2007年11月11日 (日)

きままにおしゃべり(9)脱線編 アマゾネス軍団~エディット・ピアフ~プレベール

東松山で偶然出会ったアマゾネス軍団の美女達が脳裏を離れない。彼女たちは大学のバレーボール部だという。二十歳前後でみずみずしく爽やかでありつつ、匂い立つとまでは言えないが微かな女の匂い。隣のテーブルで飲んでいた我々は皆50歳以上だった。さすがに気恥ずかしくて前回のブログでは写真を掲載できなかった。ああ、永遠に失われてしまった若さと美しさ!?

東松山からの帰り道、上野駅で思い出したようにエディット・ピアフのCDを購入した。2枚組みの「エディット・ピアフ エターナル」。彼女の代表作38曲が入っている。無視していたわけではないのだが、何故かこれまで縁がなく、ふーん、と敬遠していた歌手だった。

2週間ほど前、ジャック・プレベールのシャンソン曲集のCDJe suis comme je suis)を聞いていたら、突然エディット・ピアフの曲が異常な感動を伴って耳に飛び込んできた。「心の叫び」という曲だ。プレベールの詩はいまでも多くのフランス人が作曲して歌われているらしいが100曲を超えるそうだ。いろいろな歌手が歌っているのだが、ピアフの歌唱力はずば抜けている。解説で詩の訳者でもある高畑動氏も「何を歌おうが、たとえ歌詞がくだらなかろうが、その歌声だけで人を感動させてしまう」という。彼女の歌うこの歌は歌詞もすばらしい!うーん、とうなってしまった。

伏線があった。たしか、映画「ブリキの太鼓」のどこかのシーン、瓦礫のなかだろうか、シャンソンが流れて兵士達が聞き入っている場面があって、異常なくらい印象に残る歌声が流れていた。確か、声からしてピアフだな、と思っていたのだが確認しないと分からない。そのときの印象が映像と一緒に「心の叫び」の歌声を聞いたときに甦ってきたのだった。

この一週間、毎日帰宅すると食後のひと時ピアフのCDを聞いている。うーん、マリア・カラスがすごいという人はたくさんいるのだが、まだ私にはそのすごさがわからない。しかし、ピアフは本当にすごいナと実感を伴って思い始めている。マリア・カラスはクラシックであり、ピアフはいわゆるエンターテイナー歌手と言ってしまえばそれまでだが、「20世紀最大の歌手のひとり」であることは間違いないと思う。美空ひばりは、言ってみれば日本のピアフだろう。それとも、ピアフこそフランスの美空ひばりだろうか?

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2007年10月12日 (金)

Elizabeth CottenのFreight Trainを聴く!

1日の仕事に疲れ、夕方帰宅する。金木犀の匂いが漂う玄関を開ければ家の人のくつろいだ雰囲気と夕餉の匂い。ああ、今日も終わった。早速、一杯だ。肴をつまみながらビールを飲む。家の人が小包が届いているよとテーブルに持ってきた。おお、Elizabeth CottonのCDが到着した!

2週間ほど前、ネットサーフィンしながら偶然思い出したようにアマゾン・ドット・コムでElizabeth Cottenと入力したら、驚いた事に画面に出来たのだった。即、クリック。一括払いで購入した。黒人女性のトラディショナル・フォークシンガーである。そして、昔ギター教則本で独学して初めてスリーフィンガー・ピッキングで弾いくことを覚えたのが、このFreight Trainだった。Peter Paul & Maryも歌っていたし、Stefan GrossmanHappy Traumの演奏も聴いたことがあるが、元祖Elizabeth Cottenのオリジナルは長い間憧れだった。昔は何とかオリジナルの音を聞きたいと中古レコードをあちこちで探したがついぞ見つからなかった。探し方が悪かったのか?それが、いとも簡単に手に入るとは・・・トホホである。

夕食が終わって2階に上がり、早速CDプレーヤーを掛ける。2曲目にあのFreight Trainが入っていた。1957年から58年にかけて録音したCDらしい。録音したのはあのPete Seegerの兄だか弟のMike Seegerだという。あの懐かしいメロディーが流れてきた。やっぱりイイナぁ。素朴さの中にエバーグリーンらしい美しさの結晶したメロディである。何度聴いても飽きない。本命以外に聴いたことのある曲は数曲しかないが、それ以外の曲もみなシンプルだが耳に心地よい。歌ははっきりいってうまくない。かすれるようなキーの高い声で時々調子をはずしそうな感じで彼女は歌う。

Freight train freight train run so fast

Freight train freight train run so fast

Please don’t tell what train I’m on

They won’t know that route I’m going

…….

When I die Lord bury me deep

Way down on old

Chestnut Street

Place the stones at my head and feet

And tell them all that I’m gone to sleep

何度も何度も聴いて、シャワーを浴びて、寛いだ気分になって昨夜は熟睡した。

2007年2月 3日 (土)

気ままにおしゃべり (4) 映画「かくも長き不在」で使われていたシャンソン

探していたコラ・ヴォケールのシャンソンCDと歌詞カードが出てきた。「三つの小さな音符」の原題は、「Trois Petites Notes De Musique」。アリッダ。ヴァリが記憶喪失で戻ってきた自分の夫らしき男と二人っきりで、シーンと静まり返った部屋でダンスをする場面があった。バックに流れて来たのが、この印象的なシャンソンだった。字幕を見ながら、なかなかいい詩だなぁ、おお、フランス映画だなぁ、と感じ入ってしまった。

ある日、かつて昔若かりし頃、流行ってい歌を偶然聞く、そこで、ハットしてしまうあなた。忘れていた苦い恋の思いでが蘇ってしまう。そう、あの時君は若かった。ひと夏の恋。女の子は、恋をして若くきらきら輝いていた。若い男に身も心も捧げる積もりだったのに、結局、この男は、最後まで踏み切れなかった。美しい花を摘み損ねてしまった。恋は実らなかった。いつまでも残る悔恨。心の奥底の傷の疼き。 

以下、後半の最後の部分を抜粋する(東芝EMI株式会社 Les Meilleurs de Cora Vaucaire 対訳:橋本千恵子)

Tout reve rime avec s’acheve (すべて夢は消えるという言葉と韻を踏む)

Le tien ne rime a rien (あなたの夢と韻をふむものは何もない)

Fini avant qu’il commence (始まる前に終わっているのだ)

Le temps d’une danse (ダンスの拍子も)

L’espace d’un refrain (歌のフルランの世界も)

Trois petites notes de musique (三つの小さな音符が)

Qui vous font la nique (あなたをあざける)

Du fond du souvenir (思い出の奥底で)

Levent un cruel rideau de scene (舞台に残酷な幕を上げる)

Sur milles et une peines (数かぎりない苦しみ)

Qui ne veulent pas mourir (いつまでも消えない苦しみの上に)

歌っていることはたわいもないのだが、実に言葉が洒落ている・・・と思うのは私だけだろうか。フランス語では、心理の綾をなるほど、言葉でピシリと表現することに長けていなぁ、と思ったものだ。しかし、日本語があいまいで、未熟な言語だとは思わない。日本語の最高芸術と思う「俳句」と比較論をしたくなる衝動を覚えるのだが、私には荷が重過ぎる。

コラ・ヴォケールは、映画「天井桟敷の人々」のシナリオで有名な詩人ジャック・プレヴェールのシャンソンも随分歌っている。昔、フランス語を第三外国語としてで勉強していたころ、アナログのレコードを青山だかどこかの店でみつけて、擦り切れるまで聞いたものだ。 「お葬式に行く2匹のかたつむり」「学校の帰り道」「バルバラ」「枯葉」などなど。今でも、いくつかの歌を諳んじる事が出来る。

(続く)

2007年1月23日 (火)

気ままにおしゃべり(1)アントン・ブルックナー

このところ週末の午後は、ぽかぽかの日差しで明るくて暖かい2階の和室で、ごろごろしながら、本を読んだり、アントン・ブルックナーの交響曲を聴きまくっている。お正月元旦に見たルキノ・ビスコンティ監督の「夏の嵐」で使われていたブルックナーの音楽の余韻の影響だ。バブル景気絶頂の頃、もう今から17年も前になる、1990年前後だがマーラーにのめり込んだ。そして、その直後、ブルックナーに嵌ってしまったのだった。

カセットテープやCDを思い出したように掻き集めて見ると、2番~4番が見つからない。取りあえず、あるもので1番、5番、6番、7番、8番、9番を交互に何度も何度も聴いた。私の好みは、何と言っても8番だ。8番はCD2枚組で1時間近くかかる大作だ。持っているのは、テンシュテットとクナッパーツブッシュ指揮のものだ。 第三楽章のアダージョが素晴らしい。修道院のオルガニストとして「童貞」のまま一生を終えたブルックナーだそうだが、静謐さと宗教的恍惚のようなものが感じられる音を初めて聴いたときは、鳥肌がたった。

ブルックナーは「創造主」をイメージしたのだろうか、キリスト教徒でない私に言わせれば、「奥深く、そしてまた畏れ多き自然界、つまり我らのこの世界を在らしめる根源からの息吹のようなもの」、そういう神秘的な何かが、ふーっと自分のそばにやって来て私に触れる感じだった。最近は、なくなったが、20代~30代によく金縛りにあった。「あの金縛り」が来る直前の状態を表している音だった。誰かが、自分を見ている、誰だ!とハッとするのだが、意識は醒めているのかそれとも半分眠っているのか、そして、体が動かなくなって行って「金縛り」状態になるのだが、その直前の「あの状態」なのだ。それ以外に言いようがないのだが。

そして、8番のこの楽章のある個所に来ると、決まって私は、子供の頃、父の田舎の実家で過ごした夏休みを思い出してしまう。代々地主だった父の実家の周りはうっそうと茂る林だった。今もそう! 樹齢二百年前後はあると思われる大木には、びっしりとアブラゼミやミンミンゼミがたかり、夏の真っ盛り、短い生命を燃焼させていた。早朝と夕刻はヒグラシの大合唱だった。午後は、心地よい風鈴の音を聞きながら、開け放った座敷で昼寝をしたものだ。南向きの庭からは心地よい風が入り込む。アブラゼミのせわしい声とミンミンゼミの王者らしい声を聞きながら、昼寝を貪った。今にして思えば、至福の瞬間ではなかったか? 家の造りが昔風の藁葺きの家だった。広い敷地、人に決してなつかない猛犬と、何が入っているのか謎に満ちた薄暗い蔵、五右衛門風呂、母屋から離れた薄暗い藪のそばにあったトイレ(夜、トイレに行くのが恐ろしかった)。歳の近いいとこや弟と時折、隠れん坊遊びをしたのだが、隠れるところはふんだんにあった。

ブルックナーについては、余談があって、ロンドンで仕事をしていた1998年の秋のこと。ニューボンド・ストリートから、リバプール・ストリートに事務所引っ越しをした。50人近い大所帯が、金融の街「シティ」に引っ越したのだった。建物にはBloombergという金融情報を全世界に配信している企業もテナントとして入っていた。引っ越して、間もないある日、その建物の入り口に、「かつて、ここにオーストリアの偉大な作曲家アントン・ブルックナー氏が、18XX年、ロンドン訪問の折り滞在した場所である」、との説明書きが表示されているのに気づいた。毎日、毎日忙しい仕事オンリーの生活をしていた最中のことだった。「そうなのかぁ」と妙に感心しつつも、周りをゆっくり観察する余裕すらなかった自分に恥じ入ったのだった。

(続く)

2006年10月11日 (水)

音の記憶 ~ グスタフ・マーラーの音楽

クラッシック音楽とは無縁な生活を送ってきた。 決して嫌いではない。 中学生のころは、クラッシックコンサートの時間があって、ベートーベンをよく聞いたものだ。 モーツァルトの曲も聴いたはずだった。 高校時代は、映画音楽とフォークに凝り、大学に入るとロックだ。 やがて、会社に入ると、ひたすら、仕事に没頭して、音楽なんて・・・・・・。

バブル景気真っ盛りの頃。 或る日、確か、小雨が降る冬のことだったと思う。 吉祥寺の街をぶらぶら歩いていたら、マーラーの交響曲5番のあの有名なアダージョのメロディーが突然耳に入ってきた。 足が止まってしまった。 小林秀雄氏が、大阪の道頓堀だかどこか知らないが、モーツァルトの音楽に出会ったように! 

実は、学生のこと、池袋の文芸座地下で、一度ならずこの音楽は聴いていた。 ルキノ・ビスコンティ監督の傑作「ベニスに死す」で効果的に使われていたのは、このマーラーのアダージョだった。 当時は、こんな、映画を理解する能力に欠けていたのか、心地よいけだるい音楽に身をゆだねて、途中で眠ってしまったのだ。 妙に心を揺さぶる音楽だなという印象だけで、映画の主人公は、何故あんな少年に夢中になるのか、理解しがたい思いを抱いたものだった。 それっきり、忘れていたのだった。

それが、突然、吉祥寺の街で、再び鮮やかに蘇ってきたのだった。 躊躇することなく、CDを購入して、その日からマーラーを聞きまくった。 交響曲の1番から9番まで、ズービン・メータ、シノーポリ、バーンスタイン、テンシュテット、ブルーノ・ワルター、ゲオルグ・ショルティなど何でも聞いた。 歌曲も聴いたし、サントリーの宣伝で当時使われていた「大地の歌」(ドイツ語はDas Lied von der Erdeで本来は、この世=現生の歌というのが正しい訳だ)を何度聞いたことだろう。

悪妻と言われた?マーラーの美女妻アルマ・マーラーの回想録や、イギリスの鬼才ケン・ラッセル監督の映画「マーラー」も見たし、柴田南男著「グスタフ・マーラー」(岩波新書)も読んだのだった。

とにかく、マーラーに凝りに凝った。

そして、ある日、ぱったりと、マーラーを聞かなくなった。 何だったのだろうか? あの、入れ込み振りは? 実家の押入れの中に、大切に仕舞ってあるのだが、この数年、指一本触れていないし、音を再生していない。 このプッツン振りをどう説明したら言いのだろうか? 

2006年10月10日 (火)

音の記憶 ~ エリック・サティーの音楽

こんな、しゃれた音楽があるのだろうか? 初めて聞いたのはオランダはアムステルダム。 それも、彼女!の部屋である。 友人と二人で日本食レストランの人から紹介されてしばらく付き合った女の子である。 我々男二人との三角関係の付き合いだった。ブティックで働くキュートな女性だった。名前はアレクサンドラと言った。確か、エボニーという犬と一緒に住んでいた。

ある日、夕食に招待してくれた。 我々男二人に合わせて、彼女はもう一人ガールフレンドを呼んでくれた。 22の会食。 花束を持って、彼女のアパートへ。 我々男二人は、ドキドキしながら、階段を上がっていった。 

部屋は、ロウソクが灯され、なんとも言えないロマンチックな雰囲気だった。 紹介されたダニエラは、びっくりするほど超美人だった。 我々は舞上がってしまった。早いペースで、ビールを飲み、ワインを飲み、酔った。 肝心の何を喋って、何を食べたのか、さっぱり覚えていない。 食後、コーヒーを飲みながら、ふと、皆が無口になっていて、背景に流れている音楽が妙に心に染み入った。 

何という音楽ですか? と聞いてみると、アレクサンドラは、フランスの作曲家 エリック・サティーよ、と教えてくれたのだった。 

しばらくして、私達は、日本へ帰国した。 翌年の夏、彼女は、日本に遊びに来た。 3週間近い休暇でやってきたのだ。 日光、鎌倉、箱根、高山、金沢、福井、京都、鳥羽などを周遊して、最後は、私のアパートにも一週間泊まっていった。アムステルダム時代の友人もやってきて、この時は、またまた三角関係が復活しての奇妙な同居だった。

しばらくは文通が続いた。 1度出張でアムステルダムに寄ったときも再会して、会食をしたりもした。 やがて、時が経ち、音信不通になってしまった。 時は日本がバブル景気で真っ盛りのことだった。 世間は沸きかえっていたが、私は、満ち足りなさを感じて、禅に興味を持ったり、ヨガに凝ったり、哲学書を読み漁ったりした日々だった。 

週末の深夜、静かな住宅街にある部屋で、何者にもとらわれず自由な想念に身をゆだねながら、サティの音楽を聴いていると、何故か苦々しさとなつかしさの入り混じった整理のつかない感情に襲われる。