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2019年4月11日 (木)

ウーエンさん流の野菜炒めがピタリと決まった。

4月9日(火)晴

6時前の目覚め。グロムイコ回顧録を1時間ほど読んで台所へ。

朝食:アジの干物半分、ベーコン・エッグ、ポテトサラダ、ご飯少々。

生ごみを出して戻るとウグイスが気持ちよさそうに囀り始めた。

BS放送で世界街歩き・リスボンをとぎれとぎれに見る。ポルトガルはこれまで縁がなく行きそびれてしまった国。いずれ、ハプスブルク帝国の旧跡を訪ねたり、ポルトガルやスペインなどの南欧にはぜひ足を運びたいとは思っているのだが、それまで健康で生きていたいものだ。

随分昔だけれど、「白い街で」(Dans la ville blance)といういい映画があった。1980年代半ばだったろうか。ある夜(多分週末)、それも、深夜、字幕スーパーで見た。一人の船員がリスボンの町にふらり降り立ち、故郷のガールフレンドと手紙を交わしながら、孤独のなかで気ままに街をたゆたう。食堂で働く女性と関係をもったりもする。極端に台詞が少ない映画だった。街の様々な風景が主人公の心象風景と重なり、日常のしがらみから一時的に身を離す機会が訪れたときに誰でも感じるほっとした安堵感の一方で、俺はこんなところで一体何をしてるんだろう、という、誰でも内省すると思いあたる自己の存在の不確かさと言いようのない不安。つかみどころのない焦燥。どういう結末だったかはもう覚えていないが、見終わったあとの何とも言えない余韻を今でもたまに思い出す。

昼食:ロースかつサンドを両親と半分こする。コーヒー。

BS放送で「いまそこにある危機」を見る。1990年代の映画。アメリカ政府の麻薬取締り政策と南米・コロンビアの麻薬カルテルがからむスパイ・スリラー。アメリカ合衆国という世界の富を独占する超大国と対照的な中南米の貧困振りと麻薬を媒介としたその持ちつ持たれつの関係。先日も、メキシコの麻薬王がアメリカで裁判にかけられていることが話題になっていた。

南米で思い浮かべるのは、バナナ、石油、コーヒー、穀物、アサード(牛肉を丸ごと電信柱で刺して丸焼き)、アマゾン川とパタゴニア、ジャングル、インディオ、ナスカの地上絵、インカ帝国、サッカー、そして、麻薬。麻薬産業は裏社会の資金源であり、もうかるビジネスなのだが、表社会と表裏一体の関係にある、と言ったら言い過ぎだろうか。麻薬取引きは世界の武力紛争の資金源だ。イデオロギーなど関係ない。右も左も中道も、表の秩序ある道徳的な社会の根本のどこかにかかえる暗部。東南アジアの黄金の三角地帯、アフタにスタン、トルコと並んで中南米は麻薬の一大産地・供給地だ。何せ、アメリカ合衆国という世界一?豊かな消費マーケットがすぐそばにあるのだから。

映画は、取り締まる側(米国)と取り締まられる側(コロンビアの麻薬カルテル)の間で繰り広げられる戦いの中で双方の関係者の癒着と裏切りを描く。主人公のCIAエージェントのライアンは、大きな権力の中で駒として見捨てられる仲間を助け、大統領を含む関係者の裁量による権力の乱用(Clear and Presnt Dangerを理由に認められた予算を権限を越えた不正使用)を糾弾すべく議会の公聴会で証言するところで話は終わる。

主人公のライアンの過剰すぎる正義感ぶりが、少々胃にもたれる感じだ。アメリカが正義をふりかざして他国に干渉する独善=偽善(正義は表向きで、対外干渉は自らの利益追求が本音)とは次元が違うのに敢えてそれと闘う姿勢を見せる主人公。現実の世界でそれは必要悪だと庶民は認め目をつぶるけれど、映画というフィクションの世界で留飲をさげる仕掛けなのだろうか。前日の「パトリオット・ゲーム」もそうだが、007シリーズに比較してこのあたりの道徳臭だろうか、見終わっていまひとつすっきりしない。それに、単に尻切れトンボに終わるエンディングも不満だ。


夕食:ウーエンさんを参考に、中華風の豚肉・ジャガイモ・人参・ピーマンの炒め物を作る。すべて千切りにする。豚肉は紹興酒と生姜で下味をつけ、小麦粉(本には片栗粉)をまぶしてさっと炒め、別のさらに取り出す。千切りにしたジャガイモと人参は下茹でする。フライパンにサラダオイルをしいて、ニンニク片(つぶしたもの)を入れて、香りが出たらピーマンと下茹でしたジャガイモと人参を強火で炒め、途中で豚肉をもどし、酒を振って中火で2分、3分蒸し煮して、最後に塩コショウで味を調えて出来上がり。これを肴にビールを飲む。仕上げは、アサリを使ったスパゲッティ・ボンゴレ。

<珍しくピタリと味が決まった一品>

Jabaimo-hosogiri

Asari

2019年4月 7日 (日)

長谷川氏の「暗闘」。黄砂。真鯛のアラ炊きを作る。

4月5日(金)晴、黄砂が舞い、風強し

4時過ぎに目がさめて眠れなくなる。中断していた長谷川氏の「暗闘」を少し読み進める。

ルーズベルトが1945年4月に突然亡くなって(愛人宅だったらしい)、トルーマンが政権を引き継いだが、ヤルタの密約はもちろん、原爆のことも知らなかった。ルーズベルトはある意味、民主主義アメリカの独裁者でもあった。さぁ、どうしよう、困った、困ったぁ、というのがトルーマンの心境だったろう。とは言え、ドイツの降伏、沖縄戦、本土攻略を視野に入れながら、原爆投下とソ連の参戦等日本をどう降伏させるのか(無条件降伏か条件付き降伏か)、4月から8月の日本の降伏まで歴史的に重要な決断を迫られる息詰まるようなドラマの日々だった。

トルーマンは、基本的にルーズベルト路線を踏襲はする考えであったが、ニュアンスまでは引き継げなかった。ポーランド問題をめぐって米ソの間に早くも不信感が芽生え、駆け引きが始まっていた。日本内部では、本土決戦による米国への一撃で有利な休戦交渉を期待する軍部(天皇も一時はそう考えていた)と敗戦は必至であり極力早く英米と手を打とうとする和平派が動き出す。戦後、戦犯に指名されて、裁判に掛けられる前に自殺した近衛文麿も、へたをすると、共産主義革命がおこりかねないと、昭和天皇に上奏する。宮中の侍従長だった木戸幸一は、天皇の英断だけが軍部を抑えられると考えていた。外務省は、ソ連が、日ソ中立条約の破棄をを4月に通告してきたものの1年間は有効であり、交戦国でないソ連を頼みに、降伏の仲介をすべく動き出すが、スターリンにとってはカモが葱をしょってやってきたも同然だった。のらり、くらり、参戦準備を最優先で推し進めながら、日本にはその気があるようなそぶりを続けて日本を欺き続ける。

スターリンの、というか日本という島国を除く世界では、「あざとさ」がなければ生きていけないのだ。それを知らない日本は初心さをとおり越したドアホだった。国際条約というのは事情が変れば破っても問題がないということ。条約破りを罰する上位機関とそれを担保する「物理的拘束力」は存在しないからだ。ソ連の日ソ中立条約違反を批判しても、ソ連の論理(そして今日のロシアのスタンスもそうである)は、独ソ不可侵条約でドイツに裏切られて自分たちは亡国の寸前まで行った先例があること、そして、ヤルタ会談で英米がソ連に対日参戦を要求したのだから、何が悪いのだ、というものである。独ソ戦で勝利はしたけれど、疲弊した国土と日本との中立条約をたてに断る選択肢はあっただろうが、スターリンは、一国社会主義ソ連の安全保障の要請を優先させる。この機会に取れる領土は取れるだけ取ってしまおう、というものだった。ヒトラーとスターリンの共通点は一般の庶民の生命を何とも思っていないこと(この点、日本の軍隊も似たり寄ったりだった)。スターリンは、対日参戦は日露戦争のリベンジであると国民を鼓舞した。ソ連にも今日のロシアにも日本に対する道徳的なやましさ、というのは一切ないと考えたほうがよい(むしろ、しめしめと思っているであろう)。


6時過ぎ、眠りに落ちる。目が覚めると7時10分過ぎ。ヤバい、朝食の準備をしなくちぁと飛び起きてキッチンへ。

朝食:鮭の塩焼き半分と鰯の生姜煮にご飯、キュウリとカブの浅漬け

生ごみ出しをして、9時から昨日の続きで「ファーブル昆虫記 南仏・愛しの小宇宙」を見る。今日の虫はハチと蛾。ハチには2種類あって蜜をすうハチと肉食のハチがいるが、テレビは肉食のほう。獲物を捕まえると掘った巣穴に持ち込んで卵を産み付け、穴を塞ぐ。孵った幼虫はこの獲物を栄養源にして蛹になって成虫となる。一匹の獲物に一個の卵だ。獲物は死んだのではなく、仮死状態である。このあたりをファーブルは野外観察によって確認したのだった。

蛾だが、テレビではフランス人はパピヨンと表現していた。蝶も蛾もパピヨンというらしい。雌の蛾がいかに牡を引き付けるかの観察。雌は蛹から成虫になった直後からお尻付近から強烈なフェロモンを発散して牡を呼び寄せ交尾をする。すべて夜に行われる出来ごとで、これは小諸市に居を構える昆虫写真家の海野和夫氏が赤外線カメラで見事に収めたが、100年以上前にファーブルが観察によって確認した記述を参考にした試みであった。電気はもちろん、赤外線撮影などという技術ががまだない時代、夜は真っ暗な時代にどのように観察したのだろうか。

昆虫たちが繰り広げる驚くべき生態は個々の生命体に授けられた本能によるものであって、ファーブルは交流のあったダーウィンのいう進化論には疑義を呈したという。ファーブルは、貧しい家の生まれ、父が商売に失敗、一家離散するも、成績がよく、学士号(数学と物理)の資格をとり、何とか小学校、師範学校の教員をしながら家族を養った。世俗的出世には無頓着、金銭的には恵まれなかった。当時の教員の給与というのは馬丁より低かったという。性格は頑固一徹、偏屈、意固地、だったが心優しい人でもあった。ファーブルの評価は本国フランスでは長らく無視されていたが、近年ようやく再評価が始まったらしい。フランスよりもむしろ日本でファンが多い(ファーブル昆虫記は隠れたベストセラー)だと、奥本氏が著書のどこかで語っていたと思う。

昼食:小倉デニッシュ半分、コーヒー、ジャケット・ポテト(熱々の皮つきジャガイモに酢とゴーダチーズをふりかけて)。

食後、道場さんのレシピを参考に真鯛のアラ炊きを作る。新ごぼうと一緒に、下処理した真鯛のアラを魚出汁で掛け汁を残す程度まで煮詰めるだけ。

Arani

夕食:アラ炊きとポテトサラダで一杯やる。新ごぼうがベリー・グッド。真鯛(松山産)の骨をしゃぶり尽してゼラチンの旨さを堪能した。

地元の桜が8分ほどまで開花したという。東京よりいつも一週間ほど遅いのだ。風が強く黄砂が舞っており今日は外出を控えた。FMラジオから流れる昨夜に続きバッハの音楽特集聞きながら、ネットサーフィンをしたり物思いに耽る。

2019年4月 6日 (土)

タケノコの初物で一杯やる。

4月4日(木)晴

今日も晴の天気だが相変わらず寒し。

朝食:イワシの丸干し、ご飯、緑野菜のおひたし

資源ごみ出し。8時過ぎ、ひとしきりウグイスの囀りを聞く。

ファーブルの特集番組をBS3で観る。ファーブル昆虫記の全集改訳を30年かかけて完成した奥本大三郎氏(仏文学者)と海野和夫氏(昆虫写真家)が登場する1時間半の楽しい番組だった。ファーブルが作曲したという「蝉」と「蟋蟀と蝶々」の曲が披露される場面も。昆虫の主人公はフンコロガシとシデムシで、彼らが子育てをする場所は動物の糞であったりネズミの死骸。まず、女性は見ないだろうなぁ。

テレビでは奥本氏が現地に足を運んでファーブルの足跡をたどるのだが、南仏の自然とその風景のすばらしいこと。一方の海野氏は、自宅を構える長野県の小諸市で、フンコロガシの産卵を写真撮影に挑戦する。フンコロガシは、光を浴びると、まったく活動をやめてしまうため、観察の鬼であったファーブルもとうとうその場面を観察することはできなかったが、海野氏は赤外線撮影を駆使することで、成功する。

写真は、奥本氏が翻訳した「ファーブル昆虫記」の縮刷版の第一巻と海野和男氏の昆虫写真集:

Fabre

昼食:リゾット、コーヒー

Yちゃんの入学式がお昼からあったと、ママからラインで写真とともに送られてきた。

夕食:鯛兜の酒蒸し、タケノコ、エビチリ(昨夜の残り)、ポテトサラダで赤ワインを飲む。タケノコは初物だ。スライスしてわさび醤油で食べたが、こんなにおいしいタケノコを賞味したのは記憶にない。本日のメインであった。

Takenoko

2019年3月17日 (日)

63回目の誕生日、蒋捷(Jiang Jie)の詞とジョセフ・ニーダムの英訳。

3月15日(金) 晴
今日は63回目の誕生日。特別な感慨はないのだが、この63年、何とか生きてこられたことに感謝。昨年、生まれて初めて怪我で入院する羽目になったが、基本的に丈夫な体でこの世に送り出してくれた神様というより両親になによりも感謝したい。

この63年、物心ついて以来を思い返せば、苦楽相半ばする人生だった。というかどちらかと言えば、あまりくよくよ悩むこともなく、我が道を歩んできたと思う。人生の目的は何だ、みたいな深刻なことは考えるけど、まあ、そこそこに悩み、無理せずに、マイペースで、心地よく生きようぜ、というのが私の人生哲学だ。そう思って行動していたわけではなく、気が付いたらそうだった。好きなことをやっている限りそんなにストレスはたまらないものだ。正直言えば、自分は何か大きなことをやってやろう、といった野心を持ったことがない。そして、人の上に立つなんてリーダーシップを取るなんて絶対いやだった。

若かりし頃、「あなた、偉くなってやろうという野心がないでしょ」とある人に言われて「実は、そうなんです。自分の好きな世界でたゆたって居られればそれで自分満足なんですよ」と答えたことを今でもはっきり覚えている。生活のために仕事をして来た。とは言っても、仕事はマイペースを許してくれない。それで、それなりの苦労は避けられない。いやなことでも、嫌と言わずやらないといけない。サラリーマンとは気楽な稼業だった。仕事には責任が伴うけれど、個人事業主との雲泥の差。人間としてはあまちゃんのままだ。

仕事に取り組んでいると、もともとそれをやるために就職したわけではないけれど、与えられた職務が面白くなり情熱を傾けるようになるということも学んだ。二十歳すぎの人間で自分の将来のビジョンが見えているひとはそうはいない。最初に出会ったチャンス、あるいは、門をたたいた相手が自分を受け入れてくれれば、人は迷いつつも一歩すすむのだ。人生にやりなおしはきかないのだから恐ろしいことではあるけれど、その時点で、未来は真っ白だし、あまり思慮することもなく、やってみっか、である。私はそうだった。

マスコミ志望だったが、相手に振らて、メーカー、金融(証券)、運輸の3つの業界の会社で幸い内定が取れ、運輸の会社を選んだ。配属先が、何と、訪日外人を扱う旅行部門。想定外。こんな仕事があるなんて。26年勤務して、49歳で早期退職。遅すぎた転職だったかも知れないが、半年後に大学の教育事務の世界にトラバーユできた。二つの大学で合計11年、国際教育の事務支援業務に従事して、昨年5月末に現役引退。引退の3週間前に転倒して左足骨折というショッキングな事故で生まれて初めて入院、手術。半年のリハビリを経て、今、こうして63回目の春を迎えている。

敗戦後に生まれ、日本史上、おそらく、例外的に豊かな時代に育ち、偏りはあるけれどアフリカと中南米を除く地域はかなり旅行(レジャーではなくほとんどが仕事だったれど)する機会にも恵まれた。時代が時代なら、一介の水飲み百姓で清貧な生活をして田舎の片隅で一生を送ったかもしれない。あるいは、一兵卒として中国大陸か東南アジナのジャングルか広大無辺の太平洋の海の藻屑となってこの世から去っていただろう。私の家系の両親の世代はいずれの側も運がよく、戦死者は一人だけ(中国戦線)。父側の長男は中国(確か、済南)での後方勤務、次男は、牡丹江(当時は日本の農村より豊かで毎日がご祝儀の生活だったと述懐していた)と後に南方(パガン島)への転戦するも無事に帰国した。父は、横須賀で終戦を迎えた(本土防衛の要員)。母方は、長男が陸軍の下士官で満州鉄
道勤務後、やはり南方へ転戦(ポナペ島)、次男は台湾の師範学校で終戦。遠縁の一人は、ビルマのインパール作戦を生き抜いて帰国した人もいる。両親の世代関係者は、当の両親を除いて全員鬼籍に入っている。

親を失って人は本当の意味で大人になる、らしいが、私は60歳を過ぎても子供を演じ続けている。

朝食:サバの文化干し、ポテトサラダ、ミネストローネ(昨夜、寝る前に作った)、春菊とそら豆の残りにご飯少々。今日も、ナシ・ゴーレン・ア・ラ・ジャポネーズだ。
Nashigoren2
9時半、父のリハビリの先生が来る。

ジョセフ・ニーダムの訳詞を見つけた。サイモン・ウィンチェスターの本(The Man Who Loved Chiba)の89㌻から90㌻にあった。詩人の名前は、Jiang Jie。インターネットで検索すると、蒋捷と出てきた。漢字は中国本土の簡体字で表記されていた。
<虞美人>
少年听雨歌楼上,红烛昏罗帐。壮年听雨客舟中,江阔云低,断雁叫西风。
而今听雨僧庐下,鬓已星星也。悲欢离合总无情,一任阶前点滴到天明

日本式にすると、
少年聴雨歌楼上,紅燭昏羅帳。壮年聴雨客舟中,江閣雲低,断雁叫西風。
而今聴雨僧閣下,鬓已星星也。悲歓離合總無情,一任階前点滴到天明。

ニーダムの英訳は:
The Beautiful Lady Yu

As a young man, listening to the girls in the tower,
I heard the sound of the rain,
While the red candle burned dim in the damp air.

In middle age, traveling by boat on a river,
I listened to the rain falling, falling:
The river was wide and clouds drifted above;
I heard the solitary cry of a teal borne on the west wind.

And now in a cloister cell I hear the rain again,
My hair is grey and sparse;
Sadness, and happiness, separation and reunion, all seem one,
They move me no more.
Let the rain drop all night on the deserted pavement
Till the day dawns.
詞というのは音楽に合わせて朗誦するために作った漢詩のジャンルらしい(日本には詩吟がある)。インターネットで検索しても日本人サイトではとりあげられていない。本家中国と英語圏だけだ。ニーダムのなせる業か? 吉川幸次郎の「宋詩概説」を捲ってみると、「詞」の評価そのものが低いようだ。でも、この詞を目で追い意味を取ってみると、何とも言えない人生の真理の情感が込み上げてくるのを感じる。こんなものなのだ。私も最後の聯(スタンザ)のような境地になりたいのだが、まだまだのようだ。

昼食:ミネストローネにご飯を入れてリゾットを作って食べる。それに、コーヒーとイチゴ入りのロールケーキ。両親もおいしそうに頬張ってくれた。

 

Risotto2
午後一杯、本の整理に没頭。昨日の続き。先週の健康診断の結果た届く。特に異常はなし。メタボに注意すること、つまり、運動が必要。体重は70キロを切って69.4キロなのだが。レントゲンと胃の検査はしていないのだが。

夕食:昨日に続き、ハートランドビールを飲む。肴は、豪州産のエビ(ロブスターサイズとはいかないが)、サーモン・ジャーキー(前職で付き合いがあったカナダの提携校A大学の交渉相手で名前はグレートヒェンという上品なオバちゃまからお土産でいただいたもの)、だし巻き卵、ゴーダ・チーズなど。エビは誕生日の贅沢。1尾350円ちょっと。仕上げは、好物のステーキ。黒毛和牛ではなくこれも豪州産のアントレコット。1枚580円。真鯛の刺身より安い。ミディアム・レア-で焼いてスナップエンドウを添えて、わさび醤油でいただく。ベリー・
グッド。満足のいくツー・コース・ディナーだった。
第一のコース:

Kanpai_ebi

第二のコース:

Steak

夜、本の整理を続ける。21時からBS放送で吉田類のフランス大紀行(酒と食)と大自然紀行(ヨーロッパ・アルプス狼の母子の物語)を交互に見る。食紀行のほうは、バスク(バイヨンヌ)とブルターニュ地方。バスクの豚と特製の生ハムがうまそう。ブルターニュは海鮮料理。生牡蠣だが50年前に在来種が絶滅して日本種の牡蛎を導入して今日があるという。ロ

サンジェルスやミルウォーキーで食べた牡蛎も日本種(熊本)だったことを思い出した。バスク語の片言をテレビで聞くことができたが、まったく孤立した言語で日本語と同じく、類縁言語が特定できないらしい。周りのロマンス語(仏、スペイン語など)とまったく無関係なのだそうだ。

一方の、狼だが、母と6尾の子供のサバイバルの話。涙が出そうになる過酷な物語だが、動物の目線でよくぞここまでカメラが捉えたとただただ感嘆する。フランスのジャック・ペラン監督の「Wataridori」を彷彿させる。影響があるのではないか。狼の夫婦はカラスと同じ
で一生を添い遂げる。集団で群れをつくって序列がある。子供を産めるのはリーダーの狼の妻となった雌狼。ある日、リーダーがクマと争ってケガがもとで死んでしまう。新しいリーダーの登場。妻狼は集団から弾き出されてしまう。一緒にはいられない。すでに妊娠して
おり、もし、この集団にとどまって子を産んでも新しいリーダーに皆殺しにされてしまうのだという。1000キロにもおよぶ孤独な旅。途中で出産。天敵から子供を守るために狩りに出かけられない間は草を食べ、ミミズを食べるだけ。おいしそうな羊を取るにも人間という天
敵が銃をかまえて待っているなど、サバイバルは大変なのだが、冬を乗り切り、母狼は新しいパートナーの狼(牡)と出会い、新しい集団を作り始めるところで終わる。ドイツとフランスでは20世紀後半に絶滅したとされる狼だが、現在2000頭ほどがヨーロッパアルプスの山岳地帯(オーストリア、スイス、フランス、イタリアにまたがって)に生息しており数は増えているという。

深夜近くまで2階で物思いに耽けながら日記を書く。深夜の就寝。

2019年3月12日 (火)

梅、沈丁花、春キャベツ、そして、真鯛再び。

3月10日(日)晴、後曇り
庭の梅が満開。
Umemankai10

沈丁花の花も独特の香りを漂わせながら地味に開花した。


Jinnchoge

朝食:納豆、ベーコンエッグ、ご飯、笹かまぼこ、ミネストローネ。一皿盛りの見てくれは、まるでインドネシアやマレーシアで食べたナシ・ゴーレンの日本版。平なお皿に米があり、その上に肉・魚・卵・野菜類を適宜乗せたぶっかけご飯である。


Choshoku

東向きの空き地の茂みでウグイスが盛んに囀る。午前中のみならず午後も。

なかなか手につかなかった2階の本の整理を始める。昼前買い物に。K百貨店で真鯛の兜とアラを380円で再び購入する。その後、別のスーパーで野菜類を買う。春キャベツがみずみずしく見えて購入する。帰宅して早速、春キャベツたっぷりの焼きそばを作って家族にお振舞う。

Yakisoba

本の整理をしながらブックサーフィンをする。整理しながらある本が目に付くと、それを手にしてパラパラと読み始めてしまう。従ってなかなか進まない。

夕食:春キャベツとベーコンの炒め物と鯛の煮つけ少々でビールを飲む。仕上げは真鯛の潮汁とタコの刺身。釜の煮つけはそれぞれに両親に。父は骨だけを残してすべて食べる。さすがは魚好きである。


Kyabetu_ushio

<両親には兜煮をそれぞれ献上>

Taikabutoni

2019年3月 6日 (水)

ミネストローネ・リゾット、真鯛のスペアリブ。

3月4日(月) 雨

朝から雨が降る陰鬱は月曜日。仕事をしていないから、一週間の始まりのブルー・マンデー的な憂鬱ではないけれど・・・。

昨日聞いたウグイスの初鳴きだが今日は聞けず。この寒さで雨ではウグイス君(嬢?)も囀る気分にはなれないだろう。

朝食:サバの文化干し、納豆、ポテトサラダ、ご飯、ミネストローネ。

父が9時に迎えが来てデイケアーへ出かけたあと、近くのクリニックへ父と自分の薬を処方してもらいに行く。約1時間。

自宅に戻って、今度は確定申告に出かける。ところが、現場に到着していろいろ確認しているうちに、必要な書類を一つ忘れていたこと
に気付く。午後、出直すことになってしまった。挫けそうな気分。K百貨店で真鯛の兜とアラ(380円!)と巻き寿司などを購入して帰宅
する。

昼食:ミネストローネのスープを使ってリゾットを作る。バターと溶けるチーズとご飯を加えて塩・胡椒。最後にパセリの微塵切りを
ふりかけて完了。 なかなかよろしい味。

Risotto

再び外出。銀行の貸金庫を7年ぶりに開く。その跡、確定申告へ。1時間半ちかくかかる。住宅ローンの所得税払い戻し申請をする。
地元の三菱UFJ銀行はいつの間にか引っ越していた。と、言ってもメインストリートを挟んだ反対側だ。しかし、一階の店舗ではなく三階。
すべての用事を済ませて帰宅しすると時間はもう16時前だった。

夕食:真鯛の兜とアラの塩焼き。大ぶりの真鯛、しかも、産地を確認すると愛媛県産。美味いに違いない。父の帰宅に合わせて直火で
焼く。焼きあがったら豪快に日本酒と醤油をかけて、今日はビールの肴にする。油が乗っていて実に美味い。兜もすべて解体して骨とい
う骨についている白身や皮やゼラチン質のものやらすべて食べつくす。残ったのは骨だけ。お椀に入れて湯を指してスープにして飲む。
真鯛版のスペアリブを食べた気分であった。

Tai_supearib

ブキャナンの「不必要だった二つの大戦」を読み続ける。

2019年2月28日 (木)

オイル・タンク交換、福寿草、ホウボウの清蒸。

2月27日(水) 晴、後曇り

6時過ぎの目覚め。ビーバーを読み続ける。第8章(バトル・オブ・ブリテン)の章。ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。
朝食:納豆、ポテトサラダ、ご飯。
履歴書届けで1時間ほど市内へ車で外出、その後、10時半から、家でオイル・タンクの業者対応で午前中がつぶれる。装置の固定でトラブル発生。最初のステンレス製のタンクと固定箇所が違うために、ドリルでコンクリートに穴をあけるのだが、穴をドリルするたびにすぐ下の鉄筋にぶち当たってしまう。2度、3度やったがいずれもダメ。それで別の方法を取ることにするため、業者さん、ホームセンターに急遽部品の買い物へ。結局、13時半ごろまでかかってしまう。追加料金5千円もかかったがやむを得ない。


<10年目のオイルタンク>

Furuioiltank



<設置後の新しいオイルタンク>



Tanku_shinki
10年前に設置してくれた業者さんは両親の家を建てててくれた旧知の工務店の人。病で倒れてしまって廃業。設置場所のコンクリートの構造を知る人はいないのだ。給油タンクの水抜きの仕方を教えてもらい年に1度水抜きをすること、軽油はなくなってから給油するのではなく、半分くらいまで減ったら追加してできるだけ満タンの状態にするように心がけること、この2点がタンクを長持ちさせる使い方だと。鉄製のタンクにしたのは水抜きがしやすいから。ステンレス製のほうは、マニュアルに水抜きのことは書いてあるが、実際にやれと言われても水抜きはできない(地面と栓の隙間が5㌢くらいしかないのだ)。
業者さんと世間話したり、庭の芽吹き始めた植物を見たりしていると、コゲラがギィー、ギィーと声を出しながら近くの桜の木の幹をゼンマイ仕掛けの機械のように伝って走っている。


インターネットの写真から:
コゲラ(キツツキで一番小さい種類。注意して観察すれば都会でも普通に見れる)
Kogera

庭の片隅では福寿草の花が開いている。御日様が照ると花開くのだ。

朝はこのとおり

Fukujuso1

陽に当たると

Fukujuso2

昼食:卵サンド、まるちゃんの昔ながらのソース焼きそば。

母を病院へ。徒歩3分だが車で移動。レントゲンを撮るが異常はないようで一安心。祖母と同じ、骨粗鬆症もあって背中が丸まって来たが背骨に骨折などの異常はないようだ。先生曰く、肩や背中の痛みというより腰の痛みでしょう、癌(膵臓がん)とは関係ないと思います
よ。母は少し安堵したようだ。筋肉痛だろうということで痛め止めをもらって帰宅する。それから、郵便局とコンビニで支払いを済ます(健康保険と固定資産税)。

徒歩で帰宅すると自宅から10数㍍のところで魚の煮つけ(山椒の香り)がする。元気が戻って、夕餉の支度をする気になったようだ。

夕食:ホウボウの清蒸、バゲットのオリーブ・トースト、チーズとポテトサラダ、赤ワイン、仕上げは納豆とご飯少々。両親は煮付けのほうを食べる。

Hobo_chinjon
ホウボウの清蒸は、今回は、皿に収まりきら二つに切った。三つ葉の代わりに、今回は余っているパセリを使用。もともと臭みのない白身の淡泊な味。蒸し上がった直後の熱々にタレ(醤油、酢、味醂)をかけて賞味する。ベリー・グッド。

夜は、ビーバーの「第二次世界大戦」を夜遅くまで(眠くなるまで)読み続ける。

サバ・サンド。母の背中痛。

2月26日(火) 曇り、時々晴れ
6時過ぎに目覚める。ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。第7章(フランス陥落)。
朝食:サバ・サンド

Sabasand
トルコの有名なサバ・サンド。昨日買っておいた生サバ(4切れ190円の一枚)に塩・胡椒してをオリーブ・オイルで焼いたものを、生玉葱とトマトのスライスと一緒に石窯パンに挟んで食べてみた。ボリュームたっぷりでなかなか行ける味だった。レモン汁を絞ってもっと酸味を効かせるといかも知れない。

昼食:朝のサバサンドのボリュームがすごかった。お腹が減らず、コーヒーとおせんべいだけで済ます。

ポテト・サラダが切れたので、また作る。ジャガイモ600㌘に対し、酢は大匙3、砂糖は大匙2。ロースハム4枚、玉葱半個のみじん切り、人参半個、胡瓜一本を加える。お好みで今回はマカロニ50㌘を追加。マヨネーズ大匙5で合えて、最後にみじん切りにしたパセルを多めに振って、2時間から3時間寝かしたら食べ始めてOK。美味しくなるのは一晩置いてからだ。

ハローワークへでかける。毎日何もせずぶるぶらしているのはよくないなぁと。現役は昨年5月で引退した気分だが、やはり、社会との接点は必要だと思う。年齢的な問題(体力や頭脳の柔軟さ)があるから人手不足の分野で無理のない範囲で、しかも、両親の介護に差支えない範囲でお小遣いを稼ぐことを考える。趣味の追求(釣り道具、エサ台、バードウォッチングの際の撮影用カメラ)とYちゃん親子と遊ぶため。足のケガは違和感もほとんどなくなり、春の訪れとともにいよいよ始動だ!
帰りは寄り道して、那珂湊のお魚市場まで足を延ばす。ホウボウ6尾で700円、即購入。煮付け、塩焼き、清蒸用。活きがいいので何でもござれ。
Hobo
夕食:カニクリーム・コロッケカレー

母が肩甲骨の下の痛みが取れないという。明日、病院に連れて行くことに。

森繁喜劇「駅前大学」を2度目だが途中から見る。前回は気が付かなかったが、学生の一人でやけに太った元気な男が若き日のサンダー・杉山だった。当時はプロレスラーの全盛時代。彼の得意技は雷電ドロップ。豊登とタッグを組んでいたなぁ。

2019年2月21日 (木)

タラモ・サラダを作る。

2月19日(火) 曇り、午後一時雨
昨夜は21時に就寝。そして、目が覚めたのが4時。眠れなくなる。6時から7時間の睡眠時間で十分だ。この歳になると。

「ナチスの時代」の第3章と第4章を読了。最終章を残すのみ。

朝食:ベーコンエッグ、納豆、ご飯。

昼食:高菜を具にしたお握りを作って食べる。それと、ジャケット・ポテト(小)にたっぷりの溶かしシーズとたらこ少々。コーヒーにバナナ半分。

休憩後、キッチンで、ミネストローネを作る。今回は、味噌も少し使って風味を変えてみる。1時間で完成。それから、タラモ・サラダを作る。こちらは簡単。ジャガイモ4個(500㌘)を電子レンジ700ワットで6分。皮を剥いて熱々のうちにボールに潰す。タラコ1腹(50㌘)を入れ、さらにバターを少々加えてよくかきまぜるだけ。タラコの塩が聞いているので味付けに注意が必要だが、酢、胡椒なども少々加えて完成。15分ほどで完成。

Taramo
夕食:タラモサラダと石窯パンのスライスが前菜。ミネストローネがメイン。タコの刺身とご飯少々で仕上げ。北海道産のタコは絶品だ。



Taramo1
森繁喜劇は「駅前金融」で過去の再放送なので迷ったが、電気ストーブにあたりながら1階のリビングで見てしまう。

シャワーで済ませてしまう所、テレビの途中で久しぶりに熱い湯舟に浸かったりする。21時過ぎに2階へ。眠くなりそのまま就寝。

2019年2月19日 (火)

黒ソイで清蒸を作る。

2月18日(月) 晴
6時前の目覚め。今日もアカハラ君の声。6時7分。
昨夜から「ナチスの時代」の再読を始める。岩波新書。高校時代の世界史のA先生(東大・西洋史学科卒)が授業中にこの本に触れたことがきっかけで購入した青版の新書だ。懐かしい本。
Nazi

大学時代の卒論でもワイマール共和国の通史の参考文献の一つとして熟読した本。今更ではあるけれど、第一次世界大戦からヒトラーのナチスの敗戦までの流れを整理しようと思った。チャーチル、アンソニー・ビーバーの本と並行しながら。

朝食:身欠きニシン、コロッケ、ミネストローネ、ご飯。
9時5分、父はデイケアーに出かけた後、近くの床屋に髪の毛のカットに出かける。15分ほどで1000円。

戻ってから午前中は、ヒトラーやナチスに関する本を整理する。参考になる本は他にも何冊かあった。セバスチャン・ハフナーの「ヒトラーとは何か」。


Hafner

それに、ピーター・ドラッカーの「経済人の終わり(The End of Economic Man)」。

Drucker

いずれも、アカデミックな本とは一線を画すけれど、今日に至るまで版を重ね読み継がれている良書だと思う。ヒトラーの時代を身をもって体験した世代に属するするどい知性がヒトラーとナチスの本質に迫っている。

大学の卒論は「ワイマール共和国の思想状況」。ランケという19世紀のドイツの歴史家の弟子にあたるマイネッケの日記を中心に取り組んだけれど、この時代の爆発的な思潮のバトルパワー(例えば、右に、カールシュミット、ユンガー、ハイデッガー、左にトゥホルスキー、ブレヒト、ルカーチ、真ん中あたりにマイネッケやウェーバーやマン等)に幻惑されて二十歳すぎの人生未経験の人間に手に負えるテーマではなかった。一応「優」はもらったけれど、お情けでもらったようなもの。納得のいく出来からはほど遠く忸怩たる思いをした。サラリーマン時代、時折思い出しては、書店の歴史コーナーに寄り道しては、この時代のこのテーマに関わる本で特に気になった本はアットランダムではあるけれどぽつぽつと購入して「積読」することが多かったけれど、時間を見つけては紐解いていた。この歳になっても、まだ未練があるのだろう。いろいろ本を読んでいるうちに火が点いてきたようだ。

昼食:ミネストローネの残りで作ったコロッケ・カレーとバナナ半分。母には、ミネストローネの残りで卵雑炊を作って食べてもらう。

午後、自動車運転免許の更新に出かける。昨年1月に、運転中、一時停止をしなかったと覆面パトカーにつかまり減点されたことが響き、一般コースでの手続きとなる。1時間の講習(減点なしのゴールド・コースは30分)。

夕食:黒ソイを使って清蒸を作る。今日は、Youtubeで研究したやりかたで調理する。中国のサイトに沢山作り方がありよさそうなものを真似した。

私流のレシピ:

① 下処理した黒ソイに塩・コショウする。
② 大き目の皿に乗せ、紹興酒を振る。表面と腹の中にも満遍なく振りかける。
③ スライスした生姜とぶつ切りにした葱を腹の中を入れるほか、切り身を入れた身にも生姜を挟み、身の上にも葱を乗せる、15分ほど付け込
  んでおく。 
④ 鍋にカップ5杯くらいの水を入れ沸騰させる。
⑤ 沸騰したら小さい皿を裏返して台にして、黒ソイの身の上にもを乗せた皿を置き、蓋をして15分ほど蒸す。魚を皿に乗せるときはは葱をし
  たに敷いて下側にも隙間を作っておくこと。
⑥ 15分蒸したら、皿を取り出して蒸し汁は取り除く。
⑦  蒸している間に、醤油、味醂、砂糖、酢を適宜お好みで混ぜて用意しておいたタレを魚に掛ける。その上に、三つ葉を散らし、最後に熱々に
  熱したピーナツ油を ジューッとかけて完成。

※使用する魚は白身魚なら何でも可。メバル、セイゴ、ソイ、カレイ、タイ、イシモチなど。香菜は、コリアンダーを敢えて使う必要はない。今回はミツバを使ったけれ
どパセリでもいいと思う。生きのいい魚を蒸して素材の本来の味を楽しむ、というのが清蒸料理の真骨頂だと思う。

父は、母が作った山椒を効かせた煮つけを食べた。母には清蒸の一部を別皿で食べてもらったが、魚本来の旨さが味わえて絶品と喜んでくれた。自分としてもこれまでではベストの出来栄えと納得した次第。タレについては今後も試行錯誤はするだろうけど。

快心の出来の一品:
Soi_mushi
こちらは通常の煮つけ:(これはこれで美味)
Soi_nituke

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