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2019年7月 7日 (日)

なかなか数釣りにならないイシモチ。

7月3日(水)曇り

朝3時に目が覚める。血が騒いだからだろうか。大洗にイシモチ釣りに行こうかと迷ったが、やめた。歳を考えろという忠告する声が思いとどまらせた。

ビーバーの「第二次大戦」を読み続ける。スターリングラードの敗北は決定的であった。その後4月から8月にかけてクルスクでの独ソの死闘が続く。しかし、この戦いも、英米のシシリー上陸(7月)によって戦力の一部をイタリーに動かさざるを得なくなりクルスクでさらなる敗北を喫する。1943年の11月にはカイロ会談とそれに続くテヘラン会議が開かれる。。前者は、ルーズベルトのアレンジで蒋介石夫妻が招待された。イギリスはアメリカの意図をいぶかっていた。スターリンは参加しなかった。日ソ中立条約や新疆での中華民国との国境問題もあり、そもそも、スターリンは中国を戦後の世界支配のパートナーとして見なすことに反対であった(イギリスも同じ)。蒋介石夫人(宋美齢)は総統に張り付き、通訳の英語にケチを付けたり、蒋介石の発言を補足したり、目に余る振る舞いをしたらしいが、このカイロ会談でルーズベルトは植民地問題でチャーチルをいびる。戦後のアジアの植民地解放されるべきだ、インドシナは日本の敗戦後、フランスに戻ることはないとド・ゴールさんが聞いたら怒り狂うだろうことを平然と述べた。

チャーチルやイギリスの幕僚たちはルーズベルトに不安を持ち始める。チャーチルの側近(帝国参謀本部総長のブルック大将)は「イタチだかテンの合いの子のような顔をした蒋介石は、目下繰り広げられている世界の戦いの全体像を理解しておらず、様々な交渉から自分たちにとって最大限の利益を見出そうとする狡猾な狐のようだった」と回顧している。

いずれにしても、英米は一枚岩ではなかった。ルーズベルトらアメリカ側をいら立たせていたのは、チャーチル主導のイギリス側が、スターリンの要求するフランス本土への反撃を避けて、北アフリカからイタリアに侵攻し、アドリア海からギリシャ、バルカンに英米の連合軍を侵攻させようとする動きだった。スターリンは、英米のイタリア侵攻に関し、一切埒外にあったことに憤激していた。これは、逆に、スターリンにポーランド問題で、連合国側に譲歩させる口実を与えることになっていく。スターリンは、ルーズベルトの植民地批判では立場を同じくしてイギリスの帝国主義に厳しい目をむけルーズベルトと親密な関係を演出した。バルカン方面(東ヨーロッパの共産化を防ぐ意図があった)への進撃を主張するチャーチルの目論見を挫折させ、1944年5月にフランス上陸作戦を実施を決定させた。テヘラン会談の勝者はスターリンだった。ポーランド問題も、大西洋憲章ではヴェルサイユ条約でひかれた国境の変更を認めない、としたにも拘わらず、スターリンの主張(ナチスドイツとの不可侵条約で得た東部ポーランドはもちろん、バルト三国は言うに及ばず)を認める流れになっていく。チャーチル自身は、個人的に自分が敗北者であり、この会議の真の勝者はスターリンだと悟った。二つの会談終了後にはすっかり疲れ果て精神的に落ち込み、しばらくは立ち直れなかった。そして、これ以降、第二次大戦の終了まで、チャーチルは、脇役の立場になっていく。モスクワを死守し、スターリングラードで勝ち、クルスクで勝利を収めたソ連の軍事力はいまやとてつもないものとなっていた。スターリン自身、戦後のヨーロッパ(ドイツという強国がなくなれば)は自分の意のままだとの自信を持ちはじめる。

 

午後から、那珂川河口へ出かけた。昨日の状況からすると10尾くらいは狙えるとの淡い期待を持って・・・。しかし、現実は甘くなかった。初っ端に早速に1尾(25㌢)を釣り上げ気合がはいったにも関わらず後が続かなかった。

Ishimochi1

魚が群れて釣れる場所があって、そこは地元のベテラン釣り師が陣取っている。それでもポツリポツリ釣れていはいたが昨日のような勢いはなかった。まったく、 釣りというのは不思議なものだ。昨日と何が違うのか。確かに、昨日より涼しかったが、空はどんより曇って海は笹濁り、釣れてもおかしくない雰囲気だったのに。まあ、ボウズではなかったのは幸いであろう。一人の左投げのベテラン釣り師と顔見知りになった(昨日は1尾しか釣れなった)。彼は朝から来ていて、昨日ボンボン釣れていた場所を陣取っていたが、あまりに釣れないのでぼやいていた。それでも、5尾は確保していたが皆20㌢くらいで小物だった。1.5号のPEラインで軽く5色(125㍍)は投げるよ、と。しかし、ここは、遠いポイントの海底はサラサラでヨブがない。3色から2色(40㍍~80㍍)のところで小さい起伏みたいなものがあるのでそこに仕掛けを置いてアタリを待つしかない、とのこと。遠くに投げても駄目だよ、と。自分は、1号のPEでやっと4色(100㍍)だが、遠投は必要ないようだ。だから私で釣れるのだろう。このベテラン釣り師は、いつもはずっと南のサーフでやってるらしいが、話を聞くと30尾、40尾のイシモチを釣るというのだからすごい、というか、釣り師にある法螺話だろうか。自分の自己最高は20尾前後だが、40尾だとクーラーボックス一杯になるだろうけれど、一度そんな大釣りをしてみたいものだ。

あまりに釣れないので17時前に帰宅。夕食はソイの清蒸を作ってビールを飲んだ。香草は庭に自生している三つ葉(母が植えたという)を使った。出来栄えはグッド。

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