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2008年1月19日 (土)

いわゆる「黒幕」というものについて(雑感その1)

サブプライムローンの影響がじわじわと世界経済をゆるがせている。日本株が売られ、経済担当大臣が「もはや日本経済は一流ではない」と発言して波紋を呼んでいるという。昭和31年経済白書の「もはや戦後ではない」を想起させる聞き過ごせない言葉だとテレビのニュース解説者はコメントしていた。

しかし、「そんなのオレには関係ねェ」とまでは言わないが、海外留学や語学研修生を送り出すために現地の教育機関に送金する手前、米ドルがこれだけ下がってもらえるのは大変ありがたいことだと思う。昨年の同時期が1ドル=121円。昨日の送金レートが108円を切っていた。13円X2500ドル(一人)として32500円も安くなったのだ。苦しい家計を預かる保護者はさぞかしホットしているだろう。

一般教養として経済学は勉強したつもりだが、現在の経済現象はどうなのだろうか?エコノミストと言われる専門家はいろいろ説明してるが、さっぱりわからない。言うことが反対の場合もある。「現象をおっかけて、それにもっともらしい説明をつける、これが社会科学」だとも言いたくなるほど、物理学や数学の世界とはかけ離れて、明日が読みにくいのがこの人間の世界の現象だ。

経済現象とは要するに売りか、買いかしかなのではないか?とくに、このグローバリゼーションと言われて久しい「世界が市場マーケット化」した21世紀においては。それも「大きな賭博場」と化してしまったのではないか?そして、どこかで笑っている胴元がいるのではないか?いわゆる巨大投資ファンドを操る人たちだ。損をするのは普通の大衆庶民ということではないだろうか?

胴元は逆張りが出来る。ロスチャイルド家が、ナポレオン戦争時において伝書鳩を使って、株で大もうけした話を想起してしまう。両方に掛けておいて、胴元として情報をいち早く掴んで最後に笑うもの、というのがいるらしい。

陰謀史観というのがあるらしい。2001年の9.11事件は衝撃的だったが、その直後からこれはヤラセではないか、という噂があった。私も、仕事上のつながりでヨーロッパの人とメールをやり取りしていて、オーストリアのある方から、「アメリカのヤラセ」だというのを聞いて驚いた記憶がある。そして、インターネットにはこんなサイトもあるのだ。

http://www.anti-rothschild.net/

年末年始に、経営コンサルタントとして著名な船井幸雄氏と保守派の論客渡部昇一氏の「国家の経営・企業の経営(その成否は「トップ」で決まる)を読んだ。渡部氏のするどい論法は相変わらずだが、船井氏もふところ深い聞き手となっていて、なかなか読んでいて楽しかった。その中で、船井氏は、実業家と携わるなかでは、当然ながら、闇の勢力、いわゆる黒幕、については勉強したそうで、現実の世界はこれを無視できない、と述べているのが印象的だった。しかし、これからの時代は、闇の勢力による陰謀というのは通用しなくなるだろう、と。

続く

2007年10月 7日 (日)

昨日の日記の続き~大東亜戦争とは?

沖縄戦の悲劇の歴史記述でも日本軍について国会論戦でやりとりがなされている。いわゆる中国・朝鮮半島の人たちが問題にする「歴史認識問題」にも繋がる問題だ。 

東アジアで反日的なのは朝鮮半島と東アジアの華僑だけだという人もいる。大東亜戦争中、大日本帝国は大暴れに暴れてしまった事実は否定できないが、それによって西欧列強の植民地主義とそれにぶら下がって懐を潤していた華僑は没落した。よって、日本への恨みは親子代々受け継がれる。一方で、植民地支配の潤いにあずかれなかった人たちは、日本軍を歓迎したというのも事実である。 

ユダヤ人虐殺の悲劇はこれでもか、これでもか、と世界のマスコミを牛耳るユダヤ人に流布されるごとく、アジアでの日本の蛮行をこれでもこれでもかと流布するのは、こういった中国系の人たちである。 しかし、これら被害者として攻め立てる人たちが、これまで逆の意味での蛮行をして来なかっただろうか? 旧約聖書の中でユダヤ人が非ユダヤ教徒を虐殺するシーンがあることをご存知だろうか? 西洋世界はこの500年間に非キリスト教世界の中でどれだけ蛮行を繰り返して来ただろうか? アルメニア人が訴える今世紀初頭のトルコ人による虐殺。 トルコ政府は公には認めていない。 

フランスで出版された共産主義黒書(ソ連編、コミンテルン・アジア編)をぱらぱらめくれば、気が遠くなるような虐殺の数々。私が大学時代のころまでは、それでもまだ社会主義・共産主義というのはある種の魅力をもっていたと思うが、内側でのなんというおぞましい体制だったのだろうか? どうも、人間は自分の仲間ではない思う人たちに対しては、どんな野蛮なことでも出来てしまう残虐性が眠っているということに今更ながら愕然とする。 そしてまた、どうしてあるものがことさら大きく取り上げ、あるものは闇に葬られてしまうのだろうか?という素朴な疑問がわきあがってくる。片方の目であることを上げつらい、もう一方では目をつぶるのである。そろそろ、人間は「言論の暴力」というマスコミの作り出す意識的な?あるいは無意識の?ウソ・でっち上げに気づくべきだ。

「教科書問題」や「憲法問題」や「歴史認識問題」その他、「大東亜戦争」をめぐっての評価でもめる原因はまだまだ、我々アジア人にとってあの戦争が現代と繋がっているからだろう。過去のものとして客観的に冷静に評価できる地平がないのだ。 

中国や朝鮮半島とって、「反日」とはまさに、自らのアイデンティティそのものだ。 19世紀初頭のナポレオンの暴発によって祖国防衛戦争に立ち上がった、ヨーロッパの人々が反フランスで国民国家の意識が生まれたように。

日本人自身にまだ過去の戦争の清算が出来ていないのも問題だ。最近、台湾人の黄文雄氏の「大東亜戦争肯定論」を読んだのだが、文明史的な観点からなかなか鋭い論評がなされていた。私なりに整理して自分の言葉でまとめてみると以下の通りになる。

     大東亜戦争とは、第二次世界大戦という大きな括りの中では、アジア・太平洋地域で行われた20世紀最後の帝国主義国同士の戦争であり、その意味ではたとえ日本が負けたとしても、戦争犯罪などといういかがわしい論理で裁かれる戦争ではなかった。 

② 帝国主義戦争という意味は、大日本帝国 対 大英帝国+アメリカソフト帝国主義+その

  他(フランス、オランダなどの旧植民地)を指す。 植民地、準植民地の方々には申し分けないが、当時はそういう時代だった。 (ちなみに、現代の中国の教科書には「日露戦争」の記述がないという。現在、東北地方と呼ばれる中国の一部となっているこの地域は、当時は中国とは見なされていなかった。よって、自分たちの国という意識もなく、血を流してロシアの侵略から守ろうとする行動すら取らなかったことを現代の中国政府は国民から隠蔽している。歴史の捏造である。満洲国というのは、帝国主義時代に日本が血で購った代償であったのだ。それ以前、当時の清朝時代の中国は、古代さながらに人々は生きており、中国という国の概念も持っていなかった。 天下、つまり地の果てまでが「彼らの世界」でその向こうは蛮地という意識だけだった)

     日中戦争とは、実は、ベトナム戦争が「アメリカが後押しする旧植民地支配者フランスとくっついていたベトナム人支配層」と「ソ連・中国が後押しする共産主義者、反帝国主義者、祖国解放を共産主義に掛けた愛国的なベトナム人」が一般の人たちを巻き込んだ戦争であったと同じ意味で、その先駆け的な戦争だった。 中国人達は帝国主義の代理戦争をしながら、国民国家としての意識を確立し、勝利した国共合作組(=アメリカ・イギリス・ソ連組)が正統性を得たのであって、敵であった中国人政府・汪兆銘は国賊となり、後押しした日本は、彼らの正統性を担保するネガティブなものの象徴となってしまった。もし、日本が勝っていたら、汪兆銘政権が正統性を獲得して展開は変わっていたであろう。 歴史のIFは現実によって否定されるけれど、作り出された現実の意味を考える上では必要である。

     したがって、アジアにおける第2次世界大戦(大東亜戦争)には、1945年以後の共産主義イデオロギーとセットになった反帝国主義・植民地解放戦争の側面がある。その中で、日本は引き裂かれ、敗れ去った。 西欧の民主主義国家のイギリスやオランダ、フランスも結局は、戦前の状態復帰を望んだものの、敗れ去っていった。

     その後の展開は1989年のベルリン壁の崩壊と1991年のソ連崩壊で記憶に新しい。共産主義というユートピアは崩壊した。その間、日本は平和と繁栄を貪ることが出来たが何故か?アメリカという大国のアジアにおける戦略的なショーウィンドウ的基地の役割をもらったからである。そして、その機会をアメリカが期待する以上に果たしてしまった。戦勝国のフィリピンを比較してみよ!

     いわゆる「平和憲法」もそれをお題目のようにとなえる「平和屋」も基本的なことを忘れている。平和とは、戦争のない稀な状態であることだ。今も世界のあちこちで戦争が起こっている。そこに平和憲法を作っても無意味だ。戦争が起きないようにする普段の努力が必要であって、その努力の中には、つまり攻めてきたらやり返すぞ、という力を誇示することが必要なのだ。実際に攻めてきた場合には、血を流して守らなければならないのだ。言葉の前に、現実が来てしまうのだ。 日本はアメリカの核の傘でこれまでやってこられたから、平和だっただけの話だ。だから、もうマッカーサーが12歳の日本人に作ってくれた憲法は、書き直すべきだ。書き直しが国民の合意のもとに出来たとき、我々日本人は過去の戦争を清算できたことになるだろう。

私はアメリカ、中国と肩を並べて核を持ち軍事力を持って政治力を持つべきだとは思わない。しかし、経済力に応じた、備えは必要だと思う。武力をちらつかせて「やくざまがいのことはさせないぞ」、という気概と実質的な反撃意意思表示それを裏付ける物理的な強制手段は絶対必要だと思う。 自由貿易体制は、平和憲法だけでは維持できないと思う。それを否定する北鮮のような存在がある限り。また、自由貿易体制の自己責任(自立的な倫理)がなっていないし、明確な敵がいないにも関らず軍備拡張を不気味に続ける中国のような国がある限り、理念と同時に物理的強制力は必要だ。彼らも目の上のたんこぶである日本が、かつてのように、アジアで勝ってし放題しないように強制力・タガをはめる為に、あらゆる軍事力も含めたあらゆる政治力を駆使してくるように。

日本は、自由貿易体制が崩れたら江戸時代以前に戻らなければならない。人口3000万が、貧しいながらに飢えることはまれな平和な時代-ただし、外の勝手な政治力が我々の太平の眠りを妨げない、ことが前提だがーに戻れば良い、それも悪くないかも知れない。 が、しかし、我々人間は資本主義、それもグローバル化した自由市場という制御できない化け物の中で日夜労働に明け暮れ、市場を媒介に情報と金と物を交換しなければならない「うなりをあげる」渦巻きに深く囚われてしまっているのも現実だ。 江戸時代に戻る? こんな暢気なことは言っていられない現実が刻一刻とせまっている予感があるのも事実だ。

思考はどめどもなく展開していくけれど、「きりがない」し、私の日々の生活にこれまで展開した「たわごと」がどれだけ関係するのだろうか? 

2007年2月 5日 (月)

北朝鮮再び・朝鮮半島の宿命

朝鮮半島は、今でも大国の草刈り場だ。

テレビ(NHKのBS放送)で、間もなく再開される「六ヵ国協議」に先駆けてのロシアの北朝鮮専門家のインタビュー報道を見た。なるほど、と思われるコメントがあった。トカチェンコ氏は旧ソ連時代から北朝鮮の専門家として知られ、現役引退をした現在も、ロシアでは朝鮮半島問題のご意見番だそうだ。以下、同氏のコメントを踏まえながら、自分の考えを述べてみたい。

北朝鮮問題の鍵をにぎっているのは中国だ。そして、中国がこれまで取ってきた政策は、北朝鮮を「生かさず、殺さず」というもの。中国は大変賢い政策をとっているのだという。

中国が一番恐れているのは、北朝鮮が、中国から離反して、アメリカ(政治・経済的に)や日本(経済的に)との結びつきを強めることだという。何故か?トカチェンコ氏の話では、中国は北朝鮮は自分たちの領土!だと考えているからだ。数年前だが、中国の公式的な歴史見解で、高句麗はかつての中国の一地方政権であった、と発表して韓国政府が抗議したことがあったことを思い出してしまう。

政治というのはまことに複雑にして厄介である。中国の東北地方には約200万の朝鮮族がいるのだそうだ。彼らの日常生活は、朝鮮語で文字もハングルを使用しているバイリンガル(公式の場では、中国語を話す)の中国人なのだそうだ。朝鮮族というと、日本にも数十万の単位で(朝鮮半島の“合邦”による影響)、さらに、アメリカ合衆国にも百万単位でいるのだが、さらに、ロシアにも朝鮮族がかなり存在している。この朝鮮族の分布~国境を越えた分布~は、ロシアの極東進出、日本の満州国建国などの帝国主義時代の影響もあるが、もともと、いわゆる、中国東北部は、ウラルアルタイ語族の言葉を喋る半遊牧・半狩猟民族がすむ地域だったという歴史的背景があるのだ。

いずれにしても、朝鮮半島周辺の大国(中国、ロシア、アメリカとその子分である日本)にとって、朝鮮半島が統一するということは別の意味で厄介という事情があるようだ。 韓国が4000万、北朝鮮が1500万~2000万として、韓国主導で南北統一が実現すれば、人口6000万前後の大国が出現してしまう。中国・東北部の朝鮮族やはたまた、沿海ロシアの朝鮮族にも影響することは必至である。メキメキと力を着けている韓国の資金と技術力、北朝鮮のただ同然に近い安い労働力が合体すれば、また一つの大きな政治力が出来上ってしまう。

しかし、現実は甘くない。どの大国も本音では、朝鮮半島の現状維持を望んでいるようなのだ。韓国ですら、南北統一省を作っているが、本音は、当面、現状維持なのではないか?ドイツの統一の先例がある。共産主義陣営の優等生をもってしても、旧西ドイツの資本主義市場で東ドイツは使いものにならない、ということが広く一般に知られることとなってしまった。況や、北朝鮮に於いてをや!統一後の困難と必要なコストを考えると、現状維持政策を取らざるを得ないのだという。

結局、南北分断という現状は、建前上、「悲劇」であり、南北統一は「悲願」のはずなのだが、本音のところでは、誰もが、望んでいることなのだ。 北朝鮮の国是は、「南朝鮮」の開放だそうだが、もはや、これは夢物語だ。おそらく、金正日ですらもう、信じていないだろう。豊かになった韓国人で、北からの開放を望む人は皆無といっても間違いないだろう。

よくよく考えると、朝鮮半島の構図は、19世紀末と全然変わっていない。唯一の例外は、20世紀の前半、日本が、日清・日露戦争の勝利から日本の敗戦まで、その間の朝鮮併合と満州国時代である。そして又、没落したヨーロッパのプレーヤーが現在はいないということだろうか。アメリカは、東アジアに対するコミットメント政策を維持しているが、もし、何らかの理由で東アジアから手を引くことになれば、事態は、7世紀頃の極東情勢と同じになるであろう。

当時はまだ、ロシアなるものは極東まで進出していなかった。21世紀の現在、ロシアは、もともとヨーロッパ指向で、ソ連崩壊以来、極東での積極的関与は控えている。既得権益はしぶとく維持しているが・・・。とすれば、朝鮮半島は、もともとの東アジアの大国中国ともう一方の大国アメリカ及びその同盟国日本との間で、翻弄される存在であり続けることになる。

7世紀、朝鮮半島では、3国鼎立で覇を競っていた。朝鮮半島中部に割拠していた新羅が、南部の百済と北部の高句麗を、唐と結託して滅ぼして、南部・百済と関係の深い日本勢力を朝鮮半島から追い出して、朝鮮半島を統一すると同時に、唐の朝貢国(服属国)となった。これが、朝鮮半島の宿命となった。日本離反と中国への追随である。19世紀末でも、日本からの圧力に、まずは、清に頼り、日清戦争で清が退くと、今度は、ロシアに頼り、日露戦争で、ロシアが退くと、あとは、日本の独壇場となってしまった。

朝鮮半島の悲劇とは、常に周りの大国を見ながら、内部分裂を余儀なくされてしまう、地政学的な宿命ということになるだろうか?

(続く)

2007年1月11日 (木)

北朝鮮の核問題を考えてみる。

仕事と野鳥三昧ですっかり世の中一般のことに背を向けていたのだが、昨年12月を過ぎた頃から余裕が出来てきて、まずは、極東で問題になっている朝鮮半島の北朝鮮問題について本を読んだりして考えてみた。

テレビでも新聞でも雑誌でもいろいろと報道されているが、年末に読んだ重村智計氏著「朝鮮半島の核外交」(講談社現代新書)がいちばん核心をついた解説をしているのではないだろうか?

この本を読んで一番感心したのは、北朝鮮の国力、つまり、経済力を誰も正確に理解せずり議論しているという指摘だろうか。著者によれば、北朝鮮の国家予算は日本の島根県予算より小さいという。そして、北朝鮮は絶対に戦争は出来ないと指摘する。これは、彼らの石油輸入量を見れば、2週間以上戦争は継続できないことが明らかだからだそうだ。又、通常兵器も経済破綻をしているため、旧式のものがほとんどで、これは日本の自衛隊も含めて在韓米軍・韓国軍関係者では常識になっているそうだ。北朝鮮の食糧問題がかなり深刻なのは世界の常識になっているが、もっと深刻なのはエネルギー不足だという。まともな経済活動を維持することもままならないのだそうだ。

では、何故、北朝鮮は、核兵器開発にこだわるのか?著者の結論は、核兵器を持つことで危機を煽り、周囲の国の注目を集めるためだそうだ。実は、北朝鮮にとって危険な国というのは存在しないという。中国も、ロシアも、韓国も、日本も、そしてまた米国も北朝鮮に対し戦争をしかける理由がない。パキスタンとインドの場合は宿敵同士、お互いに水と油の敵であり、核兵器を持つ理由があるが、北朝鮮にはないのだ。北朝鮮に冷戦が終わって、もはや潜在的な敵がいないのに何故、核兵器を持つのか?唯一考えられる理由は、常に周囲の注目を集めておくことなのだ、そうだ。北朝鮮にとって困るのは、誰からも相手にされないことだという。北朝鮮に対して、もっとも効果的な方策は、まともに相手にならないこと、これだという。したがって、アメリカのブッシュ大統領の基本的な対応姿勢は間違っていないという。

金正日だが、北朝鮮の国家予算規模が日本の島根県と同レベル(人口100万未満)ということは、本来なら、県知事レベルの首長だということだ。天下のアメリカ、中国を振り回す、この島根県より小さい北朝鮮だが、経済破綻を言われ相当数の餓死者を出しながら、相変わらず大規模な軍隊を維持し(軍隊というのは金食い虫である)、核兵器を持ってしまったようである。「核兵器保有」は、「金王朝」自らの政権の生き残りが目的なのだ。人民民主主義と社会主義の看板は大嘘である。核開発を放棄すれば、1994年のアメリカとの合意で現在の輸入量に匹敵する石油をただで手にすることが出来るのに、それを棒に振ってまで固執する理由はそれ以外に考えられないのだ。もしそれを飲めば、自らの政権が崩壊してしまうと恐れているのだそうだ。国民を犠牲に、自らの特権を守り、生き残るためにやっていることなのだ。

だから、現政権の北朝鮮に対する宥和を続けている限り、核兵器放棄は絶対ない、と重村氏は言い切っている。何故なら、核兵器を保有することが、自らの特権を守る唯一手段だと信じており、しかも通常兵器より安上がりな!手段だからだ。問題は、核兵器を持つことが、本当に現政権(自らの特権)を維持することになるのかどうか、保証がないのに、出来るものと硬く信じ込んでいることだ。

日本の対北朝鮮のスタンスは、安倍総理になって始めて明確化された。拉致問題と核問題が解決されない限り、国交正常化はない、という基本スタンスである。何故、これまでこの拉致問題が解決しなかったか?これは、歴代の日本与党政権が、北朝鮮に対してこの基本方針でキッパリと対応しなかったからだ(出来なかった)。その意味で、自民党も含めて日本の学者やマスコミも含めた社会主義を信奉する左翼シンパの罪は重い。今でこそ、朝鮮総連はじめ、いわゆる日本左翼シンパはなりを潜めたが、冷戦が崩壊してからもしばらくは、北朝鮮の拉致問題を学者やマスコミが事実を報道しようとするなら、ものすごい嫌がらせ、バッシングを受けたという。冷戦が崩壊し、社会主義政権の醜悪な部分が次々と暴かれ、かつての栄光は地に落ちた。しかし、それでも、日本のマスコミや学者には、その余韻が残っているという。これでは、朝鮮半島を冷静に見ることは出来ない。日本が譲歩する必要はない。人質問題と核問題が解決されたら、国交回復をすれば良い。その逆は有り得ない。核兵器は脅威だが、これは、核の抑止力をもつ、アメリカ、中国、ロシアに処理してもらうことだ。彼らが、不作為で何もしないときは、日本は核武装すべきだ。(これは私の意見)。

北朝鮮の核問題で誰が得をしたか?実は、ある意味で日本であると著者は言う。日米同盟は、冷戦終了で、主要な敵、ソビエトという共産勢力を失った。共通の敵があるからこそ、同盟は成り立つ。敵がなくなれば、かつての日英同盟と同じ運命になっていた。小泉外交は、あやうく北朝鮮宥和に傾き、日米同盟をご破算にする寸前まで行ったのだ。

重村氏の本を読んで勉強になったのは、中国、ロシアと北朝鮮の関係である。北朝鮮がかつて日本の左翼陣営から輝ける社会主義国と礼賛されていた実態は、ソ連、中国の友好価格にもとずく経済援助漬けの国だった。まさに、従属経済理論のサンプルである。

ゴルバチョフの登場のソ連(そしてその後のロシア)に捨てられ、中国に捨てられ、八方塞がりになってしまった北朝鮮。 北朝鮮の外交は振り子外交と揶揄される。ソ連にくっついたかと思うと、中国にくっつき、両方から蹴っ飛ばされると、韓国と宥和政策を取るというパターンなのだそうだ。現在六者協議の枠組みでの解決をはかろうとのアメリカの思惑で動いているが、主導権は確かに中国にある。中国は、実はロシアをはずしたかったらしいが、北朝鮮が動いて、ロシアを入れたという。

中国・ロシアは、対アメリカを牽制する意図もあってなのか、アメリカ・日本のような強行措置には反対で、対北朝鮮に融和的に振舞っているように見えるが、実態としては、間違いだ。中国にしてもロシアにしても、北朝鮮はもはや同盟国ではない。同盟国でないということは、北朝鮮は戦争は出来ないということなのだ。現金決済でなければ、ソ連は北朝鮮に最新の兵器などは売らないという。一方で、プーチン大統領は、金総書記に、個人的に名馬をプレゼントしたりはして取り入っているという。

北朝鮮という独特の儒教社会主義、言ってみれば李氏朝鮮の生まれ変わりのような政権を作ったのは、実は、大国のエゴでもあった。冷戦崩壊後、ソ連、中国などはあっさりと韓国を承認し国交を結び、北朝鮮を無慈悲にも捨てたのだ。誰にも相手にされなくなった国、北朝鮮。冷戦崩壊後から、孤児となってしまった北朝鮮の金王朝とその特権階級の生き残り策の結果が、現在の「核兵器開発」に煮詰まったのだ。何という悲劇だろうか!

2006年10月 5日 (木)

「国家の罠」を読む

某月某日の土曜日。 8時過ぎの起床。 出かける家族に残され、一人、ゆっくり本を読んだ。

佐藤勝氏著「国家の罠」 ~ 外務省のラスプーチンと呼ばれて~ を一気に読んでしまった。実は、先週は、この方の第二著「自壊する帝国」を先に読んで、感銘を受け最初の著書にしてベストセラーになったこの本を手にした次第なのだが。

数年前、マスコミを賑わせた田中真紀子・鈴木宗夫・外務省の三つ巴の内紛劇もからんだスキャンダルで東京地検特捜部に逮捕された外務省の役人である。著者の写真を拝見すると、西郷隆盛如き、「異相」である。日本人にはちょっと見えない。 ロシア大使館に勤務していたときは、よくロシアのアジア系少数民族に間違えられたという。

読み始めて、ぐんぐん引き込まれた。 氏の文体がすばらしい。無駄な言葉がなく、コンパクトで、鋭い。 著者の才気あふれる、畳み掛けるような文体は、読んでいて、実に心地よく、また楽しい。

同氏は、クリスチャンで同志社大学の大学院で神学を勉強し、さらに、チェコに留学したくて、外務省にノンキャリアで入省した変わり者である。 うまく、外務省を利用して、公務員としてお金をもらいながら、神学の勉強を続けて、その後のキャリアアップの段階で、適当に辞めるつもりだったらしい。 しかし、人生は本人の思惑とは違う運命を用意していた。 語学研修は、結局、希望のチェコ語に派遣されず、ロシア語を勉強する羽目になった。外務省のロシア・スクールのロシア語研修は、ロシアではやらないのだ。まずは、イギリスの陸軍学校で徹底的にロシア語を勉強し、その後、モスクワ大使館に赴任。モスクワのモスクワ大学で「おまけ」のロシア語学習(本人は、幻滅して、神学の勉強をしたり、ロシア人脈を気づき始める)後、こと志と違って、モスクワ大使館勤務になり、そこで自分の才能に目覚め、めきめきと頭角を現し!本省に戻って、情報分析官として活躍した。 情報分析官? つまり、インテリジェンスである。 

ロシアとイスラエルに情報ネットワークを持ち、ロシア情報分析においては追随を許さない実力を発揮、外務省内では一目置かれる存在であった。 鈴木宗夫氏との出会い、橋本、森、小渕首相の流れで、2000年までに日ソ平和条約を締結して、北方領土問題に決着するべく、現場に深く関わった人である。

これが、小泉政権誕生、田中真紀子外務大臣登場によって、外務省を舞台とする泥仕合の結果、東京地検特捜部から逮捕、起訴されたことは記憶に新しい。あれは、一体全体なんだったのだろうか? 氏は、結局、200310月、26ヶ月の有罪、執行猶予4年の判決を受け、控訴。 現在も裁判中である。 

ロシア情報には、アメリカ経由の情報、ヨーロッパ情報、そして、イスラエル情報の3つがあること。 前の2者については、当然と思うのだが、3番目のイスラエル情報といのが味噌だ。 ゴルバチョフが登場してソ連が崩壊、ロシアとなって、かなりのロシア人がイスラエルに流れ込んだ。 現在、イスラエルの人口の内6人に一人はロシア系なのだという。ロシアとイスラエルのつながりは深いのだ。 

それと、インテリジェンスの世界は人脈が全て。それも、信頼関係がベース。 お互いに、こいつは出来るな、そして信用できるな、となると、親しき中にも礼儀ありだが、核心に迫る情報がいとも簡単に転がり込む。 結局このような人脈を作ったりする、泥臭い仕事は現場の仕事であって、キャリア組みの外交官が出る幕ではないのかもしれない。 

同氏にとって、外務省での情報分析官という仕事ははまり役だったが、小泉政権という大きな政治の枠組みの中で、政治力学に翻弄されて葬られてしまった悲劇である。 しかし、それにも関わらず、精力的に著者が発表する本は、鋭い洞察力にあふれ、一読も二読にも値する優れたものだと私は思う。 今後とも、著作を通じて、付き合って行きたい人である。 

ロシアについては自分の勉強不足を痛感したが、これとは別に、イスラエルという存在がまた気になりだした。 直感だが、単なるシオニズム運動によるイスラエル建国という神話の裏には、別の意図が隠されている。 政治的な意図である。 最近のヨルダン侵攻や、アメリカに親イスラエル政策をとらせ続けるアメリカのユダヤロビーの存在もそのひとつ。

又、驚いたのは、著者の叙述の中に、外務省キャリアの東郷和彦氏は、ユダヤ人として見れなくない、とイスラエル政府関係者の話のくだりで、これは目から鱗である。 東郷氏は、もともとは、司馬遼太郎氏の小説にもあるが、豊臣秀吉の朝鮮侵攻で日本に連れ去られた韓国人の末裔であり、東郷和彦氏の祖父は、太平洋戦争中の外務次官でもある東郷茂徳氏で、奥様はユダヤ系の白人だった。 子供はお嬢さんしかいなくて、その息子が、著者の上司の東郷和彦氏である。 よって、イスラエルの帰還法に基づけば、イスラエル国籍を取れる! というのだ。 ユダヤ人とは母親がユダヤ人なら自動的にユダヤ人なのだそうだ。 ユダヤ教信者じゃなくても国籍を取れるのか? ユダヤ人とは何か? 考えさせられる。 日本人のセンスでは理解できない何かがある。

北方領土問題については、イスラエルのソ連・ロシア問題の第一人者ゴロデツキー教授(奥様は、何とイギリスのあのソ連研究の泰斗E.H. カー氏の秘書だったという!)によれば、スターリニズムの負の遺産であって、同じ負の遺産であった東西ドイツ分裂と東欧諸国が1989年のベルリン壁崩壊で、解消されたのに対し、日本は、その同じ機会を活用できなかったことが、今日の事態を招いているという。 ロシアは、チェチェン問題を抱えて、ロシア政治エリートは領土変更問題には抵抗感を持っている。 50年に一度のチャンスを逃したのだ。 そして、ロシアとの交渉は、トップ交渉しかないのだという。

 

などなど。 いろいろ啓発される本であった。

2006年8月12日 (土)

夏休みは読書三昧

今日から夏休み。9連休である。この十数年、こんな夏休みを取った記憶がない。何をするか? 読書三昧である。 どうせなら、プルーストの「失われた時を求めて」あたりを読破してやろうか? などと思うのだが、どうも、文学には手が行かない。繊細な感性のトレモロに浸るより、まだまだ、俗世の生臭さに興味が行ってしまうようだ。

学生時代から濫読が続いている。 仕事で中断はするものの、ずーっと、暇があれば、本を読んできた。独身だからというのもあるかも知れない。普通の人が、結婚し、子供を作り、仕事に没頭し、時間の大半を取られれば、本を読んだり、瞑想にふけったりする時間はないだろう。

昨夜は、1980年代の小室直樹氏著作「アメリカの逆襲」「中国資本主義の挑戦」「韓国の悲劇」を深夜まで紐解いた。同氏には、ベストセラー「ソビエト帝国の崩壊」があるが、それに劣らず、上記3作は卓越した、アメリカ論、中国論、韓国論である。 氏の深い学識に基づくするどい論点に感心し、うなずきながら、最近の国際政治に思いを馳せた。 

やはり、21世紀の今日、気になるのは、「中国論」であり「アメリカ論」である。 その後に、「ロシア論」「ヨーロッパ論」となるであろう。 小室氏の論点の中で、「日本人の外国(交)音痴」というのがあるが、これは日本人の弱点であろう。孫子の兵法ではないが、敵を知らないし、したがって、己も知らないところに、戦略など立てようもないのだと思う。

 

高名な外交評論家が、20世紀はアメリカを見誤った世紀だった、とどこかで言っていた。ヨーロッパも日本も、果ては、スターリンのソ連も。「悪の論理(地政学とは何か)」を書いた倉前盛通氏によれば、20世紀のアメリカの戦略はマハン(地政学者)の戦略をそのまま実行したものだったそうだ。 日本海海戦の作戦参謀秋山真之が弟子入りしたあのマハンである。アメリカはソフト・帝国主義の権化である。いかにして、インディアンを抹殺したか、メキシコからカリフォルニアを奪ったか? スペインからフィリピンを奪ったか?太平洋戦争とは、中国を巡る日米対決であったのだ。そして、皮肉なことに、両者とも中国を失った。失う」とはどういう意味だ、と突っ込んでくる向きもあるが、近代化に失敗した中国が、近代資本主義に食われるのは仕方が無いし、日・欧米の帝国主義から身を守るなら、共産主義で武装して、鎖国するしかなかった。

1990年の冷戦終了とともに、左翼史観の呪縛が溶けて、歴史の見直しが可能になってきた。 戦争を知らない世代として、自分も長らく、軍国日本悪者論=東京裁判史観に組みしていたが、いろいろなことが明らかになるにつれて、事実とはそう単純ではないと思うようになった。 歴史の客観的評価というのはむつかしい。当事者がいる間は不可能であろう。中国などは、共産党独裁が続く限り、今の態度は変わらないであろう。 韓国にしても北朝鮮にしても然り。 歴史の捏造という点では、実際、彼ら(中国、北朝鮮、韓国)の方が、実際日本よりひどい。歴史といっても2種類あるのだ。 学者先生が唱える客観的な学としての歴史と一方で国民国家として国民を統合するための、自国に都合のよい歴史(日本で言う戦前の国史)つまり、教育の現場で子供たちに教える愛国的な歴史。中国や北朝鮮、韓国の歴史は、日本の戦前の国史と同じレベルである。日本に於いては、戦前までは神話(日本書紀、古事記)を歴史的事実として教えていた(古事記、日本書紀の解釈の仕方については、歴史家・岡田英弘氏のユニークで説得力のある「倭国の時代」が大変参考になる) 

アメリカにしても中国にしても太平洋を挟んで相対峙する大国である。 日本も経済力という点では大国だが、現在は、アメリカの保護のもと繁栄している属国というのが現実である。属国ではあるが、フィリピンなどとは比べ物にならない大国の属国である。しかし、日米安全保障条約が、第二の日英同盟の末路を辿る可能性はある。密かに思うところでは、アメリカと中国は、日米安保に組み入れられた日本の現状と憲法第9条を維持したいのではないか。中国にとって、日本は目の上のたんこぶである。本来、負けるはずのない優秀な中国がこの100年、日本に負けっぱなしである。日本人が嫌いなのはわかる。私が中国人なら迷うことなく、生意気な日本人に腹を立てるだろう。つまり、嫉妬である。理屈ではない。 朝鮮半島も同じである。 西洋文明が襲い掛かる前の東アジアの序列から言えば、日本は一番下の弟分なのだ。それが、「国民国家による統合と近代化」という「西欧の魔法」の習得に於いては、断然、日本が優等生であり、いつのまにか、日本は、過去のことなどすっかり忘れて、西洋人と同じ高みから、中国、朝鮮を見下した。アメリカが、ヨーロッパで戦前の日本の大陸政策のような振る舞いをしたらどうなるか? 

いずれにしても、中国や韓国は、日本に対してあまりにも生々しい悲惨な体験を通して(自らの堕落が原因で悲劇を招いたのに、それを日本のみのせいにしている限り、彼らは日本に勝てないだろう。 例えば、韓国だが、最近は歴史ドラマでも李朝を美しく描いたドラマが日本で放映されているが、イザベラ・バードの19世紀末の旅行記「朝鮮紀行」にある李朝時代の描写にあるごとく、とんでもない国であったのが本当の姿であったようだ。つまり、半分は自ら招いた悲劇なのだ)、恐怖感を持っているし、アメリカですら日本に対しては「ある種の恐怖感」を持っている。「放っておくと、いつの間にか、自分たちのお株を奪って、組織的に動く日本にしてやられてしまう」、という恐怖感である。 だから、両大国は、どこかで、日本が憲法改正の上、核武装を含む自主独立の道を封じ、平和な経済活動という点に於いても、手を結んで、「出る杭」(日本)を抑え続ける戦略を取る可能性が大きいと思う。特に、中国は、あらゆる国際的な場面で日本の足を引っ張る戦略を取り続けるであろう。 すさまじい嫉妬、つまり、彼らの劣等感とプライドの為せる行為である。アメリカにしても、日本を、対中国に対する最後の「切り札」「奥の手」としてのオプションの余地を残したいのだ。いざとなったら自閉して、自給自足が可能な両大国はもともと、自分勝手な国で、他所の小国など本音ではどうでもいいのであって、自由貿易による経済繁栄が唯一の生きる道である通商国家日本とはもともと性格が違い、お互い同士、むしろ類似点が多いのだ。アメリカが自由貿易の守護神となったのは1945年以降である。

中国の実態についてだが、普通の中国人は、中国人である前に、北京人、上海人、広東人、福建人、客家、台湾人であることが自己アイデンティティであるそうだ。 中国語とは、中国では普通語(標準語)と言い、学校で習得する外国語なのだそうだ。彼らの日常語は、北京語、広東語、上海語、客家後、台湾語であり、ヨーロッパで言えば、英語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語と同じかもっと差がある言語だそうだ。お互いにまったく通じない。 学校で学ぶ標準語・普通語は、ヨーロッパで言えば、「限りなく英語に近い改良したエスペラント語」といった位置付けになろうか。 中国では「方言」というが、当事者にとっては国語であり、他方言は外国語のことなのだ。 上海人にとって、北京人と日本人はおなじ外国人であり、漢字を使用するから中国人(日本人は不完全な中国人)という理屈である。 こうすると、何故、ベトナムや北朝鮮、韓国が漢字を廃止したかが良く分かる。漢字を使い続ければ、中国人にされてしまうのだ。

中国という概念は、しいて比較すれば、ヨーロッパと概念レベルと同じである。EU諸国に相当するのが現在の中国であり、韓国、日本は域外の国なのである。

ということで、中国という国、あるいは中国人とは何か、というのが日本人にとって理解が難しいのは当然で、ヨーロッパとは何か、についてすぐには答えられないのと同じである。又、「中国問題」で厄介なのは、現在の国境である。歴史的無知が原因だ。それは、清朝=中国と理解する「誤解」から始まっている。清朝は中国ではなかった!!! 清朝は、満州族の当主が清という王朝を建てて、万里の長城以南(明の範囲)では中国の皇帝として君臨し、長城以北の満洲(彼らの故郷)においては部族連合の部族長として君臨し、モンゴルに対しては、ハーンとして君臨し、チベットに対しては、チベット仏教の保護者として、君臨したというのが真相であった。ヨーロッパの概念で言う「同君連合」だそうだ(ハプスブルク帝国のように、一人の皇帝が複数の国の長として君臨する統治方法)。中国は清朝の植民地の1つであったわけで、モンゴルやチベットを領土にしたことなど無いのだ。中華民国・中華人民共和国は、清朝の領土を継承したと称しているが、武力で乗取ったというのが真実に近い。

以上は、歴史家・岡田英弘氏の著書を片っ端から読破して、理解した中国理解のポイントである。京大・東洋史学の泰斗宮崎市定氏や貝塚茂樹氏の著作にはずいぶん親しんだが、うっそうと生い茂る中国史の事実の靄の中で、本質がなかなか見えなかったが、岡田氏の本を読んで、目から鱗の体験をした。 岡田氏は、アメリカに留学する前に、漢文資料を片っ端から漁り、中国史を分かっていたつもりだったらしいが、アメリカで中国研究者(中国人も含む)と交流することで、自分は何も理解していなかった、ということに気づいたという。 

100年以上前に、アメリカの宣教師が中国人について書いた本が今でも読まれているそうだが、最近入手した。「Chinese Characteristics」(Arthur Smith著)である。この夏休みは、じっくりこれを読んでみようかと思う。