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2019年10月 2日 (水)

もう秋かぁ。あなたも、インド映画「ミルカ」を観るか(ダジャレのつもり)?

10月3日(水)晴

 大潮ので大漁の翌日から10日ほど、父が体調を崩して病院騒ぎとなってしまった。もうすぐ93歳。消化器官から出血があり貧血ぎみになってしまった。いまさら精密検査をして手術云々の話ではなく様子見だったが、徐々に回復したのでほっとしたが、気疲れしてしまった。

季節は巡り今は天高く馬肥ゆる秋で心も弾むはずなのに、なぜかここしばらくは憂鬱にとらわれていた。何もしないで貯金をへらす日々でいいのだろうか。本や自然観察や釣りは趣味としては楽しいけれど、やはり何かが足りない・・・。ラグピーで日本がアイルランドに番狂わせの勝利で日本中が盛り上がっていたが、自分は試合をみる気力もでなかった・・・。

金曜日、久しぶりにハローワークへ出かける。気になった案件があったので紹介状をもらい書類一式を作り郵送した。月曜日の昼過ぎ、募集する会社から電話連絡があった。明日面接したいと。これは脈がありそうだ。

その夜、久しぶりにインド映画「ミルカ」を観た。骨折療養中の昨夏は随分とインド映画を観たが一段落していた。テレビで放映される映画はハリウッド製などの大手資本が作ったものが圧倒的に多い。テレビ放映でみるインド映画は昔観た「踊るマハラジャ」以来ではないかと思う。

3時間にわたる長編映画。インド映画はなぜだか知らないが長編がおおい。クリケットをテーマにインドの歴史を扱った「ラジャーン」もそうだった。「ミルカ」は陸上競技。これも歴史がからんでいる。

1947年の英国植民地であったインド帝国は独立してインドとパキスタンに分離した。その際に、パキスタン領側にすんでいたインド系が虐殺されたのだが、主人公(ミルカ・シン)の家族も姉を覗いてみな殺されてしまった。命からがらに逃げた主人公(途中で姉に再会するが姉は同じく難民となった男に手籠めにされてしまうのを主人公は毎夜難民テントの中で体験して傷つく)が匪賊の仲間になり美しい女性に恋し、結婚するために正業につくことを志す。軍隊に入り、子供時代に10キロ!走って学校に通った足腰の強さから陸上競技の選手に抜擢され、メルボルンオリンピック(200㍍と400㍍)のインド代表として参加するが、現地女性との恋にのめり込み結果を残せず落ち込む。

世界記録をめざしてコーチの指導のもとトレーニングに励んだ結果、1958年のアジア陸上大会(東京で開催)では優勝してから数々の大会で優勝をさらいインドの英雄となる。1960年、オリンピックローマ大会では世界記録を保持し金メダル候補だったが、途中までトップで走っていたミルカはとなぜか振り返る仕草をしてから減速し4位におわり国民を落胆させてしまった。

今日でもインドとパキスタンの関係は緊張しているが、当時の両国関係は一時的な緊張緩和時代で時の首相ネルーとパキスタンのカーン大統領の合意で陸上の交流試合が行われた。ネルー首相は 陸上界の英雄ミルカをインド選手団の団長に指名するが、ミルカはなかなか承知しない。物語りは、ネルーから特命を受けてミルカを説得するために派遣される大臣に同行するミルカのもとコーチが移動する列車のなかでの語りで進行していく。

説得され団長を引き受けたミルカだが、心のわだかまりはとけない。パキスタンでは一時的に雲隠れし、バイクを疾駆して生まれ故郷を訪れる。そこで虐殺を免れて生き残りパキスタン人として家族を作って生活する昔の幼なじみに再会し、二人は時代の運命に翻弄された生き残った自分たちはの過酷な人生を語り合う。

ミルカは競技会でパキスタンのライバル選手を破り、カーン大統領から勝利をたたえられた。最後のシーンは意味深長だが、ゴールを駆け抜けたミルカは走り続け、いつのまにか隣には微笑む少年時代のミルカ(頭の髪の結い方もあって女の子に見える)が並走していた。ミルカはその少年と目を合わせ微笑んでどこまでも走り続ける。

なかなか良き映画であった。

昨日は予定どおり午前中に面接、午後は気晴らしに那珂川へでかけた。社会との接点がふたたび始まる見通しができたからだろうか、気力が戻り、釣りをする気分になった。でかけたのは、河口から10キロほど上流でハゼ狙い。何年か前まではハゼが良く釣れた場所だった。

Katutabashi

が、ハゼの姿はなかった。釣れたのは一尾だけ。餌はハゼように高価なジャリメを使ったのに。代わりにジャリメを食ってきたのはセイゴとカイズであった。カイズは、ひょっとしてオキアミを餌にしたらもっと釣れたかも知れない。

モズが正面の杭の天辺にとまっては縄張りを主張して盛んに高鳴いていた。

Mozu

竿先のアキアカネ

Akatonbo

釣果(ハゼ1、カイズ4、セイゴ2)

Kaizu4

 

2019年9月16日 (月)

大潮の大釣り

9月16日(月)雨、後曇り

カイズを3枚仕留めた翌日、つまり、先週の木曜日のことだが、大潮だったので再び現場に足を運んだ。はやる心~釣りの楽しみの一つは釣り始める直前のあの何とも言えない心の高揚感である~を押さえながら安全運転で出かけたのだった。

ところが、ななな何と、すでに人が釣り座を構えているのにびっくり。仕方なく、橋の下流側のいつもの護岸で竿を出すことに。

気が付けば、季節は巡り、いつの間にか稲は色づきあちこちで収穫の時期になっていた。

Kararetaine

蝉はまだ鳴いているが、川向うの広い草地からホオジロの冴えずりが聞こえてくる。イソヒヨドリの美しい美声も護岸のどこからか聞こえる。翡翠色のカワセミも目の前を通り過ぎて行った。護岸の刈られた草地を飛び回るバッタを捕まえた。ショウリョウバッタである。

Shouryou2

 竿は3本出した。カイズを意識して腰の柔らかい4.5㍍の竿を2本(錘負荷10号と15号)に投げ竿1本(錘負荷25号)だ。2本針の吹き流し仕掛け。一つの針には2Lサイズのオキアミ、もう一つには青イソメをつけて、カイズ狙いではあるが(カイズはオキアミ、青イソメ、シジミの身、小さなカニ、スイカ、など何でも食ってくるらしい)セイゴ、マゴチ、イシモチでもなんでも来いというつもりだった。前日の雷雨もあり川の水には濁りがあった。昼間からウナギも釣れるかも知れない・・・。期待感が高まる。

そして結果は? 13時過ぎから16時までの3時間、セイゴ・フッコがバタバタと当った。

Seigo-30cm

さすがは大潮である。釣れてくる魚は30㌢前後である。アタリは微妙で大きな引き込みはないが、リールを巻くとセイゴ特有の強烈な抵抗、護岸では水面下に盛り込もうとしたり、途中で鰓洗いのジャンプをしたり。40㌢のフッコは一番柔らかい竿で針は8号、ハリスは1.5号だった。1週間前の再現。何とか護岸まで引き寄せ、何とか引き上げた途端にハリスが切れてしまったがギリギリセーフだった。

Seigo-dairyo

終わってみれば、セイゴのオンパレード。カイズはからぶりであった。下流側のカイズのポイントは遠いんだよなぁ。どういうわけか。記憶では50㍍以上先に投げた遠投竿で釣れた。一方、昨日の上流側のポイントは手前のポイントだった。30㍍前後だった。

週末は例によって家に閉じこもって添削の仕事に没頭。釣ってきたセイゴ・フッコは山椒煮、グリル、アラ汁にして毎日のように食卓に供した。冷蔵庫には最後の一尾がまだ残っているが・・・・。

2019年9月12日 (木)

台風が去り、猛暑、そして、カイズ釣り

911日(木)晴、時々曇り

週末は急遽、1ヶ月ぶりの上京。神田の古本屋街を歩こうかとも思ったが暑さもあって家でぐずぐずしてしまった。歳だねぇ。増える本を考えると、まずは整理してからだという思いもあるし、読みきっていない本も随分ある。それでも、また、本は買ってしまうと思う。インターネットで例えばアマゾンで検索すれば古本は簡単に買える。歴史関係の本は特にそうだ。邦訳されていない興味ある文献の何と多いことか。ネットで買う場合の利点は書評を読めることだ。特に、それが、新聞等での専門家によるものとは違う一般の普通の人びととの様々な鋭い指摘や感想(くだらないものもあるけれど)を参考にできるのだから。

上京した際はYちゃん親子と夕食と翌日の昼食をともにして夏休みの話(タイ旅行)やYちゃんが行ったというライブコンサートの話しやら自分の親たちの介護の話などなど。いっしょに寿司を大山でたべたり、池袋の築地植村での和食を食べたりで、見る予定の映画(タランチーノ監督のワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド)はスキップして(Yちゃんのおかあさんは一人で鑑賞、Yちゃんは友達と街歩き)、台風による強風での交通機関ストップを案じて早めに家に戻った。

関東を襲う歴代最大?らしい台風は明け方にやって来た。夜中の1時、一度トイレに起きたが台風の気配はなかった。やって来たのは明け方だった。4時ごろ風と雨の音で目がさめた。5時ごろ、階下で雨漏りしている、という両親の声が聞こえる。南風が吹き、横殴りの雨がふると東向きの両親が起居している部屋は雨漏りをするらしい。一度、修理はしたらしいのだが。母の機転で反対にした傘を父のベッドに据え付けてとりあえずはしのぐことができた。

幸いにも我が家の被害はごみを入れるポリバケツを倒されたことと雨漏り以外はなかった。2.11の大地震の時も皿が数枚程度割れて、屋根瓦の一部が損壊したり風呂場のタイルが少し剥がれた程度であった。もともと場所が岩盤の固い高台で周辺には雑木林が多いのも幸いしているかも知れない。その雑木林も大分宅地化で減ってしまったが・・・・。

テレビのワイドショーを見るともっぱら日韓問題と台風被害で大騒ぎである。日韓問題はいきつくところまでいかないと決着しないだろう。というか、決着はないかも知れない。結局のところ朝鮮半島の地政学が働いている。今回の騒動の英国のエコノミストの記事に、不動産王・トランプ大統領とロケットマンこと金正恩氏の接近が原因だという記事が出たらしい。記事は読んでいないのでよくわからないけれど、それだけではないだろうが、アメリカの対北朝鮮スタンスがトランプさんのパフォーマンスで変わろうとしていることは確かだ。オバマさん時代、イランに対しては宥和し北朝鮮には断固と対応していたのが、トランプさんはひっくり返してしまったのだ。北朝鮮は核保有国であるにもかかわらず、短距離ミサイルの実験には何もいわなくなってしまったアメリカ(というか、トランプさん)。対イラン・北朝鮮強硬派のボルトンさん(ネオコンの強硬派)は昨日解任されてしまった。トランプさんは「解任した」と言っているが、ボルトンさんは「自ら辞任した」と言っている。

テレビでは、歴代の権力者が次の権力者から刑事告訴されて犯罪者にされ葬り去られるというこれまでの歴史が言及され、韓国の法相就任での騒ぎに、ある人は、韓国の政争はまるで韓流ドラマそのものではないか、と印象をもらしていた。物の本によれば、韓国はある意味、中国より以上に儒教が生き方そのものになっている「儒教原理主義」の国だという。父系社会を作り(=夫婦別姓)、男性の一族が代々存続していくことを何よりも優先する。そのため社会とか個人とか国家という西欧概念とは本来相容れない制度でもある。権力者となれば、力を持った当人は自分を支えてくれた一族を優遇するのは当たり前でまさにこれが中国や朝鮮半島ど繰り返されてきたのだ。近代国家の法と一族の存続の要請=儒教的生き方が衝突した場合、儒教的生き方が優先してしまう。だから、権力者には腐敗が内在してしまうのだ。権力者になること=腐敗(身内優先=権力者は自分の権力の分け前を一族に振舞う、還元する。逆に身内は権力者となれる科挙に合格できそうな一族の秀才を徹底的に助ける)ということ。韓国の受験競争の厳しさは世界に有名なことで日本の比でない。不正入試に対する厳しい目は、試験が一生を左右する韓国では事の重大さが違う。また、一族とは「部族」(社会学の用語で「宗族」という)のことだ。日本人が血の繋がりから連想する親戚とは次元が違う。それは、保守だろうが革新だろうが、朝鮮半島人々の生き方は同じなのであり生きていくための宿命である。文大統領は清廉潔癖でいまのところ検察がつっつけないので法相が狙われたという観測なのだが、いずれ、文さんも同じ運命をたどることになるのだろうか。

昨日の午後、那珂川へ足を運んだ。カイズ狙い。いつもの釣り場はどういうわけかすでに釣り座が構えられていたので上流側で竿を出した。セイゴ、マゴチ、イシモチ、ハゼ、カイズ、なんでも来いという那珂川下流域だが、エサは冷蔵庫に寝かしてあったくたくたの青イソメの残り(30㌘くらい)とオキアミ(大きい2Lサイズ)を使い、竿は3本出した。

Tsuriba_20190912110501

第一投で上流側の遠投竿に20㌢弱のカイズが来た。オキアミを食ってきた。

Kaizu12

それから2時間、沈黙。時折リリースサイズの木っ端セイゴが一尾、二尾、三尾、四尾・・・。河に戻した。

15時過ぎ、空が怪しくなってきた。アタリが出始めた。下流側の柔らかい竿が一気にお辞儀した。25㌢前後の見事なカイズ。やったぁ。狙い通りだ。カイズは青イソも食うけれど、カイズはやっぱりオキアミがあればそっちを食う。

Kaizu11

遠くでゴロゴロと雷鳴がする。やばい、と竿を片付け始める。上流側の竿に立て続けにアタリが来た。一度目は、途中でバラしてしまった。二度目は、何とか仕留めることが出来た。これも、25㌢前後の標準サイズのカイズ。

Kaizu10

15時半、時合を予感したが、雷は怖く(釣り竿に落雷することはよくあるらしい)、急いで片付けて家路についた。1途中から、ぽつぽつと雨が降り始め、自宅まで10分のところで土砂降りの雨。稲光、ゴロゴロ。ぎりぎりセーフで家に駆け込んだ。

釣果 カイズ3尾 (20㌢、25㌢x2)

Kaizu3

2019年9月 6日 (金)

新しいハゼ(ニシキハゼ?)との邂逅・・・

96日(金)曇り

昨夜は21時前に寝入ってしまった。夕食後、テレビサーフィンをしてパソコンのウィンドウズ10のアップデートが始まりいつまでたっても画面は作業中の表示。ベッドに入ってゴロリとしていたらそのまま寝てしまった。夢を見ることもなく目が覚めると明け方の4時。外は真っ暗。日が大分短くなった。

起きてニュースチェック。イギリスのブレグジットの迷走、香港の混乱は法案廃棄が正式に発表されたものの終息するかは不明、京急電車とトラックが踏切りで衝突事故、負のスパイラルを辿り続け日韓関係の中、韓国政府で大統領側近に起こったスキャンダルの続報。アメリカを襲う超大型ハリケーン(ハリケーン、台風、サイクロンの違いは何だ?)

大雨による洪水で工場の油が流れ出し油漬けになって売り物にならなくなってしまった佐賀の農家のコメ。週末から週明けにかけて台風が本州に上陸するかも・・・。

添削会社から連絡のメール。今週はお休み。ならば、1ヶ月ぶりの上京でもしてYちゃん親子と遊んだり神田の古本屋巡りをしてこようか、と思い始める。

50㌢のフッコ(鱸の一歩手前)を釣り上げていらい何度か足を運んだが、釣れるのは小物ばかり(25㌢~35㌢)。先週は30㌢までは届かなかったがクロダイ(カイズ)も釣れた。

Kaizu

湊大橋から1㌔弱上流のスポットは釣り人もおらず大変気に入っている。満潮前後、干潮前後、いろいろな時間帯で竿を2時間と決めてだしたが、やはり釣れるのは満潮前後の時間帯だ。それから、上げ潮五分の時点もアタリが多いような気がする。この辺りで釣れるセイゴ・フッコは臭みがないのがいい。血抜きをして、帰宅してから内臓をすぐ処理して冷蔵庫保存。朝な夕なに塩焼きにしてたっぷりのレモン汁をかけ、時には日本酒と醤油、時には、オリーブ油、時には澄ましバターをかけて、胡椒をふったりするのだが、絶品である。焼き魚、というより「新鮮な魚のグリル」と形容したくなるような味わいである。

Sakana-gurill

一度だけ、阿字ヶ浦海岸にでかけたがシロギスもイシモチも不発。水が澄んでいるのでシロギスは行けるだろうと思ったが釣れるのはクサフグばかり。3本針の仕掛けを3つ、2本針の仕掛けも二つやられて納竿。写真は、第一投で釣れた初めて見るハゼの仲間。インターネットで調べてみるとどうも「ニシキハゼ」というハゼの仲間のようである。新種の発見ではないけれど、驚くことがだんだん少なくなった初老!?の自分には心ときめく瞬間であり、しげしげと陽光を反射して光る砂にまみれた魚体に魅入ってしまった。

Nishikihaze

 

 

 

 

2019年8月27日 (火)

フッコ(鱸一歩手前)50㌢を仕留める。夜は虫(カネタタキ)の声を聞く・・秋。

8月26日(月)晴れ、時々曇り

週末は例によって添削に没頭。買い物以外の外出はなし。毎回の食事の準備と片付けはルーティン。書類を発送してようやくほっとした午前中は、1ヶ月ぶりに部屋の片づけ、掃除機がけ、階段の雑巾がけなどで汗を流した!?

お昼は、このところ凝っているサンドイッチを作って食べている。Kストアの焼き立てのイギリスパン(食パン)が実においしい。帝国ホテルの料理長だった村上さんの本を参考にした自己流のサンドイッチだ。具は、値ははるけれど美味しいハムとツナがメイン。野菜はレタスか胡瓜。他に、ブルーベリーやポテトサラダ。焼き立て直後から数時間の食パンこそがサンドイッチの命だという。時間が経過すればトーストにしたほうがおいしく食べられるとも。ポイントは、たっぷりとバターと辛子を塗ること。辛子を塗ることで風味が増すというが、やってみるとなるほど、確かにそうだ。サンドイッチをめったに食べない両親が、うなるほどだ。ちなみに、辛子は、ディジョンマスタードのマイルドなものより、普通の市販の練り辛子のほうが自分の好みである。

村上さんは随分昔だが、英国のエリザベス女王が来日した際は、女王陛下のためのお茶の時間にサンドイッチを毎回作ったそうだ。胡瓜やトマトのサンドイッチである。胡瓜サンドイッチはアフターヌーンティーでよく出されるなんとも言えないサンドイッチだ。言ってみれば、イギリス版の鉄火捲き。

ひと汗流し、サンドイッチを食べ、麦茶を飲んで2階でまどろんでいると、階下から母と庭師さんの会話が聞こえてきた。この何でも屋の庭師ことT氏は大の釣り好き。那珂川河口でフッコが釣れているという話がうとうとしている耳に流れてきた。

はっと目が覚めたのが13時半。冷蔵庫の奥にしまったままの青イソメを取り出して、那珂川河口へ出かけた。T氏の話では、干潮前後の潮が動く時が時合だという。今日は若潮。満潮は14時。干潮ではないが潮が動き出す前後であることに変わりはない。

6月と7月にそれぞれ一度足を運んだがまったく川から反応がなかったポイントだが、今回はどうだろう。2本の竿を出した。まさかフッコが釣れるとは本気で思わず、この時期はまだ木っ端セイゴが多いし、精々のところ30㌢前後だろうと、仕掛けは8号と9号の2本針の吹き流し仕掛け。ハリスはそれぞれ1.5号と2号である。

仕掛けに餌をつけて第一投、第二投すると、柔らかい竿にアタリが来た。一度お辞儀をして、二度目のお辞儀が半端ではなかった。合わせをいれるとずっしりと思い。大物かぁ? ハリスは1.5号だ。柔らかい竿のほうでよかった。糸がゆるまないようにリールを巻くと、40㍍ほど先で大きな魚がジャンプ!鰓洗いだ。それから護岸近くまでは何とか引き寄せたが、最後に大きく抵抗。ハラハラしながらの攻防の末に何とか護岸にひきあげることが出来た。大きく口をあけたセイゴ(鱸といってもいいくらい)の口の縁にかろうじて8号の針がひっかかっていた。よくもまぁ、逃げられずに仕留められたこと!ラッキー以外のなにものでもない。心臓はバクバクしなかったけれど、もうきょうはこれでいい、という気分になった。

Fukkko-suzuki

空はもう秋の気配。

Akinosora_20190827105101  

護岸に花咲く野生の白いユリ。

Photo_20190827105201

その後釣れるのは20㌢に満たない木っ端セイゴばかり(4尾ほど)。16時、納竿。満ち足りた気持ちで家路についた。

釣果 フッコ 1尾 50㌢

  Suzuki2

 フランスでのG7サミットが閉幕したが、トランプさんのはちゃめちゃ振りはもちろん、イギリスで第二のトランプ氏ことジョンソン氏が首相になったことで、まったくの様変わりとなったようだ。1975年に第一回が始まったというから半世紀近い行事だ。発足当時のG7諸国が占めるGDPは(当時はGNPが指標)は世界の70%を占めていた。2019年の今、このシェアーは50%にまで下がっているという。中国の台頭は大きい。中国の政府機関紙は、迷走するG7を揶揄しているらしいが、しかし、中国は(ロシアもウクライナ問題で外された)G7には加われない。いわゆる、自由民主主義の基準からとおく隔たった政治体制と人権抑圧など、このクラブの資格がまだ足りないから仲間に入れてもらえない、ということらしい。

どういうわけか、マスコミ報道は寝耳に水のような「日本はアメリカからトウモロコシを買う」話しでもちきりである。サミットもトランプ氏には来年の大統領選挙対策の手段に成り下がったようである。マスコミも盛んにそのように論評している。3日にわたったサミットではいろいろ首脳同士のざっくばらんな意見交換はなされたらしい。トランプさんは、「韓国の大統領は頭がイカレテいる」、と2度も言及して周囲を唖然とさたという。安倍さんは賢く、無反応。本音はそうだとしても。日韓の問題など、G7ではお話しにならない低次元のことで、やっぱり、G7諸国にとっての大問題は、米中貿易戦争による世界経済への悪影響ということだろう。

この貿易戦争は、どっちもどっちである。アメリカのトランプ政権は、自分を支持してくれた地方の地位が低下した白人層の利益を擁護するための政策を正直にしているだけである。中国は、ここまで経済発展できたのはアメリカを始め西側先進国の経済支援と輸出マーケットを提供してくれたお陰であるにもかかわらず、西側の期待とは大きく異なる路線で超大国になるという意志表示を公然と始めた。これは、西欧に貶められた(日本も入る)「100年の恥辱」の恨みが原因なのだろうか。しかし、西側のマーケットがあっての中国であって、独自の経済圏というブロックを形成した米ソの冷戦とは違う。どちら側もにとって痛みをともなう貿易戦争であるのは明らかである。香港問題でも中国非難などの声明が出されることを中国当局は恐れていたとも言われているが、今回、恒例であった共同声明は一切でなかったのは、まさか、中国への配慮ではないであろう。

北朝鮮の核問題もいつのまにか無きが如きものにまで後退してしまっている。トランプさんに迎合するがごとく「金将軍様」は短距離ミサイルを頻繁に飛ばし続けているのは「危機」なのか「戯画」なのか。


夜、ビールを飲みシャワーを浴びて、一休みしていると虫の声が聞こえてきた。高校野球(星稜高校はまた優勝を逃してしまった。大阪のようなガメツサが足りなかったように思う)が終わるころになると秋の気配が日に日に感じられるようになるがまさにこの声である。浴室で見かけた虫のスナップショットがこれ。カネタタキという昆虫らしい。

Kanetataki

鳴き声はここをクリック:

https://www.youtube.com/watch?v=wdwxfvSO96c

2019年8月14日 (水)

お盆のハゼ釣り

8月14日(水)曇り、時々晴れ

昨夜は夜中過ぎに雨の降る音が聞こえた。久方ぶりのお湿りである。

香港の反政府デモは6月から始まっって今現在も続き、とうとう空港が閉鎖されてしまうという事態までエスカレート。アメリカ側の情報リークによれば中国軍が香港との国境付近に移動しているという。中国側からの情報リークによれば、アメリカ領事館が積極的に反政府デモを応援し煽っている、と。すわ、これは、第二の「天安門事件」が起きる前触れか? いずれにしても、どちらも正しいのだろう。それにしても、どのような形で決着するのだろうか? 悪化する日韓の外交関係と同様、出口が見えない。

国際政治を論じるテレビ番組で、宮家某が、アメリカにおける朝鮮半島の核問題は、世界状況(中東のイラン問題、IS問題)と中国との覇権争い問題に比べると優先順位はかなり下がる、との指摘。すでに、アメリカは、インド・パキスタンが、核保有国であることを認めた如く、北朝鮮についもも同じスタンスで話しをすすめようとしていると。北朝鮮は、アメリカを意識してアメリカに届くミサイルの実験はしていない。一方、イランは核をもっていないし、核保有は絶対にみとめない厳しい態度で臨むであろう、と。資源大国(石油)であり、かつてのペルシャ帝国の末裔、中東でサウジアラビアやトルコと覇を競う大国と、世界の極貧国・北朝鮮ではレベルが違いすぎる、ということかも知らない。

それにしても、困るのは日本である。朝鮮半島が核保有ということになれば、そのバランスをとる力学が当然働く。日本が核保有国なるというのは現実可能なのか。アメリカは絶対に求めないだろう。日本に原爆を使った国である。現在は友好関係にあるが、無意識レベルには深く罪悪感とキリスト教・白人文明とは違う異質な日本に対する恐怖感(復讐)がある。中国は、暴れまわった小国日本にさんざん苛まれたトラウマはそう簡単に克服できるわけではない。日本の核武装には覇権争いで敵対する米中であっても手を結ぶに違いない。となると、出口なしの日本になってしまわないか?

セクハラスキャンダルで収監されたアメリカの大物投資家が刑務所で自殺をしたことが報道されていた。トランプさんやクリントンさん、英国のアンドリュー王子とも付き合いがあったこの大物エプスタイン氏の毒牙にかかったティーンエイジの女性は数知れず。me too運動でセクハラを告発する女性が後をたたないが、今朝のニュースでは、イタリアの大物プラシド・ドミンゴ氏が告発されたとの報道。自分の立場を利用して名もなき無垢な女性を毒牙にかける男は悪に決まっているが、シンデレラを夢見る女性の脇の甘さも問題だ。だから自業自得だといって突き放すのもかわいそとは思うのだが、この問題は永遠に解決しない男女の問題だろう。

閑話休題。

今朝ほど、朝いちばんの買い物からもどって玄関近くで、老人にであった。自宅前に車をとめていて車庫に入れない。初老の男はつかつかと私に近づき、届け物があってすぐ車を動かしますから、と。戻って、母から、昔、家の近くに住んでいたN商店の長男だ、と話しを聞かされ、その面影がまったくなかったこと、余りの老け方に、唖然とした。何か、大きな病いとか試練とかで苦労したのだろうか。姿も話し方も70代半ばのひとであった。

昨日は、午後2時間半、涸沼川でハゼ釣りに興じた。今年のイシモチは不漁。昨年も駄目だったらしいから2年続きだ。平磯海岸では釣れているという話だったが、海水浴シーズンで駐車場は600円だ。イシモチ狙いはもうあきらめて、そろそろハゼのシーズンだと、涸沼川へ。穴釣りで年越しの2年物、ヒネハゼを狙った。

Hobo-onajibasho

第一投から狙いどおりのアタリ。目測16㌢。

Haze1

再び良型のハゼ(16㌢)

Haze2

本日最大17㌢

Haze3

小物だが、ズズズズーンとハゼ特有の強いアタリに心が躍った。折からの灼熱の太陽で、シャツは汗でびしょびしょ。小ペットボトル2本を飲みながらの「熱戦」だったが堪能した。

休憩中にふと上流を見やるとアオサギが佇んでいた…

Aosagi

釣果 11㌢~17㌢ 9尾

Haze9

2019年7月17日 (水)

マイワシ70尾、手長エビ4尾。

7月16日(火)曇り

昨年のこの時期と違って台風や大雨は降らないけれど涼しい日が続く。御日様が顔を出さない。何度か海に出かけたが荒れていて竿をだす気力がでない。12日(水)、たまたま寄り道した那珂湊漁港(魚を買うつもりで)マイワシが爆釣であった。お昼前のことだ。車につんだままにしてあるやわらかい竿にサビキ仕掛けをセットして竿を出した。第一投から釣れた。入れ食いである。コマセを巻く必要がない。コマセを捲いている人曰く「捲くいてる時間がないよ」。30分ほどで70尾。切り上げて帰宅。サイズは18㌢前後と小ぶりではあったが。

Iwashi

背開きにして小麦粉をまぶし、オリーブオイルでさっと焼いて(揚げて)レモン汁を絞ってビールを飲む。うまい!

Iwashi_20190717091501  

残りは、甘露煮(母が作る)、毎朝の塩焼き、そして、オリーブオイルとニンニクを効かせて玉葱とジャガイモのサイコロ切りと一緒に炒め、白ワインで蒸し煮にしたりした。

12日(金)は母の88回目の誕生日のお祝い、13日(土)はYちゃんのママの誕生祝いの夕食で上京したりしながら、昨日までは、某通信添削会社の仕事が始まってエネルギーを使った。

一段落した今日も天気はよろしくない。冷蔵庫の一番上の段の奥に保管した餌もくたくたになっている。そうだ、手長エビ釣りをやろう、と思いたって、午後から那珂川に出かけた。大潮で上げ潮。

Tsuriba

Tenagaebitsuri2

最初の1時間はいろいろ探ったが、ようやくあるポイントでアタリが来た。手長エビといういう名前そのもの、長い両手をしたエビが釣れた。

Tenaga2_20190717092601  

2尾目 

Tenaga3

3尾目(右のハサミがない)

Tenaga4

4尾目

Tenaga5

16時半、満潮で護岸が水浸しになったので納竿。2時間半で4尾。いまひとつだが、コツは分かった。エビの通り道があるらしくポイントをみつけたらそこを集中して狙うことが大事だ。今日の4尾はすべて同じポイントだった。次回はもっと釣果を上げたいなぁと思いつつ帰宅した。

Tenaga1

 

2019年7月 7日 (日)

なかなか数釣りにならないイシモチ。

7月3日(水)曇り

朝3時に目が覚める。血が騒いだからだろうか。大洗にイシモチ釣りに行こうかと迷ったが、やめた。歳を考えろという忠告する声が思いとどまらせた。

ビーバーの「第二次大戦」を読み続ける。スターリングラードの敗北は決定的であった。その後4月から8月にかけてクルスクでの独ソの死闘が続く。しかし、この戦いも、英米のシシリー上陸(7月)によって戦力の一部をイタリーに動かさざるを得なくなりクルスクでさらなる敗北を喫する。1943年の11月にはカイロ会談とそれに続くテヘラン会議が開かれる。。前者は、ルーズベルトのアレンジで蒋介石夫妻が招待された。イギリスはアメリカの意図をいぶかっていた。スターリンは参加しなかった。日ソ中立条約や新疆での中華民国との国境問題もあり、そもそも、スターリンは中国を戦後の世界支配のパートナーとして見なすことに反対であった(イギリスも同じ)。蒋介石夫人(宋美齢)は総統に張り付き、通訳の英語にケチを付けたり、蒋介石の発言を補足したり、目に余る振る舞いをしたらしいが、このカイロ会談でルーズベルトは植民地問題でチャーチルをいびる。戦後のアジアの植民地解放されるべきだ、インドシナは日本の敗戦後、フランスに戻ることはないとド・ゴールさんが聞いたら怒り狂うだろうことを平然と述べた。

チャーチルやイギリスの幕僚たちはルーズベルトに不安を持ち始める。チャーチルの側近(帝国参謀本部総長のブルック大将)は「イタチだかテンの合いの子のような顔をした蒋介石は、目下繰り広げられている世界の戦いの全体像を理解しておらず、様々な交渉から自分たちにとって最大限の利益を見出そうとする狡猾な狐のようだった」と回顧している。

いずれにしても、英米は一枚岩ではなかった。ルーズベルトらアメリカ側をいら立たせていたのは、チャーチル主導のイギリス側が、スターリンの要求するフランス本土への反撃を避けて、北アフリカからイタリアに侵攻し、アドリア海からギリシャ、バルカンに英米の連合軍を侵攻させようとする動きだった。スターリンは、英米のイタリア侵攻に関し、一切埒外にあったことに憤激していた。これは、逆に、スターリンにポーランド問題で、連合国側に譲歩させる口実を与えることになっていく。スターリンは、ルーズベルトの植民地批判では立場を同じくしてイギリスの帝国主義に厳しい目をむけルーズベルトと親密な関係を演出した。バルカン方面(東ヨーロッパの共産化を防ぐ意図があった)への進撃を主張するチャーチルの目論見を挫折させ、1944年5月にフランス上陸作戦を実施を決定させた。テヘラン会談の勝者はスターリンだった。ポーランド問題も、大西洋憲章ではヴェルサイユ条約でひかれた国境の変更を認めない、としたにも拘わらず、スターリンの主張(ナチスドイツとの不可侵条約で得た東部ポーランドはもちろん、バルト三国は言うに及ばず)を認める流れになっていく。チャーチル自身は、個人的に自分が敗北者であり、この会議の真の勝者はスターリンだと悟った。二つの会談終了後にはすっかり疲れ果て精神的に落ち込み、しばらくは立ち直れなかった。そして、これ以降、第二次大戦の終了まで、チャーチルは、脇役の立場になっていく。モスクワを死守し、スターリングラードで勝ち、クルスクで勝利を収めたソ連の軍事力はいまやとてつもないものとなっていた。スターリン自身、戦後のヨーロッパ(ドイツという強国がなくなれば)は自分の意のままだとの自信を持ちはじめる。

 

午後から、那珂川河口へ出かけた。昨日の状況からすると10尾くらいは狙えるとの淡い期待を持って・・・。しかし、現実は甘くなかった。初っ端に早速に1尾(25㌢)を釣り上げ気合がはいったにも関わらず後が続かなかった。

Ishimochi1

魚が群れて釣れる場所があって、そこは地元のベテラン釣り師が陣取っている。それでもポツリポツリ釣れていはいたが昨日のような勢いはなかった。まったく、 釣りというのは不思議なものだ。昨日と何が違うのか。確かに、昨日より涼しかったが、空はどんより曇って海は笹濁り、釣れてもおかしくない雰囲気だったのに。まあ、ボウズではなかったのは幸いであろう。一人の左投げのベテラン釣り師と顔見知りになった(昨日は1尾しか釣れなった)。彼は朝から来ていて、昨日ボンボン釣れていた場所を陣取っていたが、あまりに釣れないのでぼやいていた。それでも、5尾は確保していたが皆20㌢くらいで小物だった。1.5号のPEラインで軽く5色(125㍍)は投げるよ、と。しかし、ここは、遠いポイントの海底はサラサラでヨブがない。3色から2色(40㍍~80㍍)のところで小さい起伏みたいなものがあるのでそこに仕掛けを置いてアタリを待つしかない、とのこと。遠くに投げても駄目だよ、と。自分は、1号のPEでやっと4色(100㍍)だが、遠投は必要ないようだ。だから私で釣れるのだろう。このベテラン釣り師は、いつもはずっと南のサーフでやってるらしいが、話を聞くと30尾、40尾のイシモチを釣るというのだからすごい、というか、釣り師にある法螺話だろうか。自分の自己最高は20尾前後だが、40尾だとクーラーボックス一杯になるだろうけれど、一度そんな大釣りをしてみたいものだ。

あまりに釣れないので17時前に帰宅。夕食はソイの清蒸を作ってビールを飲んだ。香草は庭に自生している三つ葉(母が植えたという)を使った。出来栄えはグッド。

2019年6月 3日 (月)

ついに来たぁ、イシモチ30㌢!

6月3日(月)晴

水疱瘡はなかなか治らない。最初の一週間は薬を飲み続け菌を殺すことに専念。2週目で瘡蓋が少しずつでてきたものの、医者のいう神経痛的な痛みがときおりピリピリと来て、何ともつらかった。

かと言って、家でじっとしているのもつらい。27日(月)、30日(木)、31日(金)、6月1日(土)、2日(日)と早朝、午前中、午後と時間帯を変えて2時間ずつ竿を出した。那珂川の河口側と水族館の海側だ。情報では鹿島灘のヘッドランドではイシモチが爆釣らしいが、命がけの釣りは断念。陸っぱりからの投げ釣りでのんびりつるスタイルにこだわった。となると、時期的にまだ早いのか、アタリは遠く一回の釣行で一尾の釣果という貧果の日々だった(一度はボウズを食らった)。釣れないわけではなく、釣れるのだからまあいいのだが。

早朝の日の出。潮騒の音と荘厳な日の出を見るだけで心が癒される。

Umigawa

23㌢のイシモチ。

Ishiochi23cm

18㌢のシロギス。

Shirogisu_2

24㌢のイシモチ。

Ishimochi-24cm


そして、今日も15時前から17時まで2時間、水族館の河口側で竿を出した。

Kawagawa

ようやく、2尾の釣果。しかも一尾は目測30㌢の良型だった。アタリはポツン、ポツンと出始めたが食いが浅く、空振りも多い。そして、言わずと知れたクサフグの奴の攻撃も。30㌢のイシモチが来た時はこの一週間のフラストレーションが一瞬のうちに雲散霧消した。神経痛の痛みも忘れるほどだった。

本日の釣果
イシモチ2尾 29.5㌢と24㌢

Ishimochi-30cm

2019年5月25日 (土)

今シーズン初のイシモチ釣り。

5月24日(金)晴

4時の目ざめ。21時就寝。

朝食:朝からカレーライス(ジャガイモ・人参ごろごろのやつ)
昼食:バジル・スパゲッティ(ジャガイモとピーマン入り)
夕食:カツオのグリルを生姜醤油で食べながらビール。仕上げはざるそば。

体調を崩し家籠りしている今週。

歴史関連の本に没頭する。先週から今週にかけて読んでいるのはチャーチルの回顧録。The Second World War - The Grand Alianace Volume Ⅲ。The Soviet NemesisとOur Soviet Allyの部分、それに、JapanとPearl Harbourの箇所。熟読だ。これと並行して、「近衛文麿」(岡義武著、岩波新書)と「大東亜戦争と開戦責任」(中川八洋著、弓立社)を熟読。

 

「大東亜戦争と開戦責任」を著した中川八洋氏は筑波大学の名誉教授だが、大学では宇宙工学を専攻し、留学したスタンフォード大学の大学院で政治学の博士号を取った異色の人。歯切れの良いキレ味するどい論評に圧倒される。以下は、その要約ではないけれど、所感・雑感・思うところのあれこれ・・・。

ナチスの登場もそうだけれど、20世紀前半の世界は、社会主義とナショナリズムの二つの大きな潮流が世界を席巻した。今日、デモクラシー、民主主義が普遍的価値のように喧伝されているけれど、当時の意味するところは欧米先進国の豊かででゆとりのあるごく限られた国が享受した制度だった。ギリシャの民主制が示すとおり、民主制を享受するのは特権階級でそれを支えたのは奴隷である。19世紀後半から20世紀前半の欧米の民主主義国を支えたのは国内では搾取される労働者や農民、国外では、欧米を除く世界の植民地であった。

当時の民主主義というのは「ブルジョワ=有産市民階級民主主義」のこと。ブルジョワとは日曜日でも大人の男性はネクタイスーツ姿をする、今日の水準からすれば大きな財産を持ち、家には女中がいて家事をする裕福な人々。そういう人たちが、individualism(個人主義)を享受していた。それが、第一次世界大戦の〈総力戦〉という体験を通して、そして、戦後の復興と好景気(特にアメリカ合衆国)を経て、「大衆民主主義」となっていった。農民の数が減り、都市に住む労働者のうちからホワイトカラー(事務員、中間管理職等)が出てきて、ブルジョワ=上層階級に次ぐ新たな中間層を作り出したことが大きい。日本でいう「市民」とはこの新中間層のことだ。一億総中流意識。ドイツ語の市民=Buerger(ビュルガー)は、前者のほうだ。フランスのブルジョワジーである。

第二次世界大戦での欧米(連合国)側の謳い文句「民主主義VSファシズム」、これは、英米が戦争で大衆に大きな犠牲を強いるためのプロパガンダだった。イギリスの対独宣戦布告はポーランドというもともと国益には関係しないことが理由だった。アメリカ合衆国の参戦も、パールハーバーがなかったらおそらく、直接海外に軍隊を送るということはたぶんなかった。何故、イギリスは、ポーランドに保障を行って、対ドイツ参戦に踏み切ったのか。「世論」である。「道徳的義憤」である。

そして、なぜ、ソ連が民主主義なのか?こっちの意味は、王様、皇帝の首をとり共和制(フランスのように)になったという意味だろう。人民が、皇帝の持ち物、財産ではなく、一個の独立した人格のある人民として、国家権力にあずかる、という意味では画期的なことだったのだろうけど(日本国憲法の「主権在民」)、一般人民の意識がすぐに変わることはない。半農奴的なロシアの農民たちにとってのロシア革命とは、近代化=モダンな社会を作り出すためのパーツとして革命の前衛となったエリート(レーニン等)によってなされた解放だった。ロシア革命とは、結果から言うと、国を近代化するためのロシア・バージョンであった。中国共産党もそうであったように。

近衛文麿は、貴族階級に属しながら、京大で河上肇に師事したこともある根っからの「社会主義者」であった。彼が目指したのは、ソ連型の一国社会主義国家だった。天皇陛下をいだく日本が天皇制度を否定することはできないから、天皇陛下のもとに、万民が社会主義を実現する(北一輝の主張)ことを理想としていた。陸軍の皇道派と同じ考え。国内の社会不安(有産者と無産者の対立。現在では想像できないけれど、1945年の敗戦後も1960年代ころまでは、服装でその人の社会的立場がすぐわかったし、生活水準の差は相当にあったが、戦前はもっとひどかった)と欧米(英米)のいう正義(植民地主義においておいしいところを持って現状維持を正義とする立場)を是正する正当性を実現すること、これが、彼の政治的信条であった。中川氏の主張は、太平洋戦争は、単に軍が独走したから起きたことではなく、信条を同じくした政界・官界・マスコミ界からの積極的な加担があったからというもので、戦後、戦犯指定を受けて自殺した近衛の残した手記は、後からの自己弁護であり、自分の信条を偽ったものだ、と手厳しい。

満州事変から敗戦までの日本の「統制経済」(実は、日本の経済運営システムは、1989年のバブル崩壊にいたるまで)というのは、スターリンのソ連の五ヵ年計画をモデルにした、総力戦を成すための国民総動員体制を目指すものだった。ドイツもソ連もイタリアも日本も、それぞれに事情は違うけれど、国家の社会不安(人々が十分に食えていないのだから当然)を解決するための一種の上からの革命だったのだ。


体の患部(左胸付近と同じ左の背中の肩甲骨の下付近)の腫れは相変わらずだが水疱は衰え始めている。しかし、チクリ、チクリという痛みは時折あって厄介だ。日中の暑さ(30度近い)もあり、体のだるさもかなり軽減してきたので、午後遅くから3時間ほど、那珂川河口に出かけて涼んだ。今シーズン初めてのイシモチ狙いで釣りを敢行。水族館前の海側で竿を出そうと思っていたが、現場に到着すると、荒れ模様。しかたなく、河口側で竿を出すことに。平日であったが釣り師は3人いた。

Akua

Nakagawa2

海があれているからだろうか、最初は投げるたびに海藻に邪魔をされて釣りにならなかった。16時過ぎ、海側の一人がグッドサイズのイシモチをあげた。遠目に見ても28㎝前後はあっただろう。体中をアドレナリンが走った。しかし、私の竿にアタリはない。2度、3度場所を代えた18時前。竿にアタリが!ただ、ガガガーンといきなりやってくるあのイシモチ特有のアタリではなく弱弱しかった。さては、あの奴、フグかぁ?リールを巻いて取り込むと、予想に反してうれしい、かろうじて20㎝を超えたイシモチだった。

Ishimochi_1

今シーズン初イシモチ。さらに1時間ねばったが、次に釣れたのはフグだった。19時に納竿。1尾という貧果だったが、ボウズではなかった。よかった、よかった。

弟が、イシモチ釣りをいっしょにやろう、と先週末の日曜日に来たときに約束したので、釣れる場所と時間帯をチェックする偵察でもあった今回の釣行。混雑する週末はスキップして来週早々は海側をさぐろうと思う。

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