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2019年8月12日 (月)

あっと言う間に一週間が過ぎ、いよいよお盆突入。映画「父親たちの星条旗」

8月12日(月)晴

ニイニイゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシと4種の定番の蝉が出そろった。真夏を実感する時期である。庭の水掛けは毎朝・毎夕の日課だが、蝉の抜け殻を発見!

Nukegara

水道蛇口のバケツにはカメムシの子どもがおぼれ死んでいた。見た目は美しいカメムシ。

Kamemushi_20190812111101          

玄関の大きな鉢に水を掛けるとオンブバッタの子どもが数匹かたまって、洪水に大わらわ。驚かせてしまった。

Onbu

朝食は、いつもの自己流ナシゴーレン。

Jikoryu-nashigoreng

先週初めの月曜日の夜、映画「父親たちの星条旗」をBS放送で観た。以前「硫黄島からの手紙」を観て随分昔にブログに感想のコメントを書いたことを思い出しながらだ。この時期になると広島や長崎の原爆、終戦(敗戦)記念日が続き戦争ものが放送されうのだろう。大岡昇平の「野火」や米国映画でチャールトン・ヘストンが主演した「ミッドウェー」も前後してやっていたが、こちらは観なかった。

ワンパターンの無残なバンザイ攻撃で玉砕する日本軍のいつもの戦い方ではなく、、硫黄島での戦いは栗林中将の見事な戦術で米軍に大きな被害をもたらした。結局日本軍はほぼ玉砕だったが、アメリカの視点から描かれたこの映画は、戦場の凄惨さんさと傷つく個々の兵士とそれが国レベルでの戦争国債販売促進ツアーに駆り出される英雄たちの大きなギャップを辛辣に淡々と描いた佳作である。監督はクリント・イーストウッド。興行的には成功作とはいいがたいものだったらしい。映画がつくられた当時は9.11テロを受けてアメリカがイラクやアフガン戦争をやっていたころだった。リバータリアンであるイーストウッドのアメリカの海外介入主義への批判でもあったと思われる。

あの有名な摺鉢山に星条旗は2度掲げられたというのはこの映画を観て初めて知った。最初のは国務長官の記念品に献上されるため、激怒した現場の指揮官たちが自分たちの分をキープするためにそのように手配したらしい。

英雄として一時帰国した兵士たち(3人、他は戦死)は、戦争国債促進ツアーに駆り出される。そのうちの一人は実際には掲揚にはかかわっていなかったらしいし、インディアンであった一人は英雄になりたくもないのにツアーに参加させられそれがもとでかどうかはわからないが酒浸りになり、ツアーの途中で外され帰隊する。映画は、戦場と国債促進ツアーと戦後と現代(3人の一人の息子が息を引き取る父を看取る)が織り交ぜになって描かれる。

インディアンはアル中で野垂れ死にする。もう一人の英雄として持て囃された兵士そのその後もあまりぱっとせず不遇。死を看取られる主人公は、葬儀屋としてのビジネスには成功するが、英雄でも何でもない自分がツアーに参加したことを恥じ、凄惨な戦場での体験の傷をかかえたま家族にも一切語ることがなかったが、死ぬ間際に息子に語り始める。「英雄たちが掲げる星条旗」は記念碑となってはいるが、最後の死ぬ間際に父が息子に語ったのは、無残に殺された(日本兵につかまれ、洞窟のなかで無残に切り刻まれて死んでいった)イギーという戦友のことと、旗を掲げたあと、戦闘続行中に一時休暇をもらい、皆で硫黄島のビーチで水浴びしたことだった。この映画の原本は、この葬儀屋の息子が書いたものである。

火曜日は、暑さにかまけて午後遅くから3時間ほど那珂湊漁港でシロギス釣りに興じた。15時前から18時まで。アタリは遠かったが、何とか3尾と20㌢のイシモチ(今回はニベ)の4尾という釣果。乾いた!海風が心地よかった。

Ishimochi-3

火曜日の夜は、クレージー・キャッツの植木等主演の無責任男シリーズをやっていた。森繁喜劇の後を受けてこのところ放映されているのだがいま一つ自分の趣味にあわないなぁと思いつつ、今回は香港ロケということもあるので少しばかり観ることに。植木等さんの健在は相変わらずだったが、若き日のぴちぴちギャルこと中尾ミエが登場していた。そして、浜美枝が美しかった。古い女優さんというと変だが、森繁シリーズの「池内淳子」と植木等シリーズの「浜美枝」。二人の女優はそれぞれタイプは違うが、私好みの日本人美女ということになるだろうか。

週後半から週末は、添削の仕事に没頭。単価のわりに重労働だが大分なれては来たが、まだまだ量をこなせない。よって収入はスズメの涙。どこまで生産性をあげられるか、それ次第だ。お金はそれなりに稼ぎたいとは思うけれど、自己啓発にもなるこの仕事は気に入っている。楽しみながらお金が稼げたら、なんと素晴らしいことだろう。

2019年8月 5日 (月)

ル・カレの「パナマの仕立て屋」と松本清張の「点と線」

8月4日(日)晴

毎朝の目覚めは4時前後。このところヒヨドリの叫びがすごい。蝉が鳴き始めて、子育ての真っ最中というのもあると思われる。ヒヨドリの騒々しい叫びの後、このところウグイスがふたたび美声を聞かせてくれる。3月上旬の初鳴き以来半年。こんな実家の環境に感謝、感謝、感謝。野鳥の美しい囀りはα波である。癒されて心地いい。

昨夜は、途中からだったが、映画「パナマの仕立て屋」をBS放送で見た。イギリスのジェームズ・ボンドシリーズとは趣向がまったく違うスパイものだが面白かった。原作は「寒い国からやってきいたスパイ」のジョン・ル・カレ。パナマを舞台に繰り広げられる英国の大使館や諜報員の「腐敗」を描いたもの。ル・カレは、グレアム・グリーンの「ハバナの男」から着想を得たという。グリーンのこの本は未読だけれど、グリーンは大英帝国の版図も含めて世界各地を旅してはスパイ小説らしきものも書いた。

ロンドンのサビル・ロウ(日本語の「背広」の語源とも言われる)で腕を磨いたと称する、パナマで仕立て屋を営む英国人(実は、犯罪者で刑務所に収監されそこで腕を磨いた)はパナマの大統領を含む地元政界の大物の背広を仕立てるという立場を利用して同国の政情についてMI6の諜報員に情報提供者となる。動機は金。仕立て屋は脛に傷をもつもののパナマでは実直に人生を生きようとしていた。しかし、仕立てはうまいが商売はヘタ。カネに困り、一芝居を打つ。パナマ運河の利権が、中国(本土と台湾)勢力に売り渡されようとしていると、嘘の話をでっちあげる。仕立て屋が実際に交わしたパナマの大統領の会話は試着の場で、ズボンがきつ過ぎて睾丸が圧迫されるという苦情、であったのだが。

007も演じたピアース・ブロズナン演じるMI6の諜報員はジェームズ・ボンドのようはスーパースパイではなく、冷戦も終わりやることがなくなった!?暇なスパイの堕落の典型である。女好きのモラルのない男でひと稼ぎしようと、この情報を上層部(英国パナマ大使館)を経由しないでアメリカに売り込んだ結果、それを阻止するための巨額の工作資金(1千5百万米ドル)をアメリカのワシントン政府から得ることになった。

しかし悲劇が起こる。この嘘のために利用した友人であるもと反政府(ノリエガ)派の活動家の男を自殺に追い込んでしまう。主人公の仕立て屋は、これに慌てる。すったもんだの末(ジェイミー・リー・カーチス演じるアメリカ人妻が秘書を務める)パナマ運河管理会社の責任者を通して仕立て屋はパナマ大統領に連絡を入れ、アメリカの秘密部隊の攻撃は開始した直後に何とか撤収する。嘘情報で得た工作資金だが、英国パナマ大使は、諜報員を脅し口止め料として1万2千5百㌦をせしめるとともに、ブロズナンもまんまと金を持ってパナマを離れる。

仕立て屋は、涙ながらに妻ににすべてを告白する。子どもたちがキッチンにやってくると、妻は自分を欺いた夫(妻に恋したから自分の前科のことは話せなかったと告白した)に何事もなかったように「いつもの朝食を作って」と囁く。

コメディーではないが、各人各様が人間の醜さをコミカルに描いたような不思議な展開で、原作を改めて読みたくなるようなそんな映画だった。

暑さゆえに、日中は東向きの書斎兼寝室の窓の網戸から涼しい風を入れながら、何とはなしに開いたQuigleyのTragedy and Hopeを読みふけった。特に引き込まれたのは、アメリカ人の視点からするイギリスのunwritten constitutionとイギリスの権力構造についての叙述である。イギリス国民にはいまもって「主権」はないこと、彼ら国民大衆は「汝ら臣民」である、ことは知っているのだが、19世紀から20世紀前半にかけての大英帝国の栄華と凋落の過程でのイギリス政治の本質は「金権政治」があったいう指摘は目から鱗であった。頭の中での整理がまだつかず混沌としているけれど、イギリスは、少数のエリートが、イートン校のようなパブリックスクールやオックスフォードやケンブリッジで教育を受けたものが実質的にやりたいように帝国を支配し莫大な利益を享受したシステムであった(the ruler and the ruledの関係)が克明にかつわかりやすく書かれていた。デモクラシーの言葉は使っているがアメリカとは意味が全く違うし、アメリカ人にとってもイギリスの民主主義はミスリーディングなものらしい。

夜、偶然チャンネルを替えると、松本清張の「点と線」をやっていた。特集番組。ビート・たけしが刑事を演じているのだが見始めたらやめることができず23時まで観てしあった。ビート・たけしの松本清張原作の刑事ものは5,6年前にもおなじこの時期に「黒い福音」(カトリック神父による日本人スチュワーデス殺人疑惑事件)をやっていて、ついつい最後まで見たことを思い出した。清張さんのモチーフは「女の愛が生み出す悪」。

 

 

 

 

2019年4月12日 (金)

007ゴールドフィンガーのトリビア。ローズベルト大統領は本当に偉大な大統領だったのか?

4月10日(水)雨

昨夜は、「007ゴールドフィンガー」(1964年製作)を21時から見る。終わったのは深夜前。シャーリー・バッシーのこぶしの効いたテーマソングはいつ聞いてもすばらしい!シャーリー・バッシーはイギリスの都はるみだ。

初っ端のマイアミビーチで美女が金箔を全身塗られて殺されるシーンは何度見ても衝撃的でぞくっとする。美と死が隣り合った妖しさ。ゴールド・フィンガーのボディー・ガード兼付き人役、日系アメリカ人のハロルド・坂田は、アー、ウーしか台詞がないのは役回り上仕方がないのかもしれないが残念。イアン・フレミングの原作は読んだことがないが、ウィキペディアを見ると、役柄の名前はObdjoで韓国人である。アメリカのロケシーン(Obdjoが一人のマフィアを金の延べ棒と一緒に廃車・圧縮して残骸を持ち帰る場面の前後)で、当時のケンタッキー・フライド・チキンのお店が道路沿いに写っていたのも感激ものだった。レトロな感じの店構えがよかった。

悪役のゴールドフィンガーの名前は、ユダヤ系ドイツ人を連想させる。「金」とくればユダヤ人という揶揄が込められているのではないかと勘繰られそうだ。演じた役者はドイツ人のゲルト・フレーベ。英語が本人の訛りのため映画では台詞吹替だそうだが、ドイツで公開されたドイツ語版では吹替は本人がやったらしい。ドイツでは外国映画は吹替が一般的だ。1976年の夏、始めてドイツで3か月滞在したときにフェリーニの「アマルコルド」をドイツ語版で観た記憶がある。一緒に見に行った、ポーランド出身のリシャー君とぽっちゃり美人のバルバラは今頃どうしてるかなぁ。

このゲルト・フレーベが、少・青年時代にナチス党員だったことからイスラエルではこの映画の上映が禁止されたらしいが、本人の容疑が晴れて(戦争前に党籍を離れ、またユダヤ人を匿った事実による)から、解禁になったという。

全身に金箔を塗られて殺されたボンドガールの女性の妹が、スイスのジュネーブで姉の仇打ちにゴールドフィンガーを狙う役回りで登場する。これがまたなかなかの美女。本名Tania Mallet。名前が暗示するとおりイギリス人とロシア人のハーフ。この映画では3人の美女が登場する。最後の一人は、後半に登場するPussy Galoreというにやりとしてしまう名前で、ゴールド・フィンガー専属の女飛行士だ。この映画は3人おのボンドガールが登場する豪華版だった。

4度、5度と観れば映画のトリビアなところを余裕を持って見れるのがいい。そして、森繁さんの喜劇シリーズもそうだが、半世紀前の映像を歴史的な資料として見る楽しさがあるから何度でも見てしまうのだろう。それにしても、あのころ君はわかかった、ショーン・コネリーの若いこと。イギリスで封切になったのは1964年9月。東京オリンピックの直前のことだった。

今朝は、陰鬱で寒々とした雨が降っている。気温も昨日より10度近く下がった。冬に逆戻り。関東の山間部で積雪があった。

朝食:ブリの釜焼き、ミネストローネ、ご飯。
昼食:リゾット
夕食:トンカツで赤ワインを飲み、仕上げは野菜カレー。

今日は、寒さもあって終日炬燵でゴロゴロする。この寒いにも関わらず、終日、家の周りではウグイスが囀った。そんな囀りを聞きながら、「アメリカ大統領が死んだ日~1945年春、ローズベルト」(岩波現代文庫 仲晃著)を朝から読み始めて夜、20時半読了した。

Rooesveld

アメリカの歴史上初の4選を果たした大統領は彼だけ。しかし、4選のとき、すでに体はボロボロ。高血圧と心臓疾患等で任期を全うするのは無理だろうとわかっていたらしいが、国民には徹底的に伏せて当選する。そして、ドイツの敗戦目前の1945年4月12日、ローズベルトは保養先で脳内出血で急死する。63歳。しかも、その場にいたのは、永年の不倫相手ラザフォード夫人(かつての秘書)と少数の身内だけ(妻のエレノアは不在)。トルーマン副大統領がその日のうちに大統領に就任することになる。3時間弱の空白があったが。

ある時期まで、というか、いまでも基本的にはそうらしいが、アメリカのもっとも偉大な大統領と言ったら、ワシントン、リンカーンと並んで、ローズベルト大統領らしい。太平洋戦争の経緯もあって日本ではケネディーのような人気はない。アメリカにはいまだに「ローズベルト神話」というものが生きているという。彼を批判することは、アメリカでは「歴史修正主義」というネガティブ評価を覚悟しないとできないらしい。つまり、歴史家であれば、業界からつまはじき、最悪は、学者生命を失うということ。古くは、エール大学のチャールズ・ビアード教授(日本の国際派ジャーナリスト松本重治が師事した偉い歴史の先生)であり、下院議員でならしたハミルトン・フィッシュであり、ローズヴェルト大統領の前の大統領のフーバー大統領らである。フーバーさんの回顧録がスタンフォード大学の歴史家の編集のもとに出版されたのは何と2011年である。

ルーズベルト神話を形作る典型の例が、死亡した翌日の新聞報道であった。すなわち、保養先で死亡した状況の報道には、いっしょにいたもと愛人に関する事実は一切黙殺された。公然の秘密として戦後もずっとそうだったらしい。大統領批判の材料はすべて封殺されたという。

ここからは、著者の主張ではないが:

何故、英米が共産ソ連と手を組んだのか、という疑問がある。チャーチルのイギリスは、ドイツと戦う上で一人では太刀打ちできないという戦略的な理由からで、一時的な提携であったが、ルーズベルトは本気で戦後世界を米・ソ・英・中(蒋介石の中華民国)の4大勢力で世界を仕切り
平和を担保できると考えていたらしい。戦後の展開を考えれば、完全に間違っていた。ルーズベルトが4月12日に亡くならず第4期を全うとはいわずともあと1年だけでも政権を担っていたら歴史はどう展開していただろうか。死の前にローズベルトは側近にスターリンのソ連を読み違えていたという告白をしていたらしい。

第二次世界大戦でのアメリカのソ連との提携(武器援助等)は、共産ソ連の台頭と共産主義勢力の拡大を招き(東欧のソ連ブロックへの併合、
共産中国の成立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ革命等)、確信犯的に資本主義制度の廃棄と革命の為にあらゆる手段で破壊工作をしかけ
るとんでもない強敵を作り出してしまった。勝利してともに世界平和をもたらすという構想は最初から絵に描いた餅だった。あまりにも無防備すぎたローズベルト。スターリンに付込まれ、甘い汁を吸わせてしまった。冷戦を招いたのは明らかにルーズベルトの甘い見通しに基づく大チョンボだったのだ。第二次世界大戦に介入することで支払った人的及び物的コストを考えたら、時の政権は口を裂けても、間違っていました、ごめんなさい、とは言えなかった。皆が(政権もマスコミも)口裏を合わせたのだった。

この本の著者は、以上のようなことまで主張していない。偉大な独裁者であったルーズベルトの欠点として、トルーマン副大統領を鼻から相手にせずつんぼ桟敷においたこと、つまり、自分が万が一どうにかなった場合の後継者をきちんとそだてていなかったことへの批判を述べているにすぎない。

大統領の主治医がボンクラだったという衝撃的な事実がこの本で触れられている。しかも、12年と3か月ちょっとに及ぶ大統領任期期間中のローズベルトのカルテはどうもこの主治医がすべて廃棄してしまったというお粗末さ。ヤルタ会談でチャーチルに同行した英国人のの主治医はローズベルトの表情を見ただけで余命3ヶ月と診断していたというが、能天気で節穴の出鱈目な主治医が自分の失態を隠すべく廃棄したのか、それとも、大統領の職務に耐えられない健康状態であったにも関わらず、自分を引き上げてくれた大統領に取り入り、国民を欺くことに協力し、神話を守るための証拠隠滅だったのか、今では知る由もない。

また、著者は、「戦後」というのは、日本の敗戦(1945年8月15日)・降伏文書の署名(1945年9月2日)から始まったとするのは、日本中心の見方であって、グローバルに言うなら、独日の敗戦が見えてきた1945年前半のローズベルトの突然の逝去にともないトルーマン政権が発足した4月12日から始まったのだ、と主張している。

2019年3月14日 (木)

袁枚、映画「夢の香り(Scent of a woman)、真鯛の刺身

3月12日(火) 晴
6時前に目が覚めて「中国名詩選」をパラパラと読む。清朝の袁枚(エンバイ)の漢詩が目に留まる。この人は、隨園食単(料理)の著書でも有名。
<題>
意有所得雑書   意に得る所有り
数絶句         数絶句を雑書す

<本文>
莫説光陰去不還   説(い)う莫(なか)れ 光陰(こういん)は去って還(かえ)らずと、
少年情景在詩篇   少年の情景(じょうけい)  詩篇(しへん)に在り。
燈痕酒影春宵夢   灯痕(とうこん) 酒影(しゅえい)  春宵(しゅんしょう)の夢、
一度謳吟一宛然   一度(ひとたび) 謳吟(おうぎん)すれば  一(いつ)に宛然(えんぜん) たり 

何となく大体の意味は分かるけれど、本文の意味を正確に知るために注釈をインターネットで調べると、
詩題の「意(こころ)に得る所(ところ)有り」は、ふと思いついたことを書きつけたという意味。
「灯痕」は灯火のあとのことで、勉学の日々。
「酒影」は酒宴のさま。
「春宵の夢」は、少年の大志、将来の大きな夢のこと。
「一度謳吟一宛然」は、詩を吟じればそっくりそのまま眼のまえに浮かんでくる。
必ずしも詩である必要はないだろう。昔読んだ本をひさしぶりにひらいたら学生時代にパリで乗った地下鉄の切符が栞代わりにページに挟んであるのを発見する。 あるいは、社会人10年目ごろだろうか、飲みにでかけてカラオケにいった(私のおごり)ことへの女性(複数)からのお礼のメモが出てきたり。それが一瞬にして、たぶん、都合の悪いことは忘れているのだろうけれど、当時の特定の場面や瞬間がありありと蘇ることがある。いずれも最近、本を整理しながら体験したことだ。

6時31分、ウグイスが囀る。

朝食:真鯛の兜煮(母が残したもの)、ポテトサラダ、沢庵、焼きのり2枚、ご飯。
昼食:ジャケットポテトとゆで卵にコーヒー

BS3で「夢の香り」(原題:Scent of a woman)を観る。1992年の製作。アル・パチーノが目の見えない退役軍人の主役を演じている。1990年代になるとほとんど封切り(ロードショー)の映画を見なくなっていたこともあり、この映画の題名は何となく知っては脳裏をかすめたことはあったが未見だった。原題の意味するエロチシズムのニュアンスに惹かれたのだろうか、少々迷いつつ、何の気もなしに見始めたらこれが面白い。大正解の良くできた私好みのベリー・グッドな映画だった。
この映画は、アル・パチーノ演じるスレート中佐の台詞のために作ったような映画のような気がする。それで、映画が必要以上に長くなってしまったのではないか。彼の台詞にはfuck,fuckingが頻出する。主人公は、根が正直で繊細、そして頑固一徹。軍人になったけれど、性格が災いして?途中で出世コースから外れ、酔っ払って手榴弾のジャグリングをしている最中に誤って爆発、失明し、人生は暗転する。自分の人生をはかなみ偏屈で辛辣になってしまった独身の初老の男だ。
もう一人の主人公は、裕福ではないが成績優秀で奨学金をもらって西海岸のオレゴン州からボストンにある名門プレップ・スクールに通う青年で、クリスマスに帰郷する旅行費を稼ぐためにアルバイトでスレート中佐の面倒を見ることになったシムズ(Simms)君(清水君ではない)。シムズ君はまじめな学生なのだが、学園の悪ガキ3人が学園長に悪戯を仕掛ける現場をその仲間の一人ジョージと一緒に目撃してしまう。皆の前で恥をかかされ激怒した学園長は、現場に居合わせた教員の情報からジョージとシムズの二人を呼び出し犯人を特定しようとするが、仲間意識で連帯感が強いのがプレップ・スクールの伝統で二人は口を割らない。学園長は一計を案じ、シムズ君には本当のことを言えば、成績優秀な君はハーバード大学に進学できるよう推薦状を書いてあげる、と持ち掛ける。感謝祭明けの翌週に公開の聴聞会を開くのでとくと考えるように、とプレッシャーを掛ける。

ハーバードには行きたいけれど、悪ふざけを働いた仲間を売ることには抵抗を感じる真面目なシムズ君はジレンマに悩む。そんな中、感謝祭で出かける家族と一緒に行動するのがいやで一人となったアル・パチーノの面倒を見るために週末のアルバイトに出かけたのがシムズ君。報酬は学生にとって破格の300ドルだ。
しかし、このスレート中佐は、静かに自宅で感謝祭を寂しく過ごすのではなく、実は、ニューヨークに出かけ、最高級ホテル(アストリア・ウォルドーフ)にとまり、最高級の食事をし(プラザホテルのオークルーム・レストラン)、最高の女と寝て(高級コールガール)、最後はピストル自殺する(blow my brains out)ことを目論んでいた。スレート中佐は、最初から初心なシムズ君を圧倒する。映画の三分の二は二人の会話で構成されている。初老の域に達すれば人間は丸くなるものだが、頑固一徹のスレー大佐から発せられる一言一言は容赦ない断言調の人生訓であり、軍隊で初年兵を訓練するような上官の口吻である。

目が見えない分、スレート大佐は匂いに敏感である。ファーストクラスのニューヨーク行きの飛行機の中で、ウィスキーのダブルをサーブするスチュワーデスに大佐は「ダフネ、ありがとう」と気持ちよさそうに声を掛ける。どうして名前を知っているのか、と怪訝に思って質問するシムズ君に、大佐曰く:
Well, she's wearin' Floris.That's an English cologne. But her voice is California chickie. Now, California chickie bucking for English lady...I call her Daphne. 
(彼女は英国ので有名なフロリスというコロンをつけている。彼女のアクセントはカリフォルニアのカワイ子ちゃん訛りだ。英国レイディにあこがれるカリフォルニアのカワイ子ちゃんを俺は、ダフネと呼ぶんだ)。
このセリフが頑固でいやなオヤジと思われた大佐が軽い冗談口調でシムズ君に少しずつ心を開いていく始まりである。

大佐は、一人で恋人の到来を待っている隣の席の美女ドナが放つ香りがOgleby Sisters Soap(アメリカの自然原料によるハンドメイドソープ)だと感知すると、一緒にタンゴ踊らないか誘いをかける。 タンゴをうまく踊る自信がないと逡巡するドナ。それに応える大佐の言葉がまた粋ですばらしい。
"No mistakes in the tango. No. Not like life. Simple. That's what makes the tango so great. If you make a mistake and get all tangled up, you just tango on."
(タンゴでは間違うということはないって。ない、ない、人生と違うって。単純そのものだよ。これがタンゴのすばらしいところだ。もし間違ってしちゃかめっちゃかになっても、ただタンゴを続けるんだよ。)

感謝祭の食事に招かれざる客として押しかけた兄の家では、義理の甥っ子の妻の香水はMitukoで、この香水は欲求不満の女がつけるものだと毒づきその場の雰囲気は最低になる。

大好きなウィスキーを、ジョン・ダニエルと呼ぶ大佐。ホテルの部屋のバーのウィスキーをすべてジョン・ダニエルにするようにとシムズ君に申し付けると、シムズ君が Don't you mean Jack Daniels?(ジャックダニエルの事?)と聞く。中佐は、He may be Jack to you son, but when you've known him as long as I have...that's a joke.(ジョンは息子のような君にはジャックだろうけど、俺は彼との付き合いは長いから、ジョンなんだよ・・・というのは冗談だけどね)。

こんな具合で、プエルトリコ人のベルボーイ、スーツを仕立てるために採寸に来たイタリア系のソフィア、ボディが超長いリムジンのマニー(高級コールガールを紹介する人。ドイツの外交官がアメリカに移住したいともらすほどいい女を紹介する)と交わす会話も滅茶苦茶面白い。
書いていたらきりがないくらいだ。女と楽しんだ後、中佐はいよいよ制服を着て自殺をする場面となっていくが、ここで必死に自殺を止めようとする真面目なシムズ君が、つぶやく言葉(あなたはすばらしい旅の友、誰よりタンゴはうまいし、フェラーリの運転も最高だったとほめる)で、自暴自棄だった中佐は何とか自殺を思いとどまる。

ニューヨークからマニーが運転するリムジンで帰宅すると、シムズ君ともう一人(ジョージ)の公開聴聞会が待っていた。説明を省くが、多額の寄付者の父親の入れ知恵で犯行をしたと思われる3人の名前を出したジョージに対し、シムズ君は知らないで押し通す。学長は聴聞委員会に対し、ジョージについては証言したことを評価しこれ以上の追及はなし、3人については証拠不十分で引き続き継続調査だが、シムズ君については、何と、真実を話さないことを理由に放校処分を聴聞委員会に提案する。

そして、ここで、聴聞会の途中から、シムズ君の保護者として会場に現れ、シムズ君の隣に座った中佐が爆発する。ふざけんなぁ!!!起立して、シムズ君の弁護を滔々と述べ始める。圧巻である。彼が正しいとか間違っているとかが問題ではない。彼は買収の提案を拒否して仲間を売ることを肯んじえない誠実な人である。このIntegrityこそが将来立派なリーダーとなる最も大切な資質であり、学長の提案はこれを抹殺する言語同断のとんでもないことで、この名門学の教育理念に真向から反する戯言ではなか。悪戯をなした3人はクソッタレだ、反省しろ。この誠実な青年の将来を奪う愚かなことがないように諸賢の判断を仰ぎたい、と。そして、着席する大佐。少し間をおいて割れるような会場からの拍手が巻き起こる。これで決まった。聴聞委員会は、シムズ君の無罪放免を決定した。

最後の場面で、聴聞委員会のメンバーの一人、独身の女性がキャンパスを歩く二人を追いかけて祝福を述べる。スレートは即座に彼女の香水がFleurs de Rocailleであることを言い当てる。フランスの香水だ。当りだった。スレートは「女」が大好きなのだ。二人の関係が始まるかも知れない予感。自分の家に戻るスレートの姿はおだやかで孫にも優しく声をかけるのだった。
映画が終わって少し疲れを感じるほど集中した。あっという間の2時間40分。私にとっては久しぶりに観るグッド・ムービーだった。火照る頭を冷やすために30分ほど千波神社周辺を歩く。肌寒いものの辺りの空気は梅の香りで一杯だった。
夕食:真鯛の刺身を肴にデンマーク産の黒ビールを飲む。真鯛の刺身は脂が乗って甘味がありこんなに美味いとは思わなかった。人生60数年で、真鯛をほとんど食べなかった自分を恥じるとまでは言わないけれど、遅すぎた舌の開眼である。若かりし頃、鳴門市でご馳走になって以来、というと大げさだが、我が家の食卓で真鯛の刺身を食べた記憶はない。しばらくは病みつきになりそうだ。刺身はマグロかタコだとばかり思っていたのだが。



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本日2本立てのもう一本の映画は森繁喜劇「駅前怪談」。ロケーションは山梨県の勝沼。1964年の制作。ヒッチコックの「鳥」が公開された直後なのだろう、お化けが出る恐怖シーンの効果音は「鳥」のそれだった。社長シリーズでいつも森繁の妻役を演じる久慈あさみが芸者役で登場していた。池内淳子はやはり芸者役で染太郎という名。このシリーズ、大空真由美が登場する前は、島かおりが次郎ことフランキー・堺の恋人役をやっていたということがやっとわかった。確か、「駅前弁当」がそうだった。三ツ矢サイダーを飲むシーンが何度か出てくる。なつかしいなぁ、サイダーなんてもう何十年も飲んでいないが、確かにあのころは夏になると、三ツ矢サイダーとかカルピスをよく飲んだものだ。

2019年3月13日 (水)

「マッケンナの黄金」、フランドル風牛肉のビール煮込み。

3月11日(月)雨、風強し、午後曇り、夕刻は晴れ間が差す

目が覚めると6時半少し前。外は雨。風も強い。ちょっとした春の嵐。ウグイスは沈黙。
朝食:笹かまぼこ、真鯛の煮つけ少々、沢庵2切れ、潮汁(実に美味い)、ご飯少々。

10時をすぎると風が収まって来たので市役所へ。4月1日からの国民健康保険加入手続き申請をする。
ラジオで六角精児のラジルの男がつぶやきを車中で聞く。平成が間もなく去るにあたっての感慨。親父ギャグを馬鹿にしていた若き日の自分がいつのまにか親父ギャクを飛ばすようになった今日この頃。携帯電話が出始めたのはそのまだ若かりし平成の始めのころ。携帯電話を始めて手にしたときの感動といったらなかった。携帯は日進月歩の進化を重ねて今やスマホ時代。でもオヤジが使うスマホの使い方に進化はない。「仕事終わった。これから帰る」「お酒飲む。遅くなる」と相変わらずコンテンツのレベルは携帯初期段階のままだ、から始まる語り手のボヤキは、何とも秀逸な「5分間の一幕物のモノローグ」だ(オヤジギャクのつもりはない)。
帰りに寄り道。真鯛の刺身が食べたくなったので購入。活きのいいアジが出ていたのでついでに3尾買う。塩焼き用。干物ばかりでは飽きてしまう。
昼食:寄り道して購入した野菜のジュノベーゼ・スパゲッティとハッシュドポテト。コンビニで買うパスタを馬鹿にするなかれだ。下手なレストランで出すパスタより美味いのではないかと思える今日のジュノベーゼだ。
食後、いそいで、切れてしまったポテトサラダを急いで作る。13時からBS3で「マッケンナの黄金」が放映される。朝のテレビ番組を確認して、オッ、これは見逃せない、と。

この映画は、西部劇だがインディー・ジョーンズの冒険的要素も加味された大活劇である。1968年製作。たぶん、高校生時代に地元のスカラ座(隣はストリップ劇場だったが、今はどちらも存在しない)で観たと思う。グレゴリー・ペック、オマー・シャリフ、テリー・サバラスなどが出演。冒頭でハゲワシが悠々とアリゾナだかの西部の広大な峡谷の空を舞うシーン。バックに流れるの音楽はホセ・フェリシアーノのOld Turkey Buzzardでこれまた忘れがたいメロディーだ。
物語テーマは「金」と「人間の欲」である。インデアンが守り続けた峡谷の奥深くに眠る「黄金の谷」探しに群がる欲に目が眩んだ人たちが繰り広げるドラマ。かつて空しく黄金探しをしたことがあるグレゴリー・ペックが演じる主役マッケンナは保安官役で登場。年老いた「黄金の谷」を守るアッパチ・インディアンのシャーマンことプレーリーから、冒頭で待ち伏せの狙撃をされるが、何とか逃れて反撃した際にマッケンナは彼を殺してしてしまう。死ぬ間際にインディアンから見せられた地図はその「秘密の黄金の谷」を示すものだったが焚火で焼いてしまう。このインディアンを追っていたメキシコ人のコロラドことオマー・シャリフ一味は、インディアンを葬っている最中のマッケンナを捕まえ、地図替わりのガイドとして拘束して物語は始まる。
一攫千金を求めて、オマー・シャリフを首領とする悪党一味や、町のギャンブラーはもちろん、店主や医者、ジャーナリスト、牧師、旅の通りがかりの冒険家(イギリス人風)が加わり、はたまた、コロラド一味を追う騎兵隊の万年軍曹で出世に見切りをつけたテリー・サバラスも途中から黄金探しの仲間になる。目もくらむような谷にかかるあぶなげな吊り橋を渡るシーン、アパッチ族の襲撃シーン、それを逃れるための川下りと激流に飲み込まれる寸前に間一髪で逃れるシーン、と活劇場面は展開する。
最後に目的地辿り着いた一行は、マッケンナ、コロラド、人質の判事の娘インガ(演じる女優もスウェーデン人)、へシュケ(マッケンナのかつての恋人のインディアン)、アッパチ族インディアンのハチタと騎兵隊軍曹のティッブスの6人。早朝の夜明けとともに始まる峡谷探しのクライマックスの前夜、コロラドは黄金を得たら何をするのかと聞くマッケンナにボロボロになりかけた紙を見せる。La vie parisienne。華やかな憧れのパリの生活を夢見ていた。ハチタはしきりに満月を見つめ物思いに耽る。へシュケは嫉妬のあまりインガをナイフで殺そうとするがすんでのところでマッケンナに救われる。
当日の夜明け、陽が昇り始め、屹立する峡谷の岩山群のある地点から一瞬まばゆいばかりの煌きが反射しあたりを包む(黄金の鉱脈か)。陽が昇るにつれて岩山の頂点が作る影がどんどん延び始めて一行は馬を馳せてそれを追う。影が指し示す岩山の割れ目から中に入ってしばらく進むと前面の谷底への眺望が開ける。燦燦と輝く黄金の鉱床がまさに目の前にあった。はやる心で皆が馬を疾駆させて谷底の鉱床へ向かう。嫉妬に燃える女へシュケは、昨夜のしくじりをものともせず、猛スピードで移動する坂道の途中でマッケンナの新しい恋人インガに攻撃をしかけるが落馬して谷底に落ちて死んでしまう。
一行はしばし黄金の鉱床で忘我状態で金採掘に耽る。そして、我に返ると、互いの殺戮劇が始まった。まずは、嬉々として黄金を袋に収めるテリー・サバラス演じる騎兵隊軍曹ティッブが、インディアンのハチタのマサカリで殺される。マサカリを取ろうと背中を向けるハチタに銃を向けたのはコロラド。しかし、銃の弾は抜かれていた。ハチタ曰く:黄金はアパッチインディアンのものだ。他の誰にも手を出させない。昨夜、アパッチの精霊が私にそう語りかけた、と。しかし、マサカリを取ろうとした一瞬の隙にコロラドが内ポケットに隠していたナイフで殺されてしまう。マッケンナとインガは殺し合いに巻き込まれるのを避けようと岸壁を上り逃る。気付いたコロラドが追いかける。

とうとう追いつかれ一騎打ちの戦いが始まる。死闘を繰り広げていると、一行を追ってきたアパッチ軍団が姿を現し3人に向かって遠くから銃撃を始め、争いは中断。アパッチ族軍団は馬を疾駆して谷底に降りるのだが、馬の疾駆が引き起こした大震動が脆弱な峡谷の地殻に異変を引き興す。岩山の頂上の大きな岩がバランスを失い谷に落ちると、大きな地鳴りが始まり、峡谷が崩れ始める。アパッチ族たちは恐れをなしてその場を引き上げていく。3人も壁を降りて馬に飛び乗り、地割れする地面を飛び越え、上から降り落ちる岩を間一髪で逃れながら、崩れ去る峡谷をからくも逃れ出る。黄金の鉱床はかくて崩れた岩の底にうずもれてしまった。
全てが無に帰してしまった最後の場面。コロラドはマッケンナに「俺にかまうな」と去っていく。マッケンナは、「俺につかまらないようにどこかに身を隠したほうが身のためだ。追いかけて捕まえてやるぞ」と返す。荒野に去っていくコロラド。残された二人。マッケンナの乗る馬は騎兵隊軍曹の馬でたんまりと金が詰まった袋を両脇に下げていた。
この映画、アメリカでの興行はいま一つだったらしいが、何と、ソ連とインドでは大ヒットして稼いだという。映画の出来そのものは、スピールバーグのインディ・ジョーンズのシリーズと比べると見劣りはするようだが、冒険活劇の要素はすべて備えているし、最後の15分のクライマックスはインディー・ジョーンズを先取りする特撮技術も駆使した見事なシーンだと思う。堪能した2時間10分だった。
オマー・シャリフはメキシコ人役だが、もともとはエジプト生まれのエジプト人。ウィキペディアによると両親はシリア系のレバノン人。そして、カトリック教徒。結婚を理由にイスラム教徒に改宗。「オリエンタリズム」で知られるエドワード・サイードはアレクサンドリアで通ったヴィクトリア・カレッジのクラスメートだった。サイードは、キリスト教(プロテスタント)のパレスチナ人としてエルサレムで生まれ、エジプトのカイロで育った。

夕食:牛肉のビール煮込み、ポテトサラダ、ご飯。

牛肉のビール煮込みはベルギーのフランドル地方の伝統的な料理。ベルギービールのカフェレストラン(新宿)で昔食べたことを思いだして、帝国ホテルのもと料理長の村上信夫さんの本のレシピを参考にして作ってみた。たっぷりの玉ねぎを厚めにスライスしてバターできつね色になるまで炒め、そこに表面にさっと焼き目をつけた牛のすね肉(豪州産、400㌘弱で360円、安い!)を入れ、小麦粉を大匙2ほど混ぜて、ビール(小瓶一本分)とトマトピュレを少々を加え、沸騰したら弱火で1時間、肉が柔らかくなるまで煮込む。煮えたら、肉を取り出し、残り汁に砂糖を加えてビールの苦みを消し、最後に塩コショウで味付けしてソースの出来上がり。
それなりにできるはずであったが、トマトを入れすぎてしまった。トマトピュレー2分の1カップのところを2カップ加えてしまったのだ。煮込んでいる途中で味見をしていて気が付いた。やむなく、ビールと水を少し追加して、何とか調整はしたがその分、ソースが余り過ぎてしまった。煮詰める時間もなく、スープにして肉と一緒に食べて見ることに。、ビーフシチューとは趣きがちがう、サッパリしたなかに、ビールの香りが感じられてなかなかグッドであった。これは寒い冬の煮込み料理。ワインではなくビールで煮込んだ風味が何とも言えない。今回は失敗作なので写真アップは次回にしよう。デミグラスソース仕立てのビーフシチューの濃厚な味わいよりもさっぱり感があってこの歳になるとより口に合う感じがする。

2019年2月27日 (水)

週末の1泊2日の上京、映画「ドクトルジバゴ」、我が家の梅も数輪が開花。

2月25日(月) 晴

週末の土日は、母の具合もほとんどもとに戻ったので3週間ぶりに急遽上京した。1泊2日。Yちゃんに入学お祝いのパソコンを買う約束をしていたのだ。入学までにキーボードを覚えてもらいたい、というYちゃんのママの願いもある。池袋で待ち合わせて、パソコンを購入、買い物に付き合って、夕食は和幸のトンカツを食べた。Yちゃんはヒレカツ、ママは、カキフライ+エビフライ+一口ヒレカツ、私はロースかつ。キャベツは柚子ドレッシングでお替り。皆お腹がすいていたのか全て完璧に平らげる。

夕食後は、パソコンのセットアップに付き合う。業者に頼めば1万はとられるので、私がすることに。得意ではないが悪戦苦闘することなく、夕刻から赤ワインを飲みながら作業をする。立ち上げて、Wi-Fiのセキュリティー・コードを入れて、インターネットにアクセス。後は、画面に従って進めるだけだ。メールアドレスを作り、オフィス(ワード、エクセル、パワポなど)の登録をしたりして完了すると、Yちゃんは早速キーボードを、ぎこちなく人差し指で叩いてゲームアプリに夢中になる。ウィンドウズ10の画面はオフィスでの仕事画面と様相が変わりスマホの要素が大きい。

私が英文キーボードを覚えたのは大学を卒業して就職してからだ。当時は英文タイプライター。手動と電動があったが、最初は人差し指で簡単な文章を作成するのに1日かかっていた記憶がある。Yちゃんはスマホ世代。インターネットで検索して、タイピング練習のサイトを見つけてブックマーク、両手の10本の指を使ってキーボードが叩けるようになるといいよ、パソコン操作が楽になるよ~、ゲームもたぶんネ、とアドバイス。ゲームに夢中で、聞いているんだか、どうだかよく分からず。購入したパソコンには有線のマウスがおまけでついていたのに、Yちゃんのママが別売品の無線マウスを買ったのはゲームがしやすいからだと気づいた。

翌日は、実家の両親が心配なので、大山の回転寿司(ロースト・ビーフの握り!が旨かった)で一緒に昼食を取ってお茶を飲んだ後、早めに帰路に着く。往復の電車の中ではビーバーの「第二次世界大戦」とパラレルな部分のチャーチルの「回顧録」(文庫本)を読んだ。仲宿商店街の行きつけの古本屋では、2冊文庫本を買う(吉村昭の「ポーツマスの旗」とヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」)。2冊で400円。本は新品同様。得した気分になる。いつ読むかはわからないけれど。上野駅で両親の好物の東京バナナロールケーキを買って、18時過ぎに帰宅。

地元の駅の吉野家で買った牛丼で簡単に夕食を済ませる。両親は夕食を済ませ、もう就寝する準備をしていた。All quietなのだが、自分が不在の1日半で母は少し疲れたようだった。今回の食あたりと発熱で、やはり、体力全体の弱りが進んだのかも知れない。

今朝は6時までぐっすり熟睡。アントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」を読み続ける。7時前にキッチンへ。

朝食:納豆、ご飯、ミネストローネの味噌風味。両親は、鮭の塩焼きと人参入りの粕汁にポテトサラダといつものおはぎ。

9時過ぎ、父はデイケアーへ。母は、少し背中が痛むというのでベッドに横になり休む。給湯器の業者さんから連絡が来て、オイルタンクの交換は明後日17日の午前中に決まった。3万だが消費税別。

昼食:ミネストローネ(どんぶり一杯)。

13時からBS3で「ドクトル・ジバゴ」を観る。テレビの吹替バージョンで見たことはあるけれど、全編をきちっと見た記憶がない。2度目に観たのは、1999年の冬、ローマの駐在員の先輩の家に遊びにいったときだったけれど、おいしいイタリアンの夕食を食べた後で、これも途中からだった。今回は、字幕スーパーで最初から見る。先日の映画「レッズ」と同じくロシア革命前後の時代が背景で、今回はロシア人自身の物語。冷戦真っ只中の1965年製作で、ロケ地はスペインだったという。あの雪のシーンや玉ねぎ頭の教会や街並みは全部セットなのだとするとすごい。雪に埋もれたウラル地方の風景はすばらしいのだがあれがスペインだとは!

主人公は医者にして詩人のジバゴだが、興味深い人物はロッド・スタイガー演じる悪い奴だけれど憎めない貴族コマロフスキーとジバゴが愛を捧げるジュリー・クリスティー演じるララ。ヒロインのララは17歳の学生で、母の愛人(パトロン)のコマロフスキーの誘惑されて付き合い始めるのだが、それに気づいた母は自殺未遂をする。ジバゴが手当てする中、命をとりとめた母のことを告げるコマロフスキーに安堵しかつ愛撫に身を任せるララをジバゴは偶然目にしてしまう。

コマロフスキーは、ララから革命に共感する友人の青年パシャと結婚する相談をされると、ララに言う。「人間には二つのタイプがある。一つは、お前の婚約者の青年タイプで、志高く純粋ですばらしい。だが、世間からは本音で軽蔑される。そして、女を不幸にするタイプだ。だから結婚は勧めない。俺はもう一つのタイプで、理想も志もない現実主義者で・・・お前と俺は似た者同士でうまくやって行ける」、と。そして、ララをレイプしてしまう。

ララは、自己嫌悪から、パシャから預かったピストルでコマロフスキーを撃つ傷害事件をこの後におこしてしまうのだが、悪運の強いコマロフスキーは軽傷で、しかも、ララを刑事事件にならないよう庇う。結局、ララは、革命に身を捧げる年下の青年と結婚し、教師となった青年とウラル山地の田舎に移り住む。

ジバゴは、11歳で孤児となって、両親の伝手で引き取られ育てられた裕福なモスクワのブルジョワ一家で育てられる。バラライカの名手であった母の唯一の形見が唯一の遺産だった。医者にして駆け出しの詩人となったジバゴは、ブルジョワ一家の幼なじみで一緒に育ったパリ帰りの娘トーニャ(演ずるのはチャップリンの娘ジェラルディン・チャップリン)と結婚し娘を設ける。

そして、第一次世界大戦が勃発。人々の運命が激変する。ララの夫は志願して従軍、行方不明となる。ジバゴは従軍医として戦線に出る。そこで、行方不明の夫を探すために従軍看護婦として働くララと二人は再会し二人は惹かれあっていく。

この映画には語り手がいる。アレック・ギネス演じるエフグラフという赤軍の中将。映画の冒頭は、この初老の男が、ララとジバゴの一粒種の娘と思われる(ただし姓はコマロフスキー)女性に尋問するシーンで始まる。この年老いた軍人はジバゴの義理の兄だ。第一次世界大戦で帝政ロシア軍の内部転覆に活躍したボリシェビキ革命の闘士は、革命後のモスクワでジバゴ一家と出会う。ブルジョア一家の豪壮な邸宅は接収されこと、ジバゴの詩は反革命的であると糾弾されている事実をジバゴはこの兄から知らされる。兄の計らいで一家はターニャの田舎の別荘に移り住むことが許される。内戦で荒廃した村を通り過ぎながら、赤軍の列車での移動が始まる。ここで第一部終了。

移動途中のある朝、ジバゴは、行方不明のパシャに再会する。彼は、ストレル二コフという名前で白軍と凄惨な戦いを指揮する冷酷な指導者となっていた。そして、白軍が支配する町に住むララの消息も知る。ジバゴ一家は、田舎の別荘でひっそりと平穏に暮らすのだが、一方でジバゴは一人息子と暮らすララを訪問し、恋心が再燃がる。しかし、ターニャが第二子の妊娠をした機会に関係を断つことを決心、それをララに伝えに行った帰りにジバゴは赤軍のパルチザンに身柄を拘束され医者として2年間従軍する運命となってしまう。ようやく隙を見て逃走し戻った別荘にターニャ一家はいなかった。その後、ララに再会し、ターニャはジバゴを探すなかでララと対面したことを知る。そしてモスクワに戻ったターニャ一家はブルジョアの烙印のもと国外追放となったと手紙が届く。ジバゴとララとその息子の水入らずの生活が始まる。詩の創作の日々。ララに捧げた詩の原稿を見てララは言う。これは私ではない、あなた自身だと。
そして、ある晩、あのコマロフスキーが現れる。ブルジョワでありながら、現実主義者で機を見るに聡いコマロフスキーは、革命派にとっての利用価値をアピールして、極東にできる自治区の法務大臣に任命されたという。ララもジバゴも革命の敵としてこのままでは命が危ないが、自分と来れば助かる、というオファーをする。コマロフスキーの存在を受け入れられないジバゴは断る。しかし、コマロフスキーから、ララの夫のパシャ、赤軍の指揮官ことストレル二コフが自殺したこと、反革命派の烙印が押されているララがこれまで無事でいられたのは、赤軍内部の反ストレル二コフ派が、彼をおびき寄せる餌として寛大に処遇して来たからで、利用価値がなくなりもはや収容所行きか処刑しかない、と囁かれて、ジバゴはララをコマロフスキーと一緒に送り出すことに同意する。自分は後で追いかけるからとララに告げて二人は分かれる。これが二人の永遠の別れとなった。

ジバゴは、その後モスクワに戻り、兄エフグラフの計らいで医者として生き延びていたが、詩は出版できなかった。ある日、市電に乗っているジバゴはララを見かける。心臓に病があったジバゴは電車を降りてララを追いかけるが発作に倒れる。ララは背を向けたまま歩き続ける。

詩は出版されずともジバゴの葬式に訪れ弔意を示す人々はひきも切らなかった。ララも現れ、兄エフグラフに二人の一粒種の娘を探す協力を依頼する。しかし、これがかなうことはなかった。その後、スターリンの大粛清時代の波に飲み込まれ、ララの行方はわからなくなった。おそらく、どこかの収容所で人知れず亡くなっただろうと推測される。

ジバゴの子を身ごもったララは、コマロフスキーと設立される予定の極東の自治区(ユダヤ自治区?)へ行き、結局結婚したのだった。今や老中将となったジバゴの兄エフグラフが、両親からはぐれてしまった状況を問い質すのに対し、若き娘は、モンゴルでのある日爆撃の混乱の中、必死で逃げる際に握っていた父の手が離れて一人になってはぐれてしまった、と告げる。

本当の父なら絶対に手放さないはずだ、とエフグラフは呟く。そして、この娘はジバゴとララの娘に間違いないと確信する。ボーイフレンドらしき若者が娘を迎えに来て尋問は終わる。二人は去って行く。娘がバラライカを肩に掛けているのに気付いたエフグラフが声を掛ける。若者曰く、彼女のバラライカは芸術家肌だと。ジバゴの母親譲りの才能をこの娘は引き継いだに違いないと、エフグラフは呟くところでFIN。
3時間半たっぷりの情感豊かで、ロケも美しい、デヴィッド・リーンの傑作映画であった。リーン監督の映画「アラビアのロレンス」「ライアンの娘」「インドへの道」と同様に素晴らしかった。

3度目にして、ようやく全編を見ることで、内容もようやくきちんと理解できた。パステル・ナークの原作を読めばいいんだろうけど。学生時代の左派系の友人が、パシャや、ジバゴのモスクワの豪邸を接収した革命派の描き方がよろしくない(冷たい感じでいかにも悪人)とコメントしていた記憶があるが、パステルナークの原著そのものが体制批判でありソ連では発禁だったのだから仕方あるまいと思う。原作に忠実にこの映画は作られた。当時のソ連がこの映画を作ることはもちろん、ロケを許可することもなかったのは当然だった。


夕食: 白身魚フライ乗せ野菜カレー

日本に帰化したドナルド・キーン氏がなくなった。すばらしい日本の理解者にして世界への紹介者だった。ああ、合掌。

2019年2月21日 (木)

映画「レッズ」を観る。

2月20日(水 )晴れ、後曇り
5時すぎの目覚め。
「ナチスの時代」の最終章を読了。ドイツ人に向けて書かれた本なので、原文にはない訳注がありがたい。かなり細かい点にまで懇切丁寧に説明がなされている。後ろの年表にはヨーロッパの出来事とと並行して日本と極東の出来事が並列されているのもグッド。

独ソ不可侵条約とポーランド問題。9月1日にヒトラーのドイツ軍は侵攻したのだが、ヒトラーは、ポーランドからの最初の一撃(ドイツによる演出)があったための反撃である、とラジオで国民と世界に宣言した。強いものが弱いものを公然と攻める際のやましさを少しでも軽減するためなのだろうが、道徳的には弁護の余地はない。満州事変の日本もそうだった。

独ソ不可侵条約の秘密条項にもとづき、スターリンが2週間と少し後(9月17日)に、ポーランドに軍を進めたのは、ポーランドがソ連に宣戦布告することでイギリス・フランスを敵に回すことを避けるためだった。チャーチルは、ソ連軍の侵攻を、ドイツが動いてポーランドを自国に組み入れたことによる地政学の要請から正当化される当然の行為だと擁護した。ポーランドは最後まで英仏の動員と開戦を期待したにも関わらずほとんど何ら動きができず(したくなかった)ポーランドを実質的に見殺しにしてしまった(戦争準備が十分にできていなかった)。スターリンにとっての「独ソ不可侵条約」とは、ドイツと一時的ではあるけれど、対立関係を解消して、帝国主義同士を戦わせ消耗(ドイツ対英仏)させる戦略にもとづくものだった。ヒトラーにとっては、2正面作戦を避け、かつ、ソ連から石油や食料などの原料を確保することで、西側との戦争に専念するためのものだった。

朝食:身欠きニシン、味噌味風味のミネストローネ、タラモサラダとご飯少々。

9時前、いつもより早く父はデイケアーに出かける。今日は朝からポカポカの陽気。久しぶりに車を洗った。

昼食:タラモサラダと石窯パン2切れ、まるちゃんの昔ながらのソース焼きそば、それに、レモンティー(ダージリン)。

給湯器が設置してから10年を経過したので、メーカーさんに点検をしてもらうよう段取りをする。予定はまだ未定。相手からの連絡待ち。

13時から、BS3で映画「レッズ」を観る。封切になった1980年前半に1度観たことがある印象深い映画だ。是非みなかれば、と朝からソワソワしていた。

「世界を揺るがした10日間」のジョン・リードとフェミニストのであり女流ジャーナリストのルイーズ・ブライアントが主人公。時代は20世紀初頭の1910年代で、欧州では第一次世界大戦の大混乱の中にあった。ウォーレン・ビーティ演じるジョン・リードは危険を省みない社会派のジャーナリスト(冒頭は革命児サパタが活躍したメキシコの取材で砲弾の中を走り馬車に飛び乗るところ)。当時のアメリカ世論は連合国側についてに参戦する流れが出来つつあった。参戦するとは、資本家を利するだけだ、英仏が負けたらJ.P.モルガン財閥の投資金がフイになるから、資本家たちが参戦しようとするのだ、とリードは生まれ故郷のオレゴン州ポートランドの保守的な人々の集まりの中で物議を醸す発言をする。

保守的な田舎の生活に息苦しさを感じていダイアン・キートン演じる人妻のルイーズは、講演に訪れたリードと知り合い、夫を捨ててリードが住むニューヨークのグリニッチビレッジへ。「グリニッチ・ビレッジの青春」という映画を思い出すが、アーチストの卵たちが「自由恋愛」(これもとうの昔に死語)をしながら、おしゃべりに興じつつボヘミアンな生活をしていた。ジャック・ニコルソン演じる劇作家ユージン・オニールはルイーズのもう一人の恋人として登場。

リードとルイーズは結婚はするが、派手で男をひきつける魅力たっぷりのルイーズはすでに有名だったリードの向こうを張って自立心を鼓舞、喧嘩をしては寄りを戻す生活をする。
一方のリードも、妻以外の女性とも関係する。お互い様の関係。

ヨーロッパの戦場をレポートしようと一人パリに渡ったルイーズを追いかけて渡仏したリードは、ルイーズを連れてロシア革命前夜のペトログラード(レニングラード)へ。列車の中で、ロシア系アメリカ人のジャーナリストが二人の前で次から次へとジョークを飛ばすシーンがある。物語とは無関係だが、何故か印象に残る。オランダで研修していた時、マーストリヒトでたまたまある晩、偶然に知り合ったオランダ人とビールを傾ける機会があったのだが、このオランダ人か数えきれないほどのジョークを問わず語りに飛ばすのだった。ナンセンスなジョーク、ダーティーなジョーク。次から、次へと。列車の長旅でもそうなのだろう、退屈や気づまりな瞬間が生まれたら、ジョーク合戦という手があるのだ。女性には魅力的なジョン・リードも、ジョーク合戦では笑いを取れなかった。

二人は、ロシア帝国の戦線離脱、ケレンスキー暫定政権とレーニン主導のボリシェビキによる政権転覆と権力掌握の推移を目の当たりにする。共産主義シンパであったリードもルイーズも熱狂の渦の中で取材を重ね(レーニンやトロツキーも登場する)、アメリカに帰国して本を書いたり講演をする。が、FBIの防諜班から目を付けられる。アメリカは、ボリシェビキ革命の最中にあるソ連への干渉戦争に参加しており(シベリア出兵等)、親ソ連的は言説は祖国への裏切りである、と。逮捕される寸前にリードは密航船にのり一人でモスクワへ潜入する。アメリカで分裂する左翼の少数派としてコミンテルンのお墨付きをもらおうと努力するも認められず落胆する。

コミンテルンの仲間とバクーへ軍用列車で講演旅行するシーンが美しい。英語で起草した自分の原稿がロシア語に直され、それが、また現地のそれぞれの言葉に翻訳されることで、リードの演説に応えた地元民の熱狂的な叫びは「聖戦、万歳」であった。そして、白軍(皇帝派の軍隊)の攻撃と混乱。連絡がつかない(共産側は干渉戦争をしかける世界と遮断され、自らを遮断した)リードを案じたルイーズは北欧を経由して苦労しながらモスクワにたどり着き、かつて、グリニッチ・ヴィレッジで知遇を得ていた仲間に再会し、革命の現実に対する幻滅を吐露される。バクーから戻ったリードは駅でルイーズと劇的な再開をするが、チフスにかかり、間もなくルイーズの看護の甲斐もなく亡くなる。ボリシェビキ革命シンパだったリードは、数少ない例外の外国人としてクレムリンに葬られたという。

映画をさらに興味深くしているのは、冒頭から最後までところどころで監督・主演をしたォーレン・ビーティーが行った二人を知る人々(例外なしに高齢)へのインタビューによる回想である。批判と共感、相半ばしたコメントの数々。「ルイーズは、男の人の気をを引こうとする露出趣味があった」、「自分自身の生存に命をかけて生きている女は派手なのよ」、「社会主義なんてくだらない、リードは、理想を追求して他人のことにばっかりかまけていたよ。そのくせ、自分自身のことには全然無頓着」「二人はお似合いのカップルだった」等々、再現するのは不可能なくらいのはるか昔となってしまった自分たちの青春の数々の断片的な記憶の吐露。単なる男女のロマンチック・アドベンチャーの映画となってしまうところに深みを与えていると思う。

夕食:豪州牛のランプステーキ(厚身でやわらかい)、タラモサラダ、ホウレンソウのおひたしで赤ワインを飲む。仕上げは、タコの刺身、ミネストローネとご飯。

食後、ブリ大根を調理する。40分少々。魚だし(酒6、味醂1、醤油1、砂糖0.5)と水少々で30分中火で乱切りにした大根とブリのアラと切り身を煮詰める。道場六三郎さんのレシピ。生姜は使わず。お酒そのものが魚の臭みを消すからだろう。



Buridaikon1

 

 

 

 

2019年2月 2日 (土)

2度目の雪、映画「マッキントッシュの男」、ヒトラーとチャーチル(後編)。

2月1日(金) 曇り後晴

5時過ぎに目が覚める。

ベッドの中でチャーチルの回顧録を読み続ける。真珠湾攻撃とアメリカの参戦により、チャーチルは急遽アメリカにトップクラスの部下を従えて出かける。アメリカの無限の力をいかに引き出してヒトラーに勝利するか。一方で、アメリカの主敵は日本であることへの不安、つまり、米国が日本と直接闘うことになるためレンドリースで得られる自分たちへの物資支援(優先順位として、①国内、②ソ連、③英国となるため)が回らなくなることへの。

6時半前、辺りが少し明るくなって来た。日没はどんどん遅くなっているが、日の出もこれからは少しずつ早くなっていくだろう。外はほんの少しだけ雪が積もっていた。幸いなことに生活に支障がでるほどのことではないので一安心。北米ではものすごい寒波に襲われている。極渦(Polar Vortex)というらしい。死者も出ている。

 

Yuki
朝食: 鮭の塩焼き、ポテトサラダ、農民風スープ、ご飯少々。それに、バナナ半分。

生ごみ出し(3袋)。その後、地元の市役所へ父の保険証の再発行手続きに出かける。帰り際、食材の買い物。これで午前中が終わってしまう。その間、父は30分の自宅でのリハビリ、それと、訪問看護師のケアーを受ける。

昼食: 石窯パンのオープンサンド(ポテトサラダとゴーダ・チーズとペストラミ)にコーヒー。
BS3で映画「マッキントッシュの男」(1973年製作)を観る。ポール・ニューマン、ジェームス・メイソン、若き日の美しいドミニック・サンダが出演。冷戦時代のスパイもの。舞台はイギリス、アイルランド、最後はマルタ島のバレッタ。登場人物には実在のイギリスのダブル・エージェント・スパイがモデルとして登場する。

そのスパイとは、、ユダヤ系のイギリス人とオランダ人のハーフで、第二次世界大戦で諜報活動に携わった後、朝鮮半島の英国大使館に勤務、朝鮮戦争で捕虜になり、共産主義を信奉するようになり(連合国の無慈悲な攻撃による名もなき人々の大量殺戮を目撃してソ連に将来の希望を託した)、KGBのスパイとなった。停戦後、帰国して、イギリスの諜報機関で仕事を続けるが、イギリスの機密情報をソ連に渡し始めた。1961年に逮捕され懲役46年刑を受ける。しかし、刑務所を脱獄して、ソ連へ逃亡。1990年代には自伝も出版、2019年現在、96歳でまだ元気らしい。

目まぐるしく展開するストーリーなので詳細は省くが、ジェームス・メイスンが演じるウィーラーことイギリスの愛国的な保守派の右翼国会議員が、実はソ連のスパイだったいう話。

MI6が放ったエースがポール・ニューマン(リアデン)で、ダイヤモンドに絡む事件で懲役刑を受けて収監され、脱獄するのだがその時に一緒に脱獄するのがお目当てのソ連のスパイ(スレイトという)で、リアデンはこのソ連諜報スパイリングの中に入り込み組織を葬ることが、スパイマスター(主人公の親分、マッキントッシュ)の目的だった。マッキントッシュは、ウィーラーを怪しいと睨み、罠を仕掛けて誘き出そうと仕組んだのだが、逆に先回りされて車に引かれて殺されてしまう。その娘が、リアデンをアシストするドミニック・サンダ。マルタ島の教会でウィーラーとソ連のスパイであるスレイト対リアデンとドミニック・サンダ演じるスミス夫人の対決。拳銃と拳銃を突き合せた対峙となる(Mexcian standoffと言うらしい)。

ウィーラー側から、お互いに今回のことは無かったことにして無傷で別れようという妥協をの提案がなされる。黙認するかのように銃持ったままのニューマンの前で、銃を置いて現場を去ろうとするウィーラーとスレイトだが、最後の最後でスミス夫人ことドミニック・サンダが二人を撃ち殺す。父の仇打ちでもある。「あなたは組織の命令を最後は無視したわね」と、スミス夫人は冷たく言い放ち、昂然とニューマンに背を向けて町の暗闇のなかに去っていく。佳作である。監督は、ジョン・ヒューストン。

休憩して、パクテー料理を仕上げる。たかが豚肉の煮込み(おでん)なのだが初回の出来はどうだろうか。


Pakute

17時からBS1で「ヒトラーとチャーチル」の後編を見る。以下、その内容と自分なりの視点を入れながら補足・要約すると、1940年5月10日、まさに、チャーチルの首相就任日だが、ヒトラーはフランスへの電撃作戦に着手。連合軍はなすすべもなく追い詰められる。ダンケルクの戦い。息の根を止められる寸前だった。

しかし、ヒトラーは抹殺の命令をしなかった。ダンケルクでヒトラーが寛大だったことの裏には、ヒトラーの対英融和の意図があった。チャーチルは、そのおかげもあって、武器類を放置したまま最小限の被害のもとに兵士たちの命を救い出すことに成功し、国民の喝采を浴びる。自国の兵士を単なる消耗品のごとく扱い無駄な死を強いる無慈悲なヒトラーとはまったく対照的である。

ヒトラーは、ポーランドの行動の自由を認める代わりに、ドイツは大英帝国の権益を尊重する、という提案をチャーチルに行う。しかし、チャーチルはニベもなく拒絶し、目論見は頓挫する。そして、ゲーリングの指揮のもとドイツ空軍によるイギリスの軍事施設攻撃が始まり、イギリスは窮地に追い込まれる。流れが変わったのは、ドイツが、誤ってロンドンに爆弾を落とした(軍事施設以外への攻撃は戦時国際法違反)ことを口実に、チャーチルが、
周囲の反対を押し切って断行した軍事施設ではない首都ベルリンの爆撃。心理作戦である。空襲の規模は大したことはなかったが、ヒトラーは激高して、イギリスの諸都市への戦略爆撃を開始する。イギリスはその間に軍需施設で航空機を増産できることになり、結局のところ、バトル・オブ・ブリテン(7月から10月)でドイツは破れ、制空権を失ってしまうという皮肉な結果となる。このあたりの経緯は紙一重のような気がする。

イギリスへの侵攻をあきらめざるを得なくなったヒトラーは、翌年の1941年6月、独ソ不可侵条約を破ってソ連へ侵攻する方針転換を行う。スターリンの失策もあって、破竹の勢いでレニングラードとモスクワに迫るドイツの機甲師団だったが、いつもより早く訪れた「冬将軍」の前に立ち往生する。

日本は、独ソ戦開始の前の4月12日にソ連と日ソ中立条約を結んでいる。ヒトラーは、対ソ防共協定であった1939年の三国軍事同盟締結の直後にも、独ソ不可侵条約をスターリンと結び、日本を困惑させたのだが、ソ連侵攻も,まったく同盟国のイタリアや日本に前もって相談せずに独断専行したのだった。事前に日本と相談して共同歩調を取っていれば、日本は北進=ソ連攻撃もあり得たのではないか。

ソ連はスパイ・ゾルゲ(それ以外の情報も複数あったらしい)をもとに、日本が南進することを見極めた10月にはに極東軍を西部戦線に充てる行動に移っている。アメリカのレンド・リース(武器をはじめとする戦略物資の支援)も始まった。この二つの要素が、ドイツを敗北へと導いていく。そして、12月の日本による真珠湾攻撃とアメリカの対日宣戦布告。三国同盟には、この場合、ドイツに対し自動的に対米宣戦布告となる条項はなく、ドイツが宣戦布告をしなければ、アメリカは欧州戦線では戦わず、日本だけとの闘いになる可能性があり、チャーチルは回顧録でこの点を密かに心配していたと正直に告白している。「歴史の謎」だが、ヒトラーは、アメリカに対し宣戦布告した。テレビのドキュメントでは、ヒトラーは、3000年不敗の日本が同盟国として戦列に加わった。ドイツは勝つであろう、と楽観していたらしい。

1943年、春の到来とともに、戦争経済の台所事情からヒトラーは石油を取りにボルガ川・コーカサス方面へ侵攻する。軍事的には間違った戦略(戦力の分散)だったが、石油がなければ戦争は出来ないドイツの弱点(ルーマニアの石油は貧弱なものだった)故の選択であった。スターリングラードの死闘。そして、2度目の冬将軍。そして、ドイツ軍の降伏。ヒトラーは呟く:勝利の神様は敵側に行ってしまった。一方で、この年の5月には連合軍がシシリー上陸。スターリンの要請によるヨーロッパの第二戦線の開戦である。この年11月に開催されたテヘラン会談で、チャーチルは大英帝国の立場が、アメリカとソ連の立場と比較して2次的になってしまったことに愕然とする。

そして、北アフリカ戦線での攻勢、、1944年6月のノルマンディ-上陸作戦。ヒトラーの運は尽き、劣勢に歯止めがかからず引きこもりになる。戦争指導をヒトラーが一人で決定するのに対し、チャーチルは、アメリカをはじめとする連合国首脳陣との連携努力はもちろん、大好きな戦場へしばし足を運んで激励をするパフォーマンスをするなど、対照的だった。1945年1月、ベルギーのアルデンヌの森で繰り広げられたヒトラー最後の反攻も緒戦は善戦したがあっけなく敗北。万策尽きたヒトラーは、首相官邸のの地下塹壕室にこもりドイツの破壊を命じ、エヴァ・ブラウンと結婚した直後に自殺を遂げる。ドイツの暴走は終わった。ドイツを破ったチャーチルだが、このときはもはや英国の首相ではなかった。2月のヤルタ会談の途中で労働党に政権を譲り途中で帰国したのだった。しかし、ドイツの敗北で沸き立つロンドン市民が歓呼の声でたたえたのは王室と並んで映し出されるチャーチルであった。一番幸せだった時のことを聞かれて、チャーチルは1940年に首相に返り咲き戦争指導を始めた瞬間だった、と答えたという。

夕食:パクテー(豚肉の煮込み)、オレンジジュース、ポテトサラダ。それに、農民風スープにきしめんを入れて仕上げる。パクテーは塩加減が不足していた。少々だが醤油をかけてちょうどいい味になった。ただ、肉は思ったほど柔らかくはなかった。次回は圧力鍋を使ってみよう。さっぱり味のおでん風のパクテー味がいいのか、甘辛くねっとりと柔らかく調理するトンポウロウのほうがベターか、迷うところだ。
夜遅くまで2階で日記を書いたり、ブック・サーフェインとネット・サーフェインに興じる。サッカー・アジアカップの決勝戦だが、23時から。歳を考えてその前に就寝。

2018年10月20日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その106 インド映画「大地の歌」

10月17日(金) 曇

 


2時過ぎに一度目が覚めて眠れなくなる。

 

「ヒンドゥー教とイスラム教-南アジア史における宗教と社会」(岩波新書、荒松帆雄著)を読み始めたらとまらなくなる。4時過ぎまで読んで再び眠る。

 

6時前に2度寝から目が覚めて居間に降りてリハビリを開始。テレビではトルコ大使館にったまま行方不明となったサウジアラビア人のカショギ氏の殺害事件を盛んに報道している。

 

7時半ぎ、石窯パン、サラミ、ブルーベリー、ミルク、レタスとトマトのサラダの朝食後、2階で日記を書く。

 

9時半前、車で日課の那珂川の河川敷へ。10時から12時までの2時間ほど、釣りに興じる。

 

Nakagawa5

 


ポツン、ポツンの間隔は空いたが、30㌢前後のセイゴを4尾仕留める。待つ時間が長いので階段で護岸を降りたり、雑草を観察したり、足の運動をする。

 

 

<ヒメジオン>

 

Himejion

<カタバミ>
Katabami

 

 

<?>

Hirugao

 

 

 

<西洋タンポポ>
Seiyotannpopo

 

 

<秋の空>

 

 

Akinosora

 

 

12時過ぎ納竿。釣果は、セイゴ4尾(29㌢~33㌢)

 

 

Seigo9

 

 

12時半過ぎに帰宅。昼食は、五目チャーハン、コーヒーにリンゴを食べる。

 

14時、近くのクリニックに薬(高脂血症)をもらいにいく。両親のインフルエンザの予防接種は11月上旬に実施することを決める。

 

帰宅して2階のベッドにもぐり込み、「The Eitingons」(舞台は中国からトルコのイスタンブールへ)を少し読むも、眠くなり昼寝となってしまった。

夕食:豆腐、セイゴの塩焼き、エリンギと枝豆のバーター炒め、キュウリの糠漬けとごはん少々。赤ワインも少々飲む。

 

クライマックスシリーズ、巨人は広島に三連敗。高橋監督の巨人は終わった。来季から原氏が3度目の監督に復帰。

 

インド映画「大地のうた」を観る。サタジット・レイ監督による1955年製作のベンガル語で作られた映画。モノクロの社会派リアリズム映画。「ワナジャ」を想起させる。ウィキペディアを観ると、やはり、レイ監督のこの映画はインド独立後のインド人による映画としては一線を画すものだった。

ベンガルの貧しい寒村で暮らす一家の姿をアプという少年の目を通して描いている。お姉さんのドゥルガと少年が遊ぶシーンは自分の子供時代と一部重なるところがあってジーンと来る。貧しさは日本の比ではないが(歯ブラシの変わりに指で歯をみがいたり、靴を履かず裸足など)、キャンディー売りや紙芝居ではないが覗き仕掛けの見世物を見に子供たちが一斉に集まるシーンだ。野原を駆け回り蒸気機関車を見に行ったり、旅芸人が演ずる芝居を観たり、木の下で憩う場面など、日々の生活の素朴さに心が打たれる。弟の面倒見がいい姉は、雷雨の中で遊んでずぶれになったのが原因で熱を出し、嵐の晩に命を落としてしまう。一家は生まれ育った先祖伝来の農村の生活に見切りをつけて牛が引っ張る荷車に乗って村を去るとことで終わる。少年は、姉が以前に裕福な近所の少女から盗んだと非難されながら決して認めなかったビーズのネックレスを家で偶然見つけ、黙して池に投げ捨てる。歌も踊りもないが、時折流れるラビシャンカールのシタールのメロディーが実に印象的だ。

 

 

 

2018年9月29日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その85 映画「太陽はひとりぼっち」を観る。

9月27日(木) 雨

 

5時半前に目が覚める。スッキリした頭で日記を書く。昨日から気温がぐっと低くなった。10月後半の陽気。

 

6時半、リビングに降りてリハビリを40分、汗を流す。膝の屈伸の角度と足首に掛ける荷重を徐々に増やし限界の少し手前までいくことを繰り返す(100回)。踝や足の平を動かして円周を描いたり、筋肉や筋が対応できる範囲を増やす。

 

テレビのニュース:ロンドンに本来なら北極圏に棲む?白イルカがテムズ川に迷い混んで2日目だが元気らしい。

 

朝食は、石窯パン、納豆、サラミ、レタスに麦茶。

 

小雨の中、郵便局へ用足しで出掛ける。外は気温は20度に届いていない寒さ。帰りに少々買い物をする。

 

お昼:五目焼きソバ、栗、カレー・コロッケにコーヒー。

 

13時から映画「太陽はひとりぼっち」を観る。始めてだ。アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」にあやかって題を付けたのかも知れないが、全く路線が違う。監督がアントニオーニだから頷ける。娯楽映画を期待すれば裏切られること間違いなし。

 

美男のアラン・ドロンは株式仲買い人で金・女・物欲の充足を追求する俗物を体現する役柄。

 

美女のモニカ・ヴィッティは不感症なのか男にうぶなのか、男にあまり興味を示さない。冒頭から、婚約者との結婚を破棄するシーンだ。株取引きにのめり込む母(株の暴落で大金を失ってしまう)に同調できず自分は金に興味はないという。婚約者とわかれた後に言い寄って来たドロンにもどっち付かずの態度を取り続ける。しびれを切らしたドロンから問い詰められると、彼女の答は「わからない」。

 

この映画、セリフがとても少ない。道路を走る車も少ない。殺風景で人気のない街のシーン。よそよそしい登場人物たち。理由はわからないが、キリコの絵を連想した。

 

主人公はドロンではなくモニカ・ヴィッティだが、小型飛行機で空の遊覧をしたり、アフリカの黒人を真似た躍りをしたり、気晴らしする。翻訳の仕事もしている。ドロンにはどっち付かずの態度だが時折り美しい笑顔を見せたりもする。しかし、何かが起きてドラマとはならない。結局、二人はどうなるのでもなく映画は終わってしまう。

 

金をめぐる株の売買シーンで人々は狂騒を演じるが、株価の暴落で呆気なく萎む。大金を失った一人の男は鎮静剤を買い、カフェで水をオーダーして飲むのだが、コースターの裏側にメモを残して立ち去る。主人公は一部始終を見ていて最後にメモを覗くと、同じ花の絵をたくさん描いた落書き。

 

製作は1962年。実存主義哲学がヨーロッパ大陸を席巻している時代思潮を反映したフランス・イタリアの合作。映画はイタリア語バージョンで、ドロンはイタリア語を喋っていた。

 

とてもクールで人を食った映画だった。

 

余談だが、「太陽がいっぱい」と「太陽はひとりぼっち」の2曲が入っている(従って、サントラ版ではない)  45回転のドーナツレコードを今も大事に保管している。実家には当時の物が(高校時代まで)かなり整理されないまま押入れの中に残っている。

 

Taiyou

<おまけ>

 

Gunman

夕食:鯖の塩焼きと大根・人参の和風煮物を肴に国産赤ワインを飲む。デザートは梨。

 

大リーグの大谷選手が第22号の決勝ホームランを打つ。

 

夜、BSで歴史家の磯田道史氏がナビゲーターの「英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け」を見る。1867年12月9日の「王政復古のクーデター」は大政奉還を決断し大きな譲歩をした徳川慶喜が上から明治維新を指導しようとした目論見を否定するクーデターであった。

 

薩摩藩の大久保と西郷らの目論見とは、徳川勢力とは一切妥協せず、維新後の国家体制から排除することで徹底した中央集権国家を作り上げることが目的だった。

 

しかし、彼らの考えは少数派だった。実際に有力藩主たちは慶喜を支持していた。それを引っくり返す一か八かの策謀が大久保と西郷によってめぐらされ、慶喜は見事に嵌められたのである。(坂本龍馬が暗殺されたのは、現実的な龍馬は徳川勢力を排除しない慶喜派であったから薩摩によって暗殺された、という根強い説がある)。鳥羽・伏見の戦いで戦力的に優勢な幕府軍は慶喜が途中で逃げ出し無様な負け方をして、政局は薩摩側に味方した。テレビの解説者の一人は、慶喜には禁門の変での大きな犠牲が頭にあった。少数派の革命軍(薩摩)は犠牲を厭わない無慈悲さがあった。革命の帰趨とはそういうものだと。

 

薩長連合による徳川抜きの明治維新政府が成立した背景には、少数派だが、このような攻撃的で無慈悲な過激さにもとづく策謀と幸運があった。不利な情勢下でも突っ走った薩摩に軍配が上がった。

 

そして、このような経過をへて誕生した維新政府は以後の日本政府のDNAとなる。ある意味、朝鮮半島から満州、更に、中国本土、東南アジアへと日本が膨脹していく力の源流となり、太平洋戦争でアメリカと戦い排除されるまでその力は奔流となって日本の近代史を形作ったと言える。

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