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2019年7月18日 (木)

グローバリズムとナショナリズムの相克。つれずれなるままに、もの思い・・・

7月18日(木)曇り

ビーバーの「第二次大戦」は三分の二ほど読了して休憩中だ。今朝は、ヨーロッパの移民問題に警鐘をならした本The Strange Death of  Europeをぱらぱらと読んだ。ヨーロッパでの移民問題とは基本的にはイスラム圏からの移民のことである。この移民の流れはは新自由主義が謳歌を始めた1990年代からとくに勢いを増し、中近東=ほとんどがイスラム圏の政情不安で大量移民が発生し、人々はヨーロッパや北米に百万を超える単位で移民している。民族の大移動である。

米国のトランプ大統領がまたまた騒ぎを興している。レイシスト騒ぎ。対象となったのはいずれも民主党のプエルトリコ系やシリア系の移民(有色、イスラム)などの下院議員。ソマリア出身のオマルさんは、イスラエル嫌い。トランプさんのメキシコ国境の移民の扱いへの批判者だ。直接名指したわけではないが、トランプさんはツイッターで、こういう人たちは破綻した犯罪国家からアメリカにやって来ているが、正義面をして米国政府を批判をするのはやめろ、ぐたぐた言うなら、自分の国に帰れ、という言辞を弄した。

リベラルのマスコミはさっそく飛びついて連日のようにトランプ批判をしている。イギリスのメイ首相も苦言を呈した。カナダの首相の直接の批判ではないが、カナダはトランプさんの言辞に組しない、と表明した。トランプさんの腰ぎんちゃくと揶揄される安倍さんは沈黙のままだ。腰が定まらない韓国にしびれを切らして制裁発動したりで、国政選挙対策で頭が一杯なのだろうか。

アメリカという「国体」はもはやWASPの国ではなくなってしまったというアメリカの伝統的な白人層(20世紀の移民ではなく、19世紀以前の移民でプロテスタント系)の怒りが2016年の大統領でまさかのトランプ大統領選出となった。マスコミの予想と真逆。マスコミは、リベラルのスタンスを取るところが多い。そして、それはユダヤ思想の別名である。人権、平等、正義。聞こえはいいのだが、本音の部分でこれらポリティカル・コレクトネスに本音でうんざりしている人は意外に多いのだ。日本のマスコミもそうだ。安倍批判がかまびすしいにもかかわらず、結局安倍政権は長期政権になっているのは事実だ。自分たちが間違っているということに考えが及ばないのだ。物事にはかならず2面があるようにリベラリズムも問題があるということ。

トランプ現象は、イギリスのブレグジットと同じで、地球全体で席巻の度合いを増しているグローバリズムへの反動である。グローバリズムとナショナリズムの相克。19世紀後半から20世紀前半にかけては、社会主義(共産主義)=グローバリズムの一つの形態とナショナリズムの相克が二つの大戦を招き、その余波は冷戦となって20世紀末まで続いた。

グローバリズムというのはユダヤ思想の実践であると聞いたことがある。第二次大戦後のパレスチナという聖書の聖地にイスラエルというユダヤ人の国家が2000年を超えて再建国!?されたにもかかわらず、多くのユダヤ人は帰国しなかった。誰がユダヤ人なのか、というのは難しい問題だが、すくなくとも2種類のユダヤ人がいることは確かだ。祖国があるにもかかわらず異邦人として異国のなかで生きる道を選んだ人たちと、今や、イスラエル国民となりヘブライ語を話し、イスラエル人としてのナショナリズムを奉じている人々だ。ディアスポラ(流浪)のユダヤ人とイスラエル人とは希求するものが違うのだ。ジョージ・ミケシュのちょっとふるいけれど1970年前後のイスラエル旅行のルポルタージュでも、イスラエルでは、東欧独特の自虐的なユーモアは胡散霧消したとあった。

アメリカの孤立主義が積極的な介入主義に転換したのは、1913年に連邦準備制度(中央銀行)が設立されてかららしい。驚くべきことは、このアメリカの中央銀行はアメリカという国=国営の銀行ではなく、民間銀行(ユダヤ勢力が有力)連合による組織(ロンドンのシティとニューヨークのウォール街)なのだという。このひな形は、ヨーロッパの封建時代に王室の金庫番(キリスト教はお金を卑賤なものと考えていた)として出入りしていたユダヤ人金融家の拡大版である。

戦争をする財源は、基本的に国民の税金である(昔は王様のポケットマネーだったから、戦争は限定戦争で、兵士を大事にした。兵士を消耗品として無慈悲に扱うようになったのはナポレオンが作った徴兵による国民皆兵ができてから)。戦争をするためにはお金が必要だ。日露戦争のころの日本は貧乏でロシアと戦争するのに当時の金融の中心であったロンドンのシティで資金調達をしたがシティは冷たかった(有力銀行のロスチャイルド勢はロシアのバクー油田の利権があった)。日本の戦争債を買ってくれたのはクーン・ローブ商会のシフ(2007年のリーマンショックで倒産)でロスチャイルドのアメリカのパートナーだったウォール街の金融家(ドイツ系のユダヤ人)だった。本質は、国際金融資本が両方に投資してリスクヘッジをしたのだった。

国際金融資本は、本質的に国籍がない。連邦準備制度とは、国際金融資本のアメリカ乗っ取りであった。アメリカが戦争をするたびに戦争国債が発行されるが、ドルを供給するのはプライベートな国際金融資本である。貸し倒れはない(アメリカが崩壊する以外は。崩壊したとしても、必ず逆張りをしているからすっかんぴんにはならない)。担保が税金であるのだからこんな楽な商売はない。

第二次世界大戦中、何故、共産ソ連と英米が手を組んだか。共産主義とはグローバルな思想であり、ユダヤ思想そのもの(マルクスはユダヤ人、ロシア革命も実質的にはユダヤ人が起こした革命で、ロシアの大地を愚直にたくましく生きるロシア人農夫とは無縁なものだった)であり、国際金融資本にとってソ連と手を組むことは問題にならなかった。第二次大戦直前のアメリカの国内は、非介入派と介入派に割れていたが非介入派が圧倒的だった。介入派=グローバル派=国際金融資本の論理で動く政治勢力であった。20世紀前半のアメリカとは、少数派であった介入派が多数派の非介入派であったアメリカをグローバル化=非WASP化する過程であった。ソ連との提携は介入派からすればごく自然なことであった。こう理解しないと、何故にルーズベルトはあれほどまでにナイーブにスターリンと仲良し関係を維持したのかが理解できない。ベルサイユを主導したウィルソンも4選を果たしたルーズベルトも取り巻きのブレーンたちは社会主義者であった。戦後、冷戦になったのは、スターリンが一国社会主義=ナショナリズムを選択したからだった。つまり、グローバリズムを否定したからスターリンが敷いた一国社会主義のソ連は結局潰された。

マネーというのは魔物である。人間の進化の本質にかかわるものではないか。世界でおこる出来事には金融資本の動きが深く関わっている。ひとことで言えば、私的所有の自由と私的利潤追求が人間活動のダイナミズムを生み出す。マネーがマネーを生み出す錬金術。信用の創造。人はマネーの魔力に囚われるのだ。人類という集団(下位には民族とか部族とかいろいろあるだろうが)を動かす本質的な何者かである。

ここで、いきなり、ドイツの哲学者(意志と表象の世界、という著書で有名)ショーペンハウアーの言葉をひくと:

Ein Mensch kann zwar tun, was er will, aber nicht wollen, was er will

A man can surely do what he wills to do, but cannot determine what he wills.

人間は自分が欲することを成すことは確かにできる。しかし、自分が何を欲するかを決めることは出きない。

盲目の意志につきうごかされる人類。

いわゆる陰謀論がいうような金融資本家が世界史的な事件を仕組んでいるのではないだろう。金融資本家は、マネーの論理で動いているだけというか、状況設定はしている。そして、相場を張る。政治状況、とくに、戦乱は、連中にとっては一番のチャンスだ。リスクが大きいほど利潤も大きい。そして、逆張りもする。近代の歴史(西洋が中心となって作り上げてきた近代資本主義世界)はマネーのゲームが加速度的に地球全体を覆う過程であった。グローバリゼーションとはこのことだ。近代資本主義=西洋文明のもうひとつの粋はテクノロジーだ。しかし、マネーなくしてテクノロジーはない。

マネーの論理につき動かされた人類の興亡がすなわち歴史である。目下、マネーを支配している国際金融資本の拠点はロンドンのシティーとニューヨークのウォール街である。いずれもアングロサクソンの国金融都市だ。アングロサクソンが覇権を握ったというより、国際金融資本、すなわち、ディアスポラのユダヤ人をうまく利用したことがアングロサクソンの繁栄をもたらしたということだろう。日本に反ユダヤ主義はないけれど、ユダヤの本質を見誤ったというかまったく理解していなかったことが、20世紀前半で自らの破局を招く原因となったのではなかったか。

マネーの論理は、ソ連に見切りをつけた後、極東の中国大陸でウォール街が中国共産党と結託して現代中国を作った。そして、投下資本からたっぷりと利益を得た国際金融資本にとって、どうやら、中国はすでに用済みになりつつあり、マネーは次の利潤をうむ投資先を探しているらしい。北朝鮮は、そんなポテンシャルを備えた一つの候補らしい。現状では二束三文の価値しかないが、韓国という片割れと合体すれば安い労働力と高い教育レベルでたちまち爆発的な経済成長が見込める、ということだ。

馬渕睦夫氏(もと外務省官僚、ウクライナ大使)によると、最近の北朝鮮とアメリカの接近は、国際金融資本の意志によって実現したものだという。そう言えば、米国人の投資家ジム・ロジャースは本国を引き払い、現在はシンガポールに拠点を構え、ハノイでの米朝会談前に日本語で本を出したが、次の有力は投資先は北朝鮮だと宣言していた。

マネーを媒介に、利潤を最大にすべく金融資本家が暗躍=状況設定するなか、様々の立場の様々の人々が必ずしも合理的には行動するとは限らない不確定要素を持ってドラマを繰り広げるているのが日々の現実ということだろう。

トランプさんだが、彼は根っからのビジネスマンだ。不動産業の。彼に、文明史的な教養と歴史観があるとは思えない。もちろん、取り巻きの専門家アドバイザーはいるけれど、内容はあまり理解しないらしい(読まない)し尊重しているようにも見えない。アメリカよ、どこへ行く、である。

 

 

2019年7月17日 (水)

マイワシ70尾、手長エビ4尾。

7月16日(火)曇り

昨年のこの時期と違って台風や大雨は降らないけれど涼しい日が続く。御日様が顔を出さない。何度か海に出かけたが荒れていて竿をだす気力がでない。12日(水)、たまたま寄り道した那珂湊漁港(魚を買うつもりで)マイワシが爆釣であった。お昼前のことだ。車につんだままにしてあるやわらかい竿にサビキ仕掛けをセットして竿を出した。第一投から釣れた。入れ食いである。コマセを巻く必要がない。コマセを捲いている人曰く「捲くいてる時間がないよ」。30分ほどで70尾。切り上げて帰宅。サイズは18㌢前後と小ぶりではあったが。

Iwashi

背開きにして小麦粉をまぶし、オリーブオイルでさっと焼いて(揚げて)レモン汁を絞ってビールを飲む。うまい!

Iwashi_20190717091501  

残りは、甘露煮(母が作る)、毎朝の塩焼き、そして、オリーブオイルとニンニクを効かせて玉葱とジャガイモのサイコロ切りと一緒に炒め、白ワインで蒸し煮にしたりした。

12日(金)は母の88回目の誕生日のお祝い、13日(土)はYちゃんのママの誕生祝いの夕食で上京したりしながら、昨日までは、某通信添削会社の仕事が始まってエネルギーを使った。

一段落した今日も天気はよろしくない。冷蔵庫の一番上の段の奥に保管した餌もくたくたになっている。そうだ、手長エビ釣りをやろう、と思いたって、午後から那珂川に出かけた。大潮で上げ潮。

Tsuriba

Tenagaebitsuri2

最初の1時間はいろいろ探ったが、ようやくあるポイントでアタリが来た。手長エビといういう名前そのもの、長い両手をしたエビが釣れた。

Tenaga2_20190717092601  

2尾目 

Tenaga3

3尾目(右のハサミがない)

Tenaga4

4尾目

Tenaga5

16時半、満潮で護岸が水浸しになったので納竿。2時間半で4尾。いまひとつだが、コツは分かった。エビの通り道があるらしくポイントをみつけたらそこを集中して狙うことが大事だ。今日の4尾はすべて同じポイントだった。次回はもっと釣果を上げたいなぁと思いつつ帰宅した。

Tenaga1

 

2019年7月 7日 (日)

なかなか数釣りにならないイシモチ。

7月3日(水)曇り

朝3時に目が覚める。血が騒いだからだろうか。大洗にイシモチ釣りに行こうかと迷ったが、やめた。歳を考えろという忠告する声が思いとどまらせた。

ビーバーの「第二次大戦」を読み続ける。スターリングラードの敗北は決定的であった。その後4月から8月にかけてクルスクでの独ソの死闘が続く。しかし、この戦いも、英米のシシリー上陸(7月)によって戦力の一部をイタリーに動かさざるを得なくなりクルスクでさらなる敗北を喫する。1943年の11月にはカイロ会談とそれに続くテヘラン会議が開かれる。。前者は、ルーズベルトのアレンジで蒋介石夫妻が招待された。イギリスはアメリカの意図をいぶかっていた。スターリンは参加しなかった。日ソ中立条約や新疆での中華民国との国境問題もあり、そもそも、スターリンは中国を戦後の世界支配のパートナーとして見なすことに反対であった(イギリスも同じ)。蒋介石夫人(宋美齢)は総統に張り付き、通訳の英語にケチを付けたり、蒋介石の発言を補足したり、目に余る振る舞いをしたらしいが、このカイロ会談でルーズベルトは植民地問題でチャーチルをいびる。戦後のアジアの植民地解放されるべきだ、インドシナは日本の敗戦後、フランスに戻ることはないとド・ゴールさんが聞いたら怒り狂うだろうことを平然と述べた。

チャーチルやイギリスの幕僚たちはルーズベルトに不安を持ち始める。チャーチルの側近(帝国参謀本部総長のブルック大将)は「イタチだかテンの合いの子のような顔をした蒋介石は、目下繰り広げられている世界の戦いの全体像を理解しておらず、様々な交渉から自分たちにとって最大限の利益を見出そうとする狡猾な狐のようだった」と回顧している。

いずれにしても、英米は一枚岩ではなかった。ルーズベルトらアメリカ側をいら立たせていたのは、チャーチル主導のイギリス側が、スターリンの要求するフランス本土への反撃を避けて、北アフリカからイタリアに侵攻し、アドリア海からギリシャ、バルカンに英米の連合軍を侵攻させようとする動きだった。スターリンは、英米のイタリア侵攻に関し、一切埒外にあったことに憤激していた。これは、逆に、スターリンにポーランド問題で、連合国側に譲歩させる口実を与えることになっていく。スターリンは、ルーズベルトの植民地批判では立場を同じくしてイギリスの帝国主義に厳しい目をむけルーズベルトと親密な関係を演出した。バルカン方面(東ヨーロッパの共産化を防ぐ意図があった)への進撃を主張するチャーチルの目論見を挫折させ、1944年5月にフランス上陸作戦を実施を決定させた。テヘラン会談の勝者はスターリンだった。ポーランド問題も、大西洋憲章ではヴェルサイユ条約でひかれた国境の変更を認めない、としたにも拘わらず、スターリンの主張(ナチスドイツとの不可侵条約で得た東部ポーランドはもちろん、バルト三国は言うに及ばず)を認める流れになっていく。チャーチル自身は、個人的に自分が敗北者であり、この会議の真の勝者はスターリンだと悟った。二つの会談終了後にはすっかり疲れ果て精神的に落ち込み、しばらくは立ち直れなかった。そして、これ以降、第二次大戦の終了まで、チャーチルは、脇役の立場になっていく。モスクワを死守し、スターリングラードで勝ち、クルスクで勝利を収めたソ連の軍事力はいまやとてつもないものとなっていた。スターリン自身、戦後のヨーロッパ(ドイツという強国がなくなれば)は自分の意のままだとの自信を持ちはじめる。

 

午後から、那珂川河口へ出かけた。昨日の状況からすると10尾くらいは狙えるとの淡い期待を持って・・・。しかし、現実は甘くなかった。初っ端に早速に1尾(25㌢)を釣り上げ気合がはいったにも関わらず後が続かなかった。

Ishimochi1

魚が群れて釣れる場所があって、そこは地元のベテラン釣り師が陣取っている。それでもポツリポツリ釣れていはいたが昨日のような勢いはなかった。まったく、 釣りというのは不思議なものだ。昨日と何が違うのか。確かに、昨日より涼しかったが、空はどんより曇って海は笹濁り、釣れてもおかしくない雰囲気だったのに。まあ、ボウズではなかったのは幸いであろう。一人の左投げのベテラン釣り師と顔見知りになった(昨日は1尾しか釣れなった)。彼は朝から来ていて、昨日ボンボン釣れていた場所を陣取っていたが、あまりに釣れないのでぼやいていた。それでも、5尾は確保していたが皆20㌢くらいで小物だった。1.5号のPEラインで軽く5色(125㍍)は投げるよ、と。しかし、ここは、遠いポイントの海底はサラサラでヨブがない。3色から2色(40㍍~80㍍)のところで小さい起伏みたいなものがあるのでそこに仕掛けを置いてアタリを待つしかない、とのこと。遠くに投げても駄目だよ、と。自分は、1号のPEでやっと4色(100㍍)だが、遠投は必要ないようだ。だから私で釣れるのだろう。このベテラン釣り師は、いつもはずっと南のサーフでやってるらしいが、話を聞くと30尾、40尾のイシモチを釣るというのだからすごい、というか、釣り師にある法螺話だろうか。自分の自己最高は20尾前後だが、40尾だとクーラーボックス一杯になるだろうけれど、一度そんな大釣りをしてみたいものだ。

あまりに釣れないので17時前に帰宅。夕食はソイの清蒸を作ってビールを飲んだ。香草は庭に自生している三つ葉(母が植えたという)を使った。出来栄えはグッド。

2019年7月 4日 (木)

大阪ナオミ、ウィンブルドン一回戦で散る。久しぶりのイシモチ釣り。なす味噌炒め。

7月2日(火)曇り

ウィンブルドンのテニス選手権が始まった。どいうわけか、自分は中学時代にテニスクラブ(と言っても軟式)に所属して3年時には県大会で優勝、全国大会にも出場(2回戦で敗退、女子は全国優勝)という経歴をもっていることもあって、テニス観戦は昔から好きだった。当時は、ウィンブルドンというより、デビスカップに注目していた。東洋ゾーンの難敵はインド。いつも負けていたなぁ、インドに。憎きクリシュナン選手は強かった。

世界4大トーナメントでは、ロッド・レーバー、スタン・スミス、ジョン・ニーカムなどオールトラリア全盛でや米国も強かった。そして、1980年代になると、ジミー・コナーズ、コートでのマナーが悪い「悪ガキ」ジョン・マッケンロー、

Warugaki

などのアメリカ勢が目立ち、そして、ボルグ、ヴィランデル、エドベリなどのスウェーデン勢が台頭した。チェコのレンドル、ドイツのベッカーなど他の欧州勢も出てきた。私のテニス観戦はこのあたりまで、その後は徐々に遠ざかって記憶は薄い。女子だとビリー・ジーン・キング、クールな美女クリス・エバート、

Evert

筋肉質のレスビアンことナブラチロワ。ベべッティーナ・バンジ(ドイツ系アルゼンチン、英語読みだが、ドイツ語読みならブンゲ)という美女もいたなぁ。2000年に入って、近年薬物問題で追放?されたシャラポワというロシア人美女も目を楽しませてくれた。前置きが長くなったが、大阪ナオミ選手が一回戦敗退。全豪オープンで優勝して世界ランキング1位になったが、コーチを解約して(何かトラブルがあったか?お金の問題?)から、おかしくなった。全仏でも結果が出なかったしメンタルなものだろうと推察される。このままずるずると舞台から消えてしまうのではないかという悪い予感がする。当たらなければいいのだが。

今日は朝から曇り空。そして蒸し暑い。こんな時はイシモチが釣れるのではないか、と那珂川河口へ午後から出かけた。川側で竿をだした。4人、5人ほどいたが誰も釣れない。2時間が経過した。2週間前知り合った人がやって来た。偵察である。海側を見てから戻ってきて、釣れてるよ、との情報。急遽、移動した。満潮直前の16時前だった。10人ほどがずらりと護岸に並んでいた。第一投。80㍍投げる。30㍍手前までさびくが空振り。両側ではアタリがあったのかイシモチを取り込んでいる。第二投。50㍍付近でついに来たぁ!ガガン、ガガガ―ンというあの強烈なアタリ。目測28㌢前後の良型だった。一匹釣れたのでこれで安心した。第三投目。40㍍付近でまたアタリ。今度は少し弱かったが20㌢越えのイシモチが釣れた。なーんだ、釣れるじぁないかぁ。しかし、残念ながら潮どまりにはいったのか、ピタリとアタリが出なくなった。1時間粘ったが、フグが釣れたので納竿。現場の人と言葉を交わしたが、朝からポツリ、ポツリと釣れたらしい。右手50㍍ほど離れたところの釣り師は、一投ごとに釣り上げていた(15尾前後あげたらしい)。明日は雨でなければ最初から海側で竿を出そう、と思いながら家路についた。

Oarai

Ishimochi2

帰宅したのは18時半すぎ。外はまだ明るいが、両親はすでに夕食を済ませていた。釣りの魔力に負けてヘルパー役をサボってしまった。すまないと思いつつ、急いで、豚のロース肉と茄子とミョウガを使った味噌炒めを作ってビールを飲んで自分の夕食を簡単に済ませた。この一品、ウーウェンさんのレシピを参考に作ったが、お酒にもご飯にもぴったりで病みつきになりそうだ。茄子の季節になったが、地中海料理のラタトゥイユ(茄子とトマト他の野菜のコラボ)、焼きナス(油で焼いても可)を生姜醤油で食べたり、とこのところ茄子を食べ続けている。

Nasu

2019年7月 2日 (火)

トランプ氏、38度線を超える!

7月1日(月)雨のち曇り

トランプさんが北朝鮮の金さんと電撃ミーティングを挙行。世界はあっけにとられた。非核化交渉を再開することで合意したということらしいが胡散臭いと思うのは私だけだろうか。去年のシンガポール(6月、私は左足でどん底の気分だった)から今年2月末のベトナムまでは、何かが起きそうだという期待感があったが、結局第二回会談は破局に終わった。核の完全廃棄の意味するところが明確にならないまま、事が進むはずがない。北朝鮮は、完全核廃棄をする意思表示をすることで、トランプさんの国内事情の弱みに付込んで、核を保持したまま制裁解除をしようとしたのだったがトランプさんもそこまでおバカさんではなかった。

それでも、トランプ流のトップ会談で物事を決めて動かすという自分流のビジネス交渉スタイルは健在である。今回のトランプさんの会談は、彼流の主として国内向け(来年の選挙対策)かつ世界に向けてパフォーマンス、トランプ劇場の再現だろう。中味はほとんどないような気がする。アメリカ、中国、ソ連のそれぞれの立場と思惑が交錯する中、金さんはそれぞれに歩み寄り(韓国と日本は蚊帳の外、単なる、お金を貢いでくれる対象としてか思っていないようだが、仕方がない。両国には国際政治の現状を変える「政治力」はないのだから)おいしいところとりをしたい、とチャンスを狙っているようだ。そもそもの制裁のイニシアティブはアメリカにあるのだからやっぱりアメリカがカギであることはよくわかっている。

現実には、しかしながら、交渉再開するとして、何ら両者のスタンスが変わることはないだろう。日本にとっては、トランプさんが軽々しく行った短距離ミサイルはどうでもいい、というのはちょっと待てよ!である。あんただけが世界を背負っているわけではないぜ、である。安保無用論も彼個人の昔からの持論らしいが、この人の言動は、これまでの歴史的経緯をかなりというか全く蔑ろにしているのか、あぶなっかしい。

以下BBCにあったある記事の一部:

The images were mesmerising, but to what end? Donald Trump's unorthodox diplomacy has certainly reduced tensions on the Korean peninsula, but it has not stopped North Korea from continuing to expand its nuclear arsenal.

(目がくらくらするほどの二人のシーンだったが、そもそも何のためか?トランプ氏の型破りな外交はある意味朝鮮半島の緊張を緩和しているだろうが、北朝鮮の核兵器庫は拡大し続けている。)

This relationship has produced smiles and handshakes but not the denuclearisation of the Korean Peninsula. Donald Trump's visit to North Korea lasted just over a minute - more than enough time, his critics will say, to legitimise a totalitarian regime with one of the worst human rights records on the planet.

(二人の現時点での関係が笑顔と握手を演出したとしても、朝鮮半島の非核化を実現するものではない。トランプ氏が北朝鮮に1分以上(これだけでも十分すぎる)訪問したことは、この地球で最悪の人権蹂躙記録を有する全体主義政権を合法化するものだ、と批判者たちは言うであろう。)

正鵠を得た批判だと思う。冷戦の化石のような負の残余物である北朝鮮。核を抱いてサバイバルを計る金王朝一族とその取り巻きのために世界はまだまだ振り回されそうである。こんな国を(冷戦が終わるまで)「理想の国」としして日本の戦後左翼リベラル(朝日新聞等)は賛美しつづけていたのだし、若き日の自分もすなおにそれを信じていた(理想の社会主義国家=北朝鮮;右翼反動=韓国)のだったが、今では遠い過去のことであり、人間は時代の環境でいとも簡単に「政治の嘘」を信じてしまうものだということを苦々しく思うだけである。

それにしてもトランプさん、就任以来、精力的に物議をかもしながらしぶとく頑張っている。何といってもアメリカの動きは世界全体をゆるがすマグニチュードを持っているのだから、プラスの方向に寄与してほしいと思うだけだ。

今日は、Yちゃんのお母さんの誕生日。お祝いのメッセージを送る。私より一回り若い世代だが同じ干支である。午前中は雨だったが、午後は止んだ。那珂湊に魚の買い出しにでかけたついでに1時間半ほど竿を出した。大潮。上げ7分から8分。期待したが、海からはの反応はなし。一度だけ大きなアタリが来た(たぶん、イシモチ)がすっぽ抜け。シロギスを狙った7号針ではどうしようもなかった。あえなく撃沈。トホホ。

2019年7月 1日 (月)

ツバメの子育て、アントニー・ビーバーを読み進める。

6月30(日)雨

一昨日から雨が降り、自宅にこもったままだ。アントニー・ビーバーの「第二次大戦」に没頭する。スターリングラードの独ソの死闘、カサブランカ会談、北アフリカ戦線でのロンメル率いる独伊軍と英連邦軍(途中から米軍も加わる)、珊瑚礁海戦、ガダルカナル、ビルマ戦線、そして、再び東部クルスクでの独ソの死闘(まだ途中)。

その間、G20が大阪で開催。このところ世事にまったく背を向けたままだ。トランプさんは大阪帝国ホテルに宿泊したらしい。ここは自分自身も1度か2度仕事で宿泊したことがある。1990年前後だか。習近平さんはウェスティンホテル。このホテルは知らない。ロシアのプーチンさんはリーガロイヤルホテル。何度も出かけたホテルでなつかしい。自分が30歳代のころだ。

食糧品調達をするKストアではツバメの巣が二つあって子育てしている。一つのほうはもう巣立ち寸前。もうひとつはまだ卵から孵って1週間といったところ。実家の家の屋根瓦ではスズメが子育てしており、2軒隣のいまは空き家になっているブロック塀の中ではシジュウカラが子育てしている。またつい数日前は巣だったばかりのヒヨドリの雛(羽が短い)が家の東向きのブロック塀の上で給餌をうけているのを目撃した。1羽だけだったが、前日、近くで親鳥が悲痛な声をあげていた。おそらくもう一羽だか二羽だかいたはずだが、巣立ち雛がカラスの餌食になったと思われる。野鳥はまだまだ子育て真っ最中。Kストアのツバメはカラスの餌食にならないことを祈っている。

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以下、ビーバーの本を読んで理解したことや勝手な想像の飛躍を記す。

大戦中のフランスに関連して:

東部(スラブ)と西欧とのヒトラーの戦いはまったく内容といいその過酷さといい雲泥の差であった。フランスはあっけなくドイツに敗れ去ったが、停戦協定を結び、第一次世界大戦の英雄ペタン将軍を首班とするヴィシー政権が成立した。伝統主義者、王政復古派、カトリック派からナチスに共鳴する革新保守派などが集う政治的には、反民主主義・反社会主義・反共産主義な政府だった。ナチスの対外戦争に中立の立場をとる、実質的には親ナチ政権であった。150万だかの壮年の男性はドイツに強制労働として供出され(朝鮮半島からの徴用工みたいなものか)、陸軍は実質的に解体され、海軍は、ドイツの敵対国に軍艦を渡さないことを条件に保有が認められた。アメリカやソ連は当初このヴィシー政権を承認した。ドゴール将軍の自由フランス亡命政権(ロンドン)をチャーチルの傀儡政権ではないかと警戒したるルーズベルトのアメリカは認めなかったらしい。イギリスは、ヴィシー政権がナチスに協力的だということでフランスの軍艦を攻撃して1300人の犠牲者を強いるなどの行動もとっている。

余談ながら、パリはフランス側の無防備都市宣言による無血開城でドイツ軍が占領した。日中戦争時の首都・中国の南京と大違いである。もし、蒋介石が無防備都市宣言をしていたら、南京虐殺(大がつくかどうかは今もって疑問符だと思う)は起きなかったのではないか。後述する重慶爆撃と同様に、どうも、中国の指導部は、欧米の支援をえるためのパーフォーマンスとして、人民の生命を無慈悲に扱ったのではないかと思える。それとも単なる無能のなせる業だったのか。日本の軍隊側にも当然ながらdehumanization processが日常的にに行われ、捕虜に対する、そして、中国人一般に対する蔑視が相乗して、結果として今日なお和解することがほぼ不可能なとんでもない事態を作り出してしまったことは否定できない。

北アフリカでの英米による上陸作戦(スターリンの要請は、フランスへの連合軍上陸による第二戦線の展開であったが、陸軍国ではないイギリスと遅れて参戦した米国には十分な準備が整っておらず、まずは、手薄な北アフリカに「トーチ作戦」を実施)を実施することになった。アメリカ側には、大英帝国の植民地保持のために戦っているのではないと皮肉る人が多かったがルーズベルトがとりなした。

地中海の制空権と海軍力で勝るイギリスは苦戦しながらもロンメル軍団のロジスティックスを断ち追い詰める。そして、初の英米合同で行われた北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)が成功裏に実施される。統率するのはあのアイゼンハワーである。北アフリカの「自由フランス領」(アルジェリア)の指導者をめぐってドタバタ劇が展開された。チャーチルが押すドゴールを嫌ったルーズベルトはヴィシー政権の重鎮であるナチスシンパと見做されかねない軍人(ダールランやジロー)などを押すなど奇怪な様相を呈するが、チャーチルの計らいもあって、カサブランカ会談(1943年1月)ではドゴールとジローの両将軍が握手する一コマを演出した(ダールランは直前暗殺される)。

独ソ戦の展開によってドイツの戦争経済に貢ぐことを強いられたフランスの生活の窮乏化や、1943年2月のスターリングラ-ドでのドイツの敗北でどうもドイツは負けるのではないか、ということが徐々にわかってくると、それまでは、従順にナチスの占領に従ってきたフランス国民の離反が始まった。カサブランカ会談の結果、ジロー将軍を首班(軍事を統括)として政治面の実権を握るドゴール将軍と形式的にせよ手を結んだことで、フランスの海外植民地の重要な一角が英米連合国側に組する姿勢が鮮明となり、ドイツは、アントン作戦を実施。フランス全土が占領され、締め付けが厳しくする一方、反ナチスドイツへの地下活動が徐々に活発化していく。

1942年のアジアの戦局:
2月のシンガポール占領、3月の蘭印占領までは破竹の戦いぶり(満を持しての戦争準備をしていた日本と欧州と大西洋の戦いにかかりきりの英米の準備不足の差は歴然。日本を見くびっていた英米にも責任の一端はあった)であった。しかし、米国は早くも4月には空母ホーネット等から離陸した米軍機が東京を空襲する。この空襲が、ミッドウェイ―での日米の戦いのきっかけとなるが、日本は大敗する。実質的に日本連合艦隊はこの時点で終わっていた。しかし、海軍はこの敗北をひた隠しにし、現場の人間は転戦を課せられて死地に赴かされた。東条さんを含め陸軍関係者や政治家、外交官は後々までこのことを知らされなかった。また、緒戦の予想外の完勝で舞い上がってしまった軍部は戦線をさらに拡大する愚(米国と豪州の連絡網を絶つため)をおかし、本来であれば防衛圏の体制を固め、相手を待ち受け、日本近海で艦隊決戦をする戦略を徹底できなかった。伸びきった戦線でのロジスティックスの防御の貧弱さをつかれ、無益な増員派遣は裏目となり、マッカーサーの陸軍とニミッツの海軍の両軸作戦によるジリジリと押し戻される展開になっていく。ガダルカナル撤退は1943年2月、時まさに、独軍がスターリングラードの死闘で敗北を喫したタイミングであった。

1942年の英国のドイツへの戦略爆撃の開始:
一般市民を堂々とターゲットにした都市爆撃はイギリスが行った。バトル・オブ・ブリテンではドイツ空軍がイギリス本土を攻撃したが、対象は国際法にもとづく軍事施設がターゲットであった。そんななか、ロンドンに爆弾が落とされる偶発的な誤爆があったが、ロンドン市民を恐怖の底に陥れた。チャーチルはベルリン空襲をその報復として実施した。心理戦でありほとんで物理的な効果はなかったが、これをきっかけに、また、スターリンのヨーロッパ第二戦線展開要請に即座に応えられない代わりとして都市爆撃の比重を加速させていった。米軍も参加するが、ここにはあのカーティス・ルメイ中将も登場する。日本への1944年から45年に掛けて戦略爆撃の前例はドイツ空爆にあった。リューベック、ケルン、ハンブルク、ベルリン、そして、東京、大阪、名古屋を始め日本各地都市が対象となっていく。爆撃によるピンポイント攻撃の効果は疑問視されており、その結果、焼夷弾が考案され、絨毯爆撃によって一般市民を焼き殺す、という恐ろしい戦略となっていった。この、一般市民を攻撃の対象とする国際法違反の空爆の前例として、スペイン戦争時のドイツ空軍によるゲルニカ爆撃(ピカソの「ゲルニカ」でも有名)や、日中戦争時の日本軍による重慶爆撃がよく引き合いに出されるようだ。なお、ゲルニカ空爆は、ゲルニカに軍事施設があり国際法違反ではなかったという論があるらしい。つまり敵対する側のプロパガンダだったというもの。日本の重慶爆撃の無差別攻撃も、実は、軍事施設を狙ったものだったが、蒋介石の計算もあって、軍事施設を爆撃しにくくするために敢えて一般市民を盾にした(市民が居住する地域に施設を移した)ことが招いた結果だとも言われる。巻き添えによる被害を英語ではcolateral damageと言うらしいが、ボスニア戦争やイラク戦争や近年の戦争でも頻繁におこっていることである。

2019年6月27日 (木)

イシモチ狙いの夜釣りは不発。アントニー・ビーバーを読み進める。

6月27(水)晴時々曇り

昨日は夕方から2年ぶりの夜釣りを敢行したがあえなく轟沈。夕食の準備と後片付けが終わった18時前、勇んで家を出た。潮は小潮であまりよくないが、満潮は22時ごろ。上げ潮三分から九分まで那珂川河口でイシモチを狙ったがまさかのボウズ。唯一のあたりはクサフグの1尾だけだった。潮は関係ない?むしろ時間帯か。日没2時間後から深夜にかけてバタバタ釣れる経験は過去に何度かあって記憶に残っている。延長戦をしようか。迷った。が、しかし、歳が歳。駄目なときはダメだとあきらめて納竿(21時半)。帰りに那珂湊漁港に寄り道したが釣り人はほとんどいなかった。15分だけ竿を出して、第一投でシロギスを釣り上げて気が落ち着き家路についた。

今日は、いつもの朝の家事をしたあと、再び那珂湊漁港へ。魚の買い置きが切れたのでお魚市場での買い物が目的だったが、1時間半ほど竿も出した。狙いはシロギス。

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第一投で20㌢前後の良型がヒット。80㍍近く遠投してサビキながら探っていると何と30㍍地点でコツコツコツ―ンという小気味のいいシロギスのアタリの連打が!心躍る瞬間である。その後も投げるたびに40㍍~20㍍地点でアタリが発生し3尾追徴。初っ端に根掛かりで力糸と25号の天秤おもりとともに仕掛けが取られるトラブルもあった。0.8号のPEと力糸の結び目が脆弱ということにあらためて気づかされる。これで2度目のトラブルだ。1000円近いラインと500円の遠投錘が海に消えてしまってすこしばかり心がいたかった。

手のひらより小さいカレイ

Hirame-karei

冷蔵庫の中はシロギスが10尾となった。今度こそは天ぷらを作ってみようか。

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アントニー・ビーバーの「第二次大戦」を読み続ける。北アフリカでのイギリス軍(英国・豪州・ミュージーランド)とロンメル率いる独軍(イタリアがドイツの地中海の護送をする)との戦い。英領マラヤシンガポールの陥落、香港の陥落、蘭領インド、米領フィリピンの陥落。真珠湾攻撃より1時間半早く日本はマレー半島に上陸した。英国に宣戦布告することもなく。チャーチルやルーズベルトにとっての主戦場はドイツが暴れまわるヨーロッパ。日本に対する不安はあったが、見くびっており、チャーチルは2隻の戦艦を新たにシンガポールに配置することで日本を抑止できると考えていた。アメリカもフィリピンの軍事力を増強はしていた。すでに、日本が攻撃をしかけてくることは英米とも予想していたが、日本による彼らの想像を超えた被害にかなり慌てたようである。慌ててはいたが、ソ連のスターリンと同じだった。戦争には勝った、とこの時点で確信しているのだ。この余裕振りは一体何なのだ。戦争に対する見通し(日本は緒戦の半年の展開は想定済みだったがれ以降はまったく白紙だった)のレベルの次元が違いすぎた。

日本に最初の一撃を打たせる英米の戦略は陰謀ではなかった。計算ずくめの冷徹な計算のもとにすすめられた作戦であった。日本は彼らの筋書きどおりに英米を攻撃したのだった。ああ、悲しや。まるで阿呆である。何故、英米をさけて直接に蘭印の石油を取りに行かなかったのか。ハルノートの存在は、事前にアメリカの議会に知らされていなかった。小室直樹氏によれば、ハルノートを新聞等で公表して世界の世論に訴えた上で蘭印の石油を取りに行けば、アメリカは第二次大戦に参戦できなかった、と。岡崎久彦氏はパール・ハーバー攻撃をしなかったとしても、いずれ米英と日本は干戈を交えることになった。しかし、そうだったとしても、真珠湾攻撃がなかったら硫黄島の戦いで休戦協定が成立していただろうと。山本五十六は戦術の天才だったかも知れないが、戦略的観点からは落第生であった。

チャーチルとルーズベルトの間では1000通以上の書簡が取り交わされたらしいがすべてが、今もってすべてが公開されているのではないという。チャーチルの「第二次大戦回顧録」を原文で毎日少しずつ読んでいるが、ルーズベルト宛てのメモ類があちこちに出てくるけれど当然ながら肝心なものは出ていないと推察される。チャーチルは19世紀の人間であり、大英帝国の栄光を一身に背負っていた。一方のルーズベルトは、アメリカ国民と同様、イギリスの植民地主義に対する嫌悪感があった。アメリカの非介入主義者(「孤立主義」というのは、アメリカのモンロー主義=ヨーロッパの政治には一切かかわらない=そのかわり、アメリカの裏庭である南米にヨーロッパは手をだすな、というアメリカの伝統的な国是。このモンロー主義者を非難するためのウィルソン大統領から始まった海外介入積極派による非介入はに対するネガティブなレッテルである。「天皇制」という言葉がコミンテルンテーゼからでているようにマルクス主義史観からくる日本の伝統を否定し、共産革命を起こすことを前提にしたネガティブなレッテルであることと同じである。つまり、特定の立場の人のバイアスがかかっているのだ)。

岩波新書「昭和史」は大変よく書かれた歴史書である。しかし、著者の視点、歴史を解釈するスタンスは、いわゆる「講座派」である。講座派とは、マルクス主義にもとづく歴史観である。彼らの史観によれば、第二次世界大戦とは3つの性格が特筆されるという。同じことは、イギリスの著名なマルクス主義の歴史家エリック・ホブズボームも述べている(「極端な時代 1914-1991」)。

① 帝国主義戦争(英米対日独伊)
② 民主勢力(英米+ソ連)対ファシズム勢力(日独伊)
③ 被圧迫民族の民族解放戦争

①と③についてはまったく同感である。しかし、②は間違っているとは言わないが表現が誤解を招くので言い換えが必要だ。「民主勢力」というのは目くらましの言葉だ。英米の民主とソ連の民主は意味が全く違うのだから。北朝鮮だって人民民主共和国と、民主を謳っている。真相は、「優位にある帝国主義国(英米自由民主主義)」と「赤い帝国主義国(自由民主主義とは無縁の全体主義国家)」によるグローバル版「国共合作」勢力と、「劣位にある帝国主義国(ファシズム、ナチズム、軍国主義であれ、自由民主主義とは無縁の全体主義国家)」との戦いであった、ということだ。「優位にある帝国主義国」と「赤い帝国主義国」と「劣位にある帝国主義国」、つまり、3つの勢力が覇を競うグローバル版の「三国志」であったのだ。だから、1945年の「劣位にある帝国主義国」の敗戦は、第二次世界大戦の終了ではなかった。あくまでも「三国志」の一角が崩れたという意味であって、「赤い帝国主義国」ソ連の崩壊した年、1989年が実質的な終了であった。つまり、「民主勢力」というのは、本来なら相容れない「自由民主主義の英米」と「共産主義・全体主義のソ連」が自らの原則を曲げて便宜上手を結ぶという道徳的な後ろめたさをカモフラージュするための一般大衆にたいするプロパガンダ用語であった、ということである。

20世紀の悲劇は、「社会主義」(インターナショナリズム)と「ナショナリズム」(自民族優先主義)の2大潮流の激闘に淵源がある。その悲劇の度合いも、西洋が生み出した「近代資本主義」が土台とする「テクノロジー」の発達により前代未聞の凄惨さとなった。

日中戦争は、日本が中国に仕掛けた帝国主義戦争であり、中国にとっては民族解放戦争であった。日中戦争の同じバージョンが、1945年以降、朝鮮半島やベトナム、英領マラヤ、蘭領インドで繰り広げられた。イギリスを含む欧州の帝国主義国は、遠隔地アジアで戦力を保持して権益を維持する力はなくあっさりと撤退したが、アメリカは、朝鮮半島とベトナムでドロ沼にはまり前者では引き分け、特に、後者においてはまさに、日中戦争を地で行くような長期戦の泥沼を強いられ結局敗戦と国力の消耗を味わう屈辱となった。しかし、ニクソンとキッシンジャー時代に自ら撤退した、というのがアメリカの自己修正能力の偉大さである。日本が、徹底的に不様な敗戦を自ら招いて、明治維新以来営々として積み上げたすべてを失い茫然自失となるまで転落してしまったのとは大違いである。

英米は決して一枚岩ではなかった。ある意味、同床異夢であった。イギリスから独立した植民地アメリカはむしろロシア革命後のソ連に対する親近感があったことは否定できない。性質はまったく違うが、民が主の、皇帝や王様がいない、共和国であった。ルーズベルトの構想の基本は、植民地主義を否定する点でソ連と価値観を共有し、アメリカとソ連が世界を2分割して牛耳る、それに、アジアは、蒋介石の中国、植民地を清算した大英帝国(植民地がなければ大英帝国は没落するが)の4大国による世界統治だった。ちなみに、ルーズベルトはド・ゴール将軍を毛嫌いしフランスを戦後の世界統治構想からはずしていたが、チャーチルのとりなしでしぶしぶ入れたらしい。ルーズベルトが重用した取り巻きに共産主義者・社会主義シンパが多かった。一部の人間は1990年代のベノナ文書公開でソ連のスパイであったことも実証された。つまり、マッカーシー上院議員が行った左翼狩りは行き過ぎはあったが、主張は間違っていなかったのだ。ルーズベルトは、彼の取り巻きの影響を受けた結果、ドイツの非工業化=農業国化構想、ヨーロッパ大陸全体をソ連に引き渡す考えまで持っていたというから、恐ろしい。テヘラン会議までは楽観主義に満ちていたルーズベルトだったが、さすがに、ヤルタ会談(死の直前)ではスターリンに疑念を持ち始めていたらしい。それでも、ソ連の対日参戦に関連しては千島列島も含む日本の領土や満州での権益(南満州鉄道や大連、旅順などの使用権)までスターリンに譲歩(蒋介石の事前の了解をとることなく)しているのだ。急死したルーズベルトを引き継いだ根っからの反共主義者トルーマン大統領がヤルタの密約を知り茫然自失したのはむべなるかな。

チャーチルは、共産主義にナイーブなルーズベルトへの批判は一切押さえた。チャーチルの側近の証言では、屈辱的なへつらいの態度で接していたという。アメリカの援助なしにはもはや大英帝国は風前の灯であったからだ。1940年5月からのほぼ1年ちょっとはイギリスだけが暴れまわるドイツと孤軍奮闘していた。1941年6月22日の独ソ開戦は天恵であった。チャーチルは、ロシア革命直後に干渉戦争を強硬に主張した張本人であり反共スタンスは筋金入りである。そのチャーチルがソ連へのスタンスを180度変えた。ソ連は難敵ドイツの牙の矛先を受けてくれるのだから、すぐに負けてしまっては困る。頑張れ、ソ連!。すぐさま、チャーチルはスターリンにシグナルを出して、英ソ連携と支援に動いたのだった。疑い深い性格が骨の髄までしみ込んだスターリンは最後までチャーチルの真意を見抜いて疑念を持っていたらしい。一方、天真爛漫なルーズベルトには心底信頼感を持っていたという。何せ、じゃぶじゃぶと援助物資をアラスカ経由、ペルシャ経由でそれも無償で(?)貢いでくれるのだからルーズベルト様様であった。一方のイギリスは口先だけで、援助も時代遅れの役に立たない代物だけだった。

ルーズベルトはチャーチルの、イギリスの狡猾さをしらなかったわけではないようであったらしい。ルーズベルトの取り巻き(親ソ派が大多)は、一貫してイギリスの植民地主義を毛嫌いしていた関係もあり、チャーチル批判が喧しかったという。それを押さえて丁重に扱ったのがルーズベルトらしい。イギリスもソ連もアメリカ頼みだった。ルーズベルト、チャーチル、スターリンの3人の主役は当然ながらルーズベルトであった。そのルーズベルトは第二次大戦の結果を見ることもなくヤルタ会談直後に急死してしまったのは残念である。とくに、回顧録に類する証言を残して繰らなかったことはかえすがえすも悔やまれる。

2019年6月24日 (月)

週末は天候悪し。ビーバーの「第二次世界大戦」を読み進める。

6月23(月)雲り、時々雨

シロギスの天ぷらんは断念。面倒くさい。スーパーで天ぷらの盛り合わせで代替し、7尾のシロギスは素焼きにして酢醤油で食した。シンプルな味で美味。こういう食べ方も悪くない。

終末は天気が悪く、釣行は断念した。日曜日は中潮最後の日で、満潮が夜の21時。サンマの切り身を餌に那珂川河口付近で夕方からイシモチを狙おうと朝からソワソワしていあのだったが、冷たい風が吹き、夕方からパラパラと雨。残念であった。

その代わり、2階のベッドにゴロリとなって3月以来休止していたアントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」に再び着手。3章ほど読み進めた。

以下、その雑感:

独ソ戦開始とともに始まった戦線の背後で行われた陰惨な大量殺戮(ユダヤ人、戦争捕虜、一般市民、はたまた、ドイツ国内の精神疾患者の安楽死)はうんざりする。

7月になると英国とソ連で協定が結ばれるが(共同でドイツと戦う)、その直後、米国のルーズベルトの特使ハリー・ホプキンスがスターリンに会いに来る。現状の確認である。アメリカ大使館の軍事専門家が5~6週間でソ連は負けると考えていたが、ホプキンスはソ連は持ちこたえると結論してルーズベルト大統領に報告するくだりがあるがその判断の根拠は何なのかは本で示されていない。

ソ連に対する英国の援助と米国の援助には雲泥の差があった。イギリスの物質的援助は旧式の戦闘機や戦車で使い物にならなかった一方、アメリカのそれは軍需物資を始め食糧など圧倒的だった(議会の承認を得るために実際にソ連に届いたのはほぼ1年あとのことらしい→グロムイコの回顧録にもあった)。1945年、ソ連がベルリンに快進撃したジープや輸送車はアメリカ製であった。同様に、満州に攻め入ったソ連軍の移動に使われたのも同様であった。

スターリンは、チャーチルに、ドイツの同盟国軍として参戦しているフィンランド、ルーマニア、ハンガリーに宣戦布告するように要請したがなかなか応じなかった。冷酷な計算、つまり、ソ連は負けるだろうという様子見。チャーチルにしてみればソ連ができるだけながく持ちこたえてドイツとたたかっている間に、大英帝国の防衛固めながらドイツとの長期戦を戦い抜く体制を作っていくという冷徹な戦略の計算があった。スターリンはスターリンで、ドイツと西側の帝国主義国との血で血を洗う戦いで消耗させたかった。

ビーバーの筆致では、ルーズベルトのアメリカのソ連支援はまったくの善意、他者への施し的なものだったという書き方をしているのだが、これには疑問符がつくであろう。すでに世界の超大国であったアメリカは、第一次世界大戦においてそれまでの伝統的な国是であった孤立主義を捨てたのであり、この時期は内向的になっていたが、ルーズベルトのリーダーシップは、世界の秩序の混乱要因であった日独伊らの遅れた資本主義国の独裁国家による乱行をイギリスとソ連でが戦うのを支援して、漁夫の利を得ることで世界に君臨する(アメリカ的な民主主義と産業・商業主義を広める)ことを目指していたのだった。

スターリンのずうずうしさ:イギリスのモスクワ大使に、ポーランド東半分やバルト三国、ルーマニアなどナチスと共謀して獲得した領土(かつてはロマノフ王朝の領土であった)を戦後に承認してほしいという要求している。ハリー・ホプキンスのソ連は負けないという判断は、スターリンを始めクレムリン指導部のこのような余裕?から推察したのだろうか。

イギリスとソ連の侵略:ペルシャ(イラン)は中立国だったが、石油資源とコーカサスへの輸送ルート確保のために共同で軍を派遣して押さえた。戦略上の必要から行ったことだろうが、著者はinvade(侵攻、侵略)という言葉を使っている。日本の仏印進駐(英米の蒋介石支援ルートを封鎖するため)と同じことである。

ゾルゲのことも出てくるが、真珠湾攻撃の直前、フォン・ボック将軍の独中央軍がモスクワまで100キロと迫ったところで、ジューコフのソ連が反撃にでる。そこでの主役はシベリアから送られた精鋭部隊であった。ちなみに、孫崎氏の本「日米開戦へのスパイ」では、シベリアの精鋭部隊をヨーロッパに移動させる決断はゾルゲ情報が出る前の時点ですでになされていた(ジューコフの要請によりスターリンが決断)という。ソ連にとっての心臓はソ連の西半分であり極東はいったん捨ててもいいという背に腹は代えられない覚悟での決断だった、と。ゾルゲ情報が決定打となってソ連を救ったというのはすくなくとも事実ではない。

ソ連の強さとは広大無辺の空間と過酷な気候(冬)、無尽蔵と思えるほどの資源(人的および物理的の両方)。総勢150万のドイツ精鋭部隊が蹴散らしても蹴散らしても、どこからか湧いて出てくる戦闘部隊。攻め入って気が付くと長く伸び切ったロジスティック・ライン。分断とゲリラ作戦による後方攪乱。過酷な冬。精神も肉体もやられ戦意を失っていくドイツ軍。

アメリカもロシアもそして、中国も(そしておそらく、インドも)等は別次元の存在である。nationa state(国民国家)を超えた何かである。現状では他の多くの国と同じ振る舞うことを原則とする国際法にしばられる存在ではあるが、いざとなれば、私のいうことが法である、という行動を取れる潜在的能力を持っている。「封じ込めができない存在」とも言える。最悪は、どんな形にせよ自給自足が可能。

ルーズベルトもチャーチルもスターリンもそれぞれの国柄を背負った上での有能で稀有な「独裁者」であったと言えるだろう。ヒトラーという独裁者を持ってしまったドイツは不幸であった。ヴェルサイユ条約という欠陥だらけの平和協定がドイツに押し付けられなければヒトラーは登場しなかっただろう、と言う一部の主張があるが、歴史におけるifだとしても、十分根拠のあるように思える。残念でならないのは、日本にこれら第一級の政治家と伍していける賢明で有能な政治家がいなかったこと。いたとしても、陸軍のテロで暗殺され、結局は1945年の運命を免れなかったのだろうか。

2019年6月21日 (金)

何とかシロギス7尾。

6月21日(金)晴れたり曇ったり

世間を騒がす事件がおぞましい。子どもの虐待による死亡事故は悲惨である。いつの時代にもあっただろうとは思うけれど、豊かになって久しい日本でなぜなのか。農林水産省のもと事務次官が引きこもりの息子を刺殺して殺人罪で起訴される事件もむごい。むかし、息子が親をバットで殴り殺した事件もあった(1980年ごろ)。「8050問題」というのがあるのを始めて知った。そして、警察官が命を狙われて銃を奪われる事件がまた起こってしまった。一方で、交通事故死はかつて年間1万人以上が死んでいたのが昨年は3千人ほどに減ったというのは朗報だ。しかし、気になるのは高齢者が引き起こす事故(逆走、操縦ミス)が頻発している。他人事ではない気がする。

このところ朝の目覚めの読書にシュテファン・ツバイクの日記を拾い読みしている。第二次世界大戦勃発(ドイツのポーランド侵攻)の部分。すでに祖国オーストリアを脱してロンドンに逃れていたユダヤ人のツバイクはそのころ同じユダヤ人で精神分析学の創始者であったフロイトがロンドンで客死した際、弔辞を読みに葬式に参列してた。ドイツのポーランド侵攻の2週間後にソ連がポーランドの東側半分を占領したことに対し何故英仏がドイツと同様に宣戦布告しないのか憤慨している。よくよく考えると、確かに不思議なことだ。ポーランドの独立を保証したからこそ両国は対独開戦に踏み切ったのに、ドイツと共謀したソ連は対象にしなかったのは何故なのか。ヒトラーもスターリンも同じ穴の貉みたいなものだった。ドイツにしか宣戦布告しなかった理由は英仏だけでは、ドイツだけで持て余しているのにソ連も含めて敵対することはまったく物理的に無理だった、という単純な理由からだろう、と推察される。その後の推移で、ヒトラー没落の原因となった2年後のソ連侵攻によってソ連は連合国の仲間になってしまったのだが、イギリスはそれを見通していただろうか。

Zweig

家の玄関先でカメムシを発見。始めてみるカメムシだ。インターネットで調べるとヨコヅナカメムシというらしい。

Kamemushi

水疱瘡の罹患と治療から一ヶ月が経過した。ようやく神経痛も収まり幸いにも後遺症はのこらず完治したようだ。そして、不調のイシモチ釣り(鹿島灘のヘッドランドでは爆釣らしいが、足のケガが治ったとは言え、足場が悪い上に、海に落ちたら離岸流に流されるか、はたまた消波ブロックに挟まれてまず助からないというり命がけの釣りはしない)昨日と今日は半日ずつ那珂湊漁港でのんびりと竿を出してシロギスを狙ってみた。本当はサーフから遠投して本格的に狙いたいしそのためにPE0.8号のラインも準備したのだが、5色、6色(100㍍以上)投げるのがしんどくて結局、漁港でのちょい投げを選んだ。

Nakaminato

昨日は(早朝2時間と午後の1時間半)何とか3尾(13㌢~15㌢)。

Kisu-3

本日は午前中(9時~11時半)で4尾(13㌢~19㌢)。

Kisu-4

合計7尾。先週3尾釣ったときは50㍍先のポイント前後で釣れた。昨日は70㍍地点で2尾、25㍍地点で1尾だった。今日はすべて90㍍地点前後だった。時間と潮の状況でこれほど違うのだからたかがキス釣りとはいえ奥が深い。問題はまだ時期的にキスの存在が薄いことだ。アタリが出たらすこし先になげてそこを集中的に狙うのだけれど2尾、3尾のあとが続かない。アタリが消えてそのままだ。どこへ行ってしまうのか上げ潮のときはどんどん護岸によって来るのだろうし、下げ潮のときはどんどんポイントが遠くなるのだろう。頭で理解はしていても50㍍以上先のポイントへ誤差ナシで仕掛けを投入するのは結構年季がいる技だ。

那珂湊漁港の利点は万が一釣れない場合はお魚市場で鮮魚を買って帰ることができることだろう。今夜は、購入した大きめのメバルの清蒸を久しぶりに作って白ワインを飲みながら食べた。香草は三つ葉を使った。清蒸は、生きのいい素材のおいしさを味わうにはもってこいの調理法だと思う。シロギスのほうは、合計で7尾になったので夏野菜と一緒に近々天ぷらに挑戦してみようかと思う。

Mebaruchnjon

2019年6月19日 (水)

なかなか爆釣モードにならない釣り。ゾルゲスパイ事件について。

6月13日(木)晴れたり曇ったり~6月19日(水)晴れたり曇ったり

またまた日記とご無沙汰してしまった。

イシモチ釣りがなかなか爆釣モードにならない。2時間から3時間やって1尾か2尾ではどうしようもない。釣れないわけではないが時合、バタバタっと押し寄せる生命の息吹みたいなものがないのは寂しい限りだ。どういうことなのだろう。

6月13日の一尾(イシモチ26㌢)@那珂川河口

Ishimoti-26cm

イシモチのボンファム風。

Bonfamu

6月14日の3尾(シロギス3尾、18~19㌢)@那珂湊漁港

Shirogisu-3

本の整理がとまったままだ。コンマリさんの言う通り思い切りが大事だ。もう2度と読まない本はどんどん捨てよう、と思いつつ捨てきれない。
グッバイ・トゥー・ブックス。お別れするにしても今一度何等かで手にして買った本なので確認して処理してから捨てよう、そう思い始めている。その一環ということではないけれど、昔ドイツ語を習いたてのころ、19世紀の作家でシュトルムという人の対訳本を読んだ。整理したら出てきたので先週家籠りしていた間に、毎朝一つずつ読んだ。「広間にて」「マルテと彼女の時計」「陽を浴びて」。高橋義孝訳のみ「みずうう」、「ヴェローニカ」「大学時代」も再読した。

Storm

北ドイツ人のシュトルムは法律家。南ドイツ人のカロッサは医者。創作者(Dichter)としては2流だとは大学時代のN先生の言。カロッサは、第一次世界大戦に軍医として従軍した「ルーマニア日記」を読んだことがある。未読の岩波文庫「美しき惑いの年」を読み始めることにした。毎朝、一篇ずつ。

 

さて、孫崎享氏の「日米開戦へのスパイ」について。

ゾルゲスパイ事件というのは東条英機が近衛文麿政権を崩壊させるために仕組んだ政治的な陰謀だった、というのが同氏の主張で驚いた。日米交渉にあくまでこだわって開戦阻止に望みをかけていた近衛文麿だったが、巌のごとく立ちふさがる陸軍に脅され、ずるずると譲歩を繰り返していた。日米開戦は9月にすでに決定していたが、11月になっても非戦に望みをかけ、ルーズベルトと直接交渉し、天皇陛下の聖断で開戦を阻止することも考えていたようだが、結局、意志薄弱もあって実現することなく、政権を放り出した、と従来はされてきた。しかし、ことはそんな単純な話ではないらしい。

そもそもゾルゲ・スパイリングというのはそれほどおおがかりなものだったのか。赤軍情報部のゾルゲの親分はスターリンの粛清にあい処刑されていた。ソ連崩壊後の資料では、ゾルゲ情報の信用度は低かった。ゾルゲはドイツのスパイだと疑われていたのだ。スターリンは複数の情報網があり、赤軍情報はそのひとつにすぎない。独ソ不可侵条約を破ってヒトラーがソ連を攻める情報はあらゆるところからスターリンには来ていた(チャーチルも私信で警告していた)が、スターリンは信じなかった。そもそも、スターリンの大粛清という凄惨な粛清劇は、ドイツ諜報機関の仕掛けた偽情報をスターリンが信じたために自ら引き起こしたというトラウマがその原因だったらしい。

死刑になった後も祖国ソ連では無視され続けたゾルゲだったが、1960年代半ばにひょんなことから英雄として称えられることになった。冷戦の最中である。ゾルゲ事件は、冷戦下のアメリカによる反共政策(赤狩り)に利用された面もあり、その反動もあったのだろう、ゾルゲの顕彰はソ連側の反資本主義プロパガンダであったようだ。

そして、現在知られているゾルゲ事件だが、ことの真相の一面だけが冷戦時代によって極端にゆがめられたまま現在にまでいたるのだ、というのが孫崎氏の主張である。ゾルゲは自分の情報をソ連だけでなく、いわゆる反ファシズムのスタンスを取る人には分け隔てなく提供していたらしい。それというのも、自分がソ連で評価されていないことへの不満があったからだ。ゾルゲの情報は、実はアメリカやイギリスやフランスの要人にも提供されていた。ゾルゲ・スパイリングの情報は、もっと上のレベルの国際的な諜報ネットワークの中で流通していた。

一つの手がかりは、イギリスのMI6の大物スパイであったキム・フィルビー事件で疑いをかけられていたフィルビーがベイルートからソ連へ亡命した(1961年)ことが切っ掛けとなって、スキャンダル(ソ連側のプロパガンダ的な暴露を恐れて)を恐れたイギリス諜報機関が先手を打って出版した本A man called intrepid(イントレピッドと呼ばれた男)である。この本には日本に関する部分でそれを暗示する記述があるのだという。

暗号名イントレピッドというMI6諜報員がやったことは、第二次世界大戦中にチャーチルがルーズベルトと話をつけて、イギリスの諜報機関がアメリカ国内で堂々とアメリカを戦争に参戦させるため行った世論誘導作戦=アメリカの孤立主義派追い落としキャンペーン(リンドバーグなどの有力な孤立主義者を貶めるキャンペーンを張ったり、ハリウッドでは反ナチス映画を作った)である。

ゾルゲの日本国内の情報ネットワークには、実は執行猶予とはなったが事件に連座した共産主義者・西園寺公一(西園寺公望の息子)がいるほか、陸軍(特に、皇道派)ともつながっていた。しかし、陸軍には司直の手は伸びていない。況や、英米他の関係筋についても同様である。今日までゾルゲ事件の研究からはこの部分が抜け落ちたままなのだ。

Sorge

終末は1ヶ月ぶりの上京。叙々苑でYちゃん親子と焼き肉を賞味した。

Jojoen

その前後も含めてこの数日は、某通信添削に関わることに没頭、なれないこともありエネルギーを消耗してしまった。続けるべきか、やめて、もっと単純で歩合のいい仕事をするべきか。

一段落した明日は降水確率30%だが、早起きして久しぶりの釣りに出かけようかと思っている。大潮で絶好のタイミングだ。大釣りは大潮直後の中潮とはいうらしいが。

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