2008年7月22日 (火)

映画「東京オリンピック」を見た・・・

ブルーマンデーの昨日。一仕事終えて21時前に帰宅。この3ヶ月遅番シフト勤務なのだ。

蒸し暑い日々は冷えたビールが一番。一杯ぐーっとやっる。夕食を終えて、テレビサーフィンを始めた。BSチャンネルで、とまった。映画「東京オリンピック」じゃないか!

番組表を見ると1945分からやっている。時計は22時前だ。いや、のがしちゃったよ、という思いで、画面を食い入るように見た。マラソンのシーンと閉会式のところだったが、感動ものだった。マラソンの沿道で選手に声援を送る赤ん坊を背負った主婦の姿に思わず笑ってしまう。いまじゃ、もうこんな姿は見られない。新宿駅南口や甲州街道、制服を来た学生の姿。高度経済成長期とは言え、まだまだ日本は貧しかった。スタート前に選手のアナウンスがあるのだが、選手の名前を男性は「くん付け」で、女性は「さん付け」で呼んでいるのが微笑ましかった。こんな時代があったんだ・・・。

今はもうはるか昔のこと、記憶に埋もれた1964年。ジョン・F・ケネディが暗殺されたのは前年だった。ベトナム戦争はすでに深刻化していなかったか。3億円事件も三島由紀夫の割腹自殺事件もまだだった。吉展ちゃん誘拐事件の頃か?東大安田講堂の攻防戦はまだだった。

当時小学校3年生だった私は、市内の郵便局がある本通りで聖火ランナーを見たのだった。開会式の時は、学校が午前中で終わり、早々と帰宅。家族皆で、白黒だったけれどテレビで開会式を見たのを鮮明に覚えている。

女子バレーボールで金メダルを取って泣いた東洋の魔女たち、重量挙げの金メダリスト三宅選手と世界一力持ちのジャボチンスキー、アントン・ヘーシンクに敗れた神永選手、陸上100メートルの覇者ヘイズ、水泳のドン・ショランダー、女子体操のチャスラフスカ、そして男子マラソンのアベベ、ヒートリー、円谷幸吉。今でも名前が次々で出てくる。

観たのは最後の40分ほどだけだったが、閉会式で流れる黛敏郎氏作曲のテーマ行進曲が実によかった。44年前のあの時聞いた感動の行進曲が圧倒的な感動を伴って私の全身を貫いた、と言うと大げさだが、記憶の奥底に深く眠っていたものが何とも鮮やかに突然呼び覚まされた瞬間だった。

そして、今日は朝からそのテーマ行進曲のメロディーとリズムがずーっと私の頭から離れないのだ。行進曲が鳴り響いたまま、夕刻やれやれと仕事を終えて、徒歩でいつものように家路についた。

行進曲に合わせて汗ばみながら歩く、歩く。歩く。いつしか行進曲は、バーデンバイラー行進曲(ヒトラーがウィーン入場したときも確かこの行進曲だった)になり、某大橋をわたっている最中は何故か、ショパンの「別れの曲」に転調し、最後は再び、黛さんのあの軽快な東京オリンピックテーマ行進曲に戻って自宅に到着。ああ、汗かいた。ビールで乾杯。ようやく、行進曲が私を離れてくれたようだ。

2007年9月17日 (月)

ニーキタ・ミハイルコフとチェーホフ~映画「黒い瞳」

この映画は、チェーホフの短編「子犬を連れた奥さん」の映画化のようだ。監督は「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」(原作:プラトーノフ)で30年前くらいにチェーホフ文学を映像化したご存知ミハイルコフ監督。黒澤明を心から尊敬しているという。大雑把でガサツなばかりがロシア人ではない。チェーホフの繊細(ドストエフスキーなんて大法螺吹きで読めたものではない、小生にとっては)を見事に映像化するこの監督に拍手喝采した。

あらすじは、イタリア人の貧しい学生で大学で知り合った大金持ちの娘と結婚した男。建築家希望で、希望にあふれていた男だったが、金持ちと結婚することで、次第に易きに流れ、才能を殺し、ただ生きるだけの怠惰と倦怠の日々。

ある日保養先で、純真な子犬を連れた若いロシア人婦人と知り合う。彼女も、もともと貧しい生まれだが美しく、あるお金持ちの結婚の申し出を、家族を養うために妥協して受け入れる。ひょっとすると似たもの同士なのかもしれない。

イタリア人の男は実に軽薄なのだが、やがてロシア女とベッドをともにする。どぎまぎする婦人。翌日婦人はロシア語の手紙を残して帰国してしまう。「私は、現実が怖くて、真実の愛から逃げました。あなたを愛しているという恐ろしい現実が怖くて」と。

男は舞い上がる。ビジネスの旅行を装って当時難しかった(どうも背景は1900年前後ではないか)ロシア旅行を敢行し女を捜す。やっとたどり着いた町での大げさな歓迎。ジプシーの芸能披露などが繰り広げられる。そして、ある貴族の夫人に収まっている「子犬を連れた婦人」と再会。連れに戻ると約束をして、主人公は一旦イタリアへ帰る。と場面は冒頭の船の食堂キャビン。ロケの映像が美しい。

中年のロシア人商人に「この女」とのいきさつを語る主人公―どうもうらぶれて、客船の食堂の給仕をしているようだ―が語って聞かせるところに戻る。商人が訪ねる:「それで、迎えに行ったのかい?」と主人公は、「いやぁ、結局行かなかった」と答える。何といい加減な!と思った新婚旅行途中のロシア人商人は語り始める。

実は自分は、あるロシア婦人に愛を告白し長年にわたって結婚を申し込んでいたが、決して愛を受け入れてくれなかった。自分には、心に決めた人がいるからと。商人は、風采の上がらない、まじめさと真心だけが取り柄の冴えない男だが、ずーっと待ち続けて、やっと最近、愛には応えられないが、妻になることを受け入れてくれた女と結婚できてこうして新婚旅行に出てきたんだ。自分は今幸福の絶頂だ。例え妻が自分を愛してくれなくても、と告白する。そして、あなたは、そんな軽薄なことを言って、その犬を連れた婦人がまだ待っていたらどうするんだ!と責めたてる。

マルチェロ・マストロヤンニ演じる主人公は、自分の軽さ、いい加減さに流された人生を思いやって、涙する。自分の人生は、結局何も無かった,と。

サアサア、食事の時間が始まると言うレストラン・マネージャーの声で我に帰った二人。新婚の妻を呼びに甲板に出たロシア人商人。その妻は、ふと笑顔顔を上げると「子犬を連れた婦人」だった。チェーホフの小説を彷彿とさせる見事は映画だ。ミハイルコフ万歳!!!

2007年9月 8日 (土)

マルクス兄弟の映画   

始めて見たのは、アムステルダム研修時代の1984年である。それもドイツのテレビ番組でだ。今でもはっきりと覚えている。雨の降る春先のこと。憂鬱につつまれて、ボーっとして午後遅く昼寝をしてしまった。土曜日の夜だったろうか?目が覚めると外の雨はあがっていた。

住んでいたのは市内南のOlympialein付近のTintoretto Straatにある3階建てのアパートの3階だった。2階は離婚したという噂の超ボインのお姉さまで私の大家さんだった。名前は、Bongerさんだったと思う。オランダ語ではボンハーと発音する。

「春宵一刻値千金」を思わせ麗しい夕刻だった。頭がすっきりした私はテレビのスイッチを入れた。ドイツのテレビ番組はオランダでも見られる。代々の研修員が引き継いだTintoretto Straatにあるアパート(確か3階)のリビングルームにある長いカウチ(ソファ)に横になって見たのだった。

Duck in Soup(邦訳は「我輩はカモである」)という映画だった。チャップリンにはヒトラーらしき人物に扮して当時のナチスドイツをオチョくった傑作映画「独裁者」があるが、こちらの映画は、まったくのナンセンス・ドタバタ・コメディーだった。戦争の善悪などという道徳的な問題を超越した娯楽映画。

チーコ、ハーポ、グルーチョのマルクス3兄弟(実はもう1人だかもっと?いるのだけれど、普通はこの3人トリオのことをマルクス兄弟と呼ぶようだ)のドタバタぶりには最初から最後まで抱腹絶倒だった。

1980年代後半に日本でマルクス兄弟映画のリバイバル上映がありほとんど見たと思うが、どの映画でも兄弟たちが同じギャクを必ず1回はどこかで出してくれる。これなぞ、吉本新喜劇のコメディアン達が、必ず1回は観客の期待に答えて出す「よーッ、待ってました」という十八番演技であろう。

グルーチョが一番難しい。彼の早口ギャクは日本語への翻訳は不可能だろう。口ひげを描いて、腰から下を沈めて背中をまっすぐにして歩く独特の姿の口から機関銃のように繰り出されるナンセンスな駄洒落はすごいの一言だが、当時も今も彼の台詞の面白さは断片的にしかわからない。一方、チーコとハーポは、サイレント時代からの芸で子供でも笑えるギャクを連発する。チーコの曲芸的ピアノ演奏、ハーポの真面目な?ハープ演奏(プロ級の腕前)、チーコとハーポのじゃれあいは、見ていてとにかく楽しい。

ロンドンのチャリングクロスにある本屋で偶然見つけて買ったグルーチョ・マルクスの自伝を持っている。残念ながらこれも積読状態だ。両親はヨーロッパ、確かアルザス地方からのユダヤ系移民だったと思う。従って、か、どうか分からないが、ドイツ系の名前をつけた謹厳な紳士(医者とかクラシック音楽の指揮者とか)がマルクス兄弟に徹底してオチョクられる。ドイツ系だけでなく慇懃ぶった上流階級を、大衆がからかって皆で笑っている、という感じがする。

言葉で説明しても彼らの映像から溢れ出るエネルギーと面白さは伝えられないのが残念だ。 彼らを超えるコメディアンがいるだろうか?と私は密かに思っているくらい、凄いと思う。コメディの全てが出揃っている、というのは言い過ぎだろうか?素人の暴言かも知れないが。

Wikipediaを覗いてみると:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%85%84%E5%BC%9F

ちなみに、最高傑作は、「オペラの夜」(A Night At the Opera)ではないかと思う。

ロンドン時代に仕事で疲れた合間には、やはりマルクス兄弟のビデオを買ってきて何度も観たものだ。(これと、ウォルトディズニーの「トムとジェリー」これも傑作だ) Classic Movies CollectionシリーズのDVDが500円で出ていて、最近購入した。たった500円で何と言う贅沢が出来るのだろうか? 何回見ても飽きが来ない映画なのだ。 

Kif_1215

2007年2月 4日 (日)

気ままにおしゃべり(5) 映画「天井桟敷の人々」

「天井桟敷の人々」は数年に一度は見ている大好きな映画だ。私の両親の世代(昭和一桁)が青春時代に見た映画だというが、ずーっと若い後の世代である私が何度見ても楽しい。

ハリウッドでは絶対できないヨーロッパの香りのする傑作だと思う。ナチス占領時代に作られた映画だというが、どこにも戦争の影は見られない。そして、プレヴェールのセリフが洒落ている。プレヴェールが紡ぎだすセリフの為にこの映画を作ったのではないかと思える、と批評家の誰かだったかが言っていたと思う。

時代は1800年代前半のパリ。フランス革命、ナポレオン戦争を経た反革命という時代の荒波の中、時はロマン主義の時代。実在の悪人をモデルにした悪党詩人ラスネールのセリフが印象に残る。以下、現代詩手帳 詩情と詩情もどき プレヴェールと映画 (山田宏一)より一部抜粋。

N’aimer personne Etre seul. N’etre aime de personne. Etre libre (誰も愛さない。全くの孤独。誰からも愛されない。全くの自由)

Les philosophes pensent toujuours a la mort et les jolies femmes a l’amour(哲学者はいつも死を想い、美しい女はいつも恋を思う)

Ah! C’est vrai qu’<ils> sont trop laids! Comme j’aimerais en supprimer le plus possible(世間の奴らは醜すぎる。奴らをできるだけ大勢、片っ端から殺してやりたいのが俺の悲願さ)

とこんな具合だ。映画の見方はひとそれぞれだ。この映画の場合、それぞれの役者の台詞を追いかけて観るのもひとつの観方だろう。

昭和の最後のころ、文芸春秋社でアンケートした際にもランキング1位になった映画だった。その文庫本も本箱を探したら出てきた。赤瀬川準、長部日出男、中野翠3氏の対談をぱらぱらめくりながら、まとめて見ると:

「恋なんて簡単よ」とのたまうアルレッティ扮するガランスは、皆があこがれるのだが、娼婦型で、普通には生きて行けないタイプの女性。一方、マリア・カザレス演ずるナタリーは「普通の真面目で貞淑、つまり、平凡なタイプの女性」。このナタリーが、パントマイムの天才役者バチスト役のジャン・ルイ・バローに惚れて結婚もするのだが、バローは、ガランスに恋したまま。ナタリーは嫉妬して、良いとこ取りするガランスに噛み付く。映画を見る側の女性は、(実際には皆、ナタリー・タイプなのに)ほとんどの場合、ガランスに感情移入して観てしまうという。ガランス的な生き方は「女性の理想」なのだという。そうなんですネ。

バローの友人ルメートルは、ペラペラ喋る調子の良い軽い男だが、いとも簡単に女をものにしてしまう。バローは、「道化・ピエロ的な存在、妖精的でこの世ならぬものを求めてしまう」タイプで、ガランスに恋したまま、うつろな心で生きていく。

皆の憧れのガランスを、結局、貴族の大金持ちも、悪党詩人ラスネールも、恋の達人ルメートルも、そして、一途に恋するバローも「捉まえる事が出来なくて」、映画の最後の場面で、ガランスはスクリーンに背中を向けて、祭りの群集の中に姿を消していく。バチストもすがりつくナタリーを置き去りにして、「ガランス」と叫びながら群衆の中に入っていく・・・。 恋の勝利者には誰もなれなかった。 ガランスでさえも。ガランスは恋そのものかも知れない。恋というのは誰にも掴まえるられない。掴まえた途端に、別物になってしまう・・・。

長部氏は、この映画には恋愛における男と女の基本的なタイプと関係が全部含まれるのではないか、とコメントしている。アメリカ映画の傑作「風と共に去りぬ」のスカーレットとメラニー、レッド・バトラーとアシュレーの4者の関係は、この「天井桟敷の人々」とパラレルになってるかもしれないなぁ。

(続く)

2007年1月24日 (水)

気ままにおしゃべり(2)~女優アリッダ・ヴァリをめぐる散策

ビスコンティ監督の映画「夏の嵐」に触発されて、ブルックナーのお喋りをひとしきりしたが、さて、女優アリッダ・ヴァリに戻る。 私にとっては、ずーっと世代も上で、我が青春のマドンナ的存在だったとかそういう存在とは全然違う。オーストリア人とイタリア人のハーフ?だそうだ。道理で、陽気なラテン系イタリア人(例えば、ジーナ・ロロブリジーダ)とは一味違う雰囲気を持っている。

ところで、このジーナ・ロロブリジーダ、ああ、ジーナ。(またまたちょっと脱線すると)・・・エイズで亡くなったロック・ハドソンと共演した「9月になれば」というコメディがある。2年前DVDでも発売されたので早速買ってきて見た。ロック・ハドソンがなくなったとき、真っ先に思い出したのは、この映画だった。何故か知らないが、確か、これは故荻昌弘氏の解説があった月曜ロードショーか、故淀川長治氏の日曜洋画劇場だったか、どちらかで見た映画で、面白くて再放送も含めて2度見た記憶がある。スチュアーデスを相手に恋のアバンチュールを楽しむラブ・コメディーのような記憶だったが、30数年ぶりに見てみると、全然内容が違っていた。とすると、スチュワーデスの出ていたあのB級傑作コメディーは何だったのだろうか?確か、太ももにあるホクロがどうのこうのと、お色気コメディーで大いに笑わせてくれた場面があったのだったが。

アリッダ・ヴァリに再び戻ると、彼女が出演した「第三の男」は私の両親が終戦後に見た封切り映画だという。 これは言わずと知れたA級超有名映画でヒット作だ。 その次に思い浮かぶのが1960年作の「かくも長き不在」というフランス映画。NHKの世界名画劇場で一度だけ見た記憶がある。これまた、なかなかヨーロッパの薫り高い、いい映画だった。テーマは重かったが、その中で使われたシャンションが良かった。 記憶喪失で戻ってきた夫と二人でダンスをするシーンで流れていたのが、確か、コラ・ボケールが歌う「三つの小さな音符」だった。歌詞がすばらしかったはずだが、正確に思い出せない。CDとカセットテープも持っていたのだが、すぐ手元に取り出せないのが残念。後で、探し出そう・・・。

1921年生まれだと言うから、50代に突入した1970年代に、サスペンス・スリラー映画の傑作「サスペリア」にも出た。それから、その又後で、「ラスト・エンペラー」の監督でも知られるイタリア人ベルトリッチ監督の大作「1900年」にもヴァリは出ているという。知らなかった...。

「サスペリア」は、スリラー映画の傑作だと思う。「エクソシスト」や「オーメン」よりも好みだ。ミュンヘンのバレー学校が舞台だったと思うが、次々に若い美女達が殺されていく猟奇的なストーリーで、悪魔崇拝者とおぼしきバレー学校の校長である不気味なおばあちゃまが、ヴァリだったはずだ。若い美人の主人公が、とうとう秘密の扉を開いて、衝撃的な場面(映画の中では、ヴァリ校長と醜悪な大男がロシア語で会話していたのはご愛敬)を目撃し、慌てたために気づかれ、肉包丁を手にした醜悪な大男に追われるシーンは圧巻だ。

この「サスペリア」と双璧なのは、「ローズマリーの赤ちゃん」で、これも悪魔崇拝の話だ。それに加えるとすれば、スティーブン・キング原作の傑作「シャイニング」だろうか。人里離れた広大な夏の別荘で、冬の住み込み管理人家族を襲う悲劇。主人公のジャック・ニコルソンが狂気に陥っていく怖さが忘れられない。これが私のスリラー・ベストスリーだ。いずれも、徐々に怖さが募っていき、最後にクライマックスがやってくる。

1900年」でのヴァリの役どころだが、記憶がない。美女ドミニク・サンダの農家の納屋での濡れ場シーンでかき消されてしまったか?ロードショウ公開されたのは、確か1980年前半だったろうか?左翼からの視点で描かれた映画だったと記憶するが、1900年前後のイタリア農民の生活、天井から魚の薫製みたいなものを吊して、それをパンにこすりつけて家族がガツガツと食事をするシーンが強烈に残っている。すさまじいシーンだった。これは、一度またじっくりと見直してみたいなと思う映画だ。

(続く)

2006年10月15日 (日)

記憶に残るB級?名画 「黄色いロールスロイス」

確か、イタリアのリズ・オルトラーニ監督の1964年製作の映画だったと思う。 3部形式のオムニバス映画だ。 映画は一台のロールス・ロイスを巡る3つの「不倫」物語である。 

その2番目だったと思う。 ジョージ・C・スコットが扮するアメリカで大成功したイタリア系アメリカ人が、 愛人を伴って母国イタリアを旅行する物語である。 愛人役がシャーリー・マクレーン。 舞台は、イタリアのカプリ島。 エメラルドグリーンの地中海。 美しい青の洞窟。 ジョージ・C・スコットは、久しぶりの故郷イタリアで、愛人のマクレーンを観光に連れまわす。 イタリアの文化と故郷の誇り!  何故か、いらいらするマクレーン。 イタリアの名所旧跡を見せられて、マクレーンは、「柱の数が多すぎるわよ!」などと、ご機嫌斜めなのである。 

そこで、出会ったのが、地元の青年役で登場するアラン・ドロン。 早速、シャーリー・マクレーンを口説く。 ドロンの口説きがいい! そっと、囁く。 「君は美しい、特に左から見る横顔はとても!」  かくして、マクレーン嬢は、一時の恋に落ちる。 

女は皆イタリア男にくどかれ、そして、落ちる。 

このオムニバスの、次の物語、第3話に登場するイングリット・バーグマンも、イタリアのネオ・リアリズムの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督に落とされた。 

デビット・リーン監督描く傑作「旅情」でも、アメリカ人の売れ残りミスを演じるキャサリン・ヘプバーンもイタリア人ロッサノ・ブラッツィの前に落ちた。

ドロンとマクレーンの恋のバックには、なかなかいい曲が流れていた。 Let’s forget about Domani。 記憶危ういが、要は、明日のことなんか忘れて、今日、この今を楽しもう! ということではなかったか。 Domaniとはイタリア語で明日、英語のTomorrowのことである。

他の2つの物語はあまり記憶にないが何故かこのシーンだけは小生の記憶にいつまでも残っている。 「太陽がいっぱい」のドロンは、はまり役だったが、この映画のコメディタッチで登場したジゴロ風のドロンもお似合いだった。

最近、急にこの映画が見たくなって、中古ビデオとかDVDを探しているのだけれど、なかなか手に入らないのが残念だ。 

2006年9月29日 (金)

ベトナムを舞台にした映画 その2 「愛人 ラマン」

ベトナム生まれのフランス人女流作家マルグリット・デュラス原作を、フランス人ジャン・ジャック・アノ-が監督した見ごたえのある映画。   

舞台は1920年代のフランス領ベトナム。デュラスの自伝らしいが、15歳で大金持ちの中国人華僑青年の愛人となる。演じるジェーン・マーチンが素晴らしい。貧しい、植民地で父親が早世し母親は騙されて不毛の土地に全財産をつぎ込み破産。失意のどん底にあるフランス人一家のすさんだ家庭事情。少女は、帰省からサイゴンの寄宿学校に帰る途中で運転手附きの車に乗った中国人青年と知り合う。

少女は、お金の為に?進んで?愛人になる。華僑青年はパリ帰りの無為の青年。セックスをする以外、何もすることのない男なのだが。熱帯のけだるいベトナム。ショロン地区で外の喧騒が聞こえる小さな部屋で激しい性愛に溺れていく2人。 愛を告白する青年に、自分は愛していないと告げる少女。

やがて一家ともどもフランスに帰ることになる。少女は、港を離れる船の甲板でひっそりと自分を見送る中国人青年を乗せた車を食い入るように見つめる。

ポール・ニザンの 「その時僕は二十歳だった。。。」の女版 「その時私は15歳だった。。。」

夜の静かな船内から奏でるショパンの音楽を聞きながら、自分を通りすぎたある情念がヴィヴィッドに沸き起こり少女は激しく涙するところで映画は終わる。デュラスはこの映画を認めなかったらしい。

2006年9月28日 (木)

ベトナムを舞台にした映画 その1 「青いパパイアの香り」

なかなか見事な映画だ。 ショット、ショットが凝っている。 ハッとさせられる。

小津安二郎を思い出してしまう。 フランスとベトナムの合作だ。 ハリウッド映画では絶対できない映画だ。フランスとアジア(ベトナム)の繊細さが紡ぎだす、ベトナム版小津映画である。 

時代は1950年代のホーチミンか。 住み込み奉公の女の子の目を通して、ベトナム人社会を淡々と描いている。 子供の目線で描いている。カエルや昆虫も登場する。 家主の男の子が女の子に意地悪をする。 男の子が、溶け出した熱い蝋燭をたらして蟻を殺すシーンもある。 時折、野鳥の囀りも聞こえて、気になった。1カット、1カットが、計算されていて、見事だ。

後半では、その奉公していた少女が別の奉公先に移った。 そして、場面は、数年後の美しい女として成長した奉公女の登場となる。 はっとするぐらい艶かしく少女は変身していた。 そして、彼女は、フランス帰りの芸術家(音楽家)青年と目出度く結ばれる。 これだけの映画である。 セリフが極端に少ない。 しかし、最初から、最後まで、画面に惹きつけられた。 そして、美しいものを見たなあ、という印象が残った。 

ある映画評論家は、大変出来のいい作品だけれど、「オリエンタリズム」の視点から描かれたベトナムである、と批評していた。 かも知れない。 しかし、フランスというモダンで洗練された感性というフィルターがなければ、このような映像もこのようなストーリーも出来なかったであろう。 アメリカで生まれたジャズが黒人だけでは出来なかったのと同じだ。 白人の持つ感性がぶつからなければ、永遠にあのジャズは出来なかった。 オリジナリティなんてそんなものだ。 監督は、ヴェトナム系だけれど、フランスで育ったフランス人だそうだ。 この映画の後、別の映画を作ったらしいが、これは、極めつけの駄作だったそうだ。

2006年9月22日 (金)

映画 「夕陽のギャングたち」

昨夜は、19時過ぎに帰宅。 新学期が始まり、ちょっと疲れた。 いつものようにビールを飲みながら、ゆっくり夕食を取り、20時丁度、居間でごろりとなり、BS2にチャンネルを合わせると、「夕陽のギャング達」が始まった所だった。 大学生のころロードショウ公開された映画だが、見そこなってしまった映画だ。 はっきりと覚えている。 ロンドン時代に、テレビでやっていたのを記憶しているが、ソファでごろごろして見ているうちに眠ってしまい、はっと目が覚めたらすでに終了で、何の印象も残っていなかった。 ただ、エンニオ・モリコーネの美しい音楽が記憶に残っているだけだった。

セルジオ・レオーネ監督の映画は独特の美学を持っていると思う。 マカロニ・ウェスタンの傑作「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」は大好きで、何度も見ている。また、「ウェスタン」という見事な西部劇も作った。 一方で、「ワンス・アポン・ナ・タイム・イン・アメリカ」という傑作もある。 映画のそれぞれのシーンの中での個々の俳優のアップ、間合いに独特のリズムがある。 ちょっと、間延びしすぎじゃないかなぁ、と気になるところもあるのだが、ずるずると最後まで映画を見てしまい、終わってみるとずっしりとした、余韻に包まれて、何かいいものを見たなぁ、というフンワリとした満足感がある。

レオーネ監督の作る映画に共通するのは、セリフが少ないこと、汗臭くて、髯が似合う、無頼漢や反骨者などの男たちが多数登場することではないだろうか? この映画も、極端にセリフが少ない。女性はほとんど登場しない。

舞台は20世紀前半のメキシコだが、原題の題名がa fistful of dynamiteが暗示するごとく、「荒野の7人」では、見事なナイフ使いで登場したジェームス・コバーンが、この映画では、派手な爆破を得意とするアイルランド人革命家として登場し、ロッド・スタイガー演じるメキシコ山賊の頭領との奇妙な出会いと友情が描かれている。 単なる山賊のスタイガーは、この強力な武器の使い手と組んで、銀行強盗を働き、一攫千金を夢見て、コバーンを誘うが、逆に利用されてメキシコの革命の英雄になってしまう。 

ストーリーが展開していくうちに、コバーンのフラッシュバックメモリーの中で、アイルランドで反英闘争の場面が繰り返し出てくる。  ション、ション、ショーンというバックのコーラスが、ライトモチーフのように随所に出て来て、印象的だ。 革命、反革命そして裏切り。 期待、幻滅、そして怒りの反撃。

同じことが、このメキシコでの革命運動でも起こる。 山賊の抱える大家族を含めた革命家同士達が、一人の革命家仲間の裏切りで政府軍に皆殺しにされる。

メキシコ反革命側(政府側)と革命側の激しい殺し合いはマカロニ・ウェスタンの乗りである。 コバーンのダイナマイト爆破がこれまたすごい。 サム・ペキンパー監督の映像を彷彿とさせる。 爽快な気分になるくらい、殺戮と爆破の場面が続く。

政府軍側には、まるで、ナチス親衛隊のエリート将校を彷彿とさせる極めつけの殺戮魔が登場する。 この殺戮魔が、コバーン、スタイガーの革命軍を抹殺すべく執拗に追いかける。 最後は、コバーンが、ダイナマイトを積み込んだ機関車で、革命の裏切り者と一緒に、このエリート将校に率いられる1000名の軍隊を乗せる列車に正面衝突の自爆攻撃を仕掛ける。

裏切り者は機関車と一緒に自爆を遂げる。 この爆発もまたすごいが、政府軍のこのエリート将校はまだ死なないのだ。 結局、 コバーンは、エリート将校にピストルで打たれて死んでしまう。 ロッド・スタイガーの腕に抱かれて、葉巻に火をつけてもらい、スタイガーは助けを呼んで来るとその場を離れた直後、スタイガーがいやな予感にとらわれて振り返った瞬間、残りのダイナマイトともども、大爆発をして、自身粉みじんになって。

2時間はあっという間であった。 エンニオ・モリコーネの物悲しく、美しいメロディーとション、ショーンというバックコーラスが、押し寄せては引いていく波のように、いつまでもいつまでも繰り返す。 画面は、髯面の、ちょっとユーモラスな感じの山賊 ロッド・スタイガーの凍りついた顔がアップのままで静止し、映画は終わった。

2006年9月16日 (土)

映画「悲情城市」と台湾

この映画を見るのは3度目ある。1990年代にレンタルビデオで2回、そして今回DVDを購入して3回目となった。やっぱり、何度見ても、いい映画だなあと思う。日本人の描かれ方も、中国本土とは違って、絶対悪としての対象では描かれていないのがうれしい。描かれ方に違和感がない。

舞台は大東亜戦争で日本が敗戦した直後の台湾(中華民国)。日本には2.26事件というのがあったが、台湾には19472.28事件というのがあった。日本敗戦からこの映画は始まる。

日本人が戦争で敗れ、桜が散るように去っていくと、今度は、蒋介石の中華民国の軍隊がやってきた。やっと、日本帝国主義から開放されたと思ったら、今度は、大陸本土から、威張り腐った割には、ぼろ雑巾のようなみすぼらし身なりの国民党軍がやってきた。最初は、これで台湾は良くなるだろうと皆が漠然と思っていたら、国民党軍は、とんでもない奴らだった。 これじゃ、民意を失い、共産党軍に追い出されても仕方が無いくらいだった。台湾人にとって、犬(日本)が去って豚(中華民国)がやってきただけだった。 およそ近代国民国家制度と無縁にして、秩序そのものがない中国大陸の慣習が持ち込まれた台湾住民は、卒倒した。 これなら、まだ、日本時代のほうが、抑圧はあったけど、まだましだった。

戦後の混乱のなかで、国民党軍は中国本土からの密輸物資を垂れ流して大もうけしていた。 たまたま、密輸タバコを街頭で売っていた地元民が密輸・闇物資の取り締まりの揉め事の際に殺された(大元の国民党軍の悪を罰せず、とかげの尻尾きりよろしく、弱者が犠牲になった)ことがきっかけになって、台湾全土で暴動が発生した。 大陸で内戦を戦っていた蒋介石は、国民党派遣軍の陳儀将軍に徹底した弾圧を命じた。 死者・行方不明の数は数万人にも及び、未だ、その真相は明らかにされていない。映画では、そのあたりの悲劇的経緯をある家族を中心にその人間模様通して、淡々と描いている。

台湾とは何か? 台湾語という土着の言葉があるそうだが、国民としてのアイデンティティを作ったのは皮肉なことに日本らしい。歴史的には、隋だか唐のころの中国の文献に小琉球だか大琉球という名前で出ていたらしいが、もともとは、高砂族などの太平洋島嶼民と同じ民族が住んでいた島らしい。地理的に中国大陸に近く、明から清朝時代にかけては、海賊の基地になったり、人口爆発(清朝になって始めて、中国の人口は1億を超えて、4億まで増えた)に伴う窮乏化で、対岸の福建省から多数の流民が入り込んだ。ポルトガルやスペイン、そしてオランダもやってきた。西洋に発する主権国家なる概念がもともとなかった東アジアでは、まさに、帰属はあいまいな島だった。

19世紀にはいって西洋帝国主義諸国が砲艦外交でアジアを次々に植民地化していくなかで、日本が日清戦争の結果、台湾を清朝から割譲し、植民地にしたが、それまで、そこは清朝も化外の地としていたくらい蒙昧な地域だった。

台湾人が国民として意識し始めたのは、日本語という強制された国語と近代化政策(社会インフラの設置と教育制度の確立)だったらしい。 もともと土着の南方ポリネシア系の住民や、福建省から移り住んだ福建人(福建語を話す)や、客家(客家後を話す)などが混在して、統一言語などなかった状況に初めて共通言語をもたらし、国民意識を作ったのは日本だった! 日本語を強制されて日本語を通して、彼らは、台湾人というアイデンティティを作ったのだそうだ。

台湾人(中国人という胡散臭い言葉は使いたくない)達にとっては、日本植民地時代も差別されて嫌だったけれど、蒋介石の中華民国はもっと酷かった。 戦後の中華民国政府によって、台湾人達は、日本語が禁止されると同時に、台湾の本来の土着の言語である台湾語は禁止され(家庭の中や外で遊ぶときや使用されていた)、学校ではいわゆる「普通語」(北京官話)が国語として教えられた。 

2.28事件をきっかけに敷かれた戒厳令は、冷戦期間を通じて、1980年代後半まで続けられたようで、その間、蒋介石の息子の政権から李登輝に引導が渡され、1990年代の歴史的な大統領選挙(中国の歴史上初めて、首長が選挙で選ばれた! 台湾は中国ではないという人もいるだろうから、中国史上初めてというのは???かも知れないが)が行われ、客家にして台湾人としてのアイデンティティを持つ李登輝大統領の時代を迎え、選挙で国民党を破った民進党がその後与党となり、台湾人の政権が誕生した。

私にとっての台湾の記憶は、19862月に仕事で旅行したときの台北だけである。未見だが、「さようなら再見」という傑作台湾映画で描かれているパターンで旅行したのだった。 映画というと、ヨーロッパやアメリカ一辺倒で見てきたのだが、アジア各地でも良い映画が続々と出来ていることは、評論家の佐藤忠男氏の紹介でいろいろ勉強し機会があれば出来るだけ見るように心がけている。