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2019年6月27日 (木)

イシモチ狙いの夜釣りは不発。アントニー・ビーバーを読み進める。

6月27(水)晴時々曇り

昨日は夕方から2年ぶりの夜釣りを敢行したがあえなく轟沈。夕食の準備と後片付けが終わった18時前、勇んで家を出た。潮は小潮であまりよくないが、満潮は22時ごろ。上げ潮三分から九分まで那珂川河口でイシモチを狙ったがまさかのボウズ。唯一のあたりはクサフグの1尾だけだった。潮は関係ない?むしろ時間帯か。日没2時間後から深夜にかけてバタバタ釣れる経験は過去に何度かあって記憶に残っている。延長戦をしようか。迷った。が、しかし、歳が歳。駄目なときはダメだとあきらめて納竿(21時半)。帰りに那珂湊漁港に寄り道したが釣り人はほとんどいなかった。15分だけ竿を出して、第一投でシロギスを釣り上げて気が落ち着き家路についた。

今日は、いつもの朝の家事をしたあと、再び那珂湊漁港へ。魚の買い置きが切れたのでお魚市場での買い物が目的だったが、1時間半ほど竿も出した。狙いはシロギス。

 Nakaminato5_20190627133901

第一投で20㌢前後の良型がヒット。80㍍近く遠投してサビキながら探っていると何と30㍍地点でコツコツコツ―ンという小気味のいいシロギスのアタリの連打が!心躍る瞬間である。その後も投げるたびに40㍍~20㍍地点でアタリが発生し3尾追徴。初っ端に根掛かりで力糸と25号の天秤おもりとともに仕掛けが取られるトラブルもあった。0.8号のPEと力糸の結び目が脆弱ということにあらためて気づかされる。これで2度目のトラブルだ。1000円近いラインと500円の遠投錘が海に消えてしまってすこしばかり心がいたかった。

手のひらより小さいカレイ

Hirame-karei

冷蔵庫の中はシロギスが10尾となった。今度こそは天ぷらを作ってみようか。

Shirogisu10  

アントニー・ビーバーの「第二次大戦」を読み続ける。北アフリカでのイギリス軍(英国・豪州・ミュージーランド)とロンメル率いる独軍(イタリアがドイツの地中海の護送をする)との戦い。英領マラヤシンガポールの陥落、香港の陥落、蘭領インド、米領フィリピンの陥落。真珠湾攻撃より1時間半早く日本はマレー半島に上陸した。英国に宣戦布告することもなく。チャーチルやルーズベルトにとっての主戦場はドイツが暴れまわるヨーロッパ。日本に対する不安はあったが、見くびっており、チャーチルは2隻の戦艦を新たにシンガポールに配置することで日本を抑止できると考えていた。アメリカもフィリピンの軍事力を増強はしていた。すでに、日本が攻撃をしかけてくることは英米とも予想していたが、日本による彼らの想像を超えた被害にかなり慌てたようである。慌ててはいたが、ソ連のスターリンと同じだった。戦争には勝った、とこの時点で確信しているのだ。この余裕振りは一体何なのだ。戦争に対する見通し(日本は緒戦の半年の展開は想定済みだったがれ以降はまったく白紙だった)のレベルの次元が違いすぎた。

日本に最初の一撃を打たせる英米の戦略は陰謀ではなかった。計算ずくめの冷徹な計算のもとにすすめられた作戦であった。日本は彼らの筋書きどおりに英米を攻撃したのだった。ああ、悲しや。まるで阿呆である。何故、英米をさけて直接に蘭印の石油を取りに行かなかったのか。ハルノートの存在は、事前にアメリカの議会に知らされていなかった。小室直樹氏によれば、ハルノートを新聞等で公表して世界の世論に訴えた上で蘭印の石油を取りに行けば、アメリカは第二次大戦に参戦できなかった、と。岡崎久彦氏はパール・ハーバー攻撃をしなかったとしても、いずれ米英と日本は干戈を交えることになった。しかし、そうだったとしても、真珠湾攻撃がなかったら硫黄島の戦いで休戦協定が成立していただろうと。山本五十六は戦術の天才だったかも知れないが、戦略的観点からは落第生であった。

チャーチルとルーズベルトの間では1000通以上の書簡が取り交わされたらしいがすべてが、今もってすべてが公開されているのではないという。チャーチルの「第二次大戦回顧録」を原文で毎日少しずつ読んでいるが、ルーズベルト宛てのメモ類があちこちに出てくるけれど当然ながら肝心なものは出ていないと推察される。チャーチルは19世紀の人間であり、大英帝国の栄光を一身に背負っていた。一方のルーズベルトは、アメリカ国民と同様、イギリスの植民地主義に対する嫌悪感があった。アメリカの非介入主義者(「孤立主義」というのは、アメリカのモンロー主義=ヨーロッパの政治には一切かかわらない=そのかわり、アメリカの裏庭である南米にヨーロッパは手をだすな、というアメリカの伝統的な国是。このモンロー主義者を非難するためのウィルソン大統領から始まった海外介入積極派による非介入はに対するネガティブなレッテルである。「天皇制」という言葉がコミンテルンテーゼからでているようにマルクス主義史観からくる日本の伝統を否定し、共産革命を起こすことを前提にしたネガティブなレッテルであることと同じである。つまり、特定の立場の人のバイアスがかかっているのだ)。

岩波新書「昭和史」は大変よく書かれた歴史書である。しかし、著者の視点、歴史を解釈するスタンスは、いわゆる「講座派」である。講座派とは、マルクス主義にもとづく歴史観である。彼らの史観によれば、第二次世界大戦とは3つの性格が特筆されるという。同じことは、イギリスの著名なマルクス主義の歴史家エリック・ホブズボームも述べている(「極端な時代 1914-1991」)。

① 帝国主義戦争(英米対日独伊)
② 民主勢力(英米+ソ連)対ファシズム勢力(日独伊)
③ 被圧迫民族の民族解放戦争

①と③についてはまったく同感である。しかし、②は間違っているとは言わないが表現が誤解を招くので言い換えが必要だ。「民主勢力」というのは目くらましの言葉だ。英米の民主とソ連の民主は意味が全く違うのだから。北朝鮮だって人民民主共和国と、民主を謳っている。真相は、「優位にある帝国主義国(英米自由民主主義)」と「赤い帝国主義国(自由民主主義とは無縁の全体主義国家)」によるグローバル版「国共合作」勢力と、「劣位にある帝国主義国(ファシズム、ナチズム、軍国主義であれ、自由民主主義とは無縁の全体主義国家)」との戦いであった、ということだ。「優位にある帝国主義国」と「赤い帝国主義国」と「劣位にある帝国主義国」、つまり、3つの勢力が覇を競うグローバル版の「三国志」であったのだ。だから、1945年の「劣位にある帝国主義国」の敗戦は、第二次世界大戦の終了ではなかった。あくまでも「三国志」の一角が崩れたという意味であって、「赤い帝国主義国」ソ連の崩壊した年、1989年が実質的な終了であった。つまり、「民主勢力」というのは、本来なら相容れない「自由民主主義の英米」と「共産主義・全体主義のソ連」が自らの原則を曲げて便宜上手を結ぶという道徳的な後ろめたさをカモフラージュするための一般大衆にたいするプロパガンダ用語であった、ということである。

20世紀の悲劇は、「社会主義」(インターナショナリズム)と「ナショナリズム」(自民族優先主義)の2大潮流の激闘に淵源がある。その悲劇の度合いも、西洋が生み出した「近代資本主義」が土台とする「テクノロジー」の発達により前代未聞の凄惨さとなった。

日中戦争は、日本が中国に仕掛けた帝国主義戦争であり、中国にとっては民族解放戦争であった。日中戦争の同じバージョンが、1945年以降、朝鮮半島やベトナム、英領マラヤ、蘭領インドで繰り広げられた。イギリスを含む欧州の帝国主義国は、遠隔地アジアで戦力を保持して権益を維持する力はなくあっさりと撤退したが、アメリカは、朝鮮半島とベトナムでドロ沼にはまり前者では引き分け、特に、後者においてはまさに、日中戦争を地で行くような長期戦の泥沼を強いられ結局敗戦と国力の消耗を味わう屈辱となった。しかし、ニクソンとキッシンジャー時代に自ら撤退した、というのがアメリカの自己修正能力の偉大さである。日本が、徹底的に不様な敗戦を自ら招いて、明治維新以来営々として積み上げたすべてを失い茫然自失となるまで転落してしまったのとは大違いである。

英米は決して一枚岩ではなかった。ある意味、同床異夢であった。イギリスから独立した植民地アメリカはむしろロシア革命後のソ連に対する親近感があったことは否定できない。性質はまったく違うが、民が主の、皇帝や王様がいない、共和国であった。ルーズベルトの構想の基本は、植民地主義を否定する点でソ連と価値観を共有し、アメリカとソ連が世界を2分割して牛耳る、それに、アジアは、蒋介石の中国、植民地を清算した大英帝国(植民地がなければ大英帝国は没落するが)の4大国による世界統治だった。ちなみに、ルーズベルトはド・ゴール将軍を毛嫌いしフランスを戦後の世界統治構想からはずしていたが、チャーチルのとりなしでしぶしぶ入れたらしい。ルーズベルトが重用した取り巻きに共産主義者・社会主義シンパが多かった。一部の人間は1990年代のベノナ文書公開でソ連のスパイであったことも実証された。つまり、マッカーシー上院議員が行った左翼狩りは行き過ぎはあったが、主張は間違っていなかったのだ。ルーズベルトは、彼の取り巻きの影響を受けた結果、ドイツの非工業化=農業国化構想、ヨーロッパ大陸全体をソ連に引き渡す考えまで持っていたというから、恐ろしい。テヘラン会議までは楽観主義に満ちていたルーズベルトだったが、さすがに、ヤルタ会談(死の直前)ではスターリンに疑念を持ち始めていたらしい。それでも、ソ連の対日参戦に関連しては千島列島も含む日本の領土や満州での権益(南満州鉄道や大連、旅順などの使用権)までスターリンに譲歩(蒋介石の事前の了解をとることなく)しているのだ。急死したルーズベルトを引き継いだ根っからの反共主義者トルーマン大統領がヤルタの密約を知り茫然自失したのはむべなるかな。

チャーチルは、共産主義にナイーブなルーズベルトへの批判は一切押さえた。チャーチルの側近の証言では、屈辱的なへつらいの態度で接していたという。アメリカの援助なしにはもはや大英帝国は風前の灯であったからだ。1940年5月からのほぼ1年ちょっとはイギリスだけが暴れまわるドイツと孤軍奮闘していた。1941年6月22日の独ソ開戦は天恵であった。チャーチルは、ロシア革命直後に干渉戦争を強硬に主張した張本人であり反共スタンスは筋金入りである。そのチャーチルがソ連へのスタンスを180度変えた。ソ連は難敵ドイツの牙の矛先を受けてくれるのだから、すぐに負けてしまっては困る。頑張れ、ソ連!。すぐさま、チャーチルはスターリンにシグナルを出して、英ソ連携と支援に動いたのだった。疑い深い性格が骨の髄までしみ込んだスターリンは最後までチャーチルの真意を見抜いて疑念を持っていたらしい。一方、天真爛漫なルーズベルトには心底信頼感を持っていたという。何せ、じゃぶじゃぶと援助物資をアラスカ経由、ペルシャ経由でそれも無償で(?)貢いでくれるのだからルーズベルト様様であった。一方のイギリスは口先だけで、援助も時代遅れの役に立たない代物だけだった。

ルーズベルトはチャーチルの、イギリスの狡猾さをしらなかったわけではないようであったらしい。ルーズベルトの取り巻き(親ソ派が大多)は、一貫してイギリスの植民地主義を毛嫌いしていた関係もあり、チャーチル批判が喧しかったという。それを押さえて丁重に扱ったのがルーズベルトらしい。イギリスもソ連もアメリカ頼みだった。ルーズベルト、チャーチル、スターリンの3人の主役は当然ながらルーズベルトであった。そのルーズベルトは第二次大戦の結果を見ることもなくヤルタ会談直後に急死してしまったのは残念である。とくに、回顧録に類する証言を残して繰らなかったことはかえすがえすも悔やまれる。

2019年6月24日 (月)

週末は天候悪し。ビーバーの「第二次世界大戦」を読み進める。

6月23(月)雲り、時々雨

シロギスの天ぷらんは断念。面倒くさい。スーパーで天ぷらの盛り合わせで代替し、7尾のシロギスは素焼きにして酢醤油で食した。シンプルな味で美味。こういう食べ方も悪くない。

終末は天気が悪く、釣行は断念した。日曜日は中潮最後の日で、満潮が夜の21時。サンマの切り身を餌に那珂川河口付近で夕方からイシモチを狙おうと朝からソワソワしていあのだったが、冷たい風が吹き、夕方からパラパラと雨。残念であった。

その代わり、2階のベッドにゴロリとなって3月以来休止していたアントニー・ビーバーの「第二次世界大戦」に再び着手。3章ほど読み進めた。

以下、その雑感:

独ソ戦開始とともに始まった戦線の背後で行われた陰惨な大量殺戮(ユダヤ人、戦争捕虜、一般市民、はたまた、ドイツ国内の精神疾患者の安楽死)はうんざりする。

7月になると英国とソ連で協定が結ばれるが(共同でドイツと戦う)、その直後、米国のルーズベルトの特使ハリー・ホプキンスがスターリンに会いに来る。現状の確認である。アメリカ大使館の軍事専門家が5~6週間でソ連は負けると考えていたが、ホプキンスはソ連は持ちこたえると結論してルーズベルト大統領に報告するくだりがあるがその判断の根拠は何なのかは本で示されていない。

ソ連に対する英国の援助と米国の援助には雲泥の差があった。イギリスの物質的援助は旧式の戦闘機や戦車で使い物にならなかった一方、アメリカのそれは軍需物資を始め食糧など圧倒的だった(議会の承認を得るために実際にソ連に届いたのはほぼ1年あとのことらしい→グロムイコの回顧録にもあった)。1945年、ソ連がベルリンに快進撃したジープや輸送車はアメリカ製であった。同様に、満州に攻め入ったソ連軍の移動に使われたのも同様であった。

スターリンは、チャーチルに、ドイツの同盟国軍として参戦しているフィンランド、ルーマニア、ハンガリーに宣戦布告するように要請したがなかなか応じなかった。冷酷な計算、つまり、ソ連は負けるだろうという様子見。チャーチルにしてみればソ連ができるだけながく持ちこたえてドイツとたたかっている間に、大英帝国の防衛固めながらドイツとの長期戦を戦い抜く体制を作っていくという冷徹な戦略の計算があった。スターリンはスターリンで、ドイツと西側の帝国主義国との血で血を洗う戦いで消耗させたかった。

ビーバーの筆致では、ルーズベルトのアメリカのソ連支援はまったくの善意、他者への施し的なものだったという書き方をしているのだが、これには疑問符がつくであろう。すでに世界の超大国であったアメリカは、第一次世界大戦においてそれまでの伝統的な国是であった孤立主義を捨てたのであり、この時期は内向的になっていたが、ルーズベルトのリーダーシップは、世界の秩序の混乱要因であった日独伊らの遅れた資本主義国の独裁国家による乱行をイギリスとソ連でが戦うのを支援して、漁夫の利を得ることで世界に君臨する(アメリカ的な民主主義と産業・商業主義を広める)ことを目指していたのだった。

スターリンのずうずうしさ:イギリスのモスクワ大使に、ポーランド東半分やバルト三国、ルーマニアなどナチスと共謀して獲得した領土(かつてはロマノフ王朝の領土であった)を戦後に承認してほしいという要求している。ハリー・ホプキンスのソ連は負けないという判断は、スターリンを始めクレムリン指導部のこのような余裕?から推察したのだろうか。

イギリスとソ連の侵略:ペルシャ(イラン)は中立国だったが、石油資源とコーカサスへの輸送ルート確保のために共同で軍を派遣して押さえた。戦略上の必要から行ったことだろうが、著者はinvade(侵攻、侵略)という言葉を使っている。日本の仏印進駐(英米の蒋介石支援ルートを封鎖するため)と同じことである。

ゾルゲのことも出てくるが、真珠湾攻撃の直前、フォン・ボック将軍の独中央軍がモスクワまで100キロと迫ったところで、ジューコフのソ連が反撃にでる。そこでの主役はシベリアから送られた精鋭部隊であった。ちなみに、孫崎氏の本「日米開戦へのスパイ」では、シベリアの精鋭部隊をヨーロッパに移動させる決断はゾルゲ情報が出る前の時点ですでになされていた(ジューコフの要請によりスターリンが決断)という。ソ連にとっての心臓はソ連の西半分であり極東はいったん捨ててもいいという背に腹は代えられない覚悟での決断だった、と。ゾルゲ情報が決定打となってソ連を救ったというのはすくなくとも事実ではない。

ソ連の強さとは広大無辺の空間と過酷な気候(冬)、無尽蔵と思えるほどの資源(人的および物理的の両方)。総勢150万のドイツ精鋭部隊が蹴散らしても蹴散らしても、どこからか湧いて出てくる戦闘部隊。攻め入って気が付くと長く伸び切ったロジスティック・ライン。分断とゲリラ作戦による後方攪乱。過酷な冬。精神も肉体もやられ戦意を失っていくドイツ軍。

アメリカもロシアもそして、中国も(そしておそらく、インドも)等は別次元の存在である。nationa state(国民国家)を超えた何かである。現状では他の多くの国と同じ振る舞うことを原則とする国際法にしばられる存在ではあるが、いざとなれば、私のいうことが法である、という行動を取れる潜在的能力を持っている。「封じ込めができない存在」とも言える。最悪は、どんな形にせよ自給自足が可能。

ルーズベルトもチャーチルもスターリンもそれぞれの国柄を背負った上での有能で稀有な「独裁者」であったと言えるだろう。ヒトラーという独裁者を持ってしまったドイツは不幸であった。ヴェルサイユ条約という欠陥だらけの平和協定がドイツに押し付けられなければヒトラーは登場しなかっただろう、と言う一部の主張があるが、歴史におけるifだとしても、十分根拠のあるように思える。残念でならないのは、日本にこれら第一級の政治家と伍していける賢明で有能な政治家がいなかったこと。いたとしても、陸軍のテロで暗殺され、結局は1945年の運命を免れなかったのだろうか。

2019年6月19日 (水)

なかなか爆釣モードにならない釣り。ゾルゲスパイ事件について。

6月13日(木)晴れたり曇ったり~6月19日(水)晴れたり曇ったり

またまた日記とご無沙汰してしまった。

イシモチ釣りがなかなか爆釣モードにならない。2時間から3時間やって1尾か2尾ではどうしようもない。釣れないわけではないが時合、バタバタっと押し寄せる生命の息吹みたいなものがないのは寂しい限りだ。どういうことなのだろう。

6月13日の一尾(イシモチ26㌢)@那珂川河口

Ishimoti-26cm

イシモチのボンファム風。

Bonfamu

6月14日の3尾(シロギス3尾、18~19㌢)@那珂湊漁港

Shirogisu-3

本の整理がとまったままだ。コンマリさんの言う通り思い切りが大事だ。もう2度と読まない本はどんどん捨てよう、と思いつつ捨てきれない。
グッバイ・トゥー・ブックス。お別れするにしても今一度何等かで手にして買った本なので確認して処理してから捨てよう、そう思い始めている。その一環ということではないけれど、昔ドイツ語を習いたてのころ、19世紀の作家でシュトルムという人の対訳本を読んだ。整理したら出てきたので先週家籠りしていた間に、毎朝一つずつ読んだ。「広間にて」「マルテと彼女の時計」「陽を浴びて」。高橋義孝訳のみ「みずうう」、「ヴェローニカ」「大学時代」も再読した。

Storm

北ドイツ人のシュトルムは法律家。南ドイツ人のカロッサは医者。創作者(Dichter)としては2流だとは大学時代のN先生の言。カロッサは、第一次世界大戦に軍医として従軍した「ルーマニア日記」を読んだことがある。未読の岩波文庫「美しき惑いの年」を読み始めることにした。毎朝、一篇ずつ。

 

さて、孫崎享氏の「日米開戦へのスパイ」について。

ゾルゲスパイ事件というのは東条英機が近衛文麿政権を崩壊させるために仕組んだ政治的な陰謀だった、というのが同氏の主張で驚いた。日米交渉にあくまでこだわって開戦阻止に望みをかけていた近衛文麿だったが、巌のごとく立ちふさがる陸軍に脅され、ずるずると譲歩を繰り返していた。日米開戦は9月にすでに決定していたが、11月になっても非戦に望みをかけ、ルーズベルトと直接交渉し、天皇陛下の聖断で開戦を阻止することも考えていたようだが、結局、意志薄弱もあって実現することなく、政権を放り出した、と従来はされてきた。しかし、ことはそんな単純な話ではないらしい。

そもそもゾルゲ・スパイリングというのはそれほどおおがかりなものだったのか。赤軍情報部のゾルゲの親分はスターリンの粛清にあい処刑されていた。ソ連崩壊後の資料では、ゾルゲ情報の信用度は低かった。ゾルゲはドイツのスパイだと疑われていたのだ。スターリンは複数の情報網があり、赤軍情報はそのひとつにすぎない。独ソ不可侵条約を破ってヒトラーがソ連を攻める情報はあらゆるところからスターリンには来ていた(チャーチルも私信で警告していた)が、スターリンは信じなかった。そもそも、スターリンの大粛清という凄惨な粛清劇は、ドイツ諜報機関の仕掛けた偽情報をスターリンが信じたために自ら引き起こしたというトラウマがその原因だったらしい。

死刑になった後も祖国ソ連では無視され続けたゾルゲだったが、1960年代半ばにひょんなことから英雄として称えられることになった。冷戦の最中である。ゾルゲ事件は、冷戦下のアメリカによる反共政策(赤狩り)に利用された面もあり、その反動もあったのだろう、ゾルゲの顕彰はソ連側の反資本主義プロパガンダであったようだ。

そして、現在知られているゾルゲ事件だが、ことの真相の一面だけが冷戦時代によって極端にゆがめられたまま現在にまでいたるのだ、というのが孫崎氏の主張である。ゾルゲは自分の情報をソ連だけでなく、いわゆる反ファシズムのスタンスを取る人には分け隔てなく提供していたらしい。それというのも、自分がソ連で評価されていないことへの不満があったからだ。ゾルゲの情報は、実はアメリカやイギリスやフランスの要人にも提供されていた。ゾルゲ・スパイリングの情報は、もっと上のレベルの国際的な諜報ネットワークの中で流通していた。

一つの手がかりは、イギリスのMI6の大物スパイであったキム・フィルビー事件で疑いをかけられていたフィルビーがベイルートからソ連へ亡命した(1961年)ことが切っ掛けとなって、スキャンダル(ソ連側のプロパガンダ的な暴露を恐れて)を恐れたイギリス諜報機関が先手を打って出版した本A man called intrepid(イントレピッドと呼ばれた男)である。この本には日本に関する部分でそれを暗示する記述があるのだという。

暗号名イントレピッドというMI6諜報員がやったことは、第二次世界大戦中にチャーチルがルーズベルトと話をつけて、イギリスの諜報機関がアメリカ国内で堂々とアメリカを戦争に参戦させるため行った世論誘導作戦=アメリカの孤立主義派追い落としキャンペーン(リンドバーグなどの有力な孤立主義者を貶めるキャンペーンを張ったり、ハリウッドでは反ナチス映画を作った)である。

ゾルゲの日本国内の情報ネットワークには、実は執行猶予とはなったが事件に連座した共産主義者・西園寺公一(西園寺公望の息子)がいるほか、陸軍(特に、皇道派)ともつながっていた。しかし、陸軍には司直の手は伸びていない。況や、英米他の関係筋についても同様である。今日までゾルゲ事件の研究からはこの部分が抜け落ちたままなのだ。

Sorge

終末は1ヶ月ぶりの上京。叙々苑でYちゃん親子と焼き肉を賞味した。

Jojoen

その前後も含めてこの数日は、某通信添削に関わることに没頭、なれないこともありエネルギーを消耗してしまった。続けるべきか、やめて、もっと単純で歩合のいい仕事をするべきか。

一段落した明日は降水確率30%だが、早起きして久しぶりの釣りに出かけようかと思っている。大潮で絶好のタイミングだ。大釣りは大潮直後の中潮とはいうらしいが。

2019年6月11日 (火)

梅雨入り。家でくすぶる日々。

6月11日(火)曇り、時々雨

先週金曜日から今日まで、天気が崩れた。梅雨入りである。気温は下がる、雨が降る、風が吹きまくるという悪天候で、家に閉じこもったっまま家事(毎度の食事の世話)をしながら、読書に没頭。

この一週間はもと外交官・孫崎享氏の「日米開戦の正体」と「日米開戦へのスパイ」の力作2冊を読破した。前者は500㌻、後者は340㌻近い膨大なものだが、学術論文とは違う文体で読みやすかった。

満州事変からシナ事変、そして真珠湾攻撃と1945年の敗戦。著者は、軍事史上最悪の愚挙「真珠湾攻撃」に至る道のりの淵源を日露戦争の結果締結されたポーツマス条約を日本が当初から勝手に間違って理解していたことにあると指摘している。条文を読めば、南満州鉄道の利権がロシアから日本に移されただけであって、満州そのものの主権は清朝(1912年以降は中華民国)であることが明記されているのが、日本では、「満州は日本の権益」というものにすり替わって行ってしまった。伊藤博文は本来の意味を明確に意識してしており大陸進出へは慎重な構えだったが、対立する山県有朋は「満州の権益」積極派だった。伊藤が暗殺されたことにより、山縣の大陸進出派が力を得ていく。この流れができてそれが1945年の敗戦に行きついたのだ。

また、著者によれば、日露戦争で勝ったけれど、戦費(外債)の償還と満州利権を維持する経費としての軍事費だけで国家予算の60%をしめるようになったことは、国民の生活を犠牲にした上でとてつもない無理を日本に強いる経済問題を引き起こし、日本に社会不安を作り出していったことが真珠湾に繋がっているとも指摘している。

真珠湾攻撃までの流れを追っていくと、結局、要所要所で、満州(満蒙)権益をベースにした陸軍(と現地の関東軍)と利権集団が「巌」のごとく日本の政治と外交(国際協調路線)の前に立ちはだかり自分たちのペースで満州→中国本土侵略→ベトナムと南進に向けて(国際敵対路線)勢いを増しながら真珠湾攻撃に向かっていく姿に、改めて唖然とするばかりである。

全ては、日本人の国際環境における自らの力を客観化する能力のあまりのお粗末さ、日本の不敗神話のもとリアリズムの欠如した自己の力の過信、中国への侮蔑、第一次世界大戦後の新しい政治意識=民族自決の潮流への無理解、他民族へのシンパシーの欠如、英米帝国主義を批判しながら、中国や朝鮮、台湾で帝国主義をする矛盾を冒し、本来できるはずもない身の程知らずの妄想を抱き続けて(近衛さんの「英米本位の平和秩序を排す」はいいのだけれど、やり方があるだろう!)破滅への道を突っ走ってしまった。アメリカの陰謀を言う前に、やすやすとその筋書きにそって、ド派手に真珠湾攻撃をやらかした日本とは一体なんなのか?

軍部の独走というけれど、おぼろげに見えてくるのは、時々の状況にあわせて時流に乗った権力に迎合して自分もその権勢にあずかろうとする日本人の性向に行きつくと、著者はいう。外交を任された外務省を例にとれば、吉田茂は、戦前においては、対中国積極論者となって自ら陸軍に迎合して外務次官になった過去が戦後においてきれいさっぱり忘れ去られていると指摘。佐藤尚武、牛場友彦らもそうであった、と。そして、そんな過去をもつ彼らは、節操もなく、戦後はアメリカという新しい権勢に迎合したのだと。外務省の伝統であった英米協調主義を体現する幣原喜重郎らの伝統に背を向け、時の日本国の権力中枢であった陸軍に迎合し権勢に預かりのし上がった一群の人々がいたからこそ陸軍の独走が可能になったのだと。エリートの節操のなさ、責任感のなさ。国益がかかった場面で、間違っているのではないか、と思っても保身、自らの利益などから変節し、時の力に身を委ねる無節操ぶりが見えて来る。外務省ばかりでなく、権力を監視するマスコミが軍部を応援した罪も大きい。(これは、日本ばかりだけではないように思うが・・・・)

ライシャワーの「権威に弱い日本人の全体主義的な無差別奴隷社会」が開戦前の日本であった、という言葉が耳に痛い。余裕しゃくしゃくの豊かなアングロサクソン社会の人々の本音であろう。著者は、これは、戦後も変わっていないのだという警鐘を鳴らす。つまり、日本人一人一人の民度の問題なのだ、と言う。いう所は、戦後豊かになったにもかかわらず日本人は変わっていない。権威・権勢になびく度合いがひどい。小室直樹氏の「腐朽官僚制」の構造的な日本の問題とならぶシリアスな日本が克服すべき宿痾。

外務省の荻原徹氏の「大戦の解剖」からの引用:大戦を振り返って一番驚くことは、戦争の始めから、この戦争そのものに対する彼我の考え方が根本的に相違していたことだ。日本の当局は始めから「この戦争は、ある地域を占領して頑張っていれば、向こうが嫌になって結局妥協で戦争を終わりえる」と考えていたのに対し、アメリカ側は、はじめから、あくまで東京を占領して、再び日本が侵略をおかし得ないようにしなければならないと考えていたのである・・・・・。何といっても決定的な誤算は、アメリカが妥協によって戦争を終わるという判断であったというべきであろう。

そして、悔やまれるのは、ポツダム宣言の受諾は、あくまで突っぱねる陸軍を前に天皇陛下が「ご聖断」をして決着したが、開戦の際に何故非戦のご聖断ができなかったのか。「独白録」で非戦を詔勅すれば日本に内乱(革命)が起こることを恐れた=つまり、幽閉か、場合によっては、首を取られることを恐れた、ということらしいが、敗戦後マッカーサーに戦争の責任は自分にあるから自分の身の覚悟はできている趣旨をのべるくらいだったら、なぜそのときに命をかけて阻止しなかったのか。戦犯に指定され自殺した近衛文麿も同じである。そして、真珠湾攻撃が延期されていたら、真珠湾攻撃時、ドイツがモスクワ目前でストップたわけで、ドイツの勝利が怪しいことが判明し、真珠湾攻撃は実施されなかった可能性が大きい。

以上、「日米開戦の正体」の雑感。「スパイ」のほうは後日また・・・。

Nichibei

週末から本日まで天候で釣りは出来なかった。先週の木曜日、3時間ほど那珂川河口で竿を出したが、1尾の貧果。ボウズではなかったが、陸釣りはまだまだのようだ。

Kakou Ishimo

2019年6月 5日 (水)

ホトトギスが来た!

6月5日(水)晴 

明け方直前、夢うつつのなかでホトトギスの「特許許可局」と聞きなされる待ちわびた声が聞こえてきた。今年もやって来たホトトギス。目が覚めるとまだ外は真っ暗であった。再び、寝入る。

自宅で療養しながら本を読んだり釣りをしたり、母のヘルパーをしたりしながら、3月ごろから左肩が痛くなったり、5月連休明けは水疱瘡になったりで体がいやがおうにも老年段階に突入したことを実感する今日この頃である。

左胸と左側の背中の神経通がいちばんひどかった時、アメリカのトランプ大統領が訪日していた。不動産ビジネスを地で行く交渉スタイルのこの人に、世界は右往左往だ。北朝鮮の金さんの目論見(自分たちの立場がよくわかっていない豊か国・韓国の左翼政権の擦り寄りを利用して経済的苦境の打開をはかる)は、最後の最後でトランプさんに卓袱台返しがあったのが2月末。自分のロシア疑惑にからむ国内問題はまだくすぶっているがどうやら乗り越えたようである。メキシコとの国境の壁の予算問題はどうなったっけ? 目下最大の争点は、米中貿易戦争。エスカレートし出口が見えない状況だ。ファーウェイ潰しは、1980年代の日本が開発したコンピューターOSのトロンを思い出してしまった。トロン潰しによってアメリカのビル・ゲイツのウィンドウズが世界制覇することになったのではなかったか。

まあ、そんなの、俺には関係ねぇ、とまでは言わないけれど、国際社会の現実は厳しい。国家間の紛争を調停する機関というのは一応あることはあるけれど、収拾がつかなければ、結局、武力行使=戦争になる現実に変わりはない。米ソ冷戦と同じで、直接の力の行使はないであろう。あるとすれば、弱くて不安定な場所が犠牲になる。朝鮮半島はその一つだ。アメリカ勢力(日本はその子分、で韓国も本来はそう)と中ソ勢力
(北朝鮮はその子分なのだが、韓国に似た対応を親分衆にとっている)が対峙しているかぎり、朝鮮半島の統一は無理である。東ドイツが西ドイツに吸収されたのは、ポーランドやウクライナなどの独立国が緩衝地帯としてソ連とドイツの間にあるからできたことだ。それが、ドイツと朝鮮半島の違いだ。

ジョン・ミアシャイマーの「大国の悲劇」を時折パラパラ読んでいるけれど、アメリカがモンロー主義から離れた20世紀初頭、つまり、ウィルソン大統領時の第一次大戦参戦だが、アメリカは「ヨーロッパに平和をもたらすために参戦したのではない」と言っている。国力というのは、世界の力関係のなかにおいて自己の力を確保(サバイバル=生存本能)すると同時に拡大するという盲目の意志があるのだ、という(私なりの言葉にすると)。一国の運命を操縦する政治家は、究極的にはこの盲目の意志に突き動かされて判断し決断しているにすぎない。

トランプさんの来日は「令和」時代に入ったかつての敵国であり、いまや、新しい冷戦相手である中国の最前線である同盟国日本への仁義切りでもあったろう。それ以上に、息抜きだったかも・・・。1990年代前後のジャパン・バッシングが、いまや、チァイナ・バッシングの時代。米中の力関係はまだ米国が優位。一位の立場をおびやかす中国を蹴落としを露骨に取り始めた。トランプさんじゃないとできないだろう。オバマさんやクリントンさんなどのソフト派では無理だ。アメリカ国民の無意識が選んだ大統領だ。

この2週間で集中的に再読した本:


「日米・開戦の悲劇」 ハミルトン・フィッシュ著

Fish

「日本の失敗」「大東亜戦争ここに甦る」 いずれも小室直樹著

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「昭和史」(岩波新書)
「決定版 日中戦争」(新潮新書)

Showashi1   

いずれ自分の言葉で総括したいと思うけれど・・・今は、事実と解釈の整理をしている段階。満州事変、シナ事変が拡大して大東亜戦争(イギリスは極東戦争;アメリカは太平洋戦争)とエスカレートして墓穴を掘った日本だが、小室氏の指摘:日本には戦争設計がなかった。ぐさりとくる言葉である。日清、日露とちがって、戦争目的が明確ではなかった。陸軍、海軍のなかでも見解が割れ、かつ、それぞれの省益が優先して国益が後まわしになってしまった責任は誰が負うのか。

日本には、ルーズベルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーのようなすぐれた指導者=政治家がいなかった。ヒトラーのような指導者は願いさげだが。東条さんがヒトラーだって? ちゃんちゃらおかしい。東条さんは軍官僚としての秀才であった。部下の面倒見もよく気遣いの人ではあった。優秀な官僚は最悪の政治家(マックス・ウェーバー)。政治家と将軍は勉強だけでは作れない。平時にはいいけれど、危機の時は役にたたない。戦争屋と揶揄されたイギリスのチャーチルは、秀才ではなかった。勉強ができなかったが、国語(英語)はよくできた。若き日の従軍体験を本にして印税を稼いだ。彼のウィットの効いたスピーチは独特で、彼にかなう人はそういなかった。小室氏は、日本のエリートの世界の歴史に対する無知を嘆く。日露戦争は、あそこで講和を結ぶべきではなく、断固として戦いを継続すべきであった、と。チャーチルの歴史と軍事への造詣は深い。東条さんは、危機を乗り越えるヴィジョンを持って行動する政治家ではなかった。前例主義を着実にこなす官僚だったのだ。順風満帆の時なら前例を踏襲する中での組織のまとめ役、すぐれた調整者として花咲いた人であっただろう。

20世紀前半の日本は確かにアジアで覇を唱える強国ではあったけれど、中途半端な強さだった。自滅崩壊した清朝の大混乱(軍閥がそれぞれの地方=といっても、一国の規模だが、割拠する)とソ連という共産主義帝国と国境を接し、世界的な不況の中ブロック化した経済環境により日本商品が大英帝国圏や米国(いずれも高関税が課された)の締め出しにあい、経済的活路を見出そうとすれあ中国大陸しかなかったのは事実。

1945年の敗戦のおおもとの原因、日露戦争の果実であった満州利権のこだわりを非難することは簡単だが、当時において日本国民を食わせるために(明治維新当時の人口は3000万;太平洋戦争当時の昭和の人口は8000万)政治は何をしなければいけなかったのか。いずれ、中国は統一され、第一次世界大戦の結果できた新しい潮流(ウィルソン主義)により植民地は失われるものだとしても、満州利権へのこだわりと中国大陸での商業的活路を見出すことは日本の必然であった。よき政治指導者がいて舵取りをしていたら、もっと違った歴史の軌跡を日本は辿ったであろう、というのが小室氏の考え。人を得ること、つまり、教育の問題に行きつく。(「日本の失敗」)。

小室直樹氏は、シナ事変では断固として蒋介石の中華民国をたたくべきであった、と主張する。そして、「澎湃として起こった中国のナショナリズムによる排日・侮日による在留邦人保護対策」が目的であったとするなら、第2次上海事変では、一気に南京を占領すべきであったと。ヒトラーのフランス占領を地で行く「電撃作戦」である。そして、蒋介石と講和を結ぶ。講和内容は、日本がやった内容吊り上げではなく、寛大なもの(満州の承認は要求しない=実質的に中国は日本の利権であることを認めていた;不平等条約の破棄;北支からの撤退)をすべきだった。

実際には、上海で苦戦をして南京首都の占領には3ヶ月もかかり、蒋介石(日本と講和をして共産勢力を潰したかった)を相手としない近衛声明をだし、トラウトマン調停でも中国への要求を吊り上げた(中国人が絶対に呑めない要求をした)。結果として、同じ、不平等条約をおしつけて利権をむさぼっていたのにイギリスやアメリカと同列の帝国主義国日本だけが、中国の敵としてクローズアップされ、いつのまにか、西欧諸国は中国の味方となり、中国のナショナリズムの矛先が日本だけに向くという最悪の状況を作り出してしまったわけだ。

小室氏は英米との戦いも、シナ事変を上記のような迅速な処理をして戦争目的=中国との平和を即座に実現していれば展開はちがっていたと説く。蒋介石は講和を希望していたが、近衛声明とトラウトマン仲介交渉での日本側の要求の吊り上げで、前年の西安事件もあり、共産党と手を握って日本と徹底的に戦うことになってしまった。講和ができていたら、100万の陸軍を中国大陸に張り付けることでかかる膨大な戦力と経費を対英米戦争に使えるわけで、対英米戦争でも、勝つチャンスがあったというシミュレーションをしている。経済的に圧倒的に強かったアメリカをベトナムが破ったように、アフガニスタンがソ連を破ったように、決して無謀な戦争ではではなかった。日本に第一級の世界情勢を理解した戦争設計者がいなかったから、戦い方が拙劣を極め、場当たり的な対応に終始し、ずるずると負けるべく戦争をしてしまった、というのが同氏の結論である。日本は三流の戦争指導者で墓穴を掘ってしまったということ。

昨日は、午後の3時間、那珂川の河口で竿を出した。ライントラブルが続出して、遠投がうまくいかなかった。3尾以上を目標にでかけたのだが
結果は2尾(27㌢と24㌢)。

Ishimochi_2

 

 

2019年4月27日 (土)

寄り道で「第二次世界大戦下のヨーロッパ」を読了。

4月26日(金)曇り、一時小雨

5時に目覚めて7時過ぎまで「裏切られた自由」を読み続ける。

朝食:カレーライス、バナナ
昼食:ホウレンソウとジャガイモ入りのバジルパスタ、パイナップル

Bajiru

夕食:メバルの煮つけで赤ワインを飲む。今夜もジャガイモごろごろのカレーライス。

世間では、今週末から始まる10連休と平成が終わり「令和」時代にはいる秒読みで盛り上がっている。のだが、私には関係がなさそうである。元号が変わることについてはそれなりに感慨はあるけれど、連休は、特に予定もないし・・・。

寒さがもどって外出する気分にもならず、父がデイケアに出かけてから、2階で読書を続ける。本の整理を中断したままだが、ふと目に入った笹本俊一氏の「第二次世界大戦下のヨーロッパ」(岩波新書)を手にしてパラパラとめくると、まさに、「裏切られた自由」で読んでいる時期前後について日本人ジャーナリストが欧州にいてその体験を回顧しているではないか。読み始めたらこれがまた面白くてとまらなくなった。スイスのベルン、ブダペスト、独ソ戦開始後は、ドイツ軍の後方部隊のハンガリー軍の広報取材グループに入り東部戦線の取材をして、ソ連軍の迫撃砲の攻撃にあったり、イタリアのカプリ島、トルコのイスタンブール、ドイツ占領下のパリ、敗戦濃厚となったドイツの帝都ベルリンの日々など、自己の個人的な体験も交えながら新書本なので分量はそれほどではないけれど、戦後25年たった1970年に発表されたもの。

Sasamoto

食事と買い物の外出の中断をしながら、終日読み続けた。

ルーズベルトが構想した第二次大戦で勝利後の世界平和とは米・英・ソ・中(蒋介石の中華民国)の4大国による世界統治であった。肝心の中国はカサブランカ会談で招かれた後は、刺身のつま扱いで、実質的には、ルーズベルト、チャーチルとスターリンの3巨頭による世界分割のつばぜり合いとなった。チャーチルは、大英帝国を守ることを目的にヒトラーを破ることが当面の目標でスターリンと手を組んだだけで共産主義の危険性は十分理解していた。ヒトラーを倒すためならあえて「悪魔」との取引きも辞さなかった。

I have only one purpose, the destruction of Hitler, and my life is much simplified thereby. If Hitler invaded Hell I would make at least a favorable reference to the Devil in the House of Commons (「裏切られた自由」226㌻)

海千山千のスターリンも良く分かっていた。一方で、ルーズベルトは金持ちのボンボンで、スターリンが統率する共産主義に対して全くの無警戒ぶりであった。戦後から冷戦時代においては米ソ2大超大国とは言ったけれど、それまではアメリカの力が圧倒的に強かった。ルーズベルトは、アメリカの力でソ連の共産主義を御し得ると終始一貫しておおらかに考えていたようだ。何というナイーブさ。

ヤルタ会談からはスターリンとルーズベルトが手を組んで、チャーチルを抑える図式になっていった。チャーチルは、顔を真っ赤にして爆発しそうになるのを我慢する場面もしばしばで、ルーズベルトがとりなしつつスターリンの片を持ったようだ。

笹本氏は最後の章で、一番若かったルーズベルトが一番先に、ドイツ敗北前になくなったことを惜しんでいる。チャーチルと順番が逆だったら戦後世界はかなり違っていただろうと。ヤルタ会談で、ルーズベルトは健康の理由で判断力が極端に落ちてとんでもないしくじり(ソ連の日本参戦の取引材料としてあっさりとスターリンの領土的要求を認めたこと)をした、ということについては、否定的な見解を示している(文献も上げている)。つまり、あのような凄惨な実際の冷戦は回避できた可能性がある、ということを言っているのだが、これについては正直のところ違和感を覚えた。

独ソ戦開始の当初の3か月でソ連を蹂躙する予定だったドイツ軍だが、頓挫してしまう。いつもより早く訪れた冬と広大で道らしい道がないロシアの大平原は西部戦線とは勝手が違った。ソ連軍を蹴散らしてモスクワまであと少し(100キロ前後)に迫ったところで、ソ連は12月6日、新たな100個師団!の軍事力が投入されて主力に対する反撃を始める。6月22日のドイツによる攻撃がスターリンにとって驚きなら、12月6日のソ連の100個師団による反撃はそれに勝るとも劣らないドイツ側の驚きだった。ここでもうソ連の負けはほぼ無くなったということだろう(100個師団には極東師団のかなりの戦力が加わっていたようだ)。イギリスでもアメリカでも軍事専門家は短期でのソ連の負けを予想していたらしいが、チャーチルもルーズベルトもソ連は持ちこたえて長期戦になるとのコメントを発表(ルーズベルトは9月の段階ですでにこの見通しをもっていた)していたことは注目に値する。12月6日のソ連の反撃は真珠湾攻撃の前日(日本時間の12月8日未明はヨーロッパではまだ12月7日)であることもそうだ。ドイツがソ連を席巻することを見込んで(前提に)、英米に開戦した日本だったが、このタイミングは微妙である。ソ連の反撃がもっと早く始まっていたら、あるいは、日本の最初の一撃が12月8日ではなくあと一ヶ月後に予定されていたら、日本は真珠湾攻撃をしただろうか?

ノモンハン事件と独ソ不可侵条約が関連しているように、独ソ戦と日米開戦も密接に関連している。独ソ戦が始まった際にチャーチルは「これでイギリスは負けなくてすむ」と語り、真珠湾攻撃の当夜(ヨーロッパに参戦するかどうかはその時点未定)、チャーチルは「これで勝利する」と確信したという。独ソ戦のきっかけはポーランド問題で、英仏がポーランド保証をしたこと。真珠湾はハルノートによる日米交渉の手詰まり。それぞれの背景において英米の政策決定の裏には何があったのか。

余談だが、笹本氏が休暇でカプリ島に足を運んだ際に活きた海老と鱸のグリルが忘れられないという個人体験を語っている。カプリ島ではない
が私もイタリアのこの種の海鮮料理を味わったことがある。まったくの同感である。


夕食後、2階で最後の章を読み通し、笹本氏の著書を読了した。

 

 

2019年4月 4日 (木)

「天皇と原爆」を読み続ける。

4月2日(火)晴、後曇り

朝食:笹かまぼこ、マイワシの生姜煮半分、ミネストローネスープとご飯少々

朝刊の第一面は新しい元号「令和」の報道一色。4月1日は欧米ではエイプリル・フールだが、西オーストラリア不動産協会=The Real Estate Institute of Western Austraria (REIWA)は、日本の元号を歓迎するとの声明を発表したらしい。ジョークではないという。米国のオバマ大統領が初当選したときに、福井県のObama市が話題になった。名前の偶然の一致というやつ。元号は地球上で日本にしか残っていない、らしい。元号には西暦と違ってある時代のポジティブ・ネガティブな様々な出来事を含めた意味を象徴する働きがある。キリスト教的な未来の最後の審判にむけてひたすらすすむ時間に寄り添って生きる人たちにはぴんと来ないものだろう。

昨日ハッスルしすぎたのか今日は体がだるく物憂い気分。午前中は、ベッドに潜り込んで西尾幹二氏の「天皇と原爆」を読み続ける。あっちの章をよんだりこっちの章を読んだり。午前中で9割がたは読了した。

 

「政教分離」について

今日の日本では、国家権力から宗教を守って、宗教に自由を保証する意味合いで理解されている。

欧州はまったく違う。法王庁=教会の政治的圧力から近代市民社会の自由を守る、宗教権力から国家(世俗権力)を守るという意味合いだ。しかし、カトリックとプロテスタントの血で血を洗う17世紀の宗教戦争が起きたため、信仰は個人の内面でプライベートな部分に限定、政治は、信仰の違いを超えた公共の場とする合意を形成していく。つまり、宗教は政治に干渉しないことが原則となり、啓蒙主義の展開により19世紀には脱宗教の合理化が進行=宗教の世俗化が進んだ。

アメリカのそれは、欧州と異なって、「政治」と「宗教」の分離ではなく、「国家」と「教会」の分離である。宗教の自由を求めてやってきた移民が作ったのがアメリカ。キリスト教の分派は相当数あって差別できないこともあり国家権力が特定の分派と特別の関係になるらないようにしている。新教の国だがカトリック信者も7千万人近いし、4百万近いユダヤ人もいる。憲法にゴッドが出てくるが要は聖書を共有する人たちのゴッド。イスラム教徒も聖典の民だがどうも仲間外れにされているように見える。欧州の宗教戦争のような悲惨な内戦を経験せず、啓蒙主義を通りぬけた脱宗教=合理主義の洗礼も受けていないアメリカだ。ダーウィンの進化論もいまだに問題となっているらしい。そのアメリカは、憲法のゴッドが想定している聖書を共有する民には寛容だがそれ以外の異教徒に対しては非寛容である。そして、実際のところ、宗教が政治に及ぼす影響はヨーロッパに比べてはるかに強い。イスラム世界の宗教と政治の一体化まではいかな
いにしても、アメリカは宗教的に原理主義者である。


「民主主義について」

民主主義は消極的な政治概念で、独裁国家でないとうことが民主主義。やりかたは様々。ギリシャの民主主義、アメリカの民主主義、日本の民主主義、巧拙の程度、成功不成功の程度はあっても、それぞれは等価である。

北朝鮮は国名に民主主義とうたっているが金王朝の独裁国家なのでこの定義から言えば看板に偽りありとなる。シンガポールは極めて行政権力が強いが独裁国家ではないので民主主義になる。ロシアもいちおう民主主義に入るだろうか。中国は?共産党独裁国家だから民主主義ではない・・・ということになるだろう。しかし、中国は国も国民も民主主義にこだわっているようには見えない。自分たちがいい生活ができれば、お金もうけができれば、どんな政治だって受け入れる。共産党を批判さえ批判しなければ、ある意味では日本人以上に自由な生き方をしているように見える。独裁も悪くないではないか。

中国問題は、現在、国力の膨張とともにアメリカの覇権に挑戦をしていることから起こっている。やめればいいのにと本当に思う。それさえなけれれば、世界の経済に多大な貢献をなして歓迎されるはずなのだが。そうできない力学がやはり働いているのだろうか。脱線するが、資源の希少性の問題、平等には行きわたらない問題がある。中国とインドが先進国並みの豊かさを達成するということは、間違いなく資源価格が高騰する(もうすでにそうなっている)。何らかの技術革新によるブレークスルーがなければ(エネルギー関連で)。

脱線したが、民主主義にも欠点が山のようにある。非能率、無定見、衆愚政治になりかねない。いい民主主義と悪い民主主義がある。それと同じでいい独裁国家と悪い独裁国家がある。ここまで西尾さんは言ってないけれど。


「第二次世界大戦は西欧の内戦であって、日本の戦いは別次元の自衛戦争だったこと、について」

氏はナチスのドイツと軍国日本を同列にして平和に対する罪をおかした侵略者として断罪することに異議を唱えている。第2次世界大戦というのは、ドイツを中心とする勢力と反ドイツ連合(イギリス・ソ連・アメリカ)による西欧文明諸国の「内戦」である。ナチスがユダヤ人等を含む虐殺を行ったことで、ドイツは人類に対する犯罪を犯したとして、事後法という問題はあったが、ニュルンベルク裁判で裁かれることとなった。

しかし、日本の戦争は断じて侵略ではなく、自国の安全保障のための自衛戦争だったのであり、それも、ドイツに対抗するために、共産ソ連と手を組む必要が生じた英米の都合で、理不尽な、特に、アメリカが日本に対し謂れのない圧力を掛けたので、日本は戦いを挑んだのである。真珠湾攻撃の戦略的な誤謬の問題は別として、初っ端の戦果に日本人が胸のつかえが取れる思いをしたのはそうい欧米白人国家群による理不尽で身勝手な自己欺瞞に対して一時的にせよ鬱憤を晴らしたからなのであった。欧米の白人の前で屈従を強いられていたアジア人が密かに喝采をした例は枚挙にいとまがない。

どちらが侵略者だろうか、という問題は、16世紀からアジアに進出した西洋諸国(遅れて参加した米国を含む)のほうなのである。400年のタイムスパンで見たら断然そうである。彼らは、未開の野蛮人を文明に導く神の使徒として、植民地主義は彼らに善を施すことなのだ、という誠に自己に都合の良い勝手な論理で侵略し暴利をむさぼったのである。日本裁きは、欧米の白人たちのプライドをずたずたにした日本に対する復讐であり、リンチであった。負けた日本の弱みに付け込んで、自分たちの罪業を日本に一方的に押し付けるという甚だ傲岸で欺瞞に満ちたいけずうずうしさなのである。太平洋及び極東、東南アジアで繰り広げられた戦争は、人種間闘争、文明の衝突であったのだ。

概ね、このような論理なのだが、これは、林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」を始め、GHQで発禁本で没収されてしまった戦前・戦中の日本の識者による主張にそったものである。真理をついているけれど、では、これは、国際的に(といことは「英語」での言説が支配する世界)認定されたものではなく、公の場で主張すれば「歴史修正主義者」のレッテルを張られるのであろう。

この問題では、歴史にとどまらずエドワード・サイードの「オリエンタリズム」等のごとく、非西洋世界側から西洋の言説一般に対し様々な意義申し立てがなされている。しかし、批判される当事者の例えばイギリスなどのアカデミズムなどは、例によってどっちなんだかわからないレトリックを使って非英語国民をはぐらかし(膨大な公平性と客観性を装った論理を展開しながら)ながら自己正当化を続けていると思う。

西尾さん曰く、「歴史は善悪の彼岸にある」ものなのだ。自分の存立の名誉にかけて謂れのない中傷や圧力には受けて立って反論し、自己の正当性を主張してこそ、そこに真実が滲み出てくるのだ、と。戦後の日本の歴史学会は、それを放棄してしまった。去勢されてしまった。GHQの焚書(発禁)があった。和辻哲郎の「アメリカの国民性」もその一冊だ。戦後の日本人は、アメリカとソ連(マルクス主義)の双方かいずれかに媚びを売る言説しかせず、本来の日本の立場を失ってしまっている、と嘆いている。

 

昼食:ソース焼きそば(隣のNさんから春キャベツをいただいたのでたっぷり塩ゆでしたものを混ぜて)

夕食:いただきものの葱とキャベツをふんだんに使った野菜カレー(ベーシックはミネストローネ)。酒肴はビールと春キャベツのベーコン&ハムのオリーブオイル風味の白ワイン蒸し(要は、オリーブオイルとニンニクで炒めて、白ワインを振りかけて蒸して、塩コショウしたもの)。

日が長くなった。17時半を過ぎてもまだ明るい。戸締りをしたついでに玄関の郵便ポストを覗いたら「The Last Days of Mankaind」が届いていた。

 

夕食後、2階で日記を書いたり、1階の洋間で届いたばかりの本のカール・クラウスの本のIntroductionを読んだりした後、21時からBS6で「007ロシアより愛を込めて」を見る。007シリーズ中のベストワンとしてこの映画を上げる人が多い。観るのはたぶん3度目だろうか。イスタンブールや、そこからベオグラードを経由してトリエステまで行くオリエント急行列車の旅のシーンのロケが美しい。1963年の製作。個人的に一番好きな「007ゴールドフィンガー」の製作は1964年。英国のMI6とソ連の諜報部を手玉にとろうとするスペクターとはいったい何なのだろうか。グローバルレベルで展開されるアナーキーな闇の犯罪組織。19世紀だと、シャーロック・ホームズの物語にでてくるモリアーティ教授の犯罪組織があるけれど。

2019年3月31日 (日)

近現代史におけるアメリカの特異性について

3月29日(金)曇り

6時半の目覚め。寒い。西尾幹二氏の「天皇と原爆」(新潮社)を拾い読みする。大学でドイツ語を学んだけれど、授業で使った文法のテキストは西尾さんが書いたもので実家にそのまま保存してあった。1983年にオランダ研修で東京のアパートを引き払った時にまとめて送った荷物にはいっていた。田舎の実家は引っ越荷物の物置場だった。

 

Nishiokanji-grammar

 

ニーチェの評伝やショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」の翻訳をだしているドイツ哲学の専門家でもあるが、保守の立場からの歴史と国際関係評論を幅広くを行っている。反アメリカ的・反中国的な保守派。どういうわけだか、独文を専門にした人には気骨のある保守派が多いような気がする。古くは「ビルマの竪琴」で知られる竹山道雄。高橋義孝、西義之、小堀桂一朗、等が思い浮かぶ。軟弱な!?仏文系とは大違い、というのは言い過ぎか。

アメリカ論の決定版というのは存在しない。アメリカとは何か。捉えがたい一個の謎である。氏によれば、アメリカは中世の経験がない、そして、ヨーロッパの宗教弾圧を逃れたプロテスタント派たちが作った神がかった宗教国家、それがアメリカだ、と。いまだに、大統領選に妊娠中絶やLGBTが争点になりアメリカの外交まで影響を及ぼすのだ。すれっからしの脱宗教国家群であるヨーロッパとは大きな違いだ。フランスのドゴールさんが、アメリカは国際政治のなかに道徳を持ち込むから困る、という趣旨の発言をしたことがある。

西尾さんによれば、アメリカの最大の敵は、イギリスだった、と。アメリカの起源はイギリスからの武力による革命=独立である。対ロシアではイギリスと手を組んだ。アメリカは、例えば、大英帝国の一部をなすカナダをロシア領アメリカ=アラスカ経由で南下するロシアの膨張の脅威から救った。ロシアからアラスカを買い取った(クリミア戦争の影響で財政難のロシアがアメリカに売却)。日露戦争も南下するロシアを排除して、満州での利権(投資)を狙って、英国の同盟国である日本を後押した。日露戦争とはロシア対英米の代理戦争だった。日本は勝利するも、アメリカの狙いであった満州の資本受け入れを日本が断固反対したために当てが外れ失望して、日本排除に方向転換することになった。

1867年にスエズ運河が開通するまでは、ニューヨークのほうがロンドンからよりも中国に到着する距離が短かった。というのも、当時、欧米からアジアに来るには喜望峰経由してインド洋をとおってくる航路を帆船で移動した。蒸気船の出現とスエズ運河はイギリス(を含むヨーロッパの地政学を代えた。紅海を抜けてインド航路を通りシンガポールから香港、あるいは豪州というシーレーンが出来て圧倒的に優勢になった。

ペリーが日本に来航した目的は、太平洋航路の開拓であった。イギリスに対抗するためにアメリカは、パナマ運河の開削を企図する。そのためにはカリブ海を制する必要がある。それには、キューバを取る必要がある。キューバを取るためにはスペインと戦わなければならない。スペインと戦うには海軍を拡張しなければならない。その結果が1898年の米西戦争だった。用意周到なアメリカは香港に艦隊を待機させ、フィリピン、グアム、サイパンも同時に取る手際のよさ。この年にアメリカは、ハワイ、ウェーク島も併合している。キューバとの開戦もどうやら自作自演で自国の戦艦が攻撃されたことを口実にして戦争をしかけたらしい。


19世紀半から20世紀初頭にかけてのアメリカは世界最大級の侵略国家だった。そのイデオロギーは、よく知られた「マニフェスト・ディスティニー」。アメリカがテキサスを併合した1845年から言われ始めたという。云わんとする真意は、領土膨張は神によって与えられた使命で、文明の普及とキリスト教の布教のため、という自己正当化のレトリックである。

19世紀初頭のナポレオン戦争の結果、スペインはガタガタになり、南米の国は次々に独立した。ヨーロッパ諸国はその独立を否定する動きを見せた(ウィーン体制)が、それに否を唱えたのは米国(モンロー宣言)であり、イギリスが同調した。スペイン帝国は17世紀の無敵艦隊敗北以来凋落の一途を辿ってはいたが、中南米と太平洋ではそれなりの力を持っており大英帝国でもいかんともしがたい地域はまだ残されていた(カトリックが優勢な地域)。明治24年=1891年に硫黄島の領有を宣言した日本に異を唱えたのはスペインであった。日本人が忘れてはならない視点として、西洋=白人社会=キリスト教の集団勢力の世界制覇の膨張はスペインのマゼラン世界一周以来、延々と続いているということ。

第一次世界大戦から第二次世界大戦までの約30年は、20世紀の「30年戦争」と言われる。いずれにおいてアメリカは最後の場面(第一次)又は途中(第二次)で参戦し、かつ、第一次の場合は、ウィルソン大統領が14ヶ条で目玉の民族自決主義をひっさげ、第二次ではルーズベルトがチャーチルと「大西洋憲章」を宣言して「正義」のイデオロギーにもとづき西欧列強の植民地主義を葬り去ったのだった。最大の狙いは大英帝国潰しだったのである。

本書は学術的な専門書でははないし、まだ全部を読み通していないが、大変刺激的で目から鱗の指摘が随所にある。こういう本は線を引き、書き込みをしながら何度も読み返したい本である。ちなみに、半藤一利氏の「昭和史」には通俗的なマルクス主義の善悪史観で書かれた内容だとして手厳しい。のみならず、学界の例えば加藤陽子氏や秦郁彦氏の著作も同様である、と。いくら学問的体裁としての個々の事実確定の証拠を固め羅列しても意味の解釈は、それを包むパースペクティブの問題でる。歴史は解釈である。解釈のもととなるパースペクティブをどこに求めるのかによって意味が判事絵のよに違ってくるのだ。国際間の出来事はアナーキーで善悪など究極的にはない、勝ち負けだけが判断基準となってしまうという気が滅入るような真実があるように思える。歴史は、第三者的な立場は必要であるけれど(客観性を担保するため)、究極的な意味は、自らの存在の内在的論理に立った立場からの意味付けをするしかないのだろう。戦後(もう73年が経過した)の日本で書かれる歴史叙述はアメリカとソ連(マルクス主義)の両方に配慮した叙述になっており、日本という主体が消え失せてしまっていると著者は嘆いている。

かくいう私自身は、冷戦崩壊までは、半藤氏と同じ左翼リベラルのものの見方へ疑義を呈することなく信じていた。あっけなく崩壊したベルリンの壁とソ連の崩壊。色あせた社会主義の理想を目の前にして、別に茫然とはしなかった。生活のための仕事が大事だったし、自分の快楽を求める生活に日々をうちやる日々だった。が、この歳になっても、まだこの世の生業に未練はあるけれど、自分と自分が生u6yyきた時代とは何だったのか、じっくり考えてみたいと思うのだ。

Nishio

 

朝食:納豆、笹かまぼこ、ご飯少々。
昼食:キャベツたっぷりのソース焼きそば、コーヒー
夕食:野菜カレー、ポテトサラダとサバの文化干し半分。

「会いたいぃ~、君に会いたいぃ~」のあのグループ・サウンズのオックスの萩原健一氏がが急逝した。68歳。自分はあまり見なかったけれど「太陽が吠えろ」のマカロニ刑事。

2019年2月13日 (水)

寒さに悴む一日。 「歴史修正主義」とは?

2月11日(月) 曇り
6時過ぎに目が覚めて外を見ると雪は降っていなかった。しかし、冷え込みは今年一番ではないか。気温は何とマイナス4度。
6時半過ぎ、キッチンへ。朝食の準備。
朝食:アジの干物(今回は塩味がきつかった。毎回同じものをかっているがアタリ・ハズレがあるのだろう)、鍋の残り物、ご飯。
父は9時過ぎいつものデイケアーへ。母は、父のベッドに潜り込んで午前中一杯休養を取る。私は2階で物思いに耽る。

昼食:まるちゃんの昔懐かしのソース焼きそば。イチゴ3粒。
あまりの寒さに外出は控える。今日は、両親の言い方では「紀元節」、いわゆる、「建国記念日」と祝祭日。Yちゃん親子は入学の説明会に出かけるという。ガイダンス、制服や体操着の寸法を測って注文したり、クラブ活動の見学。

BS1で「ヒトラーの演説」を見る。時間を間違えて15時半過ぎにスイッチオン。途中からだったが、ニュルンベルクの党大会でヒトラーの演説を直接体験した複数のドイツ人がインタービューを受けていた。ヒトラーの話術の魔力。あの話し方は、昔、有楽町の辻説法で有名な赤尾敏氏や大学のキャンパスでの新左翼活動家のがなり声演説、、北朝鮮国営放送での過激なレトリック、等とトーンは同じだ。今聞くと、何故に人は魅せられたのか、不思議だ。少なくとも、自分自身が聞いた赤尾敏や新左翼の拡声器で訴える内容には一部理解することはあってもあのスタイルと雰囲気には嫌悪感があって、まったく自分の心には響かなかった。そして、左右問わず、あの過激な論調、誹謗・中傷・脅しのトーンは両者が似た者同士、本質は同じであることの証だと思う。
脱線するけれど、北朝鮮は今、核兵器を担保にソフトな路線を見せてソフトな印象を出し始めていはいるが本質は変わらない。信用すべきではないし、信用してはいけないのだ。あのロケット・マンはヒトラーと同類なのだ。融和するにはあまりにもダークな歴史を背負いすぎている。どういう形なのかは、政治的想像力に乏しい自分には分からないけれど、一旦これをきちんと清算することなしには北と融和すべきではない、というのが私の個人的な持論である。トランプさんよ、政治はビジネスじゃないよ。専門家は視野が狭いけれど、専門性は重宝しないといけないよ。ビジネスというのは「節操」がない。儲かるなら地獄とだって取引きをする。所属する国がないユダヤ人が悪魔視されるのは故あってのことなのだ。ビジネスの本性から損をしないように「両張り」するのだから、節操があるはずがない。アモラルなのだ。悪魔との取引きを平然としてしまう。そこを間違えてはいけないし、政治はビジネス的利益を超越してモラルを通す必要がある、ということではないだろうか。

筋に戻ると:
登場したもう90歳前後の人たちは、完全にヒトラーの演説に取り込まれ、感激して100㌫信じたという。後から振り返れば、どうして自分はあのような愚かなことを信じたのだろうか。茫然自失するだろう。1933年1月30日に首相の座についたヒトラーのがなりたてる不気味なアジ演説は、国民を熱狂させ、催眠状態に陥れた。そして、1939年のポーランド侵攻による第二次世界大戦突入に向かってまっしぐらに突き進んで行った。ちなみに、独ソ不可侵条約は、同じ穴の貉であったヒトラーとスターリンによる「悪魔の取引」だった。

印象に残ったのは、インタビューを受けた一人のコメント。捕虜となりアメリカに連行され、強制収容所の悲惨なフィルムを何度も見せられたのだが、連合国側の意図は、祖国のために戦ったもとドイツ兵たちのナチス政権はこんなにひどい犯罪国家だった、ということを示して、ナチスのイデオロギーの洗脳を解くことにあった。所謂、De-Nazification(非ナチス化)。しかし、インタビュ-を受けた本人は、この連合国側の意図は全く自分には響かなかった、と正直に吐露しているのである。アルバート・シュペアの回想録にもあったけれど、感情の根幹を揺すぶる演説と次々と実現していくヒトラーの政治的な成功の現実が同時進行するなか、ヒトラーは神がかりになり隔絶した存在、オーラを放つ絶対者となっていく。神とは言わないまでも普通の人間とはまったく別次元の特別な存在となった。人々は判断することを放棄し、ヒトラー総統に帰依、言われるがままに従った。自分の全存在をすべて無条件でヒトラーに委ねてしまったのだ。全能のドイツの救世主ヒトラー総統、万歳。あらゆる出来事への当事者意識の欠如。ナチズムという「カルト宗教」に自分を見失ってしまって、唯々諾々とロボットのように振舞ってしまった人達。コメントをした人は、意図的に発言したのかも知れない。ナチスが手を染めた大量虐殺犯罪と、ナチスを信じて祖国のために戦ったこととは別である、と。

夕食:豚・白菜鍋、餃子、紹興酒の熱燗、ご飯少々、イチゴ。

夜の読書:「戦争を始めるのは誰か~歴史修正主義の真実」をパラパラとめくる。

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このところ、チャーチルの「第二次世界大戦」、ビーバーの「第二次世界大戦」など勝者の側からの歴史書に没頭しているが、現代史というのはまだまだ定まっていないと思う。この本の表紙カバーをめくると「歴史修正主義」の意味するところを著者はこう述べている:
「歴史修正主義」とは戦前の日独をことさら評価する史観ではない。米英両国の外交に過ちはなかったのか、あったとすれば何が問題だったのか、それを真摯に探ろうとする歴史観だ。英米露独の外交と内政を徹底検証し、二つの世界大戦が実は「必要」も「理由」もない戦争だったことを明かす」

起こった出来事が全てだとは思う。しかし、その意味するところの解釈を巡っては一義的に定まらない。芥川龍之介の「藪の中」なのだ。黒澤明の「羅生門」なのだ。

フランクリン・ルーズベルト大統領の前任者がフーバー大統領。そのフーバーさんが書いたルーズベルト批判の書である「裏切られた自由」を翻訳出版したのはこの本の著者である。キッシンジャーの名著とされる「外交」でFDR(ルーズベルト大統領)は不出世の偉大な指導者として讃えられている。21世紀に突入した際にニューヨークタイムズが出した特別版でも、FDRは大きくページを割いて顕彰している。

本当に米国の歴代大統領の中で最大の称賛に値する一人だったのだろうか。このFDRは、大統領就任早々何をしたかというと「共産ソ連」の承認であった。ヒトラーと同類のスターリンが指導するソ連を認めたのである。そもそも、これがなかったら、第2次大戦は、同じ穴の貉のナチスドイツと共産ソ連(ハンナ・アーレントの言う「全体主義国家」同士)の死闘で互いに消耗戦を戦ったであろう。帰趨が見えたところで、アメリカが仲介すれば良かったのではなかったか。歴史は別の筋道を辿ったのではないか。あのような世界を巻き込む大惨事は避けられたのではなかったか。

FDRは悪魔との取引きをすることでいわゆる「善」をなしたのだろうか。ちなみに、FDRを評価するキッシンジャーは20世紀後半の国際政治におけるメフィストフェレスではないだろうか。

ゲーテのファウストから「お前は何者か」と問われ、メフィストフェレスは「私は常に悪を欲し常に善をなすあの力の一部です。・・・・・」

(Faust: Wer bist du ?    Mephisutopheles: Ein Teil von jener Kraft, die stets das Boese will und stets das Gute schafft.・・・・・)

2018年11月15日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その129  ブキャナンの「第二次大戦は不必要だった」 鰯爆釣の那珂湊。

11月14日(水) 晴

 

6時前の目覚め。徐々に睡眠状況がよくなってきた。しかし、体にだるさがある。先週まで那珂川河口の2キロほど上流地点に通って釣りに興じたが、最後のころは200㍍ほど歩くのが少しつらかった。体調の問題か、それとも、体力の衰えか。

 

朝の読書は、「不必要だった二つの大戦」。先年亡くなったアメリカの保守の論客パット・ブキャナン氏の著作である。副題はチャーチルとヒトラー。第2次世界大戦の英雄は英国のチャーチルでありアメリカのルーズベルト。ヒトラーは悪魔である。歴史はそのように評価し正史として書かれる。起きてしまった歴史にああだ、こうだと言っても始まらない。しかし、歴史に学ぶとは起きてしまったことと有り得ただろう可能性を検討することでもある。

 

チャーチル氏は、第一次世界大戦から第二次世界大戦を20世紀の30年戦争とし、その当事者として証言の書を書き、ノーベル文学賞を受賞した。昔のノーベル文学賞は今日とは趣が違う。そのまた昔にはフランスのElan Vital(生の躍動)で有名なアンリ・ベルグソンという哲学者もノーベル文学賞を受賞している。

 

大英帝国の転落は第一次世界大戦への参戦から始まる。そもそもの原因は、ハプスブルク王朝の皇太子がセルビアのテロリストに暗殺された極めてローカルな事件から始まった。フランス(アルザス・ロレーヌ喪失の復讐心)とロシア(バルカン半島への野心)が手を結び、ハプスブルクのオーストリア(オスマン帝国の衰退にともなう不穏なバルカン半島への野心でロシアと対立))とドイツ(ドイツ帝国の成立とともにヨーロッパ一の人口と軍事力・産業力を誇る新興国)が手を結ぶ。セルビアはロシアの後ろ盾を、ハプスブルクはドイツの後ろ盾を当てに突っ張りあう。ハプスブルクは、セルビアをつぶすために暗殺事件を利用して10項目の最後通牒をセルビアに突き付ける。セルビアは、9項目までは了承、1項目だけ拒否する(暗殺犯の取り調べと原因究明にハプスブルク側が加わる要求)。本来であれば、ハプスブルク側は、動員をかけてセルビアに戦争をしかけるほどのことはなかったらしい。セルビアつぶしが目的で始まった宣戦布告。ロシアが動員をかけ、ドイツがそれをやめるよう働きかけたのにたいし、逡巡するニコライ2世のロシア。ドイツの動員令。フランスの動員令。ここに来て、イギリスが、介入してくる。イギリスの400年来の外交方針は、ヨーロッパ第一の大国を潰すこと。そのためには、第一の大国の対抗馬を支援すること。つまり、この時はフランス。100年前のナポレオン戦争のときは、プロシャ(ドイツ帝国の中枢王国)だった。イギリスの伝統に従って若きチャーチルと外相グレイがが積極的に動き、時の首相アスキースや蔵相ロイド・ジョージを取り込んで、参戦に踏み切る。結果として、ヨーロッパ全体で1000万の戦死者、2000万の傷病者という予想もつかなかった惨憺たる大惨事を引き起こしてしまう。


ブキャナン氏は言う。イギリスが参戦しなかったら、ドイツが勝利をおさめ、その後の歴史的展開はまったくちがったものになっていただろう。もちろんヒトラーが政権をとるようなことはあり得なかった。

 

Buchanan

 

そもそも動員令は、開戦とイコールなのか?、国境付近に軍隊を張り付け外交交渉を継続するのがそれまでのヨーロッパの外交であった。それを不可能にしてしまったのは、ドイツ参謀本部の俊英シュリーフェン伯爵が考案したドイツの国防の国是となった「シュリーフェンプラン」(最初に速攻でベルギー経由でパリまで進撃しフランスを打ち破る。返す刀でロシアを迎え撃つ)による。フランスとロシアという2正面の戦闘を打ち破る秘策だった。そのためにドイツの鉄道網も整備されたという。ドイツにとって動員とは、シュリーフェン・プランを実行するためには一刻の猶予も許されない戦闘開始を意味していたのだった。これにより、誰もが予想もしなかったヨーロッパを巻き混んだ大戦を引き起こすことになった。これにより、誰もが予想もしなかったヨーロッパを巻き混んだ大戦を引き起こすことになった。

 

ノーベル文学賞を取り、20世紀の英国が誇る大政治家で日本でも私淑する人が多いと言われるチャーチル。だが、本当にそうだったのか。起きてしまったことはもう変えようがないが、彼の著作では巧妙に隠されている多くの誤った判断としくじりについて、ブキャナン氏は検討を加えていく。

 

朝食にサバの文化干しを焼いて食べる。ちょっとばかり塩が効きすぎていた。朝のフルーツはバナナ。

 

バナナの記憶。子供のころはバナナはある意味で高級品だった。当時のバナナと言えば台湾バナナ。今は、フィリピン産、エクアドル産、さまざま。なーんだ、バナナか、という人も多いが、ベルリンの壁が崩れたとき、東独の人が国境を越えて西ドイツのスーパーで購入したのがバナだったという。20代のころ、ソ連の客船が日本を周遊した際の観光受入れの仕事をしたことがある。先方の団長と面談して一緒に船の中で会食をする機会があった。ソ連船の名前はハバロフスクかジェル人スキー(秘密警察の初代長官)だったか。デザートがバナナだった。団長はエストニア出身の人だったが、「おお、バナナ!」と感嘆の声を上げていたことを思い出す。バナナを馬鹿にしてはいけない。

 

8時15分、車でハローワークへでかける。失業手当給付の手続きに。その後、求職情報をチェックして面白そうなところを見つけた。求職相談をして、相手に確認してもらい、高齢者でもいいかどうか確認してもらうことに。担当者が休みで明日の回答となる。今更、正規職員を望んでいるわけでもなく、介護もあり無理だが、実家近くの職場で契約か派遣、いずれでもOK。お小遣い(釣りのガソリン代、エサ台)、東京で購入したマンションのまだ残っている家賃の返済や、年に1度、2度の旅行(海外はしばらくは断念、みちのくの奥の細道を訪ねたり、温泉旅行か)、等々。いずれにしても、エネルギーが続く限り、生涯現役を続けるつもりだ。釣りと野鳥観察と読書だけでは何かまだもの足りない。

 

ハローワークの臨時駐車場の雑草や昆虫をしばし観察して、帰途、京成百貨店で買い物(サンマ、銀座ナイルのカレー、カボチャ、大根等)をする。

 

お昼:百貨店で買った天丼弁当を食す。揚げたてはうまい。エビ、レンコン、カボチャにシロギス。590円はまあ安いほうだろう。

 

午後は、4日ぶりの釣りに出かける。今日は、新たな展開をと思い、那珂湊漁港へ。到着してみると、イワシが爆釣中だった。

 

Maiwashituri

 

時間は13時。サイズはそれほど大きくはないが、急いでサビキの用意をして30分ほど戦列に加わる。サビキ釣りに必要なコマセはまったく必要なし。第一投から手ごたえがあり釣れる、釣れる、釣れる。すぐに飽きてしまった。氷を持ってくるのを忘れた。おさかな市場で乾燥芋(父の好物)と味海苔(母の好物)を買い、無料で氷をもらい、40~50尾のマイワシを入れる。

 

本日の狙いはハゼ。那珂川が不調ということもあり、漁港内で狙ってみた。

 

Nakaminato


釣れたてのハゼは飴色で美しい!

 

Ameirohaze

 

北風ぴゅうぴゅうで、釣れる気がしなかったが、それでも1時間半ほどでかろうじて3尾を釣った。サイズは13㌢~16㌢でまずまず。天ぷらサイズだ。時間帯によって、仕掛けと餌(ジャリメ)を工夫すれば10尾~20尾狙えるのではないかという感触だった。明日に期待して、16時過ぎ帰宅。


釣果 マイワシ42尾 マハゼ 3尾

 

Maiwashi_42

 

Mahaze3

夕食は、ぷりぷりエビとセロリの塩炒めと秋鮭(北海道産)のムニエルに、ネストビール(エール)。ご飯少々。
食後、履歴書を書く。大学卒業時、第一の転職、第二の転職に続き、4回目である。熱中していると時計は20時。シャワーをさっと浴びて2階のベッドに潜り込む。

「不必要だった二つの大戦」を読み続けるが、すぐに眠くなった。