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2019年10月22日 (火)

永かった隠棲生活とようやくオサラバだ!

1022日(火)雨

台風19号が直撃し、地元も大きな被害を受けた(市の北西の那珂川沿いの地盤が低いところ)。幸い自宅は高台(市の南)にあって家の周辺は宅地化したものの雑木林はまだところどころ残っており、今回の強風や水による災害は免れることができた。身近なところで那珂川の支流が氾濫して水没家屋が続出。恐ろしさを実感した。母によると10代半ばのころ県北の久慈川があふれた記憶があるそうで、実家を心配したが幸いにも被害は免れた(川が堤防の2メートル手前まできたらしい)

怪我もあり自分に甘えがあったのか社会復帰することから身を遠ざけ日々を物思いと釣りと読書でうちやっていた日々が色あせ始め、8月は何とも言えない沈滞ムードになっていたのだが、たまたま見つけた求人に応募したところトントンと決まり、今月後半から働くことになり、気分が改まった! 49歳の転職もまったくの偶然だった。56歳の転職も思いがけないところからのヘッドハンティングで東京へ舞い戻って5年間、有終の美といえるかどうかはわからないけれど、自分としては納得のいく仕事をすることができた。そして、4度目も・・・。人生の新しい展開への予感。まだ現役引退するには早すぎるのだ!

面談即内定。気分が高揚し、翌日は健康診断にでかけた。両親も世話になっている近くのクリニックだ。余談だが、院長は2代目で私が卒業した高校の2年下である。驚きは、体重がなんと63.5キロになったこと。8キロ近く減量していた。大学を卒業して社会人になったころの体重(60キロ)に大分近づいた。30代のバブルのころ一時は80キロを超えていた。40代以降は70キロ前半代を行き来し、50代半ばからは70キロを超えたり、切ったりだった。減量の大きな原因は食生活が大きく変わったこと。両親の食事を作っているので、自分の食事内容もそれにほとんど準じている。魚と野菜主体。肉類はたまに食べるだけ。油ものは消化に負担がかかるので両親はあまり口にしない。これもカロリー減の大きな要素だ。さらに、仕事をしないこともあってご飯はお椀8分目で十分。結果として、この1年半でここまで減量することとなった。お陰で血圧も11070という超理想的な水準。前職を退任したころは13090レベルの血圧が続いたことを思うと涙がでそうなくらいうれしい気分である。その他の結果はまっている状態だが・・・。前立腺はだいじょうぶか?

先週金曜日は久しぶりの日帰り上京。1年ぶりで一時帰国したペナン在住のI氏と最初の職場の先輩たちと午後の数時間、上野でお酒を傾けながら歓談。年齢幅も最年少の自分が63歳から上は80代前半の人。博多名物のもつ鍋がうまかった。I氏からはいつでも訪ねてきてください、とオファーを受けているが、現状では残念ながら不可なのが残念。20年ちょっと前に遡るが豪州のフリーマントルにお邪魔した記憶がある。アジ釣りをやり2尾釣った。当時の豪州の物価は日本より大分安かったが、時代は変わった。中国の台頭による資源バブルで物価はとうに日本を追い越してしまった。景気のいい豪州人は北海道のニセコに別荘を買い、豪州人であふれているという。マレーシアは、日本の物価の三分の一だという。

Iさんは、金銭感覚にすぐれ、金儲けもうまい。単なる宮仕えのサラリーマンの器に収まる凡人ではなかった。株式投資、不動産投資の才覚にも恵まれ、30代前後のころ、つまりは、日本の土地バブルが始まる直前に早々と都内周辺にワン・ルーム・マンション投資をして数百万単位の利益を稼ぎ出していた。私は宵越しのカネを持たない使い切り人間だったのでどうやったらお金が貯まるのだろうか、と目を丸くしたものである。いろいろ人の話を聞くと、お金を貯めるコツは要は無駄なお金を使わないこと、だというのだが。アグレッシブにお金を作ろうという発想がなかった自分には別世界の魔術師のように思われた。

ラグビーのワールドカップ日本大会は一次予選で日本が4連勝し盛り上がった。アメリカの影響が強い日本では野球がメジァー。サッカーは1990年代にプロ化してようやくワールドカップに毎回出場するところまでは来ているが世界のトップレベルにはまだまだ届いていない。それからすると、アイルランド、スコットランドを破った日本ラグビーの実力は評価されていいだろう。

ラグビーは大英帝国のスポーツだ。参加国もイギリスの影響が強い国々になぜかイタリアやアルゼンチンなどのラテン諸国もちらほら。東南アジアでは日本だけである。パキスタンやインドはラグビーよりはクリケットだ。クリケットの世界選手権も当事国の間では大変盛り上がるそうだ。ベスト・エイトでの対戦は南アフリカだった。前回のイングランド大会では大金星を挙げた日本だったが、一昨日の試合で敗れた。自力の差。格下の相手に2度は負けないしたたかさだろうか、日本のキープレーヤーはことごとく動きを封じられトライをあげることができなかった。

週が明けて、昨日から通算4番目の職場となる会社で研修が始まった。通勤先は家から徒歩15分のところである。介護の手伝いをしながらフルタイムで働けるのでラッキーだなぁ、と思いつつ旅行(インバウンド)、大学での国際業務(国際教育)を経て辿り着いた新しい職場は、想定外ではあったが、なかなか気に入っている。

そして、今日は生憎の雨。冷たい雨だ。台風19号が去った直後から金木犀の花が満開で強烈な芳香をはなって心地よかったが、今朝玄関に出てみると、強い風と氷雨で地面に散ってしまったのが残念。

Kinnmokusei

用があって近くの郵便局にでかけたら閉まっていた。よく考えたら今日は皇室の即位の礼がある日だった。自分のことに没頭してすっかり忘れていた。皇室の即位の礼で海外から180カ国!を超える元首や国家を代表する人たちが東京にやってきているという。エリザベス女王の即位式よりも来賓の数は多いのだという。日本の皇室については、若かりし頃は左翼リベラリズムの洗脳で「天ちゃん」と鼻であしらっていた自分だったが、いつのまにか考え方が変わった。日本のユニークさを強調するのは同意しないけれど、日本の皇室制度は時代に翻弄され紆余曲折があって今日に至るまで残っているこの事実は本当にすごいことだ、と最近はしみじみと思う。是非とも末永く継続していってほしい、と思うのである。

蛇足のコメント:

日本の左翼リベラルはもうとっくに死んでいる(と思うのだが、いまだ現役で頑張っているおじさんたちもいるようだ)が、お隣の韓国の現政権は悪しき日本の左翼リベラルを彷彿させる。リベラルの本質は、朝日新聞が文化大革命のころ中国万歳を叫び、韓国の軍事政権をこきおろし、北朝鮮をパラダイスと報道していたように、共産主義・社会主義万歳の思想である。未来の理想実現にすべてをかけ、現実の極悪非道に目をつぶる倒錯した大人の小児病である。つまり、大バカ者、ということだ・・・。

 

 

2019年9月 7日 (土)

ウグイスが笹鳴く!

97日(土)曇り

今朝も4時に目が覚めてしまった。昨夜は21時過ぎには眠りに落ちた。昨日から読み始めたケストナーのDie Verschwundene Miniatur (消えた密画)のドイツ語版を40㌻ほどまで読み進めた。1976年版だけれど、原作は1935年。日本語訳は随分昔(学生のころか20代)に読んだ記憶はあるが内容はすっかり忘れている。今回は原書で、辞書なしで楽しく!?読み切ろうと。作品が書かれたのは1935年だから、すでにナチスが政権をとりヨーロッパは戦乱の暗い予感の中騒然としていた時代だ。内容は大人向けのユーモア小説。主人公は、ベルリンの代々続く肉屋の親方。仕事ひとすじに生きてきた男がある日そんな自分に倦怠感を覚え、「もういいっ」と妻や家族には仕事仲間を訪ねると言いつつ、すべてをうっちゃり、デンマークへ息抜きの一人旅行にやってきて事件に巻き込まれる話。

始まりはコペンハーゲン。冒頭のコペンハーゲン市の描写を読みながら、自分が初めて地を踏んだ外国はデンマークだったことを思い出した。1976年の夏。アエロフロートで羽田からモスクワ経由(シェレメチボ空港で給油)で到着したのだった。記憶はかすかである。有名な人魚は見に行ったけれど、小さかったなぁ。ブラッセルの小便小僧とどっこい、どっこいである。チボリ遊園地にも行った。アマリエンボー宮殿はうーん確か見たはずだが。こじんまりとしてきれいで瀟洒な街だった。電車に乗って、フェリーでユトランド半島を下って旅行したっけ。フェリーの後、再び電車がカタン、コトン走り出すと隣のコンパートメントから若いドイツ人の女性が自分のスーツケースを見なかったかと血相を変えてやって来たことをなぜか思い出す。仲間と一緒だった我々一団は、年増のドイツ人のおばさんに「あなたたちはフィリピン人」と聞かれたっけ。荷物紛失とあやしげな見慣れない東洋人の一団。

小説の中でアメリカ人が登場するが、ロックフェラーのような大金持ちとガルボのような美しい女性、という比喩が出てくる。1935年の時代の象徴であったのだろう。

Kaestner

アメリカのトランプ大統領がグリーンランド(デンマークの自治領)を購入する云々とデンマーク首相の「ご冗談でしょう」のコメントがあり大統領はそれだからだかどうか知らないがデンマークからの招待をキャンセルしてしまったのは2週間くらい前のはなしだったろうか。

トランプ大統領という現象は一体何なだのだろうか。現象が先におきて、何なのかという本質は後世にならないとわからない何かなのだろうか。トランプさんはもともと当選するとは思わず、売名行為のお遊びで立候補したらしい、それが当選してしまったから大変なことになった。識者によると、トランプさんが体現しているのは「古き良き時代のアメリカ」だという。ベトナム反戦と黒人問題などで荒れた1960年代を経てアメリカは大きく変質してしまった。WASPの古き良き伝統への回帰、新しい移民が増え続け、少数派になりつつあるWASPの無意識が、行き過ぎたリベラリズムへの反逆を始めた。リベラリズムとは、ずばり、共産主義・社会主義・マルクス主義の別名であり、かつまた、グローバリズムのことである。

米中の貿易戦争は単なる貿易戦争ではない、とは多くの識者が指摘する通り。本質はアメリカと中国の覇権争い。中国の「一路一帯」構想の終着点(?)でG7のメンバー国であるイタリアはすでにそれに乗っているのだから。中国という単位とその権力が生み出す膨張が、過去500年ちかく世界を席巻して自分たちの基準でうまい汁をすっている「生き方」(彼らの価値観は、科学とテクノロジーをベースにした自由と民主主義)を脅かす存在だということにようやく気付いて本気に対策を講じ始めた、というこらしい。チァイナ・マネーは、ユーラシア大陸のみならず、アメリカの裏庭である南米はもちろん、アフリカ大陸や北極圏、宇宙空間へと進出の勢いはとどまるところを知らない。オーストラリアの地下資源の最大顧客は中国である。その豪州で、中国への警戒感が一段と強くなり、アメリカとの連携の強化を鮮明にしている。アラスカの地下資源開発をチャイナ・マネーでおこなうプロジェクトもストップがかかって地元民は落胆しているというのだが!?

香港問題は行政長官の法案取り下げにも拘わらず終息する見込みはたっていないようだ。第二天安門事件、にはならないのは、場所が場所だからだ。イギリスが埋め込んだDNAは、中国政府の命とりになりかねない力を発揮しかねない。香港で失敗すれば、台湾の統一はさらに遠のいてしまう。試金石なのだ。しかし、中国共産党の現在の方針が続く限り解決することはないように見える。ある人は、中国という広大な地域を一党独裁で締め付けるのは不可能だという。そのコストが高すぎるというのだ。アメリカは、デモクラシーという世論で政策が立ち往生してしまう弱点があり、その点中国が有利(独裁政治は決断と実行が一元的にできて効率がいい)なのだが、アメリカの強さは、普段は地域ごとにバラバラだがいったんまとまるととてつもない力をアメリカ流の効率主義で発揮する柔軟な底力がある。

朝鮮半島も大きく地殻変動をするのかも知れない。現在の文大統領は、日本の民主党政権の菅直人や鳩山由紀夫とだぶって見える。左翼の活動家あがり、という言い方はよくないのかも知れないが、大人になり切れない青年の拙い政治が迷惑を引き起こしている、というのが本質ではないか。政体の性質はちがうけれど、ヒトラーのナチス・ドイツもこれに近い。

ネットサーフィンをしていると、面白いニュースがあった。インドでは70歳のおばあちゃまが双子を出産したという。青森県では、クロマグロが川を遡上(河口から4キロ)しているのが目撃されたらしい。

囀りをやめたウグイスだが、今朝は、笹鳴き(ジャジャッ、ジャジャッ・・・)をしているのを聞いた。そろそろ、モズもやってくるだろう。

2019年8月20日 (火)

もう一つの「破損」は夢の中。アオサギにハゼを食われ、釣りの最後に思い出したこととは!?

8月19日(月)晴、時々曇り

3時前に目が覚めて眠れなくなり、1時間ほどホブズ・ボームの歴史書(第2巻 The Age of Capital)を1時間ほど読んでだ。

アメリカ合衆国の歴史上の汚点:インディアンの虐殺→1867年から83年までに1300万人!が殺されたのは驚きだ。ナチスのユダヤ人虐殺は600万と言われているが、倍以上。それにしても、双方の虐殺に対する扱いの差は一体どいうことなのだ。アメリカにはインディアンの利益を代表するロビーがないということ。経済的な力を通した政治的なパワーがまったくない歴史の忘却の彼方へ押しやられてしまうということだろうか。(韓国がいつまでも日本に対する歴史認識問題を出し続けるのも、彼らなりの経済パワーがあってのことなのだ。しかし、日本は、アメリカやナチスのように朝鮮半島の人を虐殺してはいない。朝鮮半島の人口は日本統治時代を通じて増えている。虐殺はしなかったが、実態として、力ずくでレイプをした、というのは事実であろう。誤解される言い方かも知れないが、「和姦に近いレイプだった」、とも言える。)

4時頃、再び眠りに落ちた。そして、束の間の夢をみた・・・

釣り竿を積んだ自分の車(日産のNote)だが、知らない山あり、谷あり、川あり、街ありの風景の中を走っている。渋滞。靴底の中敷きがよれているので(実際に自分のスニーカーの中敷きが最近よれ始めた)靴底から足を出して調整しようと気をそらした間に、先の車が動き出す。慌てて半分靴をはいたまま続こうとするとまた先の車がとまる。ブレーキを踏むがうま作動しない。先の車にぶつからないよう道路の縁に車を寄せて車列から抜ける。脇道があったので入る。車通りがすくない道の縁で何とか車をとめる。車の前輪の?ブレーキがいかれたようだ。そこからどういうわけか、大きな複合ビルのなかに入り、迷子になり、自分の車に戻ることができない。家にも戻れない、車はどこだ、釣り道具をつんだままじぁないか。これじぁ、釣りもいけない。車もないから買い物にも行けない。

どこだ、どこだぁ、ともがいているところで目が覚めた。6時過ぎだった。まれにしか見ない夢だが、見る夢はいつもこんな感じだ。何かをきっかけに、行かなければならないところに辿り着けない夢だ。カフカの小説に「城」という長編があった。途中で挫折して読了していないけれど、この小説はまるで自分の夢と同じ。私だけでなく、人間が見る夢そのものを語っているのではないだろうか。

午前中、週末に没頭した添削書類を返送するのに郵便局に出かけ、家の買い物をして、それから、新しいパソコンのプリンターを買いに行く。K社のものを購入。壊れたのもK社のもの。レーザーのモノクロだ。1万円のがあったが在庫がないので、1万6千円のを購入。帰宅して早速プリンターのセットアップをした。

午後は、4日ぶりに涸沼川へ。ハゼ釣り第三弾。カイズもついでに狙おうとオキアミを餌に2本の柔らか目の万能竿を出した。いつものマイススポットは月曜日にもかかわらず占領されていたので少し上流で竿を出した。ハゼの竿は2本。磯竿と継竿。

Turiba

第一投から釣れたが、護岸の水たまりにポチャリと落としてしまった。この水たまりが大きくて、15㌢ほどの良型ハゼをなかなかつかまえられない。あとで網で捕まえようととりあえず放っておいて、ハゼ釣りに熱中した。

Haze4

5尾ほど釣ったとき、一休みして網を持ってハゼを回収することに。ところが、いくらさがしてもハゼが見つからない。ふと、目をみやるとあのアオサギがまた近くにいるではないか!さては、アオサギに食われてしまったか?

Aosagi2

ハゼは、そこそこ釣れるのだが、カイズのほうはアタリはさっぱりだった。仕掛けを回収するたびに餌はなくなっているのだが、アタリらしきものは全くないまま、16時を過ぎてしまった。納竿。ハゼ8尾持ち帰り。1尾はたぶんアオサギのお腹の中。

釣りを終わろうとしていた時、突如、午前中に返送した添削で一箇所記入漏れがあったことに気付いた。なんで、こんなタイミングでこんなことが脳裏をかすめるのだろうか!?。帰宅して、2階に上がり、パソコンで資料と解答の原案を確認したら、やっぱり、一つだけ記入漏れしていたことが判明。急いでお詫びのメールを事務所に送ることに。

こういうことは昔もあった。前日に煮詰まる程のめり込んで書類を作成して夜遅く帰宅。食事をしてそのまま寝てしまったが、明け方、目が覚める直前のうつらうつら状態で、あっ、あそこが間違ってる、と気づく。職場に出勤した朝一番、すぐに力作の書類を点検すると、夢の中で気が付いた間違いは、まさにその通りであった。

本日の釣果 マハゼ 9尾、一尾はアオサギのお腹(たぶん・・・)

Haze8

2019年8月16日 (金)

お盆のちょっとばかりの災難

8月16日(金) 曇り時々晴れ、終日風強し。

私事だが、悪いことが3つ重なった。

一つ目
2011年に5万円で購入したノートパソコン(東芝のダイナブック)のキーボードの一部が反応しなくなった。仕方なく、画面キーボードに切り替えて操作はしているが、アウトである。ウィンドウズ7なのだが、十分に使える愛用のパソコン。修理に出すべきかどうか迷っている。費用次第だ。基本的にはWindows10搭載で昨年末に勝ったラップトップを主に使っているのだから問題はないのだが・・・

二つ目
父譲りの愛用の継竿を折ってしまった。昨日、涸沼川でハゼ釣り第二弾に出かけた。サイズが小さくなってしまったが、2時間半で10尾。まわりはカイズ釣りの人が数人竿を出していたが一人だけ2尾釣っていた。10尾釣ったところで16時。家にかえらなくっちゃ、と片付けていると、一番上の細い竿が二番目の竿の継ぎ目のところでポキリ。心痛む瞬間だった。

三つ目
添削の仕事の情報が届いたので、プリントしていたら、最後の資料を印刷中にプリンターのトラブルが発生。それから延々と2時間、再起動したり、他のパソコンにしたり、トナーを替えたりやってみたがまったくダメ。2005年の秋に秋葉原で購入したキャノン製で、もう14年近く使っている愛用機。午前中、カスタマーズセンターに電話するも、さんざんいろいろやって、修理に出すしかないとの判定。買い替えだ。

ということで、矢継ぎ早に身の回りのものが壊れたり、壊したりで気分が落ち込んだ。形あるもの、かならず壊れるのだから、運命として諦めるしかないことは分かっているけれど、長年付き合った自分の分身のようなものや大切にしているものが突然駄目になってしまう、というのはやっぱり辛いことだ。

2階で添削の資料を勉強していると、巣立ちガラスがグゥァ、グワァと吹き出したくなるような鳴き声を上げている。電信柱の上で大人とかわらぬ(むしろ大きい)姿が見えた。

Karasu

スナップショット。カラスにからかわれているような気分になり、さらに気分が落ち込んでしまった。しばらくすると、ヒヨドリの悲鳴が盛んに聞こえる。二階のベランダに巣立ち雛がやって来ていた。そして、カラスが格好の餌食と狙っているようなのだ。巣立ち雛(尻尾が短い)はすぐに飛び去った。どうも、近所の空き家にある庭木の茂みに身を隠しているようだがカラスが張り付いて狙っているようだった。ヒヨドリの親の悲痛ともいえる叫びが何とも物悲しい。無事でいてほしいと思うばかりだ、巣立ち雛よ。

Hiyodori-hina

周辺では、ツクツクボウシが鳴き始めている。高校野球もベスト8が明日で出揃う。早くも秋の気配が。台風は西日本のひとには気の毒だったが関東に来なくて良かった。

2019年8月 2日 (金)

花火、ノウゼンカズラの花、もう一種のイシモチ(シログチ)が釣れる、身の回りのスナップショット

8月2日(金)晴

夏の風物詩と言えば花火大会。ご当地では2週間ほど前の週末に花火大会(千波湖畔)であった。自宅からも良く見える好例の行事。例年だと地元の夏祭り(黄門まつり)に合わせて初っ端の金曜日夕刻に実施していたらしいが、切り離して、参加者サービスも考慮して土曜日開催にしたらしい。自宅の網戸越しに眺めたショット。

Hanabi

Hanabi3

Hanabi2
キッチンで毎度朝餉、夕餉の食事の準備をしているが、網戸越しに橙色の花に気付く。この花って何の花?母に聞くとカズラだという。桂と聞こえたのでインターネットで調べたら金木犀(桂樹)が出てきた。カツラではなくカズラである。アサガオを一瞬思い浮かべたがもちろん違うということはわかっていた。それにしても色があでやかで妖艶だなぁ、と外に出てワンショット。蟻が蜜をすっていた。

Kazura

昨日は午後から那珂湊へ再びでかけた。晴れてはいるものの少しどんよりした一昨日と違って今日は快晴。中堤防の突端があいていたので竿を2本出した。クーラーを掛けた家にいるより、乾いた!海風がそよぐこの場所のすずしいことすずしいこと!。

Nakateibo

シロギス狙いだが、空振りだった。たまたま話をした宇都宮からやってきた人は渓流釣りの達人。ヤマメもイワナも雨か曇ってないと釣れない、と。それでも、餌が偶然目の前を通ったので食いついたのかイシモチが釣れた。イシモチだが普段釣れるニベとちょっと違うもう一種。ニベは灰色が濃いが、こちらは釣り上げた直後はピンク色がほんのりと魚体を覆っている。食べてはニベの方がおいしい。そして、昨日よりサイズは小さいがワタリガニ(ガザミ)も釣れた。

Shiroguchi

帰宅して、ハゼの素焼きにレモンを絞ってビールを一杯。唐揚げのように全部は食べられないけれど、これはこれでシンプル、ハゼ本来の白身の味も味わえて、実にうまい!

Haze-suyaki

 

2019年7月 4日 (木)

大阪ナオミ、ウィンブルドン一回戦で散る。久しぶりのイシモチ釣り。なす味噌炒め。

7月2日(火)曇り

ウィンブルドンのテニス選手権が始まった。どいうわけか、自分は中学時代にテニスクラブ(と言っても軟式)に所属して3年時には県大会で優勝、全国大会にも出場(2回戦で敗退、女子は全国優勝)という経歴をもっていることもあって、テニス観戦は昔から好きだった。当時は、ウィンブルドンというより、デビスカップに注目していた。東洋ゾーンの難敵はインド。いつも負けていたなぁ、インドに。憎きクリシュナン選手は強かった。

世界4大トーナメントでは、ロッド・レーバー、スタン・スミス、ジョン・ニーカムなどオールトラリア全盛でや米国も強かった。そして、1980年代になると、ジミー・コナーズ、コートでのマナーが悪い「悪ガキ」ジョン・マッケンロー、

Warugaki

などのアメリカ勢が目立ち、そして、ボルグ、ヴィランデル、エドベリなどのスウェーデン勢が台頭した。チェコのレンドル、ドイツのベッカーなど他の欧州勢も出てきた。私のテニス観戦はこのあたりまで、その後は徐々に遠ざかって記憶は薄い。女子だとビリー・ジーン・キング、クールな美女クリス・エバート、

Evert

筋肉質のレスビアンことナブラチロワ。ベべッティーナ・バンジ(ドイツ系アルゼンチン、英語読みだが、ドイツ語読みならブンゲ)という美女もいたなぁ。2000年に入って、近年薬物問題で追放?されたシャラポワというロシア人美女も目を楽しませてくれた。前置きが長くなったが、大阪ナオミ選手が一回戦敗退。全豪オープンで優勝して世界ランキング1位になったが、コーチを解約して(何かトラブルがあったか?お金の問題?)から、おかしくなった。全仏でも結果が出なかったしメンタルなものだろうと推察される。このままずるずると舞台から消えてしまうのではないかという悪い予感がする。当たらなければいいのだが。

今日は朝から曇り空。そして蒸し暑い。こんな時はイシモチが釣れるのではないか、と那珂川河口へ午後から出かけた。川側で竿をだした。4人、5人ほどいたが誰も釣れない。2時間が経過した。2週間前知り合った人がやって来た。偵察である。海側を見てから戻ってきて、釣れてるよ、との情報。急遽、移動した。満潮直前の16時前だった。10人ほどがずらりと護岸に並んでいた。第一投。80㍍投げる。30㍍手前までさびくが空振り。両側ではアタリがあったのかイシモチを取り込んでいる。第二投。50㍍付近でついに来たぁ!ガガン、ガガガ―ンというあの強烈なアタリ。目測28㌢前後の良型だった。一匹釣れたのでこれで安心した。第三投目。40㍍付近でまたアタリ。今度は少し弱かったが20㌢越えのイシモチが釣れた。なーんだ、釣れるじぁないかぁ。しかし、残念ながら潮どまりにはいったのか、ピタリとアタリが出なくなった。1時間粘ったが、フグが釣れたので納竿。現場の人と言葉を交わしたが、朝からポツリ、ポツリと釣れたらしい。右手50㍍ほど離れたところの釣り師は、一投ごとに釣り上げていた(15尾前後あげたらしい)。明日は雨でなければ最初から海側で竿を出そう、と思いながら家路についた。

Oarai

Ishimochi2

帰宅したのは18時半すぎ。外はまだ明るいが、両親はすでに夕食を済ませていた。釣りの魔力に負けてヘルパー役をサボってしまった。すまないと思いつつ、急いで、豚のロース肉と茄子とミョウガを使った味噌炒めを作ってビールを飲んで自分の夕食を簡単に済ませた。この一品、ウーウェンさんのレシピを参考に作ったが、お酒にもご飯にもぴったりで病みつきになりそうだ。茄子の季節になったが、地中海料理のラタトゥイユ(茄子とトマト他の野菜のコラボ)、焼きナス(油で焼いても可)を生姜醤油で食べたり、とこのところ茄子を食べ続けている。

Nasu

2019年7月 1日 (月)

ツバメの子育て、アントニー・ビーバーを読み進める。

6月30(日)雨

一昨日から雨が降り、自宅にこもったままだ。アントニー・ビーバーの「第二次大戦」に没頭する。スターリングラードの独ソの死闘、カサブランカ会談、北アフリカ戦線でのロンメル率いる独伊軍と英連邦軍(途中から米軍も加わる)、珊瑚礁海戦、ガダルカナル、ビルマ戦線、そして、再び東部クルスクでの独ソの死闘(まだ途中)。

その間、G20が大阪で開催。このところ世事にまったく背を向けたままだ。トランプさんは大阪帝国ホテルに宿泊したらしい。ここは自分自身も1度か2度仕事で宿泊したことがある。1990年前後だか。習近平さんはウェスティンホテル。このホテルは知らない。ロシアのプーチンさんはリーガロイヤルホテル。何度も出かけたホテルでなつかしい。自分が30歳代のころだ。

食糧品調達をするKストアではツバメの巣が二つあって子育てしている。一つのほうはもう巣立ち寸前。もうひとつはまだ卵から孵って1週間といったところ。実家の家の屋根瓦ではスズメが子育てしており、2軒隣のいまは空き家になっているブロック塀の中ではシジュウカラが子育てしている。またつい数日前は巣だったばかりのヒヨドリの雛(羽が短い)が家の東向きのブロック塀の上で給餌をうけているのを目撃した。1羽だけだったが、前日、近くで親鳥が悲痛な声をあげていた。おそらくもう一羽だか二羽だかいたはずだが、巣立ち雛がカラスの餌食になったと思われる。野鳥はまだまだ子育て真っ最中。Kストアのツバメはカラスの餌食にならないことを祈っている。

Tubame1

以下、ビーバーの本を読んで理解したことや勝手な想像の飛躍を記す。

大戦中のフランスに関連して:

東部(スラブ)と西欧とのヒトラーの戦いはまったく内容といいその過酷さといい雲泥の差であった。フランスはあっけなくドイツに敗れ去ったが、停戦協定を結び、第一次世界大戦の英雄ペタン将軍を首班とするヴィシー政権が成立した。伝統主義者、王政復古派、カトリック派からナチスに共鳴する革新保守派などが集う政治的には、反民主主義・反社会主義・反共産主義な政府だった。ナチスの対外戦争に中立の立場をとる、実質的には親ナチ政権であった。150万だかの壮年の男性はドイツに強制労働として供出され(朝鮮半島からの徴用工みたいなものか)、陸軍は実質的に解体され、海軍は、ドイツの敵対国に軍艦を渡さないことを条件に保有が認められた。アメリカやソ連は当初このヴィシー政権を承認した。ドゴール将軍の自由フランス亡命政権(ロンドン)をチャーチルの傀儡政権ではないかと警戒したるルーズベルトのアメリカは認めなかったらしい。イギリスは、ヴィシー政権がナチスに協力的だということでフランスの軍艦を攻撃して1300人の犠牲者を強いるなどの行動もとっている。

余談ながら、パリはフランス側の無防備都市宣言による無血開城でドイツ軍が占領した。日中戦争時の首都・中国の南京と大違いである。もし、蒋介石が無防備都市宣言をしていたら、南京虐殺(大がつくかどうかは今もって疑問符だと思う)は起きなかったのではないか。後述する重慶爆撃と同様に、どうも、中国の指導部は、欧米の支援をえるためのパーフォーマンスとして、人民の生命を無慈悲に扱ったのではないかと思える。それとも単なる無能のなせる業だったのか。日本の軍隊側にも当然ながらdehumanization processが日常的にに行われ、捕虜に対する、そして、中国人一般に対する蔑視が相乗して、結果として今日なお和解することがほぼ不可能なとんでもない事態を作り出してしまったことは否定できない。

北アフリカでの英米による上陸作戦(スターリンの要請は、フランスへの連合軍上陸による第二戦線の展開であったが、陸軍国ではないイギリスと遅れて参戦した米国には十分な準備が整っておらず、まずは、手薄な北アフリカに「トーチ作戦」を実施)を実施することになった。アメリカ側には、大英帝国の植民地保持のために戦っているのではないと皮肉る人が多かったがルーズベルトがとりなした。

地中海の制空権と海軍力で勝るイギリスは苦戦しながらもロンメル軍団のロジスティックスを断ち追い詰める。そして、初の英米合同で行われた北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)が成功裏に実施される。統率するのはあのアイゼンハワーである。北アフリカの「自由フランス領」(アルジェリア)の指導者をめぐってドタバタ劇が展開された。チャーチルが押すドゴールを嫌ったルーズベルトはヴィシー政権の重鎮であるナチスシンパと見做されかねない軍人(ダールランやジロー)などを押すなど奇怪な様相を呈するが、チャーチルの計らいもあって、カサブランカ会談(1943年1月)ではドゴールとジローの両将軍が握手する一コマを演出した(ダールランは直前暗殺される)。

独ソ戦の展開によってドイツの戦争経済に貢ぐことを強いられたフランスの生活の窮乏化や、1943年2月のスターリングラ-ドでのドイツの敗北でどうもドイツは負けるのではないか、ということが徐々にわかってくると、それまでは、従順にナチスの占領に従ってきたフランス国民の離反が始まった。カサブランカ会談の結果、ジロー将軍を首班(軍事を統括)として政治面の実権を握るドゴール将軍と形式的にせよ手を結んだことで、フランスの海外植民地の重要な一角が英米連合国側に組する姿勢が鮮明となり、ドイツは、アントン作戦を実施。フランス全土が占領され、締め付けが厳しくする一方、反ナチスドイツへの地下活動が徐々に活発化していく。

1942年のアジアの戦局:
2月のシンガポール占領、3月の蘭印占領までは破竹の戦いぶり(満を持しての戦争準備をしていた日本と欧州と大西洋の戦いにかかりきりの英米の準備不足の差は歴然。日本を見くびっていた英米にも責任の一端はあった)であった。しかし、米国は早くも4月には空母ホーネット等から離陸した米軍機が東京を空襲する。この空襲が、ミッドウェイ―での日米の戦いのきっかけとなるが、日本は大敗する。実質的に日本連合艦隊はこの時点で終わっていた。しかし、海軍はこの敗北をひた隠しにし、現場の人間は転戦を課せられて死地に赴かされた。東条さんを含め陸軍関係者や政治家、外交官は後々までこのことを知らされなかった。また、緒戦の予想外の完勝で舞い上がってしまった軍部は戦線をさらに拡大する愚(米国と豪州の連絡網を絶つため)をおかし、本来であれば防衛圏の体制を固め、相手を待ち受け、日本近海で艦隊決戦をする戦略を徹底できなかった。伸びきった戦線でのロジスティックスの防御の貧弱さをつかれ、無益な増員派遣は裏目となり、マッカーサーの陸軍とニミッツの海軍の両軸作戦によるジリジリと押し戻される展開になっていく。ガダルカナル撤退は1943年2月、時まさに、独軍がスターリングラードの死闘で敗北を喫したタイミングであった。

1942年の英国のドイツへの戦略爆撃の開始:
一般市民を堂々とターゲットにした都市爆撃はイギリスが行った。バトル・オブ・ブリテンではドイツ空軍がイギリス本土を攻撃したが、対象は国際法にもとづく軍事施設がターゲットであった。そんななか、ロンドンに爆弾が落とされる偶発的な誤爆があったが、ロンドン市民を恐怖の底に陥れた。チャーチルはベルリン空襲をその報復として実施した。心理戦でありほとんで物理的な効果はなかったが、これをきっかけに、また、スターリンのヨーロッパ第二戦線展開要請に即座に応えられない代わりとして都市爆撃の比重を加速させていった。米軍も参加するが、ここにはあのカーティス・ルメイ中将も登場する。日本への1944年から45年に掛けて戦略爆撃の前例はドイツ空爆にあった。リューベック、ケルン、ハンブルク、ベルリン、そして、東京、大阪、名古屋を始め日本各地都市が対象となっていく。爆撃によるピンポイント攻撃の効果は疑問視されており、その結果、焼夷弾が考案され、絨毯爆撃によって一般市民を焼き殺す、という恐ろしい戦略となっていった。この、一般市民を攻撃の対象とする国際法違反の空爆の前例として、スペイン戦争時のドイツ空軍によるゲルニカ爆撃(ピカソの「ゲルニカ」でも有名)や、日中戦争時の日本軍による重慶爆撃がよく引き合いに出されるようだ。なお、ゲルニカ空爆は、ゲルニカに軍事施設があり国際法違反ではなかったという論があるらしい。つまり敵対する側のプロパガンダだったというもの。日本の重慶爆撃の無差別攻撃も、実は、軍事施設を狙ったものだったが、蒋介石の計算もあって、軍事施設を爆撃しにくくするために敢えて一般市民を盾にした(市民が居住する地域に施設を移した)ことが招いた結果だとも言われる。巻き添えによる被害を英語ではcolateral damageと言うらしいが、ボスニア戦争やイラク戦争や近年の戦争でも頻繁におこっていることである。

2019年6月21日 (金)

何とかシロギス7尾。

6月21日(金)晴れたり曇ったり

世間を騒がす事件がおぞましい。子どもの虐待による死亡事故は悲惨である。いつの時代にもあっただろうとは思うけれど、豊かになって久しい日本でなぜなのか。農林水産省のもと事務次官が引きこもりの息子を刺殺して殺人罪で起訴される事件もむごい。むかし、息子が親をバットで殴り殺した事件もあった(1980年ごろ)。「8050問題」というのがあるのを始めて知った。そして、警察官が命を狙われて銃を奪われる事件がまた起こってしまった。一方で、交通事故死はかつて年間1万人以上が死んでいたのが昨年は3千人ほどに減ったというのは朗報だ。しかし、気になるのは高齢者が引き起こす事故(逆走、操縦ミス)が頻発している。他人事ではない気がする。

このところ朝の目覚めの読書にシュテファン・ツバイクの日記を拾い読みしている。第二次世界大戦勃発(ドイツのポーランド侵攻)の部分。すでに祖国オーストリアを脱してロンドンに逃れていたユダヤ人のツバイクはそのころ同じユダヤ人で精神分析学の創始者であったフロイトがロンドンで客死した際、弔辞を読みに葬式に参列してた。ドイツのポーランド侵攻の2週間後にソ連がポーランドの東側半分を占領したことに対し何故英仏がドイツと同様に宣戦布告しないのか憤慨している。よくよく考えると、確かに不思議なことだ。ポーランドの独立を保証したからこそ両国は対独開戦に踏み切ったのに、ドイツと共謀したソ連は対象にしなかったのは何故なのか。ヒトラーもスターリンも同じ穴の貉みたいなものだった。ドイツにしか宣戦布告しなかった理由は英仏だけでは、ドイツだけで持て余しているのにソ連も含めて敵対することはまったく物理的に無理だった、という単純な理由からだろう、と推察される。その後の推移で、ヒトラー没落の原因となった2年後のソ連侵攻によってソ連は連合国の仲間になってしまったのだが、イギリスはそれを見通していただろうか。

Zweig

家の玄関先でカメムシを発見。始めてみるカメムシだ。インターネットで調べるとヨコヅナカメムシというらしい。

Kamemushi

水疱瘡の罹患と治療から一ヶ月が経過した。ようやく神経痛も収まり幸いにも後遺症はのこらず完治したようだ。そして、不調のイシモチ釣り(鹿島灘のヘッドランドでは爆釣らしいが、足のケガが治ったとは言え、足場が悪い上に、海に落ちたら離岸流に流されるか、はたまた消波ブロックに挟まれてまず助からないというり命がけの釣りはしない)昨日と今日は半日ずつ那珂湊漁港でのんびりと竿を出してシロギスを狙ってみた。本当はサーフから遠投して本格的に狙いたいしそのためにPE0.8号のラインも準備したのだが、5色、6色(100㍍以上)投げるのがしんどくて結局、漁港でのちょい投げを選んだ。

Nakaminato

昨日は(早朝2時間と午後の1時間半)何とか3尾(13㌢~15㌢)。

Kisu-3

本日は午前中(9時~11時半)で4尾(13㌢~19㌢)。

Kisu-4

合計7尾。先週3尾釣ったときは50㍍先のポイント前後で釣れた。昨日は70㍍地点で2尾、25㍍地点で1尾だった。今日はすべて90㍍地点前後だった。時間と潮の状況でこれほど違うのだからたかがキス釣りとはいえ奥が深い。問題はまだ時期的にキスの存在が薄いことだ。アタリが出たらすこし先になげてそこを集中的に狙うのだけれど2尾、3尾のあとが続かない。アタリが消えてそのままだ。どこへ行ってしまうのか上げ潮のときはどんどん護岸によって来るのだろうし、下げ潮のときはどんどんポイントが遠くなるのだろう。頭で理解はしていても50㍍以上先のポイントへ誤差ナシで仕掛けを投入するのは結構年季がいる技だ。

那珂湊漁港の利点は万が一釣れない場合はお魚市場で鮮魚を買って帰ることができることだろう。今夜は、購入した大きめのメバルの清蒸を久しぶりに作って白ワインを飲みながら食べた。香草は三つ葉を使った。清蒸は、生きのいい素材のおいしさを味わうにはもってこいの調理法だと思う。シロギスのほうは、合計で7尾になったので夏野菜と一緒に近々天ぷらに挑戦してみようかと思う。

Mebaruchnjon

2019年5月21日 (火)

骨折が完治したと思ったら・・・

5月21日(火)終日雨

今日はまるで台風が来たような荒れた天気だった。明け方4時に一度目が覚めた。その時はまだ雨は降っていなかった。

5月17日の金曜日にS病院へ半年ぶりに検診に出かけた。左足のレントゲンを撮ってI先生と面談。骨は完治した、との宣言。もう大丈夫でしょうと。

ところが、ところがである。週末は上京してYちゃん親子と遊んだ。詳細は省くが、土曜日の夜、寝る前に板橋のマンションでシャワーを浴びようと裸になったら左胸下があかく腫れている。バスルームで見ると背中にも一か所赤く腫れたところが。うーん、何だ、何だ。その日は早起きして阿字ヶ浦で釣り。21㎝のシロギスを仕留めて(一尾だけだったけど)気をよくしていた。午前中は朝寝して午後から上京したのだが体がだるかった。左肩周辺に痛みも時折あった。遠投のし過ぎだろうくらいに思っていたのだが、ひょっとしてこれってヘルペスか?

昨日朝、実家に戻ってすぐ近くの両親がお世話になっているクリニックへ。熱はなし。K先生と面談すると、ああ、水疱瘡ですねぇ。原因はわからないけれど、でちゃいましたね。一週間分の薬でウィルスを駆除しましょう、とのことだった。後遺症で神経痛が残るかもしれないとも。エエエッ!!!ガガーン、だった。まずは、ウィルス駆除しましょう。治りますよ。だけど、後遺症として神経痛が出る人がいる、ということで出ない人もいるらしい。出たら出たで、対策はあるような話しぶり。

左足骨折を卒業(といっても金属片は入れたままだし、ジョッギング以上は断念)したと思ったら・・・。先週は、月曜日終日、火曜日は半日、水曜日はまた終日、そして、木曜日も夜中まで添削作業のようなものに没頭、金曜日のお昼過ぎに何とか仕上げたのだった。正式契約とかそういうものではなく一種の予行演習。それなりに面白くて想像以上にエネルギーを使ったのかも知れない。ハイテンションが続いて、土曜日朝は5時間の睡眠後の早起き。無理がたたったか?体の免疫力が落ちたときに出るとは聞いたことがあるような気がするが、先生はそんなものはよくわからないと。

ということで、昨日は昼から薬を飲み、昼寝をして体をいたわり、夕食後も薬を飲んでぼんやりして21時過ぎには就寝。たっぷりの睡眠をとった。

しかし、やはり、左肩周辺の腫れはまだひかない。インターネットで調べると完治するのに3週間~1ヶ月はかかると。気長に薬を飲み続けるしかないようだ。体がなんとなくだるいし、昨夜は微熱がでた。

さてさて、そういうことで歳をとると無理はできないのだ、ということを改めて思い知らされた自分。病気らしい病気はしたことがない。強いて言えば、目が悪いこと。ド近眼だったが、最近は老眼が進み、メガネを新調しないといけないかなぁ、と。それから、左ひじや肩が2月くらいから少し痛くなった。肩を上げる際に痛みを感じるのだ。それに、左手中指の関節があまりまがらないことくらいだ。幸いにも2月ごろから襲われる花粉症の症状は今年はまだ出ていない。

写真は、昨夕みかけた近所に出没する野良猫のショット。

Noraneko2

虎の子どもみたいで私のお気に入りである。

Noraneko1

庭ではピラカンサの白い花が開花。その赤い実は初冬から真冬にかけての野鳥の貴重な食料になる。ヒヨドリ、ジョウビタキ、シロハラなどがひっきりなしにやってくる。

Pirakansa-best

実家の2階の屋根瓦に雀が巣を構えて子育てしているようだ。向こう三軒どなりの空き家になっている家では最近、盛んに、何と、ヒガラが囀る姿を目にする今日このごろである。

 

2019年5月11日 (土)

オリンピックのチケット抽選にトライするも地獄を見る。

5月10日(金)晴

ようやく、辿り着き開会式D席とE席を3枚ずつ申し込もうとしたら、2枚しか予約できない。つまり、DかEのどちらかで一発勝負の抽選になるらしい。あと1枚はYちゃんのところで申し込むしかない。ところで、それはいいとして、次にすすむのに電話認証が必要で手続きしようとしたのだが、これがうまく行かない。何度かけても駄目。186をつけても駄目。自分の携帯が過去に他の目的で認証を受けているとダメらしいいがそんなの自分にはわからない。それで、ほとんど使っていない自分用の固定電話に変更して、再度トライしたのだが。なんやかややっていると2時半になってしまった。そして、こちらも電話認証でひっかかる。なんってこっちゃ。やる気が失せて、そのままスリープ状態にして寝ることに。

朝食:アジの干物、葱と豆腐の味噌汁、納豆、ご飯少々。
昼食:ソーセージ入りバゲット一本、メロンパン、コーヒー。
夕食:今シーズン初のカツオを焼いて食べる。酒・醤油・味醂にニンニクのすりおろしを入れ半日つけて置いたものを焼いた。父が好きな食べ方だ。これと昨日のジャガイモ・人参・ピーマンの炒め物を肴にビールを飲む。

開会式のチケット抽選申し込みうまくいかないので、電話問い合わせをしようと事務局に電話するが、これもインターネット同じビジー状態。
何度掛けても通話中か忙しいのであとでまた掛けなおせとの音声が流れる。私のようなITに弱い老年世代の人は皆同じように頭をかかえているのではないか。

これもあって、今日は、野鳥・昆虫ウォッチングはお休み。

それで、というわけでもないのだが、某通信添削会社のアルバイト(採点)を3月に申し込んだところ、一次と二次審査にパス。三次審査の通知が来たので書類を20数枚(両面)を印刷したものを精読する。添削会社よりさらに郵送物が来るという。それまちだ。

午後は、車でドライブ。釣り場の下見にでかける。涸沼川で1時間ほど手長エビを狙ったが空振り。ヌマチチブしか釣れず。釣り餌屋によるとシロギスが釣れ始めたという。しかし、今日は南風が強く投げ釣りには厳しい。明日の早朝を狙って那珂湊か阿字ヶ浦に行ってみようか・・。

開会式抽選申し込みは電話が結局、終日何度かトライしたがつながらないので、ウェッブでの問い合わせをして回答まちにする。携帯電話での
電話認証をまたやってみたが、やっぱりだめ。

1964年の東京オリンピックのときの開会式のチケットの倍率は86倍だったらしい。たとえ、抽選予約申し込みが出来たとして、抽選で運よく当る確率はこれまたIT時代のこと、可能性は非常に低いだろう。それでも、まあ、申し込まないことには、抽選に参加できないというジレンマ。その申し込みでこのカタツムリの歩みのような進み具合でイライラが募るし、すぐに、解決せず、心が落ち着かない。

Yちゃんのママからライン連絡。Yちゃんはクラスの1泊2日の合宿研修で富士山のほうに出かけているらしい。チケット抽選の話をすると、私は
セッカチすぎる、という指摘。いい歳して、カリカリすることもなかろう。人生60過ぎたらどっしり構えて泰然自若の境地にならないといけないはずが。我、今だ熟せず・・・。熟せぬまま、老いを迎え、朽ち果てるか。

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