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2019年9月 4日 (水)

「チャンピョン達の朝食」の再読。

9月4日(水)曇り

9月に突入。3月上旬から鳴き始めたウグイスは8月半ば頃までその美声を聞かせてくれたが、それ以降、鳴かなくなってしまった。セミは相変わらず盛んに鳴いている。秋の気配を感じつつ、まだまだ夏は濃厚である。

朝食をとっていると東向きの網戸に蝶というか蛾らしき姿が。2度目である。

Ga3

表にでて確認しようとして何日か前に逃げられてしまったが、2度目はうまく近づいて写真を撮ることができた。夜みかける気持ちが悪い大きな蛾ではないのであまり抵抗はなかった。美しいとまでは言わないが、模様がどこかニイニイゼミに似ている印象。

Ga2

7月から始めた添削(週末)も大分慣れたので、ウィークデーも体に無理がない程度に仕事をしようと探し始めた。が、なかなか都合のいい時間帯で(10時~16時)、自宅近辺で働くというのは見つからないものである。じっくりまつしかないだろう。

添削の仕事が一段落して、久しぶりい思い出したようにカート・ボネガット・ジュニアの「チャンピョン達の朝食」をベッドでごろりとなってパラパラと再読した。1970年代の彼にしてみれば長編小説だ。大学時代に縮刷版のテキストを使った授業で気にいった作家である。振り返ると、アメリカの作家でまがりにも読んだのは、このボネガットで、それ以外ではヘミングウェイとマーク・トゥウェインぐらいだろう。サローヤンの短編もあったか。後は、中学生のころ夢中になったエラリー・クィーンかヴァン・ダインの推理小説くらいしかない。それから、パール・バックの「大地」。that's all。

ボネッガットは、たぶん、自分の両親と同世代。数年前に亡くなったが、アメリカの大不況時代が青春時代だった。もし、1950年代なら「ビートニック」(小田実の「何でも見てやろう」に活写されている)や1960年代の「ヒッピー」になった人だろう。アメリカの文明批判をSF的手法で描いたブラック・ユーモア小説で、アメリカの俗語を学ぶ絶好のテキストでもあった。学生時代は、その反骨精神と過激さに惹かれていたのだと思う。

今回の再読で後半の部分で(年老いて発狂寸前の主人公が、ホリデイ・インのラウンジで高校時代に暗記させられた詩の章句を思い出す)でペルシャの詩人オマル・ハイヤームの4行詩が引用されているのが目に留まった。

The Moving Finger writes; and, having writ,
Moves on: nor all thy Piety nor Wit
Shall lure it back to cancel half a Line,
Nor all thy Tears wash out a Word of it.

岩波文庫の翻訳を持っていたはずなのだが見つからない・・・インターネットで調べたりしたが、言っている意味は、「やってしまったことは、取り返しがつかない。ただ、現在の地点からどんどん先にいくだけだ」ということだろうか。中国の漢詩にも通じるけれど、人生のはかなさ、無慈悲さ。嘆きと諦念。今、この瞬間こそ楽しむのだ。刹那主義。Be happy for this moment. This moment is your life. こんなところだろうか。学生時代には素通りしてしまったのだろう、こんな文句が挿入されていたという記憶がない。

縮刷版は100㌻ちょっと。オリジナルがなかなか見つからなかった2~3日あちこち探してようやく見つけ出した。池袋の芳林堂書店で購入したのだろうか。もう一冊のMother's Nightは1976年6月30日に購入した、と若き日の自分の筆跡で裏表紙にあった。

Photo_20190904132901

ボネガットの本をあちこち拾い読みしていると、卑猥な言葉に刺激されたのか、突然、No love, without gloveという台詞が脳裏を走る。映画「ガープの世界」で、主人公がガールフレンドとセックスをしようとして、コンドームがないことがわかって、拒否されるシーン。gloveにコンドームの意味があるらしい。こんなセリフでも、ちゃんと韻を踏んでいて粋だなぁ、とまでは思わなかったが、理解できない大方英語の台詞群で何故かこの部分だけは鮮やかにすっと耳に入り、自分の脳裏に焼き付いたのだろう。

1980年代半ばから90年代半ば過ぎまでの10年近く、武蔵野市に住んでいたのだが吉祥寺の映画館だろうか、それとも、レンタルビデオだったか。武蔵野市と言えば、よく近くのサイクリングロードをサイクリングしたり時には徒歩で西武球場あたりまで出かけたものだ。よく通った喫茶店「魔法のランプ」がなつかしい。毎回食べた「魔法のランプ定食」がおいしかった。退屈することがめったにないと思っている自分だが、30代の働き盛りのころ、週末がゆっくりできる時は、土曜日の午前中は寝腐って(金曜日は間違いなく、飲んで享楽を尽くしていたか、真面目に残業していたし、昔はいくらでも眠ることができた)、お昼はだいたいいつも「魔法のランプ」定食を食べ、おいしいコーヒーを飲みながら、本を読んだものだ。ハイデッガーの「存在と時間」もここで大体読んだと思う。読了はできなかった。三分の二で終わったままだ。それ以来、手付かずのまま。再読と完読をいずれ近いうちに、とは思っているのだが。

モームは、老いによって耐えがたいのは、精神的・肉体的な能力の衰弱ではなく、過去の記憶の重さだ、とめぐまれたイギリス人らしい捻った言葉を残しているが、自分はこれを予感しつつもまだその域までは行っていないと安堵しつつひたすら、食べて、眠り、両親の食事を作り、少しだけ他の家事を手伝い、それでもたっぷりの余った時間は、釣りに自然観察(主に野鳥、時に、昆虫や草花)や、読書と物思いに耽っている。

2019年5月 2日 (木)

「とどめの一撃」を読了

4月29日(月)晴後、曇り

3時過ぎに目覚めて眠れなくなる。昨夜は21時に就寝したから実質6時間は熟睡した。この歳になるとこれ以上は眠れない。眠ってもうつらうつらだ。3時半過ぎ、読書灯をつけて7時まで、一気に「とどめの一撃」を読了した。

正直なところ、半分まで読み進めるのに、翻訳の問題なのか(訳者は立派な仏文学者)か、原文そのものが日本語になりにくいのか、我慢しながら日本語の意味を組み取りながらがまんして読む感じだった。何とか、半分あたりまでくると話の展開にのり始め、一気にぐいぐいと終末の破局を予感しながら引き込まれていった、そんな感じの物語だった。男同士の友愛と男女の愛の悲劇。登場人物たちはまだ若い20代。主人公は、第一次世界大戦の洗礼を受け、ドイツの敗戦後は反革命軍に組してラトビアで戦い、南米や満州、スペイン内戦等、危険と死との隣り合わせの中で生きていくのを生業としている。スペインのサラゴサで負傷し、イタリアの病院で療養しピサ駅で祖国であるヒトラーのドイツに帰る列車を待ちながら独白が始まる。

友人のコンラッド(ロシア系のバルト人)と主人公のエーリヒ(フランス系のバルト人を父にもつプロシャ人)は、コンラッドの館を根城にボルシェビキ軍と戦う日々。両親を赤軍に銃殺され、兵士から凌辱を受けて心に傷を持つ気位の高い貴族の娘のソフィーは、弟コンラッドの親友であり物語の語り手のエーリヒに恋してしまう。しかし、主人公は、ソフィーと肉体関係を持つが彼女の愛にこたえることを拒絶する。現代風に言えば、タイプじゃなかった。一途に愛するソフィーは報われない愛に絶望しながらも、女の性(さが)そのままに、時には主人公の肉体的な愛に応えながらも愛の一方通行に苦しむ。愛してもらえないエーリヒへの当てつけに他の兵士たちと公然と関係をもったりもする。主人公は嫉妬に似た不快を感じつつも、ソフィーを愛するまでには決して至らない。心惹かれない人からあなたが好きを言われても駄目なものはダメだ。男だから、肉体から得られる快楽を得るには都合がいいから関係を続けるだけの女。男女関係は恋したほうが負けなのだ。主人公は、肉欲を満たす一方で、彼女に対して残酷な仕打ちを続ける。恋の虜になったソフィーは相手から拒絶され続け、どうにもならないことを悟ると、ある日、何気なく館を去ってボルシェビキ軍に身を投じる。そして、主人公の陣営である白軍との戦いに敗れ、捕虜となり、最後は銃殺される運命となる。最後の場面で、ソフィーはあなたに自分を銃殺してほしいと主人公に願いでる。そして、主人公はその願いをかなえることになる。

物語りは、戦争というよりも、エーリヒの言葉によるソフィーと主人公の心理の綾の描写にかなりのウェイトを占めている。最後のエンディングで主人公は、彼女が自分を銃殺する役回りを主人公に仕向けたのは、彼女の愛に報いることをしなかった主人公に対する復讐であり、主人公に悔恨の情を残すことこそが、女のどうすることもできない報われぬ恋心の証で、また、命と引き換えのたくらみであった、ということを悟る。そして、正直に告白する:自分は確かにこの日以来、これまでずっと悔いているのだと。そして、男には、女という存在による罠から逃れる術はないのだ、と。

この物語りでは、時代背景であるラトビアの内戦の白軍と赤軍の戦いや、ソフィーの弟との男の友愛(同性愛?)は遠景にしりぞいたままだ。主人公の独白はもっぱらこのソフィーのことばかりだ。著者は、女性であり、自分の報われない恋愛経験がこの小説に反映されているらしい。自分をソデににした無慈悲な男への小説による復讐劇。書くことによって自分の心の傷は癒されはしないけれど、あるていど自分の中の収拾がつかない情念のモツレを整理しながら、それから距離を少しばかりは置くことが出来たのだと思う。処方箋だ。読みながら、この独白形式で徐々に終末の悲劇に向かうドラマチックは筋立てに、コンラッドの「闇の奥」を思い出してしまった。

日本語という翻訳語の限界なのか、原文(フランス語)の美しさと情感を日本語に移すことは至難の業らしく、よき作品を読了した際の余韻ら
しきものはあるていど感じることはできたものの、訳文の読みにくさに加えて、作品としての構成内容のアンバランスなど欠点の多い失敗作ではないかと思えなくもない。それでも、フランス語ですらすら読めるのだったらもっと感じ入る何かがあるような気はする。

著者の名前で思い出したのが、三島由紀夫に関するエッセイだ。早速読もうと本棚を探したのだが先日整理した際に動かしてそれが見当たらない・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年4月13日 (土)

「第二次世界大戦とはなんだったのか」を読む。

4月11日(木)晴

寒さが続く毎日。朝の読書は、福田和也氏の「第二次世界大戦とは何だったのか」。

Fukuda

歴史家ではなく、文芸評論家による考察。仏文学が専門で、処女作はナチス占領下のフランス知識人でドイツに協力した人たち。セリーヌ、ドリュ・ラ・ロシェル、モラス等の対独協力者(コラボラテュール)に関するもの。文芸評論家特有のする鋭い感性と直感による歴史考察だ。専門の歴史家の著作はどうしもて事実重視で参考文献の山を渉猟し、事実を細かく正確に辿っていくもので地道な作業だ。そういう歴史書はそれはそれで面白いし必要なことだが、結局、歴史の意味、つまり解釈に関しては、どうしても論証の彼方へと飛躍しなければできない。正確な事実を洗い出し叙述することは必要要件だが、それだけでは歴史にはならない。その事実が意味するところは何なのだ、という解釈の提示こそ歴史の意味にほかならない。そう意味で私と同じ世代(少し若い)のこの著書はとても面白く、興味深く読んだ。

のっけから、第二次世界大戦よりも第一次世界大戦の重要性の指摘。長い歴史のタイムスパンから見れば、20世紀のイギリスに関しては、チャーチルよりもロイド・ジョージのほうが、政治家としての資質と実績では断然上だったという評価。

第二次世界大戦は第一次世界大戦の延長戦だった。ウィルソンのアメリカの登場とアメリカの伝統的な孤立主義の放棄は、世界のパワーゲームを根本的に変えた。それまでの国際関係は、欧州諸国の貴族コミュニティの利害調整であったが、理念を掲げた国際秩序を巡るアメリカ流の国家間のパワーゲームにとって代わった。

第二次世界大戦は何故起こったか? 

通常では、いわゆる、独伊日の持たざる遅れた資本主義国家が好戦的に既存の世界秩序に挑んだから起こったされるが、こういう理解はあまりに皮相的にすぎる。ドイツの要求は第一次大戦のウィルヘルム体制にくらべれば非常に抑えたもので、イギリスの権益をおかすことは一切なかった。日本の満州進出やイタリアのエチオピア征服等も、列強の世界秩序に対する致命的な挑戦ではなかった。実は、アメリカが望んだから、というのが第二次大戦の究極の原因だった、というのが著者の主張である。その狙いは?イギリスの世界覇権に代わって自らが世界の主役となって世界秩序を形成すること=イギリスの世界覇権システムを葬り去ること=欧州諸国の植民地主義の否定であった。

「大東亜共栄圏」を唱えた日本と「大西洋憲章」をとなえた米国は、ヨーロッパ勢力の植民市主義を否定するという点では同じ土俵にのっていた、とも著者は指摘する。(チャーチルは、苦し紛れに「大西洋憲章」は、イギリスの植民地には適用されない、という答弁をイギリス国会でした)。

では、何故、日米は中国をめぐって対立し戦争に突入したのか。究極の敵はイギリスの覇権システムを打ち破ることであったが、その目的を達成するために、中国大陸で英国と手を結んだほうが有利と見たからだという。英国の前に、天皇をいだく神道国家である日本を抑え込む(潜在的な極東のライバル)ためだろう。米国の中国に対する野心は、商業的なものに加えて、キリスト教の普及という期待もあった(クリスチャンの宋美齢の夫である蒋介石はキリスト教に改宗)。結果的に、著者がいうように、アメリカ(ローズベルト)が蒋介石の中国を過大評価して見誤っていたのだが。共産ソ連を同盟と見做し、援助を惜しまなかった背景には、君主制そのものに本能的に疑念をいだくアメリカが共感をもってロシア革命を見ていた側面があるだろう。しかし、あまりにもナイーブすぎたアメリカはソ連の本質を見誤っていた。冷戦とは、アメリカのイギリス追い落としのために仕掛けた第二次大戦での戦略的な誤りから起こったものだった。


朝食:朝からカツカレー!(昨日の残り)
昼食:ピーマン入りのソース焼きそば
夕食:エビチリ、ポテトサラダで一杯。ミネストローネ。

終日、玄関からキッチンまでの一階の廊下の板の張替え作業で業者が入る。築40年になる両親の家。2011年の地震では屋根瓦を少しやられただけでほとんど無傷だった。しかし、修繕は必要だ。キッチンの床は10年前に張り替えた。

ところで、父が朝からコホン、コホンと咳をし始めた。咳がやんで大丈夫かなとおもったらまた発作のように咳を繰り返す。午後になって様子がひどくなる。とりあえず、常備薬の咳止めを飲んでもらう。夕刻、少々効果がでたのか咳はだいぶ軽減されたようである。夕食(赤カレイの煮つけ)もしっかり食べることが出来た。しかし風邪の症状だ。4月6日にデイケアー先のすぐ近くの桜川の土手で桜の花見をしたことが原因か?それともこの二日間の異常な寒さによる影響か。季節の変わり目は要注意なのだが。

2019年3月27日 (水)

下品なジョーク集と半藤・佐藤両氏の対談による21世紀戦争論。

3月24日(日)晴

目が覚めてTruly Tasteless Jokes Twoをぱらぱらと拾い読みする。本当に下品なジョークのオンパレードだが、登場人物も1980年代の本らしく、グレース・ケリーやナタリー・ウッド、ダイアナ妃が登場する。

Tasteless1

 

What kind of wood doesn't float ?

Natalie Wood. 

ナタリー・ウッドは1981年に水死(事故死)した。



ダイアナ妃はエリザベス女王と登場する。王室専用車(ベントレー)で出かけて強盗に遭う。エリザベス女王はダイアモンド・ティアラを出せと脅されるが今日は身に着けていないと逃れる。ダイアナ妃は、婚約指輪を出せと脅されるが、やはり今日は身に着けていないと逃れる。クソっと毒づきながら強盗は専用車のベントレーを奪って逃げていく。残された二人。ダイアナ妃が女王にダイヤモンド・ティアラをどこにお隠しになったのですか?と聞くと女王は顔を赤らめて下半身を指さす。女王はダイアナ妃に貴方は?と聞くと、妃も同じ仕草。しばらく無言で歩いていると女王はため息をつきながら、マーガレット妃がいればベントレーも救えたわ。(ウィキペディアによるとマーガレット妃は、男出入りが激しい女性だったようである)。

この本ではないけれど、英国の王室のスキャンダルを扱ったジョークを一つ。

What did Prince Charles say when he heard the news ?

- Shall I garage your bike, mum ?

これは、モーターバイクに乗ったパパラッチに追われて事故死したダイアナ妃についての王室に対する批判(王室がダイアナ妃に冷淡だった)のジョークらしい。

 

7時前、ウグイスの囀りが聞こえてきた。週半ばまではポカポカ陽気だったが、昨日からまた寒くなってしまった。

朝食:サバの文化干しの残り、ポテトサラダ、ご飯、納豆。

昼食:マーガリンとブルーベリーのコッペパン、コーヒー、ワンタンスープ。イチゴ少々。

夕食:ブリの釜焼き、海老とパプリカの塩炒め、ビール(メイド・イン・チェコ)、それに、ご飯とイチゴ少々。

トランプ大統領のロシア疑惑はとりあえず「シロ」ということになったようだ。田原総一郎氏の番組をたまたま見たが、トランプさんの人気は相変わらずで、CNNやニューヨークタイムズの報道とは違うのだという。トランプ支持層はフォックスニュースしか見ないという。

イギリスのブレクジットも散々である。迷走の始まりは責任逃れで実施した前首相の国民投票。棚ぼたで回って来たメイさんの首相就任。大変すぎる。ここに来て退任論が出始めた。彼女は1956年生まれで私と同い年。私の母は、ソ連時代のゴルバチョフさんと同い年。

深夜まで半藤一利氏と佐藤優氏の「21世紀の戦争論 昭和史から考える」を読む。在野の昭和史研究の大家である半藤氏とロシア人の内在的論理の理解においては圧倒的な洞察力を有する元外務省の官僚である佐藤優氏の対談。「暗闘~スターリン、トルーマンと日本の降伏」に関連する章(戦争の終わらせ方は難しい)もあって興味深かった。

シベリアに抑留された日本人の食生活はロシア人とほとんど変わらなかった。基礎体力の違いで日本人はどんどん死んでいったがロシア人にはなんでもなかった。ソ連軍からすると日本人にひどい待遇をしたという認識はない。

ドイツの捕虜となってスパイと見做されたもとソ連兵や政治犯(トロッキスト)、犯罪者らは、ドイツ侵攻および満州侵攻の際に、最前線の先頭で戦った無法者集団であった。後ろにはソ連の正規軍が控え、退けば射殺されるので勇敢に戦うしかなく、生き延びて敵地を占領した場合は、正規軍が来るまではやりたい放題(略奪やレイプ)のことができた(褒賞)。これが、ソ連軍の評判が悪さの原因であった。

8月15日は終戦ではなく、ソ連はカムチャッカ半島のすぐ南の占守島での日本軍との8月18日から4日間の死闘を皮切りに9月5日まで千島列島を南下して行った。降伏文書の調印は9月2日。スターリンは北海道の北半分をアメリカに要求したが、トルーマン大統領は拒否した。もし、占守島で日本軍が踏ん張らなかった、ソ連は北海道の北半分を占領して既成事実を作った上で、朝鮮半島のように北日本(ソ連の勢力範囲)を作り南日本(アメリカの勢力範囲)と対峙する状況が現出する可能性はあった。

ルーズベルの死後、日本の降伏を巡ってアメリカの原爆投下とソ連の参戦が競い合いを始めた。アメリカは、スターリンの野望に疑念を抱き始め、ソ連参戦前に日本を降伏させようと考え始める。原爆はその切り札で、チャーチルもその使用に同意する。ソ連は、トルーマンがルーズベルトのように親ソ的でないことに疑念を抱き、ヤルタの密約が反故にされることを危惧して参戦を前倒しにして極東での失地回復(日露戦争の復讐)に邁進する。

2019年3月25日 (月)

ウンコが貴重なものだったら貧乏人はお尻の穴なしで生まれただろうに・・・。

3月23日(土)曇り


3時半に一度目が覚めて眠れなくなってしまう。「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」を読み進める。5時過ぎにまた眠りに落ちる。気温が低い。三寒四温の寒のサイクルに入ってしまった。ウグィスも静かにしている。東京は桜が咲き始めたようだが、北関東のここはまだだ。梅の花はもうほぼおしまい。


朝食:アジの干物、納豆、ミネストローネ、ご飯少々
昼食:マーガリンとブルーベリーのこっぺぱんサンド、カツサンド一切れ半
夕食:カレーライス、ポテトサラダにスナップエンドウと春菊のサラダ。デザートにヨーグルト。


一週間分の日記をまとめて書いたり、整理した本の中から出てきたジョーク集の数々を手あたり次第に捲っては読みふける。若いころはダーティー・ジョークばっかり読んでいた。そのころは読んですぐに分かったのは半分もなかった。今回パラパラと捲ってみると8割は笑える。言葉の遊びも含めてパンチライン(落ち)が分からないままのものはどうしても残ってしまう。


16時半から、刑事コロンボ「2枚のドガ」を見る。見るのはたぶん3度目だろうと思う。学生時代と7,8年前の再放送で見た。最後の最後で犯人の裏をかく刑事の手際はちょっと出来すぎかも知れないが、自信満々の犯人が最後の最後にとどめをさされるところが見もの。
本の整理はお休み。左肩と肘の具合は徐々によくなっている。


夜、ジョーク集やアフォリズム集を読み漁る。「愛のアフォリズム」(集英社新書)が面白かった。目に留まったものを三つほど。


フランスの女優ジャンヌ・モロー:「どんな男性であれ、二つのことしか念頭にありません。もうひとつがお金です」


牛(闘牛)の睾丸のソテーを好んで食べたという絶倫男パブロ・ピカソ:「女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍でも大胆になるだろう」


ゲイだったアンドレ・ジッド:「私としては、体がまだ快楽でほてったまんま墓に入りたい」


最後に、ジョーク集には関係ないけれど、たまぁに思い出す東京駅で出会った英語の落書き。お腹の調子が悪くてギリギリで飛び込んだ公衆トイレで偶然みたものがこれ:

If shit were vaulable enough, the poor would have been born without asshole.

トイレに間に合ってホットして何気なく扉に目をやるとボールペンでアルファベットが扉に記されていたのだったが、なかなかの傑作に感じ入ってしまった。哲学的な、あまりにも哲学的な、そして、ナンセンスな一句であった。

 

朋有り遠方より来る、亦た楽しからずや。

3月22日(金)曇り
朝の読書:「花と木の文化史」中尾佐助著(岩波新書)
0年近く前に購入した黄色版の岩波新書。植物は興味がないわけではないけれど、魚、虫、動物に比べていまひとつ情熱が湧いてこない対象であった。そうなのだが、本の整理してひょこっと出てきたこの本。ようやく日の目を見ることになった。著者は小学生時代から花の魅力に見せられ、自分の家の庭で花を育て、森林から草花を持ち帰っては栽培したり。大学でも植物学を専門にして一生の仕事にした人。自分の好きなことにのめり込んだ人生を送れた植物研究の大家が一般向けに書いた新書本。読んでいてたのしい。第1章の扉の写真からして「シャクナゲをの花をだくダージリンの少女」で、モノクロだがワクワク感を感じさせる。148㌻にはロンドンのハロッズ百貨店の盆栽コーナーの写真が出ているが、かつて、自分が現地に駐在していたとき偶然だが足を運んたことを思い出す。

 

Hana5

朝食:笹かまぼこ、ミネストローネ、ご飯、バナナ
昼食:リゾット、マーガリンとブルーベリーのこっぺぱん
夜、外でY氏と会食する。2006年から2012年まで勤務した地元のT大学の関係者でいろいろお世話になった。骨折の療養期間は釣り以外の楽しみで外出して人と会う意欲はなかったが、春めいてきた先日、ラインで連絡したところ返信があり本日の会食となった。2年前に一度、東京の
下北沢で再会して以来である。米国東部のアイビー・リーグの大学で博士号(哲学博士)を取得した人で在職当時は、私の拙いコレポンの英語を面倒くさがらずに添削してくれた。ネイティブの教員が直すところがないという半端ない語学力の持ち主。聖書に関連する古代オリエントの言語を操り、シリアに調査に行ったりもする。日頃、自宅で両親との会話と歴史の専門書を逍遥する生活から一時的に解放され、一方的に!?饒舌に話しをさせてもらいリフレッシュできた夕べであった。お付き合いいただいて感謝、感謝。ちなみに、お父様はご健在で93歳。私の父と同じ大正15年生まれ。私の父以上に元気らしい。普通に歩けるし、脳の活動も活発で、施設には入っているが、身の回りのことはほとんど自分一人できるという。

 

2019年3月24日 (日)

休息の一日。

3月21日(木)曇り、一時雨
上京の疲れ、左肘と肩の痛みがとれず今日はゆっくり休息をとる。
朝食:笹かまぼこ、鯵の干物少々、ポテト・マカロニサラダ、ご飯少々、バナナ半分;昼食:キャベツたっぷりのソース焼きそば;夕食:ブリの釜焼き、ミネストローネにご飯少々
読書:
①「暗闇 スターリン、トルーマンと日本降伏」長谷川毅著(中央公論社)の第1章を読む。
著者は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の歴史学教授を務めるもと日本人。アメリカに帰化したロシア・ソ連史を専門とする歴史家。アメリカの原爆投下ととソ連の対日参戦と敗色濃厚となった日本の降伏に向けた交渉を描く著作。ルーズベルトの能天気振り(極東情勢においてのソ連に対する無警戒)には驚かされる。ヤルタ会談当時はすでに死期が迫り、頭もそうとうボケボケだったらしい。チャーチルは、ソ連に対する警戒からすでに無条件降伏ではない条件降伏を検討することを提案したらしいが、ルーズベルトはまったく聞く耳を持たなかった。そこに付け入ったのがスターリンで、かつ、二人は、アジアに対する蔑視もあって、日本はいわずもがな、仲間である蒋介石の中華民国をも袖にするような談合をする。それも、老獪なスターリンのなすがままに米ソ間で密約がなされる。北方領土問題の源はルーズベルトの晩年のボケた脳髄がもたらした災禍であろう。日本は、満州の権益にこだわり続けたために、繁栄のもととなる資本や資源を依存する米英と戦う道を選んでしまう。そして、本来、最大の敵であるはずの共産ソ連とは中立条約結んでしまう。ドイツの敗北が濃厚となった1945年4月の沖縄戦も大きな犠牲のもとに敗れ、次は本土決戦となる状況下、日本は、中立条約を結んでいるソ連を頼りに和平交渉を探るという最悪の選択を取らざるを得なくなっていく。
Anyaku
②「Auf Reisen」(「旅の途上」)

オーストリアの作家シュテファン・ツバイクの旅行記。1911年のニューヨーク滞在の章。第一次世界大戦前のベルエポックを謳歌したヨーロッパ人のツバイクが新大陸を旅した。ニューヨークの新しい物質文明のリズムへの驚き。成熟したウィーンの静けさとは対照的な、喧騒に溢れるモダンな都市・ニューヨークの若さとエネルギーにただただ圧倒され、感嘆の声を上げるツバイク。ブルックリン橋はその象徴。20世紀初頭のウィーンの人口は200万を超えてはいたが、ニューヨークは500万に迫ろうとしていた。
Auf-reisen

2019年2月10日 (日)

ノルマンディーで捕虜になった東洋系ドイツ人兵士は何人だったか。

2月7日(木) 曇り時々晴
朝食:野菜カレー
昼食:カレーきしめん
夕食:豪州産牛のランプステーキ(140グラム)、野菜カレー少々
今日は、カレーずくしの食事(私だけ)。母はまだ全快には至っていない。朝、昼、夕と食事の準備と配膳、片付けを全面的に行う。結構大変である。
ケアーマネージァーさんから母の血圧が100を切っているというので、血圧の薬はのまないようにする。母の異変に気付いた父もしきりに心配そうで気遣っている。
終日、2階とキッチンを行ったり来たりしながら過ごす。合間に、ポール・ジョンソンのチャーチルの評伝を再読する。背表紙の裏を見ると、2015年1月25日読了とある。通勤(埼京線、小田急線)や職場の昼休みで1ヶ月くらいかけて読んだ記憶が蘇る。チャーチルは傑出した政治家であり、人類の歴史に名を残す偉大な人物であることは間違いない。この本はチャーチル賛歌に満ち溢れた本である。

Paul

しかし、どんな偉大な人物でも欠点はある。チャーチルは、とんでもない人種差別主義者で、ガンジーを見下していた言動は今日では有名な話っだ。自身の価値観は19世紀のままであり、チャーチル自身が言う如く、大英帝国の清算をするために首相になったのではないという意識のもと、米国のルーズベルトと手を携えた究極の目的は、当然ながら、大英帝国の権益を守り抜くことだった。が、結果的には大英帝国を清算する役回りを演じてしまった。政治家として軍事面の造詣が深く、外交にも見識を持ち、英国がどうしようもない危機に陥った中、喜び勇んで渦中の栗を拾い、ヒトラーを破った男。しかし、対ドイツ勝利を目の前にして、国民はチャーチルをお役御免にしてしまったのも事実だった。チャーチルへの揶揄として、ヒトラーとチャーチルは同じ穴の貉(ムジナ)だった、とよく言われる。そして、スターリンも。お互いに相手の手を読むことが出来たということ。違いは、生まれた国(場所)の違いだけ。

2月8日(金) 曇り
昨夜は20時すぎにベッドへはいり、そのまま眠ってしまった。何度かトイレに起きては寝ての繰り返し。4度目だろうか、時計は5時。眠れなくなる。

朝の読書は、It all started with Colombus。ナンセンスを交えた独特の語りで笑わせるアメリカ史。簡単に読めそうな感じで読んでみるとひねりがあちこちにあって相当の素養がないと堪能できない内容のようだ。高田馬場の芳林堂書店で買った本。1980年代の半ば頃だろうか。なぜかよく覚えている。この30年、数年に1度は思いだしたように手にしては拾い読みしている。 以前に比べて少しずつ著者のひねり、裏の意味などがわかるようになったとは思うのだが、まだ意味不明の個所もところどころある。

Armour
朝食:ポテトサラダと笹かまぼこ、ご飯と蜆汁。

今朝も、食事の準備はすべて自分が取り仕切る。8時過ぎ、週に2度の生ごみ出し。ポリバケツの生ごみをまとめていると、寒椿にメジロ。チュルチュルと鳴いている。毎日蜜を吸いに来ているようだ。

9時半、父のリハビリ担当者(男性)が来る。10時過ぎ、ケアー・マネージャーさんが二日連続で来る。母の血圧は今日も100に届かず。病院に行ってはどうかと。母は拒否。そこまで悪くはない、と言い張る。30分ほど、車で買い物にでかける。父の好物の柚子蜂蜜飴、アジの干物、ゴーダチーズ、おはぎ等々。

昼食:石窯パン、ゴーダチーズ、ポテトサラダ、パストラミ、コーヒー、バナナ少々。 父はアンパン一つ、バナナ3切れ、おせんべい数かけ。母には、卵雑炊を作って食べてもらう。

バッハの「マタイ受難」を聞きながら、日記を書いたりブックサーフィンをする。父と母の二人が寝たきりの状態なので、外出はせず、2階と1階を行ったり来たりしながら様子を見る。

夕食: 牛肉コロッケに野菜カレーをかけて食す。

母が夕方になって熱を出した。夕食のお粥を食べていると体が震えている。これはまずい、昼間病院に行ってれば!,と脳裏に後悔の念がよぎる。大丈夫、と母はいうのだが、体温計で熱を測ると8度5分近い。すぐ近くの掛かりつけの病院に電話すると、診断してくれるという。17時半過ぎだ。ありがたい。150㍍くらいの距離だが車で母を連れて行く。

幸い、インフルエンザではなさそうだ。胃腸炎?お腹の具合は大丈夫。食あたりのようで昨日2度、3度吐いたことを説明。安静にして体を暖かく保って休むようにいわれる。解熱剤も含めて3種類とりあえず薬を処方してもらい帰宅。すぐに薬を飲ませて休ませる。

20時過ぎ両親が寝たところで2階に上がる。注文していたアントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」が郵便ポストの中に入っていた。

Antony

1000ページ近い本だが、イギリスからの送料込みで1674円である。安い!ちなみに、日本語の翻訳もすでに出ているが、3巻本で1冊単価が3564円。この値段の差は何なのだろうか。たぶん、英語圏での歴史に対する興味、読者の層の圧倒的な厚さによるものであろう。しばらくは、チャーチルの「第二次世界大戦」(縮小版の日本語訳とオリジナル版=英語版の第3巻と第4巻)にどっぷり浸かろうかと思っている。

寝床のベッドでビーバーの「第二次世界大戦」のイントロダクションをぱらぱらと読んでみる。ナレーション形式の叙述なので読みやすい。人文系の本は読みずらい本が多いのだが、例えば、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」と比べて、この歴史の著作の何と読みやすいことか。歴史書が平易な文章で書かれているかというと必ずしもそうではないのだが。ホッブズ・ボームの歴史4部作は後ろから2冊読破したけれど、マルクス主義の歴史家ということもあり、正直なところ読みずらかったと思う。本音を言えば「悪文」である。学者の衒いがそうさせてしまうのだろうか。

この本は、冒頭から引きずり込まれる。ノルマンディー上陸作戦で連合国の捕虜となったドイツ軍兵士に東洋系の兵士がいた。日本人と思われたが、朝鮮人であったらしい。満州国軍に徴用され、ノモンハン事件で戦い、ソ連・モンゴル軍の捕虜となた。ソ連の労働キャンプに入れられたが、1942年、独ソ戦の最中、赤軍兵士に徴用されドイツ軍と戦う。ウクライナのハリコフでドイツ軍の捕虜となり、最後は1944年のノルマンディーで連合国軍と戦い捕虜となった。その後、イギリスの捕虜収容所に入り、その後にアメリカ合衆国にわたり安住の地とする。1992年、イリノイで亡くなった数奇な運命をたどった人らしい。ビーバーの「第二次世界大戦」は、ノモンハン事件から始まるのである。

こんな人がいたとは知らなかったが、名前はYang Kyoungjong。ウィキペディアにも出ている。実在性について疑問視する人いるらしいが、歴史的事実として扱う歴史家も多いという。

2018年11月 2日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その118  福井義高氏「日本人が知らない最端の世界史」

11月1日(木) 晴

 

5時に目が覚める。秋になって一番の冷え込みを肌で感じる。
 

 

昨夜寝る前に手にしたがすぐに眠ってしまった福井義高氏の「日本人が知らない最先端の世界史 その2」を読む。

 

Photo

 

第1章は、「張作霖爆殺・ソ連犯行説を追う」、第2章は、「日本を手玉に取った愛国者(セミョーノフ)」、第3章は、「ゲルニカ神話の虚妄」までパラパラと読む。レオニド・エイティンゴンは1920年代後半の中国、そして、1936年から始まるスペイン内戦に登場する。
 

 

第1章の扉には、レオニド(ナウム)・エイティンゴンの言葉「わが秘密はわたしのものではなく国家に帰属する」(第5章の人民戦線=善玉説の大いなるカモフラージュの章で再び登場する)が、、第3章の扉には良く知らないが、ジャン・フランソワ・ルヴェルという人のの言葉「世界を動かす第一の原動力は嘘である」が、次の第4章の扉には、スターリンがチャーチルに言ったという「結局、我々を裁くのは歴史です」が、それぞれ付されている。

 

細かい事実を積み上げても砂を噛むような無味乾燥の歴史叙述だけが残るだけで、真実は見えてこない。それでも、本当のところは何だったろうか、という衝動が人にはある。私がいつまでもこだわりつづけるのは、専門家でもないけれどただひとつ「知りたい」というこの衝動だ。著者の福井氏は専門の歴史家ではない。肩書きを見ると、東大法学部卒の超エリート。頭脳明晰。カーネギー・メロン大学で博士号取得。専門は会計制度・経済の情報分析だという。歴史は余技ということだろうが、実に面白い論争の本を書いてくれたものだ。
 

 

張作霖爆殺事件は、結局のところ、ソ連側にも日本側にもそれぞれ張作霖を殺す動機があった。殺害現場の状況から河本大作氏のいう関東軍が線路に仕掛けた爆弾では死ぬことはあり得ないとする一方で、ソ連側から出てきた最近の資料から、彼らの秘密工作員が高架橋にしかた爆弾で張作霖が爆殺された可能性を否定しない。しかし、どちらの行為が張作霖を最終的に殺したのか、まだ確定していない、というのが現状である。

 

「The Eitingons」を読み続ける。スターリンの懐刀である、中国やスペインで秘密工作を手掛けたレオニード・エイティンゴンは、メキシコではとうとうトロツキーの暗殺に成功する。この暗殺には二つのプロットがあった。一つは、詩人としても有名なシケイロス氏の一団による襲撃事件でこれは失敗した。レオニードが主導したのは、スペイン内戦でリクルートした工作エージェントのMercader母子によるものであった。

 

美男の息子Ramon Mercaderは、メキシコのトロツキーの取り巻きの女性(トロッキスト、アメリカ人女性)に取り入り、トロツキー夫妻に招かれてお茶に招待されたりするようになり、とうとう1対1の場面で身にまとったレインコートの下からアイスピックを取り出してトロツキーの脳天を砕いて目的を遂げた。

 

7時前、居間に降りリハビリをしながら、セイゴの塩焼きを作り、朝食を取る。8時半、2週間ぶりの通院。リハビリルームで70分にわたるトレーニングをする。マネージャーさんから、まだ左足の甲の裏が柔らかい、足指の運動と右足で庇わずに左足の指をしっかり使って
地面をつかむようにした歩行訓練をするように、とのアドバイスを受ける。次回は、11月16日(金)。医師の了解を得て、この日に、正座をする予定。これができればリハビリは完了することになると思われる。

 

帰路、母の使いで銀行で現金をおろしたり、京成百貨店や近くのスーパーで買い物。家に戻ったのはお昼を過ぎていた。愕然とすることが一つ。スーパーで購入したシャープペンシルの芯(300円弱)が見つからない。ひょっとして買い物籠に忘れたか?以前も、果物の梨を買って忘れてしまったことがあった。以前だったら、電話をして取りに戻るのだが、高価なものでもないし金額が金額だからとそのままやりすごすことにしたが、購入して現物を忘れるということを2度もしてしまった自分に正直なところ少しうろたえる。
 

 

昼食:スーパーで買ったかつ丼を食す。それにコーヒー。2階で日記をつけて一休み。
 

 

13時半過ぎ、日課の釣りへ出かける。今日は小潮の最終日で潮の動きはよろしくない。が、釣れる釣れないは別で釣り糸を出すことに意義がある。今日も釣り場には誰もいなかった。

 

Nakagawa_1

 

釣り始めてしばらくすると自転車でとおりかかった初老の人(私より上)に声を掛けられ、しばし世間話をする。最後に護岸の上り下りは直接やらないで50㍍ほどあるいた下流側にある階段を使うようアドバイスを受ける。敢えて聞かなかったが、ケガしたことがあるのだろうか。
 

 

通りがかりの人が去った直後、竿を出して10分程、下流側の竿をきき合わせてみるとずっしりと重い。リールを巻くと激しい抵抗、右に左に走る。それなりのサイズのセイゴだ。護岸近くで激しい鰓荒いをされたが一気に引き抜いた。35㌢前後の良型。これが釣れれば文句はない。いきなりの一発で気分爽快。今朝は寒かったが、ポカポカの太陽光線を浴びて幸福な気分を味わう。

 

Seigo_35cm

 

その後しばらくは音沙汰なしに時間は経過したが、15時過ぎ、上流側の5.3㍍の磯竿(錘負荷20号)を見やると、竿がピクピクお辞儀を始めた。そして、次の瞬間大きくお辞儀をした。ソレッ、来たぁ、フィッシュ・オン。久々の明確はアタリだ。竿を手に夢中でリールを巻く。ずっしりと重い抵抗が伝わる。これも良型サイズ。真ん中の竿だったが魚が上流に走り、一番上流側の竿を追い越してしまった。やわらかい竿なので竿全体が大きくしなる。魚の抵抗を楽しみながらようやく取り込んだのは先ほどよりやや小さめだが30㌢越えの元気なセイゴだった。
 

 

今日はこれで良しという気分になった。下流側の竿を回収すると、またブルブルッと手ごたえがある。27㌢前後の塩焼きには持ってこいのセイゴが釣れた。不発の一番上流の竿には最後にアタリが来た。2本バリにダブルで来た。20㌢を少し超えるサイズ。今日はリリースして、3尾持ち帰りとした。15時45分に納竿。荷物一式をもって、50㍍ほどさらに下流側に歩き、階段状になった護岸を上り、200㍍近く歩いて車に戻る。16時半に帰宅。

 

釣果 セイゴ3尾(35㌢、32㌢、27㌢)

 

 

Seigo_3bi

 

 

 

 

 

 

夕食:魚が続いたので餃子を作り(冷凍だが簡単に調理できる)赤ワインでいっぱいやる。

 

 

 

日本シリーズ第5戦を見る。3回に広島が先制したが、1点で終わり。2点目はライトの好返球(ノーバウンド)で本塁タッチアウト。ソフトバンクの好守(キャッチャーはもちろん)が光る。結局、これが響いて延長戦になり、最後はサヨナラホームランで5対4で負ける。結果論だが、広島に3回に2点入っていたら逆スコアーで9回で勝っていた。

 

 

2018年11月 1日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その117  ロバート・グレイブス「さらば古きものよ」と詩集

10月31日(水) 晴

 

昨夜は19時半に就寝。そして、目が覚めたのは早朝の4時。9時間近く睡眠をとったことになる。このところ、熟睡しては睡眠不足の繰り返し。何だろう・・・・。
 

 

目覚めの読書は、まず、ロバート・グレーブスの詩集。ペンギンブックスの古本で随分前だが、お茶の水駅近くの丸善で買った記憶がある。英語の詩集はエドガー・アラン・ポーに次いで2冊目だ。1895年生まれだから、ドイツのエルンスト・ユンガーと同い年。これまで何度か、手にして読もうとしたがすんなり頭に入ってこなかったが、今朝は偶然開いたページの「銀蠅」(Blue-Fly)が目に留まった。同氏の著作は岩波文庫で「さらば古きものよ」を読んだことがある。第一次世界大戦によってショックを受けた世代で、それまでの古き良き時代へ決別の書。

 

Graves
 

 

さらに、「The Eitingons」を読み続ける。いよいよ舞台はメキシコに移る。トロツキーの暗殺の章。レオニド・エイティンゴンによってスペイン内戦時代にリクルートされたスペイン人とともにエイティンゴンはメキシコへ移動する。
 

 

6時過ぎ日記をつける。今日も近くの柿の木からモズが高鳴きが聞こえる。
 

 

6時半過ぎ、キッチンでイシモチ2尾とセイゴ1尾を焼いて朝食の準備。魚を焼きながらキッチンでリハビリ(左足のつま先立ちを繰り返す)。

 

9時前、父は迎えが来てデイケアーに出かけた後、近くの掛かりつけの医者がいるクリニックへ月の一度の両親の薬をもらいに出かける。インフルエンザの予防接種は明後日の午後一番にK医師自ら自宅に来ていただいて予防接種してくださるとのこと。問診を書いて事前に病院にもっていくことになった。処理して事前にクリニックに届ける(徒歩3分)ことにする。

 

昼食(エビピラフにミカン)を食べて、午後の釣りに出かける。昨日と同じ場所だ。三連荘だ。今日は誰もいなかった。

 

Kyoumo_nakagawa

 

釣り始めは12時半過ぎ。14時半過ぎまでの2時間はほとんどアタリがなかった。仕掛けを回収してみたら20㌢未満のセイゴがたまたま釣れていた。即リース。14時半を過ぎて、ようやくポツポツとアタリが出始めたが釣れるのはセイゴばかり。サイズもキープサイズ(20㌢)ギリギリのものばかり。アタリも竿先がちょこちょこ動くだけで、ビシバシたたくようなアタリがない。15時前、ようやく本日初めての明確で大きなアタリ。25㌢前後のイシモチだった。グー、グーと鳴く。

 

Tsuritate_ishimochi

 

それから30分の間に25㌢前後のセイゴ2尾を含む入れ食いとまではいかないが、魚の食いが立つ時合だった。終わってみれば、10尾。6~7尾はリリースしたから昨日に比べれば楽しめる釣りだった。

 

 
釣果:イシモチ(ニベ)1尾(24.5㌢)、セイゴ 9尾 (20㌢~27㌢)

 

Chouka3

 

夕食は、イシモチの塩焼き、鶏のもも肉の赤ワイン煮込み、ガーリック・トーストにビールとご飯少々。

 

日本シリーズ第4戦をテレビで観戦。ソフトバンクのキャッチャーの肩が素晴らしい。広島のこれまでの盗塁阻止率100%。足技をからめて得点するパターンが封じられてしまった。第3戦、第4戦とソフトバンクが堅守と打力で広島を押し切った。

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