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S君死す・・・ああ、合掌。

マイケル・ジャクソンが死んでマスコミは大騒ぎとなっている。エルビス・プレスリー以来の超大物の早すぎる死。プレスリーが死んだのは1977年の夏のことだった。まだ私は大学生だった。前年にドイツを旅して、そのお返しにというわけではないがドイツから学生がやって来て、水戸の我が家にも2週間ほどホームステイしたのだった。たまたまある日のこと東京に遊びに出かけて、夕刊フジの見出しで知ったのだった。それを拙いドイツ語でミヒャエル君伝えると、彼はシンプルなドイツ語で一言呟いた。 「Unser Elvis ist tot」(俺たちのエルビスが死んじゃった)。

次の大物の死というと、フランク・シナトラかなぁ。シナトラが亡くなったのは1999年の春ごろだったような記憶がある。イギリスで忙しい日々を送っていたある日、お客さんのアテンドでバーミンガムかどこかでうろうろしていた時だったと記憶する。終日テレビではニュースを流していた。

この年の秋には、パリに出張してセーヌ左岸のSofitel Rive Gaucheというホテルで施設見学をしていた時、携帯電話が鳴った。電話に出ると実家の父からだった。従兄が癌で亡くなったという知らせ。当時彼はまだ50歳だった。

今週の月曜日、いつものように千波公園を散歩しながら職場に向かう途中で携帯電話がなった。ハイ、モシモシ。東京のN氏からの電話だった。Sが急死しちゃったよ!一瞬わが耳を疑った。心臓がドキンとした。エエエエエーッ・・・絶句した。つい1週間前にメールで近況を聞いたばかりだった。彼は昨年2月のブログに登場してもらった。彼がこれを読んだかどうかは定かではないが・・・。

http://birds-eat-bookworm.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c9a8.html

人の命ははかない。まさかS君がこんなに早くこの世を去ってしまうなんて・・・・・。どういうわけか私とは波長が合った。田舎に引っ込んで以来、酒を酌み交わして語り合う機会は減ってしまったが、そろそろ暑気払いでもやりに上京しようかと思っていた矢先のことだった。

フランク・シナトラは天寿を全うしたと言っていいだろう。しかし、マイケル・ジャクソンもプレスリーも私の従兄もS君も若死にだ。生れ落ちた瞬間から人は死に向かって走り出す。「生きること自体が体に悪い」と誰かが哲学的なことを言っていたと思う。

週末は野暮用で潰れた。今日も朝8時から出勤して一仕事をこなし16時過ぎに帰宅。堪えきれずに釣竿をかかえて海へ出かけた。車で向かう途中、ポツリポツリと雨が降り始めた。1時間ほどだが小雨の中で釣り糸を垂れた。先週土曜日の夜釣りパート2は空振りだった。期待して出かけたのにアタリはなし。一度軽く鈴がなったが針掛りしなかった。今日も駄目かも知れない。釣れなくてもいいと思いながら、夕刻の小雨ふる太平洋に4.2メートルの投げ竿で思い切り遠投した。100メートルは優に超えたはずだ。真っ直ぐにコントロール良く仕掛けを飛ばせるようになった。しかし、アタリは一度だけ。そして18cmサイズの小さなイシモチが釣れただけだった。雨足が強くなって、18時半過ぎ納竿。

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カッコウの囀り、上野動物園、イシモチ釣り第2弾・・・

先週の木曜日の明け方のこと。夢うつつの中で聞いた。カッコー、カッコー、カッコー。はっと目が覚めたが、もう鳴き声はなかった。何年ぶりだろうか?埼玉県の見沼ではよく春先にカッコウの鳴き声を聞いたものだが最後に聞いてからもう6年近くになる。

知り合いのシングルマザーは面倒見の良さ、料理の腕の良さを見込んでか月に一度は自分の子供と遊んで欲しいと頼んでくる。父性不在の子供に対する教育的見地もあるのだろう。

先週末は本当は釣りに没頭したかったのだが、2歳半の彼女の娘はとてもかわいいのでその娘に釣られて上京した。その娘はアンパンマンのテーマソングに合わせてハワイアン風の振り付けでダンスを目の前でしてくれるのだがこれがまた見ていてとても楽しい。ポツリ、ポツリと言葉も喋る。膝の上に載せて絵本を読んであげたり、上野公園に出かけて遊園地で遊んだり、動物園で大好きな象やペンギンを見たり、怖い怖いスマトラ産のトラを間近に見たり。深川丼やクラムチャウダーを作って一緒に食べたり。すっかり、パパになってしまった。月一回の代理パパ・・・。

とはいうものの土曜日の早朝は早起きして大洗で半日ほどイシモチ釣りを敢行した。前回の8匹を上回りたいと思っての釣行だったがそうは問屋さんが卸してくれなかった。2週間前のような潮の濁りがなかった。イシモチは濁りを釣れ、とはものの本にも書いてあった通りだった。最初の30分で20cmサイズ1匹と16cmサイズ1匹を釣り上げることは出来たのだが、残りの4時間、ただただ竿は沈黙するのみだった。来週は、夜釣りに切り替えようか? 今日も、職場の往復は徒歩だったが、頭の中は不完全燃焼で終わったイシモチ釣りの復讐戦でイマジネーションがどんどん膨らむばかりだ・・・。

6月13日(土)の釣果はたった2匹のみ・・・トホホ。

Ishimoti

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アオバズクの鳴き声を聞く!

久しく忘れていた北朝鮮がやってくれたね。核実験とミサイル発射。3月だったかにも那珂湊漁港で釣りに興じていたら地元の自治体の車が拡声器でミサイルを発射しました、という告知をしていたっけ。そのとき、私はただひたすら釣りに熱中していたのだけれど。

日本の新聞やテレビは大騒ぎだ。BBCのホームページでもトップ扱い。世界中の注目を集めている。本当に人騒がせな北朝鮮。聞くところによると国家予算のレベルが日本の島根県くらいらしい。それなのにテレビにはグースステップ(ヒトラーのナチスと同じ)の大規模な軍隊が居丈高に行進する様子が何度も流され(とは言っても、お金がないので武器はいまや友好国のロシア・中国は売ってくれないから使い物にならない代物らしい)、今回の核兵器実験で世界をまたまた騒がせ一身に注目を浴びている。専門家によると核がなければもう誰も注目しない国なのだそうだ。

米ソ冷戦が終わり共産主義国家はとっくの昔に自らのイデオロギーを葬り去って出直しているなか、そう、中国ですら共産党独裁とはいっても中身は完全な資本主義である、北朝鮮はとにかくしぶとく頑張っている。何のための核武装なのか? 誰が北朝鮮を攻撃するのか?中東のように石油もないから、アメリカは本気で戦争をしかけようとはしないでしょう(戦争はお金がかかる)。朝鮮半島に戦争の危機などないのである。頼まれたって今の北朝鮮なんか誰も攻めないでしょう。飢餓以外に何もないのだから(レアメタルという鉱物資源はあるらしいけれど)。私まだ頑張ってます、このまま忘れ去られたら困ります、ということで、自らはまともに外貨を獲得する手段を持たないため、麻薬・偽札・武器輸出などに手を染め、自ら分不相応の核兵器を保持する涙ぐましい努力の末、誰も望まない危機を作り出して、他にいろいろ忙しいこともあってもてあまし気味の大国からいろいろ思惑をあるけれど生活費を恵んでもらっている国が北朝鮮ですね。金おじさん、ヤクザだよ、あんたは。

朝鮮戦争で一緒に戦った親分すじのロシアと中国はこれまでいろいろかばってやったのにもういい加減にしろ、とさじを投げそうである。それでも北朝鮮をかばい続けるであろう。翳りの見える世界に君臨する超大国アメリカに対する外交カードでもあるのだ。朝鮮半島は大国の草刈場である。

http://birds-eat-bookworm.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_4786.html

可哀想なのは北朝鮮の普通の人々だ。金王朝政権と取り巻きの軍人達の贅沢な暮らしを維持するために犠牲にされている。私は言いたい、核兵器よりも人民が食べられるようにしなさい、と。パンチパーマの金さん、もういい加減にしなさい。世界は嘲ってますよ。

仕事で疲れ、パンチパーマの金おじさんの一人パフォーマンスにウンザリしながらトボトボ歩いて帰宅した20時過ぎ。トイレで用を足していると、ホホッ、ホホッ、ホホッ。そしてまたホホッ、ホホッ、ホホッ、と鳥の声が聞こえる。 ん??? フクロウじゃなくて、何だっけ・・・そうだ、そうだ、アオバズクだぁ!!!サンダルを履いて外に出る。音源は民家の向こうの雑木林。その向こうは千波湖だ。 

もうそろそろホトトギスがやってくるかな、と期待しているのだがまだホトトギスの囀りは聞いていない。その代わり、今日は思いがけないアオバズク(ミミズクの仲間)の鳴き声を聞いて、何となく心がポカポカ和んで来た。パンチパーマの金オヤジの胸糞わるい顔が漫画チックにとろけて来た。

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コノハズク、黄色いロールスロイス、アンパンマン、ドンコ・・・

一日一日がはやい今日この頃。充実した生き方をしているからなのか、それともただ日々の仕事やらなにやらに追われる生活をしているからなのか、私には分からない。

いつものように千波公園を散策しながら徳川博物館がある徳川家の大きくて広い雑木林の近くを歩いていると、聞いたことのない野鳥の声が聞こえてきた。小鳥の囀りではない。何だろう、何だろう。立ち止まって耳を澄ます。CDで聞いたことがある声なのだ。しばらくして、アオバズクかなぁと思い当たる。そうだそうに違いない。初めて聞くアオバズクの鳴き声。どんなことであれ初物との出会いは心躍るものだ。仕事に疲れて夕刻帰宅してすぐに2階にあがりCDを再生するとアオバズクではなかった。コノハズクだった。

http://www.sinfonia.or.jp/~audiocol/bupposo/2koe.wav

ある日の夕刻帰宅すると宅急便が届いていた。アマゾン・ドット・コムで注文したDVD「黄色いロールスロイス」が届いた。早いねぇ!

http://birds-eat-bookworm.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/b_89f9.html

2年前にブログでも触れたのだけれど1960年代B級映画の傑作である。早速夕食をそそくさと済ませて2階にあがり見た。2時間があっという間の、30年以上まえのセピアカラーの彼方にぼんやりと霞んでいた名画と再会して大感激だった。3つのストーリーのオムニバスだが、個人的にはジャンヌ・モローが出演する第一話とマフィアの親分ジョージ・C・スコットとその愛人シャーリー・マクレーンとイタリア人役で登場するアラン・ドロンが登場する第二話がいいと思う。第三話は、バーグマンとオマー・シャリフの組み合わせはいいのだがいまひとつという感じ。昔若い頃に見たバーグマンは北欧系美女の典型でシビレタのだったが、今見ると骨太で体がデカスギの女、どこがいいのか、と思いたくなる。しかし、ロケ地が、イタリアのトリエステとスロベニアだったとはまったく新しい発見だった。

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このところ、アンパンマンのテーマソングが頭から離れない。シングルマザーの子守をした際によく一緒にアンパンマンのDVDを見たのだった。テンポのいい主題歌だと思っていたけど、最近なくなった三木たかし氏の作曲だったとは。妹さんが黛ジュンだと知ってこれまたびっくりだった。「スッキぃなのにぃ~、あなたぁ~はいな~い~・・・・・・」の「天使の誘惑」の歌詞を口ずさんでしまう。

アンパンマンのメロディーを口ずさみながら今週木曜日は夕刻釣りにでかけた。3時間ほどのストレス発散タイムである。強風で釣りにくかったが、小さなアナゴ3、丸々に太ったハゼ1、15cmサイズの黒メバル1、20cmサイズのドンコ3を釣り上げた。やっぱり、黒メバルは豆鉄砲の弾丸がはじけるようなアタリでよかったなぁ~。ドンコは醜い魚なんだけど煮付けにしたら旨かった。もっと旨い食べ方は肝と味噌仕立ての汁物らしいのだが。

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春の憂鬱とトラツグミの囀り・・・

すっかりご無沙汰してしまった。毎年桜の季節に来ると何故か決まったように憂鬱になる私だが、今年は忙しくて憂鬱を弄ぶ暇もなかった。

新学期が始まってようやく落ち着いてきた。そして、やっと憂鬱に浸り始めたところだ。

昨年開眼した釣りだが、カレイを3月のはじめに釣り上げて以来、忙しい日々の合間に涸沼川に3度出かけるもすべて玉砕だった。ここに来て魚君に振られっぱなしでいいところなし。

ポカポカ陽気に誘われて昨日の金曜日は久しぶりに歩いて職場へ出かけた。気分転換だ。1時間ほどかけて野鳥の囀りを楽しみながらの楽しい散策だ。ツバメはもう来ている。ジョウビタキとルリビタキの姿が消えた。ツグミやシメはまだ残っている。ところどころでアオジの囀りを聞く。あちこちでカワラヒワやシジュウカラが囀る。

徳川博物館の雑木林の手前で口笛を吹くような囀りが聞こえてきた。初めて聞く囀り。何だろう?心臓が高鳴った。新しい野鳥との出会い!?フィーッ。一呼吸置いてまたフィーッ。何度も何度も鳴いてくれる。頭の中が混乱する。ウソであるはずがない。

そうかぁ、トラツグミだ。ポカポカ陽気とは言え、今日はうす曇。午後からは雨というのが天気予報だった。昨年の冬から春にかけてはこの雑木林の向こう側で何度も観察したトラツグミだったが、囀りは聞いたことがない。野鳥囀りCDで聞いた記憶があるだけだ。

憂鬱をしばらく引きずっていた私だが思わぬところで滅多に聞けない野鳥の囀りを聞いて昨日は終日ウキウキした気分だった。

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ピラカンサの実はなくなり、セイゴ釣りの釣果もゼロだった・・・

寒い日々が続く1月。12月には真っ赤に実をつけたピラカンサだったが、先週の一週間で野鳥達がほとんど食い尽くしてしまった。週末の昼間じっくり観察しているとやってくるのは、ヒヨドリ、メジロ、アカハラ、ツグミであった。メジロは群れでやってくる。そこにヒヨドリが、さぁ、どいて、どいて、おまえらぁ、と割り込んで傍若無人にひとしきり食べ漁る。彼らはたいがいツガイでやって来る。お腹一杯になると近くの柿の木に移動、寛いでいる。またメジロたちがやってくる。合間を縫って、孤独を好むツグミやアカハラが実をついばみにやってくる。どちらも一匹狼だ。そんなことを日がな一日繰り返しているようだ。そして、この2~3日ですっかりキレイに実が消えてしまった。

12月のピラカンサ

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そして本日のピラカンサ

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金曜日と昨日土曜日の夜とセイゴ釣りに夕方から出撃した。が、見事轟沈であった。金曜日はからいつもの涸沼川へ直行、昨日は場所を変えて那珂川河口へ出かけた。栃木ナンバーの車が目立つ。海のない栃木県の皆さん、大変ですね。しかし、潮の状況が今一つだった。上げ潮とは言っても潮位が異常に低いのだ。そして潮が流れるようないないような、そんな感じで釣れる気がしなかった。しかし、ボウズではなかった。何と、外道でハゼが釣れた!!!18cmの大型ハゼだ。この時期は夜釣りで釣れるとは聞いていたが。この時期のハゼは昼間は穴にこもり夜になると採餌する習性があるという。13号のまるせいご針に太めのアオイソメを一匹掛けしたせいか、アタリは何度かあったが釣れたのは3匹だけだったが。ハゼ仕掛けで竿を2本、3本並べれば「ツ抜け」(10匹以上)釣れたかも知れない。夏場にはハゼ狙いの外道でセイゴを釣ったが、本日はマジでセイゴ狙いでハゼが釣れた。本命は釣れなかったが、これで少しは救われた気持ちになって22時過ぎ帰宅したのだった。

セイゴ狙いだったのだが、18cmハゼ2匹と16cmハゼ1匹。人生も斯くの如しか・・・

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年末雑感(1)

釣りに耽溺してる間にも世間は大変なことになっている。アメリカの金融バブル崩壊で全世界が不況になってしまった。今年の7月に石油1バレル=150円を超えたのは何だったのか?ロシアが、国産車愛用を訴え、外車に対して保護関税に等しい措置を取り始めた。

中国だが、北京オリンピックは一応大成功のようだが、伝え聞くところでは農民工の叛乱が始まっているという。栄光の漢王朝を崩壊させるきっかけとなったのは黄巾の乱という農民叛乱だった。清朝も太平天国の乱という白蓮教とキリスト教が混合したような新興宗教をもととした農民叛乱で弱体化し、日清戦争の敗北を契機に帝国主義国に蚕食されて20世紀初頭に崩壊した。「農民工」とは都市戸籍を持つ中国の富裕層の「農奴」である。これが、共産党が主催する社会主義国だろうか?言葉とは裏腹に実態は「弱肉強食」のアメリカに近い「一国資本主義国家」である。レーニンの後継者スターリンの「一国社会主義」の中国版だ。毛沢東の後継者鄧小平氏による路線転換だ。はっきり言おう!!!「社会主義市場経済」とはとどのつまり、戦後の日本が実践した経済制度のことである。中国は明らかに戦後(第2次世界大戦)の日本の発展をモデルにしている。つまり、外に対しては、資本主義。国内たいしては社会主義。しかし、この社会主義も日本のように満遍なく実施されたのではなく、都市戸籍の人たちだけだった。毛沢東のいた「貧困のユートピア」時代は皆が貧しく社会主義的であった(除く=共産党員)。

昨年度、1兆円を越す利益を出したトヨタ自動車が何と赤字に転落!いかに我々は外国市場依存で繁栄しているかの証左だ。1000mの超高層ビルプロジェクトを立ち上げたばかりのドバイもついに資金の流れが止まってこの企画は棚上げになったとか。契約社員の大量解雇者が85000人にものぼるという。核家族化したに日本だから1雇用者=3人家族としても24万人近い人が苦い思いで年末を迎えようとしてる。「でも、そんなの俺には関係ね」とはやはり言えない・・・

アメリカの自動車業界が崩壊の瀬戸際に立たされている。ガソリン燃費の悪いアメリカ車は燃費効率のよい日本車やヨーロッパ車に太刀打ちできないのだという。テレビで見たが、石油が1バレル=150円を越えた頃、ガソリン代だけで一週間走ると数万円するから車を放棄したというアメリカ人がいた。過剰に信用創造された投資マネーが非生産的なマネーゲームで石油価格や穀物の先物取引での価格を異常なまでに押し上げてしまった結果だ。

アメリカは自動車産業を捨てようとしている。かつて鉄鋼生産ナンバーワンの地位を日本に譲ったように。その代わり、彼らには航空宇宙産業をはじめとする軍事、ハイテク技術そして今回傷ついたものの、世界の信用をまだたもっている金融産業がある。

日本では一向に増えない正規雇用。当たり前だ。1990年代を境にものづくりの拠点は日本をどんどん離れて中国・インドにシフトしているのだ。その分失われた雇用に対してどれだけ新しい産業が興り雇用が創造されたのだろうか?

自民党・公明党政権は末期である。造反議員がでて話題となっているが、道路特定財源の件を見ても幻滅するだけだ。1990年前後のバブル崩壊から、20年が経過しようとしているが、この国はどこまで変わったのか?

欧米(とは言っても英米)ではとっくにケインズ政策を放棄しているのに、1990年代を通じて国民に多額の借金をしながら公共投資をして来たが一向に成果が上がっていない。道路族よ、くたばりやがれ!

これまで公共投資は現状維持のための延命措置以外の何者でもない。もはや「乗数効果」なぞ期待できない無駄な投資なのだ。細かい原因は専門家におまかせするにしても。買うものが国内にはない?いやいや、日本人が持っているお金と消費したいものがミスマッチしているだけではないか?テレビで見たが、年末の旅行で南極点に出かける方々がいた。旅行費用が数百万円である!話がずれそうだが、日本にザクザクとお金が入って富が蓄積される新しい産業を立ち上げて雇用創出しないといけないのだ。少子化?これは問題ではないのだ。人口が増えれば、中国・インドの貧困レベルまでとは行かないが江戸時代のレベルまで日本はこのままだと落ちてしまう。

中国とインド。両国であわせて30億近い人口だ。両国の一人あたりGDPは世界最貧国レベルだ。日本人が想像もつかない大金持ちがいる一方でほとんどの人はまだまだ普通の文明国並みの生活レベルは高嶺の花なのだ。

日本もこのままでは長期的には凋落の一途をたどるしかない。専門家が言わなくても、欧米・日本の蓄積した富が投資資金として中国・インド(他にブラジル、南アフリカ、ロシアもあるらしい、人はBricsと頭文字を取って呼ぶ)にシフトしてるのは明らかだ。まだ、経済統計がなかった18世紀だが、中国とインドだけで世界のGDPの60%を締めていたらしい。つまり、21世紀は近代西洋の勃興・繁栄が終局を迎える世紀になる可能背が大きい。

続く

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私の空耳体験 「センターはいつ閉館しますか?」

もう師走だ。私が勤めるセンターでもどういうわけかクリスマスツリーなるものが先週から準備されてチカチカと光っている。アメリカ人の学生がキャキャと騒ぎながらキレイに組み立てて飾ってくれたものだ。

今週のある夕方、時は遅番シフトで19時半すぎのことだった。最近疲れているのだろうか?今まで張り詰めて釣りにのめり込んでいた反動だろうか? 集中力が薄れそろそろ帰り支度だなと思いながらも必死にパソコン画面を見つめながら仕事をしていた。

すると、アメリカ人学生がやってきて、しきりに何かを言っている。頭が疲れていて英語らしいのだがはっきり聞き取れない。サンタクロースがどうのこうのと言っているようだ。クリスマスツリーの明かりがキラキラまぶしくてキレイだなとふと思いながら、

Santa Claus what ?

とぼーっとしたまま思わず私が聞き返すと、相手はケタケタ笑いながら、

I said “when is the center closed” (センターはいつ閉館しますか)

とおっしゃる。

ン、ン、ン ??? 

center closed  center closed センタークローズド、センタークローズド、サンタクロース・・・

口で呟きながら、私の頭にもやっと明かりが灯った。そして、私も噴出した。昔やっていたタモリ倶楽部(今もやってる?)の空耳だったのだ。そしてこの誘われた笑いで疲れは吹き飛んだのだった。

愉快な気持ちになって11月上旬のあたたかい陽気の夜道を歩きながら、連想が飛躍してタモリの確か「ボキャブラ天国」のある言葉を鮮やかに思い出して帰り道にまた大笑いしてしまった。

薬師丸裕子主演の映画で「セーラー服と機関銃」というのがあった。この「セーラー服と機関銃」が、聞き方によってはどう化けて聞こえるか?

セーラー服のときかんじるぅ~

なのだ。あほらしいと言うナカレ。笑うかどに福来る、と言うではないか・・・・・・。

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途中休憩(その2) ウィーナーワルツ~釣り道具いじり~江戸川の釣りの達人・・・

今ちょうどウィーナーワルツを聴きながら釣り道具いじりをしている。カルロス・クライバー指揮、1989年のニューイヤーコンサート版だ。1989年というともう19年前のこと。遠い昔のこととなってしまった。日本はバブル真っ盛り。ベルリンの壁がまたたくまに崩れ冷戦が終局に向かっていた。

昨日はハゼ釣り25弾に出陣した。「出陣」とは大げさな、と思われる人もいるだろう。たかがハゼで・・・。今年は大人になって「釣り事始め元年」である。念願の田舎の暮らしに戻って4年目。太平洋沿岸まで車で30分。川あり汽水湖ありであらゆる魚釣りが可能な場所に住んでいるのだ。改めて何と恵まれていることかと思う。釣りにのめり込んで定年退職後はこちらに家を買って移り住む人もいるのだ。釣果は?4日前にあれほど釣れたのだが、昨日は17匹。この時期で貧果とは言えないが、フラストレーションが溜まる釣りだった。まだまだ、血気が少しは残っているからだろうか?釣れないなりにのんびりと自然と戯れながら(イソヒヨドリの♀に出会った)釣りを楽しむにはまだ修行が足りないのか?

釣り場で釣り糸を垂れているといろいろな人に出会う。皆釣り好きを通り越して、釣りが病膏肓に入った「釣りキチガイ」だ。昨日も釣り場に偵察に来た「真っ黒に日焼けして前歯が欠けた」オジサンは、すこし下流の護岸で釣りをしている同類を指して、「あの人は釣りキチガイで1年365日ここに来て釣りやってるよ」。これを、ことわざでは「目糞、鼻糞を笑う」と言うのではなかった。そちらの旦那も毎日来てそれで知ってるんだから!

釣りに没頭していると時間の経過が早い。早朝釣り始めて、しばらくして時計を見るともう10時。おにぎりを食べて、上げ潮に乗ってバタバタと釣れた魚を取り込み、手返しで餌をつけて投入を繰り返して、食いが落ちてきたな、と思ってふと時計を見ると13時近い。

それでも満潮まで時間はぽつぽつ釣れて気が付くと15時過ぎだ。日が短くなった。太陽はもう西の方に大分傾いている。竿を一本ずつ片づけながらもしぶとく最後の一本まで気をぬかずにハゼを釣りながら家路に着く。

今日で11月も終わる。いよいよ師走だ。ハゼ釣りも終局に近づいた。1年魚の魚であるハゼの大方は1月に入ってから時期的な幅はあるが産卵に入るそうだ。しかし、いま釣れている10cmのハゼはいつ生まれたのか?という疑問がある。いろいろ調べると越冬するハゼの生まれは今年の6月以降のはずだ。

江戸川のハゼ釣り名人の本を2冊買った。この方はスゴイ。釣りで「束釣り」というと100匹を超えることを言うらしいが、この人は「デキハゼ」(その年生まれの10cm以下のハゼ)を日に10束=1000匹も釣り上げる達人である。秋深まるころの大型ハゼは船からのリール釣り(7~8本)で多いときは300匹とか400匹を釣り上げるという。詳しくはこの方のホームページサイトをご覧あれ!

http://www.s-kazuaki.com/2008-edogawa-haze.htm

ハゼ釣りは数を狙う釣りだとは思う。が、しかし私は釣り上げた魚は必ず供養する意味で捨てたりせずに食べる。なので、まあ20匹つれればいいナと思う。先日の64匹の大漁の時は近所にお裾分けした。その家の方に道で会ったら、「昔はお父様に随分ハゼをご馳走になったけど、今度は息子さんにお裾分けに与るとは・・・」とお礼を言われた。ハゼは白身であっさりした美味に属する。セイゴ、二ゴイはまあまあ。マルタは酷かった。マルタは持ち帰らず逃がすようにしている。この江戸川の達人もかならず食べているとのこと。

この江戸川の釣り師の本で知ったのだが、越冬ハゼは翌年の4月~5月に釣れるのだそうだ。今年の江戸川は青潮の被害で大量のハゼが死んだそうだ。その代わり少数のハゼが大量の餌にありつき私が求めていながらいまだめぐり合ってない20cm以上のサイズのハゼが今年はかなり釣れたという。

ということで、ハゼ談義は終わらないが、まだまだハゼ釣りは終わっていないし、これからはカレイ・アイナメ・スズキ(セイゴ、フッコ)釣りも楽しみだ。

愛嬌のある手のひらの上のハゼ

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釣り道具いじりにウィーナーワルツが一番! そして、江戸川のハゼ釣り師の本に学ぶ!

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Intermission (一休み)

冷え込みが厳しくなってきた日本列島。仕事に没頭して帰宅した昨夜、従兄が届けてくれたアユが待っていた。数えるのが面倒くさいくらい発泡スチロールの中はアユで溢れていた。投網ではなく「転がし釣り」らしい。私はハゼ。従兄はアユ。子供時代は実家の久慈川で一緒に魚釣りをした仲である。そして、今は同じ那珂川で相手は違っても同じ釣りに興じているのが面白い。早速塩焼きにして家の人特製のゆず味噌をつけて食べてみた。こちらもうまかったゼ。ハゼもアユもどちらも一年魚らしい。写真は、食べきれないので一部はすでに真空パックでかなりのアユを梱包した後の残りのアユ。

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ハゼ釣り最中に世の中は激変・・・しかし・・・

ハゼ釣りに熱を上げている間、世間ではいろいろなことがあった。

昨年来のサブプライムローン問題からジワジワと影響が拡大しリーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに1929年のウォール街の株暴落以来となる金融不況である。欧米では大騒ぎだ。比較的影響の少ない日本の金融機関だというが、輸出産業はアメリカ市場頼みで大幅減益となり雇用問題にも暗い影を投げかけてる。

リーマン・ブラザーズは名門企業で日露戦争の時は、日本の戦争国債を買ってくれた企業でもあるそうだ。それがあっけなく潰れてしまった。山一證券を思い出してしまう。

ところで円高をどう評価するのか?消費する日本国民にとってはいいことではないか?海外旅行だって安くできる。強い円は決して悪くないのだと思うがいかがだろうか?円高は国民にとってメリットがあるが、かと言ってあまり強すぎると日本の国富のもととなる輸出に影響してしまう。高品質の輸出品は我ら日本人の貴重な外貨獲得手段であり無資源国家日本の宿命である。

今回の金融危機はアメリカの身の丈を知らないメチャメチァな消費に対する警鐘だと思う。1990年代初頭に日本は土地バブルが崩壊した。そして20年後の欧米がそれに追随するがごとく同じような不動産バブルによる崩壊に見舞われている。

どちらの場合も、「信用の創造」の行き過ぎである。金融機関は預かっている預金の何倍にも相当する信用貸しをしている。ディリバティブだか何だかしらないが、複雑な数式を駆使したアメリカ流の金融工学なるものが編み出した金融商品によって「どのくらい信用が創造されたのか」本当のところは誰も把握できていないのではないか?

実体経済とかけ離れた金融機関による信用の創造が招いた自己破産である。創造された信用が新たな価値を生み出す生産的な投資に使用されず無謀なマネーゲームを引き起こしたのだった。結局のところ「リスクヘッジ」にしても何かを前提にしてリスクをヘッジ(抑える)ているのだから、前提が崩れたら(日本の場合は土地が上がり続ける、アメリカの場合は、不動産価値が上がり続ける)すべてが逆流することは素人でもわかることではないか?リスクをヘッジすることは出来ても回避は出来ないということだ。誰かがババを引くことになる。結局は、税金投入ということになるのだ。誰が笑っているのだろうか?

アメリカの大統領はYes we canのオバマ氏が選ばれた。歴史的な快挙と評する向きもあるが果たして現在のアメリカの救世主になれるだろうか?蓋を開けて見たら・・・悪い予感がする。

アメリカの没落を云々する人が増えつつある。事実だろう。冷戦の勝者もこの20年で随分と評判を落とした。アメリカン・ドリームとは膨大な消費(石油というエネルギー資源をベースとした)を前提にしたバブル経済のことではないか?膨大な石油資源をもつアラブ諸国の心臓部に存在するイスラエルに圧倒的な肩入れをするアメリカの姿勢に正体が現れている。

日本の繁栄もそのアメリカの資源をがぶ飲みする大量消費のおこぼれに与っているに過ぎないのだろう。資源のない日本がそこそこの繁栄をするにはただただ勤勉にコツコツと知恵をだしながら働くこと、これしかないのだろうから。

私には関係ねぇーとは言い切れない2008年の今である。今日は半休を取っているので久しぶりにバードウォチングに出かけた。冬鳥がぞくぞくとやって来ているとのことだが、まだまだだ数は少ない。それでも、今日は笠原水道公園でツグミの群れが空を駆け抜けていくところを目撃した。ケスケスッとあのツグミの声を上げながら飛び去っていく姿を。

本当は半日釣り糸を垂れたかったが、風邪気味なので思いとどまった。気温も毎日下がり続けている。12月上旬の寒~い陽気だし・・・。昨日のハゼの天ぷらは絶品だった。鰯の天ぷらなぞ口に出来ないナ、と生意気をいうくらい白身でサクサクにあがったハゼは美味だった。食べようと思ったら自分で釣ってくるしかないハゼ。年を越して1月末まであと10番勝負を挑む積もりだ。

(ハゼの天ぷらは本当においしい!)

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冬鳥たちがやってきた!

月曜日のハゼは背開きにして天ぷらにして食べた。さくさくとした食感と白身のあっさりとした身。美味この上ない魚であることを再認識した。

この2~3日は早朝の気温が下がってきた。ベッドから出るときにああ、寒いと思うのだ。

釣りに呆ける日々の私。しかし、そろそろ野鳥のシーズンだなという意識は濃厚にある。今週の月曜日に涸沼で釣りをしていたとき、アオジの地鳴きやベニマシコの囀りを背中越しに聞いた。火曜日は、職場の駐車場のそばの電信柱の天辺でヒッ、ヒッ、ヒッと冬の囀りをするジョウビタキのオスに出会った。オレンジ色の胸と黒い頭。とても綺麗だ。

そろそろだな、と毎年我が家の近くにやってくるジョウビタキのメスを心待ちにしていたのだが、ついに今朝やってきた。朝食を取りコタツ!に入ってカフェオレを飲んでいるとあのジョウビタキの囀り(本当は地鳴き)が聞こえてくる。家の人にも教えて皆でNさんの家の屋根のアンテナに視線を送った。

あのジョウビタキだ!メス。「スズメみたいだね」と家の人。あわてて双眼鏡を取りに2階にあがり戻ってきたのだが、飛んで行ってしまったあとだった。

ところで、明日はまた涸沼に出陣する!

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秋の夜長は、釣り道具いじりと山頭火・・・

9月にはいって俄然忙しくなってきた。来週はまた留学生が大挙してやってくるのでその準備で大忙し。テンションが上がり始めた。

昨夜は30センチのセイゴを塩焼きにして食べた。食べ応えがあった。本当はイタリア風にニンニクとタイムとローズマリーのハーブで香り付けしてからローストしたかったのだけれど、仕事で疲れて帰宅したら家の人が勝手に?塩焼きを作ってしまっていた。

このところずっとビールを飲んでいたが、冷えた白ワインを飲みながら一緒に美味しく食べた。ハゼも塩焼きが添えられていて、レモン汁を絞ってたべたのだけどこんなに美味いとは!ちょっとしたシーフード・プラッターというところだった。

セイゴ(スズキの子供)を食べながら、ロンドンのハノーバーストリートにある「ランブルスコ」というイタリアレストランを思い出した。職場の人たちと残業してやれやれ、腹ごしらえ、ということでよくピザとパスタを食べたものだが、隣り合わせで瀟洒なレストランも経営していた。ある日のこと、こちらの瀟洒なレストランに入って、重い食事を取ったのだが、片言の日本語を話すイタリア人ウェイターが、「スズキ」「スズキ」とうるさい。面倒くさくて、「それをください」と言って出てきたのがその「スズキのロースト」だったと思う。勧められた白ワインはガヴィ・デ・ガヴィというこれまたイタリアの高級白ワイン。美味かったけれど、高かった。イタリア人に騙されたと半分むくれたが、スズキのローストも白ワインも本当にうまかった。

食後は2階でひとしきり釣り情報のチェック。今日は絶好の釣り日和だったな。週末は? それから、ひとしきり「釣り道具いじり」に没頭してしまった。まるで子供時代に戻ってしまったようだ。

22時過ぎ、眠くなりベッドに入る。このところ、山頭火の俳句集しか読めなくなった。カネティもリーフェンシュタールもユンガーも放りっぱなしだ。山頭火の句は、俳句のルールを無視したものが多い。季語もなければ、五七五のリズムもないのだ。それでも、これまでどこかで目にしたり耳にしたりする句でいいのが出てくるので感じ入る。ハチャメチャな人生を送った人で最後は乞食僧で全国行脚。自然を詠った句が多い。

あざみ あざやかな あさの あさつゆ (母音の「あ」の連射がいい)

かさり こそり 音させて 鳴かぬ虫が来た (普通の生活をしていたら一寸サイズ?の音も出さない虫に誰が気付くだろうか)

ふくろうはふくろうで わたしはわたしで ねむれない (昔は眠れないことがよくあったけれど、最近は5分もしないで眠れる私だが、いい句だと思う)

残念ながら魚を詠った句にはまだ出会っていない。インターネットでサーフィンした時にチラッと見かけた俳句を反芻する。

鯊の貌 大口開けて 柳腰 

地元の俳句会で詠まれたものが掲載されていたのだったが、私の目に飛び込んできた一番の出来の俳句だった。実際に釣り上げられた無念そうなハゼをしげしげと見つめないとこの句は分からないかも知れないが、私にはピーンと来る句だ。

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さっぱり仕事に身がはいりません~

8月がまもなく終わってしまう。今夏は、30数年ぶりに少年時代に興じた地元の汽水河川で釣りに興じたのだった。釣果もまずまず。そして、唐揚げ、天ぷら、清蒸、などでおいしく食卓で供養した。

8月10日: ハゼ21,セイゴ11

8月12日: ハゼ27,セイゴ9

8月23日: ハゼ26,セイゴ1

8月24日: ハゼ23,セイゴ5,沼カレイ1

ハゼは10センチ前後サイズに時折12~13センチのものが混じった。第4回目には尺ハゼにはほど遠いものの、15センチを超える丸々と太った不敵な面構えのハゼも釣り上げた!セイゴは15センチ~20センチサイズ、沼カレイは、手のひらサイズだった。

汽水域の釣りなので、ボラ、チンチン(黒鯛の子供)、コチなども期待したのだったが、こちらはさっぱりだった。腕はビギナークラス。ビギナーズ・ラックはなかった。ツキを使い果たした我が人生か・・・。

今日も職場で、ため息をつきながら、仕事に身が入らずぼーっとしてしまった。釣り場の情景を反芻しながら・・・

釣りの風景 その1

釣りに興じているさなか、地元の漁師さん風の真っ黒に日に焼けたおじさんがやってきて私の魚籠を覗き、「結構釣ってるねぇ、あんちゃん」と冷やかされた。「いやぁ、サイズがまだですね」と応じると、「あんちゃん、大きいサイズのハゼを釣るのは簡単だよ、そこらあたりのブロック付近でいくらでも釣れるよ、それも夜釣りだっぺ」と教えてくれる。護岸を懐中電灯で照らしてエビを捉まえ、それを餌にして、竹竿ならぬ篠竿に糸と針をくっつけて懐中電灯の明かりに集まってくるハゼはみんなでっかくて、餌をそっと目の垂らすと、この時期貪欲な食欲をもつハゼは、パクリ食いつくのだそうだ。「涸沼名産のウナギもかかっぺよ」 ホントかな・・・。このおじさん、私の右手で釣りに興じる3人のオバタリアン釣り師達にも興味を持って、「釣れてんのかな」と近づいていった。私も魚籠を覗きに行った。オバタリアン達は結構盛り上がって釣っていたのだが、バケツを覗くと何と25センチ位のコチが釣れていた。アア、ウラヤマシイ・・・

風景 その2

1人孤独に無心で釣りをしているものの、後からやって来た人が隣で第一投で見事はハゼを釣り上げるのを見ると、複雑な心境になる。いとも簡単に釣ってしまうなんて、許せねぇ~。俄然、対抗心を燃やして、2本のリール竿をフルに使って、追い上げを計る私。数では負けないぞぉ~。向こうも、私が立て続けに、時には2本針仕掛けにダブルで釣り上げると、チラリとこちらを横目で見る視線を感じる。結構、お互いに意識するのだ。私は呟く:勝ったぁ。

風景 その3

4回目の釣りは涸沼川の一番上流付近でトライした。潮の干満で川の流れが上流方向と下流方向に変わる涸沼川である。5号、8号、10号の錘(おもり)ではいずれも、簡単に流されてしまう。 根掛かりも多い。5号の中通しおもりで一本針仕掛けがベストという結論で仕掛けを準備して攻めたものの、この日は、食いが悪くなかなか針がかりしないのだった。 3回の食いつきに対し2回は空振り、が続いた。 そして、釣れるハゼも、10センチ前後のものばかりだった。 そんな中で、夕方近くのこと、15センチを越えるグッドサイズの大型ハゼを仕留めた。引きが違った。ブルブルブルと力強い手応え。釣り上げて、満足しながら、このハゼの針を外そうとしたら、驚くなかれ、1時間ほど前にハリス切れした8号バリ(ハリスは1号)を飲み込んでいるではないか! このハゼが餌を加えて障害物に逃げ込んでしまい、根掛かりして仕掛けが切れたのだった。 しかし、この同じハゼがまた私の針に食いつくとは!!! この時期の貪欲なハゼの食欲はすごい!!!

風景 その4

魚釣りに興じていても、野鳥はやっぱり気になる。右手下流の鉄の橋の欄干にアオサギがとまっている。対岸では、白いサギ(ダイサギだかチュウサギだかコサギ)が数羽餌を漁っている。餌の取り合いで喧嘩しながら、時折ぐぅわーっト素っ頓狂な声を上げる。ツバメが川面すれすれに飛んだり、ビュルッ、ビュルッとヒバリが川の上空を横切る。 夕刻の薄暗い黄昏時はコウモリの姿もあった。背中の土手の反対側は、稲穂が垂れ始めた水田だ。日中はセッカがひっきりなしに鳴いてた。ヒッ、ヒッ、ヒッ、ヒッ、ヒッ、チャチャッ、チャチャッ、チャチャッ・・・。何と長閑な情景だろうか?俳句を詠みたくなるような気分だが、鯊とセッカという季語が二つ浮かぶばかりでこの長閑な情景の一瞬をどうしても俳句に出来ない。

ああ、釣りは楽しい。忘れていた快楽が全身を包んでいる。本がさっぱり読めなくなった。20センチサイズの木っ端セイゴだったが、釣り上げた瞬間の、あの強烈な手応えと右に左に水中を自在に走りながらファイトするパワーの余韻が私の体に残っている。心が騒ぐのだ。落ち着かない。何とかしてくれぇ~。 本格的に狙えば、30センチ~40センチサイズも問題なく釣れるのだ。 この分だと、毎週末、潮の干満を見ながら出撃になる予感がする・・・。

駄句を承知で、一句捻って見た ~ 「きかん気の セイゴ走るや 右左(みぎひだり)」 誰か、ご指導をお願いします・・・。

釣り場はこんなところです。

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2度目の釣りも好調、ツクツクボウシが鳴き、猛禽のツミと出会う・・・

Kif_1765 今夏2度目の釣りも好調だった。ハゼ27とセイゴ9の合計36。ガツガツと数を競ってはいけないのだが昔の「爆釣」を思い出しながらあくせくと釣りに没頭したのだった。

お盆の時期の殺生は本当はいけないと思いつつ、供養した。ハゼは天ぷら、セイゴは中華風に清蒸を作ってすべて平らげた。天ぷらはハゼがまだ小さいのでお頭付だ。

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高校野球も終わってしまい、オリンピックは後半戦。卓球男子は惜しかった。準決勝でドイツに負けて気が抜けてしまったのか、銅メダルを逃してしまった。残念無念。卓球女子も韓国は鬼門なのだろうか、何度挑戦しても勝てないようだ。男子サッカーはひどかった。監督は針の筵だろう。国際舞台では、技だけでは勝てない。何よりもパワーとスピードという基本的な能力が日本には欠けているのではないだろうか?(ちょっと言いすぎか・・・)

昨日からまた職場に復帰した。しかし、まだエンジンがかからない。

バードウォッチングとはしばらくご無沙汰していたが、キャンパスの雑木林では尻尾の短い巣立ったばかりのヒヨドリや、オナガの群れが目立つ。いつの間にかツクツクボウシが沢山鳴いている。秋の気配が・・・。

駐車場そばの雑木林を歩くと聞きなれない鋭い声を聞いて、思わず足をとめた。雑木林の天辺の方に何かがいる。目を凝らして探す。キキキキキキキィ・・・と鋭い鳴き声。ハトくらいの大きさの猛禽、ツミだった。昨年もこの付近で出会っている。1年ぶりの再会だった。

インターネットでサーフィンしたら、ツミを執拗に観察している夫婦のサイトがあった。

http://likebirds.exblog.jp/7349987/

夕刻、仕事を早めに終わらせて帰ろうとすると、夕立が始まり足止めを食った。30分ほど事務所で待機。インターネットで釣りのサイトをサーフィンする。今週末は、泥臭い釣りだが、うなぎ釣りに挑戦しようと思う。夜釣りだ。夕方15時くらいからハゼを2時間くらいやり、それから、ウナギの仕掛けに切り替えて20時くらいまでやってみよう。 夜釣りだと、30センチ~40センチのセイゴ、場合によってはフッコも狙えるという。合計3本のリール竿でやってみよう。餌は、ドバミミズに限るらしいが、海老もいいのだそうだ。贅沢だぜ、まったく。場所の想定、仕掛け、などいろいろと思いが駆け巡る。7月の土用の丑の日は、地元の料亭で国産のウナギを食べる機会があったが、うまかった。まだまだ残暑がつづく日々。是非とも天然のウナギを釣り上げて夏ばて気味の家族にご馳走したいものだ。

雨があがったのは18時過ぎ。事務所を出て家路につく。外ではまだヒグラシが鳴いていた。

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ブログを立ち上げて丸2年になりました。

今日は成田空港に出かけて留学生を送り出して来た。

2年前にブログを始めたのが丁度この時期で、そのときも成田空港に同じ目的で出かけた。そして、自分の過去の体験を重ね合わせて感慨に耽ったのだった。

http://birds-eat-bookworm.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_821f.html

先日のK大学の記念講演でアメリカ人の先生が、「日本人は英語が出来ないのではなく、コミュニケーション能力がないために英語が出来ないのです」という一言には目から鱗が落ちたのだった。

30数年前(本当に!?)の私の海外体験(ドイツ)は留学ではなくて、今風に言えばインターンシップだった。最近は、このインターンシップが若者の間ではすごい人気があるらしい。

セミナーの講師の方によれば、海外でインターンシップに参加する動機として、「自分を変えたい」「自分に自信をつけたい」というのが大きな動機になっているらしい。中には「リベンジ派」というのもいるらしい。リベンジというのは、たとえば、中国とか韓国の人から、あんたの国は過去にひどいことをした、と一方的に咎められて何も言い返せなくて、「くやしくて、くやしくて、勉強しなおして出かけた」ということらしく、圧倒的に女性だという。

海外の異文化環境のなかでカルチャーショックを受けながらも何とか乗り越えて帰って来てどうだったというと「外国人も日本人と同じ人間なんだ」「日本人としての自分を強烈に意識した」「自信がついた」などなど反応は上々だそうだ。

私にはなかなかわからないコメントなのだが、よくよく考えると今の日本は、将来が透けて見えて、夢がない、そのかわり、競争は子供の頃から熾烈で、日本独特の気遣い社会で、「海外流の私は私、あなたはあなた、自分のペースで生きたいように生きる」のがなかなか難しい、そんな、息苦しさがあるのだろうと思う。

私にとっての海外体験は、当時は意識しなかったけれど、やはり、今振り返れば大変大きな体験だったと思う。大学3年の夏の3ヶ月以降が今に連なる意識の出発点で、それ以前は少年時代の遠いはるかな昔のことだ。最初は、相手の言うことが分からない、自分の言いたいことがなかなかうまく言えない、というもどかしさはあったけれど、いつの間にかヨーロッパ各国の同世代と仲良しになり、とても楽しかった思い出だけが残っている。あの経験は、私にとっては大きな宝なのだと、改めて思うのだ。

閑話休題。

昨日は父の実家に5月に亡くなった叔母の初盆に出かけた。車は出来るだけ運転したくないのだが、猛暑の盛り、高いガソリン代に目をつぶってエアコンをガンガンとかけながら田舎道を疾駆したのだが、一面に広がる水田の風景に息を呑んだ。見渡す限りの緑、緑、緑。よく見ると、稲穂が頭を垂れ始めている。あと一ヶ月で刈り入れだという。

父の実家の家の周りを散策した。蝉が盛んに鳴いているが昔はもっとすごかったような気がする。14時過ぎなのに、ヒグラシも鳴いている。そして、アキアカネ(トンボ)が飛んでいた。

肩に来てひとなつかしき赤とんぼ (漱石) 

お盆の時期に父の実家に出かけて赤とんぼに出会うと決まってこの句を思い出す。今回は私の肩にはとまってくれなかった。そのかわり、素手で捕まえた。お手の物である。

さてとぉ、夏休みはあっという間に終わってしまいそうだネ。明日は、また釣り糸を垂れようと思う。

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蝉の幼虫、胡瓜、イラン、モンゴル帝国 (1)

昨夜のこと。一仕事終えてトボトボと歩いて家に帰る途中、某大橋を渡っていた。物思いに耽りながら。うな垂れて歩道を見ながら歩いてると小さな虫に気がついた。以前、コクワガタを見つけたように、ン、ン、ン?という感じで足をとめた。屈んでその虫を見ると何と蝉の幼虫だった。大きさから言うと、どうもヒグラシらしかった。歩道をのこのこ歩いてどこに行くの、と語りかけ、公園内の大木の幹に置いた。

今日も同じように20時過ぎ、トボトボとうな垂れて、物思いに耽りながら歩いていた。昨日、幼虫をみつけた地点に来て大木を確かめた。もちろん影も形もなかった。抜け殻さえ。「一寸の虫にも五分の魂」、という諺を思い出しながら、うまい具合に羽化してくれたかな、と思う。

帰宅して、冷たいビールを飲む。フーッとため息をつきながら、やれやれである。枝豆、冷奴、冷やしトマト、サラミとチーズ、茄子の味噌炒め、豚のしゃぶしゃぶをサッパリした玉葱をすりこんだ自家製のタレで味わいながら、夕食を一人で取る。

胡瓜を味噌につけながら、がぶりとかじる。途端にまた昔のあるシーンが甦った。プルーストが、貝殻をかたどって焼き上げたクッキーを紅茶に浸して食べた瞬間に身を震わせたようなそんな鮮やかな思い出とまではいかないが、ジワジワと味わいを持って脳裏に点滅し始めたのだった。

イラン・イラク戦争があった時代だから、1980年代半ば過ぎだ。当時、イラン人はビザなしで日本に入国できた。IJPCとかそういう国家プロジェクトではない。訪日イラン人との些細なビジネスだった。一仕事終わると精算のため、彼が泊まるホテルの一室でかき集めた現金のドル札を数えた。そして、精算が終わると、くつろいで冷蔵庫から冷えたビールを取り出して、乾杯! つまみは、イラン特産のピスタチオだったが、相手はスーツケースからやおら胡瓜を取り出して、私にも一本渡しながら、ガブリ。豪快なビールの肴であった。

胡瓜と漢字で書くが、「胡」という漢字が示すとおり、もともとは中国原産ではなく西の方、中央アジア経由でやってきた野菜なのだ。

胡瓜というと、子供のこと夏休みとなると母の実家に泊りがけで遊びに行ったことを思い出す。ある朝、亡くなってもう5年になる叔父に連れられて畑に胡瓜を取りに出かけた。それまで、胡瓜に棘があるとは知らなかった。取れたての胡瓜は手のひらで握るとチクチクするくらい棘があって痛いのだった。

ピスタチオも私はイラン人から本当のおいしさを教えられた。イラン人のピスタチオが大好きなこと。ポケットやハンドバックにピスタチオを忍ばせて、おやつ代わりに彼らはピスタチオを頬張るのだ。その微笑ましいことと言ったら。そして、ビールのつまみにもよく合う。

続く

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ヒグラシが鳴く!

今朝は4時半前に目が覚めてしまった。そして、ヒグラシの鳴き声を聞いた。今年初めてのヒグラシだ。子供の頃はすぐ裏手の縁まで雑木林があって大層にぎやかだったが、遠くから聞こえる今朝のナカナカナは大合唱には程遠かった。しかし、今年もヒグラシが聞けたかと思うと安堵する。

洞爺湖の環境サミットはいつの間にか終わってしまったが、石油と食料の値上がり、漁業関係者の休業宣言など、20世紀を支えた石油大量消費文明が崩れ始めている兆候が顕著になりつつある。

北京オリンピックまで秒読みに入ったが、新聞報道では旅行会社のオリンピック関連の商品の販売が大不振だという。NHKでアナウンサーが笑顔で必死に北京オリンピックを盛り上げようとしているのが分かるが、空回りしてるように思えるのは私だけだろうか?

湯浅赳男氏の「文明の人口史」の帯の文字にあった文句は「人の命は地球より重いと言われますが、100億人が乗っかると、地球はどうなるでしょうか」だった。

環境問題とは結局人口問題ではないのか?アラン・マクファーレンの「イギリスと日本」(マルサスの罠から近代への跳躍)を寝床に置いて読もうとしたまま、積読状態なのだが、現在の問題はユーラシア大陸の巨人「中国とインド」で25億を越える人口問題なのだ。と、言い切るつもりはない。根底にはアメリカの自分勝手な振る舞いもあるだろう。アメリカ文明とはまさに石油消費文明であり、20世紀の超大国アメリカは石油資源を押さえ、大量に消費することによって繁栄を謳歌して来たのだ。ノーベル平和賞のアル・ゴアさんも自宅じゃ、冷暖房でガンガン石油を消費しているらしい。

2次世界大戦も究極は石油をめぐる争いだった。日本は石油を取りに南方へ進出した。ヒトラーのドイツは、モスクワに直行せずにコーカサスへ寄り道せざるを得ず最終的に独ソ戦に破れた。

うとうとしながら、うだうだと物思いにふける。ヒヨドリが煩い。蝉が大量に発生する時期に合わせて繁殖をしていると思う。絶対に間違いない。遠くからウグイスの囀りと何と久しぶりでホトトギスの囀り「特許句許可局」が聞こえて来た。少し心が休まる。

眠れないので、枕元の本に手を伸ばす。エリアス・カネティの自伝だ。Die Fackel im Ohr。スイスからドイツのフランクフルトに引っ越した1921年から1931年までの時代の記憶だ。

カネティは、いわゆるスファラディ系のユダヤ人だ。イスラエルが滅びて四散したユダヤ人がジブラルタル海峡を渡り、スペインがイスラム化した時代にスペインに住み着いたユダヤ人の末裔。15世紀末にキリスト教徒がスペインからイスラム勢力を追い出すと、ユダヤ人も迫害され、オランダに逃げたユダヤ人(スピノザなど)や、一方でオスマン帝国の支配するバルカン半島に逃げたユダヤ人がいたそうで、カネティは後者、ブルガリア出身である。

ブダペスト出身のユダヤ人アーサー・ケストラーはアシュケナージ系ユダヤ人だ。ケストラーの著作に「ユダヤ人とは誰か」という本がある。このアシュケナージ系は、実はモンゴル帝国がユーラシアを統一する前の時代、勃興するイスラムと東ローマのキリスト教徒に圧迫された中央アジアの遊牧民(カザール人)が、何と「ユダヤ教徒」に改修した部族の末裔で、旧約聖書に登場する本来のユダヤの民ではない、というユダヤのタブーに触れた本らしい。

物思いに耽りながら8時半過ぎ起床、いつものように朝食を取り、いつものように職場に出かけ、いつものようにあたふたと仕事に没頭する。 夕刻、職場の敷地内の雑木林からもヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。カナカナカナ・・・・・

21時前、汗をかきながら徒歩で帰宅。冷たいビールを飲みながら、焼き餃子を8個食べる。やれやれ、今日も1日が終わった。 アマゾン・ドット・コムに注文していた、ポール・ジョンソンの原書が届いていた。例の「インテレクチャルズ」だ。日本語訳があまりに面白いので訳出されていなかったブレヒトやジョージ・オーウェルやビクター・ゴランツ、リリアン・ヘルマンの章を読みたくて、心待ちにしていたのだった。また一冊、ベッドの枕元に積み上げる本が増えた・・・。

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ニイニイゼミが鳴く!

久しぶりにゆっくりした土曜日だった。

朝食後、2ヶ月ぶりに床屋へ。先週から本格的な夏の到来となって今日も真夏日だ。

ツバメたちの2度目の子育てが佳境にはいっている。「2番子」というらしいが、あちこちで尻尾の短いツバメの姿を目にする。無事育ってくれればと思うのだが、付近にはカラスの姿が・・・クワァ~と情けない声を出す、こちらも巣立った子ガラスが母に餌をねだっている。巣立ち間際のツバメは格好の餌らしく、昨年はKストアーの巣は2度ともカラスにやられたのだった。今年は、最初の巣立ちは無事だったようだが、2度目はどうもやられてしまったようだ。

床屋の2代目(先代は2年前に92歳で他界)にお願いする。私の父(現在81歳)も子供のころお世話になったという長い付き合いである。静かに時間は流れる。目を瞑り、瞑想に耽る。

またぞろ海外のシーンがあっち飛び、こっち飛びする。海外はいろいろ出かけたけれど、いつも仕事がメイン。観光はまともにしなかったなぁ、と感慨にふけりながら、朝食はドイツが一番だ、という持論に思いを馳せる。サマーセット・モームがイギリスの食事は不味いと言う定評があるが、朝食は世界一だ、とどこかで言っていたような気がするけれど、私としてはドイツの朝食が一番だ。ライ麦の入った黒パンや、フランスパンより小さいけれどパリパリのブレーチェン、チーズ、いろんな種類のハムやレバーペースト、それに、ニシンの酢漬けや、果物、シリアル、100%果汁のジュース。 フランクフルトの空港のそばのSホテルはシャンパン付だったなぁ・・・ 食事そのものは、フランスやベルギー、そしてイタリアだけれど、朝食はドイツだ! 

床屋でさっぱりした後は、近くのスーパーで食材を買って帰宅する。昼はラタトィユを作った。オリーブオイルとニンニクをベースに、玉葱、茄子、赤・黄ピーマン、胡瓜、トマトなどを順にいためてあとは野菜の水分で蒸し煮する南フランス料理だ。お昼に冷たいご飯と一緒に頬張る。うまいぃ・・・

近くでヒヨドリの巣立ち雛の声がする。双眼鏡を持って探すと、いたいた、巣立ったばかりの雛鳥が2羽。尻尾が短い。親鳥が警戒の声を出して、逃げていくと、雛鳥もあぶなっかしい飛び方をしながらも親鳥のあとについていった。

午後は昼寝をした。2階の東向きの網戸を全開。心地よい風がどんどん入ってくる。本を手にするがすぐに寝入ってしまった。15時過ぎに目覚めて、ブックサーフィンをする。冷蔵庫をあけて、トウモロコシを食べる。糖分たっぷりでうまい。

そして、またうとうと・・・と、近くでニイニイゼミの鳴き声が聞こえてきた。今年初めてのニイニイゼミの声だ! ヒヨドリの格好の餌なのか、最近はニイニイゼミの数が激減しているように思う。食われるなよ、と思いつつ昼過ぎに見かけたヒヨドリの巣立ち雛を思い出した。自然界の食物連鎖は厳しい。

夕刻、昼つくったラタトィユ(半日置くと、味と風味が一段と増すのは煮物と同じか)と豚シャブを肴に白ワインで乾杯、お寿司の出前も取って母の77回目の誕生日を祝った。

外では、まだニイニイゼミが鳴いている。ツバメが盛んに飛び回り、カラスとヒヨドリの声も聞こえる。夕暮れ時、ウグイスもやってきて、春先ほどの勢いはないが、ホーホケキョと母を祝福するように囀ってくれた。

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サンザシの花咲きました・・・。

ああ、もう6月かぁ、である。ランボーなら、「もう、秋か」だけれど・・・・・

創元社の「俳句の鳥」という本をパラパラ読んでいたら、こんな句に出会った。

花鳥に何うばはれてこのうつつ  上島鬼貫 

(作者の漢字、なんと読むのかしりません)

この1ヶ月、確かに私は、花はそれほどでもないけれど、鳥にうつつを抜かしていた。

それで、花ではないのだけれど、6月に入ったし、画面も変更した手前、今日は花です。

と、いっても、サンザシです。ピラカンサと言った方が分かりが早いのかも知れませんが、

小さな庭にサンザシの花が咲きました。2年前の冬、家の人が間違って庭師さんにたわわに実るピラカンサの赤い実をごっそり切らせてしまいました。お陰で、昨年の冬は楽しみにしていた野鳥がさっぱりでした。ツグミ、ジョウビタキ、メジロ、あまり歓迎したくないヒヨドリもやってきます。今度の冬は楽しめそうです。

ピラカンサの花って白いんですね。

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ヨーゼフ・ロート、XX回目の誕生日、ミソサザイの祝福・・・

昨夜は雨が深夜遅くまで降っていた。

寝付けなくて、ベッドに入りまわりの本棚から気まぐれに本を手にしてはパラパラとあてもなくブック・サーフィンしてしまった。そして、寄り道したのは、ウィーン世紀末文学選(岩波文庫 池内紀編訳)で、ヨーゼフ・ロートの「ファルメライヤー駅長」を読んだ。読みながら、トーマス・マンの短編「小フリーデマン氏」を思い出した。どちらも、ふとした出会いから分不相応な相手の女性に恋心を抱いて破滅してしまうしがない男の話だ。

19世紀末から20世紀前半にかけてのウィーンは何かと今も気になる時代だ。フロイト、カール・クラウス、ヴィトゲンシュタイン、マーラー、シュニッツラー、ツバイク、クリムト、ハイエク、シュンペーター・・・ アットランダムに思い浮かぶ名前をあげてもすごい!絵画、音楽、哲学、心理学、経済学、文学、どれをとっても今日においても何かと刺激を与え続けている。

ヨーゼフ・ロートは、名前だけは頭の片隅にあったもののずーっと通り過ぎてきた作家だった。たまりにたまった本を整理していたら、今から30年以上も前に四谷のエンデルレ書店で購入したロートの本が出てきた。よく見ると彼の傑作「聖なるよっぱらいの伝説」も入っているではないか。後書きは、ヘルマン・ケステンのロート論である。すっかり忘れてしまった本が突然私の目の前に現れたのだった。これも何かの縁だろうか。しばらくは寝床においてこの機会にざっと読んでしまおうかと思う。

そして、一夜明けた今日。 実は、うれしいようなうれしくないよな、私の**回目の誕生日。

外は晴れているようだ。「雨上がりの朝ぁ~」という歌があったな。「届いた手紙 ポストのそばには 赤いコスモスゆれていた・・・」。 おお、ダカーポだったな!

ポカポカ陽気に誘われて、口ずさみながら双眼鏡を持ってまたまた近くの逆川緑地をほっつき歩いた。そして、期待通りにミソサザイの囀りを聞いたぁ!!!私を祝福してくれたミソちゃん!!!ありがとう!!! 10センチちょっとしかない小さい鳥なんだけど、力強い複雑だが、とれもうつくしい囀りに私は幸福感に包まれて昼前に帰宅したのだった。

丁度いいのがインターネットで聞けます。まったくこのままの囀りでした。

http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta-miso.html

PS 私は見た、カラスの行水を!

帰り道、何とコインランドリーの入り口の天幕テントに昨夜の雨がたまっていたのだと思う、そこでちゃっかり水浴びするハシブトガラスに遭遇した。気持ちよさそうに何度も何度もバシャバシャと行水しているのだった。私は、じーっと眼を飛ばした。私に気付いたハシブトガラスはそれでもふてぶてしく水浴びを続け、私を嘲笑うかのように、近くの木に移って気持ちよさそうに日光浴を始めたのだった。

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教育について思うこと (6)

日露戦争から一貫して日本の対外政策が拙劣を極めて墓穴を掘ったのだ。また、中途半端に強かった日本の悲劇とも言えるかも知れない。 それと人種差別問題も当時としては大きかった。チャーチルとかルーズベルトも含めて、欧米人のアジア全般に対する侮蔑はまだ酷いものがあった。 東洋人は半文明人として馬鹿にされていた。 英米に苛め抜かれた鬱憤が真珠湾だったとしても、やり方が拙劣すぎた。日本のエリート達も地に堕ちたものだ。

日本は、大東亜共栄圏という美しいスローガンとは裏腹に中国を食い物にしながら、傍若無人に振る舞って大暴れしてしまった。 中国が当事者能力を失って混沌としていたなかで、策略に乗った「お人好しにして、単細胞の日本人」がババを引いてしまったのだ。

高名な元外務省OBの評論家は、日米同盟堅持を主張している。アングロサクソンは歴史的に一度も戦争に負けていない。意味するところは、覇権国家と組んでいれば間違いない、資金も情報もふんだんにあるから、援助してもらえた上に、日本人のような能力があれば大国ロシアをやぶることも可能だった、ということだろう。 逆に言えば、一人の独立したプレーヤーとしては未熟であり、大人(昔イギリス、今アメリカ)の指導が必要なのが日本なのだ。

司馬遼太郎の本にもあったとおり、ヤコブ・シフというのはロスチャイルドと同じフランクフルト出身のユダヤ人金融家で、高橋是清は、当時のウォール街=ロンドンのシティーに日露戦争債を頼みにいって断られた(ロスチャイルドを中心とするシティの金融シンジケートはロシアのバクー油田の利権を持っていたので日本を応援することはしなかった)上で、紹介された人だったが、この人はロスチャイルド財閥のアメリカの代理人でもあった。日露戦争では、したがってイギリス(金融資本)は大もうけをした上に、イギリスの戦略を日本という駒を使って成し遂げた(ロシアの南下の阻止)ですから、みごとな手腕です。戦わずして敵(ロシア)を破る!孫子の兵法でいう最上の策。しかも、イギリスの黒幕(金融資本)は、両天秤をかけるという悪どさに注意。

以上は後から見た知恵なのかも知れない。しかし、当時の限られたエリート達は分かっていたはずです。それとも・・・ひょっとして分かっていなかった? 明治維新から日露戦争までのように、イギリスの庇護があれば、情報と資金がもらえて、未熟な青年でも戦えたが、庇護を失い独り立ちしたら、たちまち行き詰ってしまった。これが真相でしょうか?

もしそうだとすれば、「日本人という島国人」の欠点、別名「外国音痴」の宿阿が国をほろぼしたと言えるでしょうか? 現在でも、これだけ外国の情報がありながら(当時は一部のエリートに限られていた)、真の外国の姿を分かっている人は意外と少ない。外のリアリティーがわからない。良い例が、隣国の中国人のことをまったく分かっていない。朝鮮半島の人のこともそうだ。したがって、外交も下手くそというのは日本だけが知らない外国人の間の常識らしい。

キッシンジャーと周恩来の会談録が出ていますが、周恩来が「結局、日本人というのは島国で視野が狭い。暴発します」とコメントした。「瓶の蓋論」が出る所以だろう。

続く

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日本の教育について思うこと (5)

最近出た「ロックフェラー回顧録」を読んで、1900年の義和団事件の賠償金を使ってアメリカは中国人の為に北京に病院というかメディカル・カレッジを作っているのにはうなってまった。 賠償金を軍事力増強に使った日本と何という違いだろうか?

すでに第2次世界大戦後の新植民地主義政策を先取りして?中国人民の人心掌握の布石を打っているのだ。宣教師の布教活動も大きな力になっていた。その意味で、日本の大陸政策におけるソフト戦略は惨敗である。

世の中は植民地主義・帝国主義=悪、ナショナリズムの高揚時期にあったにも係わらず、日本はイギリスと同じ事をやりながら(アメリカはもっと巧妙に帝国主義的だった)、その悪を一身に受けてしまった。特に中国で五四運動の矛先は日本にまとまってしまった。 これは、国策としては大失策だった。 日本の指導者は何をしていたのだろうか?

日本政府は終始、北京の政権を正統政権と見なし、いわゆる革命派の孫文は、見捨てられたため(不平等条約撤廃や満州鉄道の返還とか日本の権益をご破算にしようとしたのだからまあ理解できないわけではない。特に満州利権は、日露戦争で日本軍の血で購った利権である。中国=当時の清朝は拱手傍観だったのだから、虫が良すぎる話だ)、彼を結局ソ連に接近させて、国共合作の種をまいてしまったのだった。

スターリンが時期尚早と中国共産党ではなく終始国民党を支援したことは注目に値する。 国民党はソ連が作ったのだ!!! その後の紆余曲折で、蒋介石軍は、反共に転ずるものの英・米ばかりかソ連も支援し続け(西安事件で、毛沢東は、蒋介石を殺そうとしたが、スターリンがノーと言った)、また、共産党は米ソが支援した。しかし、水面下では、英、米、ソはそれぞれに思惑をかかえながら牽制しあっていた。

ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発しドイツがヨーロッパを制覇して風前の灯だったイギリスにチャーチルが登場してから風向きが変わった。 チャーチルの偉業、ルーズベルトと組んでアメリカの世論を覆して第二次世界大戦に参戦させる一大作戦を徹底的に繰り広げたのだった。 暗号名イントレピッドがアメリカで暗躍し、蒋介石の縁組先の宋一族(浙江財閥資本)を使った対米マスコミキャンペーンを繰り広げ、ハリウッドの映画での反ナチス映画(あのカサブランカとかヒッチコックの映画)の展開もその一幕であった。日本を囲い込んでアメリカへの戦争をけしかけたのは実はチャーチルの戦略だったのだ。

混迷の時代、大不況下の1930年代のブロック経済化した世界において、当時のアメリカは自給自足できる国であり、保護主義政策を取り続けた(アメリカが自由主義経済に転換したのは1945年以降)。イギリスは大英帝国のブロックで自給自足の世界を形成した。残されたほかの国はどうしたか。 なんという悲劇。食い合いをせざるを得なかった。だから、その中で、旧来の白人国家に依存していたら自分達はやっていけない、という危機感のもとに満州事変を起こしたのは仕方がなかった。 ここまでは私も認めるのにやぶさかではない。 

しかし、満州から山海関を越え、いわゆる「中国本土」に入ったことは、共産主義勢力や英米の策謀にはまり日本が泥沼に嵌まる愚策だった。その後も、蒋介石が指導する国民党と和解する機会もあった(上海事変)にも関わらず、近衛文麿が相手にせず、と突っぱね、最後は日米交渉の結果、いわゆる「ハルノート」の挑発に「逆切れ」して、日本史上最悪の愚作「真珠湾攻撃」をやってしまった。結果は、アメリカの原爆投下にまで至る敗戦であった。

続く

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教育について思うこと (4)

我が敬愛する小室直樹氏曰く、

     日本の明治政府は、優秀な官僚は作った(東大法学部)が、優秀な政治家を作るシステムを作らなかった。

     東大法学部は科挙になってしまった。

そして、マックス・ウェーバーを引用して言う

③ 最良の官僚とは最悪の政治家である。

明治時代も、維新という偉業を成し遂げた人材が「元老」という形で残っている間は良かった。元老がこの世を去り、明治に生まれ明治に教育を受けた新しい世代が政権を担った時代が国を指導したのが、第一次世界大戦後のベルサイユ体制という時代だった。

大英帝国が没落をはじめ、アメリカはまだ、覇権国家となっていたにも関わらず、自覚が足りずモンロー主義的な高関税の保護主義的国家であった。極東は、力の空白地帯となった。中途半端な力の日本がぽつんと残ってしまった。必死に利権を守ろうとするイギリスと、門戸開放を唱えて中国大陸に利権を求め始めたアメリカ。日英同盟が解消されて、世界はウィルソン主義、つまり、民族自決の時代であり、民族独立の気運が高まり始めた時代だった。また、ロシア革命を経て成立したソ連は革命を輸出し始めた。そのような状況で、日本は満州の利権、ドイツの敗戦による棚ぼた式に取得した山東省の利権を守ろうとしたのだったが、その後の歴史は、当事者能力のない中国の内戦に引きずり込まれ、日本自らが孤立し(=英・米・ソが手を結んで、しかも日本はメリットに疑問符がつく三国同盟に行ってしまった)、暴発し、310万の同胞の死を招くという最悪の事態を招いてしまった。 何故か? 明治に教育された新しい世代の指導者が道を誤ったからだ。

一般に、大東亜戦争にいたるターニングポイントは、1932年の満州事変から始まるとされるが、これには伏線があった。日米対決の目はすでに日露戦争講和条約交渉時から始まっていたのだ。アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の取り持ちで日露講和が成立したが、何故アメリカは日本を助けたか?ロシアの南下を抑えるために、日英同盟を側面から支援したのだ。腹の中は、中国大陸への利権獲得のための進出だ。門戸開放だ。日本はほどほどにしなければいけなかった。ポーツマス講和と同時進行でアメリカの巨大鉄道資本家ハリマン財閥の南満州鉄道共同出資提案をいったんは受け入れながら、小村外務大臣が帰国後くつがえしたのがけちのつき始めだった。満州にアメリカ資本を入れて共同利権事業とすれば、満州事変を起こす必要がなかっただろうと言われている。

そして、中華民国政府に対する対華21か条の要求だ。 ベルサイユ条約で第一次世界大戦の敗戦国ドイツの山東半島の利権をそっくりものにするための中国に対する要求だった。 このあたりまでは、イギリスも北京政権を支援していたものの、これを契機に徐々にそして実に巧妙に国民党政権支持に向かうことになった。いつの間にか、国際世論=(英語圏のマスメディアが作り出す世論という意味)は、中国の批判を日本一国に向けさせる契機を作ってしまったのだ。 

ソ連のコミンテルンの暗躍もすごかった。ソ連は、植民地主義の悪「不平等条約」をすべて破棄した。彼らが世界に革命を輸出するための戦略とはいえ、若い中国の知識人をひきつけたことは間違いない。 世はアメリカのウィルソンの民族自決によってナショナリズムが高揚していた時代だった。

続く

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教育について思うこと (3)

中央公論の2月号を読んでいたら、もと東大学長の話として、これからの日本の教育は、従来優秀だとされた中間層が没落していく中で(これは先進国の特徴だそうだ)、トップエリートを如何に世界レベルで本当に戦えるレベルにするかが今後の日本の課題、だと指摘していたのが印象に残った。

話は飛躍するが、かつて明治維新は世界の偉業として注目を浴びた。安岡正篤氏は、幕末の日本は中国で言えば三国志の時代に比肩しうる時代であり、日本史上、これほど人材が出た時代はないという。明治維新をなしとげた人たちは、明治以降の近代国家で教育された人間ではないことに注意する必要がある。明治で教育を受けた人間が、主役で登場したのは大正から昭和なのだ。そして、見事に日本を没落させてしまった。(※明治維新と日本人の能力における欠陥、宿阿については別途論じたい)

敗戦後、軌跡の経済復興を果して世界をふたたび驚愕せしめた日本だったが、冷戦崩壊とバブル崩壊後、迷走に迷走を続けている。つい最近まで日本は経済一流、政治は三流と言われていた。今は、経済も危ないといわれ始めている。 冷戦の崩壊とは、ソ連と戦うためにアメリカが日本を見方につけながら共産主義運動の防壁とするための日米安保条約を無意味にしてしまったのだ。 アメリカは、自らの立場をあやうくしかねない日本の追い落としを冷戦終了後の戦略とした。そして、結果は、彼らのやりたい放題で惨状を呈しているのだ。言いなりで無策の日本。 自民党の役割は終わったのだ。 さあ、どうする日本!!!このような時代こそ、我々を導いてくれる良き指導者が必要ではないか?

日本には優秀な官僚がいるではないかと言う人もいる。しかし、これは昔の話だ。近代国家を作るにあたっての国づくりをする際にはどうしても必要な装置だった。東大法学部は官僚養成学校だったが、ある時期までは大成功した。

もともと近代社会を作るには豊かな中間層が必要だったのだが、維新当時には日本にはいなかった。だから、廃藩置県で路頭に迷った武士の末裔を官僚で吸い取って再生させ、これらモラルの高い少数のエリートが国民の啓蒙も含めて効率よい国作りをしたという。

これは、ドイツをモデルにしていて、伊藤博文は憲法を作るために、まずロンドンに行ったのだが、幕末維新以来のスポンサーのロスチャイルドに相談に行った (エドモンド・ロスチャイルド自伝に書いてあります)。 その上で、国情からドイツを見本とするように勧められてドイツをモデルにすることになった。実は、ドイツも、日本と同じで中間層がいない国で、すべては優秀な軍人官僚(ユンカー)がビスマルクという稀有な政治的逸材によって国を統一した(明治維新に遅れること3年の1871年)。それまでのドイツは日本の藩と同じで領邦国家が<英語でいうState>が何百とあって、いわゆる近代国民国家の体をなしていなかった。

ビスマルクに相当するのが、明治維新の元老達による指導体制であった。彼らは幕末の動乱を乗り越えた軍人政治家であった。しかも、吉田松陰の薫陶を受けた教養人でもあった。

欧米列強の圧倒的武力で植民地されかねない状況で、明治維新をなしとげ、明治国家を作り上げたこの元勲たちとはどういう人たちだったのか? 白洲正子自伝には、祖父の樺山公爵が、明治維新に残った連中はみなクズだった、という印象的な挿話がある一方で、日清戦争終結のため下関にやってきた李鴻章をして、伊藤博文という人物を絶賛せしめたという。明治の優秀な官僚たちは、まだ漢学という儒教的教養と武士道という道徳で陶冶された、この偉大な元勲達(指導者)のもとで国つくりを行い、ピークといわれる日露戦争まで上昇を続けたのだった。

続く

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教育について思うこと (2)

そもそも教師を生業にしている先生方は、ある意味で学業が優秀な方が多いだろう。世間一般はそう思っている。しかし、学業だけでは、人間は駄目なのだ、というのがK先生を見てもよく分かる。人間の真価が問われるのは、専門以外の分野でどれだけ見識を示せるかだ、と誰かが言っていたような気がする。 

「専門馬鹿」という言葉があるが、人間である以上自分の寄って立つ立場(専門)は必要だ。しかし、これだけでは十分ではない。必要なのは人間の情熱、そのもととなる「魂」「気迫」である。亡くなられたK先生は、何事にも真剣に妥協を許さず取り組まれた。 それが現場にもひしひしと伝わる。 だから、仕事には厳しかった。 おい、出来たかぁ、と仕事の進行具合をチェックしながら、こんなんじゃぁ、全然駄目だよ、やり直し、ここが駄目だ、と。 若い職員は畏れ(恐れ)ていた。 しかし、非合理を押し付ける暴君ではない。いろいろな問題、迷いが生じて判断に困るときの一言一言が核心をついている。グサッと我々の心に突き刺さる。確かにそうだ。 そして、やって見るとそうなる。 皆は、先生の行動に注目し、引っ張られていく。 これがリーダーシップだ。このようなリーダーシップと判断力はやはり、並みの人では出来ないことだ。これが人材たる所以だ。やはり、鍛えられて、本人が努力の積み重ねがないと蒸留してこないものなのだ。

いわゆる世間的に偉いと思われている「教師」だが、彼らにもピンからキリまでいることはいまや世間の常識となっている。親達はいい先生に子供を指導させたい。 当たり前である。 格差社会といわれる今日の日本だが、特に公立教育のレベルダウンはお金はかかるものの教員の質も含めて努力をする私立高校の後塵を拝してしまっている。 東大合格者トップテンは私立の名門校(東大合格だけがいい教育の結果ではないが)に占められて久しい。公立には「企業努力」というモチベーションが稀薄だ。最近変化の兆しがあることは喜ばしい限りだが。一流予備校の先生は、年俸数千万と及び聞くが、それだけの競争を勝ち抜く能力があってのことだ。ただし、現在の日本の「教育の劣化」という観点からいうと、教え方がうまいだけでは、本当の意味で求められるいい教師とは言えないと思う。 教育の質ということを問題にするなら、「優秀な教師」に尽きるのではないだろうか?

では「優秀な教師」とは何か? 学校秀才が学歴をひっさげて社会に出る。 しかし、結果がでる人生の後半において、そもそも学歴が必要だったか、と言われると、かなりの人は「否」という実感を持つはずである。そして、何が大切だったかというと、勉強したことはあくまでも必要条件にしか過ぎず、十分条件は社会の中でもまれ身に着けていくものなのだ、ということで、こればっかりは、教科書には書いてないし、「コツ」つまり「肝心なこと」は誰も教えてくれない。

持って生まれた能力とは言うものの、人との出会い、「触媒」があって、あとは本人の努力(気づいて、盗んで、自分なりのスタイルを確立する)で進化していくものだ。 それが、人生の戦いのなかで勝敗を決める。 

結果として、あなたが出世したかどうか、これはまた別問題である。 ある人いわく、日本の場合、大企業の役員の少なくとも半分は、本当にこの人役員なのというタイプらしい(=つまり、ゴマスリで出世したひと。ゴマスリはゴマスリでまた認められることは大変なことなのだが、これでは人物が育たない)。

実力がありながら敗れ去るものがいるのもこの世の中である。 話が脱線しそうだが、良き教育者とは何か? 結局、どれだけその人が子供達から青少年に対して、知性と同時に徳性(いろいろな状況で判断しながらどうふるまうか)を感化することに尽きるのではないか? ある状況があって、それに対してあなたはどこまで責任を持って対処することができるか。立場によっていろいろなケースが出てくるのだが、振り返ると人生とはこの連続である。

だとすれば、現在の教員制度は大きな欠陥である。大学を卒業して人生経験において、実社会の競争にもまれていない若造(失礼)が、本当に自信を持って子供や青少年に接しながら彼らに生きていく上で必要な「魂の陶冶」をすることが出来るであろうか? 

もちろん、教師として教育界という閉じた世界の中でキャリアを積むことで立派な教育者となられる先生もいると聞くが、企業においても本当に企業に貢献できる優秀な人材は数パーセントしかいないという。 8割は普通(「数パーセント」に引っ張られる側)、1割は煮ても焼いても食えないお荷物、といわれるように、教師の世界の実態も同じだろう。 企業経営の観点から言うと、8割の普通の人をどれだけ、数パーセントの人材に引き上げるか、だそうだ。 だとすれば、教師の世界もそうであろう。 

続く

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教育について思うこと (1)

K先生が亡くなられたと奥様から連絡があった。1950年代後半からアメリカに渡りミシガン州の名門大学で博士号を取得され、家族をかかえてカナダに移って就職されて20数年。やがて、日本から声がかかり、大学で教えること10数年。昨年退職して、自分の不手際で子供が日本国籍をとり損ねた責任を感じたらしく、お気に入りのカナダに帰化していた先生は、その母国に戻って悠々自適の生活にはいろうとした矢先のことだった。

人生の後半まで、アングロサクソン連中が幅を利かす大手の会社で人事部長まで上り詰めた日本人だった。現地で非情な競争を勝ち抜いたタフさと同時に日本人の柔らかさを合わせもった滅多にお目にかかれないキャラクターであった。

職場でも上から下まで一目どころか二目も三目もおかれて、状況が込み入り判断に迷いが生じると決まって、ズバリ、核心をついた言葉で、周りを納得させてしまう、見識も並外れた人物。私の人生では、たった11ヶ月しかお付き合いできなかったが、先生のもとで仕事を始めてすぐに、この人は並外れたすごい人物であることが、実感できた。そして、いま、すばらしい人物を失った悲しみと同時に、こんな人がいたのだ、というすがすがしい気分に浸っている。

中年の後半にさしかかろうとしている私だが、いつのまにか先生ならどう考えて判断されるだろうか、と意識するにせよ、無意識であるにせよ、先生の刻印を受けているのだと改めて思う。先生と出会えて本当に良かった、と思うのだ。と、ここまで来て、ハッとするのだ。人生の師とは、こういう人を言うのだ。先生は偉大な教育者でもあったのだ。

英語を使った仕事なので、私の英語力の不足を指摘され、半年間は先生の授業(ビジネスコレポン)にも出席したが、授業の半分は人生を振り返った面白いお話である。半分は毎回テーマを決めて、作文をさせられ、最後は先生の添削・講評。日本人の英語使いだが、鍛えられ方が違う。Ph.D (博士号)を取り、現地の大手企業でのキャリアの中で一貫して人事・総務を取り仕切り日本人で英語の文書管理をした人だ。日本のいわゆる某大学系英語界の権威筋がこう言っているから、そうなんだ、なんて言われても、全然へっちゃら、そんな言い方は英語で聞いたことがないな、こういう言い方があるんだ、と自己流を貫く。

したがって、日本の「いわゆる学校英語教育」に物足りない学生たちの人気は抜群だった。英語の実力は折り紙つきだったが、それに加えてとにかく話が面白い、そして、面倒見がよい、と来れば慕われるのは当然だ。しかも、生半可な経験談ではなく、いろいろ失敗して、白人達に負けないために、毎日夜中の2時、3時まで頑張った若き日のこと- 君、英語でハンディがあるんだから、彼らの2倍はやらないと勝てないんだよ、とある日先生はポツリと言われた - の話には、なるほど、そうなのか、と納得させられるし感じ入ってしまうのだった。もっともっと面白い裏話を沢山聞いたが、過激なのでここでは書かない。

先生ご自信も、自分は学校の先生ではない、ビジネスマンだ、と日頃からおっしゃられていた。しかし、最近の教育の問題を見るにつけ、日本の教育の一番の問題は、「教育者の質」なのだ。

続く

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春一番、S氏、大いに語る 

相変わらず仕事に追われているが、思い立って某月某日の金曜日の夕方上京した。東京まで特急で1時間ちょっと。

20時頃、都内某所で知り合いと落ち合い、飲み始める。ビールと熱燗。刺身(タコとカツオ)と煮魚(ホウボウ)、焼き魚(イサキ)をつっつきながら、近況の話。話は弾み酔いがあっという間に全身をつつみ、心地よくなる。「ああ、このまま、死んでもいい」、というところまではいかないが、2次会に銀座のどこか、記憶ではたどれない狭い路地をはいった地下で、断片的な記憶では、随分年増の化粧の濃いおばあちゃん達に囲まれて、ウィスキーの水割りを何杯のんだことか。若い女性ではないので、話ははずまず、カラオケを歌いまくった。「僕わぁあ~、呼びかけはしな~いぃ~、遠くぅ~過ぎ去るものをぉ~・・・」そして、M先輩が歌い、S君が歌い、あとは、記憶はとぎれとぎれになっている。

先輩が精算していたような気がした。駅で別れた記憶がない。

気がつくと、コタツに入ってビールを飲んでいる。ガスに火をつけてお湯を沸かした。カップラーメン食べたっけ?

明け方、二日酔い状態で目が覚める。頭がいたい。友人のS氏が濃い髭面をてかてかにして鼾をかいている。カップラーメン、俺、食べたっけ? 全然記憶がない。 ひょとして、S氏が2人前くったんじゃないか?

トイレに行って、ふたたびベッドに潜り込む。8時前に目が覚めた。しかし、体全体がアルコールの中を泳いでいる感じだ。髭が濃いS氏も目を覚ました。私が水道水を立て続けに飲むと、彼は、勝手知りたる他人の家、冷蔵庫から缶ビールを2本見つけて飲み始めた。あっという間に、飲み干す。

テレビをつけてニュース番組を見る。イージス艦に衝突して沈没した漁船。可哀想だがどうしてよけられなかったのか?S氏の世相講談が始まった。 ビールがなくなったので、飲み残しの酒を振舞った。たる酒だ。常温でごくごくと飲む。うまいねぇ~とS氏。ポテトチップスをぼりぼり食べながら、お昼近くまで、S氏のご高説を伺う。 私はその間水道水を5杯飲んだ。

まだ、アルコールが抜けない。12時過ぎ、さてとぉ~、行きますかぁ・・・ 戸締りして外に出ると、暖かい!!!春一番だね!!!コートいらないよぉ~。もうすぐはぁ~るですねぇ、ちょっと、気取って見ませんかぁ~・・・じゃなくて、「ちょっと、いっぱいやってませんかぁ~」と相変わらず旺盛な飲酒欲を見せるS氏。 お腹すいたから、何かつまもうか? 俺は飲まないけど、と私。

と言って入った中華の居酒屋。中国にはこんなのないんですよね、と中国通のS氏。最近北京で半年ほど仕事で行っていた。最近の中国事情。北京郊外の村を訪ねたのだが、何と、日当1万を出して、人民解放軍のアルバイトを雇い、訪問したという。北京という都市を離れれば、中国はもう治安がままならない危ない世界らしい。ウソのような信じられない話だが、真顔で本人は言うのだ。

ウーロン杯はS氏。私はウーロン茶。小皿で水餃子、茸と海老の炒め、イカと高菜の炒め、鶏とナッツの炒め、小松菜の炒め、あと一品ほど頼んで話始める。何故か中華料理は炒めものが多い!!! 話はいつしか、大東亜戦争の話になった。S氏は明治維新と昭和史に詳しい。饒舌になったS氏は機関銃のように次から次へと薀蓄を語る。 300万の日本人が命を失ったあの戦争。 何故あんな馬鹿な戦争をやったのか。 誰の責任だ!悲憤慷慨するS氏。私は、ひとこと、ひょっとして天皇さんじゃないの、と茶々を入れる。戦争を止めさせることが出来た天皇さんだ。始めるときにノー、と言えばよかったんじゃないの? そこで天皇機関説がどうのこうの、統帥権がどうのこうの、米内・山本・井上の海軍がどうのこうの、山本多聞がどうのこうの、と延々と続いた。

S氏は容貌魁偉である。日本人には見えない。かつて、アントワープのダイヤモンド店の工房に入ろうとして、「インド人は入っちゃ駄目だ」と言われたこともあったという。7年ほど前に、中国の大連に一緒に旅したが、ホテルにチェックインした後、両替をした。私は日本語で日本円を中国元に両替できた。しかし、彼がフロントで中国語(中国では普通語という)で話しかけると、フロントの係員は胡散臭げに現地人がくるところじゃないよ、と追い払ったのであった。

S氏の声は大きい。時折悲憤慷慨しながらS君の大音声が居酒屋に鳴り響きっぱなしだった。

16時過ぎ、さてとぉ~、行きますかぁ、と腰をあげる。もっと飲みたそうなS氏だったが、田舎に帰らなければならない私。明日は、ちょっとばかり仕事をしないといけないのだ。また近いうちに、と別れた。

上野駅に出ると、春一番の空模様は荒れに荒れて、電車はストップ。足止めを食った。動かない電車の中で、持参したアーサー・ケストラーの自伝の続きを読み始めた。ウィーン工科大学の卒業を控えて、突然家を飛び出し、イスラエルへ。キブツより規模の小さい荒野の原始共産制を実践する開拓村に身を置いたり、不合格になってヒッチハイクをしながらハイファにたどり着き、飢えを経験しながら職探し。4日間の絶食も経験する。飢え死にの恐怖を意識しながら、ギリギリの生活を克明に心理の襞までこまかく描写している。縁あってUllsteinというユダヤ資本が支配するドイツのベルリンにある大出版社の中近東特派員の口があると紹介を受け、イスラエルから一番安い方法で(船と鉄道)でルーマニアのコンスタンツ~母国ハンガリーを経由してベルリンへ。途中、ダンサーと知り合ったり。頭はぼーっとしているが、話しはめちゃめちゃ面白い。引き込まれてあっという間に2時間が経過。

やっと列車は動き出した。 20時半過ぎ、北関東の某駅に到着。 やれやれ、 無事帰ったか。 昼間のポカポカ陽気が嘘のように、冷たい風がびゅうびゅうと吹いている中21時半、帰宅。

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ある日の1日 

早朝のキャンパス・バードウォッチング(7時45分~8時15分)

早朝のキャンパス。いつものように誰もいないキャンパスをぶらぶらと歩く。アオジ、カワラヒワ、シロハラ、シジュウカラ、ジョウビタキ、コゲラ、アカゲラ(鳴き声)、キジバトなどなど次々と姿を見せてくれる。おお、何と言う贅沢!!!

ぐるりと回って、運動場のそばを通るとズィーっと地味な小鳥が地面からパラパラと飛び立って近くの小さな木の枝に止まった。おお、ビンズイだぁ!!!久しぶりだね!!!地味だけで、春先の囀りはとても美しい(らしい)。実は一度も聞いたことがない。 

http://birder.web.infoseek.co.jp/name/olive-backed_pipit.htm

午前中の仕事(8時半~12時半)

8時半過ぎ、学生達が研修旅行に出発するので送り出しに出かけた。手続きやら現地の大学との交渉やらでこの半年苦労したが、何とかまとまって十数名が期待に胸を膨らませてアメリカに出発した。一段落、ほっとする。と言っても、あと2つの研修が控えている。イギリスと中国だ。気は抜けない。

真昼の情事(12時半~13時半)

昼休み、少し心が軽くなってお弁当を持って、1時間のバードウォッチング散策に出かけた。なかなかいい出会いがあった。大好きな青い鳥ルリビタキに出会うこと4度。♂が3羽に♀が1羽。 http://birder.web.infoseek.co.jp/name/red-flanked_bluetail.htm

仲間のジョウビタキも♂が2羽、♀が1羽登場してくれた。

http://nwbc.jp/torizukan/12joubitaki.html

ツグミ、

http://www.yachoo.org/Book/Show/524/tugumi/

アカハラ、

http://birder.web.infoseek.co.jp/name/brown-headed_thrush.htm

シロハラ

http://www.cec-web.co.jp/column/bird/bird61.html

にも出会い、やれやれ、調子いいぞぉと最後のフィナーレ地点に差し掛かると、キジバトのけたたましい声とバタバタと逃げる場面に出くわした。カラスも威嚇の声をだしている。

すぐ目の前30メートルのところを1羽の猛禽が横切った。何何々ぃ!!! 双眼鏡で追いかけて、すーっと留まった杉の木の一番高いところにいる猛禽にレンズを向けると、そこには精悍な顔をしたオオタカの美しい姿があった。30秒ほど、オオタカと対峙した私。じーっとオオタカも私を見ているが、耐え切れなくなったのか、猛禽とは言え、非常に用心深くてオオタカはあっという間に飛び去っていった。ふっと、息が抜けた。やはり、緊張した。良かった~・・・

http://www.yachoo.org/Book/Show/144/ootaka/

静まり返った雑木林だが、清水が流れる縁では、ミソサザイがウグイスより1オクターブ高い声で地鳴きをしている。出てこーい、ミソサザイ君!と待ってみたものの一向に出てきてくれない。

http://nwbc.jp/torizukan/15misosazai.html

と、そのうちにモズがさえずり始めた。小さな猛禽モズの囀りは、いろいろな野鳥の物まねである。だから、百舌と漢字で書くのだという。最初はカワラヒワの物まねで始まった。そのうち、メジロになり、ヒヨドリになり、それから、かなり複雑な鳴き声を延々とはじめた。モズのワンマンショーであった。一度なぞ、セグロセキレイの声まで出てきた。いやはや、こんな時期に、こんなところで、モズのワンマンショーを聞けるなんて!!! すっかり、魅了されてしまった私は、満ち足りて事務所に戻り、心浮き浮き状態で、仕事に没頭した。

http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta-mozu.html

午後の仕事 - 省略 (ちゃんと真面目に仕事しました)

夕食タイム(20時~21時)

夕刻、スキップしながら帰宅。 夕食をとる。 豚肉のしょうが焼きが出てきた。随分食べなかったしょうが焼き。一口頬張る。 うまい。と、この豚肉の生姜焼きの味覚は一瞬にして、30年以上も前の学生時代、下宿先の近くの「レストラン富士」(今もあるかな、荒川区西尾久なのだが)で毎日のように食べていた生姜焼き定食を鮮やかに蘇えらせた。そうかぁ・・・。 うまかったなぁ。生姜焼きと交代でたべたポークソテーもうまかった。4年間で豚一頭分はたべたのではなかったか?今でこそ、肉といえば、ローストビーフだ、サーロインステーキだ、と安い輸入牛や国産の高級霜降り肉を食べられるが、当時はお肉といえば豚肉で大変なご馳走だった。

都電が走っていた時代だ。今も健在らしいが。巣鴨新田駅のそばに、「小熊」という雀荘があった。大学2年のとき、そこで四暗刻の単騎待ちで同級生のTY君から上がったな!!!聴牌したときは心臓がバクバクした。そして、対面のTY君がパーソを私に振り込んだのだった。ローン!!! 

仲間達が熱中していた競馬だが、その当時は、テンポイント、グリーングラスなどという名馬ががんばっていた時代だった。そして、「パーソロン」という馬も居たナ。 単騎はパーソで待て、というマージャン格言もあったと思う。

西尾久7丁目の都電駅のそばに、そういえば中華「喜楽屋」もあった。あそこのレバニラ定食はうまかった。レバーもごろごろあったが、緑の韮がいっぱいあった。あんなおいしいレバニラ定食はその後食べたことがない。だいたい、レバーと韮が少なくて、モヤシが圧倒的に多いのだ。

食後の独り言(21時~23時)

中国の餃子の報道がこのところすごい。何故もあのように大騒ぎするのか?大騒ぎする理由はわかるが、ちと、行き過ぎではないか?大学の某中国人の教授も不愉快なコメントをしていた。 すべての中国製品が毒を持っているような報道は大問題だと。昨年の食の偽装問題の報道ぶりおよび当事者の毎回同じ儀式となってしまった謝罪風景にいささかうんざりしているのは私だけだろうか?

わが同胞達は、普通の庶民レベルから新聞の記事を書くインテリのレベルまで、非常に几帳面に潔癖であると思う。細かいところまできちんとしていて、他のいい加減な外人の追随を許さない。しかし、しかしである。ある日本に帰化した外国人の言にあるごとく、大きな巨悪、不正に対して日本人はあまりにも盲目である。外国は、そのような間抜けな日本人にある意味であきれ、失笑を禁じえないのだと。

今の政治はひどいらしい。株価が下がっている=日本売り=市場としての魅力のなさ(少子化でマーケット規模が縮小し将来的な展望にとぼしい)を言う世の評論家は多いが、果たしてそうか?円が強くなっているではないか!!!円が強くなるということは悪いことなのか?決して悪いことではないと思うのだが・・・・・。海外旅行は安くなるし、海外のいいもの(日本製だけがいいとは限らない)を安く買えるのだから。とは言え、ドルの価値が下がっているからで、ヨーロッパの通過ユーロは相変わらずすごいと思う。これからは、ヨーロッパの時代???

いやいや、そう甘くはないだろう。円の実力はまだまだあるという。実力がありながらそれを政治力に生かせる力量のある政治家が出ない日本の悲劇か?

日本の政治はまさにアメリカの属国と成り果てた・・・。所詮、戦争に負けたのだから、という人もいるが。小泉改革の評価は真っ二つん割れる。アメリカの手先なのか、国の税金をむさぼる官僚体制の打破なのか。前門の虎、後門の狼。どちらの道も茨なのか?日本独自の道はないのか?このまま自分勝手なアメリカと中国にはさまれて、小ざかしい朝鮮半島人にいいように利用されるだけなのか?北朝鮮の拉致問題が何故解決しないのか?小沢さんは大嫌いだが、いまだに、アメリカの占領下にある現在の日本を捨てない限り無理だ。普通の国にならなければ駄目だ。いいように利用されるだけだ。現在の日本は、敗戦のままの日本を引きずったままなのだ。マッカーサーの言う12歳のまま、これが護憲だ。

テレビはアメリカの大統領候補選びで盛り上がっている。今度は民主党が政権党に返り咲くだろうという見方が強い。オバマさんかミセス・クリントンさんか? ブッシュ政権はあまりにもひどい。9.11はアフガン、イラク、イラン戦争を起こすための「真珠湾」だった、という「本当の真実」がいまや明らかになってしまった。イラクで頓挫して、イラン戦争は出来ないだろう。 イランはそんなに悪い国なのか?恐怖を煽るマスコミ(欧米も含めて日本も)だが、はたして本当にそうなのか?そして、この1年間の北朝鮮宥和政策は何なのだ?日本への裏切りだ。しかも、それに対し何も出来ず、ずるずると孤立する日本。このあたりは、原田武夫氏の「日本封じ込めの時代」がするどい解釈を示していて示唆的だ。アメリカにあるのは国益追求しかないのだ。日米同盟は、あくまでその中で解釈され利用されいているのだ。とすれば、日本の国益しだいでは・・・・・・・。某外務省OBである高名な評論家は、近代史上負けたことのないアングロサクソンと同盟を続けることが、日本の安全保障の要だといい続けているが。

アメリカの選挙制度は複雑だ。大統領は直接選挙じゃないことに今更ながら気づいた。現在は候補者選び。11月の本選まで各政党(と言っても二つしかないが)で候補者選びをする。

11月の本選は、各州の選挙人を選ぶのであって、多数票を獲得した州がすべての選挙人を獲得する。これってどういうこと? この複雑な過程をとる理由は何なのだろうか?一説には、ポピュリズムを廃するための装置だというが。確かに、ドイツのヒトラーは、世界でもっとも民主主義的といわれたワイマール憲法時代に合法的に人々の選挙で選ばれ首相になり、合法的に法改正して終身独裁者になった。大衆というのは判断を誤るものだ。だとすると、アメリカの民主主義とは何なのだ?

世界が注目しているアメリカの大統領選挙。確かに、誰が大統領になりどういう勢力が政権を動かすのか? イラン、北朝鮮はもちろん、中国もロシアもヨーロッパも、くしゃみすれば飛んでしまいそうな小さな国々もみな、注目している。 形上は民主主義の体制だが、実質的にはスポンサーが巧妙に世論を操作してやりたい放題(自らの利益確保=財閥、そう、アメリカには日本では敗戦後に解体されてしまった個人資本家=財閥が存在している、しかも、馬鹿でかい巨大なものが)のアメリカ。自由で豊かな国アメリカはいまだにその神話の魅力を世界に放射し続けているが・・・・。

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年末はゆっくり、床屋と釣り談義・・・

21日から冬休みが始まった。14連休だぁ!休暇の楽しみは休暇の直前と前半にあり!私はペシミストであろうか?東京で朋と酒をのみ語らい、親しい人?とクリスマスを過ごして田舎に戻った。時間の経過の早いこと早いこと。

職場のメールチェックをして異常のないことを確認。部屋の掃除、年賀状書きを早々と済ませ、天気の良いこの2日間は、年末に読もうと10冊ほど本を買ったり、バードウォッチングで一通り自分のテリトリーを散策してくつろいだ。

天気が崩れはじめた午後、2ヶ月ぶりに床屋へ出かけた。T床屋だ。子供の頃だいぶお世話になった。私の父が子供の頃、実家でやはりお世話になった床屋である。帰郷したてのころ、思い出したようにでかけたらこのT床屋がいまだ健在で、心ときめかせて入った。

当主は息子さん。お父さんに面影が十分に伺える。シロ髪が混じっている。お孫さんも家業を継いでいるというから、親子孫3代の床屋さんだ。

「そう言えば、お客さん、この間釣竿かついで・・・十文字のところ歩いてましたね!」

「そうでしたね、最近釣りを思い出したように始めたもんで!」

「ルアーフィッシングですか?シーバスあたりを狙って?」

「いやいや、子供時代の記憶を頼りにハゼですよ。輸入物のアオイソメ、つまり生餌をつかっ

たオーソドックスで泥臭い釣りですよ。狙ったのは冬の落ちハゼ!釣れませんでしたけれど」

「落ちハゼと言えば、アユも落ちアユと言って那珂川じゃ結構つれますよ?友釣りじゃなくて「転がし釣り」(ひっかけ)ですけどね・・・」

話はひとしきり釣り談議となった。久しく忘れていた釣りだったが、11月後半に思い出したようにリール竿を買ってきて那珂川で釣ったハゼ。あのブルブルッという引きがたまらなくて一度味わうと、もうやめられない。時間を見つけては竿を投げ入れて釣りたい、いてもたっても居られない、あの感触と期待感に駆り立てられるように12月のはじめにも再度チャレンジしたのだったが惨敗であった。一匹しか釣れなかった。途中で雨が降り出してしまったのだった。冬の落ちハゼは難しい。そもそも、ハゼのいるポイントを良く知らないのだから。その間、足であたりを偵察し、老師からも情報を分けてもらい、自分なりのポイントを想定できるところまで来ている。野鳥観察と同じだ。どこに何がいるのか、やはり、苦労して自分で見つけなければ!ハゼの産卵が始まる2月前までには今3度目のチャレンジをと思っている。

釣果が気になる釣りではあるが、最近散歩の途中で偶然出会った老釣氏がふと言葉をもらしたように、「全然釣れなくても、釣り糸をたれていれば不思議に退屈しない」自分に気づいたのだった。ゆったりと流れる時間。釣れる時は反応する魚と一体になり、釣れなければ釣れないままに、いろいろともの思いにふけったり、間近にやってくる野鳥を観察してみたり、一人で過ごす時間としてはなかなか充実するのだ、と改めてあの午後の日差しをあびながら空っぽになった自分を思い出す。

野鳥観察はたぶん死ぬまでやめられないだろうけど、忘れていた釣りの楽しみを思い出して遂に動き出した2007年。あっという間の1年だった。職場の体制が変わって迎えた新学期の4月から冬休みまで、暇なしだったが、来年はもう少し余裕が出ることだろう。野鳥に四季折々の釣りの楽しみ、自然との戯れと物思いは当分続きそうだ。

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日曜日はただひたすらほっつき歩いた。

心の嵐は静まりつつある。しかし、まだ落ち着かない。昨日はただひたすら目的もなくほっつき歩いた。海が見たくなって鹿島線に乗って大洗へ。大洗駅から歩いて30分。フェリーターミナル、大洗タワー、アウトレット、マリーナなどなど様変わりした大洗。冬の海岸に人はほとんどいなかった。何故か、ピピピピピッツと元気なタヒバリをあちこちで見かけた。

① 海辺の風景 誰もいない海、あなたの愛を確かめたくってぇ~・・・波打ち際で打ち寄せては返す波を見つめる。たくさんの貝殻が散乱していた。

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② 海辺の風景 逆光だけれどいい感じだ。

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③お昼はアジの刺身定食にしようか迷ったけれど結局「海鮮丼」セットに決定! うまかったゼ! 

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④本当に大洗?

⑤ 最後は、平戸橋から涸沼川沿いに那珂川合流地点へ歩く。長閑で美しい風景だ。最後は、平戸橋から涸沼川沿いに那珂川合流地点へ歩く。長閑で美しい風景だ。

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ただひたすら歩いて、野鳥と戯れて、釣りのベテラン老師と語らう。

昨日は「大荒れ」だった。それを引きずったのか珍しく寝付きが悪かった。仕事のプレッシャーがあっても熟睡するのに、どうしたことだ。愕然とする。

いつものように起きて朝食を取り、家の人には「ちょっと野鳥と戯れてくる、昼ごはんはいりません」と家を出た。静かな自然のなかで一人きりになり無心になりたい、というのが本音だ。

今日は職場に向かうコースとは反対のコースを歩いた。逆川緑地だ。上流まで行っての往復で3時間近い行程だ。途中、笠原水道公園内にも足をとめたのはもちろんのことだ。キクイタダキの当たり年とはよく言ったものだ。こちらのコースでも2箇所でキクイタダキの群れに遭遇した!これで6日連続でキクちゃんと会えたのだ。本日観察した野鳥は以下の通りだ。

1)メジロ 2)ジョウビタキ♂2、♀2 3)モズ ♂3♀3 4)ルリビタキ♀1 5)シメ 2 6)キクイタダキ 5+3 7)ヤマガラ1 8)シジュウカラ 多数 9)エナガ 多数 10)コゲラ 11)アオジ 12)ツグミ 13)アカハラ 14)シロハラ(警戒音のみ) 15)キセキレイ 16)ハクセキレイ 17)セグロセキレイ 18)コガモ 19)オオタカ 1 20)キジバト 21)ホオジロ 22)カワラヒワ 23)ベニマシコ(鳴き声のみ) 24)カワセミ 25)イソヒヨドリ♂1 26)キジ♂1 27)コジュケイ(鳴き声)3+ 28)ムクドリ 29)ヒヨドリ 30)アオサギ 31)コサギ 32)ハシボソガラス 33)ハシブトガラス 34)ウグイス (笹なき多数)

満足の行く結果だった。この時期に観察できる野鳥がだいぶ出揃った。あとは、タヒバリ、ビンズイ、アトリ、ウソ、憧れのオオマシコあたりが観察できればと思う。イソヒヨドリは田舎に戻って3回目の冬だが毎回同じ場所で同じと思われる♂に出会っている。うれしい限りだ。

お昼をマクドナルドでビックマックセットを食べる。メガマックを試そうかと思ったが思いとどまった。それにしても、たまのジャンクフードもうまいものだ。それからまた、ひたすら歩きに歩く。途中で道路沿いの古い民家の前でニワトリ小屋を通り過ぎた。今時めずらしい。子供の頃母の実家ではたくさんのニワトリを飼っていたのを思い出す。思わず携帯電話を取り出してスナップショット!と、やおら、ニワトリさんが時の声をあげたのだった。コケコッコー。

1時間ほど歩くと那珂川に出る。3週間ほどまえにはハゼを釣った川だ。2時間半かけて4匹しかつれなかった。今日は釣り道具は持参していない。変わりに双眼鏡で野鳥観察を続ける。稲穂を刈り取った後の乾いた田圃にたくさんのスズメ。川のそばの竹林からゲーッ、ゲーッとオナガの鳴き声。勝田橋をわたりまた上流にむかって河川敷を歩く。モズ、ホオジロ、ベニマシコ、ツグミ、カワラヒワ、アオジ、護岸にはハクセキレイ、川面にはオオバン、カワウ、セグロカモメなどなど。やがて、某大橋手前に来て釣り人を認める。釣り老師が4本の竿で午後の日差しを浴びながら釣っている。

「つれますかぁ」

「いやぁさっぱりです」

「ハゼですか」

「そうです、ハゼです」

魚籠を覗くと18センチサイズのなかなか美しい飴色のハゼが3匹ほど入っている。

「今日はぽかぽか陽気で風もないしいい釣り日和だとおもうのですが、冬のハゼ(落ちハゼ)は難しいんですかね?私もこの間このちょっと下流でやったんですが惨敗でした」

「いや、この時期は水が冷たいし、いることはいるんだけど餌の食いが渋いね。でも、この間雨が降った翌日は3時間で16匹釣ったけどね。水が動かないと駄目なんだ」

問わず語りに話してくれる老師は、この道40年のベテランだ。那珂川専門だ。隣では長年の友人も釣っているが今日はまったくの「ボウズ」だそうだ。老師は、もう現役を大分前に引退してこうやって毎日那珂川にやってきては朝から午後の14時半過ぎまで釣り糸を垂れるのだという。床屋に行って待たされるといらいらするのだが、こうやって釣り糸を垂れて朝からさっぱり釣れなくても不思議と落ち着けるのだという。

釣りの極意を聞き出すには早すぎるがいろいろ教えてもらった。

     冬のハゼは朝は釣れない。

     潮が動くときが釣れる。

     餌はゴカイでもアオイソメでもミミズでもなんでもいいが、頻繁につけかえること(ちなみに老師はミミズが一番だとのこと)

     ハゼの寿命はアユと同じで1年。年を越して1月いっぱい釣れるという。2月に入ると産卵の時期になりその後死を迎える。新しいハゼ(「出来ハゼ」という)が釣れ始めるのは6月以降から。

などなど。また、那珂川は日本全国の河川ではベスト3に入る水がきれいな川だそうだ。したがってハゼも涸沼のハゼよりうまい。ちなみに涸沼のハゼが減ったのは水質汚染が大きな原因らしい。

この話の間に一度一本の竿先がブルブルっと震えた。「来てますよ」との私の声に「いやあ、朝からやって3匹じゃ、どうでもいいんです」とおっしゃる。隣のボウズだという友人のご老体はちょうどハゼを一匹釣り上げたところだった。老師もリールを巻いて見ると見事な18センチ前後の飴色のハゼがかかっていた。時折モズとツグミとベニマシコの鳴き声が聞こえる中、「そろそろ時間ですな」と老師は片付けを始めた。「明日もまた来ますよ。そのために、エネルギーをとっておかないとね」

別れを告げて、散策を続けた。水府橋までさらに30分歩き市内にでてバスにのり16時前に帰宅。ながーい散歩だったが、すっかり心は和んだ。禅語にたしかあった-日々是好日。

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天気晴朗ナレド、我が心は大嵐

今週は、キクイタダキで盛り上がっている。今日は金曜日で浮き浮き気分だ。遅番勤務にもかかわらず通常出勤して昼の時間たっぷり2時間の休憩をもらった。もちろん、双眼鏡を持っていまやキクイタダキの棲家となっているもみじ谷を目指した。

コンビニでハッシュドポテト、肉まん、高菜入りのおにぎりを購入して昨日が嘘みたいな快晴の青空の下、ひっそりとしたもみじ谷を一人独占した。散歩人はほとんど居ない。到着してすぐにキクちゃんの群れを見つけた。なーんだ、簡単じゃん。シリリリッ。10センチの小型の野鳥が群れ集っている。眺めれば眺めるほどかわいいキクちゃん。何ゆえに頭の天辺に菊の花びら模様の黄色があるのか?そして、墨で書いたとしか思われない特徴のある目。休むことをしらない動き。飽きが来るまではこのキクちゃん三昧はやめられそうもない。

しかし、今日は何故だか心が晴れない・・・。気になっていたことがあって携帯を取り出して電話をする。やっと相手が出た。元気のない声。一週間前に喧嘩別れしてから話をしていない。気になっていた。何度か電話したが出ない。向こうからやっと昨日電話があったが、こちらが出そこなった。いつの間にか熱を帯びる会話。いつしか電話の向こうの声は涙声になる。慌てふためく自分。あややややや、参ったナ。こんなことで盛り上がる年齢じゃないのだけれど。絶対譲るまいと思っていたのに、いつの間にか、あっさり自分の非を認め必死に相手を気遣い慰める役回りになっている自分に気づく。やれやれ。こんなはずじゃなかったのに。

だんだん会話は落ち着いてきた。やっと周りの景色が視界に戻ってきた。キクちゃんの群れが相変わらず私の周りで忙しく飛び回っているではないか。時計を見ると30分以上が経過している。きっと、ずーとキクちゃん達は私の周りを飛び回っていたのだ。 たっぷり2時間取ったはずの散策だったのだが、なんと早い時間の経過だろうか?

職場に戻ってからの午後の仕事は散々だった。年末でいろいろ片づけて新年を迎えなくちゃいけないのに、さっぱり身が入らない。参った、参った。遅番勤務をして20時すぎ家路に着く。ため息をつきながらもぐもぐと食事を取る。塩鮭にたっぷりの大根おろし。うまい。NHKの歌番組で女性歌手が「涙そうそう」を歌っている。いい歌だなぁ~。 2階にあがる。そういえば、キクイタダキのミニ模型があった。清涼飲料水のおまけでもらったものだ。しばらくぼーっと眺める。時折自分の心を覗きながら・・・。

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気ままにおしゃべり(8)ジョウビタキ~低地ドイツ語

丸山薫氏から「あいるらんど」と小田実氏の話で前回は終わったが、今日は少し寄り道をしたい。

昨日は担当していたイベントが無事終了した。まずまずだった。この8月後半からこの2ヶ月はバタバタだった。ホット一安心した昨夜は熟睡した。何かをやり遂げたあとの空虚感が全身を満たしている。まあ、大したことじゃないんだけれど・・・。

今朝は、久しぶりに2時間半ちかく、近場を双眼鏡持参で散策した。野鳥が平地に降りてきている。移動途中の夏鳥に会えるかも、という期待もある。①ハクセキレイ、②キセキレイ、③セグロセキレイ、④ヒヨドリ、⑤ムクドリ、⑥ハシブト&⑦ハシボソガラスはいつもの通りだった。そして笠原水道公園で待望の⑧ジョウビタキの囀り(冬の地鳴き)を聞いた!姿はチラリとしか見えなかったが、メスだった。彼方此方で⑨メジロの地鳴きもするし、キリキリコロコロと⑩カワラヒワの群れ。盛んに高鳴きする⑪モズ数え切れない。小川に猫背でじっと佇む多数の⑫アオサギ、⑬コサギ、⑭ダイサギ、森の中の⑮シジュウカラ、笹薮の中の⑯ウグイス(笹なき)、あと、⑰ミソサザイも居た。それに、⑱カケス、最後に⑲エナガの群れにも遭遇した。他にカワウやキジバト、それにこんな時期にも関らずコジュケイのけたたましい鳴き声も聞こえ。20種類を超える野鳥を確認した。まずまずかぁ、満足、満足。キビタキ、ノビタキも期待したのだけれど、どうにも出会えないのが残念だった。待つポイントが間違っているようだ・・・・。

無心になって帰宅して、美味しい昼食を食べて、2階にあがって、さてとぉ~!久しぶりに身の回りの整理でもしよう。ダンボールに突っ込んだままにしてある学生時代から前の職場でのいろいろな勤務地での資料がダンボール2箱に無造作に投げ込まれたままにあっているのを整理しようと思い始めていたところだ。

今日は学生時代の整理。やはりドイツ研修の資料が殆どだ。手紙類、当時のプログラム、三文オペラを観劇したときの入場切符、パリの地下鉄の切符、ハノーバーの市電で無賃乗車して捕まり70マルクの罰金を払った領収書、ハノーバーで通った映画館のプログラム、フィンランド人の彼女との文通レターと絵葉書、悪友のギリシャ人やポーランド人からの手紙、ハノーバーの湖で知り合ったペーターさんの手紙は彼の創作詩付の長い手紙だ。離婚したて(当時30歳)の彼が日本に戻った私に送ってくれた長い長い手紙を今更ながら良く読んでみると当時は落ち込んでいて私や一緒によく彼を訪ねたエジプト人(♀)、フィンランド人(♀)、ポーランド人(♂1+♀2)達学生とよく遊びにいって気分的に慰められていたことがよく分かった。

整理をしながら、このペーターさんにプレゼントしてもらった歌の本を探しだした。埃りまみれになっていたがちゃんと残っていてほっとした。彼が編集に関った歌の本で、英語のポピュラーソングと一緒にドイツのフォークソングが沢山収録されている。

ページをめくりながら彼のサイン「1976年夏」という字が懐かしい。そしてあの頃の思い出がまたまた蘇る。ハノーバー市内(Alte Doernerstrasse 49)の彼のアパートにはよく友人たちと遊びに行っては、ビールとワインを飲み、時には彼の得意なギター伴奏で歌を歌ったものだ。ボルフ・ビアマン、フランツ・ヨーゼフ・デーゲンハルト、ラインハルト・マイ、ハネス・バーダー・・・・名前が次々と出てくる。ジャーマン・シャンソンと言ったら良いだろうか? ペーターさんは、社会民主党支持者で、政治について語り合ったがお互いに共鳴するとことが多々あった。

当時の世相がそうだったのだが、ナショナリズムは非常なマイナスイメージで、ソ連は崩壊していなかったし、社会主義的平和主義がドイツでも主流だったと記憶する。SPD(社会民主党)が与党で首相はシュミット氏。しかし、政策は当時の日本の民社党より自民党に近いというのが本当のところだった。今にして思えば。

ハノーバーは、ドイツで一番標準的なドイツ語を話すところといわれているが、このあたりからオランダの国境にかけてはいわゆる低地ドイツ語方言が話されている。ペーターさんから教えてもらった低地ドイツ語の大変美しいフォークソングがあった。先日インターネットのアマゾン・ドット・コムでサーフィンしていたらなんと、Hannes WaderCDがあった。即、注文したら1週間で届いた。歌詞もすっかり忘れていたが歌詞カードがついている。

Dat du min leefste buest

Dat du woll west,

Kumm bi de Nacht, kumm bi de Nacht,

Segg wo du hesst

低地ドイツ語というのはどうもオランダ語に似ている。意味は何となく分かる。この歌はドイツ語ゼミで現地の大学生と交流したときも弾き語りでドイツ人学生が聞かせてくれた大変美しいメロディーで、ペーターさんもよくソロで歌ってくれたものだったので、今でもよく覚えている。

意味としては、「ああ、我がいとしい人よ、わかってるでしょう!夜になったら来てね、そしてあなたの名前を言って頂戴!」

以下、原語省略

2連では、「夜中になっら、そう、1時になった来てね、、そしてドアをノックしてね! 父さんも母さんは寝てるわよ、そして私は一人よ!」

3連では、「ドアをノックして頂戴、そして取っ手を掴んでね!父さんも母さんもあれは風の音だと思うでしょう」

4連では、「夜が明けて、ニワトリが時の声をあげたら、ああ私のいとしい人よ、あなたはもう行かなくちゃいけないのね!」

大らかな田舎の若い男女の愛の賛歌というところだろうか・・・・。次回は寄り道ついでにライハルト・マイに触れたい・・・。我が青春のGerman Folksong….

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金木犀の匂いが!

秋になって天気は崩れ続けている。3連休のはずの今日は通常勤務。学事日程でこうなっている。朝から小雨模様。終日間近に迫っているイベントの詰めをする。いろいろな調整のなかで、さらなる調整をしなければならない出来事があったりで疲れてしまった。週明けの月曜日なので、残業までしてしまって・・・。トボトボと歩きながらあの匂いに気づいた。金木犀だ。芳香剤のような心地よい匂い。春先の沈丁花とはまた違うが、どちらも鼻で味わう花だろう。

夏鳥が移動を始めている。エゾビタキやコサメビタキがあちこちで目撃されているという情報があるのだが、週末は日課のユンガー精読も休んで何もしないでゆっくりとした。外出して野鳥を追いかけるには疲れすぎている・・・。

沖縄戦での歴史教科書記述のことを述べようと思っていたのに昨日のブログでは大東亜戦争などという大上段に振りかぶった論を展開してしまった。

戦争経験を語り継ぐ、ということになると私は5年前の秋に他界した母方の叔父を思い出す。叔父は帝国陸軍の軍人だった。亡くなった時、その下の弟で2年前に他界したもう一人の叔父が一枚の写真を母に見せてくれたという。軍人の叔父が満洲に派遣されていたこの写真だという。母はまだ国民学校の少女で写っている。軍刀を抱えた叔父と一緒に。もう、ひょっとしたら生きて戻ってこれないかも知れない。戦況が悪化していた昭和18年だか19年の頃らしい。

その後叔父は満洲から南方(ポナペ島!)に転戦、部下には将棋で有名な升田幸三もいた。周りの戦略的に重要な島々はみな玉砕していった中で、奇跡的に玉砕を免れて米軍の捕虜になり昭和20年の暮れにひょっこり帰ってきたのだという。祖母はてっきり戦死して帰ってこないと諦めていたらしいが、腰を抜かさんばかりに皆で大喜びしたという。

生前の叔父だが、戦争の話となるととめどもなくいつまでもいつまでも苦労話をしていた。私が子供の頃のことで、1時間でも2時間でも昔を思い出しながら語るその顔は、妙に輝いていたのを記憶している。運が良かったのだろうか?至近距離の白兵戦(近代戦ではほとんどない)や米軍の圧倒的な火力に晒らされたりという地獄のような極限状態の経験まではしなかったようだ。それでも、頭の上をヒューン、ヒューンと飛んでいく弾丸と違って、目の前数センチにプツッ、プツッと弾丸が突き刺さる時の恐怖を語る叔父の話は鮮やかに覚えている。敵の爆撃が始まると、もう精神に変調を来たして泣き出してしまう兵隊、もくもく淡々と何事もなかったように前進する中、恐怖に耐えられずに脱落してしまう兵隊。弾丸はどちらにも容赦なく当たるのだが、得てして後者がやられやすい、という話など。

戦争自体はやはり「巨大な悪」である。運命は普通の人間を「巨大な悪」に巻き込んでズタズタにしてしまう。砲弾・弾丸が飛び交う現場の恐怖感というのは身をもって経験したものだけにしか分からないだろう。いつ死んでもおかしくない状況の中で最初は神経が極限まで張り詰めて緊張するが、やがて慣れてくると無感覚にもなっていくという。死があまりにも当たり前になってしまった戦場の日常である。しかも、戦場とは「待つこと」と「退屈」することでもあるという。毎日毎日、敵と遭遇して有名なテレビドラマ「コンバット」のような派手な撃ち合いをするわけではないのだ。この辺りはユンガーの第一次大戦従軍日記にも克明に描かれている。

硫黄島の激戦がクリント・イーストウッド監督で映画化されて話題になったりしているが、沖縄戦の場合、民間人が戦争に巻き込まれたのは大変な悲劇だったと思う。そして、民間人が日本軍に自決を迫られた云々は歴史的事実であることは間違いない。アメリカ軍に捕虜となった日本人に接していたドナルド・キーン氏は、日本軍の捕虜は捕虜になったことを非常に恥じて死にたがる人が沢山いた、と何処かで述べていたように「敵の辱めを受けてはいけない」と教育されていたことこそ問題であった。それを信じて大切な命を捧げた純真な軍人たちは沢山いたわけだが、私の叔父のようにアメリカ軍の捕虜になって虜囚の辱めは受けたものの、ケロリとして元気で帰ってきた人もいる。まして、民間人で軍人に何かの運命の巡り会わせで強制されて命を捨てさせられてしまった犠牲者は沖縄戦では沢山いたのだ。これらは歴史的事実として語り継がれなければならない!

(続く)

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今日の日記から・・・

10月に入った。 すっかり秋の気配が漂い始めたキャンパスだが、昨日の朝はナ、ナ、何とまだツクツクボウシが鳴いていた。情けない哀れな声で。季節はずれか、暑い残暑の名残りか? センターの入り口付近のテラスでは大きなスズメバチが、死んだキリギリスだか、その仲間のバッタを必死に運ぼうとする姿を見た。

キャンパスを歩くと、キュッ、キュッという聞き覚えのある声。アカゲラ(キツツキの仲間)だ。朝日が逆光となって眩しいのを我慢しながら目を凝らして探す。居た、居た、アカゲラだ!!!体は疲れているが、心が軽くなった。

先週は、高校時代の旧友の思いがけない再会があったが、今週はロンドン時代に一緒に仕事をしていた昔の仲間から突然電話があって、近々この田舎町で一献酌み交わそう、ということになった。何でも、3年前に亡くなられたお父様は歴史学者で、大量の資料を整理しているうちに「大日本史」が出てきて、私を思い出して、電話した次第だという。ありがたや!

終日仕事に没頭して21時前に帰宅した。 疲れ気味だが心は軽い。 週末は休みだゾ! 

キャンパスライフにどっぷりつかって、外の世界のことはすっかり忘れがちだが・・・・・・。

国会論戦が始まった。安倍前首相の政権放り投げにはびっくりしたが、福田さん、どうこの難局を乗り切るのか?今の30歳代前後の世代の格差が大きくなっているという。フリーターが90万もいるらしい。 1990年代のバブル崩壊後の犠牲者とも言える。 こんな状況では、これから子供を産んで将来の日本の世代を担う人材が生まれてこないではないかと危惧される。 確かにそうだ。

アメリカのイラク政策もすっかり行き詰ってしまった。結局、大量破壊兵器はなかったのだが、それで戦争をしかけた責任はどうなるのだろうか? 開戦の根拠が失われて久しいのだが。来年はアメリカの大統領選挙だが、かつてのベトナム戦争と同様泥沼化している状況からどうやって体面を保って撤退するかが、今後の政局の問題であって、被害者であるイラク人は蚊帳の外だろう。大国とは勝手なものだ。世界のマスコミを使って意見(世論)を作り上げることだって出来るのだ。 イスラム圏は勝手が違うようだが。ユダヤ・キリスト教に対し、イスラムは憎悪に基づく敵意を持っているし、それが、原理主義者と呼ばれる過激な、殉教者を生む原因となっている。憎悪とは弱者の怒りだ。 政教一致のイスラム世界とすでに世俗化して久しいユダヤ・キリスト教世界の戦いは21世紀の大きな波乱要因で有り続けるだろう。

アメリカ追随政策を取る日本自民党と反対する野党勢力。六ヶ国協議は、北朝鮮に譲歩する形で進んでいる。アメリカと中国に大きな裏取引があると思う。北京オリンピックを無事乗り切るための朝鮮半島も含めた東アジアの一時的な平和状況の演出じゃないのか? 自由と民主主義という理念で動く人造国家ではあるものの、外に対しては権謀術数を使いやりたい放題の我が侭な「ソフト帝国主義国家」であるアメリカ合衆国と長い歴史のなかで興亡変遷を繰り返して煮詰まり、どこまでもアナーキーで窮め付きのスレッカラシになってしまった中国というやっかいな大国。いずれも自分勝手であって、今の日本の力では、何もできない。

仮に野党が政権を取ったとして何ができるのだろうか? 大国アメリカと中国に挟まれて、選択肢は限られている。日本は出る杭を打たれ続けながら両者に翻弄され続ける存在にならなければ良いのだが。 現実はすでに冷戦崩壊後からそうなっている・・・・・・。

ミャンマー軍事政権も来るところまで来てしまった。軍事独裁型の政権は、民主主義を実現しているアメリカと西欧からは極端に批判される。大学の中国人の先生と話していたら、世界の民主主義勢力(=アメリカ、西欧諸国)から担がれているのは、旧植民地時代に白人とくっついていた地元のエリート層です、とチクリ。 しかし、強権型リー・クアンユー首相のシンガポールのように国民を食べさせることに成功すれば、いかに西側から人権問題で批判されようと跳ね返すことが出来るが、ミャンマーのように失敗すれば、ただただ国内の混乱と悲劇が無辜の人々を不幸にするだけだろう。

中国自身、チベット問題をかかえている。もともとは、清朝の勢力範囲であったのが19世紀の西欧列強によるグレート・ゲームの中でイギリスの勢力圏に入り、その庇護のもとイギリス勢力にくっついた地元エリート層がダライラマ(西欧教育を受けた)であり、彼が西欧の庇護のもと一貫して中国の共産党独裁政権と人権抑圧を批判し続けているのはスーチー女史と同じだ、と言うことか?

(続く)

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朋有り、遠方より来る、・・・

昨日9月28日(金)の早朝、5時半ごろモズ(百舌)の気配で目が覚めた。ここ2~3日、毎朝モズの気配があって外を眺めては姿を探したが見つからなかったものの、間違いなくいるぞ、確信して双眼鏡をそばにおいてスタンバイしていたのだが、自宅から50メートルくらい離れたビル(病院)の屋上のアンテナにモズ(♀)が一羽とまって高鳴きしながら縄張り宣言をしている姿を見つけた。

昨年の日記をひっくり返すと、9月29日(金)にやはりモズの高鳴きを聞いて姿を確認したとある。あの同じモズなのだろうか? 「モズ鳴いて秋の日和を定めけり」(子規)の句を思わず呟きそうになるが、真夏日に近い猛暑と違って今朝は肌寒い。本格的な秋の始まりだ。

昔は麦畑と雑木林がすぐそばまであって、雉も鳴いたし、アオダイショウ蛇も出没したところだが、この10年ですっかり宅地化がすすみ、林がなくなり、畑も姿を消した。かろうじて、草地の一部が空き地としてぽつんと残されているだけだ。それでも、この閑静な住宅地にはモズが出没するのだ。 6月ごろの明け方には遠くの方からホトトギスの囀りをよく聞いたし、シジュウカラ、メジロも時折やってくる。野鳥には住み易い環境のようだ。

新学期が始まり、留学生がやって来て、これからイベントが目白押しでバタバタの毎日。昨日は高校時代の友人が突然大学のキャンパスに私を訪ねてくれた。本当に久しぶりの再会。それも思いがけない再会である。近況の話をひとしきり、30分ほどで近いうちに飲もうと約束して別れる。あとは、仕事・仕事・仕事に追われた。

疲れて夜帰宅する。8月末から飼い始めたコクワガタは元気だ。赤い糖蜜は三分の一ほどまで減っている。電気のついていない階段を上がって照明をつけるとコクワガタ君は蜜を貪るのをやめて、あたりを警戒し木の下に隠れてしまう。明け方トイレに起きてそっと覗くとやはり蜜を吸っている。コクワガタは冬越しをするくらい長生きするという。いつまで付き合えるだろうか?

仕事漬けの生活から、自分のペースで生活したくて人生行路を変更したのだが、いつの間にか、またその繰り返しを始めているのじゃないか?一体俺はまたこんなところで何をしているのか?との思いがまたもたげてくる。

このままではイケナイ、と思いながら、疲れてはいるものの、このところ毎週末は、永年手をつけてじっくり読み込もうと思っていたエルンスト・ユンガー全集に取り組み始めている。しかも、朝から夕方まで仕事をするごとく机に向かって一心不乱に!まずは、第一次大戦の従軍日記(In Stahlgewittern)の再読から始めた。はすでに大分前にざっと読みした本だが、今回はメモを取りながらの精読をしている。いずれ翻訳も試みようと思っている。

東京での仕事を辞めて半年ほどぶらぶらしたのだけれど、時間があれば本が読めるというわけでもないことに気づいた。何かをしながら、忙しい時に限って読書欲も湧いてくる。どういうことだろうか?

自分のペースというのは、自由に出来る時間が沢山ある、ということではないのではないかと思い始めている。しばらくは、土曜日、日曜日も平日の職場での仕事とは意味が違うが別な意味での「仕事」に没頭しそうだ。この「仕事」は、まったく苦痛ではない。無心になりながら自分の世界にどっぷり浸かれるのだから。(現実からの逃避とは違うと思う)

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秋の匂いが・・・・・

記録的な猛暑の夏休みは何となく終わってしまった。3月後半から8月お盆休みまで、忙しくて本当にアッと言う間だった。その反動だろうか、今年の夏休みは10連休だったが兎に角何もしないで無為を貪った。

夏の風物詩とも言える高校野球は佐賀北高校が劇的な優勝を飾った。高校野球の決勝戦、つまり8月20日前後になると、どこからともなく秋の気配が忍び寄ってくるのを感じるのは例年のことだ。

とは言っても記録的な猛暑が続く日本。連日、まだまだ沢山のセミ達が盛んに鳴いて生を燃焼している。日中はアブラゼミ、ミンミンゼミ、早朝、夕刻はヒグラシ。アブラゼミなどは、夜中でも平気で鳴いている。秋を感じさせるのは、ツクツクボウシの声が混じり始めたことだ。

先週NHKテレビではアメリカの17年セミのことをやっていた。17年ごとにいっせいに孵化して1週間ほどで産卵し、幼虫は17年地中に潜ると言う。あと13年セミもいるらしい。13と17は複素数。ここに意味があるらしい。

一方、日本列島ではクマゼミが北上しているという。神奈川あたりでもクマゼミが鳴いてるそうだ。地球温暖化が原因だろうか?クマゼミと言えば、10数年前、瀬戸内海汽船のクルーズで確か、広島県の三原の沖合いの小さな島を訪れたとき、とある境内で無数のクマゼミが猛暑の中鳴き狂っていたのを思い出す。びっしりと幹にとまって鳴いていた。このクマゼミが光ファイバーケーブルに穴を開けて沢山の卵を産んでインターネット通信障害を起こしているというのだからこれまたびっくりだ。クマゼミの声は、私の記憶をさらに10年近く遡らせて、ギリシャのエギーナ島へと誘われる。確か5月だった。強い太陽の日差しとどこまでも青いエーゲ海、そして白塗りの壁が目立つ民家とオリーブの潅木。そこには、やはり、沢山のセミが鳴いていた。

自宅の南天の木になんといつの間にかヒヨドリが巣を作った。あっという間の早業である。2~3日で見事な巣を作ってしまうのだから驚きだ。中を覗くと美しい卵が3個あった。先週から抱卵し始めてちょうど今日で一週間だ。あと一週間くらいはかかるだろう、そしたら雛がかえるだろう。毎朝目が覚めて、洗面所のガラス窓をそっと開けてのぞくと50センチほど先の南天の枝に精妙に作られた巣から長い尻尾をだして親鳥が卵を温めている。ヒヨドリの子育てをじっくり観察できるまたとない機会だけに楽しみだ。

仕事でアメリカ人と最近、頻繁にコレポンしているのだが、先方は夏休みもなく忙しい日々だという。こちらは10日ほど夏休みを取ったが、あなたはいつ休むのか?との問いに、年末年始も含めて3週間のオーストラリア旅行計画を立てているという。動物、特にワニが大好きだという。女性なのだが・・・。 私も、トカゲ・ヤモリ・カメレオンの類には何となく愛着があって好きだ。野鳥(特に雛)もワニも皆なんとなく「恐竜」を祖先にしているようであるが、ワニは正直言って苦手だ。しかし、卵から孵ったばかりのワニはギュッ、ギュッと声を出してなかなかカワイイらしいい。

文章修行のつもりで?ブログを始めたのが1年前。あのウグイスは今年も健在で、先週まで毎朝自宅近くまでやってきて囀っていたのだが、今週からは静かになってしまった。自然の中の昆虫や動物たちに思いを馳せてうだうだと悦に入り続けたい私だが、秋の香りとともに秋本番のスケジュールがひたひたとちょっとばかり憂鬱を伴って身近に迫って来るような、そんな夏休み明けのこの一週間だった。

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N君のこと

毎日暑い日が続く。今日は、朝一番、パスポート切り替え申請に出かけた。前回取得したのが1997年の秋だった。そうかぁ、10年もたつのかぁ。

1997年というと、大学時代からの親友があっけなく他界してしまった年だった。

N君は商社マンでモスクワに駐在していたのだったが、体調を崩して一時帰国、手術、そしてそのまま帰らぬ人となってしまった。享年42歳。あまりにも早すぎる死だった。手術直前に何度かお見舞いしたのだが、まさか、命を落とすと思っていなかったから、軽い冗談を言い合っただけで、そのまま永遠の別れとなってしまった。今でも悔いが残っている。

彼には、五つ貸しがあった。といっても大したものではないのだが、以下挙げてみると:

① 大学時代にヨーロッパ旅行したときの旅行カバン。彼がその後、旧ソ連・ポーランドなどの東欧旅行をした際に貸したまま、とうとう戻ってこなかった。

② ベルギーの生んだ天才ジャズギタリストだったジャンゴ・ラインハルトのレコード。ジャズバイオリニストで大好きなステファン・グラッペリとのデュオも録音されている。

③ ナチスドイツにまつわる演説集や党歌や軍楽隊演奏マーチが収録されたカセット(2枚組み)。スターリンの演説も含まれていた。 ドイツで歌ったら逮捕されてしまうと聞いたが、私は、ホルスト・ヴェッセル・リート(ナチスの党歌)を今でも諳んじて歌える。

④ リンガフォンのフランス語セット。本格的に勉強しかけていたのだが、合間にちょっと貸してくれ、と言われこれも貸したままになってしまった。

⑤ 歌舞伎座の近くのインドレストラン・ナイルの当時のオーナーだったナイルさんが出版した本「知られざるインド独立闘争」の日本語訳。 友人たちとよく足を運んでは定番のムルギランチを食べたものだ。

不思議なものだ。3月に神田の古本屋で偶然みつけて購入したA.M.ナイル氏の「知られざるインド独立闘争」を積んどいたまま、昨日ぱらぱらと読んでいたら、途中でN君の思い出がまた蘇ってきた。

研修でアムステルダムに居たときは、ある晩、先方も研修で滞在していた旧レニングラード(元 ザンクトペテルブルク)から国際電話がかかってきたこともあった。

彼は、少し体が弱かった。どちらかというと商社の営業マンというより、繊細で勘の鋭い、文学者向きだったので、商社に入ったと聞いたときは意外な気がしたものだ。

人懐こくて、甘えん坊で、詰襟の学生服で通った1年次は全優の成績優秀者だったが、2年次に悪友の私に染まり、当時の学生の娯楽だったパチンコとマージャンと競馬にのめり込み、落第した(私は、進級した、成績はまあ可もなく不可もなく)N君。

N君にまつわる思い出は多々ある。歳を取るにつれてセピアカラーに薄れていくのだが、親友として付き合ったN君との突然の別れは、今尚私の心の奥底で傷となって残っていて、何かの拍子に「トシィー!」「トシさーん」という彼の人懐こい声が脳裏に木霊してくるのだ。

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ヒヨドリ・ツバメ・ゴルゴ13とアーサー・ケストラー

8月になってしまった。少し落ち着いてきたが、来週の夏休みを過ぎれば秋学期に向けての準備が始まる。アメリカ人留学生たちもやってくるし、イベントもかかえて大忙しとなる。束の間の一休みといったところか。

自宅のすぐ向かいのSさんの玄関の緑にヒヨドリが巣を作った。しばらく抱卵しているのを観察してきたが、今朝、2階からいつものように双眼鏡で観察すると、雛が誕生していた。親鳥が給餌している。黒や白の昆虫だか毛虫だろうか。盛んに餌をねだる丸裸に近い目も開かない雛(3羽)が、大きく口をあけているのだが、親鳥はそれぞれに餌を押し込むようにして給餌している。そのうちの1羽がなかなか餌を飲み込めずに、難儀している。親は辛抱強く給餌を続けているようだ。ヒヨドリを観察した人によると、成長が早く10日前後で、まだろくに飛べないのに巣立ってしまうという。来週一杯は毎日雛たちの成長を観察できそうだ。

Kストアのツバメの巣では雛達がすくすく成長していた。毎日職場の帰りに道路脇の巣を覗くと、まだ産毛がぼさぼさで嘴が黄色い雛達が、大きな声を上げて口を開け体を目一杯伸ばし、巣から落ちそうだった。最初は、4羽と思っていたら、5羽だと気づき、翌日はしばらく観察していると6羽まで確認出来た。順調だと思っていたのだが、先週末の日曜日の朝、散歩がてら覗いてみると様子が変だ。2羽しか姿が見えない。近くにハシブトガラスがふてぶてしい様子で電信柱にとまって様子を伺っている。やられたな。今日は水曜日で、帰宅途中に覗いてみたが、2羽はなんとか無事のようだった。丸々と太って、涼しげな眼で私を見つめている。もうすぐ巣立ちだろう。

昼休みはこのところ、近くの行き着けの食堂で「ゴルゴ13」シリーズを読みふけっている。まだまだ、シリーズは続いている。たぶん、1~40巻ぐらいまでは20代後半から30歳代前半に読んだと思う。オランダのアムステルダムはホテルオークラの地下階に明治屋とならんで床屋があったころ(1980年代前半だ)、ここでも「ゴルゴ13」が置いてあって、わざわざこのマンガを読みに足しげく通って、ついでに髪を切ってもらったものだ。この食堂では全巻揃えている。一番新しい巻から第一巻まで遡って読んでいこうと思っている。しばらく、昼の楽しみとなりそうだ。

アーサー・ケストラーの自伝「目に見えぬ文字」を最近読了した。長い間、積読状態だったが、読み始めたら、次のページが待ちきれないくらい面白くて一気に読みきった。久しぶりに良い本に出会ったなあと感激する。余韻がしばらく体から抜けない。著者と一緒にしばらく留まっていたい、そんな本だった。

時代は1930年代から40年代にかけてのヨーロッパで、今では想像できないが、第一次世界大戦によって古きよき時代は過去のものとなり、大恐慌が襲い、社会は共産主義革命と国家社会主義(ナチス、ファシストなど)で割れて血なまぐさい争いが続く騒然として時代だった。 ケストラーは、ウィーンの大学を卒業するかしないかの内に、パレスチナを放浪し、倦み、やがてドイツ出版社(有名なウルシュタイン社)に職を得て、ベルリンに住み、ドイツ共産党に入党し、5ヵ年計画で躍進著しいスターリンが指導するソ連(コーカサス・中央アジア)を取材旅行したり、フランスで党の細胞活動にいろいろと従事したり、ジャーナリストの身分でイギリス経由スペイン内戦の取材に出かけ逮捕・死刑判決・釈放、そしてイギリスに落ち着くまでのまさに波乱万丈ぶりが描かれている。

ケストラーは、どうもじっとしていられないタイプで、安楽さと平板を嫌い退路を断って自分を追い詰めて行動するようだ。読んでいて、日本の「田中清玄自伝」を思い出してしまった。

このブログでも一度、書評をアップしてある。

http://birds-eat-bookworm.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_51d8.html

いろいろな読み方が出来るのだろうけれど、印象に残ったことを次回まとめて見たい(続く)

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ちょっと疲れ気味の今日この頃・・・

5月はいそがしく、あっけなく過ぎてしまった。麗しき5月なのに。花鳥にうつつをぬかすにはまだ若すぎる私であると自らを慰めている。 このところ、とにかく余裕がないこの私。バードウォッチングは当分お預けだ。ああ、悲しや。週末に双眼鏡を持って出かけようというエネルギーが湧いてこない。

職場の昼休み時や週末は、時折気晴らしに公園や雑木林などを散策したりはしている。親鳥から給餌をうける巣立ったばかりの愛嬌のあるシジュウカラやムクドリの姿を目にすれば多少の気休めにはなる。気になっていた、コブハクチョウも一ヶ月ちかく8個の卵を抱卵していたが、結局5羽の雛が孵ったようだが・・・。今は子育て真っ最中の野鳥たちである。しかし、何かがもの足りない。ああ・・・俺はどうしたら良いのだろうか?

今年は、ツバメの姿が少ない。とても気になる。自宅近くの雑貨屋さんの軒下のツバメの巣は、ある日突然、破壊されてしまって、親ツバメも雛も居なくなってしまった。どうしたことか。昨年の巣あとで子育てするツバメがあまり居ないのだ。

職場付近の雑木林では、この間、ツミという猛禽を見かけた。ハトサイズの小さな猛禽だ。すぐそばでは何と、オナガの群れ。どうも、近くで子育てしているようだ。

いつの間にか、水辺の葦原ではオオヨシキリが濁声で囀り、近くではホオジロやセッカも囀っている。徳川博物館のある雑木林でイカルも囀っていた。

昨日は、蒸し暑い1日だった。たまらず、昼休みに外でピクニック・ランチを敢行。人一人いない某公園で緑の若葉の香りを吸いながら昼食を取る。キツツキの仲間のコゲラの群れに遭遇した。巣立ち雛だ。近くで、ハシブトガラスがかまびすしい。どうも、様子が変だな、と思って注意深くあたりを伺うと1羽のカラスが地面を歩いている。!? 巣立ち雛だ。飛べなくて地面を歩いている。からかってやろう。30分ほど、カラスを追い掛け回して戯れた。飛べないカラス。親鳥の怒ること、怒ること。すぐそばまでやってきて、木の枝を加えて私めがけて投げつけたり、頭すれすれに飛んできて威嚇したり。うるさく付きまとわれた。

今朝は4時半すぎ、自宅の2階のベッドの中で、うとうととしながら、今年初めてのホトトギスの囀りを聞いた。ウグイスは相変わらず毎日のように囀りに来る。ウグイス君、ホトトギス君に騙されるなよ!(注:ホトトギスはウグイスの巣に卵を産み付けて、ウグイスに子育てをさせる。何故だか知らないが、ウグイスの卵より先に孵って、しかも、生まれたての目が見えないホトトギスの雛はウグイスの卵をすべて巣の外に捨ててしまうのだ!何と言う自然のドラマか)

ちょっと、ばて気味だ。今日は明るいうちに退社。季節を眺める余裕がない今日この頃を思い、俺は一体こんなところで何をしてるんだ、という永遠のテーマがぶり返してくる。

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本と戯れる~私の濫読(3)

翌日の日曜日:

今日は野鳥観察はなし。外の天気が悪い。一日2階で本に囲まれて過ごそうということになる。 

2週間ほど前、新聞でアメリカの作家カート・ボネガット・ジュニア氏の訃報が目に留まった。学生時代に「チャンピョンたちの朝食」を読んだ記憶が蘇った。正義の国アメリカを笑い飛ばすブラックジョークに満ちた傑作だ。卑語もふんだんに出て来る。同氏の「スローターハス ファイブ」は第2次世界大戦でのドレースデン爆撃を扱った傑作で、映画にもなっている。

何故か、大学の授業で使った書き込み入りのテキストとすっかり古びてしまったペーパパックを持っているので、引っ張り出してきて、あちこち、行きつ戻りつしながら、ざっと再読した。

Wide-open beavers inside (女性の秘所のこと)も思い出した。思わず笑ってしまう。この本が出版されたのは1973年だ。ベトナム戦争によってアメリカの社会はがらっと変わったとは1960年代にアメリカのカリフォルニアで労働者として働きながら生活していた作家の石川好も語っているところだ。古きよき時代にFuckとか卑猥語は口に出せなかったのが、公然と女性でも口にするようになったという。

次に手にしたのは、翻訳本「メイキング・ラブ」。10年近く前に翻訳が出て、書評にものった本と記憶する。自分の性生活をここまで正直に赤裸々に語った本も珍しい。しかも、著者はポルノを書くのではなく、れっきとしたピュリッツァー賞を受賞したこともある著名な人だ。

少年時代の性の目覚めから初体験、そして、これまで出会った数々の女性たちとの快楽の探求をつづっている。読み始めると止まらない。セックスに関しては、当人同士しか分からないこととは言え、こう赤裸々に語られると、自分のこれまでのセックスライフがいかにも貧困ではないか、と思えてしまう。ざーっと飛ばし読みしたが、一番最後の箇所でなんと、ドイツの作家エルンスト・ユンガーのキャプテン・リチャードの言葉が引用されているのでビックリした。キャプテン・リチャード曰く「ここが我らの王国、君主国の最良のものにして、最良の共和国。ここが我らの庭園、我らが幸福」。セックスに関しては当事者だけの禁断の世界だ。何をしても許される。お互いが良ければ、ということだろうか。

キャプテン・リチャードとは、ユンガーのSF小説「ガラス蜂」の主人公である。ドイツ語版と英語版を持っているが、これまた、現在までのところ積読状態だ。思い切って、英語版を取り出して読み始めてみた。1950年代後半に出版された本だというが、ユンガーが1998年に亡くなった後に出た再版のようだ。権力とテクノロジーがテーマになっている。誇り高き軍人だが敗戦によって食い詰めてしまっている主人公がキャプテン・リチャードだ。昔の仲間のつてで、最新のテクノロジーを駆使して巨大企業となったZapparoniというイタリア人の経営する会社のセキュリティー担当責任者として雇われる物語だ。100ページほど読み進んだが、なかなか物語は進行しない。主人公は採用面接に広大な敷地にあると思われる本社へと赴くのだが、なかなか謎の権力者Zapparoni氏にたどりつかない。キャプテン・リチャードの軍隊時代の回想が延々と続く。 ここで一休みすることにして本を置いた。

感じとしては、彼が第二次世界大戦中に書いた「大理石の断崖の上で」と雰囲気が似ている。こちらは、ヒトラーのようなタイプを連想させる新しい権力者勢力の拡大と災難の恐怖を一人のアルカイックな生活を送る自由人が、白日の悪夢をみているかのごとく描いた作品である。読後感はなんとも言いようのない奇妙なものだった。

ユンガーだが、時々昔の本を読んでいるといろいろなところで引用されていることに気づいて改めてこの作家の重要性を認識する。日本では殆ど知られていない作家だが。例えば、昨年亡くなったピーター・ドラッカー氏の処女作「経済人の終わり」を最近再読したのだが、第1次世界大戦と世界大恐慌の体験によって何が明らかになったかというと、それまでの資本主義と社会主義は崩壊した、ということと言い切っている。「Modernity(近代産業社会)が要求する目的合理性と機械化は、それ自らの自動運動をはじめ人間が制御できず、人間はその不合理の淵に沈んでしまう非情さに真っ向から取り組み、人間の孤立化と分子化を是認し、本来の存在理由を失ってしまった人間の役割について哲学的表現を捜し求めた」のがユンガーだと。

アメリカのカート・ボネガット・ジュニアの小説もユンガーのように哲学的ではないが、「人間のロボット化」というのが彼のSF小説の重要なモチーフになっている。

毎日、毎日、当たり前のように職場に出勤して、時にはうまく行ったり、時には失敗を繰り返し、日々が過ぎていく自分の生活を振り返ってしまう。自分は本当に幸福なのだろうか?チェーホフではないが、「何故、私たちは本来こうしたい、と思っている生き方ができないのでしょうか?」との呟きとため息が出る。チェーホフは19世紀のロシアの人間を描いたのだが、何と現代の人間(自分だけか?)に通じる言葉を吐いていることか?

日本で活躍しているハンガリー人の天才数学者?にして大道芸人としての趣味を持つピーター・フランクル氏は、何故、日本に住んでいるのか?と聞かれ、日本人のサラリーマンの生活を自分もしなければならないとしたら、日本には住まなかっただろう、というのは意味深長である。日本は治安も良いし、住みやすい国であることは確かだ。公的・私的なサービスも海外に住んだことのある人なら、一長一短はあるが、比較にならないくらい日本の方が良いと思うはずだ。ああ、それなのに。なんなのだろうか?この息苦しさは?

ユンガーの生きた時代は確かに、悲劇的だった。第一次世界大戦と第二次世界大戦、その間、革命騒ぎが世界のあちこちであったし、沢山の血が流れ、無辜の人々の命が失われた。

その不条理を、平和ボケしたこの現代の日本人、いや、当のヨーロッパ人も忘れてしまっているのではないか。戦後(古びれてしまった言葉だ)60年近く、西ヨーロッパと北米と日本は繁栄を謳歌してきたが、また、あのような(私自身経験のない)不条理な運命に苛まれることがないと誰が言えようか?しかも、現在は、ポストモダンの言葉とは裏腹に、ますます、グローバリゼーションの名のもとに、テクノロジーによる権力と支配は巧妙に行われているではないか?

その意味で、想像を絶する不条理と恐怖を身をもって体験して、激動の時代を行き抜いたユンガーの紡ぎだす言葉には、進歩する物理的環境とは裏腹に、進歩することのない人間の意識・無意識への強烈な照射があって、魅惑されるのだと思う。

フランス人の哲学に寄れば、「幸福とはおいしい食事をすることと、魅力的で美しいパートナーとセックスをすること」に尽きるらしい。確かに、これはもっともなことだ。しかし、これだけでは人は生きていけないことも確かだ。人生の大半は、この快楽を享受するための前戯ではないだろうか?前戯だけで本番がなければ、まさに不幸だが。しかし、もっと本質的なことは、食事とセックスだけではやはり十分ではないということだ。そして人生の大半はそのための前戯でもないのだ。権力と名誉というものがある。「人生は舞台、そしてあなたは役者」だとすると、やはり、人間は何らかの役割を担う運命にある。そして、そこには権力の行使の問題が不可避的に出てくるのだ。死を賭けた戦争でも、またその擬似体験版である、企業間の競争と優勝劣敗。日常生活の中での経済活動の単位となる組織の中に於いても。男女関係もそうだし。

以上は、年に何度か、ふと深い物思いに浸る瞬間に湧き上がって来る問いだ。そして、また、日々の忙しさに打っちゃることで、しばらくは、意識の外に宙吊り状態のままにしておくのだ。

私は、ずーっとこの繰り返しで今まで生きてきたような気がする。

某月某夜、深夜過ぎ就寝。

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本と戯れる~私の濫読(2)

本をパラパラめくりながら、物思いに耽っていると午前中はあっという間に過ぎてしまった。

昼食を取って、しばらくゴロゴロしながら休む。そして、昼寝でもしようかと思い2階のベッドにおもむろに入る。たまたま目に留まったミケシュの「いかにして70歳になるか」を手にする。英語版だ。1度読んだことがあるが、随分昔のこと。最近は、仕事柄、しっかりした英語を勉強せねばと、持っている英語関連の本を再読し始めた。辞書を引かずに、100万語読む。確かに、辞書を引かなくても大体の意味は分かるし、ストーリーに引かれてずんずんと読み進めた。著者はハンガリー出身のジャーナリスト。第二次世界大戦勃発とともにイギリスに亡命・帰化してしまったがこの本は晩年に書かれた自伝である。

第1次世界大戦直前にハンガリーの田舎町に生まれ、敗戦とハプスブルク帝国の崩壊、ジャーナリストになる夢を追いかけ、両親と妥協の末、ブダペスト大学で法学博士号を取る勉強の傍らジャーナリスト修行との掛け持ちの日々。映画や舞台の批評を書き、女優と浮名を流したりする。ミュンヘン危機とロンドン取材。第二次世界大戦中でのBBC関係の仕事。1945年、祖国解放の年、母国ハンガリーには帰国せずにイギリスに留まる。

出版した「いかにして外人になるか」はベストセラーになり、以後ユーモア作家として成功する。数々の旅行記を著す。高名な数学者である弟が勤めるプリンストン大学ではアインシュタインと知遇を得て自著を献呈したくだりや、同じブダペスト出身の作家アーサー・ケストラーとの出会いと友情関係の話が出てきたり、ハンガリー危機の際のBBC取材や、趣味のテニス、妻、子供たち、人生訓、そして、時折織り交ぜられるジョークが楽しく、あっという間に再読完了。日曜の午後、外は天気が悪くて寒かったが、いい本を読んだあとの余韻に浸ってポカポカ気分になる。

アーサー・ケストラーは気になる作家だ。ミケシュの著書で知っていたが、第2次世界大戦前から戦後の1時期にかけては、ジャーナリスト兼政治的著作物で著名であったが、ある時期を境に、哲学(科学論・オカルトなど)にのめりこんで、次々と本を書き、最後は、病を得て婦人と心中してしまった。手元には、彼の後期の著作「ホロン革命」や「機械の中の幽霊」もあるし、自伝で唯一翻訳が出ている「目に見えぬ文字」もある。さらに、ロンドンのチャリングクロスの本屋で偶然購入した評伝「Arthur Koestler Homeless Mind」(英語版)も本棚に見える。いずれも読みかけのまま放り出しておいたものだ。唯一読破してのは彼の「スペインの遺書」である。スペイン市民戦争の取材で出かけて、フランコ政府軍の捕虜になり死刑の判決を受けて収容されてイギリス政府関係筋の尽力で解放されるまでの自分の心中を綴ったドキュメントである。毎晩死刑囚の銃声を聞きながら・・・いつ自分の番が来るのか、おびえながら・・・。

書き出しの1行で、魅了されて引き込まれてしまう本がある。ケストラーの「目に見えぬ文字」もそうだった。

「清らかな泉に赴くように、私は共産主義に赴いた。そして、水禍に見舞われた町々の残骸と溺死者の死体の散乱する汚濁の川から這い上がるようにして、私は共産主義を捨てた。」

東京は八重洲ブックセンターで偶然この本を見かけて手にしたとき、最初のページを開いてこの書き出しに出会ったとき、「雷に撃たれたように」惚れ込んでしまった。定価6000円。高いなぁ。本棚に戻した。その後、何度かこの書店に立ち寄るごとに、この本のそばを通りかかると、この本が気になり、そのたびにこの本を手にして、最初の書き出しを読み返し、目次を眺めたものだ。その後忘れてしまっていたが、数年後のある日、再びこの本を目にして、ついに購入した本だ。こうなると、本の内容よりもその出会い方と書き出しだけで購入したのか、といぶかりたくなるが、現在四分の一まで読了している。 

夕方、家族で夕食団欒のひと時を過ごす。そして、お風呂に入り再び2階へ。再び英語の本に手を伸ばす。「Excuse me, Miss, have you seen the Acripolis?」だ。副題が、A Foreign Woman’s Guide to Greek Godsとある。今から20年以上前のこと、アムステルダムで研修していたころ、友人とアテネに遊びに出かけた。確か、5月のことだ。23日。ジュネーブ経由で今はもう無くなってしまったスイス航空で飛んだ。到着してタラップを降りてビックリしたのは、ヨーロッパの香りというより、中近東の香りを強く感じたことだ。エキゾチックだった。タクシーで街中のホテルへ。併走するオートバイには胸毛が見えるにやけたギリシャの色男が、後ろにこれまた挑発的な美女を乗せていた。

青いエーゲ海と白い家々が軒を連ねるエギーナ島では沢山の蝉が真昼時あたり一面で鳴いていた。アテネのリカビトスの丘、パルテノン神殿、シンタグマ広場、ウーゾ酒の香り、ブズーキという弦楽器とギリシャの踊り。泊まったホテルは道路に面していて、夜通し車が行きかい、煩くて眠れなかった。すべては遠い昔のセピアカラーで忘却のかなたに消えようとしている。

黄色い背表紙のこの一冊の本。アテネに魅了される北欧、イギリス、ドイツ、アメリカ、オーストラリアの白人女性たち。いわゆるプロテスタントの国々の白人女性たちが、イタリア人以上に?情熱的なギリシャ人男性に追い回され、女として目覚め、恋に落ちていく。女性向けのユーモアたっぷりの指南書である。シンタグマ広場で、エーゲ海の島々で、バスの中で、ディスコの中で、いたるところで、貴方はギリシャの男たちの恋のターゲットになる。

最近は知らないが、バリ島は恋を楽しむ独身の日本人女性の隠れたスポットであると聞いたことがある。豊かな国で生活しながら、何か物足りないのが人間の常。主人公のサンドラは一旦、ギリシャを去り、ニューヨークの友人の家に身を寄せるが、忘れられないギリシャの味。最後は、再びギリシャの地を踏むところでハッピーエンド。だが・・・・その後のサンドラはどうなっただろうか?映画「卒業」のダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスのその後が気になるように。など、つらつら思いながら22年ぶりにこの本を読了。

(続く)

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本と戯れる~私の濫読(1)

このところ、ずーっと週末は野鳥観察以外はどこにも出かけず、読書に没頭。書物に淫する日々だ。私の読書は大方、以下のような経過を辿る・・・。

たとえば某月某日の土曜日:

たっぷりと熟睡した心地よさで目覚めた土曜日の朝。ゆったりと朝食を済ませると、まずトイレに入る。春のぽかぽか陽気に誘われて、「春眠暁を覚えず」の漢詩が思い出される。やおら、「杜甫」の漢詩をトイレに持ち込んで漢詩を2,3読む。李白とか王維でも良いのだが。漢詩は唐の時代が圧倒的にすばらしい?というのは、素人の思い込みに過ぎないだろうか。私の読解力は高校時代とそう変わらない・・・。

彼らは、今から随分昔(1200年~1300年前)の唐の時代の大詩人だ。唐は、言ってみれば我々日本人の文化に多大な影響を与えている。明治に至るまで「中国」は日本に影響を与え続けて来たと言えるのだろうけれど、唐の時代のインパクト、日本国をあげての?没頭ぶりを考えれば、唐以降の日本と中国の関係は今日の日中関係と同様あまり親密ではなかったように思えると思うのだがどうだろうか?

中国人に言わせると、日本の皇室の雅楽は、唐の時代そのままの中華文明の文化遺産に他ならない。中国人の反応でおもしろいのは、日本の歴史的建造物、例えば、奈良時代の法隆寺にしても、偉大な中国の分家よろしく、日本に中国文化が保存されている、という感覚らしい? 

我々日本人にすれば、アメリカのエンパイヤーステートビル(喩えがちょっと古いか?)よろしく20世紀のテクノロジーの粋をコピーして、東京にモダンな高層ビル群を現在もどんどん作り続けているのだが(日本だけでなく、全地球的にそうなっているのだが)、1300年後のアメリカ人が六本木ヒルズだか汐留のビル群を見てどうコメントするだろうか?そういえば、アメリカには「猿の惑星」という映画があって、最後のシーンは衝撃的だった。東京にも1300年後の未来には同じように、廃墟となった砂浜にうずもれるビル郡だけが残っているかも知れない。尚、穿った見方では、猿の惑星の猿とは実は日本人なのだそうだ。

韓国の時代劇ドラマでは、白装束の文民貴族(やんばん)が出てくるが、あのスタイルは、中国は明の時代のスタイルそのものだという。明の風俗がそのまま朝鮮半島に残っているのだ。本家中国は、清王朝の支配で、すっかり風俗が変わってしまったのだという。チャイナドレス自体が、チーパオという満洲人がもたらしたファッションなのだそうだ。

漢詩で始まった朝の読書は、以上のような連想飛躍があって、2階の「聖域」にあがり、最近出版された「シルクロードと唐帝国」(守安孝夫著)につながり、続いて「DNAから見た日本人」(斉藤成也著)をパラパラと覗くことになる。

前者は、唐という大帝国は、実はユーラシア大陸の交通路のなかでペルシャ系の商人(ソグド人)や匈奴、突厥などモンゴル系、トルコ系の騎馬民族の交易ネットワークに乗った大帝国だったことを詳細に述べている。安史の乱の主人公安緑山はソグド人の父とトルコ人の母の間に生まれたらしい。李白の詩にも歌われうる胡姫とは、ペルシャ系の白人の踊り子であったという。唐の時代の西安は、現代のニューヨークかロサンジェルスといったところだろうか?

後者で面白かったのは、ミトコンドリアDNAの遺伝子系図とやらで、中国の山東省あたりの遺跡の人骨を調べて見ると、今から2500年前の春秋戦国時代の当時埋葬された人たちは、現代ヨーロッパと中近東から中央アジア集団の中間の人間タイプが多く発見されるという。ところが、500年後の前漢末期の時代の人骨を調べると、中央アジア集団タイプになる。現在は、いわゆる日本、朝鮮半島も含めた東アジア集団のタイプで占められているという事実は驚くべきことである。古代中国においては、現在の東アジアとは想像もつかない西ユーラシアの人々の集団があったこと、秦が倒れて項羽と劉邦の戦いで漢が興った内乱でおびただしい人名が失われて空白地帯に新しい系統の人間が入り込んだことはこれと関係があるらしい。

文明的に孤立した日本のことをいろいろ最近考えているのだが、なかなか刺激的である。日本古代の縄文人と弥生人のミトコンドリアDNAはさてどうなっているかというと、大方の予想通り、現代の東アジア人集団に共通する。いってみれば、中国も朝鮮も台湾もフィリピンもマレーシアもインドネシアもモンゴルもだいたい似たり寄ったりということだろうか?後は、北海道出土のものでは、ヨーロッパ人のものと一致するのがあるというのが目を引いた。

(続く)

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春先の憂鬱・ゲーテ・ツバメ・そしてオオイヌノフグリ

春先の憂鬱に襲われ、今一つ気分が晴れない。来週から、新学期が始まるし、何となく落ち着かない。久しぶりに感じるほのかな不安と期待・・・。

昨夜は、帰宅して手作りのジャーマン・ポテトを肴に久しぶりにビールを飲み、赤ワインを飲んだ。玉ねぎ・ベーコン・ジャガイモを良く炒めて、青いパセリを振りかけて食べるシンプルなものだが、美味かった。この時ばかりは、味覚に集中してしばしの幸福感を味わう。 満ち足りて、2階へ上がる。本が山のように積まれている私の聖域だ。

ゲーテの本をたまたま手にする。ファウスト第二部の最後の有名なくだりが、目に留まる。

Alles Vergaengliche ist nur ein Gleichnis   すべて移ろい行くものは、永遠なるものの比喩にすぎず ・・・ 高橋義孝氏の註を読むと、「般若心経」にいう「空」のごときか。真の実体を持たぬ現象界の諸事物、とある。なるほど・・・。

ゲーテ関連の本は、今まで敬遠してきた本だ。「イタリア紀行」を紐解いたこともあるが、イタリアに辿り着く前のところで、鉱物がどうのこうので、昔やめてしまった記憶がある。数年前、再び手にして、ヴェローナまで一緒に旅したのだったが、そこで止まったままだ。

野鳥観察を始めて、動物行動学で著名なオーストリアのコンコンラート・ローレンツ著「ソロモンの指環」を面白くよんで、さらに色気をだして、「攻撃」(悪の自然誌)に手をだしてみると・・・各章の扉にはゲーテの箴言が引用されていて気になっている。 たとえば第3章だと:悪の役割について~つねに悪を欲しながら善を生み出すあの力ですよ・・・。どこからの引用だろうか?

そろそろ、ゲーテが分かる歳になったか!と、柴田翔氏の「ファウスト第Ⅰ部を読む」を手にしてベッドにもぐりこみ、読み始めたが、結局眠くなってそのまま寝入ってしまった昨夜。

今朝は、5時半に目覚ましがなって起きた。久しぶりの早朝バードウォッチングを敢行。

心軽く双眼鏡を持って家を飛び出す。歩き出してすぐに、ツピッ、ツピッというあの懐かしい声が聞こえる。ツバメがやって来た!近くの産婦人科病院前の電線に2羽のツバメの番が羽を休めていた。心躍る瞬間である。

今日は、どんよりと曇り、時折薄日が差すだけの肌寒い陽気だったが、先週に続いて約40種の野鳥に出会った。囀りも沢山聞いた。ヒバリ、アオジ、ホオジロ、ヒガラ、シジュウカラ、カワラヒワ、メジロ、ヤマガラ。キジも声を振り絞っていた。コジュケイもやかましく鳴いていた。まだ、ルリビタキやジョウビタキもいる。ツグミ、イソヒヨドリ、ベニマシコ、シメ・・・・・。 私の秘密の探鳥スポットだが、一種だけ、初めて聞く野鳥の地鳴きがあった。ひょっとしてガビチョウかもしれない。双眼鏡で捉え損なって残念。

野鳥観察にのめりこんでいると、野鳥が食べる植物の実の存在を意識するようになり、樹木や草花全般にも興味が沸いてくる。中公新書の「日本の樹木」「続・日本の樹木」は美しいスケッチ付きで楽しい本だが、最近、同じ出版社から、「雑草のはなし」が出た。早速買ってきて、パラパラ美しい口絵の写真を眺めたり、雑草についての知識を仕入れた。 一気に読みきる本ではないが、コタツやベッドにごろりとなって、気ままにページを開いて、ああ、どこかで見た木だな、ふむふむ、なになに、と普段何気なく見ているようだが実はよく知らない植物の秘密に触れるのは無上の慶びである。

オオイヌノフグリを始めて意識して見たのは、埼玉県の見沼界隈をぶらぶらし始めたころだと思う。野原でたむろする沢山のヒバリに驚いて双眼鏡で覗いていたら、瑠璃色の可憐な花が一緒に飛び込んできたのだった。名前が良くない、と「雑草のはなし」の著者も言う。花が咲いて、受粉して、実を結ぶのだが、視覚的に犬の陰嚢に似ているからこの名前が付いたというが、花自体はなかなか美しい。英語では、宝石にちなんで、名づけられているという。何という違いだろうか? Wikipediaで調べて見ると、日本で見るこのオオイヌノフグリは帰化植物らしい。

実は、ニュージーランドのハミルトンに滞在した2年前の8月後半、ということは、現地は、冬なのだが、ホテルの近くの川沿いを散策して、このオオイヌノフグリを見つけて、日本と同のがあるじゃないか!と不思議な感動を覚えたことが思い出される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B0%E3%83%AA

オオイヌノフグリのほかに、ナズナ、西洋タンポポ、カントウタンポポ、ホトケノザ、スミレなどが、あちこちに咲いていて、今日は、「雑草の話」を復習しながら、10時過ぎに、満ち足りて散策を終えた。もちろん、目はキラキラ、心は空っぽで。

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春はそこまでやって来た・・・。

しばらく、ブログを留守にしてしまった。その間、北朝鮮の核問題に進展があった。日本にとって進展だろうか?アメリカの譲歩ばかりが印象に残った。ブッシュ大統領も以前の強硬さが嘘のようトーンダウンしてしまった。「金正日相手にせず」、は正しい選択肢ではなかったか?民主党の前原ナントカが、日本だけが置き去りにされるとか、馬鹿なことを言ってるようだが・・・。日本としては、拉致問題を解決すること、この原則を曲げてはいけない!と思う・・・。

2月半ばに留学生達が帰国して、ホットして呆けていた。気がつけばもう3月。暖冬で梅の花はいつもより早く開花しているからだろうか、地元の梅を見に近隣県から週末は沢山の人たちがやって来て結構賑わっている。夕刻、仕事が終わって徒歩で帰宅途中、生暖かいような、しかし、やっぱり冷たい春先の夕風にあたりながら、梅の香りが漂って来て、心地よい。陶然としてくる。

帰国していったアメリカ人留学生だが、顔ぶれを思い出しながら改めて、アメリカの多様性に思い至る。今回の顔ぶれは実に多彩だった。フィリピン系もいれば、中国系、ユダヤ系、中南米系もいる。日系人も3人いたが、一人は5世でかろうじて東洋系の柔和な特徴は残しているかと思えば、一人は外見はまったく日本人と変わらないし、最後の一人はどう見てもメキシコかスペイン系に思われる日系3世(白人の血は入っていない)だった。かと、思うと、韓国の血が4分の1は入っているのに、みかけはまったくの白人もいれば、・・・・・という具合である。

中国系の学生は、漢字が全く苦手だという。 典型的なホワイト・アングロサクソン・プロテスタントかなと思った白人青年も聞いてみれば、父はアイルランドで母はカナダ・ケベック出身のフランス系だという。カトリックだろう。ハワイ育ちで、子供のころから日本人とも遊んでいたので日本文化に興味を持ったそうだ。どうだろう、この背景の多様さ。

2週間ほど前から、ウグイスがホーホケキョの一歩手前の中途半端な声で「ぐぜり」だしていたので、そろそろだな(昨年の日記を見ると初鳴きは38日だった。)と思っていたら、先週金曜日の早朝のキャンパスで、ついに今年の初囀りを聞いた。しかし、完全なホーホケキョではなく、ホーがなくて、ホケキョ、ホケキョだけだったが、どうしてなのか?

ウグイスの囀りを聞いたその日は、午後から休みを取って、2ヶ月ぶりに上京した。12日の羽伸ばし。昔の職場の先輩・同僚・後輩で飲んだり、またまた、神田古本街をうろついた。 土曜日は、歌舞伎座のすぐそばにあるインド料理屋「ナイル」でカレーを食べて帰ろうと思っていたのだが、神田をうろついていて、偶然にも「知られざるインド独立闘争[.A.M.ナイル回想録]」という本に出くわした。20数年前、まだオーナー社長のナイルさんが健在だったことから贔屓にしていた店で、この本が出版されたばかりのころ、カレーを食べながら、インド独立闘争のチャンドラ・ボース一派で戦ったナイルさんの話に感銘、購入したのだった。しかし、この本は、読み損ねたまま、友人に貸してそのまま行方知らずになっていた。その友人は、10年前の冬の寒いある日、急遽、心臓疾患で手術をしたまま亡くなってしまった。ああ、N君。まさか、亡くなるとは思わなかった。あっけなくこの世を去ってしまった。このN君とは、ナイルの定番メニュー「ムルギランチ」をよく一緒に食べたっけ・・・。

今朝は、コートなしで職場に出かけた。早朝のキャンパスをしばらく散策する。このところ、毎日のようにエナガのカップルに出会う。昨日も、笠原水道にある雑木林で、エナガのカップルに出会った。双眼鏡で覗くと、嘴に羽を一杯くわえている。もしや、巣の素材集めか?もう巣作りを始めたのだろうか?目の前の姿があまりにも可愛らしくて、思わず近づくと、エナガはよそよそしくなり、一杯くわえた白い羽を空中に捨てて知らん振りの仕草。インターネットでたまたま巣作りの様子を見つけたがまさに、こんな感じ!

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近くでは、ヒガラ(シジュウカラの仲間)が、美しく囀っている。つぴち・つぴち・つぴち・つぴち・・・テンポが早い。音程も高い。そしてなかなか美しい。うっとりとしてしまった。ヒガラの囀りは、2番目をクリック願います。こんな感じでした。http://www.birdlistening.com/home/bird/tit.htm

時折、遠くから、オオタカの鋭い鳴き声もする。その音源に近づこうと林の奥へ歩いていくと、ところどころに、野鳥の羽が沢山落ちている。どうも、オオタカの餌食になったカラスやハトの残骸のようだ。オオタカも2羽いるようだ。こちらも、ツガイだ。巣を構えようとしているのか?

突然、すぐ近くでまたまたオオタカらしき鋭い鳴き声。目をやると、すーっと、白いオオタカが飛翔して50メートくらい離れた大木の緑の中に姿を消した。そして、また、鋭い鳴き声、警戒信号を発している。すると、すぐ近くから別のオオタカの反応があった。 

春・春・春はそこまでやってきている・・・。

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今日は金曜日・・・完璧な瞬間・・・

ブルーマンデーで始まったこの一週間もあっと言う間に金曜日。今年初めて、5日間通しで仕事をした。大学は、これから試験期間に入る。今週末は、センター試験会場にもなっていて、今日のキャンパスはその事前準備もあり静まりかえっている。授業はないし、学生は居ないのだ。

今朝は、いつものように通用門前で車を降りると、アレッ、通用門が閉まっている?! 今日は使用できないのだ。ゴッドダムン、マンマミィーア、オララー、フェアダムト、キスマイアスホール・・・・・ 仕方なく、3分ほど歩いて別の門からキャンパスに入り、雑木林の中を歩く。右手の方をアメリカ人のB先生が歩く。軽く手を振って挨拶。この先生にはよく雑木林付近で会う。近くの住民なのだ。

さあ、仕事前の、早朝バードウォッチングだゾ、と、意気込んでキャンパスを一回りするが、野鳥は残念ながら、シメの姿をちらり、それから、ウグイスの笹鳴き、シジュウカラ、ヤマガラくらいだった。ハズレだ。日によって当たり外れがある。職場のビルに入ろうとした時、フィーッという、聞き慣れた、口笛に似た声がした。ん?ウソだぞ!?。辺りを見やると、3羽、4羽の姿が自転車置き場のそばの桜の木にとまった。早速、双眼鏡を取り出して、その姿を眺める。♂一羽、♀2羽を確認。ニンマリする。これで、やっと満足。オフィスに入り、一日の仕事に取りかかった。やれやれである。

お昼休み。N氏と近くの洋食屋で週一度の会食とお喋り。スープ、生野菜サラダにイタリアン・ドレッシング、ミニハンバーグと鶏肉のソテーとペンネパスタ添えにご飯、最後はミルクティー。久しぶりに、洋食系のボリュームのある食事・・・。一時は肥満気味であったが、この1年ちょっとで、体重は、6キロ~7キロは落とした。 メタボリック症候群が怖い。 

お喋りの方だが、この職場の大先輩は、いろいろと学内の裏事情を教えてくれる。理想と現実の乖離、将来への不安は、少子化とこのグローバリゼーションの時代においては、どこでも同じなのだと分かった。そして、組織内部の人間関係、と言えば、これまた前の職場のレッスンから推し量られること多々あり、と納得。 私には、いわゆる、人を押しのけて、大きな組織を動かして、どうのこうの、という野心が全く欠けている。早くも20代後半で気がついた。やっていることが、自分には合わないなぁ~、と思いつつズルズルと40代後半まで引きずってしまった。「俺はこんなところで何をやってるんだ」と思い悩みなら・・・。そうかと言って、特に他にやることがないから、ズルズルしたわけだから、大きいことは言えないんだけど。

26年ほどどっぷりと浸かった前の職場での「世界」から足を洗って、今は、まったく違う「世界」に身を置いている。まだまだ私は新参者である。それだけに、この新しい「世界」は新鮮で、気分は高揚している。自分が若返った感じだ。「世界」という言葉があるが、実態はまちまちである。政治家の世界、サラリーマンの世界、独立自営の商売人たちの世界、教育界の世界、芸能人の世界、プロスポーツ選手の世界、資産家にして労働に無縁な暇人の世界、ホームレスの世界、などなど数え出したら限がないのだが、それぞれが身を置いた具体的な環境を通して「世界」なるものをイメージするのだ。 そして、これらの「世界」の中にはさらにこまかく無数の小さな違いで分類されるサブ・世界があるのだ。

私の願いは、どの世界に身を置こうと、人畜無害でいいから、ただ、ひたすらそれなりの仕事はするから、生きていくだけの必要なお金をもらって、自分の道楽に没頭できればいい、ただそれだけである。 去り去りて、我が楽しみを一人せん、である。

1年前のちょうど今頃、東京で前の会社の同期の人間と酒を酌み交わした。2次会を終了して、上野駅に急いだが乗り遅れて、やむなく、野宿ではないが、都内某所で夜を明かしての翌日の朝帰り。 前日夜から、ミゾレ混じりの雪であったが、その朝は大雪だった。○戸駅に到着すると、あたりは真っ白の銀世界。雪が日常の喧騒を吸収して、静寂があたりを支配していた。疲れていたが、寒気で目が覚めて、降りしきる雪の中、凍えながら千○湖周辺を経由して、自宅まで30分ちょっと歩いた。オオハクチョウやカモ類も寒そうにしていた。い○○広場の小さな滝の周辺で一息ついていると、銀世界を背景に、コバルトブルーが一層映えた美しいカワセミが目の前に現れてビックリした。いつもなら、散歩する人でにぎわうこの界隈も、雪の中の幻想的な世界で、私は、しばしの間、カワセミ君(確か♂だった)と対峙したのだった。完璧な瞬間だった。我が人生の忘れ難きスナップショットの一つになるだろう・・・・・。

無事、仕事を終えて、暗くなった夕刻。 北風が吹きすさぶ道を30分ちょっと歩いて、帰宅。イワシの竜田揚げとベーコンとキャベツの炒め物を肴に、白ワインを飲む。金曜日の夜の安堵からだろうか、酒が美味い。仕上げは、ビーフカレー。帰り道、スーパーで買ったカキフライを2個もおまけで載せる豪華版、カキフライ付きビーフカレー。

コタツに入って、夢想の続きに耽る。完璧な瞬間なんてそうあるものじゃない。人生、苦しさと楽しさは半分ずつだろうか?高学歴の職場の女子職員(私より英語が出来るし、頭の回転も早い)が、「・・・・・・さん、幸福ってなんですかね?」と最近、神妙な顔で聞くので、「そんなことを意識しないで時間が過ぎ去る瞬間じゃないっスか」と答えたことを思い出した。どこかで、誰かが言ってたような台詞だけれど。

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大阪万国博覧会と70年代前後のヒット曲・・・

ブルーマンデーの今朝の冷え込みは格別だった。大寒である。寒い、寒い、寒い。

それでも、ちゃんと起きて、朝食を摂って、早朝キャンパスバードゥウォッチング(キツツキのアカゲラに遭遇した)後、午前中の仕事をこなし、お弁当持参の昼間のバードウォッチング(ルリビタキ嬢とも束の間の「真昼の情事」を楽しんだ)で一息ついて、午後の仕事を又しっかりこなして、無事終了、今日は定時で職場を出て帰宅した。

帰り道の好文橋はびゅうびゅうと冷たい北風が吹いていたが、もう購入してから10年になる高級!イタリア製の皮のコートだから、凍えたりはしなかった。

やれやれ、である。帰宅して、ゆっくり食事を摂る。舞茸の天ぷらを肴にフランスの白ワインをグラスで一杯やる。うまいぞ!仕上げは、牛肉豆腐をご飯にかけてハフハフと頬張って、お腹が一杯になった。よっこいしょ、とコタツに入り、NHKニュースを見る。東アジアサミットの議長声明に「拉致問題」が明記された。またも、韓国は最後まで反対したらしいが、中国は、日本に譲歩した形となった。死体バラバラ殺人事件があったかと思えば、不二家の明治乳業を思い起こさせる不祥事事件報道・・・。

年末に入会した野鳥の会の地元支部から、会報が届いた。どれどれ・・・。近場はほぼ制覇したナ。2月になったら奥久慈に遠出して、ヤマセミとカワガラスが見たいナ、などと、ひとしきり物思いに耽る。

そして、お茶を飲みながら、久しぶりにテレビサーフィンする。テレビ東京にチャンネルを合わせると、1970年の大阪万国博覧会がテーマ。当時、私は14歳で中学3年生。軟式テニスの全国大会に出場(一回戦で島根県に接戦で勝つも、二回戦で愛知県代表に力負け。女子は全国優勝したのに・・・)、戦ったのは、今も日比谷公園に残るテニスコートが会場だった。終わってそのまま東京駅に向かい、新幹線に乗り、父に連れられて京都へ。すでに出発していた仲間に合流。関西修学旅行だ。それで、確か、大阪の万国博覧会も行ったはずなのだが、何も覚えていない。太陽の塔だけかろうじて覚えているだけだ・・・。ソ連館もアメリカ館も長蛇の列で見られなかった。

万国博覧会よりなつかしかったのは、バックに流れる音楽だった。ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」(1月25日訂正。「悲しき鉄道員」はこれはこれでイイのだが)。あのビートの効いた、軽快なロックのリズム。思わず体をくねらせて踊りたくなる。数年前のシドニーでもあるカジュアルなパーティでこの音楽を聴いて、涙を流しそうになった・・・。

次は、ニルソンの歌う「うわさの男」(映画「真夜中のカーボーイ」のテーマソング)だ。地元のオデオン座で確か、「明日に向かって撃て」の2本立てを見に行ったんだった。「明日に向かって撃て」が本命だったが、何故か、終わって見れば「真夜中のカーボーイ」の方が印象に残ったのだった。

その次に流れた音楽は、題名が思い出せない。確か、パートリッジファミリーだ。パーパパッパパァパ、パーパパッパパァーーー。I Love You何とかかんとか。

そして、番組最後は、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」だった。いやぁ、懐かしいナァ。スリーフィンガーピッキングのギター伴奏とあの、清楚な声。当時はフォークソングが全盛時代だった・・・。PPM,ボブ・ディラン、ブラザーズ・フォー。

家族が寝静まり、デザートのアイスクリームを食べて!、お風呂に入って、2階に上がり、日記をつけてもまだ、頭の中でメロディーが止まらない。今日は、しばらく、寝付けそうもない・・・。

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遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

2007年の元旦は静かに終わった。昔から正月は何もしない。家族だけでゆっくりと手作りのおせち料理を食べて、ごろっとしてミカンを食べたり、テレビを見たりで終わってしまう。ここ3年ほどは、大晦日を東京で過ごして、元旦の夕方帰郷するというパターンだったが、今年は大晦日も元旦も自宅でゆっくりした。

BS放送で、ギリシャの鉄道旅行をやっている。トルコ国境かギリシャに入り、寄り道しながらカヌーに乗ったり、メテオラの修道院を見下ろす石山に上ったり、アテネでは、影絵劇場に飛び込んだり、サントリーニ島の白い家々を見たら、自分も20年以上前にギリシャの小さな島で見た青い空と海、強烈な日差しと蝉の合唱を思い出した。

昼前に、弟夫婦が新年の挨拶でやってきて2泊3日していった子供たちを引き連れて明日は、スキーにいってきまーす、と帰っていって、家の中はホッとして静かになった。早めの夕食を取って熱いお風呂に入って、両親は早々と就寝。 

年末はバードウォッチング三昧でほとんど家に居なかった私だが、さすがに今日は朝寝坊して、朝から酒を飲み、おせち料理に舌鼓を打ち、ゆっくりくつろいだ。 暖房をがんがん効かして(この地方都市は東京より気温が2度、3度低い!)、コタツに入り、本を読み始めた。 濫読だが、「毛沢東の私生活」と「朝鮮半島核外交」(重村智計著)をぱらぱらと読みながら、テレビのスイッチを入れる。 

恒例のニューイヤーコンサートをやっている。指揮はズービン・メータ。ヴィーナー・ワルツとフォルクス・オーパーのバレエ団の優雅な演技、ハプスブルク家ゆかりのお城と豪華な部屋・・・。ズービン・メータが英語とドイツ語でEUに2007年1月から加盟したルーマニアとブルガリアの紹介とお祝いの言葉。ルーマニアはカトリックだけれど、確かブルガリアはギリシャ正教じゃなかったっけ。EUなの?

終了した直後に、急に、思い出したようにルキノ・ビスコンティ監督の「夏の嵐」(原題はSensoで、官能の意味らしい)を深夜過ぎまで見てしまった。あっという間の2時間だった。

時代は1860年代のベニス。ガリバルディのイタリア統一運動でイタリア・ナショナリズムが燃え盛る中、ベニスはいまだにハプスブルク家の支配を受けていた。 冒頭は、ヴェルディの「イル・トロバトーレ」の有名なアリアのシーンらしい。字幕を見ると、音楽はアントン・ブルックナーが使用されるようだ。

ハプスブルク帝国の破滅の予感とイタリアのはげしいナショナリズム革命の騒がしい背景のなかで、支配者のハプスブルク家の駐留軍人とベニスの伯爵夫人の破滅にいたる不倫がテーマ。

伯爵夫人は、革命に身を捧げる従兄の軍資金を預かりながら、最後には、裏切ってその金をほれてしまったハプスブルク駐留軍人中尉フランツ・マーラーに渡してしまう。時まさに、イタリア軍とハプスブルク・オーストリア軍の戦端が開かれた時である。伯爵夫人は、戦争中の物騒ななか命がけで馬車を走らせベローナの中尉を尋ねるが、騙されたことに気づく。 金目当ての中尉には若くて美人の娼婦がいて、彼女のまえで伯爵夫人を愚弄する。中尉は、自分に惚れ込む伯爵夫人をたぶらかして、医者にウソの診断書を書かせて除隊、大金と女と安楽な生活を手に入れたのだ。絶望した伯爵夫人は、復讐の為に、ハプスブルク軍の将軍に一部始終を伝え、証拠の手紙を見せて処罰を依頼する。中尉は、逮捕され、銃殺される。

「第三の男」に出ていた女優のアリッダ・ヴァリの演技がすごい。恋に目覚めてしまった女のすごさを見事に演じていた。「第三の男」でも極悪人ながら魅力に富むオーソン・ウェルズに惚れ込む女も見事に演じていたものだ。 

そして、映画は全編、アントン・ブルックナーの荘重・静謐・悲劇的な音楽が効果的に使われていた。ミラノ出身の由緒ある貴族の末裔だったビスコンティ監督だが、北イタリアというのは、ハプスブルク帝国に長い間支配され(例外はナポレオンがヨーロッパを席捲した時代)ていたのだった。有名なヴィーナー・シュニッツェル(ウィーン風カツレツ)とはコットレッタ・ミラネーゼ(ミラノ風カツレツ)のことである。プロイセン主導の北ドイツとかなり雰囲気の違うハプスブルク・オーストリアは同じドイツ文化圏でありながら、南国イタリア(といっても北部イタリア)の影響があって随分ゆったりとして、明るいのはこのせいであろう。

映画の余韻を反芻しながら、塚本哲也氏の「わが青春のハプスブルク」の関連の章を再読していると、眠くなって来た。 2007年の元旦はかくして、平穏の内に過ぎた。今年も健康で、大好きなバードウォッチングが思う存分できること、そして、時間を有効に活用して、この歳でありながら、まだまだチャンスのある?キャリアアップの為の勉強に取り組むこと、を目標に頑張るぞ!

遅くなりましたが、皆さん、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

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東京で飲み、神田古本屋街をうろついて来た。

今週は火曜日の午後から上京して、昔の仲間たちと一杯飲んで、それから、神田・古本屋街をうろついて来た。

火曜日の午前中はいつもの通り、バードウォッチングに興じた。天気が崩れかけており、最後は小雨が降り始める悪コンディションであったが、それでも33種類の野鳥に出会えたのだから、文句はない。久しぶりにアカゲラに出会ったし、ルリビタキは♀1、♂2、合計3羽に遭遇、カワセミの姿も拝むことが出来た。ベニマシコは地鳴き(冬の囀り)を聞いたが、姿は見れなかったのが残念。

アカゲラ:http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/kitutuki/akagera.htm

13時半前の特急で東京へ。神保町の古本屋街をうろうろして有楽町へ。前の会社で海外駐在経験者と旧交を温めた。飲んだのはここ→http://www.okr-j.co.jp/

以前から贔屓にしていたビアホールで、牡蠣料理とローストビーフが看板のお店。昨夜テーブルの予約を入れようとするも、最初は一杯ですと、断られたものの、しつこくお願いしたところ、係りの人がそれじゃ、予約を洗いなおしてもう一度確認します、と協力してくれて、結果的に1テーブル(4人席)をOKしてくれたのである。外は、この時期には珍しい突風と大雨。レストランの中は年末の忘年会シーズンらしく人で溢れている。一番最初に到着して、早速ハーフ&ハーフの生ビールを飲みながら、ニシンのマリネとソーセージの盛り合わせを食べる。美味い!やがて、F山氏が現れ乾杯。そして、F江氏が加わる。肝心のO氏は大幅に遅れてやってきた。ローストビーフは2皿、牡蠣フライ2皿、牡蠣とほうれん草のグラタン、ミックスピザ2皿を肴に、ビールから赤ワインのグラスを次から次へと空ける。

心地よい酔いが回ってきて、昔話と近況の話をしながら気がつけば、周りに人は誰もなく、我々4人だけとなっていた。そういえば、ロンドンでF氏とよく足を運んだ寿司屋でも、当時行き詰っていた仕事の悩みの話をしながらも、なかなか美人の韓国人ウェイトレスや寿司職人のタイ人の方やら、楽しく?四方山話をしていると、いつの間にか我々だけが最後まで残っていた、ということがよくあったなぁ・・・。

水曜日の昨日は、朝から再び神保町へ。「小林のおにぎり」で高菜と鮭のお握りを購入して簡単に朝食を取る。カフェオレを飲んで一服し、古本屋巡りを始める。バードウォッチングも楽しいが、当てのない古本屋巡りもまた楽しきかな!インターネット検索で読みたい本はいつでも買えるが、古本屋巡りは、それはそれで、意図せざる偶然の出会いがあって、これまた楽しい。 

A Guide to Bird-Watching in Europeというのを見つけた。1975年版だが、各国の野鳥分布状況を読みやすい英語で書いてある。即座に購入した。ちらちらとページをめくって見ると:ルクセンブルクは猛禽類が多く見られる。国土の30%が森林で、ノスリは北部と南部で普通に見られる。クマタカ、トビ・・・・・・。面白そうだ。想像によるヨーロッパのバードウォッチング旅行が楽しめそうだ。

昭和13年に出た「20世紀の神話」(アルフレート・ローゼンベルク)という本が目に飛び込んでくる。ナチスのイデオローグだ。3000円かぁ。ぱらぱらめくりながら思案した。とりあえず、素通りすることにする。 

「日本人が世界史と衝突したとき」文化人類学者増田義郎氏による日本論である。定価2600円+消費税がなんと850円。即購入。

山内昌之著「納得しなかった男 エンヴェル・パシャ 中東から中央アジアへ」。5200円の定価が2800円なり。興味のあるオスマン帝国の解体、トルコと中央アジア、コーカサスを駆け巡った青年革命家の物語である。ロシア史、トルコ史、中央アジア史。西欧帝国主義とソビエト社会主義とイスラムの出会い・・・。同氏の「ラジカルヒストリー」以来、気になっていた本だ。即、購入。

夕方まで一つ一つの古本屋を丹念に訪ねる。あっという間に17時近くなった。昼の時間は一旦、東京駅八重洲口で大学時代の先輩にして会社の先輩で現在は金融機関に身を置くY氏とランチタイム。先週半ばからオーストラリアに出かけていて、月曜日の朝成田到着、そのまま出勤、昨日は忘年会で疲れている様子。ソウル、ホーチミンシティ、マニラ、パース。2ヶ月置きのペースで駆け巡っているという。これはまったくの個人的趣味なのだそうだが。

さて、夕刻は、新橋の老舗で佃煮などを家族へのお土産に購入してから、近々中国は北京でビジネスを始める?というS氏と友人たちによる一種の送別会に参加した。

場所はここ: http://www.daixin.com/toshomenso/shinbashi.htm

中華料理といえば、広東料理、上海料理、北京料理、四川料理といろいろあるが、ここは西安料理。美味かった。茄子の空揚げ、砂肝の空揚げ、鶏の黒酢あんかけ風、焼き餃子、水餃子、トマトと卵の炒め物、牛肉と・・・の炒め物、キュウリのニンニク風味などなど、次々と平らげ、かつ飲んだ。ビールと紹興酒。2次会は、ニュー新橋ビルの地下で、最終電車がなくなるまで飲んでしまい、カラオケパブに繰り出し、どこでどうなったやら、夜を明かして、今朝は7時過ぎの電車で帰宅した。ああ、疲れた・・・。 これで、年末の忘年会はオシマイ。

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バードウォッチングと携帯電話と本屋巡りで1日が終わる・・・

昨日の朝。さあ、今日から3連休だぁ(11日月曜日は代休)、と久しぶりにくつろいで朝食を取る。焼きたてのチーズが入ったフランスパンである。パリパリして中身はどろーっとしたお餅みたいなチーズがうまい!カフェオーレと一緒にお腹に納めて、やれやれ、と2階に上がる。外は今にも雨が降り出しそうである。窓を開けて外を眺める。ピチピチッ、ピチピチッと野鳥の声がする。ん? 何々、シメかぁ!これはシメた!こんな庭先にやってくるのかぁ?慌てて音源の東向きの柿木に眼をやる。天辺に何と、シメがいるではないか!朝から、調子がいいぞぉ!しばらく双眼鏡でこのシメ君を眺めた。

シメはこんな鳥です → http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/atori/sime.htm

外は風も吹いて、とてもバードウォッチングどころではないような感じなのだが無性に行きたくなった。結局、双眼鏡を持って出かけてしまった。約2時間半。あまり鳥果(ちょうか)はなかった。薄どんよりとした日は意外と野鳥と出会えるのだが、途中で小雨が降り出し、風も時折吹いて、結果はいま一つであった。期待のルリビタキも囀りを一度聞いただけで、結局あの美しい瑠璃色の姿を拝むことは出来なかった。 その代わり、今日はやたらとヤマガラとシロハラに出会った。

ヤマガラ君 → http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/sijyuukara/yamagara.htm

シロハラ君 → http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/tugumi/sirohara.htm

帰り道、千波湖をぶらぶら歩く。冬の水鳥たちがかなりやってきている。カンムリカイツブリ、カイツブリ、マガモ、ホシハジロ、オナガガモ、ヒドリガモ、ユリカモメ、セグロカモメ、そしてオオハクチョウもいる。少し前だが、明け方うとうとしていたときにコォーッ、コォーッというオオハクチョウの声を聞いたのでとうとうやって来たなぁ、と思った。 いずれ、野鳥の写真を取ることも始めようと思っているのだが、双眼鏡で覗く拡大された野鳥たちの姿は、肉眼とは違ってなかなか感動ものである。

昼食を食べて、一息しているうちに、ああ、そういえば、携帯電話の契約を変更しなければ、と思い立つ。現在加入している会社が2008年3月一杯で業務終了、現在、契約変更期間で過去のポイントが大分たまっているのでほとんどただ同然で新しい携帯電話と交換もできる。

市内に出かけて、手続きをすませ新しい携帯電話のセットアップが出来るまで、近くの本屋をうろつく。最近はインターネットで簡単に本が注文出来るので、本屋に行くことはまれだ。とは言っても、私は本屋で何時間でもぶらぶらして立ち読みしたり、これはと思う本に出会って衝動買いするのが好きである。貴方の趣味は、と聞かれたら、「バードウォッチングと古本屋巡りです」、と答えることにしている。インターネットで読みたい本を検索して買うのもいいのだが、古本屋で、掘り出し物にであう楽しみは格別である。 

たとえば、今手元に戴季陶という昔孫文の秘書をやっていた知日派の中国人が書いた「日本論」という本がある。永年探していて見つからなかったのだが(アマゾンドットコムでも在庫切れ)、ある日、神田の某古本屋の店先で見つけたときはやったぁと小躍りして購入したものだ。日本人の手になる中国論は山ほどあるのだが、中国人の手になる日本論というのは実はあまりないのだ。戴季陶氏は日清戦争後、沢山の清国の留学生の一人として日本語を勉強し、日本人に感銘を受けて日本論を著した知日派である。現在でも台湾では版を重ねて読まれているらしい。最近でこそ、少しずつ中国人の手になる日本論が出始めている気配だが、そもそも、中国人は日本のことをどれだけしっているのだろうか?歴史認識の問題が日中間の懸案となっているが、現在、中国で教えている日本の歴史というのは、日清戦争から日露、満州事変、日中戦争の部分だけなのだそうだ。

密かに思うに、中国人は、ずーっと日本というものを見誤って来たのではないだろうか?実は、日本人も中国をずーっと一方通行で勉強してきたにも関わらず見誤って来たのだが。

中国の場合は、いわゆる「中華意識」から来る東夷の蛮人という見下した考えがずーっとあった(韓国も同じ)ことが大きい。中国の感覚からすると、日本の本を見れば、漢字が使われていて中国語の方言の一種だという感覚ではないだろうか?日本文化から中国文明を取ってしまえば何も残らない、というのが一般的なイメージらしい。

これが、そもそもの間違いなのだが。日本語は確かに漢字は使っているが、歴史家・岡田英弘氏の指摘によれば、明治維新以降、英語、フランス語、ドイツ語とうの西洋文明諸国の言語の影響を受けて、文体ががらりと変わってしまった。漢字を使っているが、西洋文明の概念を表す熟語を独自に作り、中国にも逆輸出したのがこの100年なのである。しかし、明治維新というのは突如興ったわけではなく、すでに江戸時代に、本居宣長などの国学というものがあって、それはさらに辿っていくと・・・・ 話は長くなってしまうが、日本書紀が書かれた8世紀、中国に対し「天皇」と名乗って対等な外交を試みた時代に行き着くのである。ながくなるので、このことは別の機会にまた考えをまとめてみたいと思う。

さて、野鳥観察と本屋巡りが終わり、最新の携帯電話を持って帰宅。そして夜は、早速購入した本を紐解いた。佐藤優という男。久々に登場したスケールの大きい論客ではないだろうか?解釈の鋭さ、それを裏付ける勉強の範囲の広さ、確かな論理、どれをとっても、並みの人間ではない。外務省でノンキャリアでありながら、キャリア官僚を食ってしまったのも頷ける力量の持ち主である。「北方領土 特命交渉」(鈴木宗夫氏との対談)を深夜までかかって読了。痛快な本である。外務省への痛烈な批判、北方領土問題利権にぶら下がる青山学院大学の袴田茂樹教授への辛辣な批判、どれもこれも、正鵠を得ている?かどうかは知らないが、あのスキャンダルは一体なんだったのか? 同時に購入した、「日米開戦の真実~大川周明の米英東亜侵略史を読み解く」と「獄中記」(512日間の塀の中での読書と思索の記録)を読むのが楽しみである。

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「自殺」についての雑感

渡部昇一氏の本は若い頃は敬遠して読まなかった。「右翼・反動」という先入観があった。当時は、日本共産党は学生の間では、もう馬鹿にされていたが、新左翼の影響が残っていた。 吉本隆明なんかはよく読まれていたものだ。 私も、いくつか本を手にしたが、難解さに辟易した。 

渡部氏だが、本を書きすぎるのではと思うくらい著書が多いのだが、いろいろ読んでみて、尊敬に値する第一級の知識人であると思うようになった。博覧強記に飲み込まれない、氏独特の息使いと鋭い判断力には舌を巻く思うこと度々である。

氏の本に「教養の伝統」(講談社学術文庫)というのがあるが、その中で、自殺のことに触れる個所がある。夏目漱石とラフカディオ・ハーンという日本の明治時代の代表的な知性の二人を取り上げた鋭い批評なのだが、渡部氏自身が戦後の貧しい頃、田舎(山形)から上京して、寮に閉じこもって「真面目」に勉強している自分を回想する個所があり、高校時代には分からなかった漱石(特に「こころ」とKの自殺の謎)がある日、豁然と分かったこと、思い詰めて、本の中に没入して、煮詰まっていく内に、ふと、死んでも良いのではないか、という瞬間があること、を実感として書いておられる。 

この個所を読んで、私は、原口統三の「二十歳のエチュード」を思い出した。大連生まれの早熟な青年で、旧制第一高等学校在学中に自殺した男である。ニーチェやヴァレリーの引用やら、彼らの影響から沸きあがるインスピレーションから、若者特有の純粋さを象徴するようなアフォリズムが縦横に書かれているいわば、遺書のようなものである。 「言葉」が最初にあって、「想念」に取り付かれて、「現実」が希薄になっていくのだ。 渡部氏もそれを経験したということだろう。 原口氏は自殺してしまったが、渡部氏は、自殺しなかった。

「本当にわかる」というのは実は大変コワイのだという。 英語の「パセティック」という言葉を取り上げ、渡部氏は、漱石の孤独な子供時代と日本仏教会の至宝と言われた山本玄峰老大師の多難な生い立ちやデル・カーネギー「モーツァルト伝」を引き合いに出して、「禅的なものを見てしまうこと」と「何か神秘的なもの、美しいものが魂の中に入り込んでしまうこと」、「人の心の琴線にふれるものがこの世にはあること」に触れながら、本当にわかるということの恐ろしさを簡潔に教えてくれるプラーテンの詩を引用している。

死に捧げたる者  Totgeweihter 

眼もて美を観たる人は Wer die Schoenheit angeschaut mit Augen,

既に死の手に落ちたるなれば、 Ist dem Tode schon anheimgegeben,

もはやこの世のわざに適はざるべし。Wird zu keinem Dienst der Erd taugen.

ちょっと、話が重くなってしまった。 ちなみに、私は、自殺の衝動を感じたことなど1度もない。 死に対する恐怖感を子供心に感じたことはあるのだが。

最近、イジメによる子供の自殺があい次いでいる。死ぬというのはそう簡単には出来ないものだ。 生きていく上では、楽しみが半分、苦しみが半分というのが私の実感である。 50歳を過ぎた自分を振り返ると、特に40歳過ぎからは苦しい場面が増えたような気がする。逃げ出したくなることが多々あった。 幸運にも、体を壊すこともなく、結果は出ても出なくても?乗り切ってきた。駄目なものは駄目だ。くよくよしないのが私の性格だ。落ち込むこともあるが、立ち直りが早いということか?プレッシャーをどう撥ね退けるかも大切だ。 

死に急ぐ子供たちを見るたびに心が痛む。 相談する人がいないのだろう。死ぬということはよくよくのことで、逃げるところがなくなったときに取る手段だろうというのは、なんとなく分かる。 渡る世間は鬼ばかりではなく、人の情けというものがあるのを知ってほしいと思うのだが、時代は変わってしまったのか? やはり、学校での対応に問題があるのだろうか。もともとの原因は家庭教育だと思うのだが、それを言ったら始まらない。子供の心が分かる大人なぞいないのだが、子供駆け込み寺とか、もう出口がなくて、もがいている子供がいるのだから、ひとまず逃げて、周りから自分を遮断して、一息ついでもらい、自分を立て直す機会と場所を用意するしかないだろうと思う。一端、引きこもるしかないのだ。そして、自分を立て直してまた、嫌な社会、世間に向き合って、自分の居場所を探すしかないのだ。失敗しても、失敗しても。 

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世界カタコト辞典 ~ その2

If shit were valuable enough, the poor would have been born without asshole. 

(もしウンコが十分に貴重なものであるなら、貧乏人たちは、お尻の穴なしで生まれたであろう)

汚い言葉ですみません。しかし、人間の根源に関わる言葉です。普通、言葉にはしませんが、毎日付き合うものです。いろいろな瞬間に人は、この言葉 shit(ウンコ)を口にします。 私の記憶から、鮮明に残っている場面を列記すると:

1) ロンドンで仕事をしていたことの話。 中国系のイギリス人呉恵さん(実名です。発音はWai-Ling。 ワイリンさん、お変わりないですか?こんな場面で登場させてすみません)が、何かとSugar ! Sugar! Sugar! と語気強く発音するのを耳にした。 どういう意味?と聞くと、「ミスター・シミズ、わかるでしょ! 女だって、頭に来ることがあれば、ののしり言葉をつかうものよ」とのことだった。 つまり、クソッ!と言いたいのだが、女性がハシタナイ言葉は口に出来ないので、代わりにSugar!と叫ぶのだそうだ。 (人によっては、韻を踏むShoot ! を多用する人もいるようだ)。

2) フランクフルトの空港で。 出張で到着したばかり。 ビールが飲みたくて到着ロビーのパブでビールを一杯引っ掛けてたら、隣の憔悴した男のドイツ語が聞こえてきた。

Also, Lufthansa ist Scheisse ! (兎に角ルフトハンザは最低だぜ)という意味だが、どうも、安チケットでリゾートに出かけ、オーバーブッキングで予約を落とされ、ドイツに戻ってくるので大変な苦労をしたらしい。 Scheisseというのはドイツ語でウンコの意味である。英語のshitと同じ意味である。最初の文字が大文字だが、強調の意味ではない。 ドイツ語では名詞の最初の文字はいつも大文字なのです。

3)フランスはパリで、出張でマルセイユまで出かける朝。 オルリー空港までタクシーを拾って出かけた。 交通渋滞に巻き込まれて車が全然動かない。出発の時間が迫っている。運転手に腕時計を示して、急げ、急げと催促。 運転手が一言呟いた:Merde! これもフランス語でウンコの意味。 「クソッタレメ」とフランス語で苛立ちを表現したのであろう。私を侮辱したわけではない。

さて、最初の英文ですが、私は、東京駅のトイレで見たことがあるのです。たしか、1980年代前半のこと。お腹の具合が良くなくて、あわてて東京駅のトイレに駆け込んで安堵した直後のこと。ふと、何気なく落書きを見ていたら英語で書かれたのがあった。眼で追って読んでみて、思わずニヤリとしてしまった。傑作じゃないかぁ!感心しました。仮定法過去の絶妙な表現です。ナンセンスだが、思わずニヤリとして、そうだ、と頷いてしまう名言ではなかろうか?下ネタと言えばそれまでだが、形而下的なものが、形而上的なものに昇華されている。下品ではない。トイレの落書きでは傑作ではないだろうか?

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雑木林での夢想 ~ その1

職場では、BBCニュースが一日中流れている。 今日は、朝から、アメリカの中間選挙速報が流れている。 騒がしい。 さすがの共和党も、失速して、今回は民主党が挽回しているようだ。 アメリカの留学生によれば(彼らは皆カリフォルニアの出身)、民主党支持者で、今回は、必ず民主党が勝つそうだ。 自分たちも支持している、と自信の程である。

私には、関係ないことだ。 井上陽水に「傘がない」というイイ歌ががあったなぁ~。

朝から、不機嫌なのだ。 バイオリズムが悪いのか? 職場の女性に、虫の居所が悪いでしょう、と見抜かれてしまった。 言動の端々にイライラ振りが出てしまうのだろうか?男だって、生理(精神の生理)はあるのだ、と言いたいのだが、女たちは、煩い。 とてもよく気がつく。 彼女たちがいないと仕事が流れないのも事実である。 

昼休みは、また近くの雑木林に出かけた。 昨日は昼過ぎから風が強かった。 そして、夜は今年初めての木枯らしが吹いた。 帰り道は、体が震えるほど冷たい風に吹かれた。 帰宅すれば、ニュースで北海道では竜巻で9人が命を落としたという報道。 何と運の悪い9人だろうか? 冥福を祈りたい。 仕事の打ち合わせ会議をして100メートルも飛ばされて命を失ったという。

さて、アメリカである。 私は一度もアメリカに行ったことがない。 物心ついてからの自分を思い出すと、アメリカの影響なしには考えられない。 アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ。 ドイツ語を勉強してヨーロッパにのめり込んだけれど、結局、遠い遠い回り道をして、今、アメリカについては猛烈に勉強したくなっている。 でも、なかなか、いい入門書がない。

トクビルの「アメリカの民主主義」は古典に上げられているけれど、何度読もうと取り組んでも挫折してしまう。 中屋健一氏の「明解 アメリカ史」も時折紐解くのだが、もうひとつという感じだ。 インターネットでアメリカ関連の本を検索すると山ほど出てくるのだが・・・。

決定版がないのだ。 アメリカは中国と同じで「ひとつの世界」であろうことは、なんとなく想像がつく。 自宅に貯め込んでいた本の中に、批評家江藤淳氏の「アメリカと私」がある。1960年代のアメリカ。それも、プリンストン大学での体験にもとづいた本だ。 しっくりこない。 さすが、江藤氏の話には、氏の才気が感じられる鋭い指摘もある。 しかし、アメリカの本質?はなかなか見えてこない。 

高校生のころ、小田実氏の「何でも見てやろう」に熱中した。 海外への憧れを掻き立てられた本である。 とてもいい本だと思う。 この本が扱う時代は、アメリカの絶頂期1950年代後半のころの話だ。 司馬遼太郎氏の「アメリカ素描」というなかなかいい本もある。 しかし、皆、直感で体当たりして、鋭い指摘はあるけれど、個人の体験の枠を出ていない。 

アメリカに住んだことのある人が、アメリカに行ったことのない私があれやこれや言うと、お前に分かるわけがない、というようなことを言われたことがあるが、そうだろうか?アメリカにずーっと住んでいても、アメリカが何なのかさっぱり分かっていない人は、当のアメリカ人も含めてゴロゴロいる。 一人ひとりの体験がそれぞれアメリカのイメージを持つことは間違いではない。 それらをひっくるめて、アメリカで起こっていること、個々の体験から、政治の意思決定まで含めて、総合的にアメリカとはこうなんです、と説明する何かを私は知りたいのだ。

小室直樹氏の「アメリカの逆襲」を見ると、「アメリカの強さの本質とは、国民の4割が人間は死なないと信じている(ファンダメンタリズム=キリスト教原理主義者)宗教国家であるという事実、人類史上はじめて社会契約で出来た国であるという歴史にある」 - これが日本人には絶対見えない謎であるという。 アメリカの政治とは「神政政治(テオクラシー)と人間政治(デモクラシー)」との間の激しい緊張によって生まれた独特のものだそうだ。

国家というのは普通自然発生するものらしい。 一つの宗教、一つのイデオロギーが生んだ人造国家、これがアメリカである。 これと比較できるのは、新約聖書が生み、パウロという天才が育み育てたローマ・カトリック教会と資本論が生み、レーニン、スターリンの天才が育てたソ連(もう崩壊したが)があるのみだそうだ。 この3者は類似点はまったくないのだが、アメリカを真に理解しようとすれば、3者の比較分析によって可能であろう、と言う。 誰か、やってくれないものだろうか?

私の直感で言うと、アメリカは確かに限りなく自由な国である。いろいろな人から話を聞いたり読んだりしたものを総合すると、選択肢の幅が広いのだ。 やろうと思えば、何でも出来る。 すべて、自己責任。 失敗するのも自由。 そして、現実は大方が失敗する。 ほんの一部の成功者=既成勢力と稀な成り上がり者と多くの貧困層。 グローバリズムの成れの果て。 こういう言い方は、すでに価値判断を含んでいて、ネガティブに言っているように取られるかもしれない。 

アメリカの政治だが、「世論」に左右されながら、その時の「ある勢力」が国を乗っ取って、好き放題のことをする、ということだろうか? 「世論」が足かせになっているが、一端「世論」がOKすれば、イラク戦争のような滅茶苦茶なことも出来るわけだ。「ある勢力」とは、やはり、「世界の資本が集まるアメリカにとって、その利益を最大限上げるような組織体の当事者と関係者」と言えば良いのだろうか? 世界の資本は一端アメリカに集まり、そこから全世界に再投資されているのが現実である。

真昼時の雑木林周辺は、誰も居ない。 静かだ。 相変わらずカケスが元気に飛び回っている。 ヒヨドリの数もめっきり増えた。 シジュウカラに混じって、ヤマガラの姿も見える。一度など、数メートル近くまでやってきた。 私は石のようになって、じっとして、観察する。お弁当を食べて、ぼーっとしながら、いろいろな想念が頭の中を流れていく。 

昨日寝る前に、ベッドの中で少し読んだ、江藤淳の「文学と私」の文章が浮かび上がる。戦後、サルトルを読んでいたこと。「嘔吐を読んだとき神経症気分の表現が哲学的厳密さの表現に使われているのを見て、ヒントを与えられた」こと、「音楽(ラグタイム)が救いになっているのも気に入った」こと。しかし、「サルトルには少し下品なところがあると感じていた」こと。 江藤淳氏の本など読んだことがなかった。 たまたまダンボールの中の本を整理したら、出てきたので手にしただけなんだけれど。 最近は、さっぱりフランスものは手にしていないな。 今読みかけなのは、ジュリアン・グラックの「シルトの海岸」ってやつだったな。 これって、ドイツの作家ユンガーの影響を絶対受けていると思うのだが。

頭の中では、いつの間にか、先週、東松山で飲んだカラオケパブのママさんの歌が鳴り響いている。 中国語の歌なのだが、そのメロディーが実に美しかった。 頭に取り付いて離れない。 仕事中も、風呂に入っているときも、何度も蘇ってくる。 そういえば、中国の本で、ヨーロッパの小説とか日本の小説のようなものが全然ないな、読んだことないな。 魯迅とか林語堂とか読んだことあるけれど、その後の世代はずーっと空白だ。そういえば、「上海ベイビー」というのは読んだことがある。 私より、一回り以上若い世代で、上海でドイツ人の愛人体験をもとに書いたなかなか出来た現代小説だった。

私の憂鬱、苛立ちは一向に解消されない。 雑木林の中を昨日ほどではないが風が吹き抜けて行く。 13時近い。 トボトボとキャンパスに向かって歩き始める。 雑木林を出たところで、ヒッ、ヒッ、ヒッというジョウビタキの声。 電線を見上げると、美しいオスのジョウビタキであった。

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土曜日の夜の安堵

ここしばらく、ずーっと忙しかった。 イベントの担当責任者だったのだ。 4月に新しい職場に入り、そのまま、すぐ担当させられた案件である。 そして、半年後の今日が、本番だった。 秒読みが始まった今週は半ば憂鬱、半ば、責任を全うしなければという気合のせめぎ合いであった。 慣れない職場でもあり、緊張の連続であった。 

今朝は、さっぱりとした気持ちで職場に向かった。 夕方には結果が出ている。 笑っているか、それとも、とんでもない失敗で落ち込んでいるか? 

結果的には、前者で終わってほっとして、ひとりブログで呟いているのが、この土曜日夜20時過ぎである。 直前の緊張を引きずったまま、本番に突入、夢中になってあっというまの4時間であった。 始めての試みで、小さいところではいろいろ反省点があったが、ゲスト達は、大いに楽しんでいたようだ。 笑顔でわかる。 職場のトップの顔にも笑顔があった。 スタッフもアルバイトも皆、笑顔だった。 よかったぁ~。

イベントを担当するというのは本当に大変である。 一人では何も出来ない。組織を動かしながら、1つの目標に向かって成果を出すことが求められる。 緻密な頭脳に加えて、人を動かす力も必要だ。 何回やっても、特に、新しい案件を最初に実施するというのは、緊張を強いられ、神経をすり減らす。 

イベントの最たるものは、国家間の戦争であろう。 ここで、戦争を引き合いに出すのは突然な飛躍かも知れないが、 「戦争」こそは、イベントの中でも最たるものではないだろうか? それも、国家間の「命」を掛けたイベントである。人知の限りをつくしての戦いである。

たとえば、日本海海戦の東郷平八郎にしても、作戦参謀秋山真之にしても、日本という国家の命運をになって、バルチック艦隊を待ち受けた軍人たちのトップたちの神経のすり減らし方は、並みの人間には想像できない。 司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を読んだことがあるが、日露戦争で活躍した日本の軍事たちは、勝利したあと、みな次々と倒れて早死にしたらしい。

それを考えれば、平和時で、失敗しても命を落とすわけではない私の場合など、比較にはならない。 本気度が違うのだ。 と言えば、元も子もないなぁあ。 人間にとって最高のイベント「戦争」とは比較できないが、やはり、私にとっては、大きな緊張を強いられる仕事だったし、無事成功裏に終了して、満足感というか、終わった後の虚無感となんとも言えない恍惚感がある。 これを、人は「充実感」と言うのだろうか?

 

明日は、久しぶりのバードウォッチングに出かけよう!

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金木犀と赤とんぼとハゼと・・・・

秋の気配が日々深まってくる今日この頃。 ある芳香にはっとさせられた。最初は、朝、家を出るとき。 うーん、この匂いは、昔から記憶あるいい香りだ。 花が発する芳香だ。 忙しいだけの1日の仕事を終えて、夕方、徒歩で35分、大学キャンパスから帰宅する。 私の家は、住宅地の奥まった突き当たりだ。 陽はとっくに落ちてあたりは暗い。 手前50メートルの角を曲がって路地に入ると、また、辺りからツーンと、今朝、鼻を心地よく刺激してくれた香りがする。 うーん、いい香りだなぁ・・・ 金木犀である。 花は自体はたいしたこと無い。 香りを楽しむ花だ。 子供お頃は、トイレの消臭剤と間違えたこともあったような記憶がある。 

匂いで楽しむ花、というと他に思いつくのは、春先の沈丁花がある。 この花の香りもまた言いようのない刺激がある。 冬が去って、春の鬱陶しさを感じる夕刻、住宅街の道端で、つーんと、この匂いに圧倒され、足をとめてしまうのだ。 

嗅覚というのは、視覚、聴覚、味覚に比べると、人間に備わった五感の中では、触覚とならんで、4番目か5番目を競うランクの感覚ではないだろうか? 最初のベスト3に比べると、使用頻度が低いのではないだろうか? いや、そんなことは無いだろうという声もする。 いやいや、そうだ・・・・・。 考え出すと、迷路に入り込んでしまう。 快楽の最たるもの、セックスにおける五感の活躍度は? 私の場合、まずは視覚、それから、触覚、味覚、嗅覚、聴覚という順番になるだろうか・・・・・。

話が危なくなりそうなので、ちょっと話題を変えよう。

先週、新学期が始まった日。 早朝、誰もいない大学のキャンパスを歩いていると、エナガ(野鳥)の群れに出会った! なかなか可愛い小鳥である。 

こんな鳥です

→ http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/enaga/enaga.htm

シジュウカラや日本で一番小さいキツツキであるコゲラも混じっていたが、キャンパスで出会えるなんて! 

昼休みは、久しぶりにお弁当を持って、近くの雑木林へ1時間のピクニック。 ススキの穂、セイタカアワダチソウ、コスモスの花と秋を感じさせる草花がいつの間にか目立ち始めながらも、まだ、ミンミンゼミとツクツクボウシの声も聞いた。モンキチョウ、モンシロチョウ、ヤマトシジミ、ショウリョウバッタ、ダイミョウセセリ、スズメバチ、ジョロウグモ、キノコ類、自然はじっと凝視すれば、名前は知らないものの、まだまだ、豊饒そのもの。 複数のアキアカネがツガイになって飛んでいる。

肩に来て 人なつかしき 赤とんぼ (漱石) 

大好きな句である。 子供の頃、お盆で父の実家に墓参りに行くと、無数と言っていいくらい赤とんぼが舞っていた。 あの豊饒さは、しかし、もう失われてしまった。

一ヶ月前、車の運転練習で、涸沼に出かけた。 汽水湖で子供のころは父に連れられて、ハゼ、ボラ、セイゴ、フナ、コイなどを数え切れない程、釣ったものだ。 時折、クロダイやサヨリなども釣れた。 明治時代のころは、幸田露伴も釣り糸を垂れたことでも知られる。

しかし、今はさっぱりらしい。 4年連続でハゼはさっぱり釣れないらしい。 岸辺を散策すると、沖合いに今、話題になっているカワウが盛んに潜水して、魚を食べている。 カワウが原因か? ブラックバスも影響しているか? 涸沼特産である大粒のシジミはまだ取れるらしい。 

少年時代、明日、釣りに行くとなると、神経が高ぶって、前日の夜はなかなか寝付けなかったことを思い出す。 そして、当時の涸沼の釣れ方は半端じゃなかった。大型のハゼが、潮が動く時間帯となると、次から次へと釣れたのだった。 

昔の豊饒さは、半端じゃなかったなぁ。 物思いに耽りながら、辺りをしばらく散策する。近くの田んぼでは、夏の日差しを浴びながらツバメ達が舞い、遠くでセッカが鳴いていた。

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秋が来た!

8月末まで囀っていたウグイスの声が聞こえなくなって、コオロギの声が聞こえるようになったと思ったら、いつの間にか、涼しくなり秋の気配が濃くなってきた。まだ、ツクツクボウシが時折鳴いているし、この間は、2度目の子育てで巣立ったツバメの幼鳥を見かけたりはしている。 が、空の色は完全に秋の色だ。

田舎に戻って、半年ぶらぶらして、幸運にも?職を得て、5ヶ月が過ぎようとしている。 ゆっくりしようと思っていたが、母が病を得て、看病をしたりで、夢の海外放浪はまた、お預けとなってしまった。 20年くらい前の映画で「白い街で」というスイス製?の舞台がポルトガルといういい映画があった。 これを思い出してしまう。 放浪は憧れだ。 

大学のキャンパスで良いナと思うのは、周辺とキャンパスの一部が雑木林になっていることだ。さすがに、双眼鏡で野鳥を追い回すのは気が引けるが、昼休み時は、弁当を持って雑木林で野鳥の囀りを楽しんだ。 勤め始めたばっかりの頃は、アオジの美しいソプラノを聞けたし、勤務途中にはホオジロの美しい囀りを聞いたり、桜川でカワセミのコバルトブルーの姿が水面すれすれを飛ぶところも見かけたし、雑木林には、シベリアに渡る直前のツグミがまだ沢山いたし、センダイムシクイキビタキの囀りを5月連休前後には聞いたものだ。 通勤途中の湿地の葦原では、オオヨシキリが精力的に鳴き、ケーン、ケーンと近くではキジが鳴くかと思えば、ヒッ、ヒッ、ヒッ、チャチャッ、チャチャッとセッカの声が聞こえる。 アオサギのグァーッという素っ頓狂な声と姿を何度も耳にして目にした。

上司の教授から、君の英語はもう少し、鍛えないと、と言われ、ビジネス英語の授業に出ていたある日など、作文をしながら、ホトトギスコジュケイの鳴き声がひっきりなしに聞こえてきたりして、思わずひとり笑ってしまうことも何度かあった。 さらに、モズ(小鳥だが、猛禽である!)やオナガ(カササギの仲間で、鳴き声にはがっかりするが、姿は尻尾が長く、なかなか美しい)の群れを見かけたり、7月のある日は、何度か、ツミと思われる猛禽(鷹の仲間で一番小さいもの。大きさはキジバトと同じくらい)も見かけたものだ。 一度などは、スズメが犠牲になっていて、片足で摑んで、近くの巣に持ち帰るところでなかったか?

本当に自然に恵まれた環境にあるのだな、と納得した。 そして、今、9月である。 今日も、夕方薄暗い時間、キャンパス内の雑木林を歩くと、あたりはコオロギの大合唱であった。 これから、10月を迎えて、夏鳥が東南アジア方面に引き上げ、今度は冬鳥がやってくる。 また、どんな出会いが待っているだろうか? 

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久しぶりに仲間と飲む

某月某夜、東京で飲んだ。 メンバーは、もともとは同じ会社にいた人間であるが、3人は私も含めて転職組みである。一人なぞ、16年前に海外駐在の職を投げ捨てて、転職した口である。 一人だけはもとの会社で頑張っている。

1000円でビールの見放題のセット、おつまみは、スペアリブとマグロのカマ、大根とキュウリの漬物、ブロッコリーのニンニク風味など。よく飲み、よく話した。 

お互いに背負っているものが違う。 先週末、高校を卒業して30数年ぶりに同窓会に参加した金融界某氏曰く「誰が誰だかさっぱりわからない。特に女性は変わっていた」と感想を述べる。 一方で、娘が、来年から1年南米の某国に留学するという話は、家賃収入がある余裕の某氏だが、店子が突然行方不明になり、数か月分の家賃を踏み倒されたというボヤキ。(保証人ともどもとんずらしたのだろうか?そのあたりは、酔いもあってか敢えて突っ込まなかった)はたまた、結婚はしているものの、家庭内離婚状態である愚痴ともつかぬ苦笑。 

身の回りの話から始まった話は、やはり、仕事の話になる。 もとの会社の方では、部門がひとつまたクローズするらしいから、景気は悪い。 転職組みの金融某氏は、年収の半分に近い夏のボーナスが出たというのに。 私は、年俸制で、ボーナスなどない。そして、転職直後は、大変であることの実感。 期待されるものが違うのだ。即戦力! これは大変なことなのだ。 所詮、サラリーマンは甘いのである。一端、その会社を辞めれば、どんな一流会社で年収1000万を越える給料を貰っていても、マーケット・プライスは、200万~300万になってしまう。 特定の限られた、本当に能力のある人以外は・・・。 能力のない私はラッキーか?

 

日本は住みやすい国なのか? 今夏、パリに家族で大名旅行した金融業界某氏は、物価が高いことに改めてびっくりしたとのこと。 ユーロ導入で便乗値上げしたんです、と私。 オーストラリア、ヴェトナム、フィリピンは物価が安いし、使うお金に対して、十分なサービスが受けられるのに対して・・・ しかし、グルメの同氏は、毎日ミシュランの星つきレストランやらフランス料理を堪能したという。 

カナダも暮らしやすいらしいですよとは、家賃収入ありの余裕の若旦那。私もうなずく。 フィリピンは治安が?ですよね。 海外も良いが、個人的には、日本の田舎がいいと思う。空気がきれいで、治安もいいし、人口密度も少ないしゆったりしている。 野鳥観察を思う存分できる環境があるし、子供の頃親しんだ釣りだっていつでも出来る。 夢だが、農業もやってみたい。従兄に、雑草取りが大変で、皆挫折するぞ、と言われたが。 

それぞれの背負っているものと、まだまだ10年、20年、30年、ひょっとして40年は生きていられそうな?この国で、さあ、何をしようか、との思いが交錯する。 わくわくドキドキとまでは言わないが、楽しく充実したいという思いがある。 自分で時間を自由にすること、が何より大事だと思う。 そして、その自由に出来る時間にあとは何をするかだ。 サラリーマンから折角足を洗ったのに、また半年もたたないうちにサラリーマンに戻ってしまった自分は何なのだろうか? との自省する声も心のなかで響く。 21時過ぎ、さてとぉー、そろそろお開きにしますかぁ。 家路について田舎に帰り着いたのは23時過ぎだった。

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ロシアとは?

ロシアの沿岸警備隊の発砲をされて日本漁船の船員死亡事故が起きた。 だから、というわけではないが、山内昌之氏の「ラディカル・ヒストリー  ロシア史とイスラム史のフロンティア」を昨夜紐解いた。1991年に出た本だからもう15年前だ。私の場合、積読が多い。 そのころ、ソ連が崩壊した直後だった。 それで、タイトルに引かれて衝動買いしたのだと思う。

日本にとって、ロシア(ソ連)は、幕末以来、常に北方からやってくる脅威だった。日米安保条約でアメリカの核の傘で守られていた冷戦時代は、一番恐怖感がなかった時代かも知れない。 ロシアというと、日本人はロシア文学(ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなど)を思い出す。ソ連といえば、レーニン、スターリンと共産主義。 

輝ける星?社会主義ソ連も15年前にあれよあれよと崩壊して、ロシアに戻ってしまったが、そもそも、ロシアとは何だろうか? 実は、アメリカと並んで、20世紀はソ連の時代でもあった。 20世紀とは、ヨーロッパが没落して、新興のアメリカとロシアが覇権を競った時代と言える。日本もその一角に加わったのだったが。 岡田英弘氏の「世界史の誕生」を読むと、ロシアとは、モンゴル帝国の継承国家と解釈できる、との指摘があった。其の時は、目から鱗であったものの、もうひとつしっくりと理解できなかった。 

そもそも、ロシアは、ビザンチン(東ローマ帝国)の正統なる後継者を持って任じたキリスト教を奉ずる文明国ではないか? アメリカが西へ西へと向かったように、ロシアは、東へ、東へとウラル山脈を越え、シベリアを横断、太平洋に達した。清朝の故郷、沿海州や満洲の地を南下して、時まさに、帝国主義の時代。 ふがいない清朝、大韓帝国の代わりとなって、日本が立ちはだかり、日露戦争ではロシアを破った。 本能的に日本人は北方の脅威ロシアを嫌う。まして、日ソ中立条約を反故にして、火事場泥棒を働いたソ連を誰が許そうか? スターリンは、日露戦争の敵討ちだと言った。ソ連時代の教科書では、日露戦争は日本の侵略と書かれているそうだ。 しかも、真珠湾と同様、戦線布告なしの卑怯な戦争として。

ロシアのアイデンティティは、「タタールのくびきからの開放」に隠されている。この言葉には、遅れた野蛮なアジアの圧制から自らを解放して、西洋の文明の伝道者として、東へ拡張していった自己正当化という契機が見られる。 しかし、山内氏によると、ロシアの祖先たちとアジアが出会った9世紀の頃、彼らは先進文化圏であるイスラム教徒から「さまよい歩く野生のロバ」「不潔で人前でも平気で性行為をする」などネガティブな叙述されているという。野蛮なのは、ロシア人の祖先たちであった。 一方で、このスラブ人の祖先たちは美しいブロンド奴隷としても珍重されたらしい。 女子テニス界の美女シャラポワを思い出せば良い。タタール人とは、フィンランドやハンガリーの祖先と東から移動してきたトルコ系遊牧民の混血だそうだ。彼らが、モンゴルの世界制覇でジンギス・カーンの長男が作ったキプチャク汗国に臣従した人たちでありモンゴルに同化した。また、このタタール人居住地は、イスタンブールとモスクワの中継貿易地としても栄えたのだという。 これが、17世紀のイワン雷帝のころから、徐々に価値の転倒、アジア否定が始まり、ロシアの神話化が始まるらしい。このあたりの逆転現象とロシアの東への膨張はどうして起こったのか? アメリカ、中国、ロシアとそれぞれ違いはあるが、いずれも大文明圏であり、周辺部族を飲み込んで膨張している国である。 日本にとっては、それぞれに厄介な国だと思う。

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二十歳の頃のドイツで・・・

815日、小泉首相が靖国神社参拝でマスコミが朝から大騒ぎしている昨日、成田空港に出かけた。勤めている大学の学生がアメリカの大学に交換留学生として出発するための見送りだった。 アメリカン航空カウンター前は、長蛇の列である。 先週のイギリスのテロ未遂の影響もあり、チェックインは警備体制の厳しさもあって、1時間以上もかかったが、無事、出発していった。 希望に胸を膨らませて、目を輝かせての出発である。 1セメスターだけの留学だが、自分の大学時代の3ヶ月のドイツでの語学研修を思い出していた。 

これは留学ではなく、大学で正規の授業を取ったわけでもないが、やはり自分の人生を振り返ると、とても楽しく、忘れがたい体験であったことは間違いない。1976年のヨーロッパの夏は記録的な猛暑だった。当時、アエロフロートで毎回出るチキンの機内食がうまいナ!?!と思いながら初めてヨーロッパに足をつけたのが、絵本のように美しかったコペンハーゲン、列車でドイツに入りオランダ国境近くのリンゲンという小さな村で2週間の語学研修(現地のドイツ人学生と研修施設にいっしょに泊り込んでの集中講座)や、その後、一人になって、約2ヶ月間、ハノーバーの工場で働いたり、ハノーバー工科大学で知り合った学生たち(ポーランド人、エジプト人、スイス人、オランダ人、オーストリア人、ギリシャ人、スウェーデン人、フィンランド人、フランス人、ユーゴスラビア人、アメリカ人、韓国人、パキスタン人)達と、ベルリン旅行したり、ブレヒトの三文オペラを見に行ったり、フィンランドの女の子と親しくなったり、悪がきたちとFKK(ヌーディストクラブ)に出かけたりして、それは、それは、楽しい思い出だらけで、締めくくりはパリ研修で終わった。ドイツと違ってパリは大都会で、食事がおいしかったこと、そして、滞在中に毛沢東が死んだことが、印象に残っている。 

ハノーバーでは、ある日、路面電車乗り場で電車を待っていると、初老の男がやってきて、「あなたは日本人か?」と話しかけられ、原爆の話をしたこと、 ポズナン出身のポーランド人リシャルト君とは気が合い、ヌーディストクラブで知り合ったドイツ人ペーター君がいる「裸足」という名前のパブでビールを飲みながら、お国自慢をしたり、ドイツ人の悪口をいったり、サルトルのことやゼロ戦の話をしたこと、同じポーランド人でバルバラという名前の女の子が3人いて、皆美人で、ある日、一緒に、フェリー二監督の映画「アマルコルド」という映画を観にいったこと(一人のバルバラはそれはもう肉感的で、顔を10センチ近くまで寄せて息を掛けながら話すのには参った)、Kolpinghausという昔はドイツの徒弟制度で修行する若者が泊まったという宿舎で相部屋になったパキスタン人のイスラムの祈りを見せてもらったり、本場カレーをご馳走になったこと、ギリシャ人の名前(男)がやたらにヤーニが多いこと(その中の一人のヤーニは伊達男で、スウェーデン人の女性を一夏の恋人にしていて、我々男たちが集まる席でのベッドの中の自慢話は羨望の的だった)、インターナショナルの歌を教えてもらったユーゴスラビア人は、ドイツ語が流暢だったが、定冠詞・不定冠詞がまったく欠落していること(最近、当時のアドレス帳にある記帳を見ると、スロベニアはリュブヤーナ出身であることに気がついた)、フィンランド人のユハ君の名前は、スロベニア語では「スープ」という意味で皆で大笑いしたこと、などなど、次から次へと当時の情景が連鎖反応を起こして浮かび上がってくる。 今頃、みんなどうしているだろうか? 

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