮半島では何故おこらなかったか。北朝鮮が直接に中国やソ連と国境を接しているのにいるのに対し、東独の向こうはポーランドであり、さらにその向こうはウクライナ(冷戦崩壊後にここも独立)であったからだ。朝鮮半島は、東西の大国が直接国境を接する「緩衝地帯」だからそれぞれの力が作用して統一できないのだ。

独立したウクライナは、NATOに入りを視野にいれた西側寄りの政権の失政によって、東半分(例のクリミア半島)はロシアに再び併合されてしまった。経済制裁を受けながらもロシアは譲歩する気配はない。朝鮮半島は、極東の「ウクライナ」である。あるいは、国際関係論でしばしばいわれる「フィンランド化」が当てはまる地域だ。フィンランドは「自由主義経済と民主主義」を許されつつ、一方で実質的にロシアの一部としての役割りを演じている。フィンランドは、ソ連から侵略され戦った経緯から、第二次大戦中はナチスドイツとともにソ連に侵攻した国だ。

朝鮮半島南北統一は、「アメリカ+日本」勢力がと「中国+ロシア」勢力と極東で対峙する限り不可能である。核廃棄が不透明なまま、南北統一国家が出現することは、対峙する国々の誰も望んでいない。西側からすると、過去に、しかも、停戦後にいろいろ引き起こしたテロ事件や自国内の過酷で人権抑圧をしている北朝鮮の金一族が政権に居続けることに対して、拒否感がある。清算された上で、つまり、非核化と集団指導体制(ベトナムのような)がなされれば、ベトナムのような西側資本の投下が可能だろう。南北統一は、弱体化していると揶揄されるながらもまだまだ「アメリカ世界帝国」が健在な間は無理だ。中国やロシアからすれば、南北統一がなされれば経済力から言っても南が北を飲み込むことは明白だから(金を出すのは日本)、これは、アメリカの勢力圏と直接国境を接することになるので絶対に受け入れられない。それ以前の問題として、現状の南北がどういう形で統一されるのだろうか?余りにも違いすぎる体制。東ドイツのように北が自然に崩壊して韓国に融合するのか(金さんは黙っていないだろう)。それとも、ルーマニアのように怒ったが人民が金一族を処刑するのだろうか。金一族はだれが何を言おうと負の遺産を背負いすぎている。北朝鮮がほしいのは、韓国の体制ではなく、技術とマネーだ。所詮、水と油の体質をもつ南北朝鮮半島の現状では、民族的統一とは美しい言葉だが、無理なのだ。ドイツ語圏のスイス、オーストリア、ドイツがそれぞれ別の国であるように、同じオランダ語を話すベルギーのフラマン地方がオランダではなくベルギーという国家を選択したように、一つの国にまとまる必要はない。唯一可能な解決策は、朝鮮半島が「フィンランド化」するしかない。あるいは、今現在進行形中で結果がまだはっきりしない「ウクライナ化」。

現在の韓国(文政権という革新政権=左翼)と日本(安倍政権という保守政権=右翼)の小競り合いが、北朝鮮を利するようなことにならないことを祈るだけである。正直なところ、韓国の幼稚な論理(失礼な言い方を承知で言う)には辟易させられる。戦前の日本は、伊藤博文の暗殺後に、朝鮮半島を併合してしなった。単細胞の日本人は力でねじ伏せてしまったが、戦後は、さすがにそれはやらない(憲法上もできない)。代わりにアメリカが賢く駐留軍を置いて睨みを利かせている。自ら「戦勝国」と任じる倒錯した歴史認識をする彼ら。歴史的事実は、日本国臣民として(差別はされた朝鮮系)いっしょに戦った敗戦国民である。認めたくなくても、まずはこの事実から始まらないことには、両国の歴史認識が共通の土台を築くのは不可能である。

中国の戦勝軍事パレードに出席したのはいま裁判で有罪判決を受けた朴正煕の娘だ(お父さんの朴正煕政権時代に日韓基本条約は締結された)。中国共産党の軍事パレード自体が事実に反する、とは同国人自身が、公然とではないが、様々のSNSネットワークで、匿名で自虐的に批判している。「歴史認識」の問題は、近現代史と直結しているので、解決は難しい。正統な歴史学が権威ある解釈を示すことすら不可能である。肝心な資料がまだまだ非公開のままだ。「歴史認識問題」はもっぱら、政治的プロパガンダ合戦である。

それとも、資本の論理(常に、利潤をもとめてやまないマネーのロジック)は、ファウストではないが「悪魔」との取引をあえて辞さず、あのキッシンジャー氏が仕掛けた衝撃の「米中国交回復」のミニ番を近い将来に実施するのだろうか・・・。

2019年7月29日 (月)

素人の「英語」教育雑感

7月28日(日)曇り後晴

熱帯低気圧が一時は台風6号になり関西方面で上陸したのが土曜日の朝。この日の午後は昔の職場の先輩・同僚とのむ予定があえなくキャンセル。

Yちゃん親子は夏休みを利用してバンコクに滞在中。私は両親の実家でヘルパーをしなないといけないので、誘われたがお断りせざるを得なかった。

この一年、無為の生活を送って来た。釣り以外で外にでるのが億劫ということもあるが、家のことで外で定期的な仕事に就くのは厳しい。在宅でできる仕事ということで添削を始めることにした。が、これが結構大変である。正直言うと手間がかかるわりには単価が伴わない。熟練しないと枚数がこなせない。しかし、60代の自分もかつて高校生のころ通信添削なるものをしたことがあってなつかしい感じもある。答案を通した今時の若者世代との対話がそれなりに楽しい。

添削をしながら、日本の英語教育の功罪をあらためて考えさせられた。受験を想定しているのでどうしても熟語や文法がテーマになってしまってあまり面白くないなぁ、というのが感想。自分は、大学ではドイツ語を専攻したこともあって英語は高校で終了。社会人になって実用英語(ビジネス英語)が必要なので、結局は「英語」との付き合いはずーっと定年までそれなりに続いたが、初歩的な文法の知識さえあればあとはとにかく実践あるのみでそれなりに進歩はしたと思う。

しかし、レベルというものはあって、人生後半の11年の大学勤務(事務)では交渉する相手(特にアメリカでは修士、博士号を持った事務職の人が結構いる)次第では「通じればいい」という英語では「足元を見られる」らしく、改めて勉強する(させられる)羽目になった。大学勤務当初は、センター長の教員の英語の授業を聴講したりもした。

外国語(英語)を学ぶことに関する私なりの結論は以下のとおり:

1.外国語をまなぶ以上やはり、文法は大事である。

2.しかし、文法は後から理由を説明する「言葉の構造」の理論であって万能ではなく、いずれにしても「手からこぼれるもの」がある。言葉というのは人間に自然に備わった能力で脳の機能そのものである。人間は言葉を操る動物だけれど、何故、言葉を操ることができるのかは誰も説明できない。人間と言葉の関係はそういうものだ。理論だけではカバーできないそれ以上の何者かなのだ。

3.日本での英語教育は、あまりにも英語の文章を分解していちいち細かく「英語と日本語」を対応させようとしすぎている。日本人が書いた英語は、意味は通じるけど、どことなく平板で奥行きがない、と感じるのは私だけだろうか。英語が「窒息」しているのだ。識者によると、明治時代に始まった日本の英語教育は、日本に伝統的な「漢文訓読」をなぞった「英語訓読」なのだという。つまり、正確に読めるけど、音声によるコミュニケーションは度外視される。個人的な経験では、「正確に読める」もかなり疑問詞がつくが・・・。

4.「日本語」と「英語」はまったく言語体系が違うので対応させるのはほぼ不可能。微に入り際に穿った和文英訳は、その道のプロ(翻訳の道で 飯を食う人)がやればいいので、中高生がやる必要があるのだろうか?中高生はむしろ、自由英作文をどんどんすべきであると思う。一生懸命に自分が言いたいことを辞書を使いながら英語と格闘することは、それなりに楽しいし、モティベーションも上げられるだろう。私の師匠(カナダに帰化した日本人)もおっしゃった:「和文英訳するな。最初から英語で書け」、と。そして、自分で苦労して作った英語は自分の血となり肉となり残るから、音声でのアウトプット(話す)はもちろんインプット(聞く)の大きな武器となる。これを次に述べる「多読」(自習)と併用するのだ。私の場合、毎日インターネットで時事ニュースを読むことを日課にし始めてから数か月続けたある日、CNNニュースの音声がこんなにわかっていいのか、というくらいクリアに聞こえるようになったことに気付いてびっくりした記憶がある。

5.一定のレベル(TOEIC600点前後か)になったら、後は、とにかく何でもいから「多読」(ペーパバック、専門書、雑誌、英語のニュースサイト等) をして、様々な表現方法や語彙力を積み上げるしかない。英語を専門にしない著名人、私の知っているケースでは、「動物王国」で有名な畑正憲 氏や、理科系出身で大蔵省経由経済学者になった野口悠紀雄氏などによるとテキストの「暗記」がベストの勉強法であるようだ。自分の場合は、「暗記」はやらなかたったが、「多読」の効果は身をもって体験した。それも、50歳を過ぎてからの話。家に積読状態だった英語本はほとんど読破した。これによって、会議などの英文レジュメや案件の報告書を作ってもネイティブ教員から直すところがない、と言われるまでになった。
 

結論:

中学校で基本的な文法をやったら、高校では「自由英作文」をベースの授業にする。和文英訳、英文和訳は、その補助とすべきである。自習課題として各人の興味に従って「多読」をやる。

※大学の教養課程の「英語」も改善が必要である。いろいろ改革が試みられているようだが、野口悠紀雄氏が指摘する通り「英文学」の延長のような授業は不可である。基本的に、高校の授業の延長線上でやるべきだ。多読教材は、自分の専攻に準ずる。

 

と、ここまで書いて、英語ネイティブ国民はなんて得な人達だろう、と思わずにはいられない。19世紀から20世紀をへた21世紀の今日、アングロ・サクソンが覇権を握っているのもむべなるかな、である。外国語習得に要する時間とエネルギーを自らの言語の彫琢とその言語にもとづいた思考にすべて注げるのだから。

自分の多読教材は「歴史書」である。英語を勉強するというより歴史に興味があるから英語の専門書を読み漁る。英語が読めれば、日本の翻訳なんていらないとは言わないけれど、翻訳がない良書は数多くあるので、英語が使えないで日本語の世界だけで生きていると、幅広く知る機会は限られてしまうというのが現実である。日本語で書かれた歴史は、みんな英語の原本をアンチョコにしている、と言っても過言ではないくらいだ。

英語で書かれた歴史書の分量には本当に圧倒される。歴史に関し何かを知りたい、と思った時はまず文献がたよりだ。英語によって記述される歴史の文献の質・分量は多言語を圧倒している。そして、実際に、英米の大学での歴史学の履修者は非常に多いらしい。教える教員の数もすごい。日本では歴史は「暗記」(年号を覚える)ものと普通に思われているが、歴史を学ぶとは現在の意味を把握するために過去の解釈することであり、「未来」に向けて人間の決断・行動をなす指針を提供するため根拠を見出すために必須なのだ。歴史とは「暗記」ではなく、イギリスの歴史家カー氏の言葉(現代と過去の対話)のとおりであり、現代人に必須の教養ということだ。

先週アマゾンで注文した歴史書が届いた。「Tragedy and Hope - A History of the World in Our Time」。著者は歴史家のCarroll Quigley。翻訳はないが、アマゾンの書評をみると元クリントン大統領が絶賛したとあった。馬淵睦夫氏の本を読んでいて知った本だが、知る人ぞ知るすばらしい本らしい。1000㌻近い。アントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」の読了はあと残すところ三分の一。次に読む楽しみの本がまたまた枕元の本に積みあがった。

Quigly

 

 

2019年7月18日 (木)

グローバリズムとナショナリズムの相克。つれずれなるままに、もの思い・・・

7月18日(木)曇り

ビーバーの「第二次大戦」は三分の二ほど読了して休憩中だ。今朝は、ヨーロッパの移民問題に警鐘をならした本The Strange Death of  Europeをぱらぱらと読んだ。ヨーロッパでの移民問題とは基本的にはイスラム圏からの移民のことである。この移民の流れはは新自由主義が謳歌を始めた1990年代からとくに勢いを増し、中近東=ほとんどがイスラム圏の政情不安で大量移民が発生し、人々はヨーロッパや北米に百万を超える単位で移民している。民族の大移動である。

米国のトランプ大統領がまたまた騒ぎを興している。レイシスト騒ぎ。対象となったのはいずれも民主党のプエルトリコ系やシリア系の移民(有色、イスラム)などの下院議員。ソマリア出身のオマルさんは、イスラエル嫌い。トランプさんのメキシコ国境の移民の扱いへの批判者だ。直接名指したわけではないが、トランプさんはツイッターで、こういう人たちは破綻した犯罪国家からアメリカにやって来ているが、正義面をして米国政府を批判をするのはやめろ、ぐたぐた言うなら、自分の国に帰れ、という言辞を弄した。

リベラルのマスコミはさっそく飛びついて連日のようにトランプ批判をしている。イギリスのメイ首相も苦言を呈した。カナダの首相の直接の批判ではないが、カナダはトランプさんの言辞に組しない、と表明した。トランプさんの腰ぎんちゃくと揶揄される安倍さんは沈黙のままだ。腰が定まらない韓国にしびれを切らして制裁発動したりで、国政選挙対策で頭が一杯なのだろうか。

アメリカという「国体」はもはやWASPの国ではなくなってしまったというアメリカの伝統的な白人層(20世紀の移民ではなく、19世紀以前の移民でプロテスタント系)の怒りが2016年の大統領でまさかのトランプ大統領選出となった。マスコミの予想と真逆。マスコミは、リベラルのスタンスを取るところが多い。そして、それはユダヤ思想の別名である。人権、平等、正義。聞こえはいいのだが、本音の部分でこれらポリティカル・コレクトネスに本音でうんざりしている人は意外に多いのだ。日本のマスコミもそうだ。安倍批判がかまびすしいにもかかわらず、結局安倍政権は長期政権になっているのは事実だ。自分たちが間違っているということに考えが及ばないのだ。物事にはかならず2面があるようにリベラリズムも問題があるということ。

トランプ現象は、イギリスのブレグジットと同じで、地球全体で席巻の度合いを増しているグローバリズムへの反動である。グローバリズムとナショナリズムの相克。19世紀後半から20世紀前半にかけては、社会主義(共産主義)=グローバリズムの一つの形態とナショナリズムの相克が二つの大戦を招き、その余波は冷戦となって20世紀末まで続いた。

グローバリズムというのはユダヤ思想の実践であると聞いたことがある。第二次大戦後のパレスチナという聖書の聖地にイスラエルというユダヤ人の国家が2000年を超えて再建国!?されたにもかかわらず、多くのユダヤ人は帰国しなかった。誰がユダヤ人なのか、というのは難しい問題だが、すくなくとも2種類のユダヤ人がいることは確かだ。祖国があるにもかかわらず異邦人として異国のなかで生きる道を選んだ人たちと、今や、イスラエル国民となりヘブライ語を話し、イスラエル人としてのナショナリズムを奉じている人々だ。ディアスポラ(流浪)のユダヤ人とイスラエル人とは希求するものが違うのだ。ジョージ・ミケシュのちょっとふるいけれど1970年前後のイスラエル旅行のルポルタージュでも、イスラエルでは、東欧独特の自虐的なユーモアは胡散霧消したとあった。

アメリカの孤立主義が積極的な介入主義に転換したのは、1913年に連邦準備制度(中央銀行)が設立されてかららしい。驚くべきことは、このアメリカの中央銀行はアメリカという国=国営の銀行ではなく、民間銀行(ユダヤ勢力が有力)連合による組織(ロンドンのシティとニューヨークのウォール街)なのだという。このひな形は、ヨーロッパの封建時代に王室の金庫番(キリスト教はお金を卑賤なものと考えていた)として出入りしていたユダヤ人金融家の拡大版である。

戦争をする財源は、基本的に国民の税金である(昔は王様のポケットマネーだったから、戦争は限定戦争で、兵士を大事にした。兵士を消耗品として無慈悲に扱うようになったのはナポレオンが作った徴兵による国民皆兵ができてから)。戦争をするためにはお金が必要だ。日露戦争のころの日本は貧乏でロシアと戦争するのに当時の金融の中心であったロンドンのシティで資金調達をしたがシティは冷たかった(有力銀行のロスチャイルド勢はロシアのバクー油田の利権があった)。日本の戦争債を買ってくれたのはクーン・ローブ商会のシフ(2007年のリーマンショックで倒産)でロスチャイルドのアメリカのパートナーだったウォール街の金融家(ドイツ系のユダヤ人)だった。本質は、国際金融資本が両方に投資してリスクヘッジをしたのだった。

国際金融資本は、本質的に国籍がない。連邦準備制度とは、国際金融資本のアメリカ乗っ取りであった。アメリカが戦争をするたびに戦争国債が発行されるが、ドルを供給するのはプライベートな国際金融資本である。貸し倒れはない(アメリカが崩壊する以外は。崩壊したとしても、必ず逆張りをしているからすっかんぴんにはならない)。担保が税金であるのだからこんな楽な商売はない。

第二次世界大戦中、何故、共産ソ連と英米が手を組んだか。共産主義とはグローバルな思想であり、ユダヤ思想そのもの(マルクスはユダヤ人、ロシア革命も実質的にはユダヤ人が起こした革命で、ロシアの大地を愚直にたくましく生きるロシア人農夫とは無縁なものだった)であり、国際金融資本にとってソ連と手を組むことは問題にならなかった。第二次大戦直前のアメリカの国内は、非介入派と介入派に割れていたが非介入派が圧倒的だった。介入派=グローバル派=国際金融資本の論理で動く政治勢力であった。20世紀前半のアメリカとは、少数派であった介入派が多数派の非介入派であったアメリカをグローバル化=非WASP化する過程であった。ソ連との提携は介入派からすればごく自然なことであった。こう理解しないと、何故にルーズベルトはあれほどまでにナイーブにスターリンと仲良し関係を維持したのかが理解できない。ベルサイユを主導したウィルソンも4選を果たしたルーズベルトも取り巻きのブレーンたちは社会主義者であった。戦後、冷戦になったのは、スターリンが一国社会主義=ナショナリズムを選択したからだった。つまり、グローバリズムを否定したからスターリンが敷いた一国社会主義のソ連は結局潰された。

マネーというのは魔物である。人間の進化の本質にかかわるものではないか。世界でおこる出来事には金融資本の動きが深く関わっている。ひとことで言えば、私的所有の自由と私的利潤追求が人間活動のダイナミズムを生み出す。マネーがマネーを生み出す錬金術。信用の創造。人はマネーの魔力に囚われるのだ。人類という集団(下位には民族とか部族とかいろいろあるだろうが)を動かす本質的な何者かである。

ここで、いきなり、ドイツの哲学者(意志と表象の世界、という著書で有名)ショーペンハウアーの言葉をひくと:

Ein Mensch kann zwar tun, was er will, aber nicht wollen, was er will

A man can surely do what he wills to do, but cannot determine what he wills.

人間は自分が欲することを成すことは確かにできる。しかし、自分が何を欲するかを決めることは出きない。

盲目の意志につきうごかされる人類。

いわゆる陰謀論がいうような金融資本家が世界史的な事件を仕組んでいるのではないだろう。金融資本家は、マネーの論理で動いているだけというか、状況設定はしている。そして、相場を張る。政治状況、とくに、戦乱は、連中にとっては一番のチャンスだ。リスクが大きいほど利潤も大きい。そして、逆張りもする。近代の歴史(西洋が中心となって作り上げてきた近代資本主義世界)はマネーのゲームが加速度的に地球全体を覆う過程であった。グローバリゼーションとはこのことだ。近代資本主義=西洋文明のもうひとつの粋はテクノロジーだ。しかし、マネーなくしてテクノロジーはない。

マネーの論理につき動かされた人類の興亡がすなわち歴史である。目下、マネーを支配している国際金融資本の拠点はロンドンのシティーとニューヨークのウォール街である。いずれもアングロサクソンの国金融都市だ。アングロサクソンが覇権を握ったというより、国際金融資本、すなわち、ディアスポラのユダヤ人をうまく利用したことがアングロサクソンの繁栄をもたらしたということだろう。日本に反ユダヤ主義はないけれど、ユダヤの本質を見誤ったというかまったく理解していなかったことが、20世紀前半で自らの破局を招く原因となったのではなかったか。

マネーの論理は、ソ連に見切りをつけた後、極東の中国大陸でウォール街が中国共産党と結託して現代中国を作った。そして、投下資本からたっぷりと利益を得た国際金融資本にとって、どうやら、中国はすでに用済みになりつつあり、マネーは次の利潤をうむ投資先を探しているらしい。北朝鮮は、そんなポテンシャルを備えた一つの候補らしい。現状では二束三文の価値しかないが、韓国という片割れと合体すれば安い労働力と高い教育レベルでたちまち爆発的な経済成長が見込める、ということだ。

馬渕睦夫氏(もと外務省官僚、ウクライナ大使)によると、最近の北朝鮮とアメリカの接近は、国際金融資本の意志によって実現したものだという。そう言えば、米国人の投資家ジム・ロジャースは本国を引き払い、現在はシンガポールに拠点を構え、ハノイでの米朝会談前に日本語で本を出したが、次の有力は投資先は北朝鮮だと宣言していた。

マネーを媒介に、利潤を最大にすべく金融資本家が暗躍=状況設定するなか、様々の立場の様々の人々が必ずしも合理的には行動するとは限らない不確定要素を持ってドラマを繰り広げるているのが日々の現実ということだろう。

トランプさんだが、彼は根っからのビジネスマンだ。不動産業の。彼に、文明史的な教養と歴史観があるとは思えない。もちろん、取り巻きの専門家アドバイザーはいるけれど、内容はあまり理解しないらしい(読まない)し尊重しているようにも見えない。アメリカよ、どこへ行く、である。

 

 

2019年7月17日 (水)

マイワシ70尾、手長エビ4尾。

7月16日(火)曇り

昨年のこの時期と違って台風や大雨は降らないけれど涼しい日が続く。御日様が顔を出さない。何度か海に出かけたが荒れていて竿をだす気力がでない。12日(水)、たまたま寄り道した那珂湊漁港(魚を買うつもりで)マイワシが爆釣であった。お昼前のことだ。車につんだままにしてあるやわらかい竿にサビキ仕掛けをセットして竿を出した。第一投から釣れた。入れ食いである。コマセを巻く必要がない。コマセを捲いている人曰く「捲くいてる時間がないよ」。30分ほどで70尾。切り上げて帰宅。サイズは18㌢前後と小ぶりではあったが。

Iwashi

背開きにして小麦粉をまぶし、オリーブオイルでさっと焼いて(揚げて)レモン汁を絞ってビールを飲む。うまい!

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残りは、甘露煮(母が作る)、毎朝の塩焼き、そして、オリーブオイルとニンニクを効かせて玉葱とジャガイモのサイコロ切りと一緒に炒め、白ワインで蒸し煮にしたりした。

12日(金)は母の88回目の誕生日のお祝い、13日(土)はYちゃんのママの誕生祝いの夕食で上京したりしながら、昨日までは、某通信添削会社の仕事が始まってエネルギーを使った。

一段落した今日も天気はよろしくない。冷蔵庫の一番上の段の奥に保管した餌もくたくたになっている。そうだ、手長エビ釣りをやろう、と思いたって、午後から那珂川に出かけた。大潮で上げ潮。

Tsuriba

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最初の1時間はいろいろ探ったが、ようやくあるポイントでアタリが来た。手長エビといういう名前そのもの、長い両手をしたエビが釣れた。

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2尾目 

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3尾目(右のハサミがない)

Tenaga4

4尾目

Tenaga5

16時半、満潮で護岸が水浸しになったので納竿。2時間半で4尾。いまひとつだが、コツは分かった。エビの通り道があるらしくポイントをみつけたらそこを集中して狙うことが大事だ。今日の4尾はすべて同じポイントだった。次回はもっと釣果を上げたいなぁと思いつつ帰宅した。

Tenaga1

 

2019年7月 7日 (日)

なかなか数釣りにならないイシモチ。

7月3日(水)曇り

朝3時に目が覚める。血が騒いだからだろうか。大洗にイシモチ釣りに行こうかと迷ったが、やめた。歳を考えろという忠告する声が思いとどまらせた。

ビーバーの「第二次大戦」を読み続ける。スターリングラードの敗北は決定的であった。その後4月から8月にかけてクルスクでの独ソの死闘が続く。しかし、この戦いも、英米のシシリー上陸(7月)によって戦力の一部をイタリーに動かさざるを得なくなりクルスクでさらなる敗北を喫する。1943年の11月にはカイロ会談とそれに続くテヘラン会議が開かれる。。前者は、ルーズベルトのアレンジで蒋介石夫妻が招待された。イギリスはアメリカの意図をいぶかっていた。スターリンは参加しなかった。日ソ中立条約や新疆での中華民国との国境問題もあり、そもそも、スターリンは中国を戦後の世界支配のパートナーとして見なすことに反対であった(イギリスも同じ)。蒋介石夫人(宋美齢)は総統に張り付き、通訳の英語にケチを付けたり、蒋介石の発言を補足したり、目に余る振る舞いをしたらしいが、このカイロ会談でルーズベルトは植民地問題でチャーチルをいびる。戦後のアジアの植民地解放されるべきだ、インドシナは日本の敗戦後、フランスに戻ることはないとド・ゴールさんが聞いたら怒り狂うだろうことを平然と述べた。

チャーチルやイギリスの幕僚たちはルーズベルトに不安を持ち始める。チャーチルの側近(帝国参謀本部総長のブルック大将)は「イタチだかテンの合いの子のような顔をした蒋介石は、目下繰り広げられている世界の戦いの全体像を理解しておらず、様々な交渉から自分たちにとって最大限の利益を見出そうとする狡猾な狐のようだった」と回顧している。

いずれにしても、英米は一枚岩ではなかった。ルーズベルトらアメリカ側をいら立たせていたのは、チャーチル主導のイギリス側が、スターリンの要求するフランス本土への反撃を避けて、北アフリカからイタリアに侵攻し、アドリア海からギリシャ、バルカンに英米の連合軍を侵攻させようとする動きだった。スターリンは、英米のイタリア侵攻に関し、一切埒外にあったことに憤激していた。これは、逆に、スターリンにポーランド問題で、連合国側に譲歩させる口実を与えることになっていく。スターリンは、ルーズベルトの植民地批判では立場を同じくしてイギリスの帝国主義に厳しい目をむけルーズベルトと親密な関係を演出した。バルカン方面(東ヨーロッパの共産化を防ぐ意図があった)への進撃を主張するチャーチルの目論見を挫折させ、1944年5月にフランス上陸作戦を実施を決定させた。テヘラン会談の勝者はスターリンだった。ポーランド問題も、大西洋憲章ではヴェルサイユ条約でひかれた国境の変更を認めない、としたにも拘わらず、スターリンの主張(ナチスドイツとの不可侵条約で得た東部ポーランドはもちろん、バルト三国は言うに及ばず)を認める流れになっていく。チャーチル自身は、個人的に自分が敗北者であり、この会議の真の勝者はスターリンだと悟った。二つの会談終了後にはすっかり疲れ果て精神的に落ち込み、しばらくは立ち直れなかった。そして、これ以降、第二次大戦の終了まで、チャーチルは、脇役の立場になっていく。モスクワを死守し、スターリングラードで勝ち、クルスクで勝利を収めたソ連の軍事力はいまやとてつもないものとなっていた。スターリン自身、戦後のヨーロッパ(ドイツという強国がなくなれば)は自分の意のままだとの自信を持ちはじめる。

 

午後から、那珂川河口へ出かけた。昨日の状況からすると10尾くらいは狙えるとの淡い期待を持って・・・。しかし、現実は甘くなかった。初っ端に早速に1尾(25㌢)を釣り上げ気合がはいったにも関わらず後が続かなかった。

Ishimochi1

魚が群れて釣れる場所があって、そこは地元のベテラン釣り師が陣取っている。それでもポツリポツリ釣れていはいたが昨日のような勢いはなかった。まったく、 釣りというのは不思議なものだ。昨日と何が違うのか。確かに、昨日より涼しかったが、空はどんより曇って海は笹濁り、釣れてもおかしくない雰囲気だったのに。まあ、ボウズではなかったのは幸いであろう。一人の左投げのベテラン釣り師と顔見知りになった(昨日は1尾しか釣れなった)。彼は朝から来ていて、昨日ボンボン釣れていた場所を陣取っていたが、あまりに釣れないのでぼやいていた。それでも、5尾は確保していたが皆20㌢くらいで小物だった。1.5号のPEラインで軽く5色(125㍍)は投げるよ、と。しかし、ここは、遠いポイントの海底はサラサラでヨブがない。3色から2色(40㍍~80㍍)のところで小さい起伏みたいなものがあるのでそこに仕掛けを置いてアタリを待つしかない、とのこと。遠くに投げても駄目だよ、と。自分は、1号のPEでやっと4色(100㍍)だが、遠投は必要ないようだ。だから私で釣れるのだろう。このベテラン釣り師は、いつもはずっと南のサーフでやってるらしいが、話を聞くと30尾、40尾のイシモチを釣るというのだからすごい、というか、釣り師にある法螺話だろうか。自分の自己最高は20尾前後だが、40尾だとクーラーボックス一杯になるだろうけれど、一度そんな大釣りをしてみたいものだ。

あまりに釣れないので17時前に帰宅。夕食はソイの清蒸を作ってビールを飲んだ。香草は庭に自生している三つ葉(母が植えたという)を使った。出来栄えはグッド。

2019年7月 4日 (木)

大阪ナオミ、ウィンブルドン一回戦で散る。久しぶりのイシモチ釣り。なす味噌炒め。

7月2日(火)曇り

ウィンブルドンのテニス選手権が始まった。どいうわけか、自分は中学時代にテニスクラブ(と言っても軟式)に所属して3年時には県大会で優勝、全国大会にも出場(2回戦で敗退、女子は全国優勝)という経歴をもっていることもあって、テニス観戦は昔から好きだった。当時は、ウィンブルドンというより、デビスカップに注目していた。東洋ゾーンの難敵はインド。いつも負けていたなぁ、インドに。憎きクリシュナン選手は強かった。

世界4大トーナメントでは、ロッド・レーバー、スタン・スミス、ジョン・ニーカムなどオールトラリア全盛でや米国も強かった。そして、1980年代になると、ジミー・コナーズ、コートでのマナーが悪い「悪ガキ」ジョン・マッケンロー、

Warugaki

などのアメリカ勢が目立ち、そして、ボルグ、ヴィランデル、エドベリなどのスウェーデン勢が台頭した。チェコのレンドル、ドイツのベッカーなど他の欧州勢も出てきた。私のテニス観戦はこのあたりまで、その後は徐々に遠ざかって記憶は薄い。女子だとビリー・ジーン・キング、クールな美女クリス・エバート、

Evert

筋肉質のレスビアンことナブラチロワ。ベべッティーナ・バンジ(ドイツ系アルゼンチン、英語読みだが、ドイツ語読みならブンゲ)という美女もいたなぁ。2000年に入って、近年薬物問題で追放?されたシャラポワというロシア人美女も目を楽しませてくれた。前置きが長くなったが、大阪ナオミ選手が一回戦敗退。全豪オープンで優勝して世界ランキング1位になったが、コーチを解約して(何かトラブルがあったか?お金の問題?)から、おかしくなった。全仏でも結果が出なかったしメンタルなものだろうと推察される。このままずるずると舞台から消えてしまうのではないかという悪い予感がする。当たらなければいいのだが。

今日は朝から曇り空。そして蒸し暑い。こんな時はイシモチが釣れるのではないか、と那珂川河口へ午後から出かけた。川側で竿をだした。4人、5人ほどいたが誰も釣れない。2時間が経過した。2週間前知り合った人がやって来た。偵察である。海側を見てから戻ってきて、釣れてるよ、との情報。急遽、移動した。満潮直前の16時前だった。10人ほどがずらりと護岸に並んでいた。第一投。80㍍投げる。30㍍手前までさびくが空振り。両側ではアタリがあったのかイシモチを取り込んでいる。第二投。50㍍付近でついに来たぁ!ガガン、ガガガ―ンというあの強烈なアタリ。目測28㌢前後の良型だった。一匹釣れたのでこれで安心した。第三投目。40㍍付近でまたアタリ。今度は少し弱かったが20㌢越えのイシモチが釣れた。なーんだ、釣れるじぁないかぁ。しかし、残念ながら潮どまりにはいったのか、ピタリとアタリが出なくなった。1時間粘ったが、フグが釣れたので納竿。現場の人と言葉を交わしたが、朝からポツリ、ポツリと釣れたらしい。右手50㍍ほど離れたところの釣り師は、一投ごとに釣り上げていた(15尾前後あげたらしい)。明日は雨でなければ最初から海側で竿を出そう、と思いながら家路についた。

Oarai

Ishimochi2

帰宅したのは18時半すぎ。外はまだ明るいが、両親はすでに夕食を済ませていた。釣りの魔力に負けてヘルパー役をサボってしまった。すまないと思いつつ、急いで、豚のロース肉と茄子とミョウガを使った味噌炒めを作ってビールを飲んで自分の夕食を簡単に済ませた。この一品、ウーウェンさんのレシピを参考に作ったが、お酒にもご飯にもぴったりで病みつきになりそうだ。茄子の季節になったが、地中海料理のラタトゥイユ(茄子とトマト他の野菜のコラボ)、焼きナス(油で焼いても可)を生姜醤油で食べたり、とこのところ茄子を食べ続けている。

Nasu

2019年7月 2日 (火)

トランプ氏、38度線を超える!

7月1日(月)雨のち曇り

トランプさんが北朝鮮の金さんと電撃ミーティングを挙行。世界はあっけにとられた。非核化交渉を再開することで合意したということらしいが胡散臭いと思うのは私だけだろうか。去年のシンガポール(6月、私は左足でどん底の気分だった)から今年2月末のベトナムまでは、何かが起きそうだという期待感があったが、結局第二回会談は破局に終わった。核の完全廃棄の意味するところが明確にならないまま、事が進むはずがない。北朝鮮は、完全核廃棄をする意思表示をすることで、トランプさんの国内事情の弱みに付込んで、核を保持したまま制裁解除をしようとしたのだったがトランプさんもそこまでおバカさんではなかった。

それでも、トランプ流のトップ会談で物事を決めて動かすという自分流のビジネス交渉スタイルは健在である。今回のトランプさんの会談は、彼流の主として国内向け(来年の選挙対策)かつ世界に向けてパフォーマンス、トランプ劇場の再現だろう。中味はほとんどないような気がする。アメリカ、中国、ソ連のそれぞれの立場と思惑が交錯する中、金さんはそれぞれに歩み寄り(韓国と日本は蚊帳の外、単なる、お金を貢いでくれる対象としてか思っていないようだが、仕方がない。両国には国際政治の現状を変える「政治力」はないのだから)おいしいところとりをしたい、とチャンスを狙っているようだ。そもそもの制裁のイニシアティブはアメリカにあるのだからやっぱりアメリカがカギであることはよくわかっている。

現実には、しかしながら、交渉再開するとして、何ら両者のスタンスが変わることはないだろう。日本にとっては、トランプさんが軽々しく行った短距離ミサイルはどうでもいい、というのはちょっと待てよ!である。あんただけが世界を背負っているわけではないぜ、である。安保無用論も彼個人の昔からの持論らしいが、この人の言動は、これまでの歴史的経緯をかなりというか全く蔑ろにしているのか、あぶなっかしい。

以下BBCにあったある記事の一部:

The images were mesmerising, but to what end? Donald Trump's unorthodox diplomacy has certainly reduced tensions on the Korean peninsula, but it has not stopped North Korea from continuing to expand its nuclear arsenal.

(目がくらくらするほどの二人のシーンだったが、そもそも何のためか?トランプ氏の型破りな外交はある意味朝鮮半島の緊張を緩和しているだろうが、北朝鮮の核兵器庫は拡大し続けている。)

This relationship has produced smiles and handshakes but not the denuclearisation of the Korean Peninsula. Donald Trump's visit to North Korea lasted just over a minute - more than enough time, his critics will say, to legitimise a totalitarian regime with one of the worst human rights records on the planet.

(二人の現時点での関係が笑顔と握手を演出したとしても、朝鮮半島の非核化を実現するものではない。トランプ氏が北朝鮮に1分以上(これだけでも十分すぎる)訪問したことは、この地球で最悪の人権蹂躙記録を有する全体主義政権を合法化するものだ、と批判者たちは言うであろう。)

正鵠を得た批判だと思う。冷戦の化石のような負の残余物である北朝鮮。核を抱いてサバイバルを計る金王朝一族とその取り巻きのために世界はまだまだ振り回されそうである。こんな国を(冷戦が終わるまで)「理想の国」としして日本の戦後左翼リベラル(朝日新聞等)は賛美しつづけていたのだし、若き日の自分もすなおにそれを信じていた(理想の社会主義国家=北朝鮮;右翼反動=韓国)のだったが、今では遠い過去のことであり、人間は時代の環境でいとも簡単に「政治の嘘」を信じてしまうものだということを苦々しく思うだけである。

それにしてもトランプさん、就任以来、精力的に物議をかもしながらしぶとく頑張っている。何といってもアメリカの動きは世界全体をゆるがすマグニチュードを持っているのだから、プラスの方向に寄与してほしいと思うだけだ。

今日は、Yちゃんのお母さんの誕生日。お祝いのメッセージを送る。私より一回り若い世代だが同じ干支である。午前中は雨だったが、午後は止んだ。那珂湊に魚の買い出しにでかけたついでに1時間半ほど竿を出した。大潮。上げ7分から8分。期待したが、海からはの反応はなし。一度だけ大きなアタリが来た(たぶん、イシモチ)がすっぽ抜け。シロギスを狙った7号針ではどうしようもなかった。あえなく撃沈。トホホ。

2019年7月 1日 (月)

ツバメの子育て、アントニー・ビーバーを読み進める。

6月30(日)雨

一昨日から雨が降り、自宅にこもったままだ。アントニー・ビーバーの「第二次大戦」に没頭する。スターリングラードの独ソの死闘、カサブランカ会談、北アフリカ戦線でのロンメル率いる独伊軍と英連邦軍(途中から米軍も加わる)、珊瑚礁海戦、ガダルカナル、ビルマ戦線、そして、再び東部クルスクでの独ソの死闘(まだ途中)。

その間、G20が大阪で開催。このところ世事にまったく背を向けたままだ。トランプさんは大阪帝国ホテルに宿泊したらしい。ここは自分自身も1度か2度仕事で宿泊したことがある。1990年前後だか。習近平さんはウェスティンホテル。このホテルは知らない。ロシアのプーチンさんはリーガロイヤルホテル。何度も出かけたホテルでなつかしい。自分が30歳代のころだ。

食糧品調達をするKストアではツバメの巣が二つあって子育てしている。一つのほうはもう巣立ち寸前。もうひとつはまだ卵から孵って1週間といったところ。実家の家の屋根瓦ではスズメが子育てしており、2軒隣のいまは空き家になっているブロック塀の中ではシジュウカラが子育てしている。またつい数日前は巣だったばかりのヒヨドリの雛(羽が短い)が家の東向きのブロック塀の上で給餌をうけているのを目撃した。1羽だけだったが、前日、近くで親鳥が悲痛な声をあげていた。おそらくもう一羽だか二羽だかいたはずだが、巣立ち雛がカラスの餌食になったと思われる。野鳥はまだまだ子育て真っ最中。Kストアのツバメはカラスの餌食にならないことを祈っている。

Tubame1

以下、ビーバーの本を読んで理解したことや勝手な想像の飛躍を記す。

大戦中のフランスに関連して:

東部(スラブ)と西欧とのヒトラーの戦いはまったく内容といいその過酷さといい雲泥の差であった。フランスはあっけなくドイツに敗れ去ったが、停戦協定を結び、第一次世界大戦の英雄ペタン将軍を首班とするヴィシー政権が成立した。伝統主義者、王政復古派、カトリック派からナチスに共鳴する革新保守派などが集う政治的には、反民主主義・反社会主義・反共産主義な政府だった。ナチスの対外戦争に中立の立場をとる、実質的には親ナチ政権であった。150万だかの壮年の男性はドイツに強制労働として供出され(朝鮮半島からの徴用工みたいなものか)、陸軍は実質的に解体され、海軍は、ドイツの敵対国に軍艦を渡さないことを条件に保有が認められた。アメリカやソ連は当初このヴィシー政権を承認した。ドゴール将軍の自由フランス亡命政権(ロンドン)をチャーチルの傀儡政権ではないかと警戒したるルーズベルトのアメリカは認めなかったらしい。イギリスは、ヴィシー政権がナチスに協力的だということでフランスの軍艦を攻撃して1300人の犠牲者を強いるなどの行動もとっている。

余談ながら、パリはフランス側の無防備都市宣言による無血開城でドイツ軍が占領した。日中戦争時の首都・中国の南京と大違いである。もし、蒋介石が無防備都市宣言をしていたら、南京虐殺(大がつくかどうかは今もって疑問符だと思う)は起きなかったのではないか。後述する重慶爆撃と同様に、どうも、中国の指導部は、欧米の支援をえるためのパーフォーマンスとして、人民の生命を無慈悲に扱ったのではないかと思える。それとも単なる無能のなせる業だったのか。日本の軍隊側にも当然ながらdehumanization processが日常的にに行われ、捕虜に対する、そして、中国人一般に対する蔑視が相乗して、結果として今日なお和解することがほぼ不可能なとんでもない事態を作り出してしまったことは否定できない。

北アフリカでの英米による上陸作戦(スターリンの要請は、フランスへの連合軍上陸による第二戦線の展開であったが、陸軍国ではないイギリスと遅れて参戦した米国には十分な準備が整っておらず、まずは、手薄な北アフリカに「トーチ作戦」を実施)を実施することになった。アメリカ側には、大英帝国の植民地保持のために戦っているのではないと皮肉る人が多かったがルーズベルトがとりなした。

地中海の制空権と海軍力で勝るイギリスは苦戦しながらもロンメル軍団のロジスティックスを断ち追い詰める。そして、初の英米合同で行われた北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)が成功裏に実施される。統率するのはあのアイゼンハワーである。北アフリカの「自由フランス領」(アルジェリア)の指導者をめぐってドタバタ劇が展開された。チャーチルが押すドゴールを嫌ったルーズベルトはヴィシー政権の重鎮であるナチスシンパと見做されかねない軍人(ダールランやジロー)などを押すなど奇怪な様相を呈するが、チャーチルの計らいもあって、カサブランカ会談(1943年1月)ではドゴールとジローの両将軍が握手する一コマを演出した(ダールランは直前暗殺される)。

独ソ戦の展開によってドイツの戦争経済に貢ぐことを強いられたフランスの生活の窮乏化や、1943年2月のスターリングラ-ドでのドイツの敗北でどうもドイツは負けるのではないか、ということが徐々にわかってくると、それまでは、従順にナチスの占領に従ってきたフランス国民の離反が始まった。カサブランカ会談の結果、ジロー将軍を首班(軍事を統括)として政治面の実権を握るドゴール将軍と形式的にせよ手を結んだことで、フランスの海外植民地の重要な一角が英米連合国側に組する姿勢が鮮明となり、ドイツは、アントン作戦を実施。フランス全土が占領され、締め付けが厳しくする一方、反ナチスドイツへの地下活動が徐々に活発化していく。

1942年のアジアの戦局:
2月のシンガポール占領、3月の蘭印占領までは破竹の戦いぶり(満を持しての戦争準備をしていた日本と欧州と大西洋の戦いにかかりきりの英米の準備不足の差は歴然。日本を見くびっていた英米にも責任の一端はあった)であった。しかし、米国は早くも4月には空母ホーネット等から離陸した米軍機が東京を空襲する。この空襲が、ミッドウェイ―での日米の戦いのきっかけとなるが、日本は大敗する。実質的に日本連合艦隊はこの時点で終わっていた。しかし、海軍はこの敗北をひた隠しにし、現場の人間は転戦を課せられて死地に赴かされた。東条さんを含め陸軍関係者や政治家、外交官は後々までこのことを知らされなかった。また、緒戦の予想外の完勝で舞い上がってしまった軍部は戦線をさらに拡大する愚(米国と豪州の連絡網を絶つため)をおかし、本来であれば防衛圏の体制を固め、相手を待ち受け、日本近海で艦隊決戦をする戦略を徹底できなかった。伸びきった戦線でのロジスティックスの防御の貧弱さをつかれ、無益な増員派遣は裏目となり、マッカーサーの陸軍とニミッツの海軍の両軸作戦によるジリジリと押し戻される展開になっていく。ガダルカナル撤退は1943年2月、時まさに、独軍がスターリングラードの死闘で敗北を喫したタイミングであった。

1942年の英国のドイツへの戦略爆撃の開始:
一般市民を堂々とターゲットにした都市爆撃はイギリスが行った。バトル・オブ・ブリテンではドイツ空軍がイギリス本土を攻撃したが、対象は国際法にもとづく軍事施設がターゲットであった。そんななか、ロンドンに爆弾が落とされる偶発的な誤爆があったが、ロンドン市民を恐怖の底に陥れた。チャーチルはベルリン空襲をその報復として実施した。心理戦でありほとんで物理的な効果はなかったが、これをきっかけに、また、スターリンのヨーロッパ第二戦線展開要請に即座に応えられない代わりとして都市爆撃の比重を加速させていった。米軍も参加するが、ここにはあのカーティス・ルメイ中将も登場する。日本への1944年から45年に掛けて戦略爆撃の前例はドイツ空爆にあった。リューベック、ケルン、ハンブルク、ベルリン、そして、東京、大阪、名古屋を始め日本各地都市が対象となっていく。爆撃によるピンポイント攻撃の効果は疑問視されており、その結果、焼夷弾が考案され、絨毯爆撃によって一般市民を焼き殺す、という恐ろしい戦略となっていった。この、一般市民を攻撃の対象とする国際法違反の空爆の前例として、スペイン戦争時のドイツ空軍によるゲルニカ爆撃(ピカソの「ゲルニカ」でも有名)や、日中戦争時の日本軍による重慶爆撃がよく引き合いに出されるようだ。なお、ゲルニカ空爆は、ゲルニカに軍事施設があり国際法違反ではなかったという論があるらしい。つまり敵対する側のプロパガンダだったというもの。日本の重慶爆撃の無差別攻撃も、実は、軍事施設を狙ったものだったが、蒋介石の計算もあって、軍事施設を爆撃しにくくするために敢えて一般市民を盾にした(市民が居住する地域に施設を移した)ことが招いた結果だとも言われる。巻き添えによる被害を英語ではcolateral damageと言うらしいが、ボスニア戦争やイラク戦争や近年の戦争でも頻繁におこっていることである。

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