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2019年9月16日 (月)

大潮の大釣り

9月16日(月)雨、後曇り

カイズを3枚仕留めた翌日、つまり、先週の木曜日のことだが、大潮だったので再び現場に足を運んだ。はやる心~釣りの楽しみの一つは釣り始める直前のあの何とも言えない心の高揚感である~を押さえながら安全運転で出かけたのだった。

ところが、ななな何と、すでに人が釣り座を構えているのにびっくり。仕方なく、橋の下流側のいつもの護岸で竿を出すことに。

気が付けば、季節は巡り、いつの間にか稲は色づきあちこちで収穫の時期になっていた。

Kararetaine

蝉はまだ鳴いているが、川向うの広い草地からホオジロの冴えずりが聞こえてくる。イソヒヨドリの美しい美声も護岸のどこからか聞こえる。翡翠色のカワセミも目の前を通り過ぎて行った。護岸の刈られた草地を飛び回るバッタを捕まえた。ショウリョウバッタである。

Shouryou2

 竿は3本出した。カイズを意識して腰の柔らかい4.5㍍の竿を2本(錘負荷10号と15号)に投げ竿1本(錘負荷25号)だ。2本針の吹き流し仕掛け。一つの針には2Lサイズのオキアミ、もう一つには青イソメをつけて、カイズ狙いではあるが(カイズはオキアミ、青イソメ、シジミの身、小さなカニ、スイカ、など何でも食ってくるらしい)セイゴ、マゴチ、イシモチでもなんでも来いというつもりだった。前日の雷雨もあり川の水には濁りがあった。昼間からウナギも釣れるかも知れない・・・。期待感が高まる。

そして結果は? 13時過ぎから16時までの3時間、セイゴ・フッコがバタバタと当った。

Seigo-30cm

さすがは大潮である。釣れてくる魚は30㌢前後である。アタリは微妙で大きな引き込みはないが、リールを巻くとセイゴ特有の強烈な抵抗、護岸では水面下に盛り込もうとしたり、途中で鰓洗いのジャンプをしたり。40㌢のフッコは一番柔らかい竿で針は8号、ハリスは1.5号だった。1週間前の再現。何とか護岸まで引き寄せ、何とか引き上げた途端にハリスが切れてしまったがギリギリセーフだった。

Seigo-dairyo

終わってみれば、セイゴのオンパレード。カイズはからぶりであった。下流側のカイズのポイントは遠いんだよなぁ。どういうわけか。記憶では50㍍以上先に投げた遠投竿で釣れた。一方、昨日の上流側のポイントは手前のポイントだった。30㍍前後だった。

週末は例によって家に閉じこもって添削の仕事に没頭。釣ってきたセイゴ・フッコは山椒煮、グリル、アラ汁にして毎日のように食卓に供した。冷蔵庫には最後の一尾がまだ残っているが・・・・。

2019年9月12日 (木)

台風が去り、猛暑、そして、カイズ釣り

911日(木)晴、時々曇り

週末は急遽、1ヶ月ぶりの上京。神田の古本屋街を歩こうかとも思ったが暑さもあって家でぐずぐずしてしまった。歳だねぇ。増える本を考えると、まずは整理してからだという思いもあるし、読みきっていない本も随分ある。それでも、また、本は買ってしまうと思う。インターネットで例えばアマゾンで検索すれば古本は簡単に買える。歴史関係の本は特にそうだ。邦訳されていない興味ある文献の何と多いことか。ネットで買う場合の利点は書評を読めることだ。特に、それが、新聞等での専門家によるものとは違う一般の普通の人びととの様々な鋭い指摘や感想(くだらないものもあるけれど)を参考にできるのだから。

上京した際はYちゃん親子と夕食と翌日の昼食をともにして夏休みの話(タイ旅行)やYちゃんが行ったというライブコンサートの話しやら自分の親たちの介護の話などなど。いっしょに寿司を大山でたべたり、池袋の築地植村での和食を食べたりで、見る予定の映画(タランチーノ監督のワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド)はスキップして(Yちゃんのおかあさんは一人で鑑賞、Yちゃんは友達と街歩き)、台風による強風での交通機関ストップを案じて早めに家に戻った。

関東を襲う歴代最大?らしい台風は明け方にやって来た。夜中の1時、一度トイレに起きたが台風の気配はなかった。やって来たのは明け方だった。4時ごろ風と雨の音で目がさめた。5時ごろ、階下で雨漏りしている、という両親の声が聞こえる。南風が吹き、横殴りの雨がふると東向きの両親が起居している部屋は雨漏りをするらしい。一度、修理はしたらしいのだが。母の機転で反対にした傘を父のベッドに据え付けてとりあえずはしのぐことができた。

幸いにも我が家の被害はごみを入れるポリバケツを倒されたことと雨漏り以外はなかった。2.11の大地震の時も皿が数枚程度割れて、屋根瓦の一部が損壊したり風呂場のタイルが少し剥がれた程度であった。もともと場所が岩盤の固い高台で周辺には雑木林が多いのも幸いしているかも知れない。その雑木林も大分宅地化で減ってしまったが・・・・。

テレビのワイドショーを見るともっぱら日韓問題と台風被害で大騒ぎである。日韓問題はいきつくところまでいかないと決着しないだろう。というか、決着はないかも知れない。結局のところ朝鮮半島の地政学が働いている。今回の騒動の英国のエコノミストの記事に、不動産王・トランプ大統領とロケットマンこと金正恩氏の接近が原因だという記事が出たらしい。記事は読んでいないのでよくわからないけれど、それだけではないだろうが、アメリカの対北朝鮮スタンスがトランプさんのパフォーマンスで変わろうとしていることは確かだ。オバマさん時代、イランに対しては宥和し北朝鮮には断固と対応していたのが、トランプさんはひっくり返してしまったのだ。北朝鮮は核保有国であるにもかかわらず、短距離ミサイルの実験には何もいわなくなってしまったアメリカ(というか、トランプさん)。対イラン・北朝鮮強硬派のボルトンさん(ネオコンの強硬派)は昨日解任されてしまった。トランプさんは「解任した」と言っているが、ボルトンさんは「自ら辞任した」と言っている。

テレビでは、歴代の権力者が次の権力者から刑事告訴されて犯罪者にされ葬り去られるというこれまでの歴史が言及され、韓国の法相就任での騒ぎに、ある人は、韓国の政争はまるで韓流ドラマそのものではないか、と印象をもらしていた。物の本によれば、韓国はある意味、中国より以上に儒教が生き方そのものになっている「儒教原理主義」の国だという。父系社会を作り(=夫婦別姓)、男性の一族が代々存続していくことを何よりも優先する。そのため社会とか個人とか国家という西欧概念とは本来相容れない制度でもある。権力者となれば、力を持った当人は自分を支えてくれた一族を優遇するのは当たり前でまさにこれが中国や朝鮮半島ど繰り返されてきたのだ。近代国家の法と一族の存続の要請=儒教的生き方が衝突した場合、儒教的生き方が優先してしまう。だから、権力者には腐敗が内在してしまうのだ。権力者になること=腐敗(身内優先=権力者は自分の権力の分け前を一族に振舞う、還元する。逆に身内は権力者となれる科挙に合格できそうな一族の秀才を徹底的に助ける)ということ。韓国の受験競争の厳しさは世界に有名なことで日本の比でない。不正入試に対する厳しい目は、試験が一生を左右する韓国では事の重大さが違う。また、一族とは「部族」(社会学の用語で「宗族」という)のことだ。日本人が血の繋がりから連想する親戚とは次元が違う。それは、保守だろうが革新だろうが、朝鮮半島人々の生き方は同じなのであり生きていくための宿命である。文大統領は清廉潔癖でいまのところ検察がつっつけないので法相が狙われたという観測なのだが、いずれ、文さんも同じ運命をたどることになるのだろうか。

昨日の午後、那珂川へ足を運んだ。カイズ狙い。いつもの釣り場はどういうわけかすでに釣り座が構えられていたので上流側で竿を出した。セイゴ、マゴチ、イシモチ、ハゼ、カイズ、なんでも来いという那珂川下流域だが、エサは冷蔵庫に寝かしてあったくたくたの青イソメの残り(30㌘くらい)とオキアミ(大きい2Lサイズ)を使い、竿は3本出した。

Tsuriba_20190912110501

第一投で上流側の遠投竿に20㌢弱のカイズが来た。オキアミを食ってきた。

Kaizu12

それから2時間、沈黙。時折リリースサイズの木っ端セイゴが一尾、二尾、三尾、四尾・・・。河に戻した。

15時過ぎ、空が怪しくなってきた。アタリが出始めた。下流側の柔らかい竿が一気にお辞儀した。25㌢前後の見事なカイズ。やったぁ。狙い通りだ。カイズは青イソも食うけれど、カイズはやっぱりオキアミがあればそっちを食う。

Kaizu11

遠くでゴロゴロと雷鳴がする。やばい、と竿を片付け始める。上流側の竿に立て続けにアタリが来た。一度目は、途中でバラしてしまった。二度目は、何とか仕留めることが出来た。これも、25㌢前後の標準サイズのカイズ。

Kaizu10

15時半、時合を予感したが、雷は怖く(釣り竿に落雷することはよくあるらしい)、急いで片付けて家路についた。1途中から、ぽつぽつと雨が降り始め、自宅まで10分のところで土砂降りの雨。稲光、ゴロゴロ。ぎりぎりセーフで家に駆け込んだ。

釣果 カイズ3尾 (20㌢、25㌢x2)

Kaizu3

2019年9月 7日 (土)

ウグイスが笹鳴く!

97日(土)曇り

今朝も4時に目が覚めてしまった。昨夜は21時過ぎには眠りに落ちた。昨日から読み始めたケストナーのDie Verschwundene Miniatur (消えた密画)のドイツ語版を40㌻ほどまで読み進めた。1976年版だけれど、原作は1935年。日本語訳は随分昔(学生のころか20代)に読んだ記憶はあるが内容はすっかり忘れている。今回は原書で、辞書なしで楽しく!?読み切ろうと。作品が書かれたのは1935年だから、すでにナチスが政権をとりヨーロッパは戦乱の暗い予感の中騒然としていた時代だ。内容は大人向けのユーモア小説。主人公は、ベルリンの代々続く肉屋の親方。仕事ひとすじに生きてきた男がある日そんな自分に倦怠感を覚え、「もういいっ」と妻や家族には仕事仲間を訪ねると言いつつ、すべてをうっちゃり、デンマークへ息抜きの一人旅行にやってきて事件に巻き込まれる話。

始まりはコペンハーゲン。冒頭のコペンハーゲン市の描写を読みながら、自分が初めて地を踏んだ外国はデンマークだったことを思い出した。1976年の夏。アエロフロートで羽田からモスクワ経由(シェレメチボ空港で給油)で到着したのだった。記憶はかすかである。有名な人魚は見に行ったけれど、小さかったなぁ。ブラッセルの小便小僧とどっこい、どっこいである。チボリ遊園地にも行った。アマリエンボー宮殿はうーん確か見たはずだが。こじんまりとしてきれいで瀟洒な街だった。電車に乗って、フェリーでユトランド半島を下って旅行したっけ。フェリーの後、再び電車がカタン、コトン走り出すと隣のコンパートメントから若いドイツ人の女性が自分のスーツケースを見なかったかと血相を変えてやって来たことをなぜか思い出す。仲間と一緒だった我々一団は、年増のドイツ人のおばさんに「あなたたちはフィリピン人」と聞かれたっけ。荷物紛失とあやしげな見慣れない東洋人の一団。

小説の中でアメリカ人が登場するが、ロックフェラーのような大金持ちとガルボのような美しい女性、という比喩が出てくる。1935年の時代の象徴であったのだろう。

Kaestner

アメリカのトランプ大統領がグリーンランド(デンマークの自治領)を購入する云々とデンマーク首相の「ご冗談でしょう」のコメントがあり大統領はそれだからだかどうか知らないがデンマークからの招待をキャンセルしてしまったのは2週間くらい前のはなしだったろうか。

トランプ大統領という現象は一体何なだのだろうか。現象が先におきて、何なのかという本質は後世にならないとわからない何かなのだろうか。トランプさんはもともと当選するとは思わず、売名行為のお遊びで立候補したらしい、それが当選してしまったから大変なことになった。識者によると、トランプさんが体現しているのは「古き良き時代のアメリカ」だという。ベトナム反戦と黒人問題などで荒れた1960年代を経てアメリカは大きく変質してしまった。WASPの古き良き伝統への回帰、新しい移民が増え続け、少数派になりつつあるWASPの無意識が、行き過ぎたリベラリズムへの反逆を始めた。リベラリズムとは、ずばり、共産主義・社会主義・マルクス主義の別名であり、かつまた、グローバリズムのことである。

米中の貿易戦争は単なる貿易戦争ではない、とは多くの識者が指摘する通り。本質はアメリカと中国の覇権争い。中国の「一路一帯」構想の終着点(?)でG7のメンバー国であるイタリアはすでにそれに乗っているのだから。中国という単位とその権力が生み出す膨張が、過去500年ちかく世界を席巻して自分たちの基準でうまい汁をすっている「生き方」(彼らの価値観は、科学とテクノロジーをベースにした自由と民主主義)を脅かす存在だということにようやく気付いて本気に対策を講じ始めた、というこらしい。チァイナ・マネーは、ユーラシア大陸のみならず、アメリカの裏庭である南米はもちろん、アフリカ大陸や北極圏、宇宙空間へと進出の勢いはとどまるところを知らない。オーストラリアの地下資源の最大顧客は中国である。その豪州で、中国への警戒感が一段と強くなり、アメリカとの連携の強化を鮮明にしている。アラスカの地下資源開発をチャイナ・マネーでおこなうプロジェクトもストップがかかって地元民は落胆しているというのだが!?

香港問題は行政長官の法案取り下げにも拘わらず終息する見込みはたっていないようだ。第二天安門事件、にはならないのは、場所が場所だからだ。イギリスが埋め込んだDNAは、中国政府の命とりになりかねない力を発揮しかねない。香港で失敗すれば、台湾の統一はさらに遠のいてしまう。試金石なのだ。しかし、中国共産党の現在の方針が続く限り解決することはないように見える。ある人は、中国という広大な地域を一党独裁で締め付けるのは不可能だという。そのコストが高すぎるというのだ。アメリカは、デモクラシーという世論で政策が立ち往生してしまう弱点があり、その点中国が有利(独裁政治は決断と実行が一元的にできて効率がいい)なのだが、アメリカの強さは、普段は地域ごとにバラバラだがいったんまとまるととてつもない力をアメリカ流の効率主義で発揮する柔軟な底力がある。

朝鮮半島も大きく地殻変動をするのかも知れない。現在の文大統領は、日本の民主党政権の菅直人や鳩山由紀夫とだぶって見える。左翼の活動家あがり、という言い方はよくないのかも知れないが、大人になり切れない青年の拙い政治が迷惑を引き起こしている、というのが本質ではないか。政体の性質はちがうけれど、ヒトラーのナチス・ドイツもこれに近い。

ネットサーフィンをしていると、面白いニュースがあった。インドでは70歳のおばあちゃまが双子を出産したという。青森県では、クロマグロが川を遡上(河口から4キロ)しているのが目撃されたらしい。

囀りをやめたウグイスだが、今朝は、笹鳴き(ジャジャッ、ジャジャッ・・・)をしているのを聞いた。そろそろ、モズもやってくるだろう。

2019年9月 6日 (金)

新しいハゼ(ニシキハゼ?)との邂逅・・・

96日(金)曇り

昨夜は21時前に寝入ってしまった。夕食後、テレビサーフィンをしてパソコンのウィンドウズ10のアップデートが始まりいつまでたっても画面は作業中の表示。ベッドに入ってゴロリとしていたらそのまま寝てしまった。夢を見ることもなく目が覚めると明け方の4時。外は真っ暗。日が大分短くなった。

起きてニュースチェック。イギリスのブレグジットの迷走、香港の混乱は法案廃棄が正式に発表されたものの終息するかは不明、京急電車とトラックが踏切りで衝突事故、負のスパイラルを辿り続け日韓関係の中、韓国政府で大統領側近に起こったスキャンダルの続報。アメリカを襲う超大型ハリケーン(ハリケーン、台風、サイクロンの違いは何だ?)

大雨による洪水で工場の油が流れ出し油漬けになって売り物にならなくなってしまった佐賀の農家のコメ。週末から週明けにかけて台風が本州に上陸するかも・・・。

添削会社から連絡のメール。今週はお休み。ならば、1ヶ月ぶりの上京でもしてYちゃん親子と遊んだり神田の古本屋巡りをしてこようか、と思い始める。

50㌢のフッコ(鱸の一歩手前)を釣り上げていらい何度か足を運んだが、釣れるのは小物ばかり(25㌢~35㌢)。先週は30㌢までは届かなかったがクロダイ(カイズ)も釣れた。

Kaizu

湊大橋から1㌔弱上流のスポットは釣り人もおらず大変気に入っている。満潮前後、干潮前後、いろいろな時間帯で竿を2時間と決めてだしたが、やはり釣れるのは満潮前後の時間帯だ。それから、上げ潮五分の時点もアタリが多いような気がする。この辺りで釣れるセイゴ・フッコは臭みがないのがいい。血抜きをして、帰宅してから内臓をすぐ処理して冷蔵庫保存。朝な夕なに塩焼きにしてたっぷりのレモン汁をかけ、時には日本酒と醤油、時には、オリーブ油、時には澄ましバターをかけて、胡椒をふったりするのだが、絶品である。焼き魚、というより「新鮮な魚のグリル」と形容したくなるような味わいである。

Sakana-gurill

一度だけ、阿字ヶ浦海岸にでかけたがシロギスもイシモチも不発。水が澄んでいるのでシロギスは行けるだろうと思ったが釣れるのはクサフグばかり。3本針の仕掛けを3つ、2本針の仕掛けも二つやられて納竿。写真は、第一投で釣れた初めて見るハゼの仲間。インターネットで調べてみるとどうも「ニシキハゼ」というハゼの仲間のようである。新種の発見ではないけれど、驚くことがだんだん少なくなった初老!?の自分には心ときめく瞬間であり、しげしげと陽光を反射して光る砂にまみれた魚体に魅入ってしまった。

Nishikihaze

 

 

 

 

2019年9月 4日 (水)

「チャンピョン達の朝食」の再読。

9月4日(水)曇り

9月に突入。3月上旬から鳴き始めたウグイスは8月半ば頃までその美声を聞かせてくれたが、それ以降、鳴かなくなってしまった。セミは相変わらず盛んに鳴いている。秋の気配を感じつつ、まだまだ夏は濃厚である。

朝食をとっていると東向きの網戸に蝶というか蛾らしき姿が。2度目である。

Ga3

表にでて確認しようとして何日か前に逃げられてしまったが、2度目はうまく近づいて写真を撮ることができた。夜みかける気持ちが悪い大きな蛾ではないのであまり抵抗はなかった。美しいとまでは言わないが、模様がどこかニイニイゼミに似ている印象。

Ga2

7月から始めた添削(週末)も大分慣れたので、ウィークデーも体に無理がない程度に仕事をしようと探し始めた。が、なかなか都合のいい時間帯で(10時~16時)、自宅近辺で働くというのは見つからないものである。じっくりまつしかないだろう。

添削の仕事が一段落して、久しぶりい思い出したようにカート・ボネガット・ジュニアの「チャンピョン達の朝食」をベッドでごろりとなってパラパラと再読した。1970年代の彼にしてみれば長編小説だ。大学時代に縮刷版のテキストを使った授業で気にいった作家である。振り返ると、アメリカの作家でまがりにも読んだのは、このボネガットで、それ以外ではヘミングウェイとマーク・トゥウェインぐらいだろう。サローヤンの短編もあったか。後は、中学生のころ夢中になったエラリー・クィーンかヴァン・ダインの推理小説くらいしかない。それから、パール・バックの「大地」。that's all。

ボネッガットは、たぶん、自分の両親と同世代。数年前に亡くなったが、アメリカの大不況時代が青春時代だった。もし、1950年代なら「ビートニック」(小田実の「何でも見てやろう」に活写されている)や1960年代の「ヒッピー」になった人だろう。アメリカの文明批判をSF的手法で描いたブラック・ユーモア小説で、アメリカの俗語を学ぶ絶好のテキストでもあった。学生時代は、その反骨精神と過激さに惹かれていたのだと思う。

今回の再読で後半の部分で(年老いて発狂寸前の主人公が、ホリデイ・インのラウンジで高校時代に暗記させられた詩の章句を思い出す)でペルシャの詩人オマル・ハイヤームの4行詩が引用されているのが目に留まった。

The Moving Finger writes; and, having writ,
Moves on: nor all thy Piety nor Wit
Shall lure it back to cancel half a Line,
Nor all thy Tears wash out a Word of it.

岩波文庫の翻訳を持っていたはずなのだが見つからない・・・インターネットで調べたりしたが、言っている意味は、「やってしまったことは、取り返しがつかない。ただ、現在の地点からどんどん先にいくだけだ」ということだろうか。中国の漢詩にも通じるけれど、人生のはかなさ、無慈悲さ。嘆きと諦念。今、この瞬間こそ楽しむのだ。刹那主義。Be happy for this moment. This moment is your life. こんなところだろうか。学生時代には素通りしてしまったのだろう、こんな文句が挿入されていたという記憶がない。

縮刷版は100㌻ちょっと。オリジナルがなかなか見つからなかった2~3日あちこち探してようやく見つけ出した。池袋の芳林堂書店で購入したのだろうか。もう一冊のMother's Nightは1976年6月30日に購入した、と若き日の自分の筆跡で裏表紙にあった。

Photo_20190904132901

ボネガットの本をあちこち拾い読みしていると、卑猥な言葉に刺激されたのか、突然、No love, without gloveという台詞が脳裏を走る。映画「ガープの世界」で、主人公がガールフレンドとセックスをしようとして、コンドームがないことがわかって、拒否されるシーン。gloveにコンドームの意味があるらしい。こんなセリフでも、ちゃんと韻を踏んでいて粋だなぁ、とまでは思わなかったが、理解できない大方英語の台詞群で何故かこの部分だけは鮮やかにすっと耳に入り、自分の脳裏に焼き付いたのだろう。

1980年代半ばから90年代半ば過ぎまでの10年近く、武蔵野市に住んでいたのだが吉祥寺の映画館だろうか、それとも、レンタルビデオだったか。武蔵野市と言えば、よく近くのサイクリングロードをサイクリングしたり時には徒歩で西武球場あたりまで出かけたものだ。よく通った喫茶店「魔法のランプ」がなつかしい。毎回食べた「魔法のランプ定食」がおいしかった。退屈することがめったにないと思っている自分だが、30代の働き盛りのころ、週末がゆっくりできる時は、土曜日の午前中は寝腐って(金曜日は間違いなく、飲んで享楽を尽くしていたか、真面目に残業していたし、昔はいくらでも眠ることができた)、お昼はだいたいいつも「魔法のランプ」定食を食べ、おいしいコーヒーを飲みながら、本を読んだものだ。ハイデッガーの「存在と時間」もここで大体読んだと思う。読了はできなかった。三分の二で終わったままだ。それ以来、手付かずのまま。再読と完読をいずれ近いうちに、とは思っているのだが。

モームは、老いによって耐えがたいのは、精神的・肉体的な能力の衰弱ではなく、過去の記憶の重さだ、とめぐまれたイギリス人らしい捻った言葉を残しているが、自分はこれを予感しつつもまだその域までは行っていないと安堵しつつひたすら、食べて、眠り、両親の食事を作り、少しだけ他の家事を手伝い、それでもたっぷりの余った時間は、釣りに自然観察(主に野鳥、時に、昆虫や草花)や、読書と物思いに耽っている。

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