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2019年10月22日 (火)

永かった隠棲生活とようやくオサラバだ!

1022日(火)雨

台風19号が直撃し、地元も大きな被害を受けた(市の北西の那珂川沿いの地盤が低いところ)。幸い自宅は高台(市の南)にあって家の周辺は宅地化したものの雑木林はまだところどころ残っており、今回の強風や水による災害は免れることができた。身近なところで那珂川の支流が氾濫して水没家屋が続出。恐ろしさを実感した。母によると10代半ばのころ県北の久慈川があふれた記憶があるそうで、実家を心配したが幸いにも被害は免れた(川が堤防の2メートル手前まできたらしい)

怪我もあり自分に甘えがあったのか社会復帰することから身を遠ざけ日々を物思いと釣りと読書でうちやっていた日々が色あせ始め、8月は何とも言えない沈滞ムードになっていたのだが、たまたま見つけた求人に応募したところトントンと決まり、今月後半から働くことになり、気分が改まった! 49歳の転職もまったくの偶然だった。56歳の転職も思いがけないところからのヘッドハンティングで東京へ舞い戻って5年間、有終の美といえるかどうかはわからないけれど、自分としては納得のいく仕事をすることができた。そして、4度目も・・・。人生の新しい展開への予感。まだ現役引退するには早すぎるのだ!

面談即内定。気分が高揚し、翌日は健康診断にでかけた。両親も世話になっている近くのクリニックだ。余談だが、院長は2代目で私が卒業した高校の2年下である。驚きは、体重がなんと63.5キロになったこと。8キロ近く減量していた。大学を卒業して社会人になったころの体重(60キロ)に大分近づいた。30代のバブルのころ一時は80キロを超えていた。40代以降は70キロ前半代を行き来し、50代半ばからは70キロを超えたり、切ったりだった。減量の大きな原因は食生活が大きく変わったこと。両親の食事を作っているので、自分の食事内容もそれにほとんど準じている。魚と野菜主体。肉類はたまに食べるだけ。油ものは消化に負担がかかるので両親はあまり口にしない。これもカロリー減の大きな要素だ。さらに、仕事をしないこともあってご飯はお椀8分目で十分。結果として、この1年半でここまで減量することとなった。お陰で血圧も11070という超理想的な水準。前職を退任したころは13090レベルの血圧が続いたことを思うと涙がでそうなくらいうれしい気分である。その他の結果はまっている状態だが・・・。前立腺はだいじょうぶか?

先週金曜日は久しぶりの日帰り上京。1年ぶりで一時帰国したペナン在住のI氏と最初の職場の先輩たちと午後の数時間、上野でお酒を傾けながら歓談。年齢幅も最年少の自分が63歳から上は80代前半の人。博多名物のもつ鍋がうまかった。I氏からはいつでも訪ねてきてください、とオファーを受けているが、現状では残念ながら不可なのが残念。20年ちょっと前に遡るが豪州のフリーマントルにお邪魔した記憶がある。アジ釣りをやり2尾釣った。当時の豪州の物価は日本より大分安かったが、時代は変わった。中国の台頭による資源バブルで物価はとうに日本を追い越してしまった。景気のいい豪州人は北海道のニセコに別荘を買い、豪州人であふれているという。マレーシアは、日本の物価の三分の一だという。

Iさんは、金銭感覚にすぐれ、金儲けもうまい。単なる宮仕えのサラリーマンの器に収まる凡人ではなかった。株式投資、不動産投資の才覚にも恵まれ、30代前後のころ、つまりは、日本の土地バブルが始まる直前に早々と都内周辺にワン・ルーム・マンション投資をして数百万単位の利益を稼ぎ出していた。私は宵越しのカネを持たない使い切り人間だったのでどうやったらお金が貯まるのだろうか、と目を丸くしたものである。いろいろ人の話を聞くと、お金を貯めるコツは要は無駄なお金を使わないこと、だというのだが。アグレッシブにお金を作ろうという発想がなかった自分には別世界の魔術師のように思われた。

ラグビーのワールドカップ日本大会は一次予選で日本が4連勝し盛り上がった。アメリカの影響が強い日本では野球がメジァー。サッカーは1990年代にプロ化してようやくワールドカップに毎回出場するところまでは来ているが世界のトップレベルにはまだまだ届いていない。それからすると、アイルランド、スコットランドを破った日本ラグビーの実力は評価されていいだろう。

ラグビーは大英帝国のスポーツだ。参加国もイギリスの影響が強い国々になぜかイタリアやアルゼンチンなどのラテン諸国もちらほら。東南アジアでは日本だけである。パキスタンやインドはラグビーよりはクリケットだ。クリケットの世界選手権も当事国の間では大変盛り上がるそうだ。ベスト・エイトでの対戦は南アフリカだった。前回のイングランド大会では大金星を挙げた日本だったが、一昨日の試合で敗れた。自力の差。格下の相手に2度は負けないしたたかさだろうか、日本のキープレーヤーはことごとく動きを封じられトライをあげることができなかった。

週が明けて、昨日から通算4番目の職場となる会社で研修が始まった。通勤先は家から徒歩15分のところである。介護の手伝いをしながらフルタイムで働けるのでラッキーだなぁ、と思いつつ旅行(インバウンド)、大学での国際業務(国際教育)を経て辿り着いた新しい職場は、想定外ではあったが、なかなか気に入っている。

そして、今日は生憎の雨。冷たい雨だ。台風19号が去った直後から金木犀の花が満開で強烈な芳香をはなって心地よかったが、今朝玄関に出てみると、強い風と氷雨で地面に散ってしまったのが残念。

Kinnmokusei

用があって近くの郵便局にでかけたら閉まっていた。よく考えたら今日は皇室の即位の礼がある日だった。自分のことに没頭してすっかり忘れていた。皇室の即位の礼で海外から180カ国!を超える元首や国家を代表する人たちが東京にやってきているという。エリザベス女王の即位式よりも来賓の数は多いのだという。日本の皇室については、若かりし頃は左翼リベラリズムの洗脳で「天ちゃん」と鼻であしらっていた自分だったが、いつのまにか考え方が変わった。日本のユニークさを強調するのは同意しないけれど、日本の皇室制度は時代に翻弄され紆余曲折があって今日に至るまで残っているこの事実は本当にすごいことだ、と最近はしみじみと思う。是非とも末永く継続していってほしい、と思うのである。

蛇足のコメント:

日本の左翼リベラルはもうとっくに死んでいる(と思うのだが、いまだ現役で頑張っているおじさんたちもいるようだ)が、お隣の韓国の現政権は悪しき日本の左翼リベラルを彷彿させる。リベラルの本質は、朝日新聞が文化大革命のころ中国万歳を叫び、韓国の軍事政権をこきおろし、北朝鮮をパラダイスと報道していたように、共産主義・社会主義万歳の思想である。未来の理想実現にすべてをかけ、現実の極悪非道に目をつぶる倒錯した大人の小児病である。つまり、大バカ者、ということだ・・・。

 

 

2019年10月 2日 (水)

もう秋かぁ。あなたも、インド映画「ミルカ」を観るか(ダジャレのつもり)?

10月3日(水)晴

 大潮ので大漁の翌日から10日ほど、父が体調を崩して病院騒ぎとなってしまった。もうすぐ93歳。消化器官から出血があり貧血ぎみになってしまった。いまさら精密検査をして手術云々の話ではなく様子見だったが、徐々に回復したのでほっとしたが、気疲れしてしまった。

季節は巡り今は天高く馬肥ゆる秋で心も弾むはずなのに、なぜかここしばらくは憂鬱にとらわれていた。何もしないで貯金をへらす日々でいいのだろうか。本や自然観察や釣りは趣味としては楽しいけれど、やはり何かが足りない・・・。ラグピーで日本がアイルランドに番狂わせの勝利で日本中が盛り上がっていたが、自分は試合をみる気力もでなかった・・・。

金曜日、久しぶりにハローワークへ出かける。気になった案件があったので紹介状をもらい書類一式を作り郵送した。月曜日の昼過ぎ、募集する会社から電話連絡があった。明日面接したいと。これは脈がありそうだ。

その夜、久しぶりにインド映画「ミルカ」を観た。骨折療養中の昨夏は随分とインド映画を観たが一段落していた。テレビで放映される映画はハリウッド製などの大手資本が作ったものが圧倒的に多い。テレビ放映でみるインド映画は昔観た「踊るマハラジャ」以来ではないかと思う。

3時間にわたる長編映画。インド映画はなぜだか知らないが長編がおおい。クリケットをテーマにインドの歴史を扱った「ラジャーン」もそうだった。「ミルカ」は陸上競技。これも歴史がからんでいる。

1947年の英国植民地であったインド帝国は独立してインドとパキスタンに分離した。その際に、パキスタン領側にすんでいたインド系が虐殺されたのだが、主人公(ミルカ・シン)の家族も姉を覗いてみな殺されてしまった。命からがらに逃げた主人公(途中で姉に再会するが姉は同じく難民となった男に手籠めにされてしまうのを主人公は毎夜難民テントの中で体験して傷つく)が匪賊の仲間になり美しい女性に恋し、結婚するために正業につくことを志す。軍隊に入り、子供時代に10キロ!走って学校に通った足腰の強さから陸上競技の選手に抜擢され、メルボルンオリンピック(200㍍と400㍍)のインド代表として参加するが、現地女性との恋にのめり込み結果を残せず落ち込む。

世界記録をめざしてコーチの指導のもとトレーニングに励んだ結果、1958年のアジア陸上大会(東京で開催)では優勝してから数々の大会で優勝をさらいインドの英雄となる。1960年、オリンピックローマ大会では世界記録を保持し金メダル候補だったが、途中までトップで走っていたミルカはとなぜか振り返る仕草をしてから減速し4位におわり国民を落胆させてしまった。

今日でもインドとパキスタンの関係は緊張しているが、当時の両国関係は一時的な緊張緩和時代で時の首相ネルーとパキスタンのカーン大統領の合意で陸上の交流試合が行われた。ネルー首相は 陸上界の英雄ミルカをインド選手団の団長に指名するが、ミルカはなかなか承知しない。物語りは、ネルーから特命を受けてミルカを説得するために派遣される大臣に同行するミルカのもとコーチが移動する列車のなかでの語りで進行していく。

説得され団長を引き受けたミルカだが、心のわだかまりはとけない。パキスタンでは一時的に雲隠れし、バイクを疾駆して生まれ故郷を訪れる。そこで虐殺を免れて生き残りパキスタン人として家族を作って生活する昔の幼なじみに再会し、二人は時代の運命に翻弄された生き残った自分たちはの過酷な人生を語り合う。

ミルカは競技会でパキスタンのライバル選手を破り、カーン大統領から勝利をたたえられた。最後のシーンは意味深長だが、ゴールを駆け抜けたミルカは走り続け、いつのまにか隣には微笑む少年時代のミルカ(頭の髪の結い方もあって女の子に見える)が並走していた。ミルカはその少年と目を合わせ微笑んでどこまでも走り続ける。

なかなか良き映画であった。

昨日は予定どおり午前中に面接、午後は気晴らしに那珂川へでかけた。社会との接点がふたたび始まる見通しができたからだろうか、気力が戻り、釣りをする気分になった。でかけたのは、河口から10キロほど上流でハゼ狙い。何年か前まではハゼが良く釣れた場所だった。

Katutabashi

が、ハゼの姿はなかった。釣れたのは一尾だけ。餌はハゼように高価なジャリメを使ったのに。代わりにジャリメを食ってきたのはセイゴとカイズであった。カイズは、ひょっとしてオキアミを餌にしたらもっと釣れたかも知れない。

モズが正面の杭の天辺にとまっては縄張りを主張して盛んに高鳴いていた。

Mozu

竿先のアキアカネ

Akatonbo

釣果(ハゼ1、カイズ4、セイゴ2)

Kaizu4

 

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